外国映画レビュー──1998年
製作国:アメリカ
日本公開:1998年9月26日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:イアン・ブライス、マーク・ゴードン、ゲイリー・レヴィンソン、スティーヴン・スピルバーグ 脚本:ロバート・ロダット、フランク・ダラボン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:ジョン・ウィリアムズ
キネマ旬報:2位
ゴールデングローブ作品賞
人道について考えさせられる戦争映画の佳作
原題は"Saving Private Ryan"でライアン兵卒救出の意。字幕ではPrivateは二等兵と訳されている。
第二次世界大戦でライアン夫人は4人息子のうち3人を戦死させる。参謀総長はノルマンディー上陸作戦に参加していた空挺隊員の末弟ジェームズの帰還を命じ、トム・ハンクス率いるレンジャー中隊がジェームズ救出作戦を遂行するという物語。アカデミー監督・編集・撮影賞等5部門を受賞。
最大の見どころはやはり戦闘シーンで、冒頭のノルマンディー上陸作戦は圧巻。ドイツ軍の守備隊に向かって砲弾の雨の中を突撃していくシーンは生々しく、残酷シーンも多い。
激戦中にも係わらず、一人の兵士の命を救うために他の兵士が犠牲になるという、一見矛盾した作戦を通して戦争と人道の意味を問うという屈折したテーマの立て方をしている。作中では将軍一人を守ろうとして墜落した飛行機が対比として描かれたり、降伏した独軍兵士を射殺したりという戦争犯罪も描かれる。ラストのフランス戦線で米兵と独兵が組み合って戦うシーンでは、生き残るために殺したくない相手をナイフで突き殺すという理性を超えた戦争の悲惨が描かれる。
普段はハートウォーミングな作品のスピルバーグは、戦争映画になると建前を捨てて人間の本質を冷徹に描く。ユダヤ人であることが、戦争のヒロイズムや人道主義のきれい事を排除する。
アカデミー監督賞をとった演出は秀逸で、約3時間の長尺を少しも退屈させない。撮影も戦闘シーンの派手さに目を奪われがちだが、雨の降り始めの雨粒の接写や、塹壕で戦車の接近とともに揺れる小石など、細かな演出が光る。声高に反戦を訴える戦争映画より遥かに戦争の意味について考えさせられる。 (評価:3.5)
日本公開:1998年9月26日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:イアン・ブライス、マーク・ゴードン、ゲイリー・レヴィンソン、スティーヴン・スピルバーグ 脚本:ロバート・ロダット、フランク・ダラボン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:ジョン・ウィリアムズ
キネマ旬報:2位
ゴールデングローブ作品賞
原題は"Saving Private Ryan"でライアン兵卒救出の意。字幕ではPrivateは二等兵と訳されている。
第二次世界大戦でライアン夫人は4人息子のうち3人を戦死させる。参謀総長はノルマンディー上陸作戦に参加していた空挺隊員の末弟ジェームズの帰還を命じ、トム・ハンクス率いるレンジャー中隊がジェームズ救出作戦を遂行するという物語。アカデミー監督・編集・撮影賞等5部門を受賞。
最大の見どころはやはり戦闘シーンで、冒頭のノルマンディー上陸作戦は圧巻。ドイツ軍の守備隊に向かって砲弾の雨の中を突撃していくシーンは生々しく、残酷シーンも多い。
激戦中にも係わらず、一人の兵士の命を救うために他の兵士が犠牲になるという、一見矛盾した作戦を通して戦争と人道の意味を問うという屈折したテーマの立て方をしている。作中では将軍一人を守ろうとして墜落した飛行機が対比として描かれたり、降伏した独軍兵士を射殺したりという戦争犯罪も描かれる。ラストのフランス戦線で米兵と独兵が組み合って戦うシーンでは、生き残るために殺したくない相手をナイフで突き殺すという理性を超えた戦争の悲惨が描かれる。
普段はハートウォーミングな作品のスピルバーグは、戦争映画になると建前を捨てて人間の本質を冷徹に描く。ユダヤ人であることが、戦争のヒロイズムや人道主義のきれい事を排除する。
アカデミー監督賞をとった演出は秀逸で、約3時間の長尺を少しも退屈させない。撮影も戦闘シーンの派手さに目を奪われがちだが、雨の降り始めの雨粒の接写や、塹壕で戦車の接近とともに揺れる小石など、細かな演出が光る。声高に反戦を訴える戦争映画より遥かに戦争の意味について考えさせられる。 (評価:3.5)
恋の秋
日本公開:1998年11月28日
監督:エリック・ロメール 製作:フランソワーズ・エチュガレー 脚本:エリック・ロメール 撮影:ディアーヌ・バラティエ
原題"Conte d'automne"で、秋物語の意。
南フランスの田舎町サン・ポール・トロワ・シャトーで書店を営むイザベル(マリー・リヴィエール)が、独り身の農婦マガリ(ベアトリス・ロマン)に結婚相手を紹介する策謀の物語。
マガリには成人した二人の子供がいて、精魂込めて育てた葡萄で熟成ワイン作りに生き甲斐を感じ、共に働いてくれる夫は欲しいが、そんな自分を理解できる男はいないと諦めているオバサンという設定がいい。
愛する夫がいて娘の結婚式を控えた家庭的に恵まれたイザベルは、マガリのために一肌脱ごうと結婚相手募集の新聞広告を出す。応募者の中から選びだしたジェラルド(アラン・リボル)にマガリと偽って面談。その気になったジェラルドに実は交際相手は別人と告げ、娘の結婚式でのマガリとの偶然を装った出会いを計画するが、思った通りに二人は意気投合。
ところがイザベルの策謀と気づいたマガリが腹を立て破談になりかかるも、最後はハッピーエンドとなる。
これと並行して、マガリの息子の恋人(アレクシア・ポルタル)が、マガリを心配して独身教師(ディディエ・サンドル)との見合いを同じ結婚式で仲介するが、無理に男女を娶せようとしても上手くいかない教訓が示される。
それに比べるとイザベルのやり方は年の功だが、策に溺れて一波瀾があるのが、脚本ロメールの年の功。
ロメールにはもう一つ年の功の味付けがあって、円満夫婦のイザベルが実はジェラルドによろめき掛かるという中年主婦の浮気願望が描かれている。いわばミイラ取りがミイラになりかかるが、最後は踏みとどまって二人を祝福するという、二人の中年女性の心の襞を描くロメール円熟の味ある佳作となっている。 (評価:3)
製作国:ギリシャ、フランス、イタリア
日本公開:1999年4月17日
監督:テオ・アンゲロプロス 製作:テオ・アンゲロプロス、エリック・ウーマン、ジョルジオ・シルヴァーニ、アメディオ・パガーニ 脚本:テオ・アンゲロプロス 撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス、アンドレアス・シナノス 音楽:エレニ・カラインドロウ
キネマ旬報:4位
カンヌ映画祭パルム・ドール
テーマ的にはいささか退屈だが、映像的には退屈しない
原題"Μιά αιωνιότητα και μιά μέρα"で、邦題の意。入院を明日に控えた詩人(ブルーノ・ガンツ)の1日を描いたもので、死期の迫った詩人が追憶の中で3年前に死んだ妻に「明日の長さは?」と尋ねるのに対し、妻が「永遠と一日」と答えるのに由来する。
劇中、主人公の研究する19世紀の詩人ソロモスのエピソードが語られ、言葉を手に入れ、言葉によって過去を取り戻すことがテーマとして描かれる。詩人は言葉によって永遠の生を手にすることができるというのが結論で、明日1日とそれに続く永遠が明日の長さということになる。
今日1日、詩人は亡妻を追憶し、偶然出会った不法移民の少年を助けて行動を共にする。
言葉を手に入れたことによって人は考えを形にでき、それを記録を残し、その記録から過去を呼び出すことができるという一つの思想を映画にし、事実アンゲロプロスは死してそれを後世の者に語りかけることができたという点においては、映画のテーマそのものの証明になる作品だが、それを改めて語られても目新しさはない。
そうした点で観客に対する訴求力は弱く、だから何なの? あたらめて映画にする意味があるの? というアンゲロプロスの極私的フィルムになっている。
もっとも映像的・演出的には目を見張るものがあって、基本的には1シーン1ショットの長回しで撮られている。圧巻なのは家政婦の息子の結婚式のシーン。通常の撮影法がシーンを断片化して編集するのに対し、アンゲロプロスの手法は一つのシーンを目撃し続けるという人の本来の視覚体験を保つ。ただ見続ける映像の中に次に何が起きるのかという緊張感が常にあって、詩人と同じ体験を共有することになる。
そうした点で、テーマ的にはいささか退屈だが、映像的には退屈することがない。カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。 (評価:2.5)
日本公開:1999年4月17日
監督:テオ・アンゲロプロス 製作:テオ・アンゲロプロス、エリック・ウーマン、ジョルジオ・シルヴァーニ、アメディオ・パガーニ 脚本:テオ・アンゲロプロス 撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス、アンドレアス・シナノス 音楽:エレニ・カラインドロウ
キネマ旬報:4位
カンヌ映画祭パルム・ドール
原題"Μιά αιωνιότητα και μιά μέρα"で、邦題の意。入院を明日に控えた詩人(ブルーノ・ガンツ)の1日を描いたもので、死期の迫った詩人が追憶の中で3年前に死んだ妻に「明日の長さは?」と尋ねるのに対し、妻が「永遠と一日」と答えるのに由来する。
劇中、主人公の研究する19世紀の詩人ソロモスのエピソードが語られ、言葉を手に入れ、言葉によって過去を取り戻すことがテーマとして描かれる。詩人は言葉によって永遠の生を手にすることができるというのが結論で、明日1日とそれに続く永遠が明日の長さということになる。
今日1日、詩人は亡妻を追憶し、偶然出会った不法移民の少年を助けて行動を共にする。
言葉を手に入れたことによって人は考えを形にでき、それを記録を残し、その記録から過去を呼び出すことができるという一つの思想を映画にし、事実アンゲロプロスは死してそれを後世の者に語りかけることができたという点においては、映画のテーマそのものの証明になる作品だが、それを改めて語られても目新しさはない。
そうした点で観客に対する訴求力は弱く、だから何なの? あたらめて映画にする意味があるの? というアンゲロプロスの極私的フィルムになっている。
もっとも映像的・演出的には目を見張るものがあって、基本的には1シーン1ショットの長回しで撮られている。圧巻なのは家政婦の息子の結婚式のシーン。通常の撮影法がシーンを断片化して編集するのに対し、アンゲロプロスの手法は一つのシーンを目撃し続けるという人の本来の視覚体験を保つ。ただ見続ける映像の中に次に何が起きるのかという緊張感が常にあって、詩人と同じ体験を共有することになる。
そうした点で、テーマ的にはいささか退屈だが、映像的には退屈することがない。カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞。 (評価:2.5)
製作国:アメリカ
日本公開:1998年11月14日
監督:ピーター・ウィアー 製作:スコット・ルーディン、アンドリュー・ニコル、エドワード・S・フェルドマン、アダム・シュローダー 脚本:アンドリュー・ニコル 撮影:ピーター・ビジウ 美術:デニス・ガスナー 音楽:ブルクハルト・ダルウィッツ、フィリップ・グラス
キネマ旬報:3位
虚構の世界を作り出し楽しむ人々への皮肉
原題"The Truman Show"。陽気で気のいい典型的アメリカ青年トゥルーマンが、本人の知らぬ間にテレビカメラに隠し撮りされて、「ザ・トゥルーマン・ショー」として茶の間の人気者となっているというシニカル・コメディ。
トゥルーマン(ジム・キャリー)は、生まれた時からシーヘブンという島を一歩も出たことがなく、少年の時に荒海で父を失って以来、海に恐怖感を持っているが、島と海そのものが巨大セットで、遠景はすべて書割、太陽はライトという壮大な嘘に取り巻かれている。
知らぬはトゥルーマンばかりなり、親も妻(ローラ・リニー)も親友(ノア・エメリッヒ)も周囲のすべての人がTV番組「ザ・トゥルーマン・ショー」のために演技しているという、いささか無理のある設定だが、誰でもテレビ・スターに憧れるが周りに踊らされているだけのピエロに過ぎないという、TVメディアとそれに迎合する視聴者に対する皮肉になっている。
低俗な視聴者は、トゥルーマンの私生活を覗き見し、右往左往する姿を嘲笑う。トゥルーマン以外の出演者は、そうした虚構の世界を作り出してトゥルーマンを欺き躍らせるという偽善者ぶり。これぞTVの中だけでなく、世の中を生きる人々の実際の姿だと示す。
そうしたトゥルーマンに一人同情するのがトゥルーマンの初恋の君ローレンを演じるシルヴィア(ナターシャ・マケルホーン)で、真実を告げようとしたために退場させられてしまう。
世界が偽物であることに気づいたトゥルーマンは、シルヴィアを捜してセットの出口を見つけるが、それがこの物語の救いになっている。TV番組のプロデューサーにエド・ハリス。 (評価:2.5)
日本公開:1998年11月14日
監督:ピーター・ウィアー 製作:スコット・ルーディン、アンドリュー・ニコル、エドワード・S・フェルドマン、アダム・シュローダー 脚本:アンドリュー・ニコル 撮影:ピーター・ビジウ 美術:デニス・ガスナー 音楽:ブルクハルト・ダルウィッツ、フィリップ・グラス
キネマ旬報:3位
原題"The Truman Show"。陽気で気のいい典型的アメリカ青年トゥルーマンが、本人の知らぬ間にテレビカメラに隠し撮りされて、「ザ・トゥルーマン・ショー」として茶の間の人気者となっているというシニカル・コメディ。
トゥルーマン(ジム・キャリー)は、生まれた時からシーヘブンという島を一歩も出たことがなく、少年の時に荒海で父を失って以来、海に恐怖感を持っているが、島と海そのものが巨大セットで、遠景はすべて書割、太陽はライトという壮大な嘘に取り巻かれている。
知らぬはトゥルーマンばかりなり、親も妻(ローラ・リニー)も親友(ノア・エメリッヒ)も周囲のすべての人がTV番組「ザ・トゥルーマン・ショー」のために演技しているという、いささか無理のある設定だが、誰でもテレビ・スターに憧れるが周りに踊らされているだけのピエロに過ぎないという、TVメディアとそれに迎合する視聴者に対する皮肉になっている。
低俗な視聴者は、トゥルーマンの私生活を覗き見し、右往左往する姿を嘲笑う。トゥルーマン以外の出演者は、そうした虚構の世界を作り出してトゥルーマンを欺き躍らせるという偽善者ぶり。これぞTVの中だけでなく、世の中を生きる人々の実際の姿だと示す。
そうしたトゥルーマンに一人同情するのがトゥルーマンの初恋の君ローレンを演じるシルヴィア(ナターシャ・マケルホーン)で、真実を告げようとしたために退場させられてしまう。
世界が偽物であることに気づいたトゥルーマンは、シルヴィアを捜してセットの出口を見つけるが、それがこの物語の救いになっている。TV番組のプロデューサーにエド・ハリス。 (評価:2.5)
製作国:アメリカ
日本公開:1999年4月10日
監督:テレンス・マリック 製作:ロバート・マイケル・ゲイスラー、グラント・ヒル、ジョン・ロバデュー 脚本:テレンス・マリック 撮影:ジョン・トール 美術:ジャック・フィスク 音楽:ハンス・ジマー
キネマ旬報:2位
ベルリン映画祭金熊賞
勝利のカタルシスを残さない米軍版ガダルカナル戦記
原題"The Thin Red Line"で、超えてはならないかすかな一線の意。ジェームズ・ジョーンズの同名小説が原作。
ガダルカナル島の激戦を米軍側から描いた戦争映画で、タイトルは軍事的解決、さらには敵を殺すことによって容易に踏み越えてしまう人倫を示している。
本作で描かれるのは、戦闘に勝利した側の米軍兵士たちの悲惨さであり、命令により戦闘の駒として理不尽に戦わされる兵士たちの内面のドラマとなっている。最前線の米軍兵士たちに勝利の喜びはなく、戦闘に勝利して喜ぶのは無慈悲な命令を下して武勲をたてた指揮官と、温存されていた後続部隊の兵士たちという戦争の実相を描く。
部下の命を守るために上官の命令に歯向かい、左遷されて前線を離れる中隊長(エリアス・コーティアス)は、部下の死を悼みながらも、安堵の気持ちで帰国し、指揮官の勲章の話にも興味を示さない。その安堵には平和な生活に戻れるというだけでなく、非人間的な戦争そのものから離脱することができるという気持ちが相半ばしている。
同じく勝利の悲惨を描いた邦画に『二百三高地』(1980)があるが、どちらも観客にカタルシスを残すことなく、戦争遂行者である権力者・支配層以外の一般国民にとっては、戦争に勝利する喜びはないということを描く。
その点で緊張を強いる非常に重苦しい作品で、3時間弱は長すぎて戦闘終了後の終盤は疲れて眠くなる。
対照として描かれるプロローグとエンディングのガダルカナル島原住民の平和な生活が、ことのほか美しい映像なのが印象的。ベルリン映画祭金熊賞受賞。 (評価:2.5)
日本公開:1999年4月10日
監督:テレンス・マリック 製作:ロバート・マイケル・ゲイスラー、グラント・ヒル、ジョン・ロバデュー 脚本:テレンス・マリック 撮影:ジョン・トール 美術:ジャック・フィスク 音楽:ハンス・ジマー
キネマ旬報:2位
ベルリン映画祭金熊賞
原題"The Thin Red Line"で、超えてはならないかすかな一線の意。ジェームズ・ジョーンズの同名小説が原作。
ガダルカナル島の激戦を米軍側から描いた戦争映画で、タイトルは軍事的解決、さらには敵を殺すことによって容易に踏み越えてしまう人倫を示している。
本作で描かれるのは、戦闘に勝利した側の米軍兵士たちの悲惨さであり、命令により戦闘の駒として理不尽に戦わされる兵士たちの内面のドラマとなっている。最前線の米軍兵士たちに勝利の喜びはなく、戦闘に勝利して喜ぶのは無慈悲な命令を下して武勲をたてた指揮官と、温存されていた後続部隊の兵士たちという戦争の実相を描く。
部下の命を守るために上官の命令に歯向かい、左遷されて前線を離れる中隊長(エリアス・コーティアス)は、部下の死を悼みながらも、安堵の気持ちで帰国し、指揮官の勲章の話にも興味を示さない。その安堵には平和な生活に戻れるというだけでなく、非人間的な戦争そのものから離脱することができるという気持ちが相半ばしている。
同じく勝利の悲惨を描いた邦画に『二百三高地』(1980)があるが、どちらも観客にカタルシスを残すことなく、戦争遂行者である権力者・支配層以外の一般国民にとっては、戦争に勝利する喜びはないということを描く。
その点で緊張を強いる非常に重苦しい作品で、3時間弱は長すぎて戦闘終了後の終盤は疲れて眠くなる。
対照として描かれるプロローグとエンディングのガダルカナル島原住民の平和な生活が、ことのほか美しい映像なのが印象的。ベルリン映画祭金熊賞受賞。 (評価:2.5)
製作国:イギリス
日本公開:1999年8月28日
監督:シェカール・カプール 製作:アリソン・オーウェン、エリック・フェルナー、ティム・ビーヴァン 脚本:マイケル・ハースト 撮影:レミ・アデファラシン 美術:ジョン・マイヤー 音楽:デヴィッド・ハーシュフェルダー
キネマ旬報:5位
結婚と愛に悩み、男性不信となって国と結婚した女
原題"Elizabeth"で、エリザベス1世の半生を描く。
一言でいえば、エリザベス1世の女を捨てて国家と結婚するまでの恋物語で、基本は女性映画。ただ、それなりに歴史は追っているので、恋物語が主軸だが、イギリス史としても楽しめる。
再婚問題でイギリス国教会を作った父王ヘンリー8世の愛妾の子であるエリザベスが、カトリックの異母姉・メアリー女王によってロンドン塔に幽閉されるところから物語はスタートし、メアリーの死によって女王に即位するところまでは駆け足。
ここからが女性映画で、イングランドの存立のためにスペイン王と結婚するか、フランス王の甥と結婚するか、はたまた恋人の貴族ロバート・ダドリーとの愛を貫くかという愛に悩む女のドラマとなる。
スコットランドにも敗れ、プロテスタントのウォルシンガムを重臣としてカトリックの司教たちを排し、国教会を中心とすることを宣言したためにバチカンからも刺客を送られることになる。そうした中でウォルシンガムと組んで、反体制派を粛清する。
この中にダドリーもいて、おまけにエリザベスに偽って既婚者だったことが発覚し、女王の男性不信は頂点に達し、ついに国家と結婚することを決心させる。
結果はイングランドが強国となり、長期王権を得たということでめでたしめでたし。鉄の女サッチャーの原型を見ることになる。
エリザベスにケイト・ブランシェット、ウォルシンガムにジェフリー・ラッシュ、バチカンの刺客にダニエル・クレイグという布陣。エリザベスの侍女エミリー・モーティマーがまだ若くて可愛い。
エリザベスの忠臣リチャード・アッテンボローが俳優としても渋い演技。 (評価:2.5)
日本公開:1999年8月28日
監督:シェカール・カプール 製作:アリソン・オーウェン、エリック・フェルナー、ティム・ビーヴァン 脚本:マイケル・ハースト 撮影:レミ・アデファラシン 美術:ジョン・マイヤー 音楽:デヴィッド・ハーシュフェルダー
キネマ旬報:5位
原題"Elizabeth"で、エリザベス1世の半生を描く。
一言でいえば、エリザベス1世の女を捨てて国家と結婚するまでの恋物語で、基本は女性映画。ただ、それなりに歴史は追っているので、恋物語が主軸だが、イギリス史としても楽しめる。
再婚問題でイギリス国教会を作った父王ヘンリー8世の愛妾の子であるエリザベスが、カトリックの異母姉・メアリー女王によってロンドン塔に幽閉されるところから物語はスタートし、メアリーの死によって女王に即位するところまでは駆け足。
ここからが女性映画で、イングランドの存立のためにスペイン王と結婚するか、フランス王の甥と結婚するか、はたまた恋人の貴族ロバート・ダドリーとの愛を貫くかという愛に悩む女のドラマとなる。
スコットランドにも敗れ、プロテスタントのウォルシンガムを重臣としてカトリックの司教たちを排し、国教会を中心とすることを宣言したためにバチカンからも刺客を送られることになる。そうした中でウォルシンガムと組んで、反体制派を粛清する。
この中にダドリーもいて、おまけにエリザベスに偽って既婚者だったことが発覚し、女王の男性不信は頂点に達し、ついに国家と結婚することを決心させる。
結果はイングランドが強国となり、長期王権を得たということでめでたしめでたし。鉄の女サッチャーの原型を見ることになる。
エリザベスにケイト・ブランシェット、ウォルシンガムにジェフリー・ラッシュ、バチカンの刺客にダニエル・クレイグという布陣。エリザベスの侍女エミリー・モーティマーがまだ若くて可愛い。
エリザベスの忠臣リチャード・アッテンボローが俳優としても渋い演技。 (評価:2.5)
製作国:アメリカ、イギリス
日本公開:1999年5月1日
監督:ローランド・エメリッヒ 製作:ディーン・デヴリン 脚本:ディーン・デヴリン、ローランド・エメリッヒ 撮影:ウエリ・スタイガー 音楽:デヴィッド・アーノルド
キネマ旬報:1位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞(ミュージカル・コメディ部門)
物語は嘘八百だがシェイクスピアだけに役者は揃っている
原題は"Shakespeare in Love"。シェイクスピアの代表作『ロメオとジュリエット』の誕生秘話をシェイクスピア自身の悲恋と絡めるといった凝ったシナリオだが、史実とは無関係の全くの創作。
『ロメオとジュリエット』はオウィディウスの『変身物語』に書かれているギリシア神話の有名なエピソード『ピュラモスとティスベ』が基になっている悲劇。恋人が死んだと誤解して自死するクライマックスも同じ。死んだ二人の血を吸って、桑の実が赤くなったというオチがつく。
『ロメオとジュリエット』に近似したモチーフや二人の名前も同時代の戯曲等に登場していて、シェイクスピアがこれらを改作したことは明らかになっている。だからといってシェイクスピアの『ロメオとジュリエット』の作品価値が下がるわけではないが、そうした事実を全く無視して、シェイクスピアの実体験による恋物語がこの名作を生んだという本作のシナリオは、シェイクスピアと『ロメオとジュリエット』が架空の人物・作品ならともかく、事実に対する捏造と誤解を招き、創作物として妥当かという疑問符が見ていて終始離れない。
そうした事実を忘れ、これが本当の物語だと信じ込んで見れば、戯曲と相似する恋物語を絡めた面白い作品になっている。ただ残念なのは、本作の面白さは『ロメオとジュリエット』の物語を知っていることが前提で、シェイクスピアの恋物語の各シーンはそれが戯曲の各場面を生んだと観客に思わせる構成になっているため、戯曲を知らないと面白さは半減以下。
シェイクスピアの恋人となるヴァイオラが男装するが、ショートカットの男がロングヘアの女に戻るのは鬘でもつけていない限り無理で、この無理やり感もペケ。決してコメディではないのにゴールデングローブ作品賞がコメディ部門というのは、シリアスに見せかけて、こうした無理やりなシナリオが実はコメディシナリオなんだという勘繰りは深読みか?
ジェフリー・ラッシュ、コリン・ファース、ジュディ・デンチ、『ハリー・ポッター』のカエルおばさんイメルダ・スタウントンと実力派ぞろいで見応えがある。 (評価:2.5)
日本公開:1999年5月1日
監督:ローランド・エメリッヒ 製作:ディーン・デヴリン 脚本:ディーン・デヴリン、ローランド・エメリッヒ 撮影:ウエリ・スタイガー 音楽:デヴィッド・アーノルド
キネマ旬報:1位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞(ミュージカル・コメディ部門)
原題は"Shakespeare in Love"。シェイクスピアの代表作『ロメオとジュリエット』の誕生秘話をシェイクスピア自身の悲恋と絡めるといった凝ったシナリオだが、史実とは無関係の全くの創作。
『ロメオとジュリエット』はオウィディウスの『変身物語』に書かれているギリシア神話の有名なエピソード『ピュラモスとティスベ』が基になっている悲劇。恋人が死んだと誤解して自死するクライマックスも同じ。死んだ二人の血を吸って、桑の実が赤くなったというオチがつく。
『ロメオとジュリエット』に近似したモチーフや二人の名前も同時代の戯曲等に登場していて、シェイクスピアがこれらを改作したことは明らかになっている。だからといってシェイクスピアの『ロメオとジュリエット』の作品価値が下がるわけではないが、そうした事実を全く無視して、シェイクスピアの実体験による恋物語がこの名作を生んだという本作のシナリオは、シェイクスピアと『ロメオとジュリエット』が架空の人物・作品ならともかく、事実に対する捏造と誤解を招き、創作物として妥当かという疑問符が見ていて終始離れない。
そうした事実を忘れ、これが本当の物語だと信じ込んで見れば、戯曲と相似する恋物語を絡めた面白い作品になっている。ただ残念なのは、本作の面白さは『ロメオとジュリエット』の物語を知っていることが前提で、シェイクスピアの恋物語の各シーンはそれが戯曲の各場面を生んだと観客に思わせる構成になっているため、戯曲を知らないと面白さは半減以下。
シェイクスピアの恋人となるヴァイオラが男装するが、ショートカットの男がロングヘアの女に戻るのは鬘でもつけていない限り無理で、この無理やり感もペケ。決してコメディではないのにゴールデングローブ作品賞がコメディ部門というのは、シリアスに見せかけて、こうした無理やりなシナリオが実はコメディシナリオなんだという勘繰りは深読みか?
ジェフリー・ラッシュ、コリン・ファース、ジュディ・デンチ、『ハリー・ポッター』のカエルおばさんイメルダ・スタウントンと実力派ぞろいで見応えがある。 (評価:2.5)
溺れゆく女
日本公開:2000年9月15日
監督:アンドレ・テシネ 製作:アラン・サルド 脚本:アンドレ・テシネ、オリヴィエ・アサヤス、ジル・トーラン 撮影:カロリーヌ・シャンプティエ 音楽:フィリップ・サルド
原題"Alice et Martin"で、アリスとマルタンの意。
アリスとマルタンは劇中のカップルの名で、マルタン(アレックス・ロレ)は兄バンジャマン(マチュー・アマリック)を介して知り合ったアリス(ジュリエット・ビノシュ)を好きになる。アリスが妊娠を告げた途端、マルタンは過去のトラウマから心のバランスを崩し、自分の出生の秘密と父殺しを明かし、精神病院に入院。
罪を償うために自首を決意し、継母に証言するようにアリスに託し、アリスは継母に会いに行くというのが大筋。
マルタンは地方名士の父がジャニーヌ(カルメン・マウラ)に産ませた私生児で、10歳の時に父に引き取られ、異母兄たちとともに成長。父権主義の父の下、長兄の自殺を契機に家を出ようとして父と争い死なせてしまうが、継母が家名を守るために事件を隠蔽、それがトラウマとなる。
アリスはマルタンの故郷に行き、マルタンの実母、継母、異母兄たちを訪ね、父に対するマルタンの誤解を知ることになり、それによってマルタンのトラウマ解消で一件落着となる。
アンドレ・テシネの淡々とした語り口に引き込まれるが、複雑な家庭事情を背景にしたそれぞれの心の機微がわかりにくく、アリスの妊娠がトラウマの引き金となったこと、マルタンの幼い頃の写真が説明不足で、一抹の消化不良感が残る。 (評価:2.5)
GODZILLA
日本公開:1998年7月11日
監督:ローランド・エメリッヒ 製作:ディーン・デヴリン 脚本:ディーン・デヴリン、ローランド・エメリッヒ 撮影:ウエリ・スタイガー 音楽:デヴィッド・アーノルド
原題も"Godzilla"。ハリウッドで制作されたゴジラ映画第1作。
ゴジラ映画としてはひどく評判が悪かったが、ゴジラという名の別の映画と考えれば、まあまあの出来。基本は怪獣映画ではなく、巨大生物がニューヨークを襲うパニック映画で、ハリウッドの定番ラブストーリーが絡む。
評判の悪かったのは、まずゴジラが魚を食べること。日本人の魚食に引っかけたという説もあったが、怪獣ロマンからは妙に現実的すぎた。怪獣映画の超科学が嫌だったらしく、設定もリアリズム。ゴジラは両生類で放射能で巨大化。フォルムもチラノサウルス風で怪獣映画というよりは恐竜映画。ビルの谷間や橋の上を走るがミニチュアセットを破壊する爽快感はなく、下水道に潜って地下を移動。おまけに巣を作って無性生殖で卵を産んで繁殖するという夢のなさ。
しかし、ゴジラではなく巨大生物か恐竜と考えれば、スペクタクル&サスペンスフルで楽しめる。
本作で印象が悪いのは、ゴジラの巨大化の原因となったのがビキニ環礁核実験ではなく仏領ムルロア環礁の核実験で、主人公の反核生物学者が研究していたのはチェルノブイリの巨大ミミズ。パナマ運河を渡って海からニューヨークに現れたゴジラと戦うのはフランス諜報員で、自分たちが核実験で作り出してしまったゴジラを極秘作戦で抹殺しようというもの。ゴジラを生み出した悪者はフランスで、アメリカは被害者。アメリカが南太平洋で行った核実験も被曝も、スリーマイル島事故にも頬かむりで、核についてアメリカの観客に不快な思いをさせないというアメリカン・ヒロイズムへの制作者の配慮がどうにも薄汚い。
フランス諜報員とともにゴジラの卵退治に向かう生物学者、特ダネを狙う元恋人の半人前ジャーナリストとカメラマン。孵化したたくさんのミニゴジラに追われ、一難去って死んだはずのゴジラが父の怒りで復活したまた一難。
元恋人同士も昔の鞘に収まってハッピーエンド・・・と思いきや、という続編への繋ぎのシーンも不人気のために虚しいラストとなってしまった。
フランス諜報員のリーダーはジャン・レノ。 (評価:2.5)
ムーラン
日本公開:1998年9月26日
監督:バリー・クック、トニー・バンクロフト 製作:パム・コーツ 脚本:リタ・シャオ、クリストファー・サンダース、フィリップ・ラゼブニク、レイモンド・シンガー、ユージニア・ボストウィック=シンガー 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
原題"Mulan"で、主人公の名。中国の伝承及び戯曲『花木蘭』が原作。
ディズニーが中国のディズニー・プリンセスに挑戦した作品で、原作の舞台は6世紀頃の南北朝時代。ムーラン(木蘭)が突厥などの異民族の侵略と戦い国を守る話だが、アニメではフン族との戦いになっている。
フン族の侵略に対し、北朝では徴兵により万里の長城の防衛軍を組織する。ムーランの父は病弱だったため、一人娘のムーランが男装して応召。雪崩を誘ってフン族を殲滅させる。この時、ムーランは怪我をして女であることがバレて除隊。しかし、フン族の生き残りが皇帝を捕らえて王宮を制圧。ムーランは原隊の仲間とともにフン族を倒し、皇帝を救出する。
女だてらに兵士となって活躍、救国の英雄となる話で、いわば男女平等・社会参画がテーマとなっている。
ムーランが原隊の隊長である将軍の息子にプロポーズされるハッピーエンドという、ディズニー・プリンセスのお約束は外していないが、ディズニー・ファンがこれをプリンセスと認めるかは微妙。
キャラクターデザインは中国風で、背景や煙なども中国絵画を意識して取り込んでいるが、ミュージカルとはいえ、音楽がアメリカン・ポップ調なのがプッチーニの『蝶々夫人』のようで居心地が悪い。
劇中、火薬が武器に使われていて、ムーランが雪崩を引き起こすのもこれが使用される。都でも花火が打ち上げられて中国色を全開させるが、中国で火薬が発明されるのは10世紀頃。 (評価:2.5)
製作国:フランス、ドイツ、ユーゴスラビア
日本公開:1999年8月21日
監督:エミール・クストリッツァ 製作:カール・バウムガルトナー 脚本:ゴルダン・ミヒッチ 撮影:ティエリー・アルボガスト
キネマ旬報:7位
俳優たちの顔がみんな長いが、これもロマの特徴なのか?
原題"Црна мачка, бели мачор"で、邦題の意。
当時のユーゴスラビア東部、現在のセルビアのブルガリアに近いドナウ河岸に住むロマの村が舞台。
マトゥコ(バイラム・セヴェルジャン)はロシア船からケチな物資を仕入れる密輸業者だが、博打好きが高じて金がない。国境を通る石油貨物列車を横取りしようとゴッドファーザー(サブリ・スレジマニ)とギャング仲間のダダン(スルジャン・トドロヴィッチ)から資金調達をするが失敗。ダダンからの借財だけが残り、協議の結果、息子ザーレ(フロリアン・アイディーニ)をダダンの妹で矮人で年上のアフロディタ(サリア・イブライモヴァ)と結婚させることにする。
ザーレには恋人のイダ(ブランカ・カティク)がいて、運命の出会いを夢見るアフロディタも不同意で結婚式の最中に脱走。ダダンたちは銃や手榴弾をぶっ放しての追跡劇となるが、アフロディタが逃走中にゴッドファーザーの孫と運命の出会い。ゴッドファーザーのとりなしでめでたく2組のカップルが誕生してハッピーエンドとなる。
ストーリーはシンプルで、ブラックコメディで楽しむ作品だが、ギャグがベタな上にテンポに欠け、まったりとした展開のために冗長。とりわけ終盤に入ってからの無駄に説明的なシーンが退屈に感じられ、脂身の多い贅肉だらけの人情コメディを見させられている気になる。
ロマの生活を描いたという点では興味深く、ロマ語・セルビア語・ブルガリア語が使われているが、区別はつかない。タイトルは雌の黒猫、雄の白猫で、劇中黒猫は災難をもたらすという台詞も出てきて、実際、黒猫・白猫が象徴的に登場もするが、暗喩的な意味があるかどうかはわからない。
ロマでは子供を結婚させないと親や兄弟の恥になるようで、一味違った世界が覗けるのが見どころといえば見どころか。俳優たちの顔がみんな長いが、これもロマの特徴なのか? (評価:2)
日本公開:1999年8月21日
監督:エミール・クストリッツァ 製作:カール・バウムガルトナー 脚本:ゴルダン・ミヒッチ 撮影:ティエリー・アルボガスト
キネマ旬報:7位
原題"Црна мачка, бели мачор"で、邦題の意。
当時のユーゴスラビア東部、現在のセルビアのブルガリアに近いドナウ河岸に住むロマの村が舞台。
マトゥコ(バイラム・セヴェルジャン)はロシア船からケチな物資を仕入れる密輸業者だが、博打好きが高じて金がない。国境を通る石油貨物列車を横取りしようとゴッドファーザー(サブリ・スレジマニ)とギャング仲間のダダン(スルジャン・トドロヴィッチ)から資金調達をするが失敗。ダダンからの借財だけが残り、協議の結果、息子ザーレ(フロリアン・アイディーニ)をダダンの妹で矮人で年上のアフロディタ(サリア・イブライモヴァ)と結婚させることにする。
ザーレには恋人のイダ(ブランカ・カティク)がいて、運命の出会いを夢見るアフロディタも不同意で結婚式の最中に脱走。ダダンたちは銃や手榴弾をぶっ放しての追跡劇となるが、アフロディタが逃走中にゴッドファーザーの孫と運命の出会い。ゴッドファーザーのとりなしでめでたく2組のカップルが誕生してハッピーエンドとなる。
ストーリーはシンプルで、ブラックコメディで楽しむ作品だが、ギャグがベタな上にテンポに欠け、まったりとした展開のために冗長。とりわけ終盤に入ってからの無駄に説明的なシーンが退屈に感じられ、脂身の多い贅肉だらけの人情コメディを見させられている気になる。
ロマの生活を描いたという点では興味深く、ロマ語・セルビア語・ブルガリア語が使われているが、区別はつかない。タイトルは雌の黒猫、雄の白猫で、劇中黒猫は災難をもたらすという台詞も出てきて、実際、黒猫・白猫が象徴的に登場もするが、暗喩的な意味があるかどうかはわからない。
ロマでは子供を結婚させないと親や兄弟の恥になるようで、一味違った世界が覗けるのが見どころといえば見どころか。俳優たちの顔がみんな長いが、これもロマの特徴なのか? (評価:2)
ビッグ・リボウスキ
日本公開:1998年11月21日
監督:ジョエル・コーエン 製作:イーサン・コーエン 脚本:イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン 撮影:ロジャー・ディーキンス 音楽:カーター・バーウェル
原題"The Big Lebowski"で、登場人物の通称。
主人公のデュードことジェフリー・リボウスキ(ジェフ・ブリッジス)はベトナム反戦世代で、無気力な人生を歩んで今は酒とマリファナとボウリングだけの日々の小者。
ビッグ・リボウスキ(デヴィッド・ハドルストン)は同姓同名の朝鮮戦争の傷痍軍人で、障害を乗り越えて大富豪となった成功者。
金目当てでビッグと結婚した若妻バニー(タラ・リード)の金銭トラブルからデュードが暴漢に襲われ、二人が出会うが、バニーが営利誘拐され、デュードが身代金の運び屋に。
ところがベトナム戦争でプッツンしてしまった遊び仲間ウォルター(ジョン・グッドマン)が詐取を図ろうとしたところ、車泥棒の少年に持ち逃げされてしまい…といったシチュエーション・コメディ。
コーエン兄弟の製作・監督らしく曲者の登場人物ばかりで、話の展開を期待してしまうが、ごちゃごちゃした割には盛り上がりに欠け、ラストは尻切れトンボ。
浅薄な世の中を皮相に眺めただけに終わっている。 (評価:2)
製作国:アメリカ
日本公開:1998年10月17日
監督:ロバート・レッドフォード 製作:ロバート・レッドフォード、パトリック・マーキー 脚本:エリック・ロス、リチャード・ラグラヴェネーズ 撮影:ロバート・リチャードソン 音楽:トーマス・ニューマン
キネマ旬報:9位
そもそも惚れたくなるようないい女じゃないし
原題は"The Horse Whisperer"で、馬に囁く人の意。劇中に登場する馬のカウンセラー兼調教師のこと。ニコラス・エヴァンスの同名小説が原作。
弁護士の父(サム・ニール)と雑誌編集長の母(クリスティン・スコット・トーマス)を両親に持つ少女(スカーレット・ヨハンソン)が、乗馬中に交通事故で片足を失い、馬も瀕死の重傷を負う。人間不信となった馬をモンタナの牧場に連れて行き、Horse Whisperer(ロバート・レッドフォード)によって再び少女は馬の信頼を回復し・・・という物語かと思っていると大間違い。
いつの間にやら母とHorse Whispererとの不倫物語になって、都会でバリバリ働くキャリアウーマンがHorse Whispererのカウンセリングを受けて、人間らしさを取り戻すというのがメインテーマ。Horse Whispererは牝馬が得意というわけで、そういえば本来のカウンセリング対象は牡馬だった。
そもそも、少女といっしょに事故に遭った友達は死亡したのに、こちらはまったく触れられず、一家は自分たちことしか考えない。母は自己中心主義の女なので、それを強調するための演出かと思いきや、いつの間にかラブラブしてヒロインに納まってしまうのも納得がいかない。
もっと納得がいかないのは、そんな女を好きになってしまうレッドフォードで、そんな無神経でHorse Whispererが務まるのかと思ってしまう。更には、モンタナの牧場にいるけど、本当は僕はシカゴ大学の工学部に居たんだとか、ドボルザークのチェロ協奏曲が得意な女の子が恋人なんだけど、別れちゃったんだとか、都会女に取り入るかのような態度が気に入らない。
そもそもクリスティン・S・トーマスが惚れたくなるようないい女じゃないし。
サム・ニールが妻をレッドフォードに譲るようなシーンも善い人過ぎで、モンタナの風が心地よくない。
更にはラストの妻が決断を迫られるシーンで、レッドフォードを選んで牧場に残ってしまった場合、連れて帰るはずの娘の馬はどうなっちゃうの? 宅急便で送るのか? というシナリオ的に決定的な欠陥があって、もちろん、そうならないことでこの欠陥は糊塗される。
見どころはといえば、冒頭とエンディングの馬の映像がとってもbeautifulで幻想的。対してモンタナの馬の映像は自然かつリアルで、自然がいいなんて所詮は都会人の幻想さ、というレッドフォードの意図的演出か?
14歳のスカーレット・ヨハンソンが可愛い。 (評価:2)
日本公開:1998年10月17日
監督:ロバート・レッドフォード 製作:ロバート・レッドフォード、パトリック・マーキー 脚本:エリック・ロス、リチャード・ラグラヴェネーズ 撮影:ロバート・リチャードソン 音楽:トーマス・ニューマン
キネマ旬報:9位
原題は"The Horse Whisperer"で、馬に囁く人の意。劇中に登場する馬のカウンセラー兼調教師のこと。ニコラス・エヴァンスの同名小説が原作。
弁護士の父(サム・ニール)と雑誌編集長の母(クリスティン・スコット・トーマス)を両親に持つ少女(スカーレット・ヨハンソン)が、乗馬中に交通事故で片足を失い、馬も瀕死の重傷を負う。人間不信となった馬をモンタナの牧場に連れて行き、Horse Whisperer(ロバート・レッドフォード)によって再び少女は馬の信頼を回復し・・・という物語かと思っていると大間違い。
いつの間にやら母とHorse Whispererとの不倫物語になって、都会でバリバリ働くキャリアウーマンがHorse Whispererのカウンセリングを受けて、人間らしさを取り戻すというのがメインテーマ。Horse Whispererは牝馬が得意というわけで、そういえば本来のカウンセリング対象は牡馬だった。
そもそも、少女といっしょに事故に遭った友達は死亡したのに、こちらはまったく触れられず、一家は自分たちことしか考えない。母は自己中心主義の女なので、それを強調するための演出かと思いきや、いつの間にかラブラブしてヒロインに納まってしまうのも納得がいかない。
もっと納得がいかないのは、そんな女を好きになってしまうレッドフォードで、そんな無神経でHorse Whispererが務まるのかと思ってしまう。更には、モンタナの牧場にいるけど、本当は僕はシカゴ大学の工学部に居たんだとか、ドボルザークのチェロ協奏曲が得意な女の子が恋人なんだけど、別れちゃったんだとか、都会女に取り入るかのような態度が気に入らない。
そもそもクリスティン・S・トーマスが惚れたくなるようないい女じゃないし。
サム・ニールが妻をレッドフォードに譲るようなシーンも善い人過ぎで、モンタナの風が心地よくない。
更にはラストの妻が決断を迫られるシーンで、レッドフォードを選んで牧場に残ってしまった場合、連れて帰るはずの娘の馬はどうなっちゃうの? 宅急便で送るのか? というシナリオ的に決定的な欠陥があって、もちろん、そうならないことでこの欠陥は糊塗される。
見どころはといえば、冒頭とエンディングの馬の映像がとってもbeautifulで幻想的。対してモンタナの馬の映像は自然かつリアルで、自然がいいなんて所詮は都会人の幻想さ、というレッドフォードの意図的演出か?
14歳のスカーレット・ヨハンソンが可愛い。 (評価:2)
シャンドライの恋
日本公開:2000年2月5日
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 製作:マッシモ・コルテジ 原作:ジェームズ・ラスダン 脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、クレア・ペプロー 音楽:アレッシオ・ヴラド
原題"L'assedio"で、攻略の意。ジェームズ・ラスダンの同名小説が原作。
邦題のシャンドライはアフリカ人女性で、夫が政治犯で逮捕されたため今はローマでイギリス人ピアニスト・キンスキー(デイヴィッド・シューリス)の家政婦をしながら医学生として勉強しているという設定。
シャンドライ(サンディ・ニュートン)が美人で若く魅力的なため、事情を知らないキンスキーがプロポーズして既婚者であることを知る。
ここからが原題の"攻略"の始まりで、夫を釈放するためにシャンドライには内緒で交渉を開始、ピアノまで売り払って釈放のための資金作りをする。
家政婦のシャンドライは、キンスキーがアフリカ某国(国名は明かされない)とやりとりしている郵便を見つけ、彼が黒人司祭と計りながら陰で釈放工作をしていることを知る。やがて夫が釈放されることになり、住み込みの彼女のもとを訪ねてくることになるが、前日、祝杯のシャンパンに酔ったシャンドライは寝ているキンスキーのベッドに潜り込み、二人はめでたく? 結ばれてしまう。
翌朝、訪ねてきた夫は呼び鈴を押し続けるが、二人はベッドから出ようとしないというのがオチ。
ほとんど説明なしに進むストーリーは、行間を読んでくださいタイプだが、ちゃんと見ていればわかるようにはなっている。
もっとも、無償の愛のはずが実は女を攻略するための作戦だったというのでは何かな~という感じだし、女もそんな簡単に乗り換えちゃって夫への愛はどうなったの? という感じ。夫はいいように利用されただけという何とも可哀想な結末で、美談のはずが急に生臭くなる。
映像はベルトルッチらしい洒落たカメラワークで、キンスキー家の螺旋階段のシーンやサンディ・ニュートンのアップがなかなか見せる。
ちなみにキンスキー役のデイヴィッド・シューリスは『ハリー・ポッター』シリーズのルーピン先生。 (評価:2)
八月のクリスマス
日本公開:1999年6月5日
監督:ホ・ジノ 製作:チャ・スンジェ 脚本:ホ・ジノ、オ・スンウク、シン・ドンファン 撮影:ユ・ヨンギル 美術:キム・ジンハン 音楽:チョ・ソンウ
原題"8월의 크리스마스"で、邦題の意。
病名は不明だが余命幾許もない30男(ハン・ソッキュ)が、駐車監視員の娘(シム・ウナ)と親しくなってアプローチを受けるも、病気を告げることもなくフェードアウトするというラブストーリー。
主のいなくなった写真館のショーウィンドウに自分の写真が飾られているのを娘が見て微笑んで去って行くというラストシーンで終わり、このセンチメンタルなラストシーンのために全体のストーリーが組み立てられていることがわかるが、話を作り過ぎていて、男が消えた理由を知らぬままに娘が微笑む心情がわからない。
娘が男の死を知るというシークエンスが必要で、これではファンタスティックなお伽噺にしかならない。
そもそも娘の思いを知りながら、自分の運命を知らせないままに姿を消すというのは残酷で、普通なら捨てられた、ないしは逃げられたと解釈する。しかも娘はそれを永久に知らないままに「思い出」とするしかなく、それを男の優しさや思いやりとして描くのでは、男性優位社会のアナクロ的な男のファンタジーにすぎない。
同様の勘違いは死期を悟った男の穏やかな行動にもあって、それを絶え間ない笑顔で表現しているが、リアクションが笑ってばかりで正直気持ち悪い。
表向きは男のファンタジードラマだが、実はシム・ウナのアイドル映画のようにも見える。駐車監視員の制服は女子高生のブレザーのようで、ミニスカートや太腿を意識したカメラワークなどサービスシーンも多い。劇中何度か衣装替えをしていて、ファッションショーのよう。
ばっちり化粧した娘を男が可愛いと言うシーンがあるが、薄化粧の方が可愛い。延々と二人の恋愛ごっこを見せられると、次第に飽きてくる。 (評価:2)
ラスト・チャンスをあなたに
日本公開:劇場未公開
監督:リチャード・ウェンク 製作:アンディ・ガルシア、ゲイリー・ルチェッシ 脚本:リチャード・ウェンク 撮影:エレン・グラス 音楽:リック・マロッタ
原題"Just The Ticket"で、まさにそのチケットの意。
毒にも薬にもならないロマンチック・コメディで、当たり障りのないデートに見るのにうってつけの作品。もっとも日本では劇場未公開でその機会もないのだが、なぜか家にDVDがあったので観た。
DVDが発売されたのは、『セックスと嘘とビデオテープ』(1989)のアンディ・マクダウェルと『ブラック・レイン』(1989)のアンディ・ガルシアがカップルを演じているからか。
ダフ屋のゲイリー(A・ガルシア)に生活設計を見い出せなくなったリンダ(A・マクダウェル)が部屋を出て独立。未練がましくゲイリーが復縁を迫るという物語で、コックを目指してパリの学校に留学しようとしている聡明なリンダが、そもそもなぜゲイリーを恋人にしたのかが謎。
ゲイリーは法王来米で、ミサのプラチナチケットを手に入れて荒稼ぎを目論むが、上手くいかない。ところが相棒の元ボクサー、ベニー(リチャード・ブラッドフォード)が死んで高額な遺産が手に入り、金持ちになる夢が叶ったとリンダとめでたく復縁するというハッピーエンド。
棚ぼたといい、金持ちになったからヨリを戻すリンダといい、それでハッピーエンドとする制作者といい、あまりに中身がなさすぎるが、敢えて突っ込む気力も失せるほどの空疎さがこの手のロマンチック・コメディの真骨頂というべきか。
もっともアメリカでの評価も低かったようで、観客だけはまともだったということか。 (評価:2)
バグズ・ライフ
日本公開:1999年3月13日
監督:ジョン・ラセター 製作:ダーラ・K・アンダーソン、ケヴィン・レハー 脚本:アンドリュー・スタントン、ドナルド・マッケナリー、ボブ・ショウ 音楽:ランディ・ニューマン
原題"A Bug's Life"で、ある虫の生き方の意。
イソップ童話『アリとキリギリス』をヒントにしたとされるが、両者の生き方の違いを比較した寓話的な要素はまったく無くなっていて、単にアリを搾取するバッタという対立関係と下剋上を描くだけの通俗的で工夫のない作品になっている。
主人公フリックは平賀源内のようなありで発明家の新し物好き。ギャングのようなバッタ軍団が穀物の上納を求めてくるのに業を煮やし、バッタを撃退する用心棒を探しにアリ塚を出る。連れてきたのがサーカス団をクビになったテントウムシ、ナナフシ、イモムシ、カマキリ等で、誤解から用心棒の代役を務めるが、フリックの発案で、バッタ撃退のための鳥の張りぼてを作る。
やってきたバッタたちを追い返そうとするが張りぼてがバレてしまい、ピンチに。そこでアリが一致団結、数の力で追い返し、民衆の力を示してメデタシメデタシとなる。
イソップ童話は生き物を擬人化しながらも、それなりに生態を抑えているところが寓話として優れているのだが、本作は単なる擬人化に終わっていて、社会生活を営むアリの集団の力というようにもなっていない。
ましてなぜアリがバッタに収奪されるのかという説明もなく、単なる弱い者苛めでしかないのが安直で、民衆の勝利以外には寓話にもなっていない。 (評価:2)
スター・トレック 叛乱
日本公開:1999年5月8日
監督:ジョナサン・フレイクス 製作:リック・バーマン 脚本:マイケル・ピラー 撮影:マシュー・F・レオネッティ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
TVシリーズ『新スタートレック』(Star Trek: The Next Generation)の劇場版第3作。劇場版通算第9作。原題は"Star Trek: Insurrection"で邦題の意。TVシリーズは1987~94にかけて7シーズン放映された。監督は前作と同じ副長ライカー役のジョナサン・フレイクス。
近代化以前の地球風の惑星バクー星が舞台。人々は不老不死で、これを強制移住させて惑星を手に入れようとする連邦提督とゾーナ人の陰謀を軸に、これに巻き込まれたデータが狂い、原因を究明するうちにピカードらが陰謀に気づくという展開。バクー人は遅れているように見えるが実は進化を拒否した人々で、ゾーナ人との間に因縁があったというのがラストの落ち。
劇中、ピカードが自分たちの仕事は探索(Trek)だという台詞があるが、ほとんどの舞台が惑星と宇宙船内、ホロデッキで、宇宙空間でのアクションがない。
これといった見どころもなく、全体にファンタジックで若干退屈。 (評価:2)
ロスト・イン・スペース
日本公開:1998年12月12日
監督:スティーヴン・ホプキンス 製作:スティーヴン・ホプキンス、アキヴァ・ゴールズマン、カリア・フライ マーク・ダブリュ・コッチ 脚本:アキヴァ・ゴールズマン 撮影:ピーター・レヴィ 音楽:ブルース・ブロートン
TVシリーズ『宇宙家族ロビンソン』(1965-8)の映画版。
面白くない映画にはそれなりに理由があって、60分一話完結を繰り返すTVドラマのエピソードを単純に2時間に伸ばしても冗長にしかならない。各惑星を探検する話なのに、出発するまでが長すぎる。60年代の科学考証そのままの工夫のないシナリオ、とりわけタイムパラドックスの矛盾がお粗末。探検物を少しも怖くないクリーチャーと物真似アクションでおざなりにして、定番ハリウッド映画のつまらない家族愛ドラマにした。
当時としては金をかけたCGを売り物に、それに頼って本格的SF映画を目指してしまった結果が、本来のチープなSFという作品の方向性を間違えてしまった。そのCGも日進月歩で今から見ると薄っぺらい。ウィリアム・ハートとゲイリー・オールドマンの配役が勿体ない気がしてしまうのも悲しい。
唯一の見どころは、ウィル役の少年が可愛いことくらいか。 (評価:1.5)