海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2004年

製作:フジテレビ、アルタミラピクチャーズ、東宝、電通
公開:2004年09月11日
監督:矢口史靖 製作:亀山千広、島谷能成 脚本:矢口史靖 撮影:柴主高秀 音楽:ミッキー吉野、岸本ひろし 美術:磯田典宏
キネマ旬報:7位

かっこいいラストのソロパートの演奏にブラボー!
 映画の構成は矢口の前作『ウォーターボーイズ』を踏襲している。  取り柄のない平凡な高校生が、成り行きで吹奏楽を演奏することになるが、個人主義の女教師は期待もかけず無関心。もともとやる気のない生徒は挫折しかかるが、そこに竹中直人が現れ、素人なのに勘違いからダメ生徒たちを指導することになる。生徒たちは発奮して練習に励み、市民ホールの発表会に臨むが、主人公のミスで出場できないことが発覚、しかし天の恵みで出場できることになり会場に突進するも時間切れか? というところでぎりぎり間に合ってハッピーエンド。
 吹奏楽をシンクロ、市民ホールを学園祭に置き換えれば、ほとんど『ウォーターボーイズ』と同じ。ただ本作の方が出来は遥かにいい。
 第1に、挫折しかかった彼女たちが吹奏楽に戻るのが、見返してやろうとかいうことではなく、純粋にジャズをやりたいと思う気持ちから。根性と友情・努力・勝利の嫌らしさがない。第2に、竹中直人を始めとした周囲の大人たちの係わりも薄く、前作のような恥ずかしいラブコメもなく、少女たちの笑いと涙に素直に共感できる。青春ドラマ的な演出のあざとさは残るが、総じて青春コメディとして楽しめる。
 この映画の第一の苦労者はカリカチュアされながらも嫌みなく等身大の高校生を演じた若い俳優たちで、とりわけ上野樹里が普通の女子高生を好演。ラストシーンの上野、貫地谷しほり、豊島由佳梨、本仮屋ユイカのソロパートの演奏は、かっこよくて拍手を送りたくなる。
 地味ながら上野の母親役・渡辺えり子はさすがの演技。 (評価:3)

製作:アミューズ、TBS、小学館、東宝、TOKYO FM、ホリプロ、博報堂DYメディアパートナーズ、パルコ、小椋事務所
公開:2004年5月29日
監督:中島哲也 脚本:中島哲也 撮影:阿藤正一 美術:桑島十和子 音楽:菅野よう子
キネマ旬報:3位

孤独なロリータ少女とヤンキー娘の友情と自立を描く
 嶽本野ばらの同名小説が原作。
 茨城県下妻市に住むロリータ少女とヤンキー娘の奇妙な友情を描く青春コメディ。東京近郊に住む中途半端に都会化された若者たちの垢抜けない青春を、CMディレクター出身の中島哲也が様々な映像表現を駆使して戯画化。ストーリー同様のアナーキーな演出が最大の見どころとなっている。
 ロリータ少女・桃子(深田恭子)が、クライマックスとなる親友のヤンキー娘・イチゴ(土屋アンナ)の危機を救うために原チャリで駆けつける際に、八百屋(荒川良々)の軽トラと交通事故を起こすシーンから始まり、倒置法で桃子のモノローグによる略歴とそれまでの経緯を説明するという手法を取る。
 この略歴紹介に、ストーリーの流れを無視したアニメやエピソードを織り込むのが意表をついて上手く、よくできたシナリオとなっている。
 元チンピラの父(宮迫博之)の売れ残り品の偽ブランド品を、ネット通販に出したことがイチゴと知り合うきっかけで、水と油の二人が混じり合っていく過程を描いていく。
 ロリータファッションという自分だけの世界に没入する桃子は、ロココの享楽的な外見とは裏腹に、自分の殻に閉じこもって孤独であり、レディースに繋がりを求めるイチゴも社会から疎外されて孤独であり、その共通点によって二人が無意識のうちに友情を深めていく。
 それは都会でも田舎でもない土地に住む若者たちの中途半端な自己認識でもあって、二人がそれを断ち切って、受動から能動へと自立していく。
 二人を取り巻く大人たちのキャラクター造形もよくできていて、桃子の母に篠原涼子、祖母に樹木希林。イチゴが片想いするチンピラ・一角獣の龍二を演じる阿部サダヲのリーゼントが楽しい。
 ロリータ少女を演じる深田恭子はハマリ役。土屋アンナがナイーブなヤンキー娘を好演。 (評価:2.5)

製作:ビーワイルド、アーティストフィルム、東芝エンタテインメント、衛星劇場、朝日放送、ザナドゥー
公開:2004年11月6日
監督:崔洋一 製作:若杉正明 脚本:崔洋一、鄭義信 撮影:浜田毅 美術:磯見俊裕 音楽:岩代太郎
キネマ旬報:2位
毎日映画コンクール大賞

俊平は済州島出身でありながら何故北朝鮮に渡ったか?
 梁石日の同名小説が原作で、主人公の父・金俊平は梁の父がモデル。
 主人公・金正雄(新井浩文)の一人称で、父・俊平(ビートたけし)の生涯を語る形式を採っている。
 物語は大正12年、17歳の俊平(伊藤淳史)が単身、済州島から船で大阪に渡るシーンから始まり、娘のいる李英姫(鈴木京香)と強引に結婚。花子(田畑智子)と正雄の二人の子供を設け、戦後蒲鉾工場で成功し、清子(中村優子)を妾にし、高利貸しで財を成し、新しい妾・定子(濱田マリ)に4人の子を産ませ、老いて家族に見放され、財産を北朝鮮に寄付して定子との子・龍一と北朝鮮に渡り、昭和59年永眠するまで。
 在日朝鮮人一世の移民としての生涯、アイデンティティを描いた作品で、同様にアメリカへのアイルランドなどヨーロッパ各国からの移民一世の生涯を描いた映画に通じるものがある。
 日本人からすれば、身近な隣人である在日韓国・朝鮮人が戦前・戦後をどのように生きてきたかを知ることができ、現在の歴史問題を考える一つの参考ともなる。
 ただ一つ理解できないのは、俊平が済州島出身でありながら何故北朝鮮に渡ったかが説明されていないこと。単に好き勝手し放題の俊平には、女と金のことしか頭になく、思想的にも心情的にも北朝鮮に渡る気配すら感じとることができない。
 それは俊平という人物像全体にも言えることで、「血と骨」の正体が見えてこない。
 俊平はヤクザ紛いの荒くれ者で、滅法喧嘩に強いのだが、残念ながらビートたけしにそれほどの腕力があるようにも見えず、済州島で産ませた子供・武(オダギリジョー)との親子喧嘩で勝つのがどうにも不自然。柄が悪いだけで、腕っぷしがあるように見えないたけしの起用はキャスティングミスにしか見えない。 (評価:2.5)

笑の大学

製作:フジテレビ、東宝、パルコ
公開:2004年10月30日
監督:星護 製作:亀山千広、島谷能成、伊藤勇 脚本:三谷幸喜 撮影:高瀬比呂史 音楽:本間勇輔 美術:清水剛

三谷幸喜にとって喜劇とは何かというテーマ
 三谷幸喜の戯曲が原作。脚本も三谷幸喜。
 戦時中の娯楽統制を背景として、芝居の脚本の検閲を題材としたコメディ。浅草の喜劇場「笑の大学」の座付台本作家(稲垣吾郎)が提出した喜劇脚本「ジュリオとロメオット」を巡り、新任検閲官(役所広司)との修正を巡る攻防がコメディで描かれる。当初は喜劇を解さなかった検閲官が修正を重ねるうちに喜劇を理解するようになり、作家も改竄されても上演することこそが権力への抵抗だと忍耐を重ねる。そうして許可が下りるが、検閲官の人間性に触れた作家の不用意な発言から一転、最後は召集令状を手にし、検閲官の本当の姿に触れるという、ある種の反戦映画になっている。
 戯曲のため、舞台は取調室からほとんど出ないが、役所はもとより、稲垣の熱演が見もので、見ごたえのある作品。三谷にとって喜劇とは何かというテーマを、三谷が喜劇によって描くという構造で、簡単にいえば喜劇こそ民衆の権力に対する抵抗手段であるという歴史性を再確認させる。
 悪役のいない結末は人情喜劇としてはいいが、責任者不在で検閲の問題点を曖昧にさせる。後半は若干冗長。「笑の大学」の座長兼役者に小松政夫。 (評価:2.5)

製作:ロックウェルアイズ
公開:2004年3月13日
監督:岩井俊二 脚本:岩井俊二 撮影:篠田昇 音楽:岩井俊二 美術:種田陽平

記憶喪失をキーワードに、恋と成長を描く少女漫画的ラブコメ
 中学から高校へと進む少女2人の感受性豊かな心模様を描いた映画で、ガラス細工のようにナイーブな偶像化した少女の感性を描いたら右に出る者のない岩井俊二のある意味、究極の作品。少女2人を鈴木杏と蒼井優が演じ、2人の役名がそのままタイトルになっている。
 花(鈴木杏)が年上の高校生(郭智博)を好きになり、同じ高校に進学して彼と同じ落語研究会に入部。ストーカーをしていた時に彼が転倒して気絶。それをいいことに記憶喪失になったと思い込ませ、2人が恋人同士だという嘘を信じ込ませる。そして親友のアリス(蒼井優)を元彼女に仕立てるが、彼がアリスを好きになってしまうというのが大筋。
 彼が記憶喪失を信じることに相当無理があるが、そこは冒頭から漫画やアニメの記号をばらまいて、これが少女漫画のラブコメであるこという世界観を貫く。同時に、彼を茫洋なキャラクターに仕立て、花、アリスを含めて漫画的キャラクターにして成功している。
 機転が利き、恋のためなら何でもありで邁進する花と、両親が離婚している薄幸の少女アリスを対比させ、2人の心の微妙な揺れ動きを丁寧に描く。
 少女漫画らしく、花や華が散りばめられ、映像はメルヘンのように美しい。
 本作最大の見せ場は、モデルにスカウトされたアリスが、ラストのオーディションで紙コップを履いてバレエを踊るシーンで、プロモーションビデオのように蒼井優の魅力を引き出している。
 その直前、花がついてきた嘘を彼に告白するシーンも見どころで、背中で隠した泣き顔をアップで捉えるカメラワークと鈴木杏の演技がいい。
 蒼井優が美味しい役のために彼女の印象が強いが、全編鈴木杏の演技が光っていて、改めて見ると蒼井優の演技は雰囲気中心でまだ上手くない。
 記憶喪失をキーワードに、過去と向き合いつつその呪縛から逃れ、新しい自分を獲得していくという少女の恋と成長の青春物語となっているが、正直リアリティに乏しく、作品的には少女漫画的ラブコメの域を出られていない。 (評価:2.5)

製作:WOWOW
公開:2004年12月18日
監督:大林宣彦 製作:金子康雄、大林恭子 脚本:大林宣彦、石森史郎 撮影:加藤雄大 美術:竹内公一 音楽:山下康介、學草太郎
キネマ旬報:6位

ミステリーのはずが大林マジックに一杯食わされる
 宮部みゆきの同名の直木賞受賞作が原作。
 ドキュメンタリー手法で描かれた原作を、疑似ドキュメンタリー映画にしたもので、試みとしては面白いし成功もしている。
 物語は荒川区の高級マンションで起きた一家殺人事件の真相を多数の証言を基に再現していくというドラマで、犯人捜しと謎解きのミステリーという趣向になっている。
 証言が多すぎるのと多数の証言をこなすためにテンポが速く、観る側に推理と事件を再構築する暇を与えないために、事件そのものの背景がよくわからないままに進む。
 借入金の返済ができずに部屋を競売にかけられた持主、その妻もカードローンで購入した品を買取屋に売るという資金繰りを余儀なくされている。
 その部屋を競売で手に入れた買主、元の持主と組んで借主の疑似家族を住まわせ、立退き料を取ろうとする占有屋が絡むが、その関係性は注意して見ていてもよく分からず、証言が目の前を通り過ぎていくだけ。
 それでも、大林マジックは冴えていて、なんとなくドラマに引き込まれ、頭がこんがらかると、これは家族がテーマだというように、考える隙を与えずに家族のドラマに観客の目を誘導してしまう。
 そうか家族の話なのかと思い始めると、それまでの事件の証言が、すべて様々な家族の風景を描くためのジグソーのピースに見えてくるのも大林マジックで、うっかりするとやはり大林は凄いと勘違いしてしまう。
 しかし、見終わってよくよく考えると、ミステリーはどこかに雲散霧消して、事件の真相はよくわからないままで、大林に見事に一杯食わされたことに気付く。
 証言集なので特に主人公がいるわけではないが、マンションから墜落死した男に加瀬亮、その内縁の妻に伊藤歩、競売の買主に勝野洋が主要人物。 (評価:2.5)

製作:松竹、日本テレビ放送網、住友商事、博報堂DYメディアパートナーズ、日本出版販売、衛星劇場
公開:2004年10月30日
監督:山田洋次 製作:久松猛朗 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:長沼六男 美術:出川三男 音楽:冨田勲
キネマ旬報:5位

山田洋次が職人技で武士の時代の終わりを描く
 藤沢周平の短編小説『隠し剣鬼ノ爪』『雪明かり』が原作。
 原作を2本併せたことから分るように、秘剣・鬼ノ爪を巡る話と、その秘剣を操る下級藩士の恋愛話が物語の大筋となっていて、上手くまとめてはいるが話が2つに分かれている感は否めない。
 剣豪ドラマとしては、下級藩士(永瀬正敏)が謀反を起こした友人(小澤征悦)を藩命によって斬らざるを得ない立場に追い込まれ、最後に秘剣で家老(緒形拳)に恨みを晴らすことになるが、この秘剣が意外とちゃちく、むしろ武士を捨てて下女(松たか子)との愛を貫くというドラマの方が心に染みる。
 いずれの話も、幕末における武士の存在理由の喪失をテーマにしていて、刀剣の古戦法から銃砲の近代戦法への移行による武士道の崩壊、幕藩体制と士農工商の階級制度の無実化を描く。
 その象徴となるのが、鬼ノ爪からも容易に想像のつく秘剣の小柄。主人公が武士を捨て、下女とともに蝦夷に旅立つ前に、非業の最期を遂げた友人とその妻(高島礼子)の墓に小柄を収めるが、新しい時代を告げるように秘剣を捨てる象徴的なシーンとなっている。
 山田洋次らしくテーマも明確に織り込まれ、エンタテイメントとしてもヒューマンドラマとしてもラブストーリーとしても楽しめる職人的作品。神戸浩を使ったギャグも織り込まれている。
 主人公を演じる永瀬正敏と下女の松たか子の演技が魅せるが、緒形拳の家老が時代劇の悪役の定番すぎるのが白ける。 (評価:2.5)

製作:衛星劇場、バンダイビジュアル、日本スカイウェイ、テレビ東京メディアネット、葵プロモーション、パル企画
公開:2004年07月31日
監督:黒木和雄 製作:石川富康、川城和実、張江肇、金澤龍一郎、松本洋一、鈴木ワタル 脚本:黒木和雄 撮影:鈴木達夫 音楽:松村禎三 美術:安宅紀史
キネマ旬報:4位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

センチメンタリズム以上のものを遺せなかった作品
 井上ひさしの同名戯曲が原作で、父娘の家を中心とした二人芝居のため、映画も基本は二人の会話を中心に進行する。
 舞台は広島。原爆から3年後、被曝した娘に恋人ができたことから原爆死した父の亡霊が現れる。火焔で苦しむ父を見捨てた罪悪感から結婚を躊躇う娘に、父は結婚を勧める。この会話劇の中で、被曝体験や原爆資料館に陳列されているような物品、原爆症のことなどが語られ、それ自体は証言録としての意味はあるが、事実だけを連ねる作劇が1960~70年代ならいざ知らず、戦後60年経って意味があるのかというと難しい。
 こまつ座の初演は1994年で、原爆資料館を見たことのない人や歴史の教科書で原爆を知る新世代が対象か? 誤解を恐れずに書けば、原爆に限らず戦争の悲惨さを情緒で訴える時代は少なくとも映画では終わっていて、史料として残すならドキュメンタリーなど他の手法がある。劇映画では歴史観と新たな視点が必要で、黒木和雄がセンチメンタリズム以上のものをこの作品に遺せなかったことが寂しい。
 父娘を演じる原田芳雄、宮沢りえは二人劇をよく力演しているし、それだけを見れば良くできた映画。恋人役はほとんど出番がないが浅野忠信。 (評価:2.5)

製作:シネカノン、ハピネット・ピクチャーズ、衛星劇場、メモリーテック、S・D・P
公開:2005年01月22日
監督:井筒和幸 製作:李鳳宇、川島晴男、石川富康、川崎代治、細野義朗 脚本:羽原大介、井筒和幸 撮影:山本英夫 音楽:加藤和彦
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

日朝似非ラブ・アンド・ピースの青春ノスタルジー映画
 パッチギはハングルで頭突きのこと。京都を舞台にした日本人少年と韓国人少女の恋物語。当時の朝鮮高校生との喧嘩や帰還運動なども絡む。
 本作への評価はたぶんに政治的なものが絡む。登場する朝鮮人は朝鮮高校生とその家族のため、主張は基本的には北朝鮮に沿っている。撮影には朝鮮総連が協力していて、日朝の歴史認識は北朝鮮の主張に合わせたものになっている。
 1968年が舞台となっていて、その当時に作られた映画なら在日朝鮮人と日本人が互いを理解し合い、融和を目指す新世代の物語だった(過去形)と評価できたかもしれない。しかし、本作制作時には日本人拉致が問題化し、帰還運動で北朝鮮に帰った人たちの悲惨な状況も明らかになっている。その問題を本作はまったく素通りしていて、お互い仲良くしましょうという似非love & peace を訴えている。
 民衆レベルでは政治は関係ないというのは理想論で、政治は否応なく民衆の上に影を落とす。本作にはそれを前提とする発想がなく、単なる青春ノスタルジー映画。逆に朝鮮総連に利用されただけの政治映画になってしまった。流行りの言葉でいえば、本作は自虐史観。
 監督の井筒和幸は京都に近い奈良県出身。劇中に登場する失神グループサウンズのオックスは京都からデビュー。挿入歌・エンディングのフォーククルセイダーズも京都の出身と井筒の青春時代の回想。
 劇中「イムジン河」について、北朝鮮の歌だからと政治的に放送中止させようとするシーンがあるが、誤解を生む。当時、フォーククルセイダーズはこの歌を作者不詳の曲と勘違いして、訳・補作曲して歌ったが、その後、北朝鮮に作詞者も作曲者もいることがわかって、原曲通り歌うことを求められた。祖国統一を願う歌だが、原詩はさらに政治的で、そのような著作権上のトラブルのためにフォーククルセイダーズは歌わなくなった。
 この曲の劇中での扱い方・説明からもこの映画は偏向しているが、それをないものとすれば作品としては良くできている。
 朝鮮学校の少女を演じる沢尻エリカが太っていて、まだ垢抜けてなくて可愛い。宮崎あおいの別れた亭主・高岡蒼佑、オダギリジョー、真木よう子、余貴美子らも出ている。 (評価:2.5)

製作:「誰も知らない」製作委員会(テレビマンユニオン、バンダイビジュアル、エンジンフイルム、シィースタイル、シネカノン)
公開:2004年08月07日
監督:是枝裕和 脚本:是枝裕和 撮影:山崎裕 音楽:ゴンチチ 美術:磯見俊裕、三ツ松けいこ
キネマ旬報:1位
ブルーリボン作品賞

やんちゃな弟が土壺のように暗いこの映画の唯一の救い
 1988年の巣鴨子供置き去り事件がモデル。
 全体はドキュメンタリー風に演出され、とりわけ母親が育児放棄するまでの前半部は良くできている。母親と子供の会話もアドリブではないかと思うくらいに自然で、録音も不明瞭な台詞をそのまま拾っている。カンヌ国際映画祭では長男役の柳楽優弥が最優秀主演男優賞を受賞しているが、長女・北浦愛ら弟妹の子役も良く、とりわけ木村飛影のやんちゃな弟ぶりがいい。キャスティングが良かったということになるが、暗い物語の中で彼の明るさが唯一の救いとなっている。
 子供たちと絡む母親役のYOUの演技も自然で、育児放棄する無責任な母親にリアリティを感じさせている。
 ただ残念なのは、物語後半がドラマ的になってリアリティが失われてしまったこと。実話を基にすれば中盤からは母親不在で子供たちの生活を描くだけの退屈な映画になることは自明で、脚本的なドラマを必要としたことは理解できる。しかし野球シーンなどの無理なエピソードが挿入され、映画的センチメンタリズムに陥って、何を描こうとしたのかがわからなくなった。タイトル通りならば、社会のエアポケットと無関心の告発なのだろうが・・・
 育児放棄や児童虐待が日常茶飯となって、この映画の意義と先見性は評価できるが、いかんせん暗く、この作品には救いがない。救いがないことを救済する救いがない。
(評価:2.5)

丹下左膳 百万両の壺

製作:「丹下左膳・百万両の壺」製作委員会
公開:2004年07月17日
監督:津田豊滋 脚本:江戸木純 撮影:津田豊滋 音楽:大谷幸

間違ってリメイク版を借りてしまったけれど・・・
 山中貞雄の丹下左膳だと思って間違って借りた。つまり、1935年『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』のリメイク版。がっかりして見始めたが、それなりに出来ていて、最後はちょっと、うるうるする。元のシナリオ(三村伸太郎)がよく出来ているということだが、お藤役・和久井映見もいい。棒の演技しかできない女優だと思っていたが、意外と上手いのか、それとも棒の演技が役にはまっただけか。
 豊川悦司の左膳はやっぱり軽い。「姓は丹下、名は左膳」の決め台詞が決まらない。大河内傳次郎を知る世代には物足りないが、知らない世代には現代的な左膳もそれなりか。演出と美術はTVスペシャルのクオリティだが、オリジナルに敬意を表して評点はちょっとオマケ。 (評価:2.5)

マインド・ゲーム

製作:レントラックジャパン、アスミック・エース エンタテイメント、Beyond C.
公開:2004年8月7日
監督:湯浅政明 脚本:湯浅政明 作画監督:末吉裕一郎 美術:ひしやまとおる 音楽:山本精一

幻想的ではあるが難解というか訳がわからない
 ロビン西の同名漫画が原作。
 湯浅政明の長編初監督作品で、CGアニメーションを主体に実写や写真を合成して、アニメーションのさまざまな表現手法を試みている意欲的な実験作。
 アニメーションの分解・再構築は映像表現だけにとどまらず、物語性やシナリオにまで及んでいて、進行中の物語の時間軸の中に、各登場人物の生い立ちから現在に至る過去のエピソードが無秩序にフラッシュバックされるために、映像同様にストーリーもコラージュされていて、幻想的ではあるが難解というか訳がわからない。
 映像とは違ってこれらのコラージュは混乱を招き、しかも進行中の物語そのものが現実を離れて思弁的なので、目の前で繚乱する映像はともかく、物語としてはいささか退屈する。
 全体の物語は、漫画家志望の西が、電車に駆け込んできて足にケガをする元ガールフレンドのみょんと再会。手当てをした後にみょんの姉が経営する焼き鳥屋に行くが、みょんの父に恋人を寝取られた危ないヤクザが因縁をつけに来て、みょんが襲われた拍子に西が銃殺されてしまう。
 天国に行った西は神様を騙して生き返り、そこから因果が崩れて西とみょんが逃走、ヤクザに追われて海に落ちた先は老人が暮らすクジラの腹の中。そこで安楽を得るが現実世界に戻る決心をして外の世界に戻るというもの。
 西は人生の厳しさから逃げてばかりいる人間で、一度死んでリセットすることにより、人生に立ち向かうことの大切さに気付く。人生は意思によって変えられるのであり、元の世界に戻ってきた西は、電車に駆け込んできてケガをしないみょんと再会し、前とは違った新しい物語を始めるというラストになっている。
 途中、西の部屋の様子が映し出され、この物語そのものが西の空想の世界=マインド・ゲームだと暗示している。 (評価:2)

ゴジラ FINAL WARS

製作:東宝映画
公開:2004年12月04日
監督:北村龍平 製作:富山省吾 脚本:三村渉、桐山勲 撮影:古谷巧 音楽:キース・エマーソン、森野宣彦、矢野大介 美術:瀬下幸治

田中・本多・円谷も墓場から飛び出すゴジラ有終の美
 ​​​​​​​​​​​​​ゴ​​​​​​​​​​​​​​​ジ​​​​​​​​​​​​​​​ラ​​​​​​​​​​​​​​​第​​​2​8​作​​​​​​​​​​​​​​​、​​​​​​​​​​​​​​​第​​​3​​​期​​​​​​​​​​​​​​​ゴ​​​​​​​​​​​​​​​ジ​​​​​​​​​​​​​​​ラ​​​​​​​​​​​​​​​第​6​​​作​​​​​​​​​​​​​​​。​現​在​の​と​こ​ろ​、​一​応​日​本​製​ゴ​ジ​ラ​の​最​終​作​。
​ ​フ​ァ​イ​ナ​ル​に​相​応​し​く​、​東​宝​怪​獣​オ​ー​ル​ス​タ​ー​出​演​。​新​怪​獣​モ​ン​ス​タ​ー​X​と​成​長​型​の​カ​イ​ザ​ー​ギ​ド​ラ​も​登​場​。​主​演​の​松​岡​昌​宏​・​菊​川​怜​の​ほ​か​に​、​宝​田​明​・​國​村​隼​・​伊​武​雅​刀​・​泉​谷​し​げ​る​・​北​村​一​輝​・​水​野​真​紀​・​中​尾​彬​・​佐​野​史​郎​等​々​出​演​者​も​新​旧​織​り​交​ぜ​て​多​彩​。​海​外​ロ​ケ​や​ミ​ニ​チ​ュ​ア​セ​ッ​ト​も​国​際​色​豊​か​で​C​G​も​バ​リ​バ​リ​だ​が​、​そ​の​分​、​エ​ピ​ソ​ー​ド​が​広​が​り​過​ぎ​て​い​て​作​品​的​に​は​散​漫​な​印​象​。
​ ​世​界​各​地​で​怪​獣​が​暴​れ​出​し​、​日​本​の​ミ​ュ​ー​タ​ン​ト​M​機​関​も​苦​戦​。​そ​こ​に​現​れ​た​U​F​O​と​X​星​人​が​地​球​の​危​機​を​救​う​が​、​当​然​の​こ​と​な​が​ら​本​心​は​地​球​侵​略​。​こ​こ​か​ら​は​、​怪​獣​そ​っ​ち​の​け​で​、​戦​隊​物​+​エ​ス​パ​ー​物​+​未​知​と​の​遭​遇​+​ス​タ​ー​ト​レ​ッ​ク​と​い​っ​た​S​F​ア​ク​シ​ョ​ン​映​画​に​な​る​。​X​星​人​の​陰​謀​を​暴​き​、​南​極​に​封​印​し​た​ゴ​ジ​ラ​を​救​世​主​と​し​て​呼​ぶ​段​に​な​っ​て​よ​う​や​く​怪​獣​映​画​に​立​ち​戻​り​、​宇​宙​か​ら​の​モ​ン​ス​タ​ー​X​ら​と​の​怪​獣​対​決​と​な​る​。
​ ​音​楽​も​軽​快​な​ア​メ​リ​カ​ン​・​ヒ​ー​ロ​ー​ド​ラ​マ​で​、​外​国​人​の​出​演​者​が​多​い​こ​と​も​あ​っ​て​吹​き​替​え​は​洋​画​風​。
​ ​こ​う​な​る​と​、​ま​っ​た​く​新​し​い​ゴ​ジ​ラ​映​画​で​、​有​終​の​美​を​飾​る​に​相​応​し​い​ゴ​ジ​ラ​映​画​で​あ​っ​て​、​実​際​に​は​ゴ​ジ​ラ​映​画​で​は​な​い​、​ミ​ニ​ラ​も​真​っ​青​の​n​e​w​b​o​r​n​。​田​中​友​幸​、​本​多​猪​四​郎​、​円​谷​英​二​へ​の​献​辞​が​捧​げ​ら​れ​て​い​る​が​、​三​人​と​も​き​っ​と​び​っ​く​り​し​て​墓​場​か​ら​飛​び​出​し​た​こ​と​だ​ろ​う​。
​ ​見​ど​こ​ろ​は​怪​獣​総​出​演​と​、​菊​川​怜​が​ミ​ニ​ス​カ​ー​ト​で​パ​ン​ツ​が​見​え​そ​う​な​く​ら​い​に​ア​ク​シ​ョ​ン​し​て​い​る​こ​と​。 (評価:2)

髑髏城の七人~アカドクロ

製作:劇団☆新感線、ヴィレッヂ
公開:2004年9月18日
監督:梶研吾 演出:いのうえひでのり 作:中島かずき 撮影:百束尚浩 美術:堀尾幸男 音楽:岡崎司

水野美紀の美剣士ぶりが見どころだが全体に小粒
 劇団☆新感線の舞台『髑髏城の七人~アカドクロ』のライブ映像で、一部映画用に編集。
 本能寺の変後、豊臣の支配が届いていない関東が舞台だが、北条も上杉も登場せず、天魔王というダースベイダーもどきが率いる関東髑髏党が支配しているという設定で、歴史は単なる借り物。かといって『五右衛門』のような有名キャラクターが登場するわけでもないので、荒唐無稽な作り話にどこまで耐えられるかが、本作を見る鍵になる。
 ストーリーにもならない中身のない台詞が延々と続き、日本の演劇にありがちな内輪受けのお約束事ジョークのオンパレードで、見ているというよりも舞台を眺めている感が強い。
 髑髏党と戦う主人公と天魔王との2役をこなす古田新太の演技も単調で、色街の主人・水野美紀の美剣士ぶりが見どころとなるくらい。髑髏城の地図を持つ娘・佐藤仁美、花魁の坂井真紀がまずまずだが、如何せん舞台全体を引っ張れるだけの俳優がいないのが何とも痛く、物語そのものに魅力があるわけでもないので、人数の派手さとは裏腹に小粒感は否めない。 (評価:2)

製作:「透光の樹」製作委員会
公開:2004年10月30日
監督:根岸吉太郎 製作:朝野勇次郎 脚本:田中陽造 撮影:川上皓市 美術:小川富美夫 音楽:日野皓正
キネマ旬報:10位

秋吉久美子は熟女よりも可愛いお婆ちゃんの方が合っている
 高樹のぶ子の同名小説が原作。
 女性作家独特の純文的世界観と、その世界観の中でしか吐かれない純文的台詞が繰り広げられる物語なので、それらがとりわけ苦手な人は覚悟して見る必要がある。
 主人公はドキュメンタリー映画のプロダクション社長で、会社は赤坂。連日、クラブ通いの女たらしという類型的なギョウーカイ人。25年前に取材した金沢の職人の家を訪れるとヨイヨイで、当寺高校生だった娘が出戻って生活に困っていたので、大金を渡して体を買うという、これまた恥ずかしいくらいに通俗的な設定。
 女を演じるのが秋吉久美子なので、当然魔性の女で永島敏行演じる男を虜にし、別れた夫(平田満)も未練が断てない。もっとも、秋吉が魔性の女たりえていたのは若かった頃で、50歳のオバンともなると、童顔ではあっても色気も演技力もないために、ミイラになった魔性の女という感じで、どちらかというとお岩さんの方が合う。
 説得力のない配役ながら、それでも年下の永島を相手にオッパイもヘアも見せて濡れ場を頑張っている。秋吉は『十六歳の戦争』(1973)で10代の時に垂れたオッパイを見せているが、ヌードはそれほど魅力的ではない。そんな雑念の中で、『サード』(1978)から余り進歩のない永島との不器用な絡みを何度も見せられるものの、ハラハラしてしまって二人の愛欲に没頭できない。
 似たようなテーマなら金子光晴の愛人関係を描いた東陽一監督の『ラブレター』(1981)があって、落ち着いて愛欲について考えられたのにと、これまた雑念が入り込む。
 永島が途中で病で死ぬことになって、二人の愛欲は美しく燃えるが、永島は妻(戸田恵子)はともかく遺される息子のことが全く念頭になく、秋吉も中学生の娘がいるのに後追い自殺を図ろうとして、おいおい、それはねーだろう。その時、永島が死の直前にやってきて秋吉に会いもせずに二人の思い出の透光の杉の樹に残したサインを見つけ、永島の声の空耳とともに自殺を思いとどまるという、ハーレクインロマンスのような展開。
 さらに16年後に飛んで、秋吉がボケ老女となり、娘があんたの不倫ぐらい知ってたわよという台詞でエンドとなるが、秋吉は熟女よりも老け役の方が合っていて、八千草薫のような可愛いお婆ちゃんぶりがいい。 (評価:2)

製作:「チルソクの夏」製作委員会(プルミエ・インターナショナル、プレノンアッシュ、ジャパンホームビデオ、衛星劇場、マックス・エー、コード、山口放送)
公開:2004年4月17日
監督:佐々部清 脚本:佐々部清 撮影:坂江正明 美術:若松孝市 音楽:加羽沢美濃
キネマ旬報:9位

日韓友好親善「青年の主張」全国大会みたいな映画
 「青年の主張」全国大会みたいな映画で、文部科学省選定、青少年映画審議会推薦のお墨付きを得た。民族差別や民族対立をなくしましょう、という日韓友好親善のメッセージがわかりやすく、誰でも「そうですね」と同意するしかないが、差別や対立の根を見つめることなく、年に1回しか会えない牽牛織女は可哀想だから、いつでも会えるように、あるいは家の争いに引き離されたロミオとジュリエットの不幸が起きないように、という情緒だけでは単なる「青年の主張」に終わってしまう。
 チルソクは韓国語で七夕のことで、下関の女子高生と釜山の男子高校生がスポーツ交流を通じて恋仲になるという物語。大会が行われるのが7月7日で、天の川ならぬ対馬海峡を挟んで、1年後の七夕の再会を約すという少女漫画。
 最初の出会いは宿舎のテラスと樹上でロミオとジュリエットを再現し、モンタギュー家が韓国、キャピュレット家が日本とわかりやすい。
 しかし、何で二人が好き合うようになったのか、演技力のせいか唐突で、あれよあれよと訳がわからないままにキスしてしまう。まあそれも、テーマと牽牛織女、ロミオとジュリエットになればそれでいいという制作側の力技なのか。
 これだけじゃ話にならないので、女子高生の仲良し4人組を登場させて、上野樹里の処女喪失・妊娠騒動というキャピキャピ女子高生の青春ドラマに仕立てるが、なんだか映画そのものが舞台となる70年代の青春ドラマみたいで黴臭い。
   テーマ曲となる「なごり雪」のイルカが先生役でゲスト出演。女子高生のお父さんを演じる山本譲二が流しの歌手という設定も笑える。 (評価:2)

製作:オフィス・シロウズ、衛星劇場、バンダイビジュアル
公開:2005年3月12日
監督:塩田明彦 製作:佐々木史朗、中川滋弘、川城和実 脚本:塩田明彦 撮影:山崎裕 美術:林千奈 音楽:大友良英
キネマ旬報:7位

『銀色の道』が戦後の労働歌のようでダサい
 オウム真理教をモチーフにした作品で、母妹とともにサティアンで生活した12歳の少年が、教団解散後に児童相談所を脱走し、祖父と暮らす妹に逢いに行く物語。母は教団幹部で指名手配中になっている。
 児童相談所脱走後、同じく家庭に恵まれず援交で小遣い稼ぎをしていた少女の窮地を救ったことから、二人で関西から東京への無銭旅行となり、回想を入れながら、その道程でレズのカップルなどに出合うという構成。
 オウム真理教事件がクライマックスを迎え、解散したのが1995年で、10年経って制作した本作の最大のテーマは、「何を今さら」にある。
 オウムに入信した人々の心の闇を描くでもなく、オウムを生んだ社会を描くでもなく、10年経って変化した社会を描くでもない。
 2時間眠い目を擦りながら退屈でステレオタイプな再現映像を見せられて、最後に語られるのは、「自分を大切にして、一人ひとり頑張って生きて行こう!」では、何でオウムという特殊な設定が必要だったのか理解に苦しむ。
 キャストも地味な上に物語にドラマ性がなく、シナリオも台詞も練れてなくて、ときどき?というシーンがある。主演の少年少女の石田法嗣と谷村美月が頑張っているくらいが見どころで、テーマを表現する『銀色の道』の歌も戦後の労働歌のようでダサい。
 教団名のニルヴァーナは、サンスクリット語で涅槃の意。 (評価:2)

製作:シマフィルム、ビーワイルド、衛星劇場
公開:2004年11月13日
監督:森崎東 製作:若杉正明 脚本:近藤昭二、森崎東 撮影:浜田毅 美術:磯見俊裕 音楽:宇崎竜童、太田恵資、吉見征樹
キネマ旬報:8位

関西電力の協力クレジットまで入る上っ面だけの社会派感覚
 コメディを期待したものの森崎東も77歳となり、古典的ギャグは滑りっぱなし。冒頭の知的障害児の前で主人公(肘井美佳)がズッコケるシーンがいきなり寒い。その後も時々似たようなズッコケがあるが、ギャグになってなく、いっそシリアスにした方が良かった。
 こうした中途半端さが全編に溢れていて、全体は検察エリートと暴力団との癒着を暴くという社会派ドラマだが、これに活躍するのが在日朝鮮人を母に持つ養護学校の障害児という設定。
 軍都となった舞鶴が舞台で、在日朝鮮人の引揚船・浮島丸の沈没事故や朝鮮人差別にも触れられる。一方、弥勒菩薩は姿を隠して現世に出現し、それが無垢の心を持つ知的障害児だという話もテーマ的に語られて、これが人間は皆同じ、ニワトリはハダシだというタイトルに結び付く。
 しかし、在日朝鮮人問題にそれ以上の突っ込みはなく、知的障害児についても知恵が足りないから警察が犯人に仕立て上げるという何十年か前の狭山事件の発想で、「権力は悪」というテーゼだけで物語が作られているので、どのテーマをとっても浅薄で、単なる道具立てに利用しているだけにしか見えない。
 結局、物語の結末は「権力は悪」という安物のテレビドラマに終わっていて、主人公の父親の検事(石橋蓮司)が、娘に説教されて正義に目覚め、上司(岸部一徳)を内部告発するというこれまた定番。
 知的障害児を演じる子役も上手くなく、ただふざけているだけにしか見えないし、原発も登場しながら、福島原発事故前ということもあって、原発問題には触れるどころか関西電力の協力クレジットまで入るという意識の低さに、各テーマに対する制作者の上っ面だけの社会派感覚が滲む。
 障害児の両親に原田芳雄、倍賞美津子。主人公の母に余貴美子。ほかに加瀬亮、李麗仙、塩見三省と出演陣が勿体ない。 (評価:1.5)