海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1969年

製作:創造社、ATG
公開:1969年07月26日
監督:大島渚 製作:中島正幸、山口卓治 脚本:田村孟 撮影:吉岡康弘、仙元誠三 音楽:林光 美術:戸田重昌
キネマ旬報:3位

子供に生きることの悲しさを教えられる逸品
 実際にあった1966年の当たり屋の事件をモデルに描いた作品。当たり屋というのはわざと自動車にぶつかって示談金をせしめるもので、モータリゼーションの到来で交通戦争と呼ばれるようになった当時流行った。モデルの事件は子供を使った家族ぐるみの当たり屋で話題となった。高知からスタートして北海道までのロードムービーで、当時の日本の町の風景が記録されている点でも面白い。
 この映画は実話を基にしているだけに、救いようのない家族と少年の置かれた境遇が圧倒的なリアリティとともに迫ってくる。生計のために家族を犯罪に巻き込む父、まともな暮らしを願いながらも協力する母、継母に疎外感を抱きながらも家族の愛情を求める少年、そして唯一の遊び相手である父と継母との間の幼い弟。それぞれの立場、それぞれの思いが糸のように絡まり変化していく。
 単純に善悪で割り切れるものでもなく、生きることの悲しみを背負っている親と子。その悲しみが少年の目を通して語られるために、出口のない虚しさに覆われる。唯一無垢なのは幼い弟で、彼が偶然に引き起こす自動車事故によって一家の犯罪は終焉を迎える。
 少年が弟に語る正義の味方・宇宙人は、自動車事故による少女の死という残酷な啓示をもって少年の前に現れたと解釈できるかもしれない。
 少年を演じる阿部哲夫と弟の木下剛志がいい。この映画における主演男優賞・助演男優賞で、動物・子供ものに多いセンチメンタルな感動映画を超えた作品になっている。父親・渡辺文雄は良いが、母親役・小山明子の一本調子な演技が見劣りする。松江の芸者の歌と三味線も聴きどころ。 (評価:4)

製作:表現社、ATG
公開:1969年05月24日
監督:篠田正浩 製作:中島正幸、篠田正浩 脚本:富岡多恵子、武満徹、篠田正浩 撮影:成島東一郎 音楽:武満徹 美術:栗津潔
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞

プロが集ると、こういう映画になる
 近松門左衛門の人形浄瑠璃を映画化したもの。歌舞伎の世話物にもなっている。ATGと組んで製作されたために、かなり前衛的な作品に仕上がっている。浄瑠璃や歌舞伎を意識したシュールな美術、どんでん返しを生かした演出など、古典芸能の形式美を映画に取り込もうとした意欲作でもある。
 若き吉右衛門(2代目)と岩下志麻の演技が光る。とりわけ、治兵衛の妻・おさんと遊女・小春の二役をこなす岩下志麻の演技は見もの。しかし、この時28歳の岩下の小春役にはやはり無理がある。純愛に命を捧げる初心な娘を演じ分けてはいるが、野村芳太郎監督『鬼畜』で演じた鬼女の顔が覗いてしまう。道行き、とりわけ墓場での情交のシーンは、28歳の岩下の鬼気迫る演技となっている。
 音楽・武満徹、撮影・成島東一郎という職人技の映画。 (評価:4)

製作:日活
公開:1969年9月3日
監督:浦山桐郎 脚本:山内久 撮影:安藤庄平 美術:横尾嘉良、深民浩 音楽:黛敏郎
キネマ旬報:2位

野暮ったく冴えない市井の聖女を小林トシ江が好演
 遠藤周作の小説『わたしが・棄てた・女』が原作。
 1960年安保から10年。当時大学生として社会正義に燃えた吉岡(河原崎長一郎)も、今やサラリーマンとなり、出世のために社長の姪・マリ子(浅丘ルリ子)と結婚しようという変節ぶり。
 学生時代に文通で田舎娘のミツ(小林トシ江)を引っ掛けたのも性欲のために不純な動機で、そんな内面の葛藤で性格は暗い。
 ある日、偶然ミツと再会したことから…という物語で、原作ではミツが癩病と診断され御殿場の療養施設に入るのだが、本作では保谷の老人施設で働くことになる。
 ミツ以外、吉岡を始めその友人(江守徹)、同僚(小沢昭一)、マリ子とその親族、ミツの友人は、金や欲望、自己愛に生きる者たちで、本心を偽ったペルソナとして能面によって象徴される。
 対してミツは彼らの犠牲となりながらも、愛し慈しむ無垢な存在、マリアを象徴する聖女として描かれ、最後は賛美歌によって天国に送られる。
 この野暮ったく冴えないが純粋な市井の聖女を小林トシ江が好演していて、本作を佳作にしている。
 河原崎長一郎の演技がやや単調で、浅丘ルリ子が美人過ぎるために、出世と恋情のどちらに惹かれているかがわからないのが難。
 ラストシーンを含めてATG的なのも、今となれば余計だった。 (評価:3)

製作:ほるぷ映画
公開:1969年2月1日
監督:今井正 製作:今井正、内山義重 脚本:八木保太郎 撮影:中尾駿一郎 美術:川島泰造 音楽:間宮芳生
キネマ旬報:5位

心安らぐシーンのないのがいささか息苦しい
 住井すゑの同名小説が原作。
 明治末の奈良盆地の被差別部落を舞台に、明治維新によって階級制度がなくなったにも関わらず、地域や学校・職業・結婚で厳然と差別され続け、貧困に苦しむ部落の人々を描く。
 主人公の少年・孝二は、後に部落解放同盟の幹部となる木村京太郎がモデルで、優等生であるだけでなく、祖母(北林谷栄)、母(長山藍子)も良識のある人間で、とりわけ父が日露戦争で戦死していることから地主から特別に田圃の小作を認められているという、部落においては比較的恵まれた環境にある。
 これと対照的に描かれるのが後に失火で自殺してしまう友達の武の家で、父・藤作(伊藤雄之助)は差別に負けて飲んだくれの上に乱暴者、娘を平気で売ってしまうような部落においても落伍者として登場する。
 この二つの家庭を軸に、部落民が受ける様々な差別の様子が描かれていき、差別に無理解なだけでなく差別する側に回る学校、その中で部落民に心を寄せる女教師(寺田路恵)、クラスメートのまちえへの淡い恋心が描かれる。
 本作のクライマックスは、まちえに手を握られた孝二がそれを好意と受け取ったにも拘らず、部落民は蛇のように手が冷たいのを確かめるためだったと知るシーンで、良識ある人々の部落民への無意識の差別が象徴的に描かれる。
 本作は部落差別を描いた今井正の傑作で、心安らぐシーンのないのがいささか息苦しいのだが、それほどに差別は過酷だということを示したかったのかもしれない。
 ラストは水平社結成に向けた続編があることを示唆する終わり方。
 今井正の端正な演出力もさることながら、北林谷栄・伊藤雄之助の秀逸な演技に支えられている。 (評価:3)

製作:松竹
公開:1969年8月27日
監督:山田洋次 製作:上村力 脚本:山田洋次、森崎東 撮影:高羽哲夫 美術:梅田千代夫 音楽:山本直純
キネマ旬報:6位

基本設定のすべてがある寅さんシリーズの原点
 寅さんシリーズの映画の記念すべき第1作。前年10月から3月までフジテレビで同名ドラマシリーズが放映され、最終回で寅さんがハブに噛まれて死んだが、原案・脚本の山田洋次が松竹に企画を上げて映画化したもの。そのため映画には、原作・山田洋次がクレジットされている。
 シリーズ化の予定はなかったため、本作ではテレビシリーズの車寅次郎のイメージが強く、後の人情家でお調子者の寅さん像からは若干ヤクザ度が強い。続編を予定していないことから、寅の生い立ち、家族関係、さくらと博の結婚などのエピソードが凝縮されていて、さくらの縁談を中心にテンポよく物語が展開する。
 その後のシリーズのストーリーの骨格となる、寅の帰郷、マドンナとの失恋、さくらとの兄妹愛、出奔、異郷からの手紙のパターンのすべてが第1作にあり、冒頭の夢のプロローグだけがない。
 とらやは無論、タコ社長(太宰久雄)の印刷屋、御前様(笠智衆)、登(津坂匡章)、源吉(佐藤蛾次郎)のシリーズ準レギュラーも登場し、さくらの前職、博の家族、寅さんシリーズを知る上での基本設定のすべてがある。
 そうした点では、ベースとなる第1作で作品の完成度も高いが、後のシリーズ作品とは若干違和感はあり、肩の凝らない人情喜劇よりはドラマ性が強くなっている。とりわけ、博の父・志村喬が出番は少ないが存在感が大きく、黒澤明の『生きる』並にヒューマンドラマ性を高めてしまうので、泣いて笑っておしまいという寅さんシリーズとは分けて考えた方がよい。
 初代マドンナは御前様の娘の光本幸子。初代・おいちゃんの森川信のとぼけた感じがいい。これも定番の観光地ロケはなく、奈良のシーンが少しある程度。当時の柴又駅・帝釈天参道・江戸川と矢切の渡しといった周辺の様子や、上野駅地下街、ホテルニューオータニの映像も見どころ。 (評価:2.5)

製作:松竹
公開:1969年11月15日
監督:山田洋次 製作:斎藤次郎 脚本:山田洋次、小林俊一、宮崎晃 撮影:高羽哲夫 美術:佐藤公信 音楽:山本直純
キネマ旬報:9位

佐藤オリエのNGシーンがある意味で見どころ
 寅さんシリーズの第2作。『男はつらいよ』のヒットを受けた続編で、前作同様にテレビシリーズの車寅次郎のイメージを引き摺っているため、若干ヤクザっぽい。
 物語は前作から1年後という設定で、結婚したさくら・博の夫婦に早くも満男が誕生している。中心となるのは寅次郎の生い立ちに絡む話で、恩師(東野英治郎)の娘(佐藤オリエ)と京都に住む瞼の母(ミヤコ蝶々)を探すエピソード、マドンナに失恋するエピソードが中心となる。
 第1作のヒットにより制作が決まった急造感は免れず、生い立ちの設定話を中心に、マドンナとの失恋、寅屋の人々のやりとりというパターンを組み合わせてはいるものの、話が全体にまとまっているわけではなく、パッチワークの印象が残る。
 ギャグも常套的なものが多くてバタ臭く、母子関係もウェットでギスギスしているために、唐突に入るギャグも今ひとつ流れにそぐわない。もっとも、冷淡な母に会った直後の宿屋のシリアスなシーンで、渥美清が無理やりズッコケるギャグを入れて、佐藤オリエが下を向いて必死に笑いを堪えているシーンは本来ならNGで、ある意味見どころ。
 観光地ロケは京都で清水寺が登場。ラストシーンは寅と母との大団円で、取り敢えずは引きのない作り。
 医者で寅次郎の恋人役の山崎努が若い。 (評価:2.5)

製作:三船プロダクション
公開:1969年3月1日
監督:稲垣浩 製作:田中友幸、稲垣浩 脚本:橋本忍、国弘威雄 撮影:山田一夫 美術:植田寛 音楽:佐藤勝
キネマ旬報:10位

勘助と由布姫の関係がわかったようでわからない
 井上靖の同名小説が原作。
 武田信玄(中村錦之助)の軍師・山本勘助(三船敏郎)を主人公に、武田家の重臣・板垣信方(中村翫右衛門)に仕官してから川中島で戦死するまでの物語。
 諏訪頼茂(平田昭彦)の息女で武田信玄の側室となる由布姫(佐久間良子)との関係を中心に描かれる。
 合戦シーンでは多数の騎馬とエキストラを動員した時代劇大作で、稲垣浩の演出も面白味には欠けるが重厚で破綻がない。それだけなら十分にエンタテイメントとして楽しめるが、中心となる勘助と由布姫の関係がわかったようでわからないのは、シナリオが悪いのか演出が悪いのか或いは演技力不足によるものか。
 諏訪城での出会い以降、由布姫が勘助をどう思っていたのか、側室となって以降は父親の存在だったのか等々、本作の最もカギとなるドラマ部分で、二人の心の交流が今一つ見えてこない。(勘助が由布姫の父親替わりと思っていたのはどことなく伝わっては来るが)
 諏訪へ向かう途中、由布姫が逃げ出すシーンでは、どうして気づかれなかったのかというツッコミどころはあるが、一番の違和感は武田信玄のイメージに180度そぐわない優男の中村錦之助。さらには、何のために起用したのかさっぱりわからない上杉謙信役の石原裕次郎で、頭巾を被って馬に乗っているだけで台詞もない。
 人気の出る前の緒形拳、子役時代の中村勘九郎(中村勘三郎)とキャスティングは賑やかだが、稲垣浩のクサい演出もあって、今一つ成功していない。 (評価:2.5)

華麗なる闘い

製作:東宝
公開:1969年9月10日
監督:浅野正雄 製作:田中収、馬場和夫 脚本:大野靖子 撮影:中井朝一 美術:村木忍 音楽:八木正生

「大人って凄いわ」内藤洋子の笑顔が爽やか
 有吉佐和子の『仮縫』が原作。
 洋裁学校に通っていた娘・隆子(内藤洋子)が、有名ファッションデザイナー(岸恵子)のオートクチュールの店にスカウトされ、野心を武器にのし上がって行くという物語で、アイドルの内藤洋子がこの難しい役に挑戦するのが見どころ。
 初々しい少女から、先輩たちを押さえてナンバー2となり、先生の渡仏で店を任され、先生のパトロン(神山繁)を自分のものにして経営の傾いた店を立て直し、プレタポルテのブランドを立ち上げデパートに進出。店を切り盛りする遣り手のキャリアウーマンを演じる。
 髪型やメーキャップ、服装で隆子が大人に変貌して行く様子を見せていくが、内藤自身も娘から大人に変わって行く隆子をアイドルから一皮剥けた演技で頑張っている。
 苦労を重ねた隆子は三越でファッションショーを開催できるまでに成長。店の看板を留守中の先生から自分に掛け替えるチャンスを創り出すが、突然先生が帰国。そのチャンスをまんまと利用され、看板を張るのは百年早いと完膚なきまで叩きのめす。
 この先生、渡仏も借金逃れの海外逃亡で、詐欺師同然の女。渡仏後は店には音沙汰無しで、隆子がチャンスを掴むと突然現れ、油揚げをさらっていくという強欲な女。このクソババアを演じる岸恵子がハマリ役で、悲劇のヒロイン内藤洋子を際立たせる。
 完敗して店を追われた隆子は潔く負けを認め、「大人って凄いわ」と捲土重来を期す笑顔で終わるストップモーションが、爽やかでいい。
 先生のグータラな弟に田村正和。 (評価:2.5)

人斬り

製作:フジテレビジョン、勝プロダクション
公開:1969年8月9日
監督:五社英雄 製作:村上七郎、法亢堯次 脚本:橋本忍 撮影:森田富士郎 美術:西岡善信 音楽:佐藤勝

下級国民・以蔵の悲しさを描く橋本忍らしいヒューマンドラマ
 幕末の京都・土佐を舞台に、岡田以蔵(勝新太郎)が武市半平太(仲代達矢)の刺客となって邪魔者を消し、やがて武市半平太に捨てられ、武市半平太の罪業を洗いざらい藩に自白し、獄門に消えるまでを描く。
 無学な以蔵を犬に譬え、犬がいくら一生懸命に主人に忠義を尽くしても、役に立たなくなれば殺される捨て犬の運命だと坂本龍馬(石原裕次郎)が諭すが、結局その通りになり、忠犬・以蔵に利用価値がなくなった時、半平太に捨てられてしまう。
 もっとも最後は飼い犬に手を噛まれて半平太も切腹を余儀なくされるが、名誉の死を与えられる上士に対し、下士の以蔵は獄門に晒される。
 橋本忍の以蔵像は、上層の権力者同士が争う社会構造の中で、以蔵は利用されて使い捨てにされる貧しく無学な暴力しか頼ることのできない下層階級として描かれる。
 そうした点では階級格差を描く橋本忍らしいヒューマンドラマで、下級国民の以蔵の悲しさが溢れる作品となっているが、中年太りの勝新太郎がどうにも以蔵らしくなく、坂本竜馬の石原裕次郎というのも都会的過ぎて馴染めない。
 以蔵の馴染みの女郎に倍賞美津子がもろ肌脱ぎで若い。薩摩藩士・田中新兵衛の三島由紀夫は凄惨な切腹をする役だが、翌年本当に割腹自殺した。
 五社英雄らしい、豪華スター競演のエンタテイメント作品。 (評価:2)

チンチン55号ぶっ飛ばせ!!出発進行

製作:松竹大船
公開:1969年12月31日
監督:野村芳太郎 製作:升本喜年、浅井良二 脚本:野村芳太郎、吉田剛 撮影:川又昂 美術:重田重盛 音楽:いずみたく

コント55号の持ち味を活かせてない従来型の松竹人情喜劇
 野球拳で話題となった『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』が始まった年の正月映画で、やはり飛ぶ鳥を落とす勢いの水前寺清子、前年『恋の季節』の大ヒットでブレイクしたピンキーとキラーズと、観客動員加算方式で作られたテレビタレント映画。
 映画がテレビに娯楽の座を奪われた低迷期で、野村芳太郎もテレビタレント映画を立て続けに作っていた頃の作品。  アナーキーなコントで人気を博していたコント55号の持ち味を活かせてなく、従来型の松竹人情喜劇になっているところがつまらない。
 都電マン一家に萩本欽一が居候するという設定で、長男坊の坂上二郎と対立。坂上二郎のマドンナ(奈美悦子)を巡っても恋の鞘当てが演じられ、最後は大団円となる。
 内気な孝行息子で苛められ役の坂上二郎はハマっているが、苛め役の萩本欽一は図々しいだけの男で人情喜劇には向かず、今一つ立ち位置が良くない。
 それでも野村芳太郎らしい手堅い演出で、最後は気持ちよく映画館を出られるようになっている。「黒ネコのタンゴ」の皆川おさむも出演しているが、野村芳太郎の子役演出は相変わらず上手い。
 坂上二郎の失恋相手に「あなたの心に」の中山千夏、丸善ハイオクCM「Oh! モーレツ」の小川ローザと話題てんこ盛り。
 坂上二郎の母に沢村貞子、妹に珠めぐみ、今陽子、弟に長沢純。萩本欽一の父に内田朝雄、妹に尾崎奈々。マドンナの父・伴淳三郎が安定のコメディ。
 上野駅前から岩本町行きの都電も登場。出演者も含めて、往時が偲ばれる。 (評価:2)

緋牡丹博徒 花札勝負

製作:東映京都
公開:1969年2月1日
監督:加藤泰 脚本:鈴木則文、鳥居元宏 撮影:古谷伸 美術:富田治郎 音楽:渡辺岳夫

加藤泰の演出が冴えるが藤​純​子の歌が下手糞でズッコケる
 緋牡丹博徒シリーズの第3作。
 熱田神宮大祭の勧進賭博の胴元を巡る名古屋の西之丸(嵐寛寿郎)一家と金原(小池朝雄)一家の争いにお​竜​(​藤​純​子​)が巻き込まれるという話で、それぞれの息子と娘が恋仲というロミオとジュリエット話が絡む。
 この息子が結婚をサイコロで決めようというアホで、負けて人質に取られ、娘と逃げ出したのをお​竜​が助けたことからお竜が捕まり、間尺に合わない勧進元を賭けての花札勝負となり、お竜が勝つ。
 ところが気が済まない金原が客人(高倉健)に西之丸の命を取るように命じ、一宿一飯の恩義と健さんが瀕死の重傷を負わせるが、普通なら報復の抗争となるところを西之丸は勧進賭博を成功させるために我慢。
 最後は熱田神宮に奉納する勧進賭博の上りを金原が強奪し、これまた渡世の義理とお竜が殴り込みをかけ、健さんも加わって金原一家を全滅させる。
 加藤泰の監督と、第1作に続く高倉健との共演が見どころだが、金原の悪行に我慢に我慢を重ねて最後に爆発というシナリオが無理無理で、小池朝雄に苛められるヨボヨボの嵐寛寿郎が可哀想に思えてくる。
 藤​純​子の殺陣がややぎこちないのを除けば、加藤泰の迫力ある演出が冴えるが、挿入される藤​純​子の歌が下手糞でズッコケる。もろ肌脱いで緋牡丹を見せるシーンがないのもガッカリ。 (評価:2)

製作:近代映画協会
公開:1969年10月29日
監督:新藤兼人 製作:絲屋寿雄、能登節雄、桑原一雄 脚本:新藤兼人、関功 撮影:黒田清巳 美術:井川徳道 音楽:林光
キネマ旬報:4位

新藤兼人はミステリーには向いていない
 新藤兼人のオリジナル脚本によるミステリー。だが、新藤兼人がミステリーには向いていないのがよくわかる。
 舞台は『裸の島』を連想させるような瀬戸内海の島だが、女の他殺事件が起きるのは広島の本土側。殺されたのは尾道のバーのマダム(乙羽信子)で、バーの馴染み客でママにゾッコンだった中年独身刑事(戸浦六宏)が、事件を捜査するというもの。
 刑事役の戸浦六宏を始めとして、全体にセリフが硬い上に練れていない。社会派ミステリー風で、雰囲気は松本清張作品に似ているが、段取りを追うような見込み捜査や、科学捜査には程遠い証拠に基づかない強引な推理の組み立て、取り調べでの証言強要や誘導尋問など、推理ドラマとしては素人脚本に近い。
 推理だけで強引に事件を解決していく感があって、とりわけラストシーンでは、刑事たちが物的証拠を掴むために、犯人のカップル(吉澤健、富山真沙子)が証拠隠滅のために殺害現場の島に渡るように仕向ける。その証拠というのが殺された女が所有していた現金で、島の畑に埋められているのだが、尾行されたことに気づいたカップルが埋め戻して逃走してしまう。
 ところが刑事たちは逃走した二人を崖に追い詰めただけで逮捕。肝腎の証拠を手に入れることをすっかり忘れてしまってエンドマークとなる。これでは現行犯にもならず逮捕できないのだが、新藤脚本はそんなことは瑣末というミステリーにあるまじき鷹揚さ。
 新藤的には、沿岸の工業化によって瀬戸内の海が汚染され、漁業を捨てざるを得なくなった島人たちが、貧しさから転落していく悲劇をテーマにした社会派作品ということなのだろうが、人物造形が浅くテーマ的にも上滑りしていて、この点でも松本清張の社会派ミステリーには達していない。
 乙羽信子がヌードシーンで大サービスするが、若干薹が立っているのが残念なところで、若い富山真沙子の方はキスシーンと顔アップの濡れ場しかない。
 戸浦六宏の芝居が熱血漢なだけの一本調子で、まるで特高警察みたいなのもマイナス。捜査指揮をとる刑事部長の伊丹十三も棒の演技でほとんど大根にしか見えない。 (評価:2)

沖縄列島

製作:東プロダクション
公開:1969年4月11日
監督:東陽一 製作:高木隆太郎 脚本:東陽一 撮影:池田伝一 音楽:松村禎三

沖縄問題の表層だけを舐めていった駆け足視察
 1968年の3か月間に撮影されたというクレジットの入るドキュメンタリーで、沖縄返還交渉が始まる前の沖縄の様子を伝える。
 横須賀への原潜入港、琉球海運のくろゆり丸で本土への渡航証明書を焼く抗議行動、コザの女たちの様子などが描かれていくが、半世紀近く経ってしまうと、当時の事情を知らないと何が描かれているのかわからない。改めて歴史を記録するドキュメンタリーに何が必要かを考えさせられてしまうが、当時でさえもはたして本土にいるどれだけの人がこの映像を理解できたか?
 東が沖縄の今を記録しようとした意気込みは伝わってくるが、前のめり感は否めず、冷静に撮影したとも編集したとも思えず、タイトル通りに宮古島・石垣島・伊江島にも足を延ばしているが、むしろテーマが拡散し、何を伝えようとしたのか不明瞭になっている。
 写実的だが曖昧模糊とした映像は、見る側の頭にも靄をかけてしまい、正直、制作意図が伝わらないままの映像を見続けているうちに思考が鈍ってしまう。個々の題材に対する深堀りが必要だったのであり、悪く言えば沖縄の諸問題の表層だけを舐めていった駆け足視察にしかなっていない。
 問題を感じることと、その問題を掘り下げること、それを観客に伝えることの3つの間には大きな溝があって、本作はその溝を越えられなかったが、改めてドキュメンタリーとは何かを考えさせる。 (評価:2)

製作:創造社
公開:1969年2月25日
監督:大島渚 製作:中島正幸 脚本:田村孟、佐々木守、足立正生、大島渚 撮影:吉岡康弘、仙元誠三 美術:戸田重昌
キネマ旬報:8位

空虚な時代であったことがわかるのが最大の見どころ
 大島渚には時代に消費される映画が多く、本作もその一つ。
 実験的とも、前衛的とも、はたまたアングラ的ともいえ、そのどれもが当時の時代性そのものだった。当時の文化状況を知らない者が見れば、面喰い、おそらく最後まで見通す気にもならない。そうした点で、本作は時代に消費されるために作られた映画で、時代が過ぎ去ってしまえば消費された後のごみ屑でしかない。
 フィクションともドキュメンタリーともつかない、あるいはそれらが融合したフィルムともいえ、ある意味支離滅裂とした精神分裂的展開をそのまま受け入れるしかない。
 唐十郎ら状況劇場の連中がゲリラ的なパフォーマンスを見せる街・新宿の導入から場面は一転、紀伊国屋書店で万引きする青年(横尾忠則)とそれを捕まえ社長(田辺茂一)に突き出す偽店員(横山リエ)。
 ここから泥棒日記が始まるが、二人はセックスしても「全然」で、社長に連れられて性科学者・高橋鐵から話を聞き、俳優たち(佐藤慶、渡辺文雄、戸浦六宏)の手ほどきを受けるも失望しか残らず、混沌とした思索の海の中で赤テントを訪ね、青年は新しいペルソナを求める。
 一方の女は生理の血で切腹し、生まれ変わった二人は再び結ばれるが、時は新宿騒乱事件のあった1968年。交番が襲撃され、騒然とする混沌の中に新宿はある・・・という物語。
 全体はモノクロで、花園神社の赤テントなどをパートカラーで見せるが、物語も映像も舞台の新宿も一言でいえばカオス。そうした中で、盗まれたものは何なのか、泥棒は誰なのか、といった60年代的問題提起について考えるのも空しい。
 今見るとそうした空虚感が作品全体を覆っているが、そうした空虚な時代であったということがわかることが最大の見どころで、そうした時代を象徴する赤テントの面々が登場するのも見どころか。 (評価:2)

女殺し屋 牝犬

製作:大映東京
公開:1969年6月14日
監督:井上芳夫 脚本:小滝光郎 撮影:中川芳久 美術:間野重雄 音楽:鏑木創

シナリオはチープだが江波杏子が超ミニ、ビキニでサービス
 藤原審爾の小説『消される男』が原作。同原作の映画化に森一生監督・市川雷蔵主演『ある殺し屋の鍵』(1967)があるが、本作の殺し屋は女に変更されている。
 小料理屋のママが実は殺し屋だったというもので、指輪に針を仕込んでいて致命傷を与えるという設定は池波正太郎の『仕掛人・藤枝梅安』を想起させるが、本作の方が先。
 政界の大物から汚職の証拠を握る仮釈放中の男を殺すよう、商社社長、ヤクザ、依頼者の4段階を経由して頼まれるが、実行後、車のブレーキに細工をされて暴走。危うく難を逃れて、下から順に復讐し、政界の大物を突き止めて仕留めるという物語。
 殺し屋の割には身元がバレバレで、本名を名乗ってしまうという凄腕にあるまじきプロ意識の欠如や、小料理屋の常連客の女が商社社長の愛人と、復讐の手順を追うのに都合のよいキャラクターシフトなど、サスペンスとしてはチープなシナリオ。
 もともとB級作品なので、見所は女殺し屋を演じる江波杏子にある。妖艶な上に締まった顔立ちの正統派美人なので、小料理屋のママと殺し屋のどちらも似合う。
 その江波杏子が殺し屋に転じると超ミニスカート、太腿も露わに車のシートに座り、柵を跨いで逃げ、ホテルのプールでビキニ姿も披露するるという大サービス。二度三度パンチラすれすれまで行くが、肝腎のシーンはカットという残念さもある。
 すでに「女賭博師」シリーズがヒットしていたので、和装の女博徒と並ぶ洋装の女殺し屋を狙ったのだろうが、シリーズ化されなかった。
 女殺し屋が依頼を受けるシーンで、今はなき後楽園遊園地が出てくるのも見所。 (評価:2)

千夜一夜物語

製作:虫プロダクション
公開:1969年6月14日
監督:山本暎一 製作:富岡厚司 脚本:手塚治虫、深沢一夫、熊井宏之 作画監督:宮本貞雄 美術:やなせたかし 撮影:土屋旭 音楽:富田勲

大人向けのアニメーションだからエロというのが安直
 それまでアニメといえば子供向けの漫画映画だったものを、大人のためのアニメーションと銘打って手塚治虫が製作した第1弾。
 大人向けだからエロティック、『アラビアンナイト』というのが安直で、原画に月岡貞夫、杉井ギサブロー、村野守美、杉山卓、杉野昭夫と当時若手ながらも錚々たるアニメーターを揃え、声優にも青島幸男、岸田今日子、芥川比呂志等々の豪華メンバーを起用したが、寄せ集めのエピソードを積み上げたシナリオはバベルの塔の如く脆く、2時間強に付き合うのが辛い作品になった。
 主人公はバグダッドにやってきたアルディンで、女奴隷ミリアムに一目惚れ。奪って逃亡するも捕らえられ、ミリアムはアルディンの子ジャリスを産んで死亡。逃げたアルディンは望みを叶える幽霊船を手に入れて富豪となり、バグダッドに戻って王様となって権勢の限りを尽くす。娘と知らずにジャリスをハーレムに入れ、それがもとで王位を追われ、再び旅に出るという物語。
 女も金も権力も空しくなる男の話だが、『アラビアンナイト』の精髄はハーレムだけで、女護ヶ島、バベルの塔、シンドバッドをごった煮にした闇鍋のような作品。
 冒頭から中盤までは、カトゥーンを主体にコマ漫画のような演出やイラスト風な作画、コラージュのレイアウト、実写との合成など映像的には漫画映画を脱皮しようとする試みが見られ、イメージによる性描写もポルノグラフィックで結構きわどい。
 ただシナリオがつまらなすぎて、後半は映像的にも飽きが来る。
 もっとも写実的な映像とキャラクター性しか顧みられることのないジャパニメーションばかりを見せられていると、漫画映画以外の映像表現の可能性を探っていた当時のアニメーターたちの志のようなものが感じられて、少し新鮮な気持ちになれる。 (評価:1.5)

ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃

製作:東宝
公開:1969年12月20日
監督:本多猪四郎 製作:田中友幸 脚本:関沢新一 特技監督:円谷英二 撮影:富岡素敬 音楽:宮内国郎 美術:北猛夫

フィルムの使い回しという子供騙しの子供映画
 『怪獣総進撃』に続くゴジラ映画第10作。冬休み用の第1回東宝チャンピオンまつり用に製作された作品。併映は『コント55号 宇宙大冒険』『巨人の星 行け行け飛雄馬』で、ゴジラは主役の座を明け渡す。『ウルトラQ』(1966)、『ウルトラマン』(1966~1967)、『ウルトラセブン』(1967~1968)とウルトラシリーズも終わり、怪獣ブームは去った。
 本作は怪獣好きの子供とミニラの友情を描き、しかも夢の中。現実は5000万円強盗事件を解決する話で、ミニラに自身を仮託して勇気をもらって戦うという話。ゴジラは完全に主役を降りている。怪獣島が出てくるが、みんな夢の中~♪ と怪獣映画でも何でもない。ここまでお子様向けだと映画も子供騙しで、怪獣のシーンは過去の映画のシーンの切り張りと、STAP細胞の論文並みでゴジラの顔に泥を塗る。
 ガバラはガマガエル怪獣で初登場だが、魅力がない。 (評価:1)