海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2005年

製作:「ALWAYS 三丁目の夕日」製作委員会(日本テレビ放送網(日本テレビ放送網、札幌テレビ、ミヤギテレビ、中京テレビ、広島テレビ、福岡放送)、ROBOT、小学館、バップ、東宝、電通、読売テレビ、読売新聞、白組、IMAGICA)
公開:2005年11月05日
監督:山下敦弘 製作:定井勇二、大島満、高野健一 脚本:向井康介、宮下和雅子、山下敦弘 撮影:大坂章夫 音楽:James Iha 美術:宮島竜治
キネマ旬報:2位

売り物のCG以外では、蓮っ葉な小雪と須賀健太がいい
 原作は西岸良平の漫画『三丁目の夕日』。主要キャラでは星野六郎が女(六子)に大きく変更されている。
 本作の売り物は白組制作のCGで昭和33年の東京の街並みを再現するというもので、公開当時は技術力に驚かされたが、再見すると粗も見えて、CGの進歩を改めて思う。再現を売り物にしていただけに、公開時は時代考証の誤りについて些細なことが気になったが、昭和33年の東京に囚われない方が楽しく見られる。それでも難を言えば、ラストシーンで六子を見送った鈴木家一家が遠景の完成した東京タワーに向かって夕日を見るシーンは方角的に有り得ないが、これも些細なこと。
 監督の山崎は白組所属で、映画全体がアニメの絵コンテのような演出。レイアウトやカメラの動きに俯瞰・煽り・パン・ズームが多用されていて落ちつかず、全体に映画としての重みが足りない。CGで町並みを見せることに主眼が置かれているため、セットでもアニメ的演出に合わせられ、作り手がCGに振り回されている印象を受ける。
 物語的には茶川(吉岡秀隆)、淳之介(須賀健太)、ヒロミ(小雪)の話が中心とはいえ、六子や鈴木家も絡んだ群像劇のため散漫。前半は当時の風俗の描写にシーンを多く割いているために物語がもたついて若干退屈する。それでも後半は淳之介を中心に収束していくので、下町人情劇として楽しめる内容。
 しかし人情劇としては、よくあるエピソードを組み合わせただけの凡庸なストーリーで、ラストも予定調和的。売り物のCGを外して眺めてみると、懐かしさだけで凡作感は否めない。
 吉岡と堤真一、薬師丸ひろ子はいかにもな演技で、意外なのは蓮っ葉な小雪がよかったこと。子役の須賀が好演している。堀北真希の垢抜けない演技も好感が持てる。 (評価:2.5)

製作:ぴあ、日活、東京放送、TOKYO FM、IMAGICA
公開:2005年7月16日
監督:内田けんじ 脚本:内田けんじ 撮影:井上恵一郎 美術:黒須康雄 音楽:石橋光晴
キネマ旬報:5位

よくできたミステリー・コメディだが、策に溺れた感がする
 内田けんじの商業映画デビュー作。
 5人の主要登場人物が絡み合う1日の物語をそれぞれの視点から並行的に描いたもので、よくできた構成が面白い。
 男と別れたあゆみ(板谷由夏)が、幸せは他人に委ねないで自分の手で掴もうと決意し、レストランで一人寂しくテーブルに向かっていると、突然、神田(山中聡)と宮田(中村靖日)にナンパされる。
 神田は私立探偵で、真紀(霧島れいか)に逃げられたばかりの宮田のためにナンパするが、トイレに立ったまま消えてしまう。
 終電がなくなり、宮田はあゆみを買ったばかりのマンションに泊めようとするが、そこに真紀が荷物を取りに現われ、あゆみは帰ってしまう。
 実は真紀は結婚詐欺師で、愛人の暴力団組長・浅井(山下規介)の金庫から札束を持ち逃げ。それを宮田のマンションに隠していて、取りに来たところだった。
 正体を見破った神田に真紀が罪を擦り付けようとしたため、浅井はレストランのトイレで神田を拉致。浅井も真紀の正体を知って単独、宮田のマンションに忍び込むが、必死で札束を取り返そうとするのには訳があって、札束の中身はただの紙切れで見せ金。ヤクザは見栄が命、台所事情に組員たちに知られたくないという理由が可笑しい。
 よくできたミステリー・コメディで、最後に偽の札束を手にするのはあゆみだが、これが前半シーンに繋がっていく。
 最後は思い直したあゆみが宮田のマンションを訪ねるというハッピーエンドで終わるが、偽の札束の結末は描かれず、コメディ優先で、幸せは他人に委ねないというあゆみの冒頭の決意が中途半端なままに終わってしまうのが惜しい。
 策に溺れた感が残る。 (評価:2.5)

製作:「カミュなんて知らない」製作委員会(プロダクション群狼、ワコー、Bugs film)
公開:2006年1月14日
監督:柳町光男 製作:多井久晃、永田弘道、小松崎和子、島田裕之 脚本:柳町光男 撮影:藤澤順一 美術:斉藤岩男 音楽:清水靖晃
キネマ旬報:10位

カミュを知らない人にはテーマは届かない
 池袋にある大学文学部の映像ワークショップの学生たちが、2000年の高校生老婆殺人事件を基にしたノンフィクション『退屈な殺人者』(森下香枝)を原作に映画を撮るという物語。
 撮影は立教大学で行われているが、舞台やダンス等の練習をしているキャンパス風景からは日大芸術学部のイメージに近い。
 冒頭、ハリウッドスタジオを舞台にした『ザ・プレイヤー』(1992)のオマージュの長回しのオープニング・クレジットが入り、『ベニスに死す』(1971)、『アデルの恋の物語』(1975)のモチーフが登場し、タイトルのカミュの小説『異邦人』(映画は1967)がテーマに据えられるなど、映画・文学ファン向けに作られていて、難解ではないが敷居を高くしている。
 劇中劇となる『退屈な殺人者』の少年の殺害動機は「人を殺す経験をしてみたかっただけ」というもので、主題は『異邦人』の人間の虚無と不条理に結びつく。
 劇中劇の学生監督(柏原収史)は不条理な恋人(吉川ひなの)の偏愛に悩まされていて、綽名はアデル。「ほかの女と寝たら殺す」という言葉通りに校舎の屋上から突き落とす。
 映像ワークショップの指導教授(本田博太郎)は元映画監督で、妻を失ってからは虚無状態となり映画を一本も撮っていない。その姿が『ベニスに死す』のアッシェンバッハと重なり、美少年ではなく美少女(黒木メイサ)に魅かれてキャンパスを彷徨う。それが彼女と夫で社会人学生(田口トモロヲ)のゲームだったと知ると、若作りをした教授は映画のシーンをオマージュしたかのように虚脱してしまう。
 本作の主人公は劇中劇の学生助監督(前田愛)で、監督降板の跡を継いで劇中劇の代理監督として映画を完成させるが、山岳部の恋人(玉山鉄二)が山登りに行っている間に、主演俳優(中泉英雄)、カメラマン(阿部進之介)、学生監督の3人とキスをしてしまう。
 山から帰ってきた恋人に告白して謝罪するものの、内心心を寄せている学生監督とのキスだけは告白せず、彼女もまた自らの不条理に立っている。
 柳町光男の職人技は冴えていて、そうした虚無と不条理に立つ人々、そして虚実不明の映画そのものを揶揄するが、テーマはオマージュの陰に隠れてしまって、「カミュなんて知らない」という開き直りも、カミュを知らない人には届かないという目論見外れに終わっている。 (評価:2.5)

交渉人 真下正義

製作:フジテレビジョン、ROBOT、東宝、スカパー!WT
公開:2005年05月07日
監督:本広克行 製作:亀山千広 脚本:十川誠志 撮影:佐光朗 音楽:松本晃彦 美術:相馬直樹

東京ローカルの人間には10倍楽しめる地下鉄映画
 TVシリーズ『踊る大捜査線』のスピンオフの映画。
 脚本の十川誠志はアニメ出身だが、本作では寺島進の刑事、國村隼の地下鉄指令長などが個性的で、テンポのよいストーリー運び、鉄道マニア向けの設定などで、本シリーズとは全く別の作品として、『踊る大捜査線』を知らない人でも楽しめるように仕上がっている。ただ、その独自性が良いかどうかは別の問題で、通常の踊るファンからすれば異質な作品で、主人公が真下正義でなくてもよいということになる。
 もう一つの問題は東京の地下鉄を主要題材にしているため、非常にローカル。首都圏住民>地下鉄のある大都市住民>それ以外の地方住民の順に内容がわかりにくくなるので、決して全国区映画にはならない。また、地下鉄に関する設定も無理やり感は否めない。
 シンバル・ネタでは、「ああ!新世界」というフランキー堺主演、倉本聰脚本のTVドラマの名作があって、ドヴォルザーク「新世界より」ではシンバルを叩くのが1回しかないというのを題材にしていたが、十川がそれを観ていたかはわからないが思わずそれを思い出した。
 映画の重要なキーとなっている副都心線は公開から3年後の2008年の開業。公開時には近未来感がしたが、わずか8年間で前時代の映画となってしまったことに時間の流れの速さを感じることができるが、これもやはり東京ローカルの人間にしか味わえない感慨。
 東京ローカル以外の人でも十分楽しめる内容だが、サスペンスもので犯人を曖昧にするのはルール違反。 (評価:2.5)

製作:パ​ラ​ダ​イ​ス​・​カ​フ​ェ​、​パ​グ​ポ​イ​ン​ト​・​ジ​ャ​パ​ン
公開:2005年07月02日
監督:緒方明 脚本:青木研次 撮影:笠松則通 音楽:池辺晋一郎 美術:花谷秀文
キネマ旬報:3位

スーパーのおばさん店員・田根楽子が個人的には収穫
​ ​高​校​生​で​両​親​を​失​い​、​独​身​の​ま​ま​5​0​歳​と​な​っ​た​女​(​田​中​裕​子​)​の​人​生​を​、​親​代​わ​り​の​作​家​(​渡​辺​美​佐​子​)​の​目​を​通​し​て​描​く​。
​ ​田​中​の​母​は​不​倫​相​手​の​画​家​と​交​通​事​故​死​す​る​が​、​そ​の​画​家​が​当​時​の​ボ​ー​イ​フ​レ​ン​ド​の​父​親​だ​っ​た​と​い​う​設​定​。​二​人​は​事​故​を​き​っ​か​け​に​疎​遠​と​な​る​が​、​彼​が​避​け​た​理​由​が​別​に​あ​っ​た​と​い​う​の​が​終​盤​に​明​か​さ​れ​、​そ​れ​が​ラ​ス​ト​シ​ー​ン​に​繋​が​る​。​同​級​生​の​二​人​は​今​も​同​じ​町​に​住​み​、​彼​(​岸​部​一​徳​)​は​平​凡​な​人​生​を​望​ん​で​市​役​所​に​勤​め​な​が​ら​、​妻​(​仁​科​亜​季​子​)​の​介​護​。​田​中​は​早​朝​の​牛​乳​配​達​と​昼​の​ス​ー​パ​ー​勤​め​で​生​計​を​立​て​る​。
​ ​田​中​が​町​を​離​れ​な​い​の​は​1​5​歳​の​と​き​に​書​い​た​作​文​で​、​町​が​好​き​だ​か​ら​一​生​こ​の​町​で​過​ご​す​と​誓​っ​た​か​ら​。​前​半​は​そ​う​し​た​町​の​人​々​の​断​片​が​描​か​れ​、​カ​レ​ー​好​き​の​徘​徊​老​人​、​育​児​放​棄​さ​れ​て​万​引​き​を​働​く​子​供​、​毎​朝​牛​乳​を​飲​む​の​を​日​課​に​し​て​い​る​老​人​な​ど​、​い​い​感​じ​で​物​語​は​進​む​。
​ ​と​り​わ​け​、​ロ​ケ​地​と​な​っ​て​い​る​長​崎​の​坂​と​路​地​の​多​い​風​景​が​美​し​く​、​本​作​最​大​の​見​ど​こ​ろ​。
​ ​仁​科​が​死​に​、​遺​言​で​夫​と​田​中​の​人​生​の​や​り​直​し​を​望​ま​れ​る​が​、​こ​の​エ​ピ​ソ​ー​ド​は​無​理​と​不​自​然​さ​が​際​立​ち​、​大​人​の​物​語​が​突​然​少​女​趣​味​に​な​っ​て​し​ま​っ​て​、​そ​れ​ま​で​の​物​語​を​台​無​し​に​し​た​。​仁​科​が​二​人​の​過​去​の​関​係​と​現​在​の​心​情​を​ど​う​し​て​知​っ​た​の​か​も​不​明​で​、​遺​言​そ​の​も​の​も​わ​ざ​と​ら​し​い​。
​ ​テ​ー​マ​的​に​は​、​平​凡​な​人​生​を​求​め​た​男​が​最​後​に​人​間​ら​し​い​生​き​方​を​し​て​、​そ​れ​が​女​の​人​生​を​実​り​あ​る​も​の​に​し​た​と​い​う​も​の​だ​が​、​男​が​な​ぜ​そ​う​変​わ​っ​た​の​か​も​良​く​わ​か​ら​ず​、​い​ろ​い​ろ​こ​ね​く​り​回​し​た​割​に​は​人​間​を​描​き​切​れ​ず​、​田​中​の​好​演​が​不​発​に​終​わ​っ​て​い​る​。
​ ​個​人​的​に​は​、​ス​ー​パ​ー​の​同​僚​店​員​・​田​根​楽​子​が​い​い​味​を​出​し​て​い​る​が​収​穫​。 (評価:2.5)

製作:「メゾン・ド・ヒミコ」製作委員会(アスミック・エース、IMJエンタテインメント、日本テレビ放送網、スターダストピクチャーズ、カルチュア・パブリッシャーズ)
公開: 2005年8月27日
監督:犬童一心 脚本:渡辺あや 撮影:蔦井孝洋 音楽:細野晴臣 美術:磯田典宏
キネマ旬報:4位

心優しいオカマたちに心温まるファンタジー映画
 タイトルのメゾン・ド・ヒミコはゲイバー「卑弥呼」のママだった男が湘南海岸に建てた、ゲイのための老人ホーム。結婚し、一女をもうけたが、カミングアウトして離婚したという過去を持つ。
 その娘が柴咲コウ。卑弥呼(田中泯)の愛人で老人ホームの責任者の青年(オダギリジョー)が、死期の迫った卑弥呼のために娘にホームのバイトを依頼。父娘の和解と娘と青年との恋愛を軸に物語は進む。
 娘は母が父と秘密裏に会っていたことを知り、同性愛者の夫を理解し精神的な愛情で結ばれていた両親の関係に気付く。一方で、互いの愛情に気付いて青年と結ばれようとするが、青年が女を抱けないことを知ってホームを飛び出し、自暴自棄となって上司と寝てしまう。しかし青年は彼女を再びホームに迎え入れ、精神的な愛で結ばれるというハッピーエンドで終わる。
 メゾン・ド・ヒミコはゲイのためのパラダイスで、ゲイたちはそこで幸せで充実した老後を送ろうとするが、資金問題や脳卒中に倒れた男が再び自分の嗜好を隠して家族に引き取られるなど、ゲイを差別する社会同様にそこが決してパラダイスではない現実が描かれる。
 劇中のゲイたちはみんな「心優しいオカマたち」で、ホームではなくむしろ彼らの心の中にパラダイスがあり、偏見を乗り越えた娘はそのパラダイスに受け入れられるという、いわば定式化したドラマになっているが、不思議と心温まる作品となっている。
 設定を含めてある種のファンタジー映画で、既成社会のしがらみから自らを解放し、自分に正直に人間らしく生きようとする彼らが羨ましくさえある。劇中のディスコシーンは非現実的なユートピア的幻想で、彼らの精神世界を映し、観る者の束縛された心を解き放つ。
 これは夢物語だと冷めた目で見ながらも、切り捨てられない心を引き付けるものがある。
 残念なのはオダギリジョーと柴咲コウ主役二人の演技が上手くないために、作品のテーマが十分観客に伝わってこないこと。オダギリジョーがゲイに見えないのも残念。 (評価:2.5)

製作:リンダ リンダ リンダ・パートナーズ
公開:2005年07月23日
監督:山下敦弘 製作:定井勇二、大島満、高野健一 脚本:向井康介、宮下和雅子、山下敦弘 撮影:大坂章夫 音楽:James Iha 美術:宮島竜治
キネマ旬報:6位

ペ・ドゥナには一人カラオケと一人芝居が良く似合う
 青春の時は一瞬、そのきらめきは二度と巡ってはこない、と冒頭で宣言されると、青春はそれほど輝かしいのか? といきなり白けてしまう。映画はそうやって始まり、障碍と闘いながら少女たちはそれを乗り越えて、輝かしい青春の日々を手にする。簡単にいえばそういう話。
 長回しにパンするカメラも、小津安二郎ばりのローアングルからの固定カメラも、いかにも才気と意欲が前のめり。日常感を出すための断片的で聞き取りにくい台詞も、かえって話の進展をわかりにくくしている。少女たちの恋愛話も、あってもなくてもいいような感じで、これも日常感? 
 それでも前半はそれなりの雰囲気が流れるが、彼女たちが3日3晩家に帰らず、風呂に入らず、着替えもせず、夜中に学校やスタジオで徹夜でバンド練習をしている姿はあまりに非日常的。3日3晩ぶっとうしでバンド練習をしてステージに立つというのも非現実的。
 最後はステージに遅刻するという苦難が待ち構えていて、あれ? これって『スウィングガールズ』のケイオン版なの? と我が目を疑う。それにしても後半のシナリオと演出は大ナダレ。全体に肩に力が入り過ぎていて、もう少し自然に撮れなかったのか。
 それでもペ・ドゥナの個性的な演技は群を抜いていて、この映画の見どころにして、彼女を観るだけでも価値あり。彼女の一人カラオケとステージでのモノローグは最高で、評点の0.5は彼女への加点。日韓関係が良好だったころの映画。 (評価:2.5)

製作:「空中庭園」製作委員会(リトル・モア、ポニーキャニオン、衛星劇場、カルチュア・パブリッシャーズ、アスミック・エース)
公開:2005年10月08日
監督:豊田利晃 製作: 孫家邦、尾越浩文、石川富康、島本雅司、椎名保 脚本:豊田利晃 撮影:藤澤順一 音楽:zAk 美術:原田満生
キネマ旬報:9位

監督と一緒にドラッグ感覚を味わえる精神崩壊ドラマ
 角田光代の同名小説が原作。監督の豊田利晃は本作完成後に覚せい剤取締法違反で逮捕されるといういわくつきの映画。
 本作の空中庭園はバビロンのように多摩ニュータウンの高層団地のベランダに作られた庭。庭だけでなくその家に暮らす家族そのものが宙ぶらりんで不安定という象徴に用いられている。カメラも浮遊感を表してブランコのように左右に揺れ、回転し、正直酔う。心が酔うのではなく、三半規管が酔う。
 主人公の主婦(小泉今日子)の赤い心象風景など、全編、良くいえばシュール。トリップしたような感覚で、豊田はドラッグをやりながら映画を撮ったに違いないと納得する。そういった点では、豊田を通してドラッグ感覚を味わえる作品。
 小泉は子供の頃に苛められていて、母(大楠道代)との関係も悪い。少女の頃からの企みは、幸せな家庭を築いて母や友人たちに復讐することで、そのために好きでもない夫と結婚して2児を産み、夫ともセックスレス。小泉のテーゼは「隠し事のない家庭」で「家に鍵は一つあれば十分」。しかし家族たちはテーゼに従うふりをしながらそれぞれに秘密を持つ。
 テーマ的にはありふれていて、始まって5分と経たないうちにこれは家庭崩壊のドラマだとわかり、結末も予想される。その退屈な話を辛抱させるのが豊田のドラッグ映像だが、学生映画を見るようで正直辛い。
 最後に家庭は崩壊し、娘(鈴木杏)も小泉を罵るのだが、幼児の頃の母との思い出も間違いで、ラストで家族に温かく迎えられるシーンで終わるのがどうにも辻褄が合わず、すべては小泉の幻想だったのか、豊田がラリって完全にout of his mindしてしまったのか、呆気にとられる。
 夫に板尾創路、その愛人で家庭教師にソニン、もうひとりの愛人に永作博美、小泉の兄に國村隼。娘のボーイフレンドに勝地涼、チンピラに瑛太。 (評価:1.5)

製作:「男たちの大和/YAMATO」製作委員会
公開:2005年12月17日
監督:佐藤純彌 製作:角川春樹 脚本:佐藤純彌 撮影:阪本善尚 音楽:久石譲 美術:松宮敏之、近藤成之
キネマ旬報:8位

戦争の時代は遠くなったと実感させられる
 辺見じゅん『決定版 男たちの大和』が原作。
 冒頭から『タイタニック』を彷彿させ、ラストでやはり『タイタニック』だったと露骨なパクリに白けるが、戦艦大和を題材にした戦争映画としても白ける。全編センチメントの押し売りで、戦後60年を記念して作られた割には戦争の悲惨さだけを過剰に訴える作品で、歴史に何も学べてなく、型に嵌った上に過剰な演出は不快ですらあり、感情に訴えようとすればすればするほど涙が出ない。
 若い監督なら太平洋戦争は教科書で習う歴史だからと、退屈しない程度には物語になっている★2つの凡作の評価もあるが、昭和7年生まれの佐藤純彌監督に敬意を表して駄作の★1.5とする。
 重箱の隅を突くようだが、中村獅童演じる内田守二等兵曹は11人の戦災孤児を養子に引き取って、その一人が鈴木京香だと説明される。本作は現代からの回想譚で、現在は戦後60年経った2005年。鈴木京香は1968年生まれで、役の年齢に幅があるとはいえ、どう考えても戦後20年以上経って生まれた子供が戦災孤児のわけがない。
 こうしたリアリティの欠如は随所にあって、ラストで鈴木京香が敬礼するシーンも仲代達矢が号泣するシーンもその息子がわかったような顔をするシーンも慰霊に対する考えが形式的かつ浅薄で、不快ですらある。坊ノ岬沖海戦もスペクタクルに重きを置き過ぎていて、海兵の戦死のシーンは派手で残酷な演出で、戦死者を愚弄しているようにしか見えない。
 大和が赴いた沖縄の戦況については何も触れられておらず(大和の撃沈は4/7で、米軍は4/1にすでに沖縄本島上陸していた)、この作戦の愚劣さとそれを強いた軍部の愚かさの描写が欠けていて、戦争の悲惨さを描けば反戦になるという観客を愚弄する映画を作った。
 安っぽい哀悼とセンチメントを言い訳に、73歳の監督が戦艦大和を題材にしたエンタテイメントな戦争スペクタクルを作ったことで、戦争の時代は遠くなったと実感させられる映画。 (評価:1.5)

製作:ネオプレックス、荒戸映画事務所
公開:2005年12月17日
監督:大森立嗣 脚本:浦沢義雄 撮影:大塚亮 美術:金勝浩一 編集:奥原好幸 音楽:千野秀一
キネマ旬報:10位

中学生レベルの詭弁でキネ旬10位とは悲しい
 花村萬月の同名の芥川賞受賞作が原作。
 修道院の救護院で育った男が殺人を犯して古巣に戻ってくるという物語で、聖職者たちの欺瞞に対し、戒律を破って神を試す。
 それが信者の女と姦淫し、修道女を妊娠させ、救護院の仲間に暴力を振るうというもので、院長(石橋蓮司)もまた主人公や院生の男たちにフェラチオや手淫を強制している。
 この手の神の不在や宗教の欺瞞を問う作品にはありがちな設定で、物語の展開もいたって月並み。主人公が、姦淫や暴力、殺人の罪を教誨師である神父に懺悔し、神の許しによってすべてがチャラになると嘯くエピソードも、中学生レベルの詭弁でしかなく、これで神の不在や宗教の欺瞞をテーマにしたというのでは、あまりに幼稚。
 所詮は無宗教な日本人、ないしは多神教の異教徒である日本人が、宗教について洞察することなくキリスト教、とりわけカトリックの教義の揚げ足取りに終始しているだけで、あまりに空疎。
 神の不在についてはベルイマンの不朽の名作群や、遠藤周作の原作で篠田正浩が監督した『沈黙』(1971)(スコセッシ監督の再映画化が来春1月に公開される)もあって、せめて先達の名作から学んでほしいとは思いながらも、キネ旬10位となっている日本の映画評論も悲しい。
 タイトルは、主人公が神の囁きを聞く、ゲルマニウムラジオから。 (評価:1.5)