海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1941年

製作:松竹大船
公開:1941年3月1日
監督:小津安二郎 脚本:池田忠雄、小津安二郎 撮影:厚田雄治 音楽:伊藤宣二 美術:浜田辰雄
日本映画雑誌協会:1位

戦前から変わらぬ小津の人間的な視線と自由な精神
 中国戦線から復員した小津の除隊後第1作。
 上流家庭を舞台に、母の還暦祝いで一族が集まり記念写真を撮るところから映画は始まる。写真屋が庭にカメラを設置する場面から始まり、戸田家の人々の紹介に進むシーンは、のっけから小津の卓越した構成力を感じさせる。
 予感通り当主が急逝し、借財を残したために家や骨董を売り払うことになり、戸田家の兄弟姉妹たちは打算的な顔を覗かせる。自由人の次男(佐分利信)は天津に旅立ち、母と未婚の三女(高峰三枝子)は長男、長女、二女の家をたらい回しにされるが、設定は老夫婦が邪魔ものにされる『東京物語』に引き継がれている。
 母と三女は鵠沼の別荘で暮らすことになり、一周忌で帰って来た次男が兄弟たちを非難し、二人を連れて天津に帰ることになる。ラストは、三女が友人を兄に引き合わせるところで終わる。
 当主の死によって表面化する家族内の人間関係を描きだすのは『東京物語』と同じだが、庶民ではなく上流家庭の打算を描いたところが本作の特色。建前と本音を使い分ける兄嫁(三宅邦子)。三女が働きに出ようとするのを家の体面を汚すと言って引き止める姉。そうした既成の価値観に囚われる姉妹を醜く描きながら、小津は中国の新天地と自由な精神を重ね合わせる。
 戦前戦後を通して変わることのない小津の人間的な視線と自由な精神に、ある種の感銘。憎々しい兄嫁を三宅邦子が好演。 (評価:3)

製作:東宝映画、映画科学研究所
公開:1941年3月11日
監督:山本嘉次郎 製作:森田信義 脚本:山本嘉次郎 撮影:唐沢弘光、三村明、鈴木博、伊藤武夫 音楽:北村滋章
日本映画雑誌協会:2位

10代にしてすでに名優・高峰秀子と馬を見るための映画
 時節柄、陸軍省選定映画で、軍馬を育てる農家を描く国策映画風になっているが、物語の柱は少女と馬の友情を描く動物映画で、同時に東北の貧しい農家を描く社会派ドラマにもなっている。
 舞台は岩手県の岩手山の麓の村で、最寄駅は田沢湖線大釜駅。盛岡の馬検場で行われる馬の競りのシーンから始まり、村の農家が軍馬に高く売れたことから、馬好きの娘いね(高峰秀子)が馬を育てることを父・甚次郎(藤原鶏太)に勧める。しかし以前飼育していた馬が病死してしまい、その時の借金が未だ返せず、母・さく(竹久千恵子)が猛反対。馬を買う金もない。
 そこに生まれた仔馬を貰う条件で妊娠馬を預かって欲しいという話が来て、いねが世話をすることになる。いねは大喜びで片時も馬のそばを離れず、青草が足りずに病気になると、獣医に言われて豪雪の中を温泉場まで青草を取りに行く。
 春になり仔馬が生まれるが、盆の返済金に窮した甚次郎は仔馬を売ってしまう。涙にくれるいねは意を決し、繊維工場の女工となって前借金で仔馬を買い戻す。
 1年が経ち二歳馬となった仔馬は、盛岡の馬市に出品され、軍馬として高値で買い取られる。いねは再び涙にくれ、馬との別れを惜しみつつ物語は終わる。
 こうして育てられた軍馬は大切にされなければならないというのが国策映画のテーマだが、山本嘉次郎は多くの農家が娘を女工に出さざるを得ない農村の貧困をもう一つのテーマに据えていて、少女と馬の友情物語を通してそれが明確に浮かび上がってくる。
 少女を演じる子役出身の高峰秀子は撮影時14~16歳にして、すでに名優。高峰と馬を見るための映画と言っていいくらいに抜群の演技力を発揮する。そうした点では見どころは高峰と馬に尽きるが、これらの主役を彩る岩手山を背景にした四季折々の映像も大きな見どころ。
 ナマハゲに似た正月行事や盆踊りといった東北地方の習俗や、馬市の様子、馬の出産から仔馬が立ち上がるまでの映像などを延々と映し、ドキュメンタリー映画と見紛うほどで、山本嘉次郎の自然主義的リアリズムが窺える佳篇。 (評価:3)

製作:日活多摩川
公開:1941年12月11日
監督:島耕二 脚本:館岡謙之助 撮影:岡野薫 美術:進藤誠吾 音楽:服部正
日本映画雑誌協会:6位

ラストシーンだけは池に映る満月なのがオシャレ
 下村湖人の同名小説が原作。
 本田家の次男・次郎(杉裕之)は、生まれてすぐに長男・恭一と入れ替わりに里子に出されることになる。乳母のお浜(杉村春子)は次郎が猿のようだと初めは拒否するが、次郎の母・お民(村田知栄子)は強引に引き取らせる。
 この冒頭のシーンだけで次郎の置かれた立場を説明する演出が上手く、話は7年後、お民がお浜の家に次郎を引き取るシーンに移るが、手放したくないお浜、実家に戻りたくない次郎から、7年間の三者の関係が描写なしに描き出されて秀逸。
 実家に戻った次郎は恭一や弟ともそりが合わず、粗野な次郎を祖母も疎ましく思い、厳格な母は次郎と上手く心を通わせず、役所勤めの父だけが味方となるが、お民が結核となったのをきっかけに看病を兼ねて母の実家・正木家に身を寄せる。
 粗野だが正義感が強く心優しい次郎は一所懸命に母を看病し、そんな次郎を見て母との間に心の交流が生まれる。お民は次郎を理解し、お浜を呼んで謝罪、一晩泊めて次郎と祭礼の縁日に行かせる。
 やがてお民が危篤となり、次郎は医者(北竜二)を呼びに行った帰り、神社で祈願するが、家に戻ると父方の祖母や兄弟たちがすでに看取った後で、結局死に目には会えない。次郎は母の亡骸を前にして初めて涙を流し、母の魂を胸に、立派な人間になることを誓う。
 八月十五夜に生まれた子は立派な人間になるという言い伝えで、十五夜の月は当日に生まれた次郎のアイコンとなるが、ラストシーンだけは池に映る満月なのがオシャレ。
 互いに理解し合えなかった母との相克を乗り越えて、天に昇った母を我が胸の灯とするという、裏返しのマザコンものだが、次郎を演じる杉裕之と杉幸彦が健気で可愛く、好ましい作品になっている。
 次郎の心情に寄り添う抑制された抒情の映像と演出が見どころ。次郎が慕う医師の娘に轟夕起子。 (評価:3)

元禄忠臣蔵 前篇

製作:松竹京都、興亜映画
公開:1941年12月1日
監督:溝口健二 脚本:原健一郎、依田義賢 撮影:杉山公平 美術:水谷浩 音楽:深井史郎

映像美で見せる超スローな演出と不必要なまでの長回し
 真山青果の新歌舞伎の同名戯曲が原作。前篇は松の廊下から始まり、大石内蔵助が江戸行きを決意するまで。
 冒頭は松の廊下で、吉良上野介(三桝萬豐)が御接伴役起用で梶川与惣兵衛を叱るのを聞いて、浅野内匠頭(五代目嵐芳三郎)が斬りかかる。しかし、このシーンからは非は内匠頭にあるようにしか見えず、喧嘩両成敗にならなかったことへの赤穂藩士たちの非難が説得力を持たない。
 これが後の展開にも尾を引いていて、浪士たちが吉良を討たねばならぬ理由が明確に伝わらない。
 面目を潰されたのだから吉良を成敗するのが武士の一分と言っても非は内匠頭にあり、幕府の沙汰が公平ではなかったと言っても吉良に落ち度があるわけでもなく、結局のところお家取り潰しの意趣返し、主君切腹の逆恨みをしているだけにしか見えない。
 そんなことを考えながら見続けていると、溝口の超スローな演出と不必要なまでの長回しに、つい瞼が重くなってしまう。
 松の廊下以降は、赤穂藩内の物語が描かれ、藩士たちの動揺から大石内蔵助(四代目河原崎長十郎)の逡巡と策略、血判状と次第に内蔵助に焦点が当たるようになっていて、テンポの悪さと退屈さを除けば、ドラマとしてはいい演出をしている。
 本作の最大の見どころは、新藤兼人が建築監督にクレジットされたセットの壮大さで、これをクレーンで舐めるようにロングで撮影していく映像が贅沢なほどに素晴らしい。
 天井からの俯瞰や城内の各部屋を1ショットでパンしたり、人物に合わせてカメラが移動する長回しなど、あらゆる角度からのカメラワーク、画面レイアウトなど、現代の日本映画からは失われた溝口美学と呼べる映像美が堪能できる。
 歌舞伎俳優を多数起用した俳優陣も本格時代劇に相応しい演技。 (評価:2.5)

団栗と椎の実

製作:松竹大船
公開:1941年5月29日
監督:清水宏 脚本:清水宏 撮影:森田俊保 美術:江坂実 音楽:伊藤宣二

自然の中の子供の生き生きとした姿を活写する短編
 29分の短編で、子供の生き生きとした姿を活写する、清水宏らしい児童映画。
 少年・秋雄(大塚紀男)は自然豊かな郊外に住む養父(大山健二)の家にもらわれてくる。
 秋雄は内気で都会育ちのために、川に架かった板橋も怖くて渡れず、村の少年たちに馴染めず、女の子と遊ぶ始末。
 そこで養父は秋雄を連れ出し、木に登らせるが、そのまま帰ってしまう。雨が降り出し心配して迎えに行くが、秋雄の姿はない。秋雄はすでに帰宅していて団栗の実をたくさん抱えていた。
 村の遊びにも慣れた秋雄はガキ大将を倒して、村の子供たちを率い、ガキ大将とも仲直りして木に登る。 (評価:2.5)

製作:松竹大船
公開:1941年8月26日
監督:清水宏 脚色:清水宏 撮影:猪飼助太郎 美術:本木勇 音楽:浅井挙曄

簪で怪我しただけなのに松葉杖でリハビリするのが大袈裟
 井伏鱒二の小説『四つの湯槽』が原作。
 山梨県の下部温泉の宿が舞台で、簪(かんざし)をきっかけに知り合い、ほのかに思いを寄せる男女を田中絹代と笠智衆が演じるというのが大きな見どころ。清水宏らしくほんわかしているが、今一つ締まりがない。
 身延山久遠寺参詣の南無妙法蓮華経の題目講が利用する温泉宿に逗留する青年(笠智衆)が主人公。
 他に気難しい学者先生(斎藤達雄)、若夫婦(日守新一、三村秀子)、囲碁好きの老人(河原侃二)と二人の孫が個人客として宿泊しているが、露天風呂で青年が落ちていた簪を踏んで怪我をしてしまう。
 その落とし主が題目講の惠美(田中絹代)で、後日受け取りに来て青年と出会い、そのまま逗留。リハビリに付き合う。
 仲良くなった個人客たちは東京での再会を約す。しかし惠美には帰れない事情があって、愛人と別れて家出してきていた。
 一人また一人と帰り、青年もリハビリを終えて帰京。一人残った惠美は青年からの再会の誘いの葉書を受け取り、青年との日々を思い出すというラスト。
 学者先生を中心とする会話がユーモラスだが、簪で怪我しただけの青年が松葉杖でリハビリするのが大袈裟すぎ、話の鍵になっているだけに間が抜ける。
 惠美の友達に川崎弘子。 (評価:2)

製作:松竹大船
公開:1941年1月30日
監督:清水宏 脚本:清水宏 撮影:猪飼助太郎 美術:江坂実 音楽:伊藤宣二
日本映画雑誌協会:3位

水路を掘るエピソードは児童労働の強制に見えてしまう
 修徳学院長・熊野隆治の手記を豊島志雄がまとめた同名小説が原作。修徳学院は大阪府立の非行児童救護施設で、虚言癖、盗癖などを持つ特殊児童が共同生活を送った。児童自立支援施設として現存。
 修徳学院では児童たちが小グループに分かれ、保母が母親となって家庭を築き、共同生活を通して学習や生活指導に当る。物語の中心となるのは笠智衆演じる教師の草間と、三宅邦子演じる保母の夏村で、母のいない家庭で裕福な父に甘やかされて育った我儘な娘、養母に育てられた少年等々の問題児が次々に引き起こす事件が描かれる。
 修徳学院の趣旨は素晴らしく、清水宏の教育問題についての熱意も伝わってくる。しかし時代が時代だけに、教師や保母の教育指導には疑問符が付くシーンも多く、とりわけ後半、院長の提案の下に裏山から水を引くために全児童が総出で水路を掘るというエピソードは、児童労働の強制にしか見えないのが残念なところで、その完成をもって教育の成果とするのには付いていけない。
 ラストで退所する児童たちが決意を語るシーンも、少国民として報国の誓いをしている姿に見えてしまい、1941年という時代背景を考えれば、銃後の皇国少年たちに向けた戦意高揚を意識したシーンといえなくもない。
 撮影は実際に修徳学院で行われていて、学院の近くを走るSLは関西本線。みかえりの塔は学院のシンボルで、逃亡しようとした児童2人が寮の鐘の音を聞いて思い留まった出来事がきっかけとなって造られたという。 (評価:2)

女医の記録

製作:松竹大船
公開:1941年11月23日
監督:清水宏 脚本:津路嘉郎 撮影:森田俊保 音楽:伊藤宣二

ヒューマニズムを強調するのが興趣を損なう
 女子医の前身、東京女子医学専門学校の女医と学生たちが、夏休みに山奥の無医村に無料健康診断にやってくるという物語で、医者に診てもらうと金が掛かると拒否する人や、肺病と診断されると村八分になると恐れる人等々、要は文明開化していない不衛生な生活をしている村民を啓蒙し、ボランティアする内容となっている。
 ヒューマニズム作品というよりは、国策啓発映画の臭いに若干鼻白むが、リーダー格の女医(田中絹代)と村の知的指導者である分教場の教師(佐分利信)のほのかな恋情も臭わせて、最後は女医自身が村に残る決心をするという、奉仕精神なのか恋のためなのか、よくわからないラストとなる。
 プロローグは女医と学生たちが山の道を登ってくる姿を移動カメラで撮影するが、手持ちなのか、レールがでこぼこしているためなのか、あまりスムーズではなく揺れるのが落ち着かない。
 それでも森の自然や川で遊ぶ子供たちといった清水宏らしいシーンも多くて、ナチュラリストになった気分で心が洗われるが、突然人買いのエピソードが入ったりして、ヒューマニズムを強調するのが興趣を損なう。
 赤ん坊が息を吹き返すシーンもやたらに長くて、今一つの出来。 (評価:2)

製作:日活京都
公開:1941年11月28日
監督:稲垣浩 脚本:和田勝一、稲垣浩 撮影:石本秀雄 美術:角井平吉 音楽:西梧郎
日本映画雑誌協会:5位

勝海舟役の阪妻頼みでヤマもオチも工夫もない
 吉田絃二郎の同名戯曲が原作。
 鳥羽伏見の戦いに敗れた徳川慶喜が江戸に戻り、勝海舟が主戦派を抑え、官軍の江戸城総攻撃を回避して無血開城するまでの話で、鳥羽伏見の戦いもなければ上野戦争もなく、江戸城無血開城がクライマックスという盛り上がりに欠く作品。
 勝海舟の政略だけを見せる政治ドラマという当時としても相当に思い切った作品で、交渉相手となる西郷隆盛も後姿しか登場せず、見どころは勝海舟役の阪東妻三郎だけ。
 せめて西郷隆盛を登場させれば、もう少し見られた作品になっただろうが、阪妻の勝海舟をフューチャーしたかったのか、実際、阪妻の江戸っ子・勝海舟は上手いのだが、シナリオが相当にダメで台詞が練れてないばかりか整理されてなく、延々とラジオドラマが続いては眠くなる。
 全編、板付きの芝居というのも工夫がなく、カメラも固定ばかりでほとんど静止画状態。車を使った移動撮影も変化がなくて単調。
 時代劇か人情劇の稲垣浩には不向きな原作をなんで選んでしまったのか、さらには西郷隆盛を外した心理劇という無謀な試みをしてしまったのか、阪妻を頼りにしてもシナリオがダメでは限界がある。
 徳川慶喜に尾上菊太郎、榎本和泉守に志村喬。 (評価:2)

製作:東宝映画
公開:1941年10月4日
監督:熊谷久虎 製作:森田信義 脚本:沢村勉 撮影:宮嶋義男 美術:北猛夫、平川透徹 音楽:早坂文雄
日本映画雑誌協会:10位

話はつまらないが、C58の映像がふんだんに見られる
 上田広の同名小説が原作。日本陸軍鉄道連隊の訓練を題材にした作品で、鉄道省と陸軍省報道部が後援・検閲した戦時国策映画。
 鉄道連隊の新兵たちを鉄道省のベテラン機関士が訓練し、中国大陸に送り出すというもので、物資・兵員輸送のための鉄道敷設や管理・運行といった、いわば大陸侵略のインフラを担った部隊。
 戦争の知られざる一面を描いたという点では興味深いが、内容は鉄道省が戦争に貢献していることをアピールするための広報映画。お国のために奉仕するベテラン機関士と訓練を受ける兵士の苦節を描き、戦地に送り出して終わりという、戦意高揚以外に工夫のないストーリーは至ってつまらない。
 それでも見どころを捜せば、一部模型や合成もあるが、C58の映像がふんだんに見られる点。とりわけ複線を2台の機関車が手前に向かって並行して走るシーンが、滅多にない映像で迫力満点。釜に石炭をくべる練習も見られて、鉄ちゃんには嬉しいかもしれない。
 ベテラン機関士に広島原爆で死んださくら隊隊長の丸山定夫、その娘に原節子、訓練を受ける兵士に藤田進。千葉駅、佐倉駅など、千葉県で撮影されている。 (評価:1.5)