海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1939年

製作:​日活多摩川
公開:1939年4月13日
監督:内田吐夢 脚本:八木隆一郎、北村勉 撮影:碧川道夫 美術:堀保治 音楽:乗松明広
キネマ旬報:1位

家族の在り方を見つめる内田吐夢のまなざしが光る
 長塚節の同名小説が原作。1968年に東ドイツで発見された93分短縮版、1999年にロシアで発見された115分版、両者を編集した117分版が存在する。
 惜しむらくはフィルムが一部欠損していることと、プリントの画質が悪く全体にぼやけていることで、本来の完全な状態で鑑賞することができず、正当な評価ができないが、それでも秀作であることは十分に伝わってくる。現存するフィルム部分だけでもデジタル技術での映像・音声の修復を望むが、またそれだけの作品でもある。
 プロローグはテキストから始まり、茨城県鬼怒川流域の村の小作人・勘次(小杉勇)の妻よしえが亡くなり、義父・卯平(山本嘉一)の借財を抱えて塩も買えない勘次が地主の家に米搗きの賃仕事を頼みに行くまでの説明がある。
 勘次と娘のおつぎ(風見章子)は、小作のほかに自作地を得ようと河原を開墾して働くが、借財のために一向に生活は楽にならない。にも拘らず卯平は働いた金で酒ばかり飲んでいるので勘次は粗末に扱うが、おつぎと弟の与吉(どんぐり坊や)は卯平に同情的。村人たちは義父を粗末に扱う勘次に批判的なため、勘次はますます卯平に冷たく当たる。
 そんな時に、卯平が火事を出し、家が燃えてしまう。責任を感じて卯平が雪の中で自殺を図ったことで勘次は反省して和解。再び家族一丸となって春を迎えるが、残念ながらこの和解以降のシーンは欠落し、テキストで説明される。
 映像は自然主義的リアリズムで、貧しいながらも懸命に働く勘次の姿がひしひしと伝わり、そんな父を助けながら祖父にやさしく接し、家族を思うおつぎが健気で温かい。
 家族の在り方を見つめる内田吐夢のまなざしが光る。 (評価:3.5)

製作:​松竹京都
公開:1939年10月10日
監督:溝口健二 脚色:依田義賢、撮影:三木滋人、藤洋三 美術監督:水谷浩 音楽:深井史郎
キネマ旬報:2位

まったりとした日本の情感が大好きという人には傑作だが…
 村松梢風の同名小説が原作で、2代目尾上菊之助を主人公とする実話がベースの芸道物。1937年に明治座で初演され、本作と同じ花柳章太郎が菊之助を演じている。
 2代目菊之助は5代目尾上菊五郎の養子で、明治19年に養父に勘当されて大阪に下り、4年後に許されて東京に戻るまでを描く。
 物語としては、後に6代目菊五郎となる義弟の乳母・お徳と恋に落ち、勘当されて大阪で辛苦に耐えながら芸道に励み、大阪公演にやってきた中村福助にお徳が頼み込んで歌舞伎に復帰、養父に勘当を許されるも菊之助を支えてきたお徳は身を引いたまま病死する。
 人気に芸が追い付かない菊之助に直言して芸道を支えるお徳が蔭の主人公だが、名を売るにはやはり家柄が大事といった台詞もあって、夫を支える妻が半ば敗北を認めているのが、なんとも言えない。夫の成功のために身を引き、病死する悲劇の主人公を演じるのは森赫子だが、古いモノクロフィルムの上にロングショットが多いので顔がよくわからない。
 戦前であれば貞女の鑑として称賛もされようが、現代の物語としてはそれ以上でもそれ以下でもなく、まったりとした演出のためにいささか退屈。これを情感ととるか冗長ととるかによって名作に対する評価も割れる。
 情感についていえば、映像的には計算しつくされたレイアウトの連続で、それだけ見れば名作。往来を行く主人公を下からのカメラで追いかけていくシーンや、奥行きのあるカメラワークで背景の人々を写す描写、格子越しに移動する主人公を映す1歩引いたカメラワークなど、全体に情景描写を重視する映像が素晴らしく、完成度も高い。
 まったりとした日本の情感が大好きという人には傑作だが、現在の映画に見慣れていると凡作にしか見えないかもしれない。 (評価:3)

戦ふ兵隊

製作:​東宝映画文化映画部
公開:1939年3月
監督:亀井文夫 製作:松崎啓次 撮影:三木茂、瀬川順一 音楽:古関裕而

日常としてのリアルな戦争を知ることができる貴重な作品
 陸軍省の協力によって制作されながら、厭戦的な内容から上映禁止となった戦争ドキュメンタリー。ネガが処分されたが、1975年に発見されたポジの66分版のみが存在する。オリジナルは80分。
 日中戦争の武漢作戦に従軍して撮影されたもので、日本軍が民家を焼き払い住民が家財道具を持って避難するシーンから始まるという、戦意高揚映画にしては刺激的なプロローグとなっている。以下、生活を再建する中国民衆、貴重な水を旨そうに飲む日本兵、病気で置き去りにされる軍馬、戦死を知らずに送られてきた戦友の妻の手紙を読む兵士たち等々が延々と描写され、人影の消えた武漢に入城する日本軍の虚しい姿で締めくくられる。
 後に亀井が治安維持法違反で投獄されたことから反戦映画とも評価されるが、勇ましい戦いではなく、亀井ら撮影班の目から捉えた中国民衆や兵士たちにとってのリアルな戦争を淡々と描いていて、異色な記録映画となっている。
 戦闘シーンに関しては、撮影班が前線より後方にいることもあって、砲弾や銃撃の音がBGMのように遠く聞こえるだけで、広大な山野の向こうに敵がいるといった長閑な戦闘風景となっているが、時折前線から送られてくる負傷兵や、おそらくは演出と思われる間近での着弾なども映される。
 中隊司令部でのシーンもあるが、これもおおそらく演出で、報告に来る兵士や指示を出す中隊長に戦争映画らしい緊張感がなく、会社での部下と上司のやり取りのように見えるのが微笑ましい。
 整列して軍人勅諭を唱和するシーンもあり、ドラマツルギーに則るフィクションとは違った、日常としてのリアルな戦争を知ることのできる貴重な作品となっている。 (評価:3)

製作:松竹大船
公開:1939年4月1日
監督:島津保次郎 脚本:島津保次郎 撮影:生方敏夫 美術:金須孝
キネマ旬報:4位

21世紀にも生きていけそうな最先端の妹を桑野通子が演じる
 サラリーマンの兄(佐分利信)とその妹(桑野通子)の兄妹愛を描いた小市民映画で、二人の付かず離れずの絶妙な間合いが、ウェットに流れないサバサバしたドラマになっている。
 前半、兄は妻(三宅邦子)を顧みず、退社後、会社の重役(坂本武)の家で深夜まで囲碁の相手をしている会社人間として描かれる。仕事も優秀で後輩の面倒見も良く、上司の受けも良くて却って同僚(河村黎吉)からは妬まれている。
 そこにたまたま妹を見染めた重役の甥(上原謙)からの縁談話が持ち上がり、出世競争に負けた同僚にゴマすり男と言いがかりをつけられて喧嘩。男の一分から辞表を叩き付けて潔白を証明。友人(笠智衆)の会社に誘われ、妻(三宅邦子)と妹を連れて満州に赴任するというラスト。
 定型的なホームドラマで話が特に面白いわけではないが、妹の役回りが英語が堪能な貿易会社の秘書というキャリアウーマンで、男に依存しない信条で結婚よりも仕事を選ぶ。縁談話も兄が会社で色眼鏡で見られようになるからと断る。
 そんな21世紀にも自立した女として生きていけそうな最先端の女を、モダンガールがピッタリの桑野通子が演じて惚れ惚れする。
 対する賢妻を演じる三宅邦子はそんな義妹を認めていて仲が良く、夫に盲従しているわけでもない。
 戦前の家長制の中では妹は兄夫婦と共に満州に付いて行かざるを得ないが、独身主義ではなく、キャリアを捨ててもいいと思えるような男が現れれば結婚すると話す。
 兄もまた妹の自主性を尊重するフェミニストで、小市民映画の体裁をとりつつ、フェミニズムが隠れたテーマとなっている。 (評価:2.5)

製作:松竹大船
公開:1939年12月1日
監督:吉村公三郎 脚本:池田忠雄 撮影:生方敏夫 美術:金須孝 音楽:早乙女光
キネマ旬報:7位

見どころはナイト役・佐分利信とお姫様役・高峰三枝子
 岸田國士の同名小説が原作。
 「啓子の巻」「銀の巻」の前後編180分で公開されたが、現存するのは再編集124分版のみ。
 一代で築いた東京の私立病院長・志摩泰英(藤野秀夫)が胃癌で療養中、二代目で副院長の泰彦(斎藤達雄)は頼りにならず、各医長たちも派閥争いをしているために病院の経営はすっかり傾いている。そこで経営再建のため実業家の日疋(佐分利信)を呼んでという物語だが、中身は完全な恋愛もの。
 泰英の娘・啓子(高峰三枝子)の友人で病院の看護婦をしている銀(水戸光子)を日疋が手懐けて、密偵として医師たちを探らせるが、銀は日疋への私情で引き受ける。一方、青年医師・笹島(徳大寺伸)は看護婦のひで子(槇芙佐子)と温泉に泊まる仲なのに、啓子と婚約。それを知ったひで子は病院を退職。ひで子と仲の良かった銀は日疋に告げ口。それを知った啓子が笹島との婚約を破棄。啓子は日疋にプロポーズされるが、銀が日疋を好きなのを知ってプロポーズを断り、日疋に銀と結婚するように言うという流れ。
 銀を好きでもない日疋が受諾するというのが、今の時世からは不自然だが、そこは昔話。もっとも日疋が受け入れる理由というのが、所詮庶民の日疋とお嬢さんの啓子は住む世界が違うから、銀がお似合いというもので、それなりにニヒルながら筋が通っている。
 もちろん啓子も日疋が好きで、亡くなった泰英に恩義のある日疋がこれからも啓子を守っていくとナイトとしての永遠の愛を誓うと、愛よりもプライドに生きるお姫様は、ナイトに背を向けて鎌倉の海に涙を捨てるという、感動的メロドラマのラストシーンとなる。
 本作の見どころは一にも二にもちょっと捻くれたナイト役の佐分利信と、気位の高いお姫様役の高峰三枝子の魅力に掛かっている。気位の高いお姫様とは対照をなす、マタハリ役の水戸光子が健気で可愛い。 (評価:2.5)

製作:松竹大船
公開:春夏の巻1939年1月28日、秋冬の巻1939年2月2日
監督:清水宏 脚本:清水宏 撮影:斎藤正夫、厚田雄治 美術:江坂実 音楽:伊藤宣二
キネマ旬報:6位

生々しい大人の世界を描く、子供の四季というよりは大人の四季
 坪田譲治の同名児童文学が原作。三平を主人公とする『風の中の子供』(1937)の続編で、「春夏の巻」と「秋冬の巻」の前後編で公開された。
 三平の一家は牧場を経営しているが、父が病気となり生活に困る。父は三平の母の父(坂本武)が経営する小野製織の元社員で、二人が祖父の反対を押し切って結婚したこと、父が会社からの借金を返済できないでいることが説明される。
 孫可愛さで祖父が援助を申し出るが、父がこれを断ったため再び不仲に。やがて父が死に、一家は祖父の家に住むことになるが、親戚筋の老獪(西村青児)に会社を乗っ取られ、父の借金のかたに祖父の家屋敷も取り上げられてしまう。
 その間、三平は老獪の息子・金太郎と仲良くなり、大人の事情に振り回される子供達の悲哀を描いていくが、老獪が競合会社の役員を兼職する利益相反行為で小野製織を去ることになり、何となく一件落着。
 三平兄弟と金太郎の仲も深まるのだが、会社は? 家屋敷はどうなるのか? 子供たちの関係は無事で済むのか? という問題は放り出したままの清々しさが嘘くさい。
 どろどろした大人たちの世界に翻弄されながらも逞しく生きる純粋な子供達、という児童文学にありがちなユートピア映画だが、会社を舞台にした大人たちの世界が余りに生々しく、物語の主題は子供の四季というより、大人の四季になっている。
 名前からして悪役を託された老獪は、利益相反の他にも年利30%の複利と高利貸し顔負けだが、反面で同族経営を脱しようとする改革派で、年端も行かぬ三平兄弟に、小野製織はお前たちのものだと私物化して嘯く祖父よりは余程近代化されている。
 祖父が頑固者の好々爺のように描かれているが、封建的価値観に縛られていて、それを被害者のように描いて良心作のように見せるのに、どうしても違和感が拭えない。 (評価:2)

製作:東宝映画
公開:1939年5月20日
監督:熊谷久虎 製作:森田信義 脚本:沢村勉 撮影:鈴木博 音楽:内藤清吾
キネマ旬報:5位

防戦一方の内容は平和ボケの目からは盛り上がりに欠く
 1937年の第二次上海事変をドキュメンタリータッチで描いた国策映画で、海軍省が後援している。
 中華民国軍が上海に駐留する日本軍の海軍特別陸戦隊に対して仕掛けた包囲攻撃で、日本軍は華北での戦闘拡大を背景に、租界を持つ上海では戦闘不拡大方針を採ったために、圧倒的兵力の中華民国軍に防戦一方、中華民国軍機による爆撃まで受けるというの苦戦を強いられる。
 こうした事情から、戦闘を望まず、上海居留邦人、中国人を保護する日本軍という美化された作品となっているが、一方で苦戦の中で最後の一兵となっても戦い抜くという軍人魂が強調され、銃後の日本人へのプロパガンダも忘れない。
 日本軍に保護される中国人の中に抗日的娘が登場するが、これに寛容な態度をとる日本軍を描くために、娘を原節子に演じさせている。
 海軍陸戦隊は大きな被害を出しながらも中華民国軍の猛攻を持ちこたえたところで物語は終わり、増援部隊の到着で中華民国軍を駆逐、上海の平和を回復したというナレーションで締めくくるが、映画自体は陸戦隊が一方的に痛めつけられるだけなので、平和ボケした目からは今一つ盛り上がりに欠く。
 当時の上海の映像が見どころで、火薬を使った戦闘シーンも頑張っている。 (評価:2)

鴛鴦歌合戦

製作:日活京都
公開:1939年12月14日
監督:マキノ正博 脚本:江戸川浩二 撮影:宮川一夫 音楽:大久保徳二郎 美術:角井嘉一郎

戦前の時代劇ミュージカルという異色作
 戦前の時代劇ミュージカルという異色作。鴛鴦はおしどりと読む。
 長屋に住む浪人を片岡千恵蔵が演じ、監督がマキノ雅弘だということでなければ見向きもされない作品。
 千恵蔵を取り巻く三人娘とのラブコメで、初めの20分は駄作感が付きまとうが、同じ長屋に住む志村喬の娘(市川春代)に殿様(ディック・ミネ)が恋して、嫌がる娘のために志村が右往左往するあたりから、ようやく見られる映画になる。
 ディック・ミネはすぐにそれとわかる美声で、大店の娘を演じる服部良一の妹で宝塚歌劇団の服部富子がプロの歌を聴かせるが、志村が意外と上手いのが本作の聴きどころ。市川春代がどちらかといえば素っ頓狂な歌声で、一人個性を放っている。
 もっともミュージカル(クレジットはオペレッタ)としては魅力のある曲が一つもないのが残念なところ。小唄のような昭和歌謡のようなといったジャンルの入り乱れた音楽は統一感がない。
 ラストは、志村の持つ麦焦がしの壺が千両の価値を持つと知って喜ぶ市川が、千恵蔵に「金持ちは嫌いだ」と言われて惜しげもなく壺を割り、金より恋を選ぶが、志村までが「それでいい」という庶民派的落としどころに、なんかな~、と思わずため息が出る。
 ここは有頂天の志村に蹴躓いて壺を割ってほしかった。 (評価:2)

白蘭の歌

製作:東宝映画
公開:1939年11月30日
監督:渡辺邦男 製作:森田信義 脚本:木村千依男 撮影:友成達雄 音楽:服部正

君も満蒙開拓団に参加しよう!という国策映画
 久米正雄の同名小説が原作。満洲映画協会との合作映画で、長谷川一夫と李香蘭の共演だが、長谷川が中心で李香蘭の出番は少ない。見どころは、李香蘭が共産匪を演じているところ。
 舞台は満州で、満鉄の技師が死んだ父の借金6000円を返済するために退職して、兄弟で満蒙開拓団に加わるという物語。満鉄の上司の娘、満人の富豪の娘との恋愛話、弟の遊蕩、共産匪との戦いなどが絡み、最後に主人公は命を落とすが、尽忠報国がテーマ。白蘭は民間人として国のために尽くして死んだ主人公を指す。
 本作を見るためには当時の歴史的知識が不可欠。日本と満州との関係を、恋人同士である満人の富豪の娘と満鉄の技師になぞらえ、蜜月のパートナーシップを構築する必要性を強調する。中国侵出のための満鉄の新鉄路敷設の話も出てきて、主人公自身、職を捨てて国策の最前線である満蒙開拓に身を捧げる。
 父の借財の返済のためというが、なぜ開拓村なのかは説明されない。テーマとして重要なのは、映画を見た国民を満州国建設と発展のために開拓団にリクルートすることで、そのために主人公は鉄路の最先端にある開拓村に赴き、開墾し、共産匪と戦う英雄となる。
 満人の富豪の娘は主人公に裏切られたと思って共産主義者の兄の仲間に加わるが、それが妹の恋人が日本人であることを快く思わない兄の策略だったことを知って改心するという円満ラスト。
 奉天などの風景が出てくるくらいで特に見どころはないが、こうした映画が創られたという点で映画史的には意味がある。 (評価:2)

製作:日活多摩川
公開:1939年10月15日
監督:田坂具隆 脚本:笠原良三、陶山鉄 撮影:伊佐山三郎、横田達之 音楽:中川栄三
キネマ旬報:3位

前進・前進・前進あるのみ、突撃・突撃・突撃あるのみ
 火野葦平の同名小説が原作。
 1937年11月の杭州湾上陸から嘉興占領までを描く戦記映画。背景として、7月の盧溝橋事件からの日中戦争緒戦の軍事作戦で、上海駐留の日本海軍陸戦隊が南京国民政府軍の包囲を受け、これに対して包囲線を背後から突くために、上海南方の杭州湾より第10軍を奇襲上陸させ、中国軍を南京に退却させることに成功。以後、日中間の全面戦争となっていく。
 主人公は火野がモデルの第二分隊長玉井伍長(小杉勇)だが、戦意高揚映画ということもあって前進・前進・前進あるのみ、突撃・突撃・突撃あるのみといった、ひたすら勇猛果敢に突撃・進軍する日本兵を見せて、銃後を鼓舞するだけの内容になっている。
 全編ほぼ進軍シーンと戦闘シーンで、敵との攻防との合間に、小隊長の家族写真、戦死する戦友、荼毘や傷病兵などのエピソードを挟むが、ドラマといえるほどにはなってなく、延々と従軍カメラマンによる記録映画のように第10軍の観客への一方通行の戦争を見せられる。
 そのため主人公が主人公とはいえないほどに影が薄く、すべてお国のために身命を捧げるロボットのような人間しか描かれない。
 戦争における人間としての家族愛や戦友、敵兵に対する葛藤というものはなく、戦意を高揚するだけの映画でしかないのが寂しい。
 実際の戦闘がどうだったかはわからないが、歩兵が広大な泥地や湿地を制式銃と軽機銃だけで進み、平地にパノラマのように展開する日本兵を丘の上にある敵の拠点から狙い撃ちする戦闘が続くと、気合だけで無策な中世の戦闘を見ているような気になる。とりわけ、敵の石か土造りの家を機銃だけで崩壊させるシーンが泣けてくる。
 包囲戦の攻防では大砲などの重火器や爆撃機も登場するので、中国ロケの撮影シーンには軽火器しか用意できず、実戦映像との寄せ集め編集にも思えるが、戦闘シーンは比較的リアル。
 玉井伍長が中国人の赤ん坊を助けるシーンもあって、逆賊は中国軍、日本軍は人道的をアピールするが、民家を焼き討ちするシーンもあったりして、国策映画としての中途半端さが拭えない。 (評価:1.5)


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