海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2019年

製作国:アメリカ
日本公開:2019年10月4日
監督:トッド・フィリップス 製作:トッド・フィリップス、ブラッドリー・クーパー、エマ・ティリンジャー・コスコフ 脚本:トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー 撮影:ローレンス・シャー 美術:マーク・フリードバーグ 音楽:ヒルドゥル・グーナドッティル
キネマ旬報:1位
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

オッサンにしか見えないH・フェニックスでは悲劇性がない
 原題"Joker"。DCコミックス『バットマン』に登場する悪者で、ジョーカーが誕生する秘話を描く。ヴェネツィア映画祭金獅子賞受賞。
 1980年代のゴッサムシティが舞台で、後にジョーカーとなるアーサー(ホアキン・フェニックス)は老齢の母(フランセス・コンロイ)との二人暮らし。コメディアンを目指しながらピエロ姿でサンドイッチマンなどのバイトをしているが、定職はなく、脳の損傷から発作的な笑いに見舞われるという持病持ち。
 トラブルからバイトを首になり、地下鉄でウェイン社の証券マンに暴行を受けたのをきっかけに射殺。更に母の手紙からトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)との間の子だということを知り、ウェイン邸に確かめに行くが母の妄想だと否定され、逆にアーサーは養子で母の虐待を受けていたことを知る。
 虐待を受けていたことを覚えていないというのがツッコミどころだが、とことんアーサーの逆境が語られ、どん底の宿命に絶望して母を殺害。人生は悲劇ではなく喜劇だという哲学を得たアーサーは、コメディアンの才能を見出し番組に招いてくれた人気テレビ司会者のマレー(ロバート・デ・ニーロ)をスタジオで射殺。逮捕・連行中に格差社会に怒る者たちの暴動に巻き込まれて逃亡、悪漢ジョーカーの誕生となる。
 ジョーカーの名前は、マレーの番組出演の際に初めて名乗る。
 ジョーカーはアメリカの格差社会が生んだ、という現在のアメリカを象徴するテーマの社会派作品だが、ジョーカーのキャラクター設定上仕方がないとはいうものの、希望も救いの欠片もなく、暴力のための暴力、破壊のための破壊、悪のため悪という、見終わって一点の光明も見出せない、不快感しか残らないラストとなっている。
 主人公はキャスティングミスで、ホアキン・フェニックスでは人生に先のないオッサンにしか見えず、アーサーがもう少し若ければ、挫折する主人公の悲劇性が感じられたかもしれない。
 後に宿敵バットマンとなる少年ブルース・ウェインとの初対面のシーンもある。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:2020年12月4日
監督:セリーヌ・シアマ 製作:ベネディクト・クーヴルール 脚本:セリーヌ・シアマ 撮影:クレア・マトン 美術:トマ・グレーゾ
キネマ旬報:3位

同性愛映画の枠を超えて許されないカップルの悲恋を描く
 原題"Portrait de la jeune fille en feu"で、邦題の意。
 絵画教室を開いている肖像画家マリアンヌ(ノエミ・メルラン)が、アトリエに置かれた絵についての思い出を回想するというもので、モデルのエロイーズ(アデル・エネル)との同性愛の物語。
 18世紀、令嬢エロイーズの輿入れ用の肖像画を伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)に依頼されたマリアンヌは、ブルターニュの孤島の屋敷を訪ねる。見合い相手はミラノの貴族。本来は姉が嫁ぐはずだったが、肖像画を拒否して自殺したという因縁付き。画家ということを隠して屋敷に滞在し、エロイーズを観察しながら隠れて肖像画を仕上げる。
 完成した絵を見せられたエロイーズは気に入らず、自らモデルとなっての書き直しを命じる。この間、二人の間には友情を超えた愛情が芽生え、許されない仲のままに思い出だけを胸にエロイーズは嫁ぐ。
 これに重ねられるのが、オルフェウスの冥界下りのギリシャ神話で、冥界の王ハデスに許されて死せる妻工ウリユディケを連れ帰ろうとするのだが、振り返ってしまったために妻は冥界に引き戻されてしまう。
 オルフェウスは何故振り返ってしまったのか? を巡りマリアンヌとエロイーズ、女中のソフィ(ルアナ・バイラミ)の3人が語り合うシーンがあり、思わずではなく、工ウリユディケが振り返ってと言ったからではないかとエロイーズが語り、エウリユディケとの思い出を記憶に留めるためだったのではないかとマリアンヌが言う。
 このモチーフは、屋敷の暗闇でマリアンヌを振り返させるエロイーズの幻影として現れ、屋敷を去る最後の別れ、冥界下りを描いたマリアンヌの絵として繰り返され、劇場でマリアンヌを決して振り返ろうとしないエロイーズの悲しみというラストシーンに結びつく。
 LGBTのための同性愛映画という枠を超えて、『ロミオとジュリエット』同様の許されない二人の悲恋を描いていて、終盤は感動的。
 二人が惹かれ合っていく過程のエピソードが若干退屈なのと、盛り上げようとする演出が過剰なのがマイナス。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2019年11月7日
監督:マーティン・スコセッシ 製作:マーティン・スコセッシ、ジェーン・ローゼンタール、エマ・ティリンジャー・コスコフ、ロバート・デ・ニーロ、ガストン・パヴロヴィッチ 脚本:スティーヴン・ザイリアン 音楽:ロビー・ロバートソン 撮影:ロドリゴ・プリエト
キネマ旬報:3位

家族のために生きたヒットマンの父が娘の赦しを乞う物語
 原題"The Irishman"で、アイルランド人の意。チャールズ・ブラントのノンフィクション"I Heard You Paint Houses"が原作。
 アイルランド系アメリカ人で、全米トラック運転手組合の役員をしていたフランク・「アイルランド人」・シーランの実話で、トラック運転手だったフランク(ロバート・デ・ニーロ)がマフィアのラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)と知り合い、家族を養うための副業にラッセルのヒットマンをやる。マフィアと癒着する全米トラック運転手組合委員長ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)とも親交を結ぶが、やがてマフィアにとって邪魔になったためラッセルの指図でホッファを暗殺。
 関係者がすべて亡くなり養老施設に入ったフランクが、半生を回想する形式で語られるが、充実しすぎていて3時間半をもってしても語り切れず、マフィアやフランクに殺される人々が走馬灯のようにスクリーンを通り過ぎていき、誰が誰だか何が原因だったのか個々にはよくわからない。
 もっとも、フランクが虫けらのように人を殺していたということを描いたのだと了解すれば、些細なことは気にしないという鑑賞姿勢となるが、皺だらけで顔の区別がつかない俳優陣を見分けるのと、駆け抜けるストーリーを追うだけでも疲れ果てる。
 その3時間半を整理すれば、本作は家族の生活を守ろうとする父フランクと娘ペギー(アンナ・パキン、子役:ルーシー・ガリーナ)の物語で、ペギーは彼女のためと言ってパン屋の手を踏み潰す父を見て嫌悪し、殺害事件が起きるたびにその陰に父を見る。
 直感的に人殺しを見分けるペギーはラッセルにも懐かず、ホッファを父のように慕う。そのホッファを殺した父とは永遠に和解することはなく、フランクは愛するペギーを養老施設のドアを開いて待ち続けるというラストになる。
 真実を語らず神への告白さえ拒否するホッファは、地下墓所への埋葬を望み、天国への門を開かない。娘の赦しこそがすべてという、家族のために生きたアイルランド移民の父の哀しい姿を描くが、娘同様、それが免罪符にはならない。
 本作の主要部分はデ・ニーロとパチーノに占められていて、二人の圧巻の演技が大きな見どころとなっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2019年8月30日
監督:クエンティン・タランティーノ 製作:デヴィッド・ハイマン、シャノン・マッキントッシュ、クエンティン・タランティーノ 脚本:クエンティン・タランティーノ 撮影:ロバート・リチャードソン 美術:バーバラ・リング
キネマ旬報:2位
ゴールデングローブ作品賞(コメディ・ミュージカル部門)

討ち入りのない『忠臣蔵』を見せられた気分
 原題"Once Upon a Time in Hollywood"。
 1969年8月9日のシャロン・テート事件を題材に、隣に住む落ち目のテレビ西部劇のスター・リック(レオナルド・ディカプリオ)と、リックのスタント役の相棒クリフ(ブラッド・ピット)、シャロン・テート(マーゴット・ロビー)の3人の物語が並行して進むという構成で、終盤はシャロン・テート事件を軸に進むものの、前半はそれぞれの物語となっていて、何が中心になっているのかわからないままに進行し、やや散漫な印象を受ける。
 スタントの裏話やテレビ映画の企画成立の仕組み、スターの新陳代謝、マカロニウエスタンの登場など、ハリウッドの昔話や、テレビ西部劇の人気凋落によって使われなくなった撮影用の牧場がヒッピーの住み処となったり、話に出てくるテレビドラマや映画、流れる音楽は、当時を知っていれば面白いが、そうでないと物語上で半分も意味をなさない。
 そうした点ではシャロン・テート事件を含め、シネフィル向けに作られていて、タランティーノらしいといえばらしいが、一般の観客にとっては不親切というよりも相手にされていない。
 これこそが昔むかしのハリウッドということなのだろうが、シャロン・テート事件の結末も違っていて、落ち目の西部劇スターがヒーローとして活躍するというお伽噺になっている。
 歴史もののパラレル世界という点では『イングロリアス・バスターズ』(2009)と同じだが、ナチを描いた『イングロリアス・バスターズ』に比べ、シャロン・テート事件のパラレル世界にどれほどの意味があるのか理解できない。
 あるいは、シャロン・テートが生きていればハリウッドの未来は違っていたとでもいうのか? あるいはアメリカ映画界にとって、ハリウッドの転換期に起きた事件として象徴的だったのか? それにしても討ち入りのない『忠臣蔵』を見せられた気分。
 リックにマカロニ転身を進める映画プロデューサーにアル・パチーノ。ブルース・リーの役も出てくる。 (評価:2.5)

製作国:韓国
日本公開:2019年12月27日
監督:ポン・ジュノ 脚本:ポン・ジュノ、ハン・チンウォン 撮影:ホン・ギョンピョ 音楽:チョン・ジェイル
キネマ旬報:1位
アカデミー作品賞 アカデミー国際長編映画賞 カンヌ映画祭パルム・ドール

韓国格差社会の絶望しか示せなかったのが残念
 原題"기생충"で、寄生虫の意。
 韓国の格差社会がテーマの作品で、貧困の象徴、半地下の部屋に住むキム一家が素性を偽って、高級住宅街の邸に住むIT成金・パク家の使用人になっていくという物語。邸の秘密の地下室には元家政婦ムングァンの夫が隠れ住んでいて、最後は地下家族同士の争いとなり、パク家の主人ドンイク(イ・ソンギュン)が巻き込まれて殺されてしまうという結末を迎える。
 今度はドンイクを殺したキム家の主人ギテク(ソン・ガンホ)が邸の地下室に隠れ住み、それを知った息子ギウ(チェ・ウシク)がいつか金持ちになって邸を買い取り、父を地下室から解放してやりたいという夢を語って終わる。
 格差社会の固定化、それに対する貧困層の恨(ハン)が主題となっていて、ギテクがドンイクを殺したのは、ドンイクがムングァンの夫の臭いに顔を顰めたのがきっかけで、この臭いが本作を通して貧困者を象徴するものとなっている。つまり殺人の動機は、貧困から抜け出せない者を排除・貶める富裕層の傲慢にあって、そうした格差社会への恨みと絶望が本作の根底にある。
 この格差を象徴するのが丘の上に建つ豪邸と、キム一家が住む半地下室で、その格差を急な坂道と幾度も下らなければならない長い階段で表し、半地下室が豪雨によって水没するという格差の現実を見せる。
 格差社会への批判を上層に対する恨みだけに終わらせて、下層から脱出するには上昇志向と金しかないという結論には救いの欠片もなく、それが韓国社会の現実だという絶望に立つのか、その中に何らかの光明を示すのかによって作品の持つ意味も変わってくるが、絶望しか示せなかったのは、ポン・ジュノ監督としてはいささか残念な気がする。
 そうした悶々としたものがソン・ガンホの演技にも表れていて、終始精彩を欠いている。
 ギウがパク家の娘の家庭教師を始めるのをきっかけに入り込むニセ美大生の妹ギジョンにパク・ソダム、家政婦となる母チョンソクにチャン・ヘジン。ドンイクの若くてシンプルな妻ヨンギョにチョ・ヨジョン。
 シリアスなテーマのブラックコメディで、カンヌ映画祭パルムドールを受賞。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2020年6月5日
監督:ジム・ジャームッシュ 製作:ジョシュア・アストラカン、カーター・ローガン 脚本:ジム・ジャームッシュ 撮影:フレデリック・エルムズ 美術:アレックス・ディジェルランド 音楽:スクワール

死後も現世に未練を残す哀れな人々への痛烈な皮肉
 原題"The Dead Don't Die"で、死者は死なないの意。
 アメリカの田舎町を舞台にしたゾンビ映画。ゾンビ発生原因は、極地でのエネルギー採掘工事で地軸が変動し、地球環境に異常を生じたというもので、従来のゾンビ物の約束事を踏襲しつつ、それなりに理屈をこしらえた設定になっているが、署長(ビル・マーレイ)がカーラジオから流れる歌に「前に聴いたような気がする」と言うと、すかさず警官(アダム・ドライバー)が「主題歌だから」と答えて、本作がジャームッシュのおふざけゾンビ映画であることがわかる。
 加害者が不明のうちから警官に「ゾンビの仕業」と言わせ、「なんでお前はそんなに平静なんだ」と署長に聞かれて「台本を読んでいるから」と内輪ネタにする。
 出演者の多くも過去のジャームッシュ作品に出演していて、アダム・ドライバーには『スター・ウォーズ』のキーホルダーを持たせるなど、随所に本作がゾンビ映画のパロディであることを伝える。
 警官の「悪い結末になる」という予感通りに全員がゾンビの餌食となって終わる。
 墓地から復活するゾンビは当然、町の住人だった人々で、生前の嗜好、ギターやサッカー、菓子、コーヒー、ファッションといったものをゾンビになってからも引き摺っている。これをジャームッシュは物欲だとしていて、物欲に執着する人々を痛烈に皮肉っている。
 これまで人の拠り所を精神的なものとして描いてきたジャームッシュが、対して物質主義に陥っている多くの人を魂(精神)を持ちえずに死後も現世に未練を残す哀れなゾンビに譬えていて、人間がもたらした地球の異変を含めて、ラストシーンは人間精神を忘れて物質主義に陥った人間の終末を暗示している。
 前半はこれがゾンビ映画か?というくらいにまったりとした展開で、人々の危機感のなさ、ボンクラぶりを描いていくが、後半は一気呵成に滅亡へと突き進むという、ゾンビ映画の常識に収まらない作品になっている。 (評価:2.5)

製作国:中国、香港
日本公開:2021年7月16日
監督:デレク・ツァン 脚本:ラム・ウィンサム、リー・ユアン、シュー・イーメン 撮影:フィッシャー・ユイ 音楽:エレン・ジョイス
キネマ旬報:10位

労働者のための共産国家でも変わらない科挙の伝統
 原題"少年的你"で、邦題の意。チオ・ユエシーの小説『少年的你,如此美麗』が原作。
 中国の大学受験競争を題材にしたサスペンス映画で、ラブストーリー。
 主人公の受験生チェンを『サンザシの樹の下で』(2010)のチョウ・ドンユイが演じていて、10年経って若干薹の立った女子高生になっている。
 中国の受験競争はかつての科挙を連想させ、試験に受かるか受からないかで天と地ほどの階級格差が生じるという科挙の伝統は、労働者のための共産国家でも全く変わっていないことがわかる。
 チェンの母は労働者階級を抜け出すために娘の大学入学にすべてを注ぎ、娘が大学に入って支配層になれば、縁故者はお零れにあずかれる。
 高校は受験予備校と化し、友達はすべて敵で蹴落とすためにイジメに走る。行きがかりからチンピラのシャオベイ(イー・ヤンチェンシー)はチェンを敵から守るボディーガードとなり、階級を超えた二人に愛が芽生える。チェンは大学に受かってシャオベイを底辺から引き揚げることを目指すが、シャオベイが補導された隙にイジメの頭目の女子高生ウェイ(チョウ・イエ)がチェンを襲う。
 全国統一試験が始まるが、ウェイの他殺体が発見されたことから一気に『容疑者Xの献身』(2008)風のサスペンスとなり…事件解決から4年、チェンを守り続けるシャオベイという、ほっこりとした結末となる。
 社会派でありながらサスペンスとしてもラブストーリーとしても良く出来たシナリオ。香港国家安全維持法施行前の作品ながら、中国政府のイジメ対策を持ち上げているのが少々気持ち悪い。 (評価:2.5)

レイニーデイ・イン・ニューヨーク

製作国:アメリカ
日本公開:2020年7月3日
監督:ウディ・アレン 製作:レッティ・アロンソン、エリカ・アロンソン 脚本:ウディ・アレン 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ 美術:サント・ロカスト

田舎者を皮肉たっぷりに描くニューヨーク愛の映画
 原題"A Rainy Day in New York"で、ニューヨークの雨の日の意。
 監督名を確かめずに見てしまったのだが、5分も経たないうちに監督がわかるという典型的なウディ・アレン映画。
 田舎の大学新聞の取材のためにニューヨークを訪れるアリゾナ生まれのアシュレー(エル・ファニング)と、同級生で恋人のニューヨークっ子、ギャツビー(ティモシー・シャラメ)の雨の一日を描くロマンチックコメディ。
 垢抜けない丸顔美人のアシュレーは、田舎者丸出しの好奇心で取材相手の有名監督、脚本家に適当にあしらわれた挙句、演技よりも顔で人気の俳優にお持ち帰りされて、そのまま寝てもいいわと思うミーハー娘。
 一方のギャツビーはアシュレーと過ごすはずのニューヨークの一日が、アシュレーに次々予定をキャンセルされる。もっともその間、かつてのガールフレンドの妹チャン(セレーナ・ゴメス)と出会い、次第にいい関係となっていくという雨のち晴れの天気。
 ニューヨークっ子のウディ・アレンらしく、ニューヨーク愛に満ちた作品で、太陽の下で生まれ育ち、都会でも太陽の輝きを求める田舎者を皮肉たっぷりに描き、太陽のない都会で生まれ育ち、日陰に安らぎを見出す都会っ子の屈折に愛情を寄せる。
 前半、オタク的な映画の会話が機関銃のように続くが、ウディ・アレンのただのおしゃべりに過ぎないので、気に留めずに聞き流すのがニューヨークっ子流。
 妻に浮気される脚本家にジュード・ロウ。エル・ファニングのイモ娘ぶりがハマっている。 (評価:2.5)

ジュディ 虹の彼方に

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2020年3月6日
監督:ルパート・グールド 製作:デヴィッド・リヴィングストーン 脚本:トム・エッジ 撮影:オーレ・ブラット・バークランド 美術:ケイヴ・クイン 音楽:ガブリエル・ヤレド

乗せられたと知りつつも感動してしまうラストシーン
 原題"Judy"。ジュディ・ガーランドの伝記映画で、ピーター・クィルターの戯曲"End of the Rainbow"(虹の終わり)が原作。
 1969年に47歳の若さで亡くなったジュディ・ガーランドの晩年を描いた作品で、回想として『オズの魔法使』(1939)の頃のエピソードが登場する。
 1968年、3番目の元夫シドニー・ラフトとの幼い子を連れて巡業をしていたジュディは、借金からホテルの宿泊を断られ、仕方なくラフトの家を訪ねるところから物語は始まる。苦境を脱するために人気の残るロンドンの劇場公演に向かいファンの期待に応えるが、子役の頃からの薬物中毒でステージに穴をあけ、5番目の夫ミッキー・ディーンズと再婚を果たすも、ニューヨークへの凱旋の夢が断たれ、失意からステージで失態を演じ、契約を打ち切られるまで。
 ジュディをレネー・ゼルウィガーが演じるが、薬物中毒の彼女を演じるためにやつれるまでに瘦せ細って熱演、アカデミー主演女優賞を受賞している。音楽映画でもあり、劇中ジュディの曲を数曲歌うが、これが本物と聴き違うほどに上手いのに驚かされる。
 エディット・ピアフ同様、同じ享年に薬物中毒で輝かしくも悲劇的な生涯を閉じることになった原因を、若い頃の痩身のための食事制限とアンフェタミン服用、過密なスケジュールに求めるが、その描き方は淡泊で、巷間伝えられるジュディとハリウッドの醜聞について素通りしているのが、ジュディの伝記としては肩透かし。
 それでも、ロンドン公演の最後の夜、ステージに立ったジュディが「虹の彼方に」を歌い始めて声を詰まらせると、客席のゲイのカップルが立ち上がって歌を継ぎ、それが聴衆の合唱に代わっていくシーンには、演出に乗せられたと知りつつも感動してしまう。
 ロンドン公演の世話係、ロザリン役のジェシー・バックリーがいい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2020年1月10日
監督:ジェームズ・マンゴールド 製作:ピーター・チャーニン、ジェンノ・トッピング、ジェームズ・マンゴールド 脚本:ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース、ジェイソン・ケラー 撮影:フェドン・パパマイケル、マイケル・マカスカー 音楽:マルコ・ベルトラミ、バック・サンダース
キネマ旬報:7位

頑固者マイルズを演じるクリスチャン・ベールがかっこいい
 原題"Ford v Ferrari"で、邦題の意。
 フォードの3代目社長(トレイシー・レッツ)と副社長のアイアコッカ(ジョン・バーンサル)が、ベビーブーマー世代を狙ったスポーツ車を開発するためにル・マン24時間レースに参戦する実話ベースの物語で、開発を請け負った元レーサーでレーシングカー製造会社社長のキャロル・シェルビー(マット・デイモン)とテストドライバーのケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)が主人公。
 1960年からフェラーリのル・マン優勝が続いていて、1963年、フォードはフェラーリの買収に動くが失敗。エンツォ・フェラーリの暴言に怒った3代目社長が翌年のル・マンでの優勝を厳命、アイアコッカを通じてシェルビーにレース・マシンの開発を依頼。
 職人肌で気難しいマイルズはフォードの開発責任者レオ・ビーブ(ジョシュ・ルーカス)に嫌われ、ことあるごとに対立。シェルビーとマイルズの敵はフェラーリではなくフォードという、「フォードvsマイルズ」の様相を呈していく。
 1964年のル・マンはマイルズを欠いたチームで参戦、全車リタイアという失敗に終わる。3代目社長に敗因はマイルズを排除するビーブらの重役陣にあると訴えたシェルビーは、マイルズを中心に再びル・マンに挑戦。1966年のデイトナ24時間レースで勝利し、1966年ル・マンでフォードが1・2・3で優勝する。
 狡猾なビーブの罠で優勝レーサーの名誉を逃したマイルズは、2か月後にテストドライブ中に事故死。弔うシェルビーの涙で物語は終わる。
 妥協を許さないレーサー一筋の頑固者マイルズを演じるクリスチャン・ベールがかっこよく、その気持ちを理解しながら陰に陽に支える相棒マット・デイモンの父親のようなやさしさがいい。
 この二人の演技と迫力のレースシーンが見どころで、定型的な悲劇的ヒーローものながらもカーレースファン以外も楽しめる娯楽作。 (評価:2.5)

アラジン

製作国:アメリカ
日本公開:2019年6月7日
監督:ガイ・リッチー 製作:ダン・リン、ジョナサン・アイリヒ 脚本:ジョン・オーガスト、ガイ・リッチー 撮影:アラン・スチュワート 美術:ジェマ・ジャクソン 音楽:アラン・メンケン

ウィル・スミスのコミカルな演技とVFXが最大の見どころ
 原題"Aladdin"で、『アラジンと魔法のランプ』の主人公の名。
 ガラン版『千一夜物語』( Les Mille et Une Nuits)収録作"Aladdin"が原作で、同名ミュージカル・アニメーション映画(1992)の実写リメイク。原作の舞台は中国だが、本作では砂漠の王国アグラバーという架空の国が舞台になっている。
 物語はアニメ版をほぼ踏襲しているが、最後に自由の身になったランプの精ジーニー(ウィル・スミス)が王女ジャスミン(ナオミ・スコット)の侍女ダリア(ナシム・ペドラド)と結婚し、二人の子供に船の中でアラジン(メナ・マスード)の物語を話して聞かせるという、『千一夜物語』らしい構成にしているのがシャレている。
 王女に恋したアラジンが魔法のランプを手に入れ、王子に変装して王女に近づくが、大臣の魔法使いジャファー(マーワン・ケンザリ)にランプを奪われる。ジャファーはジーニーの魔法で国王の座を奪うが、アラジンの機転でジャファーをランプに封じ込め、ジーニーを自由の身にして、アラジンは王女と結ばれるという物語。
 アラジンとジャスミンの恋物語だが、ジーニーを演じるウィル・スミスが事実上の主役で、『メン・イン・ブラック』(1997)を髣髴させるコミカルな演技が最大の見どころ。
 それを支えるのがVFX演出で、煙とともに出現したり、宙に浮いたり、人間に姿を変えたりと変幻自在で楽しい。
 "A Whole New World"の歌とともに、アラジンとジャスミンが魔法の絨毯で夜間飛行をするシーンもロマンティックで、アグラバーの街の風景から宮殿、王子の隊列等々、絢爛豪華なCG演出も良くできている。 (評価:2.5)

娘は戦場で生まれた

製作国:イギリス、シリア
日本公開:2020年2月29日
監督:ワアド・アル=カティーブ、エドワード・ワッツ 製作:ワアド・アル=カティーブ 撮影:ワアド・アル=カティーブ

結果的に子供を利用したドキュメンタリーが後味悪い
 原題"For Sama"で、サマへの意。サマは監督ワアドの娘の名。
 アラブの春に続く2011年から始まるシリア内戦の内、アレッポの民主化運動を記録したドキュメンタリー。監督のワアド・アル=カティーブは当時アレッポ大学のジャーナリスト志望の女子学生で、スマホでのデモ撮影からビデオカメラでの本格的な戦場の撮影に移っていく。
 明らかなドローン撮影や夫の医師ハムザの撮影、さらには第三者による撮影もあるのだが、ワアド撮影のドキュメンタリーという割に、それが説明されないのが若干誠実さを欠く。
 アサド政権対反体制派の戦いを描くのだが、ワアド自身が反体制派の活動家で、中立性に欠けているのがはたしてドキュメンタリー足り得るのかという問題を抱えている。
 さらには夫婦の活動を中心に子供まで産んでしまうという極私的な展開で、戦時下での記録としてはドラマチックだが、ドキュメンタリーの対象としては感情的で不適切。子供の人権という視点からは親の身勝手さが目に余り、サマの幼児体験と人格形成に大きな傷を残したのではないかと心配になる。
 そうした問題点を棚上げすれば、アレッポ包囲戦の記録としては非常に貴重であり、降伏させるためには病院であろうとなかろうと壊滅するまで無差別に攻撃するという、ウクライナ戦争に通じるロシアの野蛮性を見ることができる。
 そうした本作の意義と衝撃的な映像に目を奪われて、正義のためには子供を犠牲にするという、結果的に子供を利用した作品をドキュメンタリーとして評価してはならず、見終わって後味が悪い。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、オーストラリア、アメリカ
日本公開:2020年1月10日
監督:エイブ・フォーサイス 脚本:エイブ・フォーサイス 撮影:ラクラン・ミルン 美術:サム・ホブス 音楽:ピアース・バーブルック・デ・ヴェレ

黙示録ではない新たな視点を提供する感動系ゾンビ映画
 原題"Little Monsters"で、小さな怪物たちの意。
 オーストラリアが舞台のホラーコメディだが、元ヤンキーの幼稚園教諭、独り立ちできない男、苛められっ子の男児が、それぞれに全力を尽くして危機に立ち向かうという感動系ドラマになっているのが新鮮なゾンビ映画。
 ゾンビが登場するのは中盤からで、ストリートミュージシャンのままに年を食ってしまったモラトリアム人間のデイヴ(アレクサンダー・イングランド)は、恋人と喧嘩して姉の家に居候。食物アレルギーのために幼稚園で苛められている甥フェリックス(ディーゼル・ラ・トラッカ)にダースベイダーの格好をさせ、シューティングゲームや下品な言葉(bad word)を教え込む。
 甥の子守を命じられるが、美人の幼稚園教諭オードリー(ルピタ・ニョンゴ)に惹かれて、観光農場の遠足に同行することになる…とここまではホームコメディ路線で、ホラーの空気は微塵も感じさせない。
 そこで漸く幼稚園バスが軍事施設から逃げ出したゾンビに遭遇。観光農場のギフトショップに逃げ込み、孤立無援の中、ダメ人間の3人がそれぞれにヒーロー性を発揮して無事生還することになる。とりわけ元ヤンキーのオードリーが「子供たちを守るのが私の仕事」と、ゾンビに立ち向かう勇ましい姿が微笑ましい。
 脱出用の車を手に入れに行ったデイヴを追って、ダースベイダーの格好でゾンビの群れに分け入るフェリックスも、健気で感動的。
 ゾンビ映画に黙示録ではない新たな視点を提供する、感動系ゾンビ映画となっている。 (評価:2.5)

ナショナル・シアター・ライブ2020 リーマン・トリロジー

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製作国:イギリス
日本公開:2020年2月14日
演出:サム・メンデス 作:ステファノ・マッシーニ 翻案:ベン・パワー

老若男女、赤ん坊までを演じる三人の演技力に舌を巻く
 原題"National Theatre Live: The Lehman Trilogy"。ステファノ・マッシーニの戯曲"The Lehman Trilogy"(リーマン三部作)が原作で、ロンドンのピカデリー劇場で上演された舞台のライブ映像。
 ドイツ系ユダヤ移民のリーマン兄弟がアメリカで起こしたリーマン・ブラザーズの盛衰を描くもので、2008年の破綻から始まり、1844年のヘンリー・リーマンのアメリカ移住に遡り、破綻に至るまでの年代記が語られる。
 南部で収穫された綿花を仕入れて紡績会社に売る商会を皮切りに、常に時代を先取りする商社から投資銀行へと発展していくが、リーマン一族の商才による同族企業から一般企業へと変貌する中で、証券などの金融取引に軸足を移すことで社内に亀裂が生まれ、破綻へと追い込まれていく。
 この過程を三部構成で描くが、アダム・ゴドリー、サイモン・ラッセル・ビール、ベン・マイルズの三人の俳優ですべてを演じ切るというのが凄い。老若男女、赤ん坊までを演じる三人の演技力に舌を巻くが、その饒舌ぶりに観客としては若干疲れて頭が霞んでくる。
 舞台装置は事務所や社長室、会議室となるキューブ上の簡略化されたセットだけで、背景のスクリーンに窓の外の遠景が映し出される。このシンプルな舞台が三人の演技をより際立たせるが、これを演出したサム・メンデスの卓越した発想と演出力が舞台そのものを大きく支えている。 (評価:2.5)

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け

製作国:アメリカ
日本公開:2019年12月20日
監督:J・J・エイブラムス 製作:キャスリーン・ケネディ、J・J・エイブラムス、ミシェル・レイワン 脚本:J・J・エイブラムス、クリス・テリオ 撮影:ダニエル・ミンデル 美術:リック・カーター、ケヴィン・ジェンキンズ 音楽:ジョン・ウィリアムズ

ディズニーらしく王女は王子様のキスで目覚めてほしかった
 原題"Star Wars: The Rise Of Skywalker"。エピソード9。
 カイロ(アダム・ドライバー)を中心に話が回った前作に比べ、再び主人公のレイ(デイジー・リドリー)に話が戻って、物語そのものは『スター・ウォーズ』らしくなっている。
 エピソード6のエンドアの戦いで死んだはずの皇帝パルパティーンによってファースト・オーダーの司令官となったカイロは、未知領域にある惑星エクセゴルに導かれる。
 一方、レイア(キャリー・フィッシャー)の下でジェダイの修業に励んでいたレイは、パルパティーンが生きているという情報とルーク(マーク・ハミル)が遺した古文書を基に、ポー(オスカー・アイザック)、フィン(ジョン・ボイエガ)、チューバッカ、BB-8、C-3POと共にミレニアム・ファルコンで惑星エクセゴルの探索に出る。
 パルパティーンから命令を受けたファースト・オーダーは、レイの追跡を始めるが、レイと交信できるカイロは二人で皇帝の座に就くことを繰り返し求める。
 惑星パサーナ、惑星キジミ、惑星ケフ・ビァに至ってカイロと対決を終え、彼を元のベン・ソロに戻したレイは、単身惑星オク=トーへ逃れ、ルークによってエクセゴルに送り出される。
 レイを追跡するレジスタンスもエクセゴルに到着、それぞれパルパティーン、その軍隊との対決となる。
 前作に続いて、レイは空中浮遊や飛翔で、フォースやジェダイを凌駕する超能力者ぶりを発揮。ミレニアム・ファルコンは障害物にぶつからないのが不思議なくらいの高速移動。クライマックスのエクセゴルの戦闘に至っては、パルパティーンの軍隊はともかく、レジスタンスとはいえないくらいに空を埋め尽くす宇宙船の数ばかりではなく、互いに衝突しないのが不思議なくらいの圧倒的な密度で、J.J.エイブラムスのSF無視の見せに徹した演出が呆れるほどに凄い。
 一度息を引き取ったレイをカイロがフォースで生き返らせるが、ヒーリングではなく、ディズニーらしく『眠れる森の美女』の王子様のキスで王女を目覚めさせてほしかった。
 戦いは当然レジスタンスが勝利し、祖父を討ったレイは惑星タトゥイーンで、スカイウォーカーの後継を宣言して、続編への可能性を残している。
 それにしても、レイが最後に手に持つライトセイバーは誰のものなのか?  (評価:2.5)

ダンボ

製作国:アメリカ
日本公開:2019年3月29日
監督:ティム・バートン 製作:ジャスティン・スプリンガー、アーレン・クルーガー、カッテルリ・フラウエンフェルダー、デレク・フライ 脚本:アーレン・クルーガー 撮影:ベン・デイヴィス 美術:リック・ハインリクス 音楽:ダニー・エルフマン

CGダンボは可愛いというよりは妙に艶めいて気持ち悪い
 原題"Dumbo"で、主人公の子象の名。同名アニメーション映画(1941)の実写リメイク。
 物語はサーカス団の移動から始まり、アニメ版の設定をなぞりつつもストーリーは大きく異なっていて、ティム・バートンらしいエンタテイメント作品になっている。
 大きな変更点は、象を含めたサーカスの動物たちがアニメ版のようには話さないこと、歌が入らないこと。またダンボが飛べるようになるのは、アニメ版ではラスト近くだが本作では生まれて間もなくで、まったりとストーリーが続くアニメ版に対し、ダンボの飛行を早くから見せることで映像的に飽きないようにしている。
 物語の進行役としてアニメ版ではネズミのティモシーが登場し、母親から離されて苛められるダンボを助けるが、本作ではサーカス団員の親子がダンボの世話をし、ダンボを売られた母親に引き合わせるために努力するというストーリーになっている。
 CG合成のダンボは、アニメ同様に感情などの表情がつけられているが、擬人化されたアニメとは違ってリアルな3DCGなので、可愛いというよりは妙に艶めいていて気持ち悪い。
 子供たちがダンボの背中に乗って飛ぶシーンは、『バグダッドの盗賊』(1924)の飛行シーンを想起させてロマンチック。
 もっとも、全体にCGばかりを見せられると、そのリアルさには感嘆するが、動物を含めてライブの映像の迫力や感動には薄く、アニメーションと何が違うのかという気になる。
 ダンボを助ける親子の父親役にコリン・ファレル。サーカス団の空中ブランコ乗りにエヴァ・グリーン。 (評価:2.5)

聖なる犯罪者

製作国:ポーランド、フランス
日本公開:2021年1月15日
監督:ヤン・コマサ 製作:レシェク・ボヅァク、アネタ・ツェブラ=ヒッキンボータム 脚本:マテウシュ・パツェヴィチュ 撮影:ピョートル・ソボチンスキ・Jr 美術:マレク・ザヴィエルハ 音楽:エフゲニー・ガルペリン、サーシャ・ガルペリン

前科者でも信仰さえあれば神の代理人になれるという話
 原題"Boże Ciało"で、キリストの体の意。
 少年院でキリスト教に傾倒し、模範囚として仮出所した20歳の青年(バルトシュ・ビィエレニア)が、村の少女に司祭と間違われたことから偽司祭として働くことになってしまった事件を描く、字幕によれば実話ベースの物語。
 きっかけは教会の司祭が病気で入院してしまったことで、代理を頼まれて告解やミサを執り行うことになる。インターネットでやり方を学び、俄仕込みで行うものの不慣れは免れないが、逆に少年院での改悛が形式的な言葉よりも説得力を持たせ、村人たちを惹きつけてしまう。
 話の中心となるのが1年前に村の中で起きた、年配者が運転する車と若者6人が乗る車が衝突した全員死亡の交通事故で、年配者の過失とされて教会墓地への埋葬を拒否されている。
 少女から若者たちがドラッグをやっていたという秘密を聞かされた偽司祭は年配者を埋葬し、村人たちの赦しを求める。
 そうした中、偽司祭であることがバレて青年は少年院に逆戻り。巨漢のボスとのタイマン勝負となるが、何と打ち負かしてしまう。
 偽司祭を通して人間性を見失った信仰の在り方、信仰の本質を問うが、敵うはずがない相手に少年が勝ってしまうラストが、少年院に逆戻りしてヤケ糞になった馬鹿力ともいえるが、偽司祭の経験を通して得た青年の信仰の力といえなくもない。
 前者の解釈なら、神の遍在を信じた青年が神に裏切られて信仰を失う、神の不在のよくある話で、通俗的すぎて詰まらない。
 後者の解釈なら、前科者でも信仰さえあれば神の代理人になれ、その信仰の力は逆境においても揺るがないという、仏法の修羅ともいえ、こちらの方が面白い。 (評価:2.5)

82年生まれ、キム・ジヨン

製作国:韓国
日本公開:2020年10月9日
監督:キム・ドヨン 脚本:ユ・ヨンア 撮影:イ・ソンジェ 音楽:キム・テソン

カップルで見ると議論になるのでデートでは見ない方が良い
 原題"82년생 김지영"で、邦題の意。チョ・ナムジュの同名小説が原作。
 2歳の子供を抱える専業主婦キム・ジヨン(チョン・ユミ)が主人公で、精神を病んでいることから夫のチョン・デヒョン(コン・ユ)が精神科医に相談、本人が治療を開始するまでの物語。
 この間、ジヨンの回想を織り交ぜながら、なぜ彼女が精神病になったかの経緯が語られるが、現在と過去の転換が分かりにくいのと、精神病が解離性同一性障害らしいのだが、人格の分離を母や友人の人格の憑依として描くために症状そのものをわかりにくくしている。
 さらに精神科医は出産・育児による鬱病と診断していて、鬱病と解離性同一性障害とごっちゃになっているため、デパートのように並べられる女性差別が鬱病の原因なのか解離性同一性障害の原因なのかよくわからない。
 もっとも監督にとっては医学的なことはどうでもよく、主眼はキム・ジヨンを代表とする30代の韓国女性の置かれた立場・環境、それを形成する女性蔑視や女性差別、儒教的な慣習による女性への抑圧を描くことにあって、百貨店的エピソードの数々がどこまで実相を表しているのかはわからないが、泣き寝入りしてきた多くの韓国女性の声を代弁していて、胸の空く思いの作品であることは間違いない。
 そうした点では、マカロニウエスタンやヤクザ映画に通底する爽快感を女性に与えるが、カップルで見ると男が言いなりになるか平行線の議論になるしかないので、デートで見ない方が良い。
 ベッドから起き上がらないジヨンに対して、デヒョンが育児に協力するからと言いながら、朝食作ってよ~と言うのが何ともいえない。 (評価:2.5)

不実な女と官能詩人

製作国:フランス
日本公開:2019年11月1日
監督:ルー・ジュネ 製作:オリヴィエ・デルボス 脚本:ルー・ジュネ、ラファエル・デプレシャン 撮影:シモン・ロカ 美術:ヤン・メガール 音楽:アルノー・ルボチーニ

芸術に必要なのはモラルではなく自由という結論
 原題"Curiosa"で、スペイン語で奇妙なの意。好色本のこと。
 ベルギー生まれのフランスの詩人ピエール・ルイス(ニールス・シュネデール)と、親友アンリ・ド・レニエ(バンジャマン・ラヴェルネ)の妻マリー(ノエミ・メルラン)との愛人関係を描いた作品。ピエールは写真が趣味で、死後、大量のポルノ写真が発見されたことが原題の由来。
 19世紀末、パリの高名な詩人ジョゼ・マリア・ド・エレディア(スカリ・デルペラト)のサロンに出入りしていたピエールはジョゼの次女マリーと恋仲になっていたが、両親はマリーとアンリとの結婚を決めてしまう。アンリを愛せないマリーは、傷心からアルジェリアに渡ったピエールが1年後に帰国すると逢引を繰り返し、半ば公然の愛人関係となる。
 ここからは、こうした男女関係に興味がないとどうでもいい話が延々と続くことになるが、マリー役のノエミ・メルランが魅力的で、ピエールの写真のヌードモデルとして様々なポーズを披露してくれるので、意外と退屈せずに見れてしまう。残念なのはヌード写真のほとんどにボカシが入ってしまうことで、それがなければもっと楽しめたに違いない。
 ピエールはマリーのほかにも多数の恋人がいるという堕落した男で、のめり込んでいくマリーがバカなのか、それを指を咥えて眺めているアンリが情けないのかというドラマなのだが、ピエールとアンリがこの関係をそれぞれに文芸のネタにし、不義の子まで産んだマリーも小説のネタにしてしまうというラストがいい。
 芸術に必要なのはモラルではなくダブーなき自由というのが結論。 (評価:2.5)

バクラウ 地図から消された村

製作国:ブラジル、フランス
日本公開:2020年11月28日
監督:クレーベル・メンドンサ・フィーリョ、ジュリアーノ・ドルネリス 製作:エミリー・レクロー、サイド・ベン・サイド、ミヒェル・メルクト 脚本:クレーベル・メンドンサ・フィーリョ、ジュリアーノ・ドルネリス 撮影:ペドロ・ソテーロ 音楽:マテウス・アウヴェス、トマス・アウヴェス・ソウザ

グレネードランチャー? をぶっ放す全裸夫婦が最高
 原題”Bacurau”で、架空の村の名前。
 ブラジル北東部の村バクラウが舞台。上流にダムができ、川の水が枯渇したことからトラックで飲料水を運ばなければならなくなっている。そのため市長は村人たちから軽蔑されていて、選挙のためにやってきても追い返されてしまう。
 そこにインターネットの地図上からバクラウの村が消えてしまったことがわかり、続けて空飛ぶ円盤の出現、携帯電話の障害、給水車が銃撃され、怪しげな旅行者の来村、牧場一家の殺害と立て続けに不可解な事件が起き、マイケル(ウド・キアー)率いるアメリカ人のグループが村人たちを殺しにくる。
 空飛ぶ円盤はアメリカ人グループが飛ばすドローンで、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(2015)のような狂気じみたこの殺人集団の正体や如何に! というミステリー風の展開なのだが、実は市長が村人ごとバクラウを消滅させるために雇った殺し屋というのがなんとも肩透かし。
 バクラウは昔から権力者の不当な攻撃から村を守ってきたというお話で、ブラジルの政治批判がたぶんに含まれているのだろうが、サスペンスとしては犯人の背景が期待の割にはショボい。
 南米らしい村人達の楽天的な描写が楽しいが、ミステリー仕立てにしないで、最初から市長のテロリストとわかっていた方が、キャラクターの個性を活かせてドラマとしては面白かったかもしれない。
 グレネードランチャー? をぶっ放す全裸夫婦のキャラクターが最高。なぜ全裸でいるのかも知りたかった。 (評価:2.5)

イエスタデイ

製作国:イギリス
日本公開:2019年10月11日
監督:ダニー・ボイル 脚本:リチャード・カーティス 撮影:クリストファー・ロス 美術:パトリック・ロルフ 音楽:ダニエル・ペンバートン

ジョン・レノンと対面をするシーンがファンタジーとしては最高
 原題"Yesterday"。
 ある夜、全世界で12秒間一斉に停電し、交通事故に遭った青年がビートルズの歴史が消えた世界で目を覚ますというファンタジーで、「イエスタデイ」を歌ってそれに気づく。
 ジャック(ヒメーシュ・パテル)は売れないシンガーソングライターで、幼馴染で元同僚の中学教師エリー(リリー・ジェームズ)がマネージャー。
 誰も知らないビートルズの曲を歌って、一躍ポップの寵児に。エリーに代りデブラ(ケイト・マッキノン)がマネージャーとなり、エリーの心は離れていく…
 最後は自分が作った曲ではないと告白し、エリーの下に帰っていくハッピーエンドとなるが、シナリオがよく出来ているので楽しめるロマンス・コメディになっている。
 もっとも、本作の魅力の半分はヒメーシュ・パテルが歌うビートルズの楽曲に負っていて、"Back In The U.S.S.R.""She Loves You""Help!"などがストーリーに合わせて使われている。エンディング・ロールは"Hey Jude"。
 全体は「イエスタデイ」の歌詞のイメージに沿って進むが、楽曲は最初に歌われるだけで、タイトル曲が効果的に使われているとは言い難い。
 ビートルズだけでなく、コカ・コーラや紙巻きたばこ、ハリー・ポッターも失われた世界になっているが、逆にジョン・レノンが暗殺されずに生きていて、ジャックが感激の対面をするのがファンタジーとしては最高のシーン。
 リリー・ジェームズが可愛い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2020年2月28日
監督:アンドレ・ウーヴレダル 製作:ギレルモ・デル・トロ、ショーン・ダニエル、ジェイソン・F・ブラウン、J・マイルズ・デイル、エリザベス・グレイヴ 脚本:ダン・ヘイグマン、ケヴィン・ヘイグマン 撮影:ロマン・オーシン 美術:デヴィッド・ブリスビン 音楽:マルコ・ベルトラミ、アナ・ドラビッチ

ベトナム戦争+水俣病で子供の怪談にリアリティ
 原題"Scary Stories to Tell in the Dark"で、暗闇の中で物語る怖い話の意。アルヴィン・シュワルツの児童向け同名ホラー短編集が原作。
 アメリカの片田舎に住む仲良し3人組が化け物屋敷に行き、自殺した少女サラ(キャスリーン・ポラード)の書いた怪談本を持ち帰ったところ、新たな怪談がサラによって書き加えられ、周囲の人間が次々に行方不明になってしまうというストーリー。
 原作の怪談を上手く構成し直しているのがミソで、主人公の文学少女ステラ(ゾーイ・マーガレット・コレッティ)がサラの怨念を晴らすために、サラの物語を書いて成仏させる結末となる。
 このサラの怨念というのが、一家が経営する工場が水銀を垂れ流し、多くの子供達を死なせていたのをサラが告発しようとして逆に虐待されてしまったというもので、水俣病の事実は隠蔽され、サラは精神病院に入院させられて不名誉な死を遂げていたことがステラらによって解明される。
 サラの怪談本は血で書かれていて、新たなエピソードは自動筆記され、同時進行で事件が起きる。それぞれのエピソードが原作の各短編に相当し、案山子の怪人、足指のない怪物などが登場。原案のギレルモ・デル・トロがアイディアが利いている。
 時代設定は1968年。ステラの仲間に加わるのが、ベトナム兵役拒否で逃亡中の青年ラモン(マイケル・カーザ)で、水俣病ともども、絵空事の子供の怪談にリアリティを付け加えているのが上手い。 (評価:2.5)

失くした体

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製作国:フランス
日本公開:2019年11月22日
監督:ジェレミー・クラパン 製作:マルク・デュ・ポンタヴィス 脚本:ジェレミー・クラパン、ギョーム・ローラン 音楽:ダン・レヴィ

解釈を観る者に委ねるアーティスティックなアニメーション
 原題"J'ai perdu mon corps"で、私は体を失ったの意。アニメーション作品。
 主人公の青年ナオフェルが右手を切断してしまったところから始まり、意思を持って動き出す右手がナオフェルの体を求めて旅する話と、右手を切断するに至った物語が並行して進む。
 右手は人目を避け、様々な苦難をかいくぐりながら最終的に体を見つける冒険譚。もう一つの物語は、ナオフェルが交通事故で両親を亡くし、ピザ配達で図書館司書のガブリエルに出会い、交際する中でガブリエルの叔父が経営する木材加工場の見習いとなり、過って右手首を切断する。
 ナオフェルがガブリエルに惹かれたきっかけは、車との接触事故で配達ピザを潰してしまったことを伝えたところ、彼女がピザではなくナオフェルを心配したこと。
 天涯孤独でドジで周囲に馴染めなかったナオフェルが初めて他人に気にかけてもらった喜び。しかしナオフェルが正体を隠して接近したことをガブリエルに知られ、彼女のもとを去る。
 モノクロとカラーを併用してナオフェルの希望と失意、心情の変化を表現し、アイコンとして右手、蠅、ガープの世界、録音が登場するが、今一つ作者の意図が明確ではない。
 物語の最後で、ナオフェルはビルの屋上から向かいのクレーンに飛び移るのに成功するが、孤立した過去からの離脱、便利な表現では再生の物語と一言で片付けることもできるが、いくつかのメタファーらしきものを散りばめながら解釈を観る者に委ねるタイプのアーティスティックなアニメーションというのが的確かもしれない。 (評価:2.5)

ライトハウス

製作国:アメリカ
日本公開:2021年7月9日
監督:ロバート・エガース 製作:ホドリゴ・テイシェイラ、ジェイ・ヴァン・ホイ、ロバート・エガース、ロウレンソ・サンターナ、ユーリー・ヘンリー 脚本:ロバート・エガース、マックス・エガース 撮影:ジェアリン・ブラシュケ 美術:クレイグ・レイスロップ 音楽:マーク・コーヴェン

どこからが現実でどこからが狂気なのか判別できない
 原題"The Lighthouse"で、灯台の意。
 ベテランと新人の二人の灯台守が、1890年代のアメリカ・ニューイングランドの孤島の灯台で数週間を過ごすという物語で、精神的におかしくなっていく様子を夢とも現ともつかないように描くスリラー映画。
 二人が孤島に上陸したところから始まり、新人(ロバート・パティンソン)がマットレスの中に小さな木彫りの人魚を見つけ、老人(ウィレム・デフォー)は新人に理不尽な仕事を押し付ける。ミステリアスでホラーな雰囲気が、モノクロ映像のスクリーンに広がる。
 人魚の幻を見始める新人灯台守、前任者は人魚の幻に囚われて死んだと語る老灯台守。灯の灯る夜間は老灯台守が占有し、扉を閉ざして新人の入室を拒む。
 そうした秘密性に新人は怪物を幻視し、観客はどこからが現実でどこからが狂気なのか判別できない。
 約束の4週間が過ぎるが、嵐のために迎えの船が現れない。それは新人がカモメを殺してしまったゆえに不幸を呼んだという迷信を老人が語り、前任者は老人に殺されたのではないかと疑う新人は救命ボートで島を脱出しようとするが、老人に破壊されてしまう…いや、破壊したのは新人だと老人がいい、そもそも島の灯台そのものが幻想なのではないか、何が真実で何がそうでないのか…と究極の混乱に陥り、新人は老人を殺し、灯台から転落して動けなくなった新人は生きながらにカモメにはらわたを食われる、というラスト。
 不条理でスリラーな雰囲気は悪くはないのだが、やはりストーリーは説明がつかないと腑に落ちず居心地が悪い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2019年9月20日
監督:ゲイリー・ドーベルマン 製作:ピーター・サフラン、ジェームズ・ワン 脚本:ゲイリー・ドーベルマン 撮影:マイケル・バージェス 美術:ジェニファー・スペンス 音楽:ジョセフ・ビシャラ

続編への引きもないハッピーエンドが肩透かし
 原題"Annabelle Comes Home"で、アナベルが帰還するの意。「死霊館」シリーズ、『アナベル 死霊人形の誕生』に続く「アナベル」第3作。
 時系列的には『アナベル 死霊館の人形』の後日譚になる。アナベル人形がもたらす災厄を封印するべく、心霊研究家ウォーレン夫妻が人形を引き取り、聖なるバリアを張って資料室に保管するというのがプロローグ。
 途中、人形が怪奇現象を起こすなど、危険物だということを十分に描いた上で夫妻は海外出張。一人娘のジュディ(マッケナ・グレイス)が、ベビーシッターのメアリー(マディソン・アイズマン)と留守番をすることになるが、そこに自分の過失で父親を死なせてしまったダニエラ(ケイティ・サリフ)が遊びに来たことから事件が起きる。
 ダニエラの目的はウォーレン家のアイテムを使って父親の霊を召喚し謝罪することで、鍵を盗んで資料室に侵入。アナベル人形のバリアを解いてしまったことから悪魔が悪さを始めることになる。
 可愛い女の子3人が恐怖の一夜を過ごすという、ホラー映画としては最高の設定で、正体は悪魔とわかっていてもゲイリー・ドーベルマンの怖がらせ演出は上手い。もっとも、女の子たちがわざわざ一人でランタンの灯だけで虎の穴に入っていく行動がいささか不自然ではあるが…
 中盤までは悪魔の狙いがわからず、怖がらせて喜ぶだけの変質者かと思いきや、終盤になってジュディの魂が目的だとわかる。殺さずにエクトプラズムを吸い込むという新技を繰り出すが、間一髪、メアリーとダニエラ、決定打はウォーレン氏の除霊の記録フィルムの映写で悪魔を撃退。人形をバリア・ケースに戻して一件落着となる。
 あとはウォーレン夫妻の娘ゆえに学校で苛めに会っていたジュディの誕生パーティに、友達が戻ってきての大団円となるが、続編への引きもないハッピーエンドが肩透かし。
 ジュディが苛められる原因が、「ウォーレン夫妻は英雄かペテン師か」という新聞記事なのが可笑しい。ウォーレンの玄関には、「悪魔学と魔術のコンサルタント」(Consultants of Demonology, witchcraft)という看板が掛かっているのも楽しい。 (評価:2.5)

製作国:チェコ、ウクライナ、スロヴァキア
日本公開:2020年10月9日
監督:ヴァーツラフ・マルホウル 製作:ヴァーツラフ・マルホウル 脚本:ヴァーツラフ・マルホウル 撮影:ウラジミール・スムットニー
キネマ旬報:5位

ユダヤ人とわかってからが教科書的で退屈なエピソード
 原題"The Painted Bird"で、塗られた鳥の意。ポーランド出身のイェジー・コシンスキの同名小説が原作。
 主人公の少年(ペトル・コラール)はユダヤ人で、舞台は第二次世界大戦中のヨーロッパ。もっとも説明がないので予備知識なしに見ると、ランプ生活の田舎で爪弾きになっている少年としか映らない。
 セリフが少なく説明不足は全体に及んでいるので、ナチのユダヤ人迫害やヨーロッパの戦争推移についてある程度の知識がないとわかりにくい。
 劇中、絵の具でペイントされた鳥が群れに帰らされるが、仲間外れになって攻撃され死んでしまう。これがユダヤ人である少年を象徴していて、戦争孤児となった少年を放浪中に助けてくれる人たちも同じように社会集団から除け者になっている"Painted Bird"の人たちという構図になっている。
 少年は次々襲ってくる悪意の中で戦争を生き延びるが、冒頭では少年は死を呼ぶ不吉とされ、魔女の助手となり、天然痘に罹って魔除けのために土に埋められ、鴉に襲われるあたりまではホラーっぽくて先が楽しみになるが、ユダヤ人とわかってからが教科書的で退屈なエピソードとなる。
 ナチのために戦争孤児となった少年の苦難の物語で、終戦となって父に再会。叔母の家に疎開させ見捨てたために戦争孤児になったと恨むが、父の腕の収容所の刻印を見て許すという予定調和。この結末なら3時間近い尺は要らなかった。
 モノクロで山野の映像が美しい。オーソドックスなカメラワークも効果的。
 魔女の後に出会う使用人の目をくり抜く暴力男ミレルにウド・キアー。 (評価:2)

鵞鳥湖の夜

製作国:中国、フランス
日本公開:2020年9月25日
監督:ディアオ・イーナン 製作:シェン・ヤン、ルー・ユン 脚本:ディアオ・イーナン 撮影:トン・ジンソン 美術:リュウ・チアン 音楽:B6

映像による雰囲気づくりに寄り掛かり過ぎてストーリー運びは緩慢
 原題"南方車站的聚会"で、南駅での集会の意。
 2012年の中国南部。刑務所を出資したばかりの悪党が、バイク窃盗団の縄張り争いから誤って警官を射殺。賞金付きの指名手配となり、リゾートの鵞鳥湖の娼婦と逃げ回るという物語。
 冒頭、チョウ(フー・ゴー)が指名手配後に妻ヤン(レジーナ・ワン)の代理人だという娼婦アイアイ(グイ・ルンメイ)と出会うシーンから始まり、回想によって事件のあらましが語られることになるが、導入部の映像が凝っている。
 バイクシーンを始め、ノワール・サスペンスらしいスタイリッシュで陰影のある映像が随所に散りばめられているのだが、映像による雰囲気づくりに寄り掛かり過ぎる嫌いがあって、ストーリー運びが緩慢。もともと妻に会うために逃げ回るだけの単調なストーリーで、サスペンス中心で人物描写に重きを置いてるわけでもなく、グラフィック・ノベル程度で話に厚みがないため、演出のテンポが悪いと再三睡魔に襲われる。
 妻に警察に通報させて懸賞金を手に入れさせるというのがチョウの悪党なりの罪滅ぼしで、アイアイを通じてこの願いはかなうのだが、チョウの死にも拘らずヤンとアイアイが賞金を手にほくそ笑むという、一番怖いのは女という定番の結末。
 共産中国にもあぶれ者たちの犯罪組織があって、水浴嬢と呼ばれる娼婦もいるという風俗描写が見どころ。 (評価:2)

製作国:スペイン
日本公開:2020年6月19日
監督:ペドロ・アルモドバル 製作:アグスティン・アルモドバル 脚本:ペドロ・アルモドバル 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 美術:アンチョン・ゴメス 音楽:アルベルト・イグレシアス
キネマ旬報:8位

他人のどうでもいい自分史を聞いている気分になる
 原題"Dolor y gloria"で、傷みと栄光の意。
 アルモドバルの自伝的映画。半ば引退した映画監督サルバドール(アントニオ・バンデラス)が、32年前の代表作『風味』がレストア上映されることになり、主演のアルベルト(アシエル・エチェアンディア)とのトークショーのために仲違いした彼を訪ねることから、サルバドールの時間が動き始めることになる。
 アルベルトにヘロインを勧められて初めて吸引し、少年時代の母(ペネロペ・クルス)との甘美な記憶へと誘われる。やがて常用者となり、上映当日、訪ねたアルベルトとともに吸引して、トークショーを欠席。アルベルトと再び仲違いするが、アルベルトの望む新作の『中毒』の上演を許可して仲直りする。
 『中毒』はサルバドールの自伝的作品で、それを見たかつての同性愛の恋人フェデリコ(レオナルド・スバラーリャ)が自宅に訪ねてくる。フェデリコが過去の二人の関係を祝福したことで心が満たされたサルバドールは、ヘロインと訣別して再起の決心をする。
 友人メルセデス(ノラ・ラバス)に誘われて画廊に出かけたサルバドールは、そこで少年時代の自分を描いた絵に出会う。サルバドールが同性愛に目覚めたきっかけとなった時の絵で、その記憶が新作『はじめての欲望』の撮影風景に転換するというラストとなる。
 過去へ回帰することで自分を取り戻すという作品になっているが、物語そのものは取り留めがない上に、極私的エピソードでしかないために、反響するものがなく、アルモドバルに共感できないと、次第に他人のどうでもいい体験を聞いている気分になる。 (評価:2)

ジョジョ・ラビット

製作国:アメリカ
日本公開:2020年1月17日
監督:タイカ・ワイティティ 製作:カーシュー・ニール、タイカ・ワイティティ、チェルシー・ウィンスタンリー 脚本:タイカ・ワイティティ 撮影:ミハイ・マライメア・Jr 美術:ラ・ヴィンセント 音楽:マイケル・ジアッキノ

軽率の誹りを免れない底の浅いヒトラー映画
 原題"Jojo Rabbit"で、ウサギのジョジョの意。主人公の綽名。クリスティーン・ルーネンズの小説"Caging Skies"が原作。
 ヒトラーユーゲントに入隊した10歳の愛国少年ジョジョ(ローマン・グリフィン・デイヴィス)は、気弱だったことからジョジョ・ラビットと綽名され、手榴弾の訓練中に自爆して顔と脚に障害を負ってしまう。ビラ張りなどのサポート業務に精を出すが、母(スカーレット・ヨハンソン)が自宅にユダヤ人少女エルサ(トーマシン・マッケンジー)を匿っている秘密に出会い、葛藤しながらも少女に惹かれるようになり、やがて終戦を迎えるまでの物語。
 ジョジョの心の中にヒトラーが棲みつき、自問自答の形で語り掛けることからヒトラー映画のように見えるが、母に靴紐を結んでもらっていたジョジョが、エルサの靴紐を結んでやれるようになる、子供から大人に脱皮する成長物語で、ヒトラーとユダヤ人は狂言回しに使われているに過ぎない。
 母がジョジョを守っていたように、知らず知らずにジョジョはエルサを守り、母のやさしさと愛がジョジョのエルサへのやさしさと愛に代る。
 ビートルズの「抱きしめたい」で始まるポップなブラックコメディだが、背景となるナチスとユダヤについては類型的で、全体を通してのテーマであるジョジョの内なるヒトラーの言葉「ウサギのように強く生きる」、生き延びることが大事も、取り立てて目新しくない。
 ウサギのジョジョ同様、本作がウサギのように芯が通っていないのは、反ナチの母と死んだ父の人物像がきちんと描かれていないためで、とりわけ主人公を支える母の立ち位置がよくわからない。
 ジョジョの成長を描くのにわざわざ中途半端にナチスとユダヤを利用する必要もなく、却って底の浅いヒトラー映画になっていて、おふざけを含めてこれをブラックユーモアとか風刺というには軽率の誹りを免れない。
 ヒトラーを演じるのは、監督のワイティティ。 (評価:2)

製作国:イギリス、フランス、ベルギー
日本公開:2019年12月13日
監督:ケン・ローチ 製作:レベッカ・オブライエン 脚本:ポール・ラヴァーティ 撮影:ロビー・ライアン 美術:ファーガス・クレッグ 音楽:ジョージ・フェントン
キネマ旬報:6位

宅配の労働問題を描くが映画としての面白味を感じない
 原題"Sorry We Missed You"で、ご不在に付き申し訳ありませんの意。宅配便の不在票に書かれた文面。
 イギリスの社会福祉問題を扱った前作『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016)同様、宅配業者の労働問題を扱ったケン・ローチの社会派作品。
 建設労働者だった主人公は雇用環境の悪化とともに仕事を失い、宅配便の契約運転手となる。Amazon等の荷受業者の下請けとなる個人事業主だが、雇用保証も労働者保護もなく、ローンで配達トラックを買い、厳しいノルマを課せられ、賠償責任まで負わされる。
 法的保護では同類の日本の個人事業主よりも条件が悪く、新自由主義によりイギリスの労働者たちが過酷な労働条件下に落とされていることがわかる。
 長時間労働とストレスから家庭不和となり、反抗期の長男の非行をきっかけに家庭崩壊。それでも主人公は家族のために働くが、配達中に強盗に襲われ大怪我。
 長男も家に戻って父を慰め、仕事よりも家族が大事と雨降って地固まると思いきや、満身創痍の主人公が憑かれたように仕事に向かうシーンで終わる。
 一昔前の日本のモーレツサラリーマン映画を見るようだが、単なる社会告発の作品に終わっていて、希望もなければ救いもなく、ひたすら労働者階級の悲惨な状況だけを見せられても、映画としての面白味はまったく感じない。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2020年6月12日
監督:グレタ・ガーウィグ 製作:エイミー・パスカル、デニーズ・ディ・ノヴィ、ロビン・スウィコード 脚本:グレタ・ガーウィグ 撮影:ヨリック・ル・ソー 美術:ジェス・ゴンコール 音楽:アレクサンドル・デスプラ
キネマ旬報:4位

ベスに捧げる小説が女の幸せ=結婚では寂しすぎる
 原題"Little Women"で、小さな婦人たちの意。ルイーザ・メイ・オルコットの自伝的な同名小説が原作。
 次女ジョー(シアーシャ・ローナン)がニューヨークで小説の仕事を得て下宿するところから始まり、三女ベス(エリザ・スカンレン)の病気の報に実家に戻り、ベスの看病をしながら過去を回想する形式を取る。
 一方、四女エイミー(フローレンス・ピュー)は叔母(メリル・ストリープ)とともにパリに渡っていて、ジョーの元恋人ローリー(ティモシー・シャラメ)と再会して過去が語られるため、ジョーとエイミーの2つの空間軸と時間軸が切り刻まれ、入り乱れて混線気味で、原作のストーリーを知らないと作品全体が理解できない作りになっている。
 女性監督のガーウィグがテーマに据えたのは、結婚が女性の幸せかという一点で、4姉妹と母、叔母のそれぞれを類型化した女性像に当てはめて描く。
 母(ローラ・ダーン)は従軍牧師として不在がちな夫(ボブ・オデンカーク)と志を共にし、父親の役割も兼務して家庭を守り、牧師の妻として地域の慈善に励む良妻賢母。
 その影響を受けた長女メグ(エマ・ワトソン)は、女優を志しながらも貧しい教師に恋して家庭に入るが、煩悩を捨てられない普通の女。
 叔母は夫の資産を受け継いだ金満家で、金持ちと結婚することが女の幸せという現実派。
 社交家のエイミーは画家を志すが挫折。自分の凡庸さを知り、叔母の影響で金持ち男を頼る女となる。
 作家として自立を目指すジョーは仕事一筋。結婚が女のゴールとは考えない現代女性の理想像。
 では三女のベスは? というと、類型化できずに放棄されている。内向的で天使のように純粋なのだが、通俗的な類型には当て嵌められなかったということか。
 物語の重要なキャラクターで、ジョーは亡くなったベスのために"Little Women"を書くことになるが、ピアノをくれるローレンス老(クリス・クーパー)、ジョーとの関係性が希薄で、ベスを描けなかったことは画竜点睛を欠く。
 編集長の意向で、メグは意に反して結婚=ハッピーエンドの"Little Women"を書くことになるが、早逝したベスに捧げる小説が女の幸せ=結婚では寂しすぎる。 (評価:2)

マリッジ・ストーリー

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製作国:アメリカ
日本公開:2019年11月29日
監督:ノア・バームバック 製作:デヴィッド・ハイマン、ノア・バームバック 脚本:ノア・バームバック 撮影:ロビー・ライアン 美術:ジェイド・ヒーリー 音楽:ランディ・ニューマン

通俗的な物語を通俗的に描いただけの教訓話がつまらない
 原題"Marriage Story"で、結婚物語の意。
 内容はタイトルとは違う離婚の物語だが、二人は最初何故結婚したかという反意がこめられている。
 離婚を決意した夫婦が息子の親権と財産分与を巡り、弁護士を立てて争うという物語で、夫がニューヨークを拠点とする舞台演出家、妻はロサンゼルスが中心の映画女優というのが如何にも映画的。この二人をアダム・ドライバーとスカーレット・ヨハンソンが演じる。
 見始めてすぐに比較してしまうのが、ダスティン・ホフマンとメリル・ストリープが離婚する夫婦を名演した『クレイマー、クレイマー』(1979)。
 同じく息子(アジー・ロバートソン)の親権を争うが、両親の子供との関係が表面的でどうにも薄い。
 互いに相手を傷つける不毛な争いというのも同じだが、本人同士は腰が引けていて、妻の代理人(ローラ・ダーン)と夫の代理人(レイ・リオッタ)が代わりに激しく相手を責め立てるが、これがステレオタイプなのもドラマを浅くする。
 これでも足りないとばかりに再び二人が激しく攻撃し合うが、感情的に大声でただ罵りあうだけで、表面的な演出ばかりが続く。
 当初から、二人が和解することは目に見えている予定調和なドラマで、冒頭離婚相談の仲裁人によって相手の長所を書き出したメモを離婚した二人が目にして、夫婦は互いに相手の良いところを見よという教訓話になっているのが、更に物語をつまらなくしている。
 心の機微に迫れてなく、通俗的な物語を通俗的に描いただけに終わっている。 (評価:2)

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2020年2月14日
監督:サム・メンデス 製作:サム・メンデス、ピッパ・ハリス、ジェイン=アン・テングレン、カラム・マクドゥガル、ブライアン・オリヴァー 脚本:サム・メンデス、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ 撮影:ロジャー・ディーキンス 美術:デニス・ガスナー 音楽:トーマス・ニューマン
キネマ旬報:9位
ゴールデングローブ作品賞

間延びしていてワンカット演出にした意味が見い出せない
 原題"1917"で、1917年の意。第一次世界大戦で1917年の西部戦線が舞台。
 戦線の拡大により攻撃能力の低下していたドイツ軍は、戦線を整理するために後方に要塞群を建設したヒンデンブルク線まで後退、4月5日にこれを完了していた。それを知らずにデヴォンシャー連隊は進撃を続けていたが、偵察機でドイツ軍の罠と知ったイギリス軍のエリンモア将軍(コリン・ファース)が、4月6日、進撃を止めるために二人の兵士ウィル(ジョージ・マッケイ)とトム(ディーン=チャールズ・チャップマン)に命じて、デヴォンシャー連隊のマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)への伝令に走らせるという物語。
 二人が原隊の塹壕から出て無人地帯を越え、ドイツ軍が支配していた地域を抜け、デヴォンシャー連隊の塹壕に辿り着くだけの単調な物語で、途中撤退したドイツ軍陣地に仕掛けられた罠、ドイツ軍墜落機のパイロットとの遭遇、敗残兵との戦い、フランス人母子との出会いなど、申し訳程度のエピソードはあるが単調さを救うことはできない。
 この単調に輪をかけるのが『バードマン』(2014)を真似たワンカットで繋ぐ演出で、無理にワンカットで繋ぐために無駄なシーンが多く、単調な物語をより冗長にしている。
 アカデミー撮影賞と視覚効果賞を受賞したワンカット編集は、繋ぎ目が容易にわからないほどに優れているが、映像の技巧と作品性は別物で、トムが戦死し、ウィルがそれをデヴォンシャー連隊にいる兄(リチャード・マッデン)に伝えるという泣かせどころはあるものの、戦争の悲惨や平和を訴えるまでには至ってなく、テーマも娯楽性も見い出せない。
 伝令の主観の維持と臨場感を持続させるための演出だが、それが必要だったのかという疑問とともに却って間延びして見えるためにワンカット演出にした意味が見い出せない。普通にカット編集した方がドラマチックな作品になったような気がする。 (評価:2)

トールキン 旅のはじまり

製作国:アメリカ
日本公開:2019年8月30日
監督:ドメ・カルコスキ 製作:ピーター・チャーニン、デヴィッド・レディ、クリス・サイキエル、ジェンノ・トッピング 脚本:デヴィッド・グリーソン、スティーヴン・ベレスフォード 撮影:ラッセ・フランク・ヨハネッセン 美術:グラント・モントゴメリー 音楽:トーマス・ニューマン

トールキンの作品背景を知ろうとするとガッカリする
 原題"Tolkien"。
 J・R・R・トールキンの伝記映画だが、トールキンの熱烈なファンがトールキンの人となりを知ろうと、あるいはトールキンの作品背景を知ろうとして見ると、おそらくガッカリする。
 端的にいえば、トールキンの初恋と友情の物語で、せいぜいが学友たちとの交流が『ホビットの冒険』や『指輪物語』の仲間たちとの冒険譚に投影されているとか、言語学と造語への関心がハイ・ファンタジーの世界観に結び付いているのが示唆されるくらいで、文学論には程遠い単なる示唆に終わっている。
 トールキンの物語なら普通は文学の背景を期待するわけで、トールキンの初恋物語や学友との友情物語では見る意味がない。
 物語はトールキンが従軍した第一次世界大戦の西部戦線から始まる。トールキン(ニコラス・ホルト)が高校時代に3人の学友たちと結成した秘密クラブ"T.C.B.S."(Tea Club and Barrovian Society)の親友、ジェフリー・スミス(アンソニー・ボイル)の戦場での安否を確かめながら、幼少期から青年期までを回顧するという形式。
 トールキンが早くに両親を亡くし、後見となった神父(コルム・ミーニイ)によって裕福な婦人(パム・フェリス)によって養育され、学費援助を受けたという背景が興味深い。
 過酷な戦場で病気に陥ったトールキンが、敵の攻撃にドラゴンを幻視するといった描写はこじつけ。昔話に興味を持ったのは亡母の読み聞かせということになっている。
 トールキンの初恋の相手にして妻となるエディスにリリー・コリンズ。
 トールキン作品の世界観の源泉となるオタク少年ぶりが窺える。 (評価:2)

サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ

製作国:アメリカ
日本公開:2021年10月1日
監督:ダリウス・マーダー 製作:ベルト・ハーメリンク、サシャ・ベン・アローシュ、キャシー・ベンツ、ビル・ベンツ 脚本:ダリウス・マーダー、エイブラハム・マーダー 撮影:ダニエル・バウケット 美術:ジェレミー・ウッドワード 音楽:エイブラハム・マーダー、ニコラス・ベッカー

ヒューマンドラマ特有の退屈さがある聴覚障害者の話
 原題"Sound of Metal"で、金属音の意。主人公が演奏するヘビーメタルのサウンドとのダブルミーニング。Amazonのオリジナルコンテンツとして制作・劇場公開されたもの。
 ある日突然、耳が聞こえなくなってしまったドラマー、ルーベン(リズ・アーメッド)が、聴覚障害者グループ施設に入所し、手話を覚えながら聴覚障害者グループと馴染んでいくものの、恋人でボーカルのルー(オリヴィア・クック)の活躍をネットで見てしまい、音楽への思いを断ち切れず、人工内耳手術を受けて聴覚を取り戻すというもの。
 ヒューマンドラマ特有の退屈さがあって、ルーベンが施設に入ってからの話は眠くなる。
 本作には2つの見どころがあって、一つは聴覚障害者向けの字幕が入っていること。もっとも健常者にとっては若干煩いところがあって、英語字幕で見ると通常の会話と混線して若干こんがらがる。
 もう一つはルーベンだけに聴こえる音で、難聴者ないしは人工内耳の人の耳に環境音や人語がどのように聞こえるかを疑似体験できること。前者は水中マイクのようなぼやけた音、後者はタイトルの"Sound of Metal"で、ルーベンが人工的な音から逃れるために、人工内耳のコネクトを外して静寂の中に身を置き、ほっと安らぐラストシーンで終わる。
 このラストシーンが意味深で、"Sound of Silence"に価値を見い出すという聴覚障害者に寄り添う結末になっている。
 聴覚障害者グループのリーダーやルーベンなどの後天的聾者が、自分の声が聞こえているかのように普通に会話しているのに違和感がある。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2019年11月22日
監督:ルーベン・フライシャー 製作:ギャヴィン・ポローン 脚本:レット・リース、ポール・ワーニック、デヴィッド・キャラハム 撮影:チョン・ジョンフン 美術:マーティン・ホイスト 音楽:デヴィッド・サーディ

脳なし娘に"You are forever 21"の痛烈なジョークが笑える
 原題"Zombieland: Double Tap"。副題は、止めを刺すために連続して2発射撃することで、劇中では二度撃ちと訳されている。ゾンビワールドで生き残るためにコロンバスが作ったルール2。
 前作『ゾンビランド』(2009)の10年後を描く続編で、エマ・ストーンを始め主役の4人が、B級ゾンビ映画に続演しているのが最大の見どころか。ビル・マーレイも前作に引き続いてエンディングにゲスト出演している。
 コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)、タラハシー(ウディ・ハレルソン)、ウィチタ(エマ・ストーン)、妹リトルロック(アビゲイル・ブレスリン)の4人は10年間を一緒に生き延びていて、無人のホワイトハウスにやってくる。タラハシーを父親代わりに家族同然だが、コロンバスとウィチタのカップルに対し、リトルロックも恋人が欲しいと家出してしまう。
 そこで見つけたのがボブ・ディランもどきのギター青年バークレー(アヴァン・ジョーギア)で、一緒に平和を愛するヒッピーのコミューン、バビロンに向かう。
 ウィチタら3人の探索行となり、メンフィスのエルヴィス・プレスリー博物館を経由してバビロンへ。タラハシーと意気投合するネバダ(ロザリオ・ドーソン)、さらに脳なし娘のマディソン(ゾーイ・ドゥイッチ)が加わりゾンビとの最終決戦となる。
 前作との違いは、ゾンビが『ターミネーター』のT-800に進化していることだが、アクションシーンはそれほど効果的でもなく、コメディーとしてはアメリカ人にしか馴染まないジョークの連発で、総じて作品での出来は前作に劣る。
 脳味噌がないからゾンビも食わないと揶揄されるマディソンが楽しいキャラクターで、ウィチタがマディソンに"You are forever 21"(あんた永遠の21歳ね=安っぽいままで成長しない)という痛烈なジョークが笑える。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2019年11月29日
監督:マイク・フラナガン 製作:トレヴァー・メイシー、ジョン・バーグ 脚本:マイク・フラナガン 撮影:マイケル・フィモナリ 美術:メイハー・アーマッド 音楽:ザ・ニュートン・ブラザーズ

ホテルの亡霊と吸血鬼映画を足して2で割った感じ
 原題"Doctor Sleep"で、睡眠専門医の意。劇中ではホスピスで働く主人公ダニーの綽名。由来は臨終を迎える患者を感知する猫と共に永遠の眠りを看取ることから。
 スティーヴン・キングの同名小説が原作で、『シャイニング』(1980)の少年ダニーの40年後を描く。
 続編は『シャイニング』のラストで母とともにオーバールックホテルを脱出したダニーが、フロリダで母親と新たな暮らしを始めるところから始まる。237号室の女の亡霊に取り憑かれ、封印するも事件のトラウマから抜けられず、30年後、大人になったダニー(ユアン・マクレガー)はニューハンプシャーの町に流れてくる。
 そこで知り合うのがビリー(クリフ・カーティス)で、ホスピスの仕事を紹介され、やがて自室で少女アブラとテレパシーで交信するようになる。
 10年後、アブラ(カイリー・カラン)が少年の虐待死を透視し、ダニー、ビリーと遺体捜しに出かけるところから物語は動き出すが、この犯人というのが超能力者グループで、同じ超能力者のシャイニングを喰い、人間の寿命を超えて生きながらえている。
 不老不死、生気の吸引、死ぬと灰になるという描写は超能力者というよりは吸血鬼に近く、前作とは趣を異にするのが違和感。
 自分よりの能力の高いアブラに透視されたことを知ったリーダー・ローズ(レベッカ・ファーガソン)は、アブラを捕まえてシャイニングを奪うことを計画。仲間たちをアブラの家に向かわせ、両者の対決となるが、超能力合戦ではなく銃撃戦というのがつまらない。
 アブラ対ローズの戦いでクライマックスとなるが、対決場所がオーバールックホテルというのがミソで、ダニー対ジャックの逃亡劇をアブラ対ローズで再現。斧と雪の迷路の重要アイテムが登場するが、無理やり感は否めない。
 キューブリック版『シャイニング』の印象的なシーンをオマージュしてそれなりに楽しめるが、オーバールックホテルの亡霊と吸血鬼映画『ダレン・シャン』(2009)を足して2で割った感じ。ダニーがアル中になるまでが駆け足で話がわかりにくく、キューブリック版を見ていないと楽しめないかもしれない。 (評価:2)

真実

製作国:フランス、日本
日本公開:2019年10月11日
監督:是枝裕和 製作:ミュリエル・メルラン 脚本:是枝裕和 撮影:エリック・ゴーティエ 音楽:アレクセイ・アイギ

鯨のように是枝も映画も呑み込んでしまったドヌーヴ
 原題" LaVérité"で、邦題の意。
 大女優と不仲な娘の和解を描くドラマで、フランスで映画を撮っても是枝裕和は家族のテーマから離れない。
 女優としての人生を生きるファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、私生活でも虚実一体で何が真実でなにが芝居なのかわからない。そんな母に反発するリュミール(ジュリエット・ビノシュ)は演技の才能なく脚本家となるが、これまたシナリオによって母と接するというフィクショナルな母娘関係。娘が中学生の時にライオンを演じた『オズの魔法使い』を母が見に来なかったのを根に持っているが、その真実が最後に明かされ、ようやく和解へと進む。
 『万引き家族』で家族を演じる疑似家族を描いた是枝が、血が繋がっていながら芝居を演じる実の家族を描くが、女優の家庭が舞台という定型のために世界観が矮小化され、特殊な世界の話になってしまった。
 これに輪をかけたのが大女優をカトリーヌ・ドヌーヴが演じてしまったことで、ドヌーヴが大女優そのものとなって鯨のように是枝も映画も呑み込んでしまった。そこに残ったのはドヌーヴが大女優という映画で、それに抵抗したのが娘を演じたジュリエット・ビノシュなのだが、その演技力をも凌駕するドヌーヴの怪物ぶりに嘆息する。
 いわば、原節子に大女優役を演じさせているような作品で、企画がまずかったのかキャスティングのミスだったかはともかく、小津安二郎ならこんな失敗はしなかっただろうにと欠伸を堪える。
 若い頃の二倍は体格の良くなったドヌーヴに『シェルブールの雨傘』(1964)の影を追い求めながら、演技力はともかく風格だけは大女優になったと、改めて時の女神の残酷さを知る。 (評価:2)

名探偵ピカチュウ

製作国:アメリカ
日本公開:2019年5月3日
監督:ロブ・レターマン 製作:片上秀長、ドン・マッゴーワン、メアリー・ペアレント、ケイル・ボイター 脚本:ダン・ヘルナンデス、ベンジー・サミット、ロブ・レターマン、デレク・コノリー 撮影:ジョン・マシソン 美術:ナイジェル・フェルプス 音楽:ヘンリー・ジャックマン

ピカチュウがオッサンのようにヤサグレテいるのがナイス
 原題"Pokémon Detective Pikachu"で、ポケモン探偵ピカチュウの意。ビデオゲーム『名探偵ピカチュウ』(Detective Pikachu)が原作。
 見るつもりもなく見てしまったが、観客が『ポケットモンスター』ファンであることを前提に作られているので、世界観を知らないと設定を理解するのに追われてストーリーが頭に入ってこない。アニメではなく実写と3Dの合成というリアルな映像も世界観に馴染みにくく、ファン以外に設定を理解させる努力もしていない。
 主人公のティム(ジャスティス・スミス)の父ハリーが自動車事故死し、ハリーのパートナーであるピカチュウ、テレビ記者のルーシー(キャスリン・ニュートン)とともに事故の謎を探るというミステリー・アドベンチャー。
 たくさんのポケモンが登場し、ポケモン・バトルありで『ポケモン』の要素は抑えつつ、モンスターを狂暴化させるガス、人造ポケモンのミュウツー、街の実力者ハワードとその息子ロジャーが絡んで、事故の真相を突き止め、人間とポケモンが一体化した世界を作ろうという陰謀を阻止するが、陰謀の目的が今ひとつわからない。
 ファン以外には面白くもなんともない作品だが、見どころはピカチュウの縫ぐるみのような可愛らしさで、ずぶ濡れになると頬っぺたの赤い毛も濡れるのがいい。ピカチュウがオッサンのようにヤサグレテいるのもナイスだが、物語の謎とも関係している。 (評価:2)

メン・イン・ブラック:インターナショナル

製作国:アメリカ
日本公開:2019年6月14日
監督:F・ゲイリー・グレイ 製作:ウォルター・F・パークス、ローリー・マクドナルド 脚本:アート・マーカム、マット・ハロウェイ 撮影:スチュアート・ドライバーグ 美術:チャールズ・ウッド 音楽:ダニー・エルフマン、クリス・ベーコン

『メン・イン・ブラック』の魅力からは100光年も離れたスピンオフ
 原題"Men in Black: International"で、黒服の男;国際的の意。
 『メン・イン・ブラック』(1997)シリーズの第3作。もっともウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズが出演しない設定のみのスピンオフなので、前作までの面白さを期待すると裏切られる。
 新コンビはマイティ・ソーのクリス・ヘムズワースとテッサ・トンプソンで、ジェンダーの時代のエージェントに黒人女性を起用するため、Men & Women in Blackだという苦しいジョークも入る。
 ハリウッドもソニーも多様性とグローバル化の時代に適応しなければならず、プロローグはエッフェル塔から始まり、MIBロンドン支局が舞台となる。
 少女の時にエイリアンを助け、MIBの存在を知ったモリー(テッサ・トンプソン)は20年後、MIBに押し掛け就職。エージェントMとしてロンドンでH(クリス・ヘムズワース)とVIPエイリアンの警護を担当するが、VIPは暗殺され、死に際にMが宝石を受け取る。
 上司ハイT(リーアム・ニーソン)の下、MとHは犯人らしき二人組と宝石の争奪戦になり、二人組を退治、秘密兵器だった宝石を取り返す。しかし物語はここで終わらず、実は…という展開。
 クリス・ヘムズワースとテッサ・トンプソンが二人ともコメディに向いてなく、演技力に頼ることができないため、CGと『007』のようなアクションでカバーするという、『メン・イン・ブラック』の魅力からは100光年も離れた作品になっている。
 インターナショナルらしく、日本語吹替版ではMの声優・今田美桜が劇中の写真にもはめ込み登場しているが、声の演技が酷すぎて駄作感に追い打ちをかけている。 (評価:1.5)

製作国:アイルランド
日本公開:2019年7月27日
監督:リー・クローニン 脚本:リー・クローニン、スティーヴン・シールズ 撮影:トム・コマーフォード 音楽:スティーヴン・マッキーオン

森の中の不自然な巨大な穴はトロルの蟻地獄?
 原題"The Hole in the Ground"で、地面の穴の意。
 夫と別居した妻が、男の子を連れて寂しい森の中の番外地に引っ越してくるというホラーで、空撮で車を追いかける導入部は『シャイニング』(1980)を連想させる。
 当然怖い森で、その森がケルト妖精の国アイルランドというのが新趣向。もっとも森の巨大な穴に棲むのは妖精というよりはトロルのような怪物で、取り替え子がモチーフになっている。
 森には狂人の老婆がいて、かつてトロルに取り替え子され、「私の子じゃない!」と息子そっくりのトロルを車で轢き殺した過去を持つ。主人公の母は息子の異変に気づき、トロルを部屋に閉じ込めて森に行き、穴の中に取り替え子された息子を発見。連れ帰って、トロルごと家を焼き払って街に引っ越して平安を得るというストーリー。
 話が単純なだけに、冒頭より下手なJホラーのように演出だけで怖がらせようとするのがあざとい。室内を電灯も点けずに夜回りするのは如何なものか。
 母の方が精神病なのでは? と誤誘導するのも工夫がなく、思わせぶりな鏡も真実の姿が映るだけというのもありきたり。森の中の巨大な穴も不自然な上に何なのか説明がなく、そもそも村人達が知らないのも変。母が地中に落ちるシーンからはトロルの蟻地獄のようにも見えるが…
 怖がらせ演出だけで、物語がつまらない上に冗長で早送りしたくなるし、トロルが何のために取り替え子するかくらいの説明がほしかった。 (評価:1.5)

製作国:アメリカ、スウェーデン
日本公開:2020年2月21日
監督:アリ・アスター 製作:パトリック・アンデション、ラース・クヌードセン、ヴィクトリア・ペトラニー 脚本:アリ・アスター 撮影:パヴェウ・ポゴジェルスキ 美術:ヘンリク・スヴェンソン 音楽:ザ・ハクサン・クローク

『楢山節考』の今村昌平も立派なホラー監督たりうる
 原題"Midsommar"で、スウェーデン語で夏至祭の意。
 アメリカの大学生グループが論文のためにスウェーデンの田舎の夏至祭に訪れるという物語。ゲルマンのルーンが登場して、キリスト教徒から見れば異教のカルト的な異文化に接する恐怖体験を描くホラー映画ということになるが、異教徒から見れば単なる俗悪趣味の『ヤコペッティの残酷大陸』(1971)と大差がない。
 大学生たちが目にするのは、夏至祭に全員がユニフォームのような白い服を着る村人たちであり、マジックマッシュルームで集団幻覚に陥って意志のない踊りを踊るマスゲームであり、老人が姥捨てのために崖から飛び降りて自殺する古代儀式であり、土俗的な呪いであり、交合の儀式であり、秘儀の機密を洩らした者の処刑であり、生贄の儀式であったりする。
 こうして最後には主人公の女子学生ダニー(フローレンス・ピュー)だけが女王となって生き延びるのだが、冒頭、精神病の妹と両親が無理心中し、はたして夏至祭で肉親の霊と巡り合う物語かと思うが、このエピソードは伏線にもなってなくて捨て去られてしまう。
 夏至祭の内容があまりにバカバカしいので、ダニーが村に入った当初、マジックマッシュルームで幻覚を見ていたという夢オチかとも思うが、これも違っていて、つまらない『ヤコペッティの残酷大陸』を見せられた気分になる。
 キリスト教徒にとってこれがホラーなら、『神々の深き欲望』(1968)、『楢山節考』(1983)の今村昌平も立派なホラー監督たりうる。 (評価:1.5)

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:エリック・フォースバーグ 製作:デヴィッド・マイケル・ラット 脚本:エリック・フォースバーグ 撮影:マーカス・フリードランダー 音楽:ミケル・シェーン・プラザー クリストファー・カノ

遊園地のつまらないホラーハウスに入ったような気分
 原題"Clown"で、道化師の意。
 音楽フェスに向かう途中、峠でトイレ休憩をしていた9人の若者たちが廃墟の町のサーカス小屋に誘われ、殺人ピエロに襲われるという話で、最後に女の子二人だけが助かるという。山なしオチなし意味なしのホラー映画。その上、怖くもないので、見どころがない。
 25年前、この町にサーカスがやって来るが、司祭が悪魔だと住民を扇動したため両者が殺し合い、5歳の少年一人を残して誰もいなくなった。少年は母の遺言でピエロとなり、残されたサーカス小屋に迷い込んだ者たちに殺人サーカスを見せ続けているという設定。
 ゴーストタウンで25年間、どうやって生き延びたのかとか、どうやって電気を起こしているのかとか、サーカスのテントだけが何故25年経っても古びないのかとか、サーカス小屋のギミックをどうやって一人で動かしているのかとか、謎を数え上げたらキリがないが、サーカス独自のWi-Fiを持っているのに一番驚かされる。
 取り敢えずアクションシーンの連続なので最後まで見切ってしまうが、遊園地のつまらないホラーハウスに入ったような残念な印象しか残らず、出口で虚しく佇んでいる気分にさせてくれる。 (評価:1.5)

製作国:ニュージーランド
日本公開:2020年6月26日
監督:バーニー・ラオ 製作:バーニー・ラオ 脚本:バーニー・ラオ 撮影:バーニー・ラオ 音楽:ジェームズ・ダンロップ

唯一のアイディアが『人間椅子』という素人シナリオ
 原題"Killer Sofa"。
 ストーカー男がソファとなって好きな女の家に入り込み、部屋を訪れる者を襲って殺すというホラー。男は手足を切断してソファの内側に入り込み、ブードゥーの儀式で悪霊を憑依させるが、これを感知するのがユダヤ教のラビというわけのわからなさ。
 女は周りの男を魅了してしまうという生来の才能を持っているダンサーという設定だが、冒頭の踊りも下手糞なら魅力もイマイチ。過去のフランス人魔術師夫妻の魂がストーカー男と女に憑依していて、妻に惹かれてストーカーしていたらしいが、ブードゥーやらラビやら切張りだらけのストーリーで、素人にも書けないような無茶苦茶なシナリオでよく映画にする気になったと呆れるほどの作品。
 ソファが人間を襲うというのが最大にして唯一のアイディアだが、ソファに人間が入り込むのは映画化もされている江戸川乱歩の『人間椅子』からの借用。
 穴だらけのストーリーと辻褄の合わなさをいちいち指摘するほどに完成されたシナリオでもなく、あるいはシナリオ無しのプロットだけの即興で撮影されたのではないかと思わせる内容。終盤に至っては、間の抜けたシチュエーションに思わず吹き出してしまうコメディもどきの可笑しさもある怪作。 (評価:1)


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