海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2020年

製作国:アメリカ
日本公開:2021年11月12日
監督:フレデリック・ワイズマン 製作:フレデリック・ワイズマン、カレン・コニーチェク 撮影:ジョン・デイヴィー
キネマ旬報:2位

ワイドショーを見るようにナガラで4時間半を見るのが正しい鑑賞法
 原題"City Hall"で、市庁舎の意。
 移民の国アメリカの原点ともいえるボストンから、民主主義と分断なきアメリカを目指すウォルシュ市長、市民、市職員の奮闘を描く4時間半のドキュメンタリー。
 市職員が市民からのさまざまな要望の電話を聞くプロローグに始まり、人種差別問題、住宅問題、気候変動対策、テロ警備、困窮者対策等々、多岐にわたる市役所の業務を紹介していくが、ウディ・アレン並みの機関銃のような人々の会話が疲れる。
 市民に奉仕する公務員として奔走する市職員を見ていると、半世紀前に話題を呼んだ松戸市のすぐやる課を思い出させる。これぞ行政サービスのあるべき姿と役所でふんぞり返っている連中に見せたくなるが、市長を始め良い面ばかりを描いているのかもしれないと若干懐疑的になる。
 アメリカに分断と対立を持ち込んだトランプに対して、様々な人種で構成される市民の共生と真の民主主義を目指す市長が素晴らしい人間に見えてくるが、それも支持者側から見たプロパガンダなのかもしれない。
 面白いのは市の歳入の70%が固定資産税で、あとは州からの交付金と収益事業、市債というのが、税金ドロボーにはなれない職員の真摯さの要因なのかもしれない。
 この作品を見ているとボストンに住みたくなるが、問題だらけだからこそのイイ映画で、市長に批判的な立場からの見方がないのがやや公正を欠いているかもしれない。
 編集で内容を詰めたせいもあってか、登場人物は貧しい人々を含めて論客揃い。朝まで生テレビを見ているように4時間半の議論にも耐えられる。もっともあまりのめり込まずに、ワイドショーを見るように他のことをしながら気楽に見るのが正しい鑑賞法かもしれない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2021年5月28日
監督:スパイク・リー 製作:デヴィッド・バーン、スパイク・リー 撮影:エレン・クラス 音楽:デヴィッド・バーン
キネマ旬報:4位

ユートピアをめざして多様性と融和を謳うライブショー
 原題"American Utopia"で、デヴィッド・バーンの同名アルバムを基にしたブロードウェイ・ショーのタイトル。アメリカの理想郷の意。
 本作はブロードウェイ・ショーのライブ映像で、裸足にグレーのスーツ姿のデヴィッド・バーンと11人のミュージシャンがステージで歌とパフォーマンスを繰り広げる。
 アニー=B・パーソンの振り付けによるステージドリルとダンス、デヴィッド・バーンの歌唱で演奏されるショーで、かつての米米クラブのコンサートをヴァージョンアップさせたような感じ。
 ロックのラテン風のアレンジのノリが良くて楽しいが、曲自体はメッセージ性が強く、メンバーが多国籍多人種で構成されていることからも、多様性と融和を謳う。
 人間の脳は成長するに従って可能性を失ってバカになるというプロローグで始まり、赤ちゃんの脳に戻ることで人間は偏見から自由になり、ユートピアへの可能性が開けるというクロージングとなる。
 エンディング曲は" Road to Nowhere "で、行き先のない道をみんなで行こうと歌いながら、ステージを降りて客席をひと回りして終わる。
 カメラはステージとスタンディングの客席を前後左右から撮影し、ドリルでは真上から幾何学的に捉える凝った映像。
 エン ドクレジットに、"Everybody's Coming to My House" (みんなが僕の家に来る)の曲が流れるが、ステージ前半でも歌われていて、デヴィッド・バーンがMCで、合唱すると楽しいけど僕が一人で歌うと「早く帰ってほしい」という歌になると紹介する。
 エン ドクレジットの2回目はメンバーが歌い継ぐ形式で、確かに楽しく聞こえ、" Road to Nowhere "と合わせて、みんなでユートピアを目指すという構成になっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2021年9月23日
監督:アンドリュー・レヴィタス 脚本:デヴィッド・K・ケスラー、スティーヴン・ドイターズ、アンドリュー・レヴィタス、ジェイソン・フォルマン 撮影:ブノワ・ドゥローム 美術:トム・フォーデン 音楽:坂本龍一
キネマ旬報:9位

ユージン・スミスの写真が映画そのものを超越する
 原題"Minamata"で、水俣の意。
 1971~74年にかけて熊本県で水俣病の写真を撮り続けたユージン・スミスと水俣病患者らの活動を描くセミ・ドキュメンタリー映画。
 ドラマ的な脚色があって事実とは異なる点も多いが、ユージン・スミスの写真を中心に当時の記録映像が随所に挿入されていて、事実の重みが伝わってくる。とりわけユージン・スミスの写真の力は大きく、再現された映像を凌駕してその存在感を示し、強い感動をもたらす。最も強烈なのはラストシーンに登場するライフ誌に掲載された入浴する母子の写真で、この写真の持つメッセージは映画そのものを超越してしまう。
 その点で、本作はユージン・スミスの写真そのものに支えられていて、この中で描かれるストーリーもドラマも写真の背景を説明・補完するためのものに過ぎない。そのためにチッソ社長の買収工作や放火といった劇的な脚色のための事実と異なるエピソードも、写真の圧倒的な存在感の前では些末な問題に矮小化される。
 それでもユージン・スミスを演じるジョニー・デップと、チッソ社長を演じる國村隼の演技は本作にリアリティを与えていて、人間の強さと弱さを見せつける。
 話される言語のほとんどが日本語で、アメリカ映画ではなく日本映画と見紛うが、このような主題の映画が日本で制作されない現状が寂しい。
 ユージンの妻アイリーンに美波。真田広之、加瀬亮、浅野忠信らが出演。 (評価:2.5)

007 ノー・タイム・トゥ・ダイ

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2021年10月1日
監督:キャリー・ジョージ・フクナガ 製作:マイケル・G・ウィルソン、バーバラ・ブロッコリ 脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、キャリー・ジョージ・フクナガ、フィービー・ウォーラー=ブリッジ 撮影:リヌス・サンドグレン 美術:マーク・ティルデスリー 音楽:ハンス・ジマー

『007』らしく不死身のボンドでエンディングにして欲しかった
 原題"No Time to Die"で、死ぬ間などないの意。イオン・プロダクションのシリーズ第25作目。
 ソニー・ピクチャーズからユニバーサル・ピクチャーズに配給権が移り、引き続きダニエル・クレイグがボンド役の5作目。
 肉体の衰えは隠せず、アクションも合成と吹き替えのカーアクションが中心。拳銃ではなく、マシンガンなどの重火器や爆薬を使ったCG全盛の今風な派手な演出で、全体にジェームズ・ボンドのお洒落なスマートさがないのが寂しい。
 同様、本作には『007』としての反則が多く、終盤、ボンドに子供ができたことが明かされ、自ら妻子を家族だと言う台詞まで用意されている。
 プレイボーイだが生活感を持たないのが一貫したボンドのキャラクター性で、MI6を引退し老いたとはいえ、家庭ができてはスパイは務まらない。それもあってか、非情なはずのボンドが最後は家族のために命を捨てるという、これまた反則行為に出る。
 いわばマイホーム・パパになってしまったボンドの人情ドラマとなっていて、ジュディ・デンチのMがボンドガールとなった前々作『スカイフォール』(2012)同様にセンチメントでウェットなボンドの復活となっている。
 MI6を引退したボンドは、前作のボンドガール・マドレーヌ(レア・セドゥ)と同棲生活を送っているが、『カジノ・ロワイヤル』(2006)で死んだボンドガール・ヴェスパー(エヴァ・グリーン)の墓参をした際にスペクターに襲われ、マドレーヌがスペクター幹部だったホワイトの娘であることを知って別れを告げる。
 5年後、MI6の研究所から誘拐されたロシアの細菌学者の救出をCIAの旧友フィリックス(ジェフリー・ライト)に依頼されるが、犯人はホワイトに家族を殺害されたサフィン(ラミ・マレック)で、DNA型細菌兵器で世界征服を企む組織のリーダー。細菌兵器でスペクターを殲滅してしまう。
 マドレーヌに再会したボンドは子供が生まれたことを知るが、サフィンに二人を誘拐され、新任の007・ノーミ(ラシャーナ・リンチ)ともども北方領土にあるサフィンの基地に向かう…というストーリー。
 マドレーヌとのラブ・ストーリーをベースにしていて、作品そのものは良く出来ているが、アクション映画に2時間40分は若干長い。
 基地の爆破に巻き込まれてボンドは死ぬが、最後は『007』らしく、不死身のボンドを見せてエンディングにして欲しかった。
 キューバでボンドと組むCIAの新人諜報員パロマ(アナ・デ・アルマス)がコミカルで可愛い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2020年9月18日
監督:クリストファー・ノーラン 製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン 脚本:クリストファー・ノーラン 撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ 美術:ネイサン・クロウリー 音楽:ルートヴィッヒ・ヨーランソン
キネマ旬報:10位

理屈やストーリーを忘れ、頭を真っ白にして楽しむのがベスト
 原題"Tenet"で、未来からやってくる敵と戦う戦闘集団の名で、主義・教義の意。
 キエフの歌劇場で始まるCIAスパイ救出のために偽装テロ事件からして、何がどうなっているのか話がさっぱりわからないが、作戦に参加した黒人の名無しの主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)が、ロシア人に捕まり自決用のピルを飲んだところがこれまた偽薬で、目が覚めたらTENET工作員の適性検査だったという流れが全くもって理解不能。
 主人公が与えられるミッションは、未来から送り込まれた時間逆行回転ドアを利用して富豪となったセイター(ケネス・ブラナー)が、9つに分割された時間逆行装置アルゴリズムを完成させて、地球全体の時間を逆行させ、地球を滅ぼそうとするのを阻止すること。
 地球温暖化による海面上昇への未来人の逆襲という説明もあって、SFだけではない環境メッセージも織り込まれている風だが、時間を逆行させて地球を原始化するのかといった説明はない。
 セイターとTENETが未来人と現代人の代理戦争をするという話なのだが、SF設定を含めて話の筋道がよくわからない。  よくわからないが、逆行する時間とか因果関係の逆転とかといったタイムパラドックスをフィルムの逆回転との合成で見せる映像が面白く、とりわけバック走行する車とのカーチェイスが見どころ。
 ここは理屈やストーリーを忘れて、頭を真っ白にして『007』か『ミッション:インポッシブル』を見るつもりで楽しむのがベスト。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2021年7月9日
監督:エメラルド・フェネル 製作:マーゴット・ロビー、ジョニー・マクナマラ、トム・アカーリー、ベン・ブラウニング、アシュリー・フォックス、エメラルド・フェネル 脚本:エメラルド・フェネル 撮影:ベンジャミン・クラカン 美術:マイケル・T・ペリー 音楽:アンソニー・ウィリス
キネマ旬報:3位

性被害とその復讐を題材にしたというのが現代風
 原題"Promising Young Woman"で、将来を嘱望された若い女性の意。
 キャシー(キャリー・マリガン)は"Promising Young Woman"の医学生だったが、親友ニーナが飲み会で同級生のアル(クリス・ローウェル)にレイプされ、噂が広まって自殺したことで、大学を中退。今はカフェで働きながら、毎夜泥酔した振りをして男たちに制裁を加えるという荒んだ生活を送っている。
 かつての同級生で小児外科医のライアン(ボー・バーナム)が偶然カフェを訪れたことから交際が始まり、アルとその仲間たちの消息を知って復讐を始めるという物語。
 ニーナの被害を信じなかった同級生、事件を握りつぶした学部長、アルの弁護士と復讐を続けるうちに虚しさに気づいたキャシーは、事件を忘れてライアンと再出発を図るが、ライアンが事件の傍観者だったことを知ってショックを受け、遂にアルの結婚式前夜パーティに闖入。アルに制裁を加えようとして逆に殺されてしまう。
 結果を予期していたキャシーは、事前に仕掛けをしていて、アルは結婚式で逮捕されてしまうというサスペンス映画になっている。
 物語の設定やシナリオの整合性はともかく、性被害とその復讐を題材にしたというのが現代風で、サイコな女主人公という『氷の微笑』(1992)のような危険な色香が楽しめる。
 中盤、ライアンとのハッピーエンドをチラつかせながら一捻り、アルとのバッドエンドを思わせながら二捻りして、最後に爽快感のあるエピローグというのがドラマ的には上手いが、逮捕まで持っていく強引さはエンタテイメントと割り切るしかない。
 飲み会での性被害と密室性という、良くある話になっているのも女性たちの共感を呼ぶ。 (評価:2.5)

Mank マンク

製作国:アメリカ
日本公開:2020年11月20日
監督:デヴィッド・フィンチャー 製作:セアン・チャフィン、エリック・ロス、ダグラス・アーバンスキー 脚本:ジャック・フィンチャー 撮影:エリク・メッサーシュミット 美術:ドナルド・グレアム・バート 音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス

『市民ケーン』を髣髴させるモノクロの艶っぽいレトロ感
 原題"Mank"で、主人公の愛称。
 名作『市民ケーン』(1941)の誕生秘話で、脚本を執筆したハーマン・J・マンキウィッツが主人公。
 自動車事故で脚を骨折したマンク(ゲイリー・オールドマン)が、オーソン ウェルズ(トム・バーク)が製作・監督する映画の脚本を執筆するために農場のホテルに罐詰になるところから物語は始まる。
 執筆期間は60日間。秘書のリタ(リリー・コリンズ)はマンクに禁酒と完璧を求めないように言うが、遅々と進まない。
 並行して回想がインサートされ、1930年の新聞王ハースト(チャールズ・ダンス)との出会いから、その愛人マリオン・デイヴィス(アマンダ・サイフレッド)との親交、MGMでのノンクレジットの仕事、カリフォルニア州知事選挙を巡るハーマン、メイヤー(アーリス・ハワード)との対立などが描かれていく。
 ハーストが登場した段階で、マンクが執筆しているのがハーストをモデルにした『市民ケーン』の脚本だとわかるが、『市民ケーン』を見ていないと筋書きが理解しにくいかもしれない。
 脚本が上がると、自身の最高傑作だと言って、ノンクレジットの契約を変更してクレジットするようにウェルズに交渉、共同脚本となるというラスト。
 モノクロで撮られ、『市民ケーン』を髣髴させる艶っぽいレトロ感がいい。アカデミー撮影賞、美術賞受賞。 (評価:2.5)

製作国:ハンガリー
日本公開:2022年2月4日
監督:ベルゲンディ・ピーテル 製作:コヴェシュ・アーベル、ラヨシュ・タマシュ、ヘレブラント・ガーボル 脚本:ザンカイ・ピロシュ、ヘレブラント・ガーボル、ベルゲンディ・ピーテル 撮影:ナギー・アンドラーシュ 音楽:パチャイ・アッティラ

派手な演出を狙っただけの終盤で本格的ホラーになり損ねた感
 原題"Post Mortem"で、死後の意。
 第一次世界大戦の戦場で臨死体験をしたドイツ人トーマス(クレム・ヴィクトル)が、戦後、遺体写真家となって遺族のために記念写真を撮るという物語で、戦争やスペイン風邪で埋葬しきれないほどの死者を出したハンガリーの村に、少女アナ( ハイス・フルジナ)に招かれて滞在する。
 ところが村には幽霊たちが蔓延っていて、次第に暴走を始め、これを成仏させて一件落着となる。
 とにかく怖いのがトーマスが撮影する死者たちで、生前の衣装と死化粧で生者のように甦らせ、遺族と共に記念写真に収まるのが不気味。
 幽霊たちも目に見えない騒霊で、屋敷内を駆け回ったり、家具を壊したりするが、これまでのポルターガイストものに比べて結構怖いのは、やはり怪奇伝承の本場・東欧の監督だからか。
 もっとも幽霊たちが派手に暴れ出すに従い恐怖度は下がり、家を地底に引き摺り込むといった大仕掛けが却って逆効果で、ホラーというよりパニック映画になってしまう。
 幽霊を成仏させれば解決という理屈の割には、幽霊たちの行動が不可解で、終盤はただ派手な演出を狙っただけに終わり、本格的ホラーになり損ねた感が強い。
 トーマスと孤児になったアナが幽霊退治の旅に出るというラストシーンで、続編が期待されるが…。 (評価:2.5)

透明人間

製作国:アメリカ
日本公開:2020年7月10日
監督:リー・ワネル 製作:ジェイソン・ブラム、カイリー・デュ・フレズネ 脚本:リー・ワネル 撮影:ステファン・ダスキオ 音楽:ベンジャミン・ウォルフィッシュ

現代版『透明人間』で楽しめるがヒロインが可愛くないのが不満
 原題"The Invisible Man"で、目に見えない男の意。H・G・ウェルズの同名小説が原作。
 原作では天才科学者が透明になる薬を発明するが、本作では光学迷彩のスーツをというのが現代的。主人公も科学者ではなく恋人で、DVも絡む。
 セシリア(エリザベス・モス)がエイドリアン(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)の束縛を逃れて家出するが、追いかけてきたエイドリアンが車の窓のガラスを素手で割るなど、モンスター・ホラーっぽいプロローグ。
 セシリアは妹エミリー(ハリエット・ダイアー)の友人ジェームズ(オルディス・ホッジ)の家に匿われるが、次々と起きる怪奇現象から、透明になったエイドリアンに発見されたと確信する。
 もっともエイドリアンの兄トム(マイケル・ドーマン)からエイドリアンが死んだと知らされた周囲は、セシリアがナーバスになっているからと考え、孤立したセシリアはジェームズの娘シドニー(ストーム・リード)が殴られたのをきっかけにエイドリアンの家に行き、透明人間の証拠を掴む。
 ところがエミリーが刺殺されてしまい、犯人として精神病院に隔離されてしまう。エイドリアンが次にシドニーを殺害することを知ったセシリアはエイドリアンを追いかけ、ジェームズの家で射殺するが、透明人間の正体がトムだったことを知る。
 自宅に監禁されていたエイドリアンが発見されるが、トムを操っていたのはエイドリアンと確信するセシリアは、自ら透明人間となってエイドリアンに復讐する。
 終盤、傷ついた光学迷彩スーツが断片的に現れ、それを狙ってセシリアが反撃するのが見どころで、原作並びに旧作映画『透明人間』(1933)を現代風に換骨奪胎している。スリラー色もサスペンス、アクション色も十分で、整合性などを考えなければ楽しめるが、ヒロインが『エイリアン』(1979)シリーズのシガニー・ウィーバー風で、可愛くないのが不満。 (評価:2.5)

ムーラン

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ニキ・カーロ 製作:クリス・ベンダー、ジェイク・ワイナー、ジェイソン・T・リード 脚本:リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー、エリザベス・マーティ、ローレン・ハイネク 撮影:マンディ・ウォーカー 美術:グラント・メイジャー 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

ハリウッド製の古代中国歴史絵巻ファンタジー
 原題"Mulan"で、主人公の名。中国の伝承及び戯曲『花木蘭』が原作の同名アニメーション映画(1998)の実写リメイク。
 原作の舞台は6世紀頃の南北朝時代。ムーラン(木蘭)が突厥などの異民族の侵略と戦い国を守る話で、アニメ版ではフン族との戦い。本作では外敵は北魏と対立した柔然となっている。
 大筋はアニメ版と変わらないが、ムーランの故郷が福建省山岳地帯に設定してあり、土楼も登場。土楼が12世紀頃からの建築物で、人々も顔面に派手な化粧をしていたり、そもそも福建省は北魏ではなかったり、撮影地がウイグルだったりと歴史・文化的に見ればなんちゃって中国なのだが、そこまでファンタジーだとむしろヴァーチャル古代中国という感じで、それほど違和感はない。
 そもそも実写では、ムーラン役のリウ・イーフェイが男に成りすますという設定そのものに相当無理があり、宝塚歌劇かファンタジーのお約束と思って観る必要がある。
 ファンタジックな土楼や人々の色彩豊かな衣装、京劇をモダン化したような化粧は映像的な見どころで楽しい。柔然の西洋風な魔女(コン・リー)もメイクもオリエンタルで禍々しい。
 戦いのシーンでは武侠ドラマ風のワイヤーアクションも登場、ハリウッド製のファンタジックな古代中国歴史絵巻となっている。
 家名を守るために女であることを隠して兵士となって活躍、救国の英雄となる、ジェンダーのテーマはアニメ版と変わらない。
 アニメ版では、最後にムーランが将軍の息子にプロポーズされるハッピーエンドで、ディズニー・プリンセスが女の幸せとテーマに反しているが、本作では皇帝(ジェット・リー)の近衛兵に登用されるだけ。恋愛色を薄めたのがディズニー映画らしくなくていい。 (評価:2.5)

2分の1の魔法

製作国:アメリカ
日本公開:2020年8月21日
監督:ダン・スキャンロン 製作:コーリー・レイ 脚本:ダン・スキャンロン、ジェイソン・ヘッドリー、キース・ブーニン 撮影:シャロン・カラハン、アダム・ハビブ 美術:ノア・クロセク 音楽:マイケル・ダナ ジェフ・ダナ

兄弟愛を謳い上げて終わるディズニー的センスが若干気持ち悪い
 原題"Onward"で、前方への意。ピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーション。
 科学技術の発展と共に魔法が失われたというファンタジー世界が舞台。主人公のイアンはエルフ、シングルマザーの母のボーイフレンドはケンタウルス。空を飛べなくなった妖精や牙を失ったマンティコアといった空想動物が登場する。
 何をやるにも消極的でダメ人間のイアンは、16歳の誕生日、母から亡父の遺した魔法の杖と死者を一度だけ24時間甦らせることのできる魔法の呪文を受け取る。ゲームの魔法にかけては博識の兄バーリーの協力で父を甦らせることにするが、バーリーのお節介で下半身だけで失敗。
 耳も聞こえない目も見えない口をきけない父を全身甦らせて会話するために、3人が不死鳥の石を求めて旅に出るというのが全体のストーリー。
 練れた設定とシナリオでクエストの旅を楽しめるが、カーチェイスにアドベンチャー、ゲーム的仕掛けと若干類型的で予定調和なのが物足りない。マンティコア、ケンタウルスも絡んでくる割りには、下半身のお父さん以外はキャラクターが平凡なのが、個性と面白さを引き出せていない。
 家族の厄介者だと思っていたバーリーが、実は父代わりをしてくれていたことに気づき、兄弟愛を謳い上げて終わるというのも嘘くさくて、家族愛で締めるディズニー的センスが若干気持ち悪い。 (評価:2.5)

ミナリ

製作国:アメリカ
日本公開:2021年3月19日
監督:リー・アイザック・チョン 製作:デデ・ガードナー、ジェレミー・クライナー、クリスティーナ・オー 脚本:リー・アイザック・チョン 撮影:ラクラン・ミルン 音楽:エミール・モッセリ

韓国人移民一家の苦難を描くが「大変だね」以外の感想が残らない
 原題"Minari"で、植物のセリを意味する朝鮮語"미나리"の音写。韓国移民二世のリー・アイザック・チョンの半自伝的作品で、1980年代にアメリカに移住した韓国人家族を描く。
 アメリカへの移民家族を描く作品はこれまでにも多く、移民一世の苦難と希望、アイデンティティの葛藤、マイノリティの社会との軋轢などがテーマとなるが、本作は移民一世の苦難と希望のドラマで、韓国人の移民であることとと苦難だけで希望が見えないことが特徴。
 もっともメリハリに欠ける物語と挫折に終わってしまうラストが、移民一世の悲哀を描くだけのドラマでしかなく、「大変だね」以外の感想が残らない。
 韓国移民のジェイコブ(スティーヴン・ユァン)はアーカンソーに土地を買って開墾し、農業での成功を夢見る。暫しは妻のモニカ(ハン・イェリ)と鶏卵場で雛の雌雄選別の仕事で生活費を稼ぐが、コンテナハウスでの生活に不満を持ち、カリフォルニアに戻りたい妻とは喧嘩が絶えない。
 和平交渉の結果、妻の母スンジャ(ユン・ヨジョン)を韓国から呼び寄せるが、脳溢血で体が不自由となった挙句、夫婦の留守中に火を出してしまい、納屋を燃やしてしまう。
 出荷予定の作物を失うが、一家の絆は深まり、妻は農場での再起を誓い、邪魔者に見えたスンジャが長男デビッド(アラン・キム)と共に小川でセリ(minari)を育てていたことをジェイコブが知るという、雨降って地固まるのラスト。
 一家には他に長女のアン(ノエル・ケイト・チョー)がいるが、全体はデビッドの視点で描かれていて、チョンが仮託されている。
 デビッドとスンジャの米韓カルチャーギャップと孫と祖母の交流がこの物語にドラマを与えていて、ユン・ヨジョンが好演。アカデミー助演女優賞を得ている。 (評価:2.5)

DUNE デューン 砂の惑星

製作国:アメリカ
日本公開:2021年10月15日
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 製作:ドゥニ・ヴィルヌーヴ、メアリー・ペアレント、ケイル・ボイター、ジョー・カラッシオロ・Jr 脚本:ジョン・スペイツ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ、エリック・ロス 撮影:グレイグ・フレイザー

古臭いファンタジーを大時代的に描くイマサラ感
 原題"Dune"で、砂丘の意。フランク・ハーバートの同名小説が原作。
 デューンと呼ばれる砂の惑星アラキスを舞台にしたSFというよりはファンタジーで、1984年にデヴィッド・リンチが映画化している。
 宇宙を支配する皇帝が陰謀を企み、アトレイデス公爵(オスカー・アイザック)にアラキスの管理を命じて、メランジの採掘を行ってきたハルコネン男爵(ステラン・スカルスガルド)と戦わせるというのが物語の骨子で、公爵亡き後、息子ポール(ティモシー・シャラメ)が母ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)と砂漠を逃亡、原住民フレメンの長スティルガー(ハビエル・バルデム)と手を組むまで。以下、続編となる。
 原作は半世紀前に書かれ、ポールは予知夢を見ることのできる救世主、メランジは宇宙航行に必要な物質であり霊薬、砂漠にはサンドワームという怪物がいて、しかも世界観は中世という古めかしさで、いくら舞台となるデューンをCGで表現できるとはいえ、今更なぜ映画化するのかという感覚は拭えない。
 宇宙船や宮殿といった美術も無駄に大きなスケール感で、古臭い世界観と相まって大時代的。半世紀前の大作映画にタイムスリップしたような気になる。アトレイデス公爵軍とハルコネン男爵軍の戦闘も中世的な正面攻撃だけの総力戦で、初期のCGのよう。
 ポールが予知夢に見るフレメンの女チャニを演じるゼンデイヤが魅力的。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2021年3月26日
監督:クロエ・ジャオ 製作:フランシス・マクドーマンド、ピーター・スピアーズ、モリー・アッシャー、ダン・ジャンヴィー、クロエ・ジャオ 脚本:クロエ・ジャオ 撮影:ジョシュア・ジェームズ・リチャーズ 音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
キネマ旬報:1位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞 ヴェネツィア映画祭金獅子賞


自由人としてポジティヴなノマドを見たかった
 原題"Nomadland"で、流浪民の国の意。ジェシカ・ブルーダーのノンフィクション"Nomadland: Surviving America in the Twenty-First Century"が原作。
 リーマン・ショックを契機に家を失った高齢者たちがノマドとなり、自家用車で生活しながら臨時の仕事を得て暮らす様子を描く社会派ドラマ。
 主人公の女性ファーン(フランシス・マクドーマンド)は、ネバダ州エンパイアの石膏工場で働いていたが、工場の閉鎖と共に町は消滅。夫とも死別して社宅を出てノマドとなる。Amazon倉庫などで季節労働をしながら生活していて、妹夫婦は同居するように申し出るが、エンパイア以外の場所での定住は夫との思い出を失うような気がしてノマドを選ぶ。
 ノマドの生活は同じような境遇の人たちとの連帯感ある一種の共同体で、互いに支え合う中で仲間もでき、その中の一人デヴィッド(デヴィッド・ストラザーン)が息子の一家と同居したのを機にファーンとの生活を望むが、ファーンは別れを告げずに去ってしまう。
 ノマドのインフルエンサーであるボブ・ウェルズに、"I don't ever say a final goodbye. I always just say, I'll see you down the road."(ノマドはサヨナラを言うことがない。いつも「また逢おう」というだけだ)、そうしていれば死んだ(ボブの)息子にだって逢えるから、君も夫に再会できると言われ、ファーンがエンパイアに残した荷物を処分して旅立つまで。
 ノマド初心者のファーンが自立したノマドとなって再出発する物語だが、ノマドの生態を淡々と追うだけで、これといったエピソードも事件もなく、羊を追うだけで起伏のないストーリーは相当に退屈。主役のファーンとデヴィッド以外の出演者は全員ノマドで、なまじ劇映画などにせずにドキュメンタリーで撮った方がよほど真実味が出たのではないか。
 自分が企画したのだから自分が演じたいという、俳優製作にありがちなセミ・ドキュメンタリー風の作品となってしまった。社会派ドラマだからといって、ノマドをネガティヴに捉えるのではなく、ホームレスではないハウスレスの自由人としてポジティヴなノマドを見たかった。 (評価:2)

沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家

製作国:アメリカ、イギリス、ドイツ
日本公開:2021年8月27日
監督:ジョナタン・ヤクボウィッツ 脚本:ジョナタン・ヤクボウィッツ 撮影:ミゲル・I・リッティン=メンツ 美術:トーマス・ヴォス 音楽:アンジェロ・ミィリ

中盤からは定番を抜け出ていないナチス映画で退屈
 原題"Resistance"で、抵抗の意。
 フランスのパントマイム師マルセル・マルソーの戦争中のエピソードを描くドラマ。
 マルセルがユダヤ人で、レジスタンスに加わり、ユダヤ人孤児を助けたという意外な事実そのものが最大の見どころで、ストーリー自体は平凡なナチス映画なので、ナチスからの逃避行やゲシュタポの恐怖、レジスタンスの描写になると通常のパターンを抜け出してなくて退屈する。
 ユタや人孤児を保護し助けるという事実そのものを描くナチス映画だという以外に、取り立てて人間ドラマがあるわけでもなく、マルセル(ジェシー・アイゼンバーグ)と同志となるユダヤ娘(クレマンス・ポエジー)とのラブストーリーという、これまた定番を抜け出ていないドラマの味付けは食傷する。
 フランスが舞台なのにドイツ人以外は英語を話すというアメリカ映画のお約束も気持ちが入らないし、枠物語としてマルセルが第3軍の渉外係をしていたことから、パットン将軍を引っ張り出してくるのも20世紀の戦争ヒーロー映画のようで黴臭い。
 もっとも、パットン軍団を前にしてのアイゼンバーグのパントマイムが最後の見せ場となっていて、マルセル・マルソー伝記としては一番の見どころになっている。 (評価:2)

製作国:イギリス、フランス
日本公開:2021年5月14日
監督:フロリアン・ゼレール 製作:フィリップ・カルカソンヌ、デヴィッド・パーフィット、ジャン=ルイ・リヴィ、クリストフ・スパドーヌ、サイモン・フレンド 脚本:クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール 撮影:ベン・スミサード 美術:ピーター・フランシス 音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
キネマ旬報:5位

アンソニー・ホプキンスの巧みな演技だけが見どころ
 原題"The Father"で、その父の意。フローリアン・ゼレールの戯曲"Le Père"が原作。
 認知症の老人の過去の記憶と現実、幻想が混濁する頭の中と、その混乱に当惑し不安になる様子を描いた作品。老人の主観で描かれ、観客もまたそれを体験できるように描かれているのが本作最大の特長だが、それもまた作者の想像でしかないのも本作の限界といえる。
 舞台はロンドン。冒頭、娘(オリヴィア・コールマン)が父(アンソニー・ホプキンス)の家にやってきて、結婚のためパリに移住するので、老人施設への移転話をするところから物語は始まる。もっとも、これも老人の記憶なので、おそらくは娘の家。頑固で手に負えない性格のため、ヘルパーが次々にやめ、娘の家に引き取られたこと、事故死した次女によく似たヘルパー(イモージェン・プーツ)、娘の離婚した夫(ルーファス・シーウェル)などが曖昧で混乱した記憶として登場する。
 実はこれらは老人が施設に入ってからの記憶で、施設の介護士、医師が幻想に現れていたことがわかる。そうして、初めて老人の主観から客観へと転換してラストシーンとなるのだが、老人が母さんと叫んで介護士の胸の中で幼児化するのがいただけない。
 結局のところ、認知症患者の哀しい姿と家族の苦労を描いているだけで、そのほかには何ももたらさず、アカデミー主演男優賞を受賞したアンソニー・ホプキンスの巧みな演技だけが見どころ。 (評価:2)

ジャングル・クルーズ

製作国:アメリカ
日本公開:2021年7月29日
監督:ジャウマ・コレット=セラ 製作:ジョン・デイヴィス、ジョン・フォックス、ボー・フリン、ドウェイン・ジョンソン、ダニー・ガルシア、ハイラム・ガルシア 脚本:マイケル・グリーン、グレン・フィカーラ、ジョン・レクア 撮影:フラビオ・ラビアーノ 美術:ジャン=ヴァンサン・ピュゾ 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード

ディズニーランドのジャングルクルーズに乗った方がまだマシ
 原題"Jungle Cruise"で、ジャングルの船旅の意。
 ディズニーランドのアトラクション、ジャングルクルーズをモチーフにした作品で、16世紀にエル・ドラドを目指したスペイン探検隊の軌跡を追って、現代の女性科学者(エミリー・ブラント)が万病に効くという花弁を求めてアマゾンへと向かう。そこで出会ったのがアマゾン川で観光客相手にジャングルクルーズを行っている船長フランク(ドウェイン・ジョンソン)で、その船を借り切ってアマゾン川を遡るという物語。
 ディズニーなのでアトラクションの要素だけでなく、ヒロインと船長のラブストーリー、お宝を巡る悪者との争奪戦、インディー・ジョーンズ張りのアクションとお決まりのエンタメてんこ盛り。かといって総花的で既視感は否めず、ストーリーも定石通りなので、中盤のエピソードで飽きが来る。
 船長が400年前のスペイン探検隊の一員で、聖域を犯した異教の神の怒りにより、不死の呪いをかけられているというこれもありがちな設定で、花弁を手に入れたヒロインを救うために船長が命を捨てるというお決まりの悲恋。
 不死の船長は石化して永遠の眠りに入るが、ヒロインが折角手に入れたお宝を船長に捧げると、あれ不思議、船長は生身の人間として現代に蘇ってしまうというのが、さすがディズニーという驚きのラスト。しかも、稀少なはずの花弁が新たに開花して、お宝も再入手というディズニー的ハッピーエンドで、ディズニーランドのジャングルクルーズに乗った方が、まだ有意義な時間が過ごせると感じさせる作品。 (評価:2)

ソウルフル・ワールド

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ピート・ドクター 製作:デイナ・マリー 脚本:ピート・ドクター、マイク・ジョーンズ、ケンプ・パワーズ 音楽:トレント・レズナー、アッティカス・ロス

大切なのは日常を生きること、というつまらない教訓
 原題"Soul"で、魂の意。ピクサー・アニメーション・スタジオの3Dアニメーション。
 ジャズ・ピアニストになる夢を抱きながら中学校の音楽教師で燻っている男ジョーが主人公。ライブハウス出演のチャンスを得た当日、有頂天になってマンホールに落下。昇天するが天国行きを拒み、生命が誕生する前の魂がいる世界に迷い込む。
 ライブハウスに出演しないまま死んだら俺の人生は無駄だったことになると地上に戻ろうとするが叶わず、誕生を躊躇している魂22番と共に地上に復活するも、22番はジョーの身体、ジョーの魂は猫の身体に入ってしまい…というストーリー。
 同じピート・ドクター監督の『インサイド・ヘッド』(2015)と似たようなスピリチュアルな設定の作品で、正直面白くない。
 死後の世界でもない魂の世界というのが今ひとつわかりにくく、無我の境地と繋がっているというのも、わかったようでわからない。『インサイド・ヘッド』同様に世界観だけでなくストーリーも観念的で抽象的。
 ジョーと22番は魂の世界に連れ戻され、今度はジョーだけが22番の代わりに自らの身体に復活。念願のライブを果たしたものの、それが新たな日常だと知る。
 夢は叶えられれば日常となってしまうのであり、本当に大切なのは目の前の日常を生きること…というつまらない教訓で終わる。
 ジョーは魂の世界に戻り、現世でジョーの身体を得た時に生きる喜びを知った22番を新たな生として送り出す。ジョーが天国に行こうとすると、魂の管理官がジョーにもう一度生きる機会を与えるという、道徳の教科書のようなハッピーエンド。
 魂たちのキャラクターデザインは記号的で魅力に欠け、背景も幾何学的でアニメーションとしてつまらない。 (評価:2)

製作国:アメリカ、イギリス
日本公開:劇場未公開
監督:デヴィッド・ブルックナー 製作:デヴィッド・S・ゴイヤー 脚本:ベン・コリンズ、ルーク・ピオトロフスキ 撮影:エリーシャ・クリスチャン 音楽:ベン・ラヴェット

幽霊よりも強盗や暴漢の方が怖い森の中のガラス張り一軒家
 原題"The Night House"で、夜の家の意。
 人里離れた湖畔の家に住む女教師(レベッカ・ホール)が主人公。夫が拳銃自殺したばかりで、過去に彼女に臨死体験があったためか、夜になると夫の霊体の存在を感じてしまうというホラー。
 冒頭、これらの設定の説明がされていくが、ホラーっぽさを演出するために小出しで、あまり上手ではない。しかも、設定がわかって妻が夫と会いたがっているとなると、ホラーとしては怖くも何ともない。
 話は湖を中心に鏡の裏表のように霊界がパラレルに存在すると見せかけて実は夢魔だったというもので、女教師を臨死で取り逃したために、夫に取り憑いていたという段になり、悪魔が登場すると一気に興醒めする。
 全ては悪魔、夢魔が犯人という西洋風B級ホラーだが、森の中のドアも窓も広く開放されたガラス張りという不用心な一軒家が舞台となると、悪魔や霊体よりも、強盗や暴漢の方が怖いと感じてしまう。
 主人公にも魅力がなく、どこに見どころを見い出したら良いかわからない。 (評価:2)

1秒先の彼女

製作国:台湾
日本公開:2021年6月25日
監督:チェン・ユーシュン 脚本:チェン・ユーシュン 撮影:チョウ・イーシェン 音楽:ルー・ルーミン

ハッピー・バレンタインは甘いだけのミルクチョコレート
 原題"消失的情人節"で、消えたバレンタイン・デーの意。
 何事も人より1秒早い彼女が、ハンサムなダンス講師とバレンタイン・デーにデートとしようとしたところ、目を覚ますと1日進んでいてその翌日。
 失われた1日の謎を紐解いて行くというミステリー&ファンタジー&ラブコメだが、設定が今一つ不明なのとシナリオが今ひとつわかりにくいためにアイディア倒れなところがあって、一番面白いのは、台湾ではバレンタイン・デーが2月14日ではなく、織姫と彦星が年に1回デートする七夕だという情人節事情の作品となっている。
 邦題は1秒早いのは郵便局に勤める彼女シャオチー (リー・ペイユー)になっているが、設定上は人より1秒遅い、ちょっと冴えない青年グアタイ(リウ・グァンティン)で、消えた1日の謎は彼にある。
 しかし、彼の1日が増えたのならともかく、彼女の1日が消えた理由にはならず、それを突っ込むのは野暮というには大きすぎる設定上の穴になっている。
 シャオチーはグアタイのことを忘れているが、実は二人は幼馴染で、恋人のできないシャオチーをダンス講師ウェンセン(ダンカン・チョウ)がカモにしようとしているのを知ってグアタイがこれを阻止。
 シャオチーは何も知らぬまま、手に入れた私書箱の鍵、写真館に飾られたいつどこで撮ったものかわからない自分の写真、私書箱に送られてくる手紙という、センチメンタルな3アイテムを手がかりに物語は進むが、最後はグアタイとのハッピー・バレンタインという甘いだけのミルクチョコレートになっている。 (評価:2)

製作国:アメリカ、イギリス
日本公開:劇場未公開
監督:デヴィッド・コープ 製作:ジェイソン・ブラム、ケヴィン・ベーコン、ディーン・オトゥール 脚本:デヴィッド・コープ 撮影:アンガス・ハドソン 音楽:ジェフ・ザネリ

たとえB級ホラーといえども一応の理屈はほしい
 原題"You Should Have Left"で、あなたは去るべきだったの意。ダニエル・ケールマンの小説”Du hättest gehen sollen”が原作。
 若い女優(アマンダ・サイフリッド)を妻に持つ壮年の銀行家(ケヴィン・ベーコン)が娘(エイヴリー・エセックス)と共にアメリカから休暇でウェールズの貸別荘にやってくるというもので、イギリスを舞台にしながらもアメリカ映画の通俗さに満ちている。
 妻はポルノ女優紛いで別に愛人がいる。嫉妬深い夫は先妻を亡くしていて、殺したのではないかと疑われている。
 さて別荘にやってくると曰くありげだが、不親切な村人たちはその家が悪魔に呪われた家だということを教えてあげない。
 そうして3人はそれぞれに悪夢を見ることになるが、夢と現を混乱させる演出で敵が姿を見せない分、取り敢えず怖いが、最大の難点は敵の正体が不明なままで、最後は夫が悪魔に憑依されたように見えるが、贖罪のために家に残るという理屈がわからない。
 家の内寸が外寸よりも大きいという謎も未解決で、家が迷宮のようになるのも説明がない。挙句に夫が時間を超越してしまうパラドックスさえ登場して、それなりにアイディアは盛り込まれているのだが、たとえB級ホラーといえども一応の理屈はほしい。
 小さい娘が大人並みにこましゃくれているのも難で、不出来さが目に付く。 (評価:2)

アナザーラウンド

製作国:デンマーク、スウェーデン、オランダ
日本公開:2021年9月3日
監督:トマス・ヴィンターベア 製作:シシ・グラウム・ヨアンセン、キャスパー・ディシン 脚本:トマス・ヴィンターベア、トビアス・リンホルム 撮影:シュトゥルラ・ブラント・グロヴレン 美術:サビーヌ・ヴィード
アカデミー国際長編映画賞

見終わると酔いが醒めて素面に戻った時のような気持
 原題"Druk"で、大量飲酒の意。英語タイトルは"Another Round"で、もう一杯の意。
 設定はコメディだが、北欧人の笑いのセンスは今一つ理解しがたく、中年学校教師4人組のアルコール依存症の話など笑えない。
 主人公はヤル気のない歴史教師マーティン(マッツ・ミケルセン)で、妻とも倦怠期でスポイルされた妻は浮気をしているという設定。そんなマーティンを見かねた心理学教師ニコライ(マグナス・ミラン)の発案で、血中アルコール濃度を0.5%にすると活動が最良に保てるという学説の証明が始まる。
 ほろ酔い加減のマーティンは授業も家庭も上手くいくようになり、体育教師トミー(トマス・ボー・ラーセン)、音楽教師ピーター(ラース・ランゼ)も実験に加わる。
 血中アルコール濃度を上げてみようという話になり、4人はますます快調に。さらに限界に挑戦して酩酊状態となり、マーティンは家族と大喧嘩。酔っぱらったトミーは職員会議で不始末をしでかす。
 そのトミーの事故死でマーティンの夫婦仲も戻り、卒業する生徒たちから歓待を受け、酒は百薬の長とばかりにハッピーエンドで締め括るという、16歳から飲酒できるデンマークならではの作品。
 酒飲みには嬉しいばかりのバッカス礼賛だが、酒を飲めば人生が開けるという酒飲みの屁理屈以外はなく、見終わると酔いが醒めて素面に戻った時のような気持になる。 (評価:1.5)

ナイル殺人事件

製作国:アメリカ
日本公開:2022年2月25日
監督:ケネス・ブラナー 製作:リドリー・スコット、ケネス・ブラナー、ジュディ・ホフランド、ケヴィン・J・ウォルシュ 脚本:マイケル・グリーン 撮影:ハリス・ザンバーラウコス 美術:ジム・クレイ 音楽:パトリック・ドイル

原作に味付けしたつもりの改作というよりは改竄が裏目
 原題"Death on the Nile"で、ナイルでの死の意。アガサ・クリスティの同名小説が原作で、2度目の映画化。
 ポアロが従軍していたという設定で第一次世界大戦のシーンから始まるため、一瞬『1917 命を懸けた伝令』を間違って見てしまったのではないかと錯覚する。もっとも、伝令がケネス・ブラナーなのですぐに間違いではないことに気がつくが、このエピソードがポアロが鬚を生やした理由というのが茶番めいている。
 戦後、ポアロが探偵となりナイルへと舞台が変わるが、前段で中心となる登場人物と知り合うエピソードがあって、原作を知らなくても犯人がバレバレになってしまうのがいただけない。
 事件そのものはエジプト観光のナイル遊覧船で殺人が起き、ポアロが犯人を推理していくといういつも通りの展開なのだが、シリアス・ポアロがカッコつけすぎで、その割に推理が裏付けを欠いたものになっているため、当てずっぽうを言ってるだけにしか見えない。おまけに関係者をまるで犯人であるかの如く問い詰めていくので、その関係者が消されてしまうと、人が次々と殺されなければ犯人に辿り着けない金田一耕助のようで、シリアスが勝っている分、ただの抜け作に見えてしまう。
 冒頭の恋人とのエピソードでポアロのキャラクター性に深みを与えているつもりが、カッコつけてるだけの迷探偵では却って逆効果。金田一並みの軽さがないと事件を阻止できない無能に見える。
 原作に味付けしたつもりの改作というよりは改竄が裏目に出ていて、1978年の『ナイル殺人事件』を見直したくなる。 (評価:1.5)

ポゼッサー

製作国:イギリス、カナダ
日本公開:2022年3月4日
監督:ブランドン・クローネンバーグ 製作:ニヴ・フィッチマン、アンドリュー・スターク、フレイジャー・アッシュ、ケヴィン・クリクスト 脚本:ブランドン・クローネンバーグ 撮影:カリム・ハッセン 美術:ルパート・ラザラス 音楽:ジム・ウィリアムズ

脳に寄生するのは殺し屋だけではなく睡魔という二重構造の仕掛け
 原題"Possessor"で、所有者の意。
 殺し屋の女がベッドに寝たままで殺しをするという物語で、その殺し方は頭に被った装置で他人の脳に寄生し、操って標的を殺すというもの。殺人後に宿主を自殺させて仕事完了となるのだが、女には躊躇があって宿主を殺せないらしい。
 らしい…というのは、デヴィッド・クローネンバーグの息子の演出が緩慢というよりは弛緩していて、クローネンバーグの息子が眠らせようとして送り込む睡魔に脳が寄生されてしまう。
 朧げな意識を整理すると、その女殺し屋タシャ(アンドレア・ライズボロー)には夫と息子がいて、仕事を秘密にしているために(当たり前か!)家庭が上手くいってない。
 上司(ジェニファー・ジェイソン・リー)に命じられた次の仕事は、IT企業の社長(ショーン・ビーン)と娘(タペンス・ミドルトン)の殺しで、娘の婚約者(クリストファー・アボット)に寄生するのだが上手くいかず、逆にタシャの自宅を知られてしまう。
 最後はタシャの夫と息子も死んでしまうというバッドエンドだが、エンドロールになると完全に睡魔に寄生されてしまうという結末。
 時折、この睡魔の妨害をするのが宿主がナイフで滅多刺しにする残酷描写で、それ以外はメリハリのない退屈なSFスプラッターとなっている。 (評価:1.5)

野性の呼び声

製作国:アメリカ
日本公開:2020年2月28日
監督:クリス・サンダース 製作:アーウィン・ストフ 脚本:マイケル・グリーン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:ジョン・パウエル

CGでフォトリアルな動物を描くのは文明の堕落ではないか?
 原題"The Call of the Wild"で、邦題の意。ジャック・ロンドンの同名小説が原作。
 原作は20世紀初頭に書かれたもので、19世紀末のゴールドラッシュの時代、カナダのユーコン準州が舞台。カリフォルニアの裁判官の飼い犬だったバックが攫われ、販売業者から運送業者に売られ犬橇に使役されてしまうが、愛犬家のソーントン(ハリソン・フォード)に助け出され、山小屋で共に暮らすうちに森の牝狼に惹かれ、その仲間に加わるうちに野生に還っていくという物語。
 人間に飼いならされた家畜は野生に還るべきという原始主義者には心地よい物語だが、犬は野生に還っても狼にはならずに野犬になるだけで、幸せだとは限らない。野生が幸せだという思い込みは人間の傲慢にすぎないと考える人には、なんとも嘘くさい物語に思えてくる。
 それに輪を掛けるのがCGで描かれた犬たちで、気持ち悪いほどに人間的な演技をする。ある意味、原作に忠実といえば忠実だが、ならばフォトリアルにはせずにアニメーションとわかるCGにすれば、あくまで擬人化された犬たちだと割り切れる。
 フォトリアルな動物表現に挑戦したCGスタッフの志は別として、アナクロニズムな作品を今更映画化する意義もわからなければ、映画化して何を描きたかったのかもさっぱりわからない。
 近年の動物愛護の潮流に合わせて、家畜はみな野生に還すべき、野生動物は野に放つべきという原始主義を訴えたかったのか? ならばヒトもまた原始時代に戻るべきで、CGでフォトリアルな動物を描くなど文明の堕落ではないかと、ちょっと皮肉りたくもなる。 (評価:1.5)


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