海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2008年

製作:シグロ、ビターズ・エンド、衛星劇場、アミューズソフトエンタテインメント、博報堂DYメディアパートナーズ
公開:2008年06月07日
監督:橋口亮輔 製作:山上徹二郎、大和田廣樹、定井勇二、久松猛朗、安永義郎、宮下昌幸 脚本:橋口亮輔 撮影:上野彰吾 音楽:Akeboshi 美術:磯見俊裕
キネマ旬報:2位

木村多江とリリー・フランキーの夫婦愛が光る
 ぐるりは身辺・周囲のこと。英語タイトルは、"All Around Us"となっていて、主人公の夫婦の身辺雑事を静かに描く好編。
 美大で知り合ったらしい夫婦(リリー・フランキー、木村多江)の夫はミスターミニッツのような店で靴直しの仕事。妻は小さな出版社に勤めている。ずぼらな夫に比べ妻はセックスの日もカレンダーのスケジュールに組み込むくらいに几帳面。夫は法廷画家の仕事を見つけて転職し、妻は子供を産むがすぐに死んでしまう。次第に精神を病んでいく妻と見守る夫。妻の母親と暮らす兄夫婦との交流、夫が法廷画家の仕事をこなしていく中で、子供を幼くして亡くした癖のある記者・柄本明から、大事にしたいと思う人間がいることは大切なことだと教えられる。
 病んで会社を辞め家に引き籠る妻は二人目の子を中絶。自分を見捨てない理由を夫に尋ね、夫は好きだからと答えるシーンが、最大の山場。ふたりの会話のシーンは長回しで、驚くほど自然に撮られている。
 法廷画家としての夫は、宮崎勤事件、地下鉄サリン事件、池田小事件を髣髴させる裁判を傍聴していく中で、被告たちの表情や所作の中から、さまざまな人間の姿を観察していく。
 一方の妻は尼寺で精神回復に務め、尼僧から天井画の依頼を受け、何年かぶりの絵筆を取る。
 ある意味、夫婦の日常を描く恐ろしく退屈な映画でありながら、少しも退屈しない。それは誰もが思い、経験している心の機微を丹念に描いているからで、木村とリリーの好演が光る。本作の前に鬱病を経験した監督・橋口亮輔の演出・演技指導にリアリティがあったということ。
 BGMを使わずに心理描写していくが、妻が病気の回復に向かう時点で音楽が初めて使われるのも効果的。
 誰にとっても等身大の映画で、身につまされる部分や人生の悲哀がリアル過ぎて敬遠されるタイプの映画だが、見終わって心に残るものも大きい。 (評価:3)

製作:若松プロダクション
公開:2008年03月15日
監督:若松孝二 製作:若松孝二 脚本:若松孝二、掛川正幸、大友麻子 撮影:辻智彦、戸田義久 音楽:ジム・オルーク 美術:伊藤ゲン
キネマ旬報:3位

ドキュメンタリーの仮面を被ったノスタルジー映画
 タイトルにある通り、連合赤軍の誕生からあさま山荘事件に至る過程をドキュメンタリー風に丁寧に描いた作品。内ゲバから始まり山岳ベースで大量殺人を行うまでの彼らの論理と心理がわかりやすく描かれている。すべての組織・登場人物が実名で登場し、連合赤軍事件をよく知らない世代には教科書としても、また同時代に生きた人には記憶の確認として意味があり、190分の長さも苦にならない。
 ただ欲を言えば、60年安保から赤軍派・京浜安保共闘(革命左派)が誕生するまでの学生運動の内側の経緯が描かれてなく、なぜ彼らのような鬼子を生んでしまったのかがわからない。彼らが誕生した時点で学生運動は終焉に向かっており、すでに彼らはそれからも遊離した存在だったということが伝わらない。
 その点で、この映画はドキュメンタリーの客観を装ってはいるが、若松の主観であり、元日本赤軍の足立正生とともに撮った映画『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』での日本赤軍へのシンパシーを、劇中の遠山美枝子と重信房子に感じる。この映画の真の主役は、坂井真紀演じる遠山となっている。
 そういった点で、これは思想的という意味ではなく映画監督としての若松の自分史であり、個人的記録であり、ノスタルジーである。それは連合赤軍事件を知る世代の共通のノスタルジーでもあり、よくできた映画であるだけに、その点を危惧する。ラストで語られるキーワードは勇気だが、友情・努力・勝利のような安直な言葉で片付けられるほど、連合赤軍事件が残したものは簡単ではない。
 俳優陣は概ね好演で、坂井真紀と永田洋子を演じる並木愛枝がとりわけいい。 (評価:3)

製作:「歩いても 歩いても」製作委員会(エンジンフィルム、バンダイビジュアル、テレビマンユニオン、衛星劇場、シネカノン)
公開:2008年06月28日
監督:是枝裕和 製作:川城和実、重延浩、久松猛朗、李鳳宇 脚本:是枝裕和 撮影:山崎裕 音楽:ゴンチチ 美術:磯見俊裕、三ツ松けいこ
キネマ旬報:5位

間に合うことのない人生の哀しみを描く佳作
 タイトルは劇中で樹木希林の好きな歌『ブルー・ライト・ヨコハマ』の歌詞から。
 演技は『誰も知らない』(2004)を継承して日常会話風で自然。若干セリフが不明瞭で聞き取りにくいが、どこにでもありそうな家庭風景を効果的に演出している。この演出を支える阿部寛以下の俳優の演技もよく、とりわけ樹木希林が全体を引っ張っている。
 親の機嫌を取りながらその家に移り住みたい現実的打算の娘(YOU)一家、子連れの女と再婚した失業中の息子一家が、15年前に海で人を助けて死んだ長男の命日に実家に集まる。ストーリーに起伏があるわけではない家族の話だが、それぞれの思惑をホームドラマ的会話の中から組み上げていく演出と俳優陣の演技がいい。頑固親父(原田芳雄)と反発する息子(阿部寛)との和解というありふれた話を心地よく見せてくれる。
 テーマ的には、そうした和解も亀のように進むもどかしい人生においては間に合わず、思いだけが残ってしまうというもので、和解の印のサッカー観戦にいくことなく父は死に、自家用車に乗せてあげることなく母は逝く。その二人の墓参りに間に合うことのなかった自家用車で訪れるというラストが哀しい。そこには阿部寛の小さな娘がいて、それは妻と母の和解でもある。
 この好編の中で一つだけ後味の悪いものがある。
 長男が犠牲となって助けた子供はすでに若者となっているが、彼は命日に招かれる。その理由が、樹木希林演じる母親の助けられた者への復讐だというところに、『誰も知らない』に通底する根源的な悪意を感じる。 (評価:3)

製作:おくりびと製作委員会(TBS、セディックインターナショナル、松竹、電通、アミューズソフトエンタテインメント、小学館、毎日放送、朝日新聞社、テレビユー山形、TBSラジオ)
公開:2008年9月13日
監督:滝田洋二郎 製作:信国一朗 脚本:小山薫堂 撮影:浜田毅 美術:小川富美夫 音楽:久石譲
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 アカデミー外国語映画賞

前半は形而上学的、後半は形而下的メロドラマ
 遺体に死化粧をする納棺師の物語で、題材の特異性と本木雅弘が主演したことで話題となった作品。
 元チェロ奏者が失業して故郷に帰り、納棺師となり妻や友人の差別を受けながら、さまざまな死と出会い、職業に誇りと尊厳を見出していく。
 前半は師匠の山崎努の円熟の演技もあって、快調に物語は進む。本木が妻(広末涼子)の反対にあって納棺師を辞めようとするが、山崎の死生観を聞いて思い留まる。
 描かれる死者は性同一性障害で自殺した男、孤独死の老女、ヤンキー娘などさまざまで、この世からあの世への門番の納棺師が死化粧によって人生の有終の美を飾ることになる。
 死化粧は、それぞれが生きた生の証であり、性同一性障害の男は女として化粧されることになる。
 如何にして生を生きるかという死生観に触れられ、秀作の香りがし始めたところで、ストーリーの方向性は大きく転換。一転して穢れという日本古来の差別の歴史にふらつき始め、軽薄で幼稚でウザい女を演じさせたら右に出る者のない広末が物語を引っ張る。
 後半はお涙頂戴のメロドラマで、前半の形而上学的香りは雲散霧消して、妻との仲直り、捨てた父親との和解という日本的でわかりやすい形而下的感動物語となって、アカデミー賞の審査員の心まで掴んでしまった。
 納棺師事務所の庶務に余貴美子、銭湯のオバサンに吉行和子、その常連客に笹野高史が上手い。 (評価:2.5)

製作:「クライマーズ・ハイ」フィルム・パートナーズ(ビーワイルド、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント、トゥモロゥー)
公開:2008年7月5日
監督:原田眞人 製作:若杉正明 脚本:加藤正人、成島出、原田眞人 撮影:小林元 音楽:村松崇継 美術:福澤勝広
キネマ旬報:8位
ブルーリボン作品賞

真に迫る新聞社の様子は一見の価値がある
 横山秀夫の同名小説が原作。御巣鷹山の日航機墜落事故をめぐる群馬県の地元新聞社の取材合戦を描く。ロック・クライミング、主人公の出生の秘密と家族との確執、新聞社の人間関係等が絡むが、Climber's HighのHighは高揚感のこと。事故取材にテンパッている状況とロック・クライミングのハイな気分を並行的に描く。
 全体としてはタイトル通りの高揚感とスピード感のある展開だが、見終わってみると何が描きたかったのか良くわからず散漫な印象。散りばめたエピソードが回収できてなく、すっきりしない。依頼した山岳会、倒れた友人、社長秘書、出生の秘密、家族との関係、掲載中止の理由、尾野真千子の対応等、どうなったのか、どうしてなのかが不明。原作を詰め込み過ぎたのか?
 原作者の上毛新聞社の体験を基にしていて、新聞社内の描写は真に迫る。それがこの映画の見どころとなっているが、描かれる新聞社内の人間関係は最低で、実態がそうなのか原作者が恨みを持っているだけなのか不明。
 それぞれに癖のあるキャラクターを演じる俳優陣も良く、山崎努のスケベ親父ぶりは鉄壁。何も考えず楽しめる作品だが、ラストシーンは良くわからない。 (評価:2.5)

容疑者Xの献身

製作:フジテレビジョン、アミューズ、スターダストピクチャーズ、FNS27社
公開:2008年10月04日
監督:西谷弘 製作:亀山千広 脚本:福田靖 撮影:山本英夫 音楽:福山雅治、菅野祐悟 美術:部谷京子

ラストの堤真一の号泣のシーンは必見の名演技
 東野圭吾の同名小説が原作。
 直木賞受賞作で各ミステリー賞を受賞しただけに、ストーリーはよくできている。惜しむらくはガリレオシリーズで、TVシリーズの人気を受けての映画化だったために、TVのキャスティングと設定をそのまま引き継いだこと。福山雅治、柴咲コウ絡みのエピソードがウザいくらいに余計で、二人の演技もTVレベルのために、映画全体の足を引っ張っている。
 もっとも堤真一、松雪泰子の演技は、福山らの存在を忘れさせるほどで、公開時に見終わった時は、福山らのシーンは途中に挟まったTV番宣くらいに記憶に残っていなかった。意識的に堤真一、松雪泰子のドラマから排除していたように思う。
 内海はともかく湯川は物語上必要な登場人物なので、キャスティングを変えていればもっと良い作品になったはずだが、フジテレビ製作ではそうはいかないのが残念。
 母子の殺人を隠蔽するために隣人の男がとったアリバイ工作を解き明かしていく物語で、真実を明らかにしたからといって誰も幸せにならないという男のトリックを破るが、結局、誰も幸せにならないという結末が悲しい。原作では、逮捕された男が学究の徒として実は幸せな結末を得たのではないかという終わり方をしているが、映画ではドラマ性に重きを置いたラストとなっている。
 最後の堤真一の号泣のシーンは、迫真の名演技。堤真一の演技だけでも見る価値があり、★2つは堤に、★0.5は松雪。 (評価:2.5)

ザ・マジックアワー

製作:フジテレビ、東宝
公開:2008年6月7日
監督:三谷幸喜 製作:亀山千広、島谷能成 脚本:三谷幸喜 撮影:山本英夫 音楽:荻野清子 美術:種田陽平

マジックアワーを台無しにしたラストのマジックアワー
 タイトルは劇中でも説明される撮影用語で、金色に見える日没後の薄明の時間帯のこと。
 本作では、売れない俳優(佐藤浩市)が映画の撮影だと騙されて殺し屋の吹替えをやらされ、それが彼にとって一世一代の名演技だったというオチで、彼の俳優人生における輝ける時=マジックアワーということになる。
 彼を騙すのがヤクザが仕切る港町にあるクラブの支配人(妻夫木聡)。ボス(西田敏行)の女(深津絵里)に手を出したのがばれ、幻の殺し屋を連れてくることを条件に許されることになる。そこで映画の撮影だと騙して売れない俳優を連れてきて、ボスに幻の殺し屋だと紹介する。
 そこからは映画だと思って殺し屋を演じる佐藤浩市と、殺し屋だと思って仕事を依頼する西田敏行との勘違いコメディが展開されるが、売れない俳優らしく臭い演技をする佐藤浩市が最大の見どころ。
 三谷幸喜らしく芸達者を集めているので、コメディとしてよくできていて楽しめる。ヤクザの代貸・寺島進とクラブのバーテン・伊吹吾郎が味があって上手い。
 フェイクの撮影なのでフィルムなどない。騙されていたことを知った佐藤が失意で町の映画館を訪れると、町でCMを撮影していたスタッフがラッシュを見始める。すると、思いがけず佐藤が殺し屋を演じたシーンが映っている。それは佐藤を騙すために伊吹がCMの撮影隊からカメラを拝借した時に映っていたシーンで、それを見た佐藤は満足して廃業を決意するが、泣かせる名場面になっている。
 最後は、妻夫木と深津、佐藤らを死んだように見せかける大芝居を打って西田を騙すが・・・というところで映画は終わらず二転三転。蛇足気味にラストをいじくり回して、締まりのない終わらせ方をするのが三谷の悪い癖で、本物の殺し屋(柳澤愼一)が登場して、佐藤にもう一花咲かせるのだが、ラッシュフィルムの佐藤のマジックアワーを台無しにしている。
 劇中、市川崑が映画監督役で出演していて、これが最後の姿となった。
 綾瀬はるか、戸田恵子、香川照之、中井貴一、天海祐希、鈴木京香、谷原章介等々、出演陣も豪華。 (評価:2.5)

PASSION

製作:東京芸術大学大学院映像研究科
公開:2008年5月29日
監督:濱口竜介 脚本:濱口竜介 撮影:湯澤祐一 美術:安宅紀史、岩本浩典

生硬だが感情を分析する濱口の制作手法の原点を見る
 男女関係の不確かさを描く作品で、不倫や離婚に至る男女の恋愛感情を冷静に分析した場合、多くが欺瞞の上に成り立っていることを証明しようとする。
 そうした点では学生映画らしい青臭い恋愛論ともいえるが、所詮男女の関係なんてそんなもの、深く考えずに感情に蓋をして、理性で関係をコントロールしなければ、世の中の男女は全て修羅を見る、という大人の考えそのものが欺瞞に満ちているといえなくもない。
 妻が妊娠中で幸せの只中にいる毅、同棲中で結婚を決めた智也と果歩、友達関係の健一郎と貴子、貴子の独身の叔母ハナを中心に物語が進行する。
 智也は本当は貴子が好きだが、貴子は健一郎が好きで、健一郎は果歩が好きという恋愛のループ。他に智也を好きな早苗もいる。
 貴子の家で毅は自由奔放なハナと意気投合、好きになってしまう。
 一方、健一郎は、智也が果歩を粗末に扱うのを見て我慢がならなくなり、果歩に愛を告白。しかし果歩は、好きでなくても智也が結婚してくれればいいと言う。
 ありふれた恋愛ドラマだが、一人ひとりの感情を裸にして、愛とは何か、結婚とは何か、男女の関係とは何かを掘り下げていく過程が面白い。
 会話劇が中心となるが、クライマックスの会話シーンでは1カットで長回し。緊張感を保った演出に濱口の才気を感じる。
 低予算でビデオ撮影の画質も良くなく、セットや機材も限られるために映像的にはテレビドラマ風なのが残念なところ。
 映画としては生硬だが、人の感情を理性的に分析、ドラマにシミュレートしていくという濱口の制作手法の原点を見ることができる。 (評価:2.5)

製作:「母べえ」製作委員会
公開:2008年1月26日
監督:山田洋次 脚本:山田洋次、平松恵美子 撮影:長沼六男 美術:出川三男 音楽:冨田勲
キネマ旬報:7位

野上滋は殺さなかった方が良かったかもしれない
 野上照代の同名エッセイが原作。
 野上照代は黒澤組のスクリプターとして知られていて、本作の登場人物も実在だが、重要ないくつかの点で事実と異なっていて、実話ベースといいつつも反則な作品。
 最大の反則は、思想犯として投獄された野上の父・野上滋が作中では獄中死しているが、実際には戦後まで生き延びていること。感動的作品にするには人を殺すのが一番というドラマツルギーに則った安直なシナリオになっている。
 映画ファンなら野上照代が黒澤組というのは百も承知で、ラストシーンで美術教師として登場すると、思わず? となり、本作が一気に嘘くさく見えてくる。作品的には、山田洋次監督、吉永小百合主演というだけで、どんなテイストの作品か見えてしまうのも残念で、実際、期待にたがわない。
 1940年からの1年間を中心に描き、野上滋が治安維持法で逮捕されるところから始まる。それから真珠湾攻撃までの日々が延々と描かれるため、一体いつになったら終戦になるのかと心配と退屈が交錯するが、野上滋の死と弟子の出征で太平洋戦争中の出来事は省略され、焼け跡での弟子の戦死の知らせ、さらには美術教師となった照代が母の臨終に立ち会うシーンまで飛んでしまう。
 開戦時、照代は14歳で、映画の設定よりは年齢が上だが、大人になった照代を戸田恵子が演じているので30年以上が経過していることになる。
 母を演じる吉永小百合は、『戦争と人間』と変わらずの左翼映画人風の演技だが、真正のアカではないのにアカにされてしまう父を演じる10代目坂東三津五郎が上手い。照代と姉を演じる佐藤未来と志田未来は自然な演技だが、志田が時々現代っ子風な口調になるのが山田演出とは思えないところ。先生の弟子を演じる浅野忠信がいつもとは違う役で頑張っている。
 よくある思想犯獄中映画で、今さら感のある中で山田が本作で何を描きたかったのかが一番見えない。シナリオを面白く見せるために下手に野上滋を獄中死させてしまったことが却って凡庸な作品にしてしまったが、生きたままで野上一家の戦中戦後を描いた方が、心に残るものがあったのではないか。 (評価:2.5)

つみきのいえ

製作:ロボット
公開:2008年10月4日
監督:加藤久仁生 脚本:平田研也 音楽:近藤研二

センチメンタリズムで誤魔化して何を描きたかったのか判然としない
 アヌシー国際アニメーション映画祭短編グランプリ、アカデミー短編アニメ賞を受賞した約12分の短編アニメーション。
 海面が上昇して水没した街に一人残った老人が主人公。海面は上昇し続け、老人は積み木を重ねるように家を上に伸ばし続ける。
 ある日、愛用のパイプを落としたことから、潜水具で階下の家に下りていくが、そこには死んだ妻や成長して離れて行った子供たちの思い出があって、老人の一生を振り返るという構成になっている。
 ヴェネツィアのようでもあり、地球温暖化をテーマにしているようでもあり、人の一生を描いているようでもあるが、今一つ何を描きたかったのか判然とせず、絵画タッチのメルヘン絵本風なアニメーションの映像の出来はともかく、作品全体としては何となくノスタルジックというセンチメンタリズムで誤魔化している感じがする。
 日本版ではこれを助長する長澤まさみのナレーションが更に説明的で、ない方が良かった。
 アニメーション制作はオープロダクション。 (評価:2)

崖の上のポニョ

製作:スタジオジプリ、日本テレビ=電通、博報堂DYMP、ディズニー、三菱商事、東宝
公開:2008年7月19日
監督:宮崎駿 脚本:宮崎駿 作画監督:近藤勝也 美術:吉田昇 音楽:久石譲

東日本大震災前に作られたことが幸運だったポニョ
 アンデルセンの『人魚姫』をモチーフに、魚の女の子ポニョが人間の男の子・宗介に恋し、最後はポニョが人間に生まれ変わるというメルヘンなアニメ。
 もっとも、メルヘンなのは外形だけで、「はじまり」「おしまい」と平仮名で字幕が入り、いかにも子供向け漫画映画風ではあるものの、タイトルの「崖の上のポニョ」にはルビが入らず、ポニョのパンツ・オンパレードで全体には幼女嗜好が現れていて、主題歌を幼女とオジサンに歌わせるなど、危ないオタク向けアニメーションの臭いが感じられる作品。
 生命の源である海との共生がテーマであるかのように見せながら、実際には古代魚、船乗り、モールス信号、ハム無線、玩具のポンポン船、軽自動車、発電機といった宮崎駿の趣味嗜好全開の作品となっていて、いかにもな子供向けメルヘンの見せかけがあざとい。
 ストーリーも説明不足のために雰囲気と勢いだけで話が進み、子供でなくても辻褄の合わない展開にしばしば付いていけなくなるが、大津波の後に老人ホームが海中に没しながらも老人たちが生きているとなると、これはもう黄泉の世界なんだかチンプンカンプン。
 高波で通行止めの道路を宗介を軽自動車に乗せた母が制止を振り切って暴走し、S字カーブを高波を被りながら猛スピードで駆け抜けるとなると、交通安全指導上も防災教育上も子供に見せるのは好ましくなく、R15が相当の作品となっている。
 もっとも、そうした点では高波のシーンの迫力や海中シーンなどのアニメーションが見どころともいえ、アニメオタクの良い子たちには楽しめる作品だが、津波・高波・水害が全編に横溢していて今なら企画が通らない内容で、東日本大震災前に作られたことが幸運だったといえる。 (評価:2)

製作:セディックインターナショナル、ジェネオンエンタテインメント、アミューズ
公開:2008年8月2日
監督:阪本順治 製作:気賀純夫、大里洋吉 脚本:阪本順治 撮影:笠松則通 美術:原田満生 音楽:岩代太郎
キネマ旬報:6位

社会派風だが興味本位と商業主義的な下心が仄見える
 梁石日の同名小説が原作で、子供の売買春と臓器売買を題材としたフィクション。タイが舞台となっているが、臓器売買については完全なフィクション。
 バンコク駐在の新聞記者(江口洋介)が、人身売買されたスラムの子供たちが、生きたまま臓器提供者となって殺されている事実の取材を始め、人身売買の闇ルートと提供を受ける日本人の子供を突き止め、手術当日に移植が行われる病院で証拠となる写真の隠し撮りに成功するというのがメインの筋。この写真を撮るフリーカメラマンに妻夫木聡。
 また売春させられ、エイズになるとごみ袋に入れて捨てられる子供たちを救出する現地NPOに参加するボランティア(宮崎あおい)の話が並行して絡む。
 物語としてはいささか雑なところがあって、被臓器提供者の両親に宮崎が詰め寄るシーンで、両親(佐藤浩市、鈴木砂羽)が自分の子供の命の方が大事だと反論するのは話を作り過ぎ。目の前で殺される子供を救うよりも、臓器提供ルートを解明して後続を断つ方が大人の考えだとする新聞記者の職業倫理も疑問。
 売春させられる子供たちのシーンも、直接描写でないにしても、目を背けたくなるような児童ポルノで、そこまで描く必要があったのか疑問。
 問題提起とショッキングな描写で一見社会派映画風だが、実のところ制作側に興味本位と商業主義的な下心が仄見え、いささか気分が悪くなる。
 ラストシーンで主人公が実は小児性愛者だと暗示するシーンも、作劇としては有りだが、本作のテーマを描くのに必要だったとは思えない。結局のところ、子供の売買春と臓器売買を見せるだけで、ストーリー的にはどちらも尻切れトンボ。作品的には何も描けていない。 (評価:2)

グーグーだって猫である

製作:「グーグーだって猫である」フィルム・コミッティ
公開:2008年9月6日
監督:犬童一心 脚本:犬童一心 撮影:蔦井孝洋 美術:磯田典宏 編集:洲崎千恵子 音楽:細野晴臣

猫耳に鬚をつけるくらいのメイクが欲しかった
 大島弓子の同名漫画が原作。
 エッセイ漫画が原作だけに散漫としていて、猫が主役なのか大島弓子がモデルの漫画家が主人公なのか、はたまたアシスタントの上野樹里が主人公なのか、それとも主役は吉祥寺なのか、よくわからず、甚だまとまりを欠く作品。
 猫好きの女性漫画家が癌になったという物語で、死んだ猫との出会いがある意味クライマックス的なファンタジーならば、やはりラストは漫画家が死なないとお話にならないが、現実モデルの漫画家は生還したわけで、生還したというラストなら死んだ猫に命を与えてもらわなければドラマにならないしで、フィクションにできない分、結局、エッセイを映画にする限界が出てしまった。
 1匹目の猫は捨て猫で、死んで漫画家の心にぽっかり穴が開き、その結果の2匹目がペットショップのアメリカンショートヘアでは、心の空白ってなんかな~という気がするし、アメリカンショートヘアのテリトリーが広すぎて、タレント猫臭さが鼻につく。
 猫は可愛きゃいいのかっていう制作者の安直さが何ともいえず、象の花子と外人さんも何のために登場するのか意味不明。上野樹里のエピソードも必要性がなく、ラストのgood goodの乱舞に至ってはファンタジーを通り越して、楳図かずお同様に脳みそがトリップした感じ。
 猫が『綿の国星』同様に人間化するシーンでは、やはり猫耳に鬚をつけるくらいのメイクが欲しかった。 (評価:2)

製作:「アフタースクール」製作委員会(クロックワークス、TBSテレビ、アミューズ、パルコ、ぴあ、IMAGICA、メディアファクトリー、博報堂DYメディアパートナーズ)
公開:2008年05月24日
監督:内田けんじ 製作:酒匂暢彦、加藤嘉一、原田知明、山崎浩一、林和男、高野力、永田勝治、安永義郎、多埜裕明 脚本:内田けんじ 撮影:柴崎幸三 音楽:羽岡佳 美術:金勝浩一
キネマ旬報:10位

玩具箱をひっくり返し、あとは適当に回収した初恋物語
​ ​商​社​マ​ン​(​堺​雅​人​)​・​中​学​教​師​(​大​泉​洋​)​・​ホ​ス​テ​ス​(​常​盤​貴​子​)​と​な​っ​た​元​同​級​生​の​3​人​を​軸​と​し​た​ミ​ス​テ​リ​ー​風​初​恋​回​帰​映​画​。
​ ​前​半​は​探​偵​を​中​心​と​し​た​ミ​ス​テ​リ​-​で​伏​線​を​ば​ら​ま​き​、​後​半​は​中​学​教​師​を​中​心​と​し​た​大​ど​ん​で​ん​返​し​と​い​う​ケ​レ​ン​を​狙​っ​た​作​品​だ​が​、​そ​も​そ​も​設​定​に​相​当​な​無​理​が​あ​る​上​に​、​大​ど​ん​で​ん​返​し​を​優​先​し​た​シ​ナ​リ​オ​の​た​め​、​主​人​公​が​一​定​せ​ず​に​主​観​が​ふ​ら​つ​く​。
​ ​観​客​へ​の​騙​し​を​狙​っ​た​前​半​は​ミ​ス​テ​リ​ー​と​し​て​は​ル​ー​ル​破​り​で​、​後​半​の​物​語​は​意​外​な​展​開​な​ら​何​を​や​っ​て​も​よ​い​と​い​う​ご​都​合​主​義​を​凌​駕​す​る​制​作​者​の​傲​慢​さ​が​際​立​っ​て​、​す​こ​ぶ​る​後​味​が​悪​い​。​取​り​敢​え​ず​玩​具​箱​を​ひ​っ​く​り​返​し​て​賑​や​か​し​、​あ​と​は​適​当​に​回​収​し​て​お​け​ば​い​い​と​い​っ​た​作​り​。
​ ​居​酒​屋​の​シ​ー​ン​は​『​踊​る​大​捜​査​線​』​の​パ​ク​リ​で​、​随​所​に​あ​ざ​と​さ​が​目​に​つ​く​。
​ ​3​人​が​巻​き​込​ま​れ​る​、​ヤ​ク​ザ​と​商​社​絡​み​の​事​件​は​周​辺​を​撫​で​て​い​る​だ​け​で​核​心​が​描​か​れ​ず​に​ぼ​や​け​て​い​て​、​観​終​わ​っ​て​す​っ​き​り​し​な​い​し​、​そ​も​そ​も​が​大​風​呂​敷​を​広​げ​る​よ​う​な​大​事​件​で​も​な​い​。​ホ​ス​テ​ス​の​妊​娠​か​ら​出​産​ま​で​の​時​間​経​過​が​無​視​さ​れ​て​い​て​、​シ​ー​ン​の​時​間​軸​の​扱​い​も​適​当​。
​ ​結​局​は​、​3​人​の​初​恋​の​甘​い​思​い​出​を​引​き​摺​る​と​い​う​話​を​や​り​た​か​っ​た​と​い​う​だ​け​で​、​あ​と​は​何​を​や​っ​て​も​許​さ​れ​る​と​い​う​制​作​態​度​が​悲​し​い​。 (評価:2)

百万円と苦虫女

製作:日活、ポニーキャニオン、イトーカンパニー、WOWOW、電通、幻冬舎、エキスプレス
公開:2008年7月19日
監督:タナダユキ 脚本:タナダユキ 撮影:安田圭 美術:古積弘二 音楽:櫻井映子、平野航

郵便受けでいきなり萎えてしまう女性監督の子宮で考える映画
​『フラガール』で各女優賞を総なめし、『おせん』でのテレビ初主演も決まった、当時人気急上昇中だった蒼井優を起用した話題作。
 もっとも、話題作とはいっても蒼井優人気に乗ったというもので、作品的には何を描こうとしたのか迷走しっぱなしの2時間。ただ、蒼井優は十分に魅力を発揮していて、蒼井優のプロモーション・フィルムとして見る分には楽しめる。
 プロローグは拘置所を出る蒼井優のシーンから始まるが、往来が激しい上に門の横に郵便受けがあって、こんな拘置所どこにあるんだ? と間に合わせロケの美術・演出の甘さに呆れながら、駄作の予感が早くも訪れる。
 蒼井優が友達とルームシェアしようとしたところが、友達のボーイフレンド付き。いざ入居の段になって友達はボーイフレンドと別れてしまい、赤の他人の元彼との同居。拾ってきた捨て猫を男に捨てられた腹いせに、男の荷物を放り出し、刑事告訴されて50万円の罰金刑。この程度の犯罪で、主人公も家族も近所の人間も、「前科者になった」と大騒ぎするという無茶苦茶なシナリオと設定。
 この騒ぎに両親の浮気が発覚して喧嘩するが、1シーンのみで、その後のストーリーに全く生かされないどころか、両親の登場もこれで終わってしまう。
 蒼井優は家を出て独立するために100万円貯めると宣言するが、海の家のバイトで100万円溜まってしまうという訳の分からなさ。以後、前科者となって各地を転々。100万円溜まる頃には前科がばれて町を離れるというシェーンか寅さんのような設定。これが森山未來との別れの伏線となるが、このためだけに全体が作られた物語。
 並行して姉が前科者と苛められる弟のエピソードが延々と描かれるが、苛めがテーマなのか、前科者がテーマなのか、自立がテーマなのか、何のためにこのエピソードが挿入されるのかよくわからないという、女性監督特有の子宮で考える映画。 (評価:2)

製作:「愛のむきだし」フィルムパートナーズ
公開:2009年01月31日
監督:園子温 脚本:園子温 撮影:谷川創平 音楽:原田智英 美術:松塚隆史
キネマ旬報:4位

愛って便利。パンツ・フェチにはお薦めの4時間
 園子温の脚本・監督で、実話だとクレジットされるが、実話をヒントにしたフィクションであることはすぐにわかる。そうした独り善がりは作中の随所に見られ、上映時間も4時間に及ぶが、それだけの時間をかけて描くような内容ではない。
 盗撮のプロの変態少年を主人公にカルト宗教団体が主軸に絡む物語だが、映画自体がカルトで、制作者は一般的な評価など求めていない。カルトなファンの熱烈な支持だけで十分な映画で、そうでない一般の映画ファンはポカンと口を開けて見るか、途中で見るのを止めるかで、虚しい時間だけが過ぎ去っていく。半分の時間に収めれば、せめて凡作の★2も付けられたが・・・
 主人公の少年(西島隆弘)には原罪とマリアの二つのモチーフがある。早世した母の化身である聖母マリアのような女性への求愛、神父となった父(渡部篤郎)に求められる原罪への贖罪。その反動でマリア以外の女性には勃起せず、懺悔のための盗撮を繰り返す。
 マリアのような少女(満島ひかり)に出会うまでは、満島を含めてパンチラの連続でそれなりに飽きない。姦淫の罪を犯した父は愛人と連れ子の少女ともどもカルト宗教に入信。少女を救出するために少年も入信して教団を壊滅させるが、精神に異常をきたし、呪縛の解けた少女がようやく少年の愛を受け入れる。
 宗教がらみのストーリーで、前半は宗教批判と思いきや、後半でコリントの信徒への手紙1-13章の愛を語り始めてからは話がぐちゃぐちゃで、ラストで愛が一番大切と説教されると、それを言いたいがための4時間だったのかとガックリくる。
 話が迷走したら取り敢えずは「テーマは愛」で逃げる作品の典型で、愛って便利。
 カルト教団の娘に安藤サクラ。パンツ・フェチにはお薦めか? (評価:1.5)

製作:Entertainment Farm、フォルティッシモ・フィルムズ、博報堂DYメディアパートナーズ、ピックス
公開:2008年9月27日
監督:黒沢清 脚本:マックス・マニックス、黒沢清、田中幸子 撮影:芦澤明子 美術:丸尾知行、松本知恵 音楽:橋本和昌
キネマ旬報:4位

ドビュッシーのメロディだけが空しいほどに美しい
 父親(香川照之)の失業をきっかけに崩壊していく家族が、最後に再び一つとなるという、ありがちな再生の物語。
 『家族ゲーム』(1982)や『逆噴射家族』(1984)やアメリカの『アメリカン・ビューティー』(1999)などに遡る家族崩壊のテーマは、何十年経っても変わらないともいえるが、使い古されたテーマでもあって、黒沢清が本作で過去の作品と何か違ったものを見せられたかというと、あまりない。
 むしろ、過去の作品が非現実の中のリアリティを描いたのに対し、本作にはリアリティが大きく欠如していて、提示する非現実も単なる設定上の粗にしか見えない。
 冒頭、父親がクビを言い渡されるシーンも現実にはあり得ない空想的なもので、黒沢清らが無知に開き直って設定にリアリティなど必要ないと考えたのか。失業したその日からホームレスの給食の列に並び、長蛇の列の職安に並び、妻(小泉今日子)に打ち明けることなく、失職を偽装する。
 長男はアメリカ軍に入隊し、次男は内緒でピアノ教室に通い天才性を見出される。
 本作から感じられるのは、黒沢が家族に対して明確なリアリティを持っていないことで、頭の中で作った家族像・父親像の空想の中で独りよがりな解釈をしているに過ぎないこと。その結果、家族崩壊のドラマもファンタジーなら、再生もファンタジーで、どれもが絵空事にしかなっていない。
 描かれる父親の権威も薄っぺらいイメージで、葛藤も表面的でしかない。対する妻が強盗(役所広司)に連れ回されるエピソードも、何を描きたいのかさっぱりわからず、自殺する強盗に至っては理由もわからず、登場する必要を見いだせない。
 失敗続きで運のない人生でも、もう一度やり直せば「月の光」程度には光明を見いだせるということなのか、ドビュッシーのメロディだけが空しいほどに美しい。 (評価:1.5)

製作:フジテレビジョン、日本映画衛星放送、東宝
公開:2009年1月24日
監督:君塚良一 製作:亀山千広 脚本:君塚良一、鈴木智 撮影:栢野直樹 美術:山口修 音楽:村松崇継
キネマ旬報:9位

で、事件被害者の家族の何を描きたかったの?
 事件加害者の家族を題材に制作したテーマ性の強い作品らしいが、君塚がテレビ出身の基本エンタテイメント畑であるため、テーマの掘り下げは表層的で、エンタメなのかシリアスなのかよくわからないまま、中途半端になってしまった。
 高校生の兄が殺人を犯したため、マスコミから守るために妹を刑事が保護する。都内のホテルから最後は伊豆のペンションに落ち着くが、マスコミやネット苛めがパパラッチ並みに誇張されていて、ストーリーは虚飾性が高い。
 冒頭のフリップでこれは真実のドラマだと強調しておきながら、逮捕直後に区役所職員がやってきて、家族の戸籍を勝手に変え、拉致同然に家族を連れ去り、では冒頭のフリップはジョークなのかと『踊る大捜査線』のようなコメディを期待すると、刑事役の佐藤浩市の妹の志田未来は終始シリアスで、無茶苦茶なシナリオに半ば白けてしまう。
 前半は、何でもありの『踊る大捜査線』の割にはシリアスで、舞台がペンションに移ってからは、経営者の夫婦(柳葉敏郎・石田ゆり子)が刑事と過去に因縁のある事件被害者の家族だという話になって、ようやくドラマらしくなる。
 もっとも突っ込みどころは満載で、過去に因縁のある事件というのが無理やりな設定で、刑事が夫婦の恨みを買い、マスコミ記者(佐々木蔵之介)に追及されるほどには説得力がない。おまけに刑事の精神科主治医(木村佳乃)も、シナリオ進行上、都合よく登場するだけ。
 妹のボーイフレンドのチューボーがわざわざ東京から訪ねてきて嫌がらせをするのもブッ飛んでいて、ここまで滅茶苦茶なストーリーにするならエンタメに徹するべき。
 事件加害者・被害者の家族だとか、マスコミ倫理だとか、ネットいじめだとか、家族の絆だとか、材料ばかり並べて料理もできず、社会的テーマ性という妙な色気を出したばかりにどれも中途半端に終わった。
 で、事件被害者の家族の何を描きたかったの? と寂しくなる作品。 (評価:1.5)