海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1938年

製作:東宝映画
公開:1938年2月1日
監督:亀井文夫 製作:野田眞吉 撮影:三木茂 音楽:飯田信夫
キネマ旬報:4位

戦争は無意味で悲惨だということ伝える国策映画
 1937年の第二次上海事変後の上海を記録したドキュメンタリー。東宝文化映画部によって撮影されたフィルムを亀井文夫が編集したもので、亀井自身は撮影に立ち会っていない。
 陸軍省・海軍省後援の下に撮影された国策映画で、将官たちのインタビューも含まれているが、総じて客観的な記録映画となっていて、上海の街の抗日の様子、中華民国軍が敷いた陣地の残骸、中華民国軍の爆撃で破壊された住宅、廃墟となった街、引揚により生徒の激減した日本人学校、中華民国軍の抵抗の跡、死亡した日本兵の慰霊塔、日本軍の市内への進駐、市内に入る中国人・外国人への検問などの様子が映し出され、戦場ではなく、嵐が通り過ぎた後の戦争の爪痕が描かれる。
 中華民国軍捕虜や上海の中国民衆に対する人道的支援や扱いと並べて、対する中華民国軍の無差別爆撃などの非道を強調するといったプロパガンダはあるものの、それらを超越した戦争の悲惨と虚しさが横溢していて、敵味方関係なく戦争の実態を晒している。
 とりわけ上海上陸戦が行われたクリークでの激戦の跡が悲惨で、広大なクリークのそこかしこに散乱した軍刀やヘルメットなどの軍装、水筒や飯盒とともに、戦死した日本兵の夥しい慰霊碑が林立する。
 本作から伝わってくるのは、日本兵にとっても上海の中国民衆にとっても戦争は無意味で悲惨だということで、中盤で映し出される第一次上海事変の爆弾三勇士の戦跡や碑が虚しい。 (評価:3)

製作:日活多摩川
公開:1938年8月31日
監督:田坂具隆 脚本:荒牧芳郎 撮影:伊佐山三郎、碧川道夫、永塚一栄 音楽:中川栄三
キネマ旬報:2位

コミカルシーンも混じる子役演出が冴える
 山本有三の同名小説が原作。
 明治35年からの栃木町を舞台に、男子総代でありながら貧しさのために中学に進学できず、町の呉服商の丁稚奉公となり、母の自殺により店を出され、放蕩な父を頼って東京・根津の下宿屋を訪ね、そこを飛び出るまでの少年・吾一の姿を描く。
 家に寄りつかず放蕩する没落士族の父(山本礼三郎)、美人だが病弱な母(滝花久子)、母子に同情を寄せる大家の書店主(井染四郎)、小学校教師(小杉勇)を中心に、吾一に助力する大人たちと、プライドから妻子を不幸にする父、強欲な呉服屋の間で苦しみながらも向学心に燃える吾一の姿が痛々しいほどに健気。
 吾一を主人公とした物語だが、演じる子役の片山明彦が抜群にいい。材木屋の息子、呉服屋の息子と娘(星美千子)など、吾一と絡む子役に演技をつける田坂具隆の演出が冴える。シリアス一辺倒にならず、コミカルなシーンも入れて暗くならないようにしたのも上手く、若干の間延びした演出とフィルムの古さを除けば、文部省推薦映画第1号に相応しい親子で鑑賞できる良質の作品に仕上がっている。
 吾一が書店主からもらう『学問のスゝメ』の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」が一貫したテーマで、金が支配する世の中に反抗する少年として描いている。
 当時の生活の様子や子供たちの遊びや祭、風俗などが描かれているのも見どころで、根津の下宿屋の女主人を演じる沢村貞子が若い。 (評価:3)

製作:東京発声映画製作所
公開:1938年3月17日
監督:豊田四郎 製作:重宗和伸 脚本:八田尚之 撮影:小倉金弥 美術:河野鷹思 音楽:今沢将矩
キネマ旬報:7位

淡々と描かれても可哀想な泣蟲小僧に同情するだけ
 林芙美子の同名短編小説が原作。
 小僧こと啓吉は、父は死別し、母・貞子、妹・礼子と東京郊外に暮らしている。貞子は吉田という男に養ってもらっているが、啓吉が男に懐かないために妹・寛子(逢初夢子)に預けてしまうという薄情な母親。
 自分勝手な姉に辟易している寛子は、売れない小説家の夫に末妹の蓮子(市川春代)に預けるように言うが、人の好い夫は新婚の蓮子に家賃を貸しただけで失敗。ダメな自分に呆れ果て、飲み屋で酔い潰れている間に啓吉は行方不明に。尺八吹きに保護された啓吉は、三女で独身のモダンガール菅子の一喝で貞子の家に戻される。しかし小学校での授業中に呼び出され、母は九州に行かなければならなくなったと言って、蓮子宛の手紙を持たせて去ってしまう。
 学校が終わりもぬけの家に帰った啓吉が、一人寂しく蓮子の家に向かうシーンで終わる。
 男ができて邪魔になった子供を遺棄するという話は、今に始まったことではないことを教える作品で、貧しさから子供を捨てたり売ってしまう話は多い。
 お腹を痛めた子供を捨てるなど信じられない、母はすべからく聖母マリアであると信じるのは大きな誤解で、そんな育児放棄の母親を描くが、それを淡々と描かれても可哀想な泣蟲小僧に同情するだけで、啓吉の将来を案じながらも虚しさしか残らず、本作が何を訴えようとしたのか不明なのが残念なところか。 (評価:2.5)

製作:東宝映画
公開:1938年8月21日
監督:山本嘉次郎 製作:森田信義 脚本:木村千依男 撮影:三村明 音楽:太田忠
キネマ旬報:5位

貧しい家の子の雰囲気を漂わせる高峰秀子の抜群の演技力
 豊田正子の同名文集が原作。
 正子(高峰秀子)は葛飾区四つ木の小学6年生で、ブリキ職人の父(徳川夢声)、母(清川虹子)、弟(小高まさる)の貧しい家に暮らしている。本田小学校で大木先生(滝澤修)の指導の下、綴方(作文)の腕をめきめきと上げ、赤い鳥に掲載されて卒業するまでの1年間を、1学期・2学期・3学期の3章に分けて描くが、この章立て自体はあまり意味がない。
 最初に赤い鳥に掲載された綴方に近所の有力者の悪口が書かれていたために騒動になったり、父親が失職して日雇いになったり、芸者に売られそうになったりという貧乏話が続く中、父の仕事も上向いて、無事卒業して荒川放水路(荒川)の向こうの工場に就職が決まるまでが描かれる。
 劇中、正子の朗読を織り交ぜながら綴方の内容をドラマとして描くという手法がとられているが、大人顔負けというよりは大人以上の演技力を発揮する14歳の高峰秀子が見どころとなっている。仕草や表情、会話、歩き方のどれをとっても貧しい家の子の雰囲気をスクリーン一杯に漂わせる自然な演技力に見惚れる。
 山本嘉次郎らしい非の打ちどころのない作品なのだが、後日談があって、ベストセラーとなった印税を巡る正子と大木のトラブルとか、この手の貧乏物語にありがちなスキャンダルを残している。
 当時の四つ木周辺の風景や下町の生活が垣間見られるのも見どころ。 (評価:2.5)

按摩と女

製作:松竹大船
公開:1938年7月7日
監督:清水宏 脚本:清水宏 撮影:斎藤正夫 美術:江坂実 音楽:伊藤宣二

ヤマなしオチなしイミなしの物語だが、なぜか心がほっこりする
 他愛ない物語ながら情感の漂う小品。
 主人公は按摩の徳市(徳大寺伸)、ヒロインはいわくありげな一人旅の美女・美千穂(高峰三枝子)。
 同じく按摩の福市(日守新一)と共に山間の温泉宿を巡る徳市は、目は見えずとも研ぎ澄まされた感覚の持ち主で、追い抜いていく馬車に東京の香りのする女が乗っているのに気付く。
 宿に着いて呼ばれた客がこの東京の女で、心眼で美人と感じた何やら訳ありな美千穂に惹かれる。
 ところが子連れ男の泊り客・眞太郎(佐分利信)も馬車で知り合った美千穂に惹かれていて、東京に帰るはずが一日一日滞在を延ばすが、何事もなく帰っていく。
 さて、この平和な温泉宿に起きる事件といえば盗難くらいで、美千穂の向かいの部屋のハイキングご一行様の財布が盗まれてしまう。
 直感で美千穂が犯人ではないかと感じた徳市は、警察が来たことを知って美千穂を逃がす。ところがそれは勘違いで、美千穂は妾になっていた男から逃げてきていたという事情。
 翌日、美千穂は徳市を残して馬車で去って行くという、ヤマなし、オチなし、イミなしの物語なのだが、淡々とした情緒と写実的な映像が醸し出す独特の雰囲気が清水宏的で、なぜか心がほっこりとする。
 盲人が主人公ながら、盲には目明きには見えないものが見えるというテーマに貫かれていて、盲人へのからかいや反骨精神など、自然体で描かれているのもいい。 (評価:2.5)

製作:東宝、前進座
公開:1938年3月1日
監督:熊谷久虎 製作:武山政信 脚本:熊谷久虎、安達伸男 撮影:鈴木博 音楽:深井史郎
キネマ旬報:8位

武家屋敷の美術とクオリティの高い映像が見どころ
 森鴎外の同名短編小説が原作。寛永年中、肥後藩の家臣・阿部一族が上意討ちに遭った顛末を書いた『阿部茶事談』を基にしたフィクション。
 肥後藩主細川忠利が逝去し18人の家臣が殉死するが、家臣の一人、阿部弥一右衛門(市川笑太郎)は殉死を願い出るも許されず、主君の死後、家中から命を惜しんでいると誹謗される。このため弥一右衛門は追腹を切るが、忠利の遺命に背いたために阿部家は家督を分割されてしまう。
 これに不満を持つ長男の権兵衛(橘小三郎)は、忠利の一周忌法要で弥一右衛門の位牌がなかったことから髷を切って身分を返上するが、新藩主・光尚への政道批判とされ、罪人として縛り首にされる。
 権兵衛の弟たちは屋敷に立て籠もって謀反を起こしたと見做され、光尚は討手を差し向ける。阿部家に同情的だった隣家の柄本又十郎(河原崎長十郎)は見過ごすこともできずに討ち入りに加わり、次男・弥五兵衛(中村翫右衛門)と一騎打ち。激しい戦いの末に阿部家は全滅する。
 鷹狩に向かう馬上で阿部氏全滅の報に接した光尚は、忠利の家臣たちが次々と離れていくのを感じて幕となる。
 台詞が聞き取りにくいのを除けば良くできた作品で、武士の名誉と家名のために一致団結する阿部兄弟の結束が、国民精神総動員の時勢にも合うテーマとなっている。
 とりわけ阿部家の屋敷などの美術が見どころで、屋外も含めて映像的にもクオリティの高い作品となっている。 (評価:2.5)

家庭日記

製作:松竹大船
公開:1938年9月29日
監督:清水宏 脚本:池田忠雄 撮影:斎藤正夫、厚田雄春 音楽:伊藤宣二

幸せなのは男なりの男性中心主義を絵に描いた作品
 吉屋信子の同名小説が原作。
 女性作家が描く男女関係を男性監督が撮るという戦前の作品で、ヒューマニストではあってもフェミニストではない清水宏の時代性とぎごちなさが表れている。
 男2人、女3人が絡み合った人間模様を若干引いた客観的視点で描くが、男の結婚観と女の結婚観を対峙させながらも、愛情を選ぶか打算を優先させるかという論点が、ハッピーエンドという妥協と曖昧の中に雲散霧消する。
 これでみんなが幸せになれるとはとても思えず、結局は男社会の男の論理に埋没していて、男の価値観から抜けられない清水の限界を感じる。
 女給の桑野通子と恋愛結婚をした上原謙と、恋人・三宅邦子を捨て医者になるために婿養子となった佐分利信。
 一方の女性側は、モガの桑野、美容師として自立した女となった三宅、婿養子の夫に遠慮する貞女・高杉早苗という布陣。
 転勤で東京に戻った上原が佐分利に再会、夫婦同士の交際が始まったことから波瀾が始まる。
 高杉は自由な女・桑野に憧れて家の外の世界に出ていくことになるが、その心理変化はうまく描かれていない。
 桑野に友人の三宅を紹介され、やがてそれが夫の元恋人だったことを知り、心に細波が立つ。成功者となった佐分利は三宅と再会するが、過去を口止めし、美容院の銀座への移転を取り持つ。
 子供ができても親に結婚を認めてもらえない上原は、良妻を演じてくれない桑野との結婚を後悔、高杉に妻の理想を見る。実家の父とも和解し息子を連れていくが、義父に息子を奪われた桑野は自殺未遂。
 遺書を見た佐分利は、女給と見下していた桑野の純情を初めて知るが、何を今更という感じ。桑野と義父との仲を取り持つという大団円の予感で終わるが、とてもそうなりそうもない。
 一番幸せに見えるのは、打算で結婚して成功者となった佐分利で、元恋人とのわだかまりを修復し、妻の疑いも三宅との共同の嘘でごまかし、ひょっとして三宅との密かな関係が始まるのではないかという予感。
 加えて親友夫妻の家庭問題を解決してあげ、友人もその妻も、自分の妻も元恋人もみんな幸せにする、自分は善き人間だと思い込む自己満足。
 まさに男性中心主義を絵に描いた作品といえる。
 後年、良妻賢母役のイメージが強い三宅邦子の、自立した女ぶりが意外な見どころ。子供の養育をめぐっては、家父長制に対する疑問は、清水に微塵も感じられない。 (評価:2.5)

製作:松竹大船
公開:1938年7月1日
監督:渋谷実 脚本:柳井隆雄 撮影:杉本正二郎 美術:江坂實 音楽:堀内敬三
キネマ旬報:3位

リアリティがないのも頷ける女の情念が生んだ作品
 矢田津世子の短編小説『秋扇』が原作。
 男にとって女は道具にしか過ぎないという、女から見た男性不信を描く作品。
 本作に描かれる男性像には女への愛情は欠片もなく、作品は男に対する悪意に貫かれていて、原作者はよほどの男嫌いに違いないと思わせるほどに辛辣だが、矢田津世子が交際していて絶縁することになった坂口安吾が関係しているのかもしれない。
 主人公の母(吉川満子)は会社専務(河村黎吉)の妾で、薹が立ってお払い箱になりつつある。妾との間には息子(徳大寺伸)と娘(田中絹代)がいるが、本妻には子がなく、息子は会社の跡継ぎ、娘は右腕の社員(佐分利信)の婿にと専務は考えている。
 ところが息子は仕事も碌にせず女遊びに明け暮れ、右腕の社員は婚約者(水戸光子)を捨てて専務の娘に乗り換えるという打算男。それがバレて専務の娘とは破談になってしまうが、専務は専務で妾に茅ケ崎の新居を宛がって厄介払いをしようとした矢先に妾が病死してしまい、これ幸いとばかりに事業に精を出すという、碌な男が登場しない物語。
 妾としての役割を終えれば捨てられてしまう母、ほのかに恋慕を抱いた将来有望な二枚目がとんだ食わせだったという娘、その二枚目に捨てられるもう一人の食堂の娘という、こちらは男に虐げられる可哀想な女しか登場しない。
 あまりにステレオタイプな男女しか登場しない昼メロにもならない作品だが、専務がまるで社長のように振る舞うのも変で、何の事業をしてる会社なのかもわからず、仕事の会話も抽象的で、最後は専務が株主総会の議長をするという、一体この会社には社長がいるのか? というワンダーカンパニー。
 これだけ舞台設定にリアリティがなければ、キャラクター設定にリアリティがないのも頷けるという、女の情念が生んだ作品。監督は男だが… (評価:2)

南京 戦線後方記録映画

製作:東宝映画
公開:1938年2月20日
監督:秋元憲 製作:野田眞吉 撮影:白井茂 音楽:江文也

南京陥落の描かれなかったものの中に意味のある記録映画
 1937年の日本軍の南京入城後を記録したドキュメンタリー。『上海 支那事変後方記録』に引き続いて、東宝文化映画部によって撮影されたもので、12月13日の南京陥落の2日後、15日から1月4日まで撮影したフィルムを秋元憲が編集したもので、秋元自身は撮影に立ち会っていない。
 陸軍省・海軍省後援の下に撮影された国策映画で、南京陥落直後の様子を伝えるが、軍による規制があったためか残念ながら戦禍の後や街の様子を写したシーンは少ない。それでも人っ子一人いない街の廃墟の映像からは、激しい戦闘の後が窺え、南京事件の実相が如何であったかはともかく、戦争そのものは徹底した破壊戦であったことが窺われる。
 南京市民に住民票を交付したり、爆竹で正月を祝う子供たちのシーンはあるものの、中国人や街の様子を写したものは限定的で、それ以外の写されなかったもの、写すことができなかったものがあったことが容易に想像できる。
 本作の多くのシーンは南京入城式や戦死者の慰霊祭、正月飾りの準備といった式典で、攻撃の様子を描く再現場面の撮影や、日本軍を歓迎する南京市民、厚遇を受ける捕虜といった官製シーンばかりなのが、かえって隠された虐殺の存在を浮き上がらせる。
 徳川夢声によるナレーションも、殊更に不都合を隠蔽しているように感じさせるが、住民票の交付シーンからは、漢奸以外の者、すなわち抗日市民の大量処刑を窺うことができる。
 国策映画の域を出ないが、想像力を働かせれば描かれなかったものの中に意味のある記録映画になっている。 (評価:2)

製作:日活多摩川
公開:1938年1月7日
監督:田坂具隆 脚本:荒牧芳郎 撮影:伊佐山三郎
キネマ旬報:1位

田坂具隆の監督としての限界を感じさせる国策映画
 田坂具隆のオリジナルストーリーによる国策映画で、北支戦線が舞台。
 岡田部隊長(小杉勇)率いる中隊が200人を80人に減らして拠点を奪取。敵情視察のために5人の斥候兵を送るも敵に発見されてしまい、五月雨に4人が帰還するが木口一等兵(伊沢一郎)が戻らない。岡田は死亡と本部に連絡。
 本部から出撃命令が下った時、木口がふらふらしながら帰還。一同喜び、「君が代」を斉唱。木口どもども出陣するという軍人魂を鼓舞する。
 部隊長が半分以上も兵士を戦死させておきながら平然と武勇を褒め称え、激戦を振り返って陣中日誌を読み返すのが楽しみと言うのが、のっけから力が抜ける。
 続いて傷病兵がまだ戦えるといって野戦病院送りを嫌がったり、斥候が敵に発見されて仲間を置いてきたのを咎めもしないという、マネージメント能力に欠けた精神論だけの部隊長ぶりに、戦後の日本のサラリーマン社会の原点を見るような気がしてくる。
 死に際に天皇陛下万歳を叫んだ兵士を褒め称え、君が代のために命を捨てて敵陣に乗り込む気構えを鼓舞し、「海ゆかば」を歌いながら出撃するという国粋映画としては良くできた作品だが、まさか国策に対する皮肉というようには微塵も感じられないのが、迷いなく国策映画を撮る田坂具隆の監督としての限界を感じさせる。
 斥候兵が川の中をジャブジャブ音を立てるのが見ていて気になる。戦争場面は千葉県習志野でロケ。 (評価:2)