海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──2002年

製作:松竹、日本テレビ放送網、住友商事、博報堂、日本出版販売、衛星劇場
公開:2002年11月2日
監督:山田洋次 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:長沼六男 美術:出川三男、西岡善信 音楽:冨田勲
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

台詞を話さない岸恵子のナレーションが泣かせる
​ 藤沢周平の短編小説『たそがれ清兵衛』『祝い人助八』『竹光始末』が原作。
 清兵衛(真田広之)の設定は『たそがれ清兵衛』、朋江(宮沢りえ)のエピソードと上意討ちは『祝い人助八』、善右衛門(田中泯)との戦いは『竹光始末』が基になっているが、原作は換骨奪胎され、良くまとまった出来のいいシナリオになっている。
 それぞれの見せ場と感動話は原作に依るが、とりわけ清兵衛のキャラクター作りに成功していて、出世や名誉、通俗な生活よりも、つつましくとも家族との幸せな生活を望むという、山田洋次らしい人生観を描く。
 この朴訥としたキャラクターを真田広之が好演し、かつ殺陣のシーンではアクション俳優の面目躍如で、キレのいい動きを見せてくれる。
 五十石の下級武士・清兵衛は暮らし向きにも苦労している上、病死した妻の薬代のために大刀を売り払っている。同輩(吹越満)の出戻りの妹・朋江とは幼馴染で相思相愛の中だが、苦労させまいと縁談を断る。
 時は幕末、藩政改革を巡る内紛で上意討ちを命じられた清兵衛は死を覚悟して朋江に恋心を打ち明けるが、すでに朋江は他の縁談を受け容れていた。
 上意討ちを果たすことのできた清兵衛を朋江は待っていて結婚するものの、戊辰戦争で戦死。維新となり養女二人を育てた朋江は天寿を全うして清兵衛の墓に入る。
 冒頭より清兵衛の次女・以登の回顧談として語られる構成になっていて、ナレーションが岸恵子の声なので、明治以降に振り返っていることがすぐにわかる。
 上意討ち以後の話はナレーションで語られ、両親を墓参りする以登(岸恵子)のシーンで終わる。父の人生は短かったが幸せだったという語りが泣かせる、山田洋次らしい好編。 (評価:3.5)

製作:シネカノン、衛生劇場、デジタルサイトコリア、毎日放送
公開:2002年5月3日
監督:阪本順治 脚本:荒井晴彦 撮影:笠松則通 美術:原田満生 音楽:布袋寅泰
キネマ旬報:3位

1973年というポイントに立って過去と未来を見つめる
​ 1973年の金大中事件を題材にした、中薗英助のノンフィクション小説『拉致-知られざる金大中事件』が原作。  金大中事件の真相をドラマ化した作品だが、歴史の中で忘れ去られつつあり、黴の臭いさえ漂う。
 もっとも阪本順治は、その黴の臭いを忠実に再現していて、日本と韓国、在日朝鮮人、自衛隊の1973年という現代史と社会情況の一コマを切り取ることに成功している。
 映画は市ヶ谷での三島由紀夫の自殺に始まり、憲法上日陰の身に置かれた自衛隊員の屈折した思いと、朴正熙軍事独裁政権と日本政府・自衛隊の歪んだ関係性を背景に、北朝鮮との融和を目指す金大中をKCIA(韓国中央情報部)が拉致するのを公安・自衛隊情報部が黙認するというドラマになっている。
 ストーリーそのものは各種状況証拠により当時から推測されていて、日本の主権を侵害した朴政権に対し、マスコミと国民は真相究明と原状回復を求めたが、朴政権を支持する日本政府が曖昧決着を図った結果、うやむやにされた。
 そうした推測の過程を本作は描いていくが、むしろ日本に植民地化された韓国人にとっては日本の主権を無視しても当たり前という造反有理の考えが色濃く描かれていて、現在の反日感情に繋がる韓国人の思考様式が窺える。  一方で、70年代という時代性を反映して、差別を非とする若者と是とする日本社会の実相も、金大中のボディガードを務める若者(筒井道隆)のエピソードとして挿入される。
 民主国家であるはずの日本政府が韓国に対して毅然とした態度を採れなかった一因は、併合時代の韓国に対する負い目もあって、竹島同様に歪んだ日韓関係として今に繋がる情況を本作で再確認できる。
 三島の蜂起が失敗した自衛隊は、今では日陰の身ではなくなったが、こうした時代、自衛隊員の屈折した思いを改めて思い出すと、日向に出たことが本当に良かったのか、改めて考えさせられる。
 そうした点で、1973年というポイントに立って過去と未来を見つめるには、きわめて意味ある作品となっている。
 情報部の自衛隊員に佐藤浩市、香川照之、柄本明。他に原田芳雄、光石研、麿赤兒、江波杏子など。
 箱型スカイラインなど、当時の車も多数登場し、撮影も頑張っている。 (評価:3)

製作:「AIKI」製作委員会(日活、バップ、衛星劇場、広美、IMAGICA、レントラックジャパン、カプリースブリッジ)
公開:2002年11月30日
監督:手塚昌明 製作:富山省吾 脚本:三村渉 撮影:岸本正広 音楽:大島ミチル 美術:瀬下幸治
キネマ旬報:5位

かつて見た記憶のない感動的な性交シーン
​ デンマークの大東流合気柔術、車椅子の武道家がモデル。
 前半はバイク事故で脊髄損傷、半身不随となった青年(加藤晴彦)がやさぐれて行くまでで、健常者が障碍者となってスネ夫になっていく描き方が定型的で、やや不快。街の不良と揉め事を起こし、いたぶられるエピソードも、昔の少年漫画を見ている風。
 その青年がテキヤの親分(桑名正博)に助けられ仲間となっていくあたりから、物語は急激にヒューマンドラマとなっていくが、斜に構えた恋人(ともさかりえ)や真面目一徹の合気柔術の師匠(石橋凌)など、キャラクター造形がよくできていて、ヒューマンドラマによくある押しつけがましさがなくて爽やかに物語は進んでいく。
 アラブの王子の古武道各流派の御前試合では、格闘少年漫画に戻るが、それもエンタメの味付けと考えればかなり骨太なドラマとなっている。
 本作の最大の見どころは、生殖機能の低下した青年と恋人が騎乗位で初めて性交するシーンで、かつてこのように感動的な性交シーンを見た記憶がない。
 車椅子や武道のシーンを加藤晴彦が熱演するが、ともさかりえがいい演技をしている。石橋凌、桑名正博、火野正平もそれぞれに個性的なオヤジを演じている。 (評価:2.5)

製作:衛星劇場、ビーワイルド
公開:2002年12月7日
監督:崔洋一 製作:若杉正明 脚本:崔洋一、鄭義信、中村義洋 撮影:浜田毅 美術:磯見俊裕 音楽:佐々木次彦
キネマ旬報:2位

崔洋一のマジックに引っかかって甘い所を見せてはいけない
​ 花輪和一が銃刀法違反で服役した体験をもとにして描いた同名漫画が原作。
 ガンマニアだった花輪がサバイバル・ゲームをしているシーンから始まるが、ほかは獄中生活がすべてで入獄も出所のシーンもなく、主人公の花輪が服役に至った経緯は説明されない。
 もっとも同房にはほかにさまざまな罪状の4人の囚人がいるが、本作で描かれるのは囚人生活がすべてで、それぞれが犯した罪でも人間ドラマでもないので、花輪が服役した理由はむしろ不要なのかもしれない。
 映画はいくつかの章立てになっていて、刑務所内での囚人の日課と生活が描かれるが、これまで映画などに描かれた囚人生活の常識を覆すもので、それを知るだけでも意味のある作品となっている。
 囚人が食事を楽しみにしているのは理解できるところだが、作品に描かれる食事内容は意外といい。バカバカしいほどの規律重視の看守たちは戯画化されているが、悪ガキたちの集まった寮生活のようで、幼児化した囚人たちを見ていると、重大な罪を犯した犯罪者というよりは度を越した悪戯小僧のようにしか見えない。
 実際、罪を犯すかどうかの境目は、人間としての成熟度、規範意識の差でしかなく、花輪の銃刀法違反もちょっと一線を踏み外してしまった程度に思えてくる。しかし、重大犯罪の被害者や犯罪が引き起こす結果を想像すれば、「ちょっとガキ臭いだけで、本当はいい子なんです」と、崔洋一のマジックに引っかかって甘いところを見せてはいけない。
 花輪に山崎努、同房の婦女暴行犯に香川照之、殺人犯に田口トモロヲ、窃盗犯に松重豊、覚醒剤犯に村松利史。他に大杉漣、長江英和、窪塚洋介。 (評価:2.5)

製作:「阿弥陀堂だより」製作委員会 (アスミック・エース、日本出版販売、IMAGICA、テレビ東京、住友商事、博報堂、角川書店)
公開:2002年10月5日
監督:小泉堯史 脚本:小泉堯史 撮影:上田正治 美術:村木与四郎、酒井賢 音楽:加古隆
キネマ旬報:7位

日本の原風景の美しさと虚構性ゆえの虚しさ
 南木佳士の同名小説が原作。
 本作の見どころは2つで、一つはロケ地・長野県飯山市瑞穂の自然の美しさ、もう一つは91歳の北林谷栄の名演。
 棚田の広がる山裾の上に、阿弥陀堂のセットが組まれ、これを見上げるカットと阿弥陀堂から棚田を見おろす風景が素晴らしい。カメラは新日本紀行のように観音堂を中心とした四季を映し出し、そこに生きる人々の生活を描き出す。
 もっとも、この日本の美を体現した理想郷は、映画の中に再構築されたユートピアであって、我々の記憶の中の美化された古里でしかない。帰郷した小説家と妻の医者は、村人たちや子供たちと「美しい日本の私」を演じるが、なぜに子供たちを相手に保育士をしたり、今時の子供たちが「夕焼け小焼け」を歌って帰るシーンで、この日本の原風景が虚構であることを暗示しているのか、はたまた考えのないノスタルジーだけの演出なのか判断に迷う。
 ただ、描き出される追憶の中の日本の原風景の虚構性の描写には素晴らしいものがあり、トリミングされた四季の美しさは、なぜか心に安らぎを与える。
 しかし、同時に虚構性ゆえの虚しさも感じられて、妻の精神病を癒すための帰郷、恩師の終末治療、村の娘の闘病のエピソードの中の生と死のテーマも、建前ばかりでどこか白々しく感じられてしまう。
 夫婦を演じる寺尾聰と樋口可南子、恩師夫妻の田村高廣と香川京子の俳優も決して悪くはなく、小西真奈美も可憐な良い娘で、吉岡秀隆も好青年医師なのだが、善人しか登場しない話ほどリアリティが乏しいファンタジーはない。
 中心となる阿彌陀堂に住むのが91歳の老婆・北林谷栄で、「目の前のことばかり追いかけていたら長生きした」「質素な物ばかり食べてきたから長生きができたのだとしたら、貧乏はありがたいこと」と数々の名言を吐く。座布団を放り出したり掃除をしたり、会話の所作、一挙手一投足に北林の円熟した演技が堪能できる。 (評価:2.5)

製作:「OUT」製作委員会(ムービーテレビジョン、テレビ東京メディアネット、衛星劇場、毎日放送、エムズ・シンジケーション)
公開:2002年10月29日
監督:平山秀幸 製作:古澤利夫、木村典代 脚本:鄭義信 撮影:柴崎幸三 美術:中澤克巳 音楽:安川午朗
キネマ旬報:4位

ほろ苦さをオブラートに包んだような中途半端な作品
 桐野夏生の同名小説が原作。
 弁当工場のパート主婦4人の物語で、一番若い妊娠中の主婦(西田尚美)がDV夫を殺害したことから、死体処理を残りの3人が手伝い、それを知った町金の男(香川照之)が死体処理の仕事を斡旋。DV夫殺害容疑をかけられたカジノ経営者(間寛平)が復讐するのを主婦の一人(倍賞美津子)が殺して自首したことから、残りの3人が北海道に逃亡するというもの。
 主人公のしっかり者の主婦を原田美枝子、カードローン地獄に嵌る主婦を室井滋が演じる。
 本作をブラック・コメディと捉えるのか、社会派シリアスと捉えるのか迷うところだが、前者だと考えないと原田・倍賞・室井の3人が何故に死体処理を手伝わなければならなかったのか、皆目わからない上に不自然。事件の取っ掛かりで物語は破綻していて、その後の展開は4人の演技力で破綻したストーリーを補うしかない。
 それからすると、ちょっと頭の足りない主婦を演じる室井の演技力が抜群で、この女ならこんな理不尽なことに付き合うかもしれないと思わせる。主犯の西田は善悪を超越したアッパラパー現代女をそれなりに演じ、介護老人を抱えた倍賞も金のためならという雰囲気を熱演しているが、原田だけがどうにも浮いている。
 倍賞が知床に行ってオーロラを見るのが小さな夢と語るのに対し、原田は破綻したマイホームを維持する以外に夢を持たないことに気付き、倍賞に代わって知床に行くというのが本作のテーマで、家族との生活のためにパートで働き、夢を忘れた主婦たちに、現状をOUTしようと呼びかける。
 いやいや倍賞の母を介護する愛情にこそ真のオーロラを見ることができるという結論ではもちろんなく、オーロラを蜃気楼のように知床からアラスカへと追い求める主婦たちの虚しさを、これまたブラック・ユーモアだと断じる作品にもなってなく、ほろ苦さをオブラートに包んだような中途半端な作品に終わっている。 (評価:2.5)

製作:バップ、衛星劇場、ジャパンホームビデオ、博報堂、日本出版販売、ワコー、オフィス・シロウズ
公開:2002年7月6日
監督:平山秀幸 製作:岡本東郎、石川富康、升水惟雄、飯田隆、鎌谷照夫、多井久晃 脚本:成島出 撮影:柴崎幸三 美術:中澤克巳
キネマ旬報:6位

人物が薄いシニカルなだけの俗物図鑑のコメディ
 藤田宜永の小説『虜』が原作。
 銀行の金を着服した元支店長(長塚京三)が、妻(大塚寧々)の住む別荘に逃げ込み、納戸に匿ってもらう話で、妻の恋人(國村隼)を始め、妻の母(雪村いづみ)、その婚約者(ミッキー・カーチス)、兄夫婦(きたろう、金久美子)、夫の元愛人(南果歩)、刑事(三田村周三)らが次々と訪れる。夫は納戸の節穴から居間で繰り広げられる欲望の人間模様を眺め、ついでに妻の情事も眺め、最後には全員の前に姿を現し、失踪宣言をして立ち去る。
 物語は妻の亡父の三回忌法要から始まり、欲と打算の渦巻く近親者たちの駆け引きが描かれていくが、その中で一人超然としている妻が、何を考えているのか全くわからない不思議ちゃん。
 もっとも、妻のキャラクターが見えてこない分、何を描きたかったのか不明で、みんながアタフタするのを眺めて悦に入っているだけの、達観というよりは中身のない女に見えてしまうのも事実。人物がどれも記号的で薄く、シニカルなだけの俗物図鑑のコメディでしかない。 (評価:2.5)

模倣犯

製作:「模倣犯」製作委員会
公開:2002年6月8日
監督:森田芳光 製作:島谷能成、亀井修、大塚康高、棚次隆 脚本:森田芳光 撮影:北信康 美術:桜井佳代 音楽:大島ミチル

終盤ピースが爆死するシーンに森田芳光自身を重ねた?
 宮部みゆきの同名小説が原作。
 女性連続殺人事件を被害者側からの視点で描く前半と、後半は犯人側の視点から描く2部構成の犯罪映画。
 肉親の愛なく育った犯人の悲劇というのが表向きのテーマだが、裏の主題となっているのは、有名人になれない凡人の有名人になりたい願望で、被害者の一人の豆腐屋(山崎努)の娘(伊東美咲)は、おそらく自死を望んでいて、猟奇殺人の被害者になれば有名人になれるという誘いに乗る。これは主犯のピース(中居正広)の被害者に対する理屈で、同様、ピース自身も劇場型猟奇殺人の加害者になることで自らの有名人願望を果たす。
 これに対峙するのが豆腐屋で、毎日豆腐を作っていても同じ一日はないというのが信念で、平凡な人生にも生き甲斐があると犯人を諭す。名優・山崎努の味わいのある演技がすべての作品で、それがなければ平凡なテーマの凡庸なサスペンスに終わっていた。
 森田芳光らしくSNSのコメントや、殺人のネット実況、短いモンタージュを駆使した映像で見せていくが、サスペンス映画としてはストーリーの連続性を損なっていて、煩雑さと併せてあまり成功していない。
 ピースの共犯となるのが中学で同級生だったヒロミ(津田寛治)。同じく同級生だったカズ(藤井隆)が二人の犯罪に気づき、ヒロミに自首させようとするが、それを察したピースによって連続殺人の犯人に仕立てられた上、事故死させられてしまう。
 ピースは自らを誇示するために真犯人は別にいるとテレビに登場するが、そのコメントがもっともらしいようで噴飯なのがいただけない。
 製作委員会の日テレ・アナウンサーが多数登場。爆笑問題も出演するが、話題作りに終わっていてシーンとしては浮いている。
 興行成績の振るわない森田が、出資者の注文を聞いているうちに闇鍋になってしまった感のある作品で、終盤ピースが爆死するシーンに自らを重ねたのかもしれない。 (評価:2)

ゴジラ×メカゴジラ

製作:東宝映画
公開:2002年12月14日
監督:手塚昌明 製作:富山省吾 脚本:三村渉 撮影:岸本正広 音楽:大島ミチル 美術:瀬下幸治

見どころは制服姿もきりりとした釈由美子に尽きる
​ ​​​​​​​ゴ​​​​​​​​​​​​​​​ジ​​​​​​​​​​​​​​​ラ​​​​​​​​​​​​​​​第​​​2​6​​​作​​​​​​​​​​​​​​​、​​​​​​​​​​​​​​​第​​​3​​​期​​​​​​​​​​​​​​​ゴ​​​​​​​​​​​​​​​ジ​​​​​​​​​​​​​​​ラ​​​​​​​​​​​​​​​第​4​​​作​​​​​​​​​​​​​​​。​​​監​​​督​​​は​『​ゴ​ジ​ラ​×​メ​ガ​ギ​ラ​ス​ ​G​消​滅​作​戦​』​の​手​塚​昌​明​。
​『​ゴ​ジ​ラ​ ​モ​ス​ラ​ ​キ​ン​グ​ギ​ド​ラ​ ​大​怪​獣​総​攻​撃​』​同​様​に​、​ゴ​ジ​ラ​の​復​活​は​1​9​5​4​年​以​来​と​い​う​ゴ​ジ​ラ​の​歴​史​を​無​視​し​た​リ​セ​ッ​ト​も​の​で​、​2​作​続​け​て​リ​セ​ッ​ト​・​ゴ​ジ​ラ​を​製​作​す​る​プ​ロ​デ​ュ​ー​サ​ー​の​神​経​が​わ​か​ら​な​い​。
​『​と​っ​と​こ​ハ​ム​太​郎​』​と​併​映​の​正​月​映​画​で​、​か​つ​て​の​東​宝​チ​ャ​ン​ピ​オ​ン​ま​つ​り​の​精​神​に​立​ち​返​っ​て​、​準​主​役​の​女​児​が​登​場​す​る​。​主​役​は​メ​カ​ゴ​ジ​ラ​を​操​作​す​る​女​性​自​衛​官​(​釈​由​美​子​)​で​、​女​児​の​父​親​が​海​に​沈​ん​だ​5​4​年​ゴ​ジ​ラ​の​骨​の​D​N​A​か​ら​、​メ​カ​ゴ​ジ​ラ​の​D​N​A​コ​ン​ピ​ュ​ー​タ​を​開​発​す​る​研​究​者​(​宅​麻​伸​)​。
​ ​な​ぜ​か​1​5​年​前​に​ゴ​ジ​ラ​が​館​山​に​上​陸​し​て​悪​戯​し​て​去​り​、​ゴ​ジ​ラ​対​策​に​メ​カ​ゴ​ジ​ラ​を​開​発​す​る​と​D​N​A​に​呼​び​寄​せ​ら​れ​た​ゴ​ジ​ラ​が​再​来​す​る​。​メ​カ​ゴ​ジ​ラ​は​機​龍​と​名​付​け​ら​れ​、​ゴ​ジ​ラ​と​は​二​回​対​戦​。​一​度​目​は​暴​走​し​て​ゴ​ジ​ラ​代​理​と​な​り​、​修​正​後​の​2​回​目​が​本​格​対​決​。​金​沢​八​景​・​品​川​の​ミ​ニ​チ​ュ​ア​セ​ッ​ト​を​破​壊​す​る​。
​ ​ロ​ボ​ッ​ト​も​の​と​し​て​の​ア​ニ​メ​に​習​っ​た​演​出​の​工​夫​は​あ​る​が​、​基​本​、​遠​隔​操​作​な​の​は​い​た​だ​け​な​い​。
​ ​さ​ら​に​い​え​ば​、​釈​は​親​兄​弟​が​な​く​世​の​中​の​つ​ま​は​じ​き​者​と​し​て​生​き​て​き​た​と​い​う​、​台​詞​だ​け​の​説​明​が​あ​り​、​女​児​は​母​親​を​亡​く​し​て​い​て​思​い​を​断​ち​切​れ​な​い​と​い​う​設​定​で​、​二​人​が​孤​独​を​断​ち​切​っ​て​そ​れ​ぞ​れ​の​生​き​方​に​つ​い​て​模​索​す​る​と​い​う​の​が​ド​ラ​マ​的​テ​ー​マ​に​な​っ​て​い​る​。​し​か​し​、​大​人​と​女​児​が​人​生​を​語​り​合​う​と​い​う​の​は​、​言​っ​て​い​る​内​容​も​意​味​不​明​な​上​に​、​『​ハ​ム​太​郎​』​を​見​に​来​た​子​供​た​ち​も​ポ​カ​~​ン​と​し​た​こ​と​が​目​に​浮​か​び​、​制​作​者​の​マ​ス​タ​ー​ベ​ー​シ​ョ​ン​に​終​わ​っ​て​い​て​不​要​。
​ ​見​ど​こ​ろ​は​制​服​姿​も​き​り​り​と​し​た​釈​由​美​子​に​尽​き​、​ミ​ニ​ス​カ​ー​ト​と​い​う​サ​ー​ビ​ス​も​あ​る​。
​ ​他​に​体​操​の​森​末​慎​二​、​女​性​首​相​に​水​野​久​美​、​次​の​首​相​に​中​尾​彬​。​特​別​出​演​は​巨​人​の​松​井​秀​喜​、​モ​ス​ラ​、​ガ​イ​ラ​。​2​怪​獣​は​過​去​に​東​京​を​襲​っ​て​い​た​と​い​う​話​。 (評価:2)

製作:​アスミック・エース、小学館、TBS、BS-i、日本出版販売、IMAGICA
公開:2002年07月20日
監督:曽利文彦 脚本:宮藤官九郎 撮影:佐光朗 美術:金勝浩一
キネマ旬報:9位

『スタンド・バイ・ミー』をスポ根コメディにすると?
 松本大洋の同名漫画が原作。舞台は神奈川県藤沢市。
 一言でいえば『スタンド・バイ・ミー』的な青春ノスタルジー。3人の卓球少年がいて、高校生に成長してインターハイを軸に物語が展開する。子供の頃から卓球の得意だったが星野は、今では天才型の月本、努力型の佐久間に負けてしまう。一念発起した星野が特訓を受け、他のライバルを含めインターハイに臨む。
 ラストシーンは、この大会の結果と5年後の星野と月本の姿で終わるが、唐突感は拭えない。  漫画が原作ということもあり、キャラクターが戯画化されていて、コメディタッチのシーンもふんだんだが、ギャグが滑っていて笑えない。ラストのノスタルジーに結び付けるには人物に深みがなく、スポ根コメディで『スタンド・バイ・ミー』をやろうとしたところに無理がある。  CGを使った卓球シーンはそれなりに楽しめるが、いかんせんドラマ性が希薄。コメディかドラマか中途半端な作品になっている。
 この手の青春ものの常連となった竹中直人が卓球部顧問役で出ているが、相変わらずのステレオタイプをワンパターンで演技していて、食傷というか、出てきた途端にうんざりする。夏木マリの卓球ババアも今ひとつ。中村獅童が若い。 (評価:2)

製作:グルーヴコーポレーション、現代映画社、ルートピクチャーズ、グルーヴキネマ東京
公開:2003年4月5日
監督:吉田喜重 製作:成澤章、綾部昌徳、高橋松男 脚本:吉田喜重 撮影:中堀正夫 美術:部谷京子 音楽:原田敬子
キネマ旬報:6位

70年代同様の観念的な映画作りで吉田喜重の健在ぶりを示す
 69歳の岡田茉莉子が主演で、若干体型は丸くなりながらも健在ぶりを示すが、夫の吉田喜重も久しぶりのメガホンながら70年代同様の観念的な映画作りで、その健在ぶりを示した作品。
 テーマは広島の原爆らしいのだが、原爆症の恐怖に慄く祖母・母・孫娘のよくわからないドラマで、産んですぐに記憶喪失となり失踪した母が24年ぶりに見つかったという話を軸に、不条理な話が展開する。
 この3世代を演じるのが岡田茉莉子、田中好子、一色紗英で、母の相談役に老人ホームに入居中の室田日出男。この室田が、田中のアパートを訪れるたびに、どこから拝借したのかわからない車を狭い道に駐車し、それじゃ通行妨害だろうというのが気になって仕方がない。
 そうしたリアリティを超越するのが吉田喜重で、岡田とTVプロデューサーの女性が横向きに並んで会話するなど、冒頭から芝居がかった不自然で説明的な台詞に、ああ、やっぱりこれは70年代の吉田作品なのだと懐かしくなる。
 現代音楽を劇伴に岡田が演技すると、これはホラー作品なのではないかと一瞬勘繰ってしてしまうが、失踪した田中が、原爆で失われた命の象徴なのか、彼女を我が子だと思う別の夫婦が現れたりして、やっぱり幽霊か何か超自然の存在なのかもしれないとホラー説に合点する。
 3人の、あるいは日本人の、アイデンティティの原点である広島を訪れて、ベンチに並んで座った祖母・母・孫娘が涙を流して抱き合うのも、きっと深い意味があるのだろうと考えているうちに睡魔も訪れて、一所懸命に作品意図を斟酌していた70年代が懐かしくなる。
 室田日出男はこれが遺作で、大部屋の頃のヤクザ映画のコワモテからずいぶんと味のある俳優になった。 (評価:2)

製作:パイオニアLDC、日活、オズ、ザナドゥー
公開:2003年1月25日
監督:清水崇 脚本:清水崇 撮影:喜久村徳章 美術:常盤俊春 音楽:佐藤史朗

相手構わず所構わず襲ってしまうのが幽霊として節操がない
 東映Vシネマのビデオ作品からの映画化。
 夫が妻・伽椰子(藤貴子)を惨殺して変死、息子は行方不明という呪われた家の物語で、その家に関与した者は伽椰子の怨霊に呪殺されるというJホラー。
 這いつくばって襲ってくる伽椰子はどこか『リング』(1998)の貞子に似ていて、ホラーハウスに関与した者が伝染病に罹ったように伽椰子の呪いで死んでしまうというのも『リング』の呪いのビデオによく似ている。
 もっとも貞子はビデオテープの映像として彼女の姿を見たものを殺すのに対して、伽椰子は家に来たというだけでその者を所構わず襲ってしまうというのが、日本の幽霊としては節操がない。
 さらに言えば、貞子は非業の死を遂げた彼女をきちんと弔って欲しかったのであり、そのことによって安息を得る。一方の伽椰子は相手構わず寄れば呪殺してしまう、離れれば何処までも追い駆けて霊界に連れ去るという、あの世のストーカー女というのが始末に負えない。
 呪いの家に引っ越してきた一家が呪殺されるのを皮切りに、ヘルパー、無関係の警備員、刑事、女子高生と手当たり次第に呪殺。ドラマもなければミステリーでもなく、ただただ怨霊が人を殺すというだけで、刹那的な怖がらせ演出がすべてのホラー。
 訳も分からず伽椰子が出てきて殺す、息子の俊雄も賑やかしに出てきて気味悪そうに脅す、というパターンも見ているうちにマンネリとなり、思わず欠伸が出る。主人公の女子大生ヘルパーに奥菜恵。 (評価:2)

製作:讀賣テレビ放送、バンダイビジュアル、舞夢プロ、イエス・ビジョンズ、オフィス・シロウズ
公開:2002年10月12日
監督:冨樫森 製作:岡俊太郎、川城和実、関原二郎、竹中功、佐々木史朗 脚本:山田耕大 撮影:上野彰吾 美術:三浦伸一 音楽:大友良英
キネマ旬報:7位

思春期の子供には見せたくない良識的大人が望む映画
 ひこ・田中の同名児童小説が原作。
 児童文学・映画にありがちな大人から見た偽善的な良識・健全さが鼻につく作品で、大人が観るならともかく、思春期の子供には見せたくない。
 精通のあった小学6年生の男の子が主人公で、授業中に勃起して射精するというシーンから始まる。入浴中にも射精するといういささか精力の強すぎる少年で、それをからかう母親が何ともいただけない。子供の性に対して開放的であるべきという良識が、このような開放的な母親を設定しているが、実際にこのような親や大人たちがいたら、成長期の子供の心理を理解しないセクハラ以外の何物でもない。
 学校での男女交際や性についての会話も、一見開放的に見えるが、大人の歪んだ良識が投影されている。子供たちは喧嘩したりするが、それも大人の考える健全さの範疇でしかなく、顔に墨を塗られて苛められている児童に対して、「やられたらやり返しなさい」と発言する女教師など、古い教育観以外の何物でもなく、これを子供が観たら嫌悪感しか抱けない。
 物語は、主人公の男の子が中学生の女の子を好きになって告白し、歳の差に拘る女の子の家庭問題を描きながら、年の差なんて関係ないさ、という性に目覚めた男の子の初恋ストーリーとなっている。性に目覚めたからすぐに男女交際というのも短絡的な発想で、ここにも健全な男女交際という良識的大人の欺瞞が表れているが、少女の家庭がこれまた離婚したダメ親父と保護者代わりの少女という、リアリティのないステレオタイプな設定。
 小学生の初恋物語では『小さな恋のメロディ』を想起させるが、本作には大人に対する反発も子供同士の友情も、とりわけ思春期の子供の心の揺れ動き、その幼さもなく、結局は良識的大人がイメージする、嘘くさい理想的な子供像でしかない。
 少年と少女を演じる子役の久野雅弘と櫻谷由貴花が頑張っている。 (評価:1.5)