海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1950年

製作:大映
公開:1950年08月26日
監督:黒澤明 脚本:黒澤明、橋本忍 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄 美術:松山崇
キネマ旬報:5位
アカデミー名誉賞(外国語映画賞) ヴェネツィア映画祭金獅子賞

最大の見どころは羅生門のオープンセット
 ヴェネツィア国際映画祭でグランプリを受賞し、名作とされる。原作は芥川龍之介の『藪の中』。
 この映画の最大の見どころは、羅生門のオープンセット。大映京都撮影所にまるで本物のように造られた門は、『影武者』の武田屋形同様の黒澤のこだわりを感じさせる。平安末期の崩れかけて荒廃した羅生門に滝のように流れる雨のシーンに、黒澤映画ならではの映像美を見ることができる。4人の回想の中に描かれる、強いコントラストの森の中のシーン、木漏れ日を追うカメラワークなど、随所にモノクロならではの美しさが印象的。
 現在の視点からは、手篭めにされた女とふたりの男の心理的な綾は理解しにくいかもしれない。またラストも、それまで描かれた話の延長線上にある偽善ではないかというシニカルな見方もできるが、捨て子に希望を託していると素直に受け取るのが黒澤ヒューマニズムの正しい解釈なのだろう。 
 登場人物は少ないが、懐かしい役者が並ぶ。下人役の上田吉二郎は、晩年の太ってからの印象が強いので、ちょっと目にはわからなかった。独特の個性を持った役者だったが、この映画の中でも一番に味を出している。 (評価:3.5)

製作:新東宝
公開:1950年5月17日
監督:阿部豊 製作:竹井諒 脚本:八住利雄 撮影:山中進 美術:進藤誠吾 音楽:早坂文雄
キネマ旬報:9位

旧き日本から新しい価値観へと転換する人々の苦悩を描く
 谷崎潤一郎の同名小説が原作。
 大阪・船場の豪商だった旧家・蒔岡家の四姉妹の物語。三女・雪子の見合い話を中心に、四姉妹と没落していく旧家の旧習と変わりゆく時代を描くが、四女・妙子を演じる高峰秀子の演技力が突出しているために、妙子を中心とした話になっている。
 物語は昭和11年から始まり、上本町の本家は長女の鶴子(花井蘭子)が婿養子・辰雄(伊志井寛)と跡を取っている。辰雄はサラリーマンで、船場の店は売り払い、本家の家屋敷は立派だが、財産は切り売りして没落。
 次女・幸子(轟夕起子)も貞之助(河津清三郎)を婿養子に分家していて、辰雄とウマの合わない妙子が居候。
 家格を重んじる鶴子は雪子(山根寿子)に見合い相手を紹介するが、引っ込み思案で自立心に乏しいためになかなか決まらない。その間に辰雄が東京に転勤することになり、一家とともに雪子も東京へ。
 家柄だけを武器に男に頼るしか生きていけない姉たちに反発する妙子は、人形制作、洋裁と自立を目指す一方で、ボンボンの啓坊(田中春男)に貢がせる。自立したいが贅沢はやめられないというわけで、諭されて学歴のない写真屋・板倉(田崎潤)と裸一貫のスタートを切ろうとした矢先に板倉が病死。
 雪子はようやく結婚が決まり、かつての使用人が留守居をする本家の屋敷に結婚衣装を取りに行き、これを生家の見納めと思う。
 板倉に死なれ自暴自棄の妙子は、新しい恋人のバーテンと結婚することになり、勘当されて家を出ていき、四姉妹と旧家の栄華は終焉する。
 四姉妹は葛藤する新旧の時代そのもののアイコンで、旧時代から逃れられない長女と新時代を象徴する四女を両極に、次女は新時代を理解しながらも旧時代から逃れられず、ピアノを嗜む三女は旧時代に縛られて新時代に進むことができない。一方、新時代の寵児である四女は独り洋装の日常ながらも日本舞踊を好み、旧きものを内在させている。
 旧き日本を失いつつある昭和初期を舞台としながらも、戦後の価値観へと転換する人々の苦悩を描いている。
 本家の広大な家屋敷、四姉妹の豪華な着物・帯など、蒔岡家の栄華を象徴する美術も大きな見どころで、洪水のシーンには特撮が用いられている。 (評価:3)

製作:日本映画演劇労働組合、日本映画人同盟
公開:1950年2月26日
監督:山本薩夫 脚本:八木保太郎、山形雄策 撮影:植松永吉 美術:五所福之助 音楽:斎藤一郎
キネマ旬報:8位

ドラマ性よりも暴力団追放キャンペーンが主眼
 朝日新聞浦和支局同人の『ペン偽らず 本庄事件』が原作。
 昭和23年に起きた埼玉県の本庄事件を基に映画化した作品。本庄町の闇業者と警察・検察幹部の癒着を書いた朝日新聞記者が、暴力団と関係のある町議から暴行を受けた事件をきっかけに始まった暴力団追放キャンペーンを描いたもので、暴力団をバックに町の実力者となった町議、饗応を受ける警察・検察幹部らが登場する。
 本作では本庄町は東条町、朝日新聞は大東新聞に置き換えられているが、撮影は本庄町で行われていて、仮名にする必要が感じられないが、GHQ占領下での警察・司法の非民主性と腐敗を告発することからの防衛策だったのかもしれない。
 実際、東宝争議を主導した産業別労働組合と俳優によって製作されていて、スタッフ・キャストともに映画会社の垣根を超えた映画人による社会運動としての大きなムーブメントが感じられる。
 一方で、本作と前後して邦画界は、監督の山本薩夫を始めとした映画人のレッドパージと、映画会社を離れた監督たちの独立プロ誕生へと繋がっていく。
 そうした点で、内容の正当性とは別に映画史的に価値のある作品で、民主化と反権力に燃えるスタッフ・キャストの映画人としての熱気が伝わってきて、コミュニスト山本薩夫の社会派としての真骨頂が見られる。
 また、戦後の東京近郊の一断面を見ることができ、ドラマとしても本格的。
 主人公の新聞記者に原保美、妹に三條美紀、支局長に志村喬、支局員に池部良、河野秋武ら。悪玉側を演じる町議の三島雅夫がいい。検事に滝沢修、元支局員に宇野重吉、宿の主人に殿山泰司、床屋に花沢徳衛とバラエティに富む。
 警察の汚職に見て見ぬふりをする新聞他社(読売か?)のその後の対応、町議に買収されてスパイする青年団幹部の動機が描かれないままに終わるが、主眼は警察権力に癒着する暴力団の追放キャンペーン映画ということで、その辺のドラマ性には重きが置かれていない。 (評価:2.5)

製作:新東宝
公開:1950年1月8日
監督:谷口千吉 製作:田中友幸 脚本:谷口千吉、黒澤明 撮影:三村明 美術:松山崇 音楽:早坂文雄
キネマ旬報:3位

慰問団歌手・山口淑子の慰安婦役を見てみたかった
 田村泰次郎の小説『春婦伝』が原作。GHQの検閲で、原作・脚本の朝鮮人慰安婦の設定が慰問団歌手に変更されている。
 物語は、戦況悪化で中支の慰問団が足止めを食らい、副官の伝令の三上上等兵(池部良)に優しくされた春美(山口淑子)が激しい恋情を抱く。ところが中国軍の攻撃で三上と春美が捕虜となり、春美は残留を主張するが三上は日本軍に復帰する道を選ぶ。しかし、春美に目を付けていた副官・成田中尉(小沢栄)は三上が春美と情を通じたことに腹を立て、逃亡の罪で軍事裁判にかけようとする。
 営倉の責任者・小田軍曹(伊豆肇)は、春美を三上に会わせた上、逃亡した二人を見逃す。しかし、二人を発見した副官は機関銃を掃射して殺し、三上を戦病死と報告して隠蔽する。
 テーマは生きて虜囚の辱めを受けずの戦陣訓で、捕虜になった日本兵に対する日本軍の非人間性を描き、しかもバッドエンドの悲恋物語という、反軍反戦の時代性を反映した如何にもな通俗作品になっているが、慰問団歌手の春美を朝鮮人慰安婦に置き換えると、単なる虜囚ではない三上の微妙な立場が浮かび上がってきて、初稿通りに描けばもっと深みのある作品になったかもしれないと残念な気がしてくる。
 女ばかりの慰問団の描写がかなり不自然で、元の設定が慰安所と知れば腑に落ちる。そうした無理くりは随所にあって、春美が三上に積極的なのも、中国側に残留しようとするのも朝鮮人慰安婦と知れば納得できる。
 山口淑子の慰安婦役というのも見てみたかったが、GHQの介入で作品性を損なった好例としては歴史的価値がある作品ともいえる。
 谷口千吉の新妻、薫役の若山セツ子が可愛い。
 ところで二人が脱走するのは暁ではないのだが、何かわけがあるのだろうか? (評価:2.5)

製作:新東宝
公開:1950年8月25日
監督:小津安二郎 製作:児井英生 脚本:野田高梧 撮影:小原譲治 美術:下河原友雄 音楽:斎藤一郎
キネマ旬報:7位

だからどうなんだという結末が何とも説得力に欠ける
 大仏次郎の同名小説が原作。
 小津安二郎が初めて松竹以外で撮った作品で、基本は大衆小説を原作とするラブストーリーのため、人情の機微を描くのを得意とする小津としては、慣れない他流試合で通俗作品を撮らされた感があって、今一つ場違いな印象が強い。
 好きな男がいながら別の男と結婚した古風な姉・節子(田中絹代)とおきゃんな現代娘の妹・満里子(高峰秀子)が宗方姉妹で、病気で余命幾ばくもないお父さんが笠智衆。
 いつもの小津作品なら笠智衆と娘二人の濃密な関係が描かれるが、宗方父子は淡泊すぎてお父さんの存在感が皆無。
 物語は、失業している節子の夫(山村聡)が就活もせずに遊蕩三昧。その理由というのが、妻が今でも元カレ(上原謙)を愛しているのではという嫉妬。夫婦仲が冷めたところに元カレが登場し、おせっかいな妹が焼け棒杭に火を熾す。ひと悶着したところで離婚話となり、自棄酒を呷った夫が都合よく突然死。
 ところが姉は元カレとは再婚せず、私は古い女なのよで終わる。
 優柔不断というか何を考えているのかわからないのが元カレ・上原謙で、ハンサムだけが取り柄。
 テーマ的には古い女=姉、新しい女=妹の対比で、新しいものは古くなるが、古いものは古くならないから新しいという姉の逆説、つまり温故知新。
 もっとも、田中絹代が言うとどうにもかび臭い上に、だからどうなんだという結末が何とも説得力に欠ける。 (評価:2)

雪夫人絵図

製作:滝村プロダクション、新東宝
公開:1950年10月21日
監督:溝口健二 製作:滝村和男 脚本:依田義賢 撮影:小原譲治 美術:水谷浩 音楽:早坂文雄

男の言いなりにしかなれない人形を描いて何が面白いのか
 舟橋聖一の同名小説が原作。
 週刊新潮の連載小説で、新潮社の作品紹介には「旧華族の孫娘で、雪のような肌を持つ女が、女狂いでサディストの傾向のある夫に苦しめられながら、肌で夫に惹かれてゆく情感を、恋人役の作家・方哉、同性愛風に憧れる女中・浜子、ツバメ的な役柄の誠太郎少年を布置し、妖しい四角関係の中に物語る華麗な小説。気高く、つつましく、官能的な雪夫人は、ごく古風なる日本女性の理想像と言えよう」と書かれている。
 もっとも溝口健二がこのエロスの作品世界を表現できたかというと甚だ疑問で、制作当時の性表現の限界もあって、「肌で夫に惹かれてゆく情感」は稀薄。
 そもそも雪夫人を演じる木暮実千代が「雪のような肌を持つ女」というほどには魅力的でないのが痛い。
 浜子(久我美子)のレズも、誠太郎(加藤春哉)のツバメも、夫・直之(柳永二郎)の女狂いはともかくサドも劇中全く感じることができず、仄めかしだけのベッドシーンが当時、話題を呼んだであろうことしか想像できない。
 物語の骨子は、京都に下品な妾(浜田百合子)を持つ養子の夫に性奴隷のような扱いを受ける元華族の雪が、恋人の方哉(上原謙)に惹かれながらも離婚することができず、夫の放蕩のために財産を失ってしまうというもので、夫の子を宿し、夫に不倫を疑われたたことから逃げ道を失い、芦ノ湖に入水自殺してしまう。
 雪がマゾ志向、あるいは夫の肉欲の虜になっているようには見えず、ただの離婚もできない意志薄弱な元お姫様にしか見えないのが、大きく興趣を損なっている。
 そんな女が旅館の女将に転身して帳簿を捲る姿に違和感があって、要は自分の意志を持てず男の言いなりにしかなれない人形を描いて何が面白いのか、これが自己を解放できない古風な女の葛藤、古風な日本女性の理想像なのかと思うと、とても本作の感覚にはついて行けない。 (評価:1.5)

製作:松竹大船
公開:1950年4月26日
監督:黒澤明 製作:小出孝 脚本:黒澤明、菊島隆三 撮影:生方敏夫 美術:浜田辰雄 音楽:早坂文雄
キネマ旬報:6位

今は社会派が受けるから社会派ドラマ作ってみました
 新進画家(三船敏郎)が伊豆で写生中に歌姫(山口淑子)と出会い、オートバイに乗せて温泉宿に同宿。部屋を訪ねたところをカストリ誌の記者に写真に撮られてしまい、スキャンダルになる。二人は名誉棄損で告訴するが、貧乏弁護士(志村喬)が被告に買収されて敗訴濃厚になるも、肺病の娘が死んで良心に目覚めた弁護士が法廷で買収の小切手を提出して、原告側の勝訴となるというお話。
 こう書くとそれなりの物語だが、実際はリアリティの片鱗もないお安いテレビドラマ並みのシナリオで、まさかと思うキネ旬6位。題材がつまらない上に人物が類型的。弁護士と娘のお涙頂戴シーンもお手軽な演出で、お約束事の芝居を見ている風。
 法廷シーンに至っては、これが世界のクロサワか? というくらいにハチャメチャで、所詮ドラマだからと思ってはみても、社会派シリアスドラマとしては説得力に欠けるいい加減さ。いくら無料奉仕でも、これじゃ弁護士代えるでしょうと、弁護士にではなくシナリオと演出に呆れる。
 今は社会派が受けるから社会派ドラマ作ってみました的な、底の浅さが見える。
 見どころはといえば、元李香蘭の山口淑子程度で、歌謡映画の如く美しい歌声を聴かせてくれる。 (評価:1.5)