海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1933年

製作:入江プロダクション
公開:1933年6月1日
監督:溝口健二 脚本:東坊城恭長、館岡謙之助、増田真二、清涼卓明 撮影:三木茂
キネマ旬報:2位

入江たか子の「貢がせてください」という言葉にとろける
 泉鏡花の小説『義血侠血』が原作のサイレント映画。
 馬車の馭者をしている村越(岡田時彦)を見初めた水芸人の瀧の白糸太夫こと友(入江たか子)が、法律家になりたい村越を上京させ、学費を援助して尽くすという、男にとってはこれ以上はない物語で、若くて美人で艶っぽい入江たか子の「貢がせてください」という言葉にとろける。
 物語は冬になって水芸が流行らなくなり、座員に金を騙し取られたり、座員の駆け落ちを援助したりで村越に送る金がなくなり、友が高利貸しの岩淵(菅井一郎)から金を借りる。ところが、帰り道に以前より友を恨んでいる芸人仲間の南京(村田宏寿)に襲われ、金を奪われる。
 それが岩淵が仕組んだことと見抜いた友は岩淵に抗議に行くが、友をモノにしたい岩淵に飛んで火にいる夏の虫とばかりに逆に乱暴されそうになり、その拍子に拾った南京の包丁で岩淵を刺してしまう。
 殺人犯となった友は村越に一目会いたさに上京するも果たせずに逮捕。兇器の包丁の持ち主の南京が殺人犯として誤認逮捕されるが、学業を終えて検事となった村越が裁判の担当となり、友は夢を叶えた村越に自分が刺したと真実を証言して自殺。村越も後追い自殺する。
 学費を援助してもらう友に命に懸けて報いると約束した通りの死で、泉鏡花の原作ながら感動的なラストシーンとなっている。
 溝口の演出はきめ細やかで、サイレントながら情緒たっぷり。弁士の余計な語りなどない方が俳優の演技や表情、情感などが伝わってきて、作品の芸術性を損なうことがないという出来になっている。
 入江たか子が一途な女を演じて上手く、その純情が心を打つ。
 水芸のシーンや東京に向かう汽車のシーンなど映像的にも見どころが多いが、友と村越の自殺を暗示するラストシーンが婉曲的で、若干わかりにくい。 (評価:3.5)

製作:松竹キネマ
公開:1933年4月1日
監督:成瀬巳喜男 脚本:成瀬巳喜男 撮影:猪飼助太郎
キネマ旬報:4位

水久保澄子が可憐さを全開する元祖アイドル映画
 成瀬巳喜男のサイレント期の代表作とされる作品。
 芸者の母・菊江(吉川満子)を嫌う青年・義雄(磯野秋雄)と、その芸者の妹分の娘・照菊(水久保澄子)との淡い恋を描く純愛物語で、姉芸者を慕い、義雄のためを思い、家族のために自らを犠牲にして生きる照菊の健気な姿が胸を打つ。
 その照菊を演じる水久保澄子がことのほか可愛く、目の大きな現代的な顔立ちにも関わらず丸髷が似合い可憐。松竹レビューからの女優転身でスタイルも良く、『映画之友』の表紙を飾って、アイドル的人気だったという。
 そうした点では元祖アイドル映画で、義雄の妹のように振る舞い、不良仲間に引き摺られる義雄を引き戻し、家庭の貧しさから芸者に売られ、遊んでばかりで妹まで芸者に売ろうとする父に意見し、地方に転籍する金で妹を守るという清純無垢なヒロイン。
 そのために義雄との恋を捨てるというもので、別れに愛の告白をし、いつまでも義雄のことを忘れないから、義雄も私のことを覚えていてほしいという台詞が、成さぬ恋の切ない幕切れとなる。
 舞台は蒲田撮影所に近い大森三業地、照菊の実家は逗子か横須賀辺だろうか。照菊と義雄が海を見に行こうと電車に乗り、照菊の実家を訪ねる初デートで描かれる漁村風景が美しい。 (評価:3)

製作:松竹キネマ
公開:1933年9月7日
監督:小津安二郎 脚本:池田忠雄 撮影:杉本正二郎 美術:脇田世根一
キネマ旬報:1位

人間の指が5本あるのは、4本だと手袋の指が1本余ってしまうから
 不況下にその日暮らしを強いられている貧しい人々を描く、サイレント作品のヒューマンドラマ。
 工場で働く子持ちで男やもめの喜八(坂本武)が千住の繊維工場を解雇された娘・春江(伏見信子)に同情。おとめ(飯田蝶子)に紹介して店の手伝いをさせ、何くれと世話を焼いてあげるとおとめから話があるという。
 世話を焼くうちにすっかり春江に熱を上げてしまった喜八は、さては春江を後妻にという話と思いきや、喜八の仲間・次郎(大日方伝)と春江との縁談と知ってガックリ。もっとも喜八の心を知っている次郎は春江に冷たく当たるばかりで、春江には喜八との結婚を勧める。
 そこへ息子の富坊(突貫小僧)が食い過ぎの腸カタルとなり、入院費に困っていると、世話になったからと春江が体を売って金を工面すると言い出し、本心では春江の好きな次郎はそれを諫めて床屋(谷麗光)から借金。
 富坊は元気になるものの、次郎は借金を返すために北海道に人夫として働きに出ることになり、次郎の本心を知って喜んだのも束の間、春江は肩を落とす。
 それを知った喜八は次郎を止めて自分が北海道に行くと船に乗るが、無学な喜八は北海道が遠隔の地だと知らなかったのか、富坊恋しさに思い直し、家に帰ろうと海に飛び込んでジ・エンドとなる。
 喜八の恋愛話を軸に、自己犠牲をもって人のために尽くすという善良な市井の人々、貧しい者同士が愛をもって支え合うという理想の姿が描かれるが、一方で父と息子の関係性がテーマにもなっていて、後年テーマである父と娘の関係性と比較すると興味深い。
 小津の描く父子は無垢で、父は無学だが純朴。息子もまた純粋で、人間の指が5本ある理由は、4本だと手袋の指が1本余ってしまうからだという答えが優しい。海の水が塩辛いのは、(塩)鮭が泳いでいるから。
 父子の互いに相手を思う心が温かい。
 タイトルの由来は不明だが、喜八が富坊に時には父親らしいことをと渡した50銭が騒動の発端となっていて、これが喜八の出来心ということかもしれない。 (評価:2.5)

製作:松竹キネマ
公開:1933年6月8日
監督:成瀬巳喜男 脚本:池田忠雄 撮影:猪飼助太郎
キネマ旬報:3位

頼りない夫に対等の立場で接するおみつが心地よい
 昭和恐慌で失業者の溢れた都会を背景に描いた作品で、東京か横浜の港町を舞台にしたサイレント映画。
 失業した夫は出奔したままで、妻のおみつ(栗島すみ子)は幼い息子・文坊(小島照子)を抱えて船員たちのたむろする酒場で女給をしている。言い寄る男たちも多いが身は堅い。
 そこに夫(斎藤達雄)が帰ってきて、ようやく親子3人の生活が戻るが、夫の就職口はなかなか見つからず、そうこうしているうちに文坊が交通事故で怪我をし、入院費を得るためにおみつは体を売る決心をする。
 それを知った夫は、金を工面すると言って出かけ、強盗を働く。帰ってきた夫におみつは自首を勧めるが、わが身の情けなさに進退窮まった夫は海に身を投げるという結末。
 強く生きるんだよと息子を諭すおみつの言葉が、そのまま辛い時代を生きる観客へのメッセージとなっている。
 ストーリーそのものは直球の社会派映画だが、カット割り・編集等、サイレントながら成瀬巳喜男の卓越した演出を見ることができる。
 貧困を描いたということでは現代にも通じるが、男に頼らないで生きる女という点では先進的な女性像が描かれていて、実際頼りない夫に対等の立場で接するおみつが心地よくもある。
 本作の冒頭にはサイレントにも関わらず主題歌 「ほんとにさうなら」がクレジットされていて、上映時に楽士によって歌われていたらしい。久保田宵二の詞は以下の通りで、2番に「夜毎くる来る夢でくる」というタイトルに因むフレーズがある。

 たとへ火の雨槍の雨 月が四角に照ったとて 好いて好かれて紅紐の 解けぬ二人は縁結 ほんとにそうなら嬉しいね
 離れ離れに西東 三月三年逢はずとも 愛しこひしの君ゆゑに 夜毎くる来る夢でくる ほんとにそうなら嬉しいね
 さみし戀しのせつなさに 折って畳んだ紙鶴の 一つひとつも思ひ出に 晴れてあなたと新ホーム ほんとにそうなら嬉しいね

 作曲は古賀政男。酒場の女将に飯田蝶子。 (評価:2.5)

製作:松竹キネマ
公開:1933年2月2日
監督:五所平之助 脚本:伏見晁 撮影:小原譲治
キネマ旬報:9位

無邪気な少女を田中絹代が好演する、もう一つの『伊豆の踊子』
 川端康成の同名小説が原作。1974年までに6回映画化されている中の最初の作品で、サイレント。
 純文学の映画化にあたり、ストーリー性を強めるために大幅に脚色されていて、原作とはかなり毛色の違った通俗的な作品になっている。川端文学の映像化を期待している人は、覚悟して見るか、耐えられないのであれば見ない方が良い。
 修善寺から湯ヶ島への途中、旅芸人の一行と出会った学生(大日方傳)は下田までの道連れとなるが、これに新たに加わるエピソードが、学生の学校の先輩(竹内良一)が温泉宿・湯川楼の跡継ぎで、主人・善兵衛(新井淳)は伊豆の金鉱で当てて宿を繁盛させたというもの。この山を持っていたのが旅芸人の栄吉(小林十九二)の亡父で、善兵衛の金鉱探しを手伝っていた技師(河村黎吉)がこれに絡む。
 栄吉の父が善兵衛に騙されて山を売ったと聞いた学生が湯川楼に抗議に訪れると、そうではなく、栄吉が道楽者なので、栄吉の父に頼まれて妹の薫名義に貯金してある、踊子として連れ歩いている薫(田中絹代)を引き取って息子の嫁にするつもりだと善兵衛に聞かされる。
 学生と薫は相思相愛の仲になっているが、この話を聞いて学生は薫の幸せのために身を引き下田港で別れるという、身分違いのための別離という原作の悲哀とは異次元の、通俗的な悲恋物語になっている。
 それにも増して本作の見どころとなっているのは、薫の無邪気な可愛らしさで、大口を開けてうどんを食べる仕草や、岩の上でぴょんぴょん撥ねる姿など、学生に恋する可憐な少女を23歳の田中絹代が好演していて、アイドル映画のようでさえある。
 伊豆や安曇野でロケしたという昭和初期の映像も見どころで、川端康成の『伊豆の踊子』とは別の踊子物語だと割り切れば、ロードムービー風の楽しい作品になっている。 (評価:2.5)

大学の若旦那

製作:松竹キネマ
公開:1933年11月1日
監督:清水宏 脚本:荒田正男 撮影:青木勇、佐々木太郎 美術:脇田世根一

物語の構成がよく似た東宝『若大将』シリーズの原型
 東宝の『若大将』シリーズの原型となった作品で、第1作『大学の若大将』と物語の構成がよく似ている。
 若旦那(藤井貢)は醤油問屋の若旦那で、勉強よりもスポーツという大学ラグビー部の花形選手。お座敷遊びも大好きで、知らずに番頭の忠一(徳大寺伸)の恋人・お舟(若水絹子)を贔屓に。忠一は若旦那のために身を引いてしまう。
 二人の仲を知っていた若旦那の下の妹・みや子(水久保澄子)は兄とお舟を離れさせるが、今度は若旦那、後輩の北村(三井秀男)の姉・たき子(逢初夢子)が、弟を大学に行かせるためにレビューガールをしていることを知り、たき子に恋してしまう。
 レビュー通いの日々に、素行不良と見做された若旦那はラグビー部を退部させられる。若旦那のことを思う北村が二人を別れさせ、若旦那をラグビーの試合に復帰させて見事勝利。
 大学生に戻った若旦那とたき子は身分違いの恋を諦めるという、ほろ苦い結末となる。
 セット撮影が中心だが、清水宏らしいリアリズムとカメラワークが見られる。
 逢初夢子が出身の松竹歌劇団のレビューシーンが登場。逢初夢子の全身の美貌も見どころ。 (評価:2.5)

非常線の女

製作:松竹キネマ
公開:1933年4月27日
監督:小津安二郎 脚本:池田忠雄 撮影:茂原英朗 美術:脇田世根一

西洋かぶれのゼームス槇のモダニズムがくすぐったい
 小津安二郎のヤクザ映画というのが見どころのサイレント映画で、カメラワークやカット割り、モンタージュに小津らしい才気が感じられるが、面白さは退屈しない程度。唯一の真人間を演じる水久保澄子が可愛い。
 街のヤクザ・襄二(岡譲二)、その情婦・時子(田中絹代)、襄二を慕う大学生・宏(三井秀夫)の姉・和子(水久保澄子)の3人を軸に物語は進むが、誰が主人公なのかはっきりしないのがドラマ性を薄くしている。
 与太者に憧れる宏を足抜けさせようと和子が襄二を訪ね、その純粋さに襄二が惹かれ、三角関係になる。もっとも時子も和子に惹かれ、襄二とともに堅気になろうとするが、和子を助けるために強盗を働くことになるというストーリー。
 強盗に持っていくシナリオが強引で、逃亡しないで服役して出直そうというラストが妙に道徳的なのが興趣を削ぐ。田中絹代の情婦も若干無理がある。
 ボクシングジムにダンスホール、レコード店、クラッシック音楽と、西洋かぶれの原案・ゼームス槇のモダニズムがくすぐったい。 (評価:2.5)

泣き濡れた春の女よ

製作:松竹キネマ
公開:1933年5月11日
監督:清水宏 脚本:陶山密 撮影:佐々木太郎

雪景色のロケーションと岡田嘉子の達者な演技
 1960年代の日活アクション映画かマドロス映画か? といった作品で、大日方傳がカッコイイ主役のスター映画。
 もっともマドロスではなく炭鉱夫の渡り鳥で、炭鉱版マドロス映画といった感じ。
 プロローグが青函連絡船から始まるのが見どころで、上官と呼ばれる炭鉱夫の親方(大山健二)が引き連れた炭鉱渡り鳥たち、酌婦を引き連れたマダムのお浜(岡田嘉子)が船に乗り合わせる。
 お浜が店を持つのは炭鉱町で、上官はお浜に入れ込み、お浜はハンサムな炭鉱夫・健二(大日方傳)に惚れ、健二は新人酌婦のお藤(千早晶子)と相思相愛になるという定番な四角関係。
 お浜を巡って上官と健二が喧嘩となり、最後はお浜が健二を諦め、若い二人の愛の逃避行となるというお話。
 ストーリーがありきたりでつまらない上に、ヒロインのお藤が可愛くないので、どうでもいい男女の争いを見ている気になる。
 せめてもの見どころは実写主義・清水宏の雪景色のロケーションと、岡田嘉子の達者な演技。大日方傳と炭鉱夫仲間の小倉繁、大山健二のコミカルな絡みもあるメロドラマで、清水宏らしいヒューマンさは薄い。 (評価:2)

東京の女

製作:松竹キネマ
公開:1933年2月9日
監督:小津安二郎 脚本:野田高梧、池田忠雄 撮影:茂原英朗 美術:金須孝

存在感ともども岡田嘉子のスキャンダルで楽しめる
 47分のサイレント映画の小品。
 息子の立身出世のために母が身を粉にして働くという母子関係を、姉弟関係に置き換えたもので、同時期に撮影された同じ小津安二郎の『非常線の女』と同じ構造になっている。
 昼間はタイピストとして働く姉(岡田嘉子)は、夜はキャバレーの女給をして大学生の弟(江川宇礼雄)の学費を稼いでいる。ところがそのことを弟の恋人(田中絹代)が知ってしまい、注進してしまう。
 姉が世間に顔向けできないことをしているのを知った弟は、姉を非難して自殺。母の心、子知らずならぬ、姉の心、弟知らずと嘆いて終わる。
 そんなくらいで自殺するか? というツッコミはさておき、姉が夜の仕事を大学の先生の手伝いをしていると偽るところで、さては杉本良吉か? と思わせるキャスティングが嬉しい。
 最初の脚本では、姉の夜の仕事は共産党に資金提供するためだったという説もあって、存在感ともども岡田嘉子で楽しめる作品になっている。岡田嘉子のソ連への逃避行は、5年後の1938年。
 江川宇礼雄と田中絹代がアメリカの活動写真を観に行くシークエンスでは、いきなりスクリーンのカットから入ったり、二人が和室で語らうシーンは終始ローアングルなど、小津らしい映画技法も楽しめる。 (評価:2)

港の日本娘

製作:松竹キネマ
公開:1933年6月1日
監督:清水宏 脚本:陶山密 撮影:佐々木太郎

四畳半的なメロドラマにうんざりするが表現主義的な演出が見どころ
 北林透馬の同名小説が原作。
 横浜港から山手にかけてが舞台で、外国人居留地にある女学校に通う二人と、西洋人の青年の恋を描くサイレント映画。
 昭和初期の作品とあって、日本人も西洋人も日本人俳優が演じるというのが似非っぽい上にわかりにくい。
 いつも一緒にいる親友が黒川砂子(及川道子)とドラ・ケンネル(井上雪子)なのだが、ドラが西洋人だというのが最後までわからない。普通に日本語を話す上に、字幕はドラなので綽名かと勘違いしてしまう。
 二人ともヘンリー(江川宇礼雄)に思いを寄せているのだが、先にヘンリーと恋人になるのが砂子。しかし遊び人のヘンリーにはシュリダン耀子(沢蘭子)という女が別にいて、砂子は嫉妬のあまり耀子を銃で撃ってしまう。
 その結果、砂子は転落して娼婦となり、長崎で拾った画家(斎藤達雄)と神戸に流れ、数年後、横浜に帰ってくる。
 ところがドラとヘンリーが結婚して幸せな家庭を築いていた、というのが何ともいえない展開で、再会した三人の微妙な思惑が展開する。
 この四畳半的な狭い人間関係が日本的な湿っぽさでうんざりするが、ドラの妊娠を知った砂子が身を引き、画家と共に横浜を去るというメロドラマ。
 最後に余命いくばくもない耀子も登場。身を落とした女は真面目になって世間が許してくれるまで耐えるしかないという教訓を遺す。
 物語はつまらないが、ズーム的な手法やストーリーとは直接関係なくモンタージュで情感を表すなど、表現主義的な演出が見どころ。 (評価:2)

音楽喜劇 ほろよひ人生

製作:P.C.L.写真化学研究所
公開:1933年8月10日
演出:木村荘十二 構成:森岩雄 台本:松崎啓次 撮影:鈴木博 音楽:兼常清佐、紙恭輔、奥田良三

歌以外にはトーキーの特色を活かせていない
 トーキーの初期で、トーキーならば歌、という発想で作られた映画。音楽喜劇とはなっているが、ミュージカル・コメディというよりは、戦後一時期流行った歌謡映画に近い。くり返し歌われる主題歌も単調で面白味がなく、音楽性はかなり低い。
 駅のホームでアイスクリームを売る主人公が、ビール売りの少女に恋するものの、少女は作曲家に惚れていて、主題歌になっている歌をヒットさせて印税成金となった男と結婚する。その金を狙う強盗のたくらみを知り、恋する彼女のために一肌脱ぎ、強盗たちを追い払って二人の幸せを祈るという、定型的なラブストーリー。
 ただ基本はサイレント映画の流れをくむドタバタコメディで、字幕の代わりに台詞が入るだけで作劇も演出も俳優たちの演技もサイレントと変わらない。そうした点では、サイレントからトーキーへの移行期の試行錯誤作品で、歌以外にはトーキーの特色を活かせてなく、シナリオにも工夫のない退屈な作品。
 少女の売るビールがヱビスビールで、タイアップ映画であったことが面白いが、徳川夢声、藤原釜足、古川ロッパが出ているくらいしか見どころはない。 (評価:1.5)

製作:日活太秦
公開:1933年6月15日
監督:山中貞雄 脚本:山中貞雄 撮影:吉田清太郎
キネマ旬報:7位

 フィルム現存せず(サイレント)

製作:日活太秦
公開:1933年3月18日(前篇・江戸の巻)、1933年10月13日(中篇・道中の巻)、1933年10月13日(後篇・再び江戸の巻)
監督:山中貞雄 脚本:山中貞雄 撮影:吉田清太郎
キネマ旬報:8位

 断片プリントのみ(サイレント)

製作:片岡千恵蔵プロダクション
公開:1933年4月27日
監督:伊藤大輔 脚本:伊藤大輔 撮影:唐沢弘光
キネマ旬報:9位

 フィルム現存せず(サイレント)