海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2015年

製作国:アメリカ
日本公開:2016年4月22日
監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ 製作:アーノン・ミルチャン、スティーヴ・ゴリン、アレハンドロ・G・イニャリトゥ、メアリー・ペアレント、ジェームズ・W・スコッチドープル、キース・レドモン 脚本:マーク・L・スミス、アレハンドロ・G・イニャリトゥ 撮影:エマニュエル・ルベツキ 音楽:坂本龍一、カーステン・ニコライ
ゴールデングローブ賞

大自然と共にある原理的で普遍的な愛への讃歌
 原題"The Revenant"で、帰ってきた人の意。マイケル・パンクの小説"The Revenant: A Novel of Revenge"が原作で、主人公のヒュー・グラスはアメリカ開拓時代の実在の人物。
 ポウニー族の女と結婚したグラス(レオナルド・ディカプリオ)は、村を騎兵隊に焼き討ちされ、息子(フォレスト・グッドラック)とともに逃れるが、それまでの不明の半生は本作でも語られない。
 物語は1820年代、ミズーリ川のある中西部で、息子と毛皮会社の狩猟ガイドをしている時にアリカワ族の襲撃を受け、砦への逃避行中に熊に遭遇し、倒すものの瀕死の重傷を負う。息子と友人(ウィル・ポールター)、頭の皮を剥がれてインディアンに憎しみを持つ同僚(トム・ハーディ)と共に本隊から離れて帰還を図るが、息子を殺され、森に置き去りにされる。
 ここからはグラスの驚異的な生命力と、復讐への執念が描かれるが、ルベツキの息をのむ大自然の映像が素晴らしい。『バードマン』で見せたワンショットは更に進化していて、クローズアップからロングショット、移動しながらの自由自在なカメラアングルは神業で、それに合わせた長回しの演技と演出は、とりわけアクションシーンでの臨場感のある迫力となっていて、見ごたえ十分。ディカプリオの息で曇るレンズなど、常道を無視し、まさに息遣いが伝わってくる。
 グラスのサバイバルに、娘を白人に連れ去られたアリカワ族の追撃が綾をなすように絡むが、本作では4つの親子が登場する。
 まずは主人公と息子で、息子を守り育てることは死んだ妻への愛の証そのものとなっている。その愛の証を守り切れなかったことがグラスの慚愧と復讐となる。
 その復讐相手の同僚は、「飢えた時に見つけた栗鼠に神を見た」という亡父の教えを語る。
 3つ目は白人に娘を攫われたアリカワ族の長で、野蛮人と呼ばれながらも必死に娘を取り返そうとする父の愛を示す。
 そして4つ目が熊の母子で、子を守るためにグラスに反撃し命を落とす。
 野獣から野蛮人、白人、先住民との混血と、4つの親子の愛の姿が提示されるが、それらを包み込む舞台となるのは、先住民がまだ神や自然と共に暮らしていた神話時代のアメリカ中西部で、生と死の隣り合う生存競争の中で、人や動物が必死に生きなければならないことを、グラスのサバイバルの中に描き出す。
 熊との格闘や死んだ馬の体内をねぐらにするシーンなど、描写はハードだが、そこに自然の尊厳を活写する。
 そうした大自然と共にある神話世界の神に対し、グラスの夢の中に現われる空しく鐘だけが鳴る瓦礫の教会は象徴的で、「復讐するは我にあり」と、復讐相手の最期を神に委ねるラストが、恩讐を超えた、原理的で普遍的な愛への讃歌となっている。
 イニャリトゥは2年連続のアカデミー監督賞、ルベツキは『ゼロ・グラビティ』からの3年連続の撮影賞。
 主演男優賞のディカプリオは、台詞が少ないのと、オーバーアクションも気にならない必死のサバイバル、メイクアップに助けられた。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2016年1月8日
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:スティーヴン・スピルバーグ、マーク・プラット、クリスティ・マコスコ・クリーガー 脚本:マット・シャルマン、イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン 撮影:ヤヌス・カミンスキー 音楽:トーマス・ニューマン
キネマ旬報:3位

自由の国アメリカを賛美しないスピルバーグの客観性
 原題は"Bridge of Spies"で、スパイ交換の橋のこと。
 米ソ冷戦時代の1957年にニューヨークで逮捕されたロシア人スパイ、アベルと、ソ連で撃墜された米軍偵察機パイロット、パワーズのスパイ交換の物語。史実に基づきながら、アベルの裁判の弁護人となったドノバン(トム・ハンクス)が、スパイ容疑で東独に拘留されたアメリカ人学生プライヤーを含む捕虜交換のために、東ベルリンで交渉に当たるドラマを描く。
 冒頭より当時を再現したブルックリンの映像がリアルで、スピルバーグの完璧な世界に引き込まれる。これに輪をかけるのが老齢のスパイ、アベル役のマーク・ライランスの演技で、ドノバン同様この老人に観客も魅せられていくことになる。
 とりわけ、アベルのキャラクターを引き立てるのが、殺されるかもしれないことに対し「不安そうに見えない」(You don't look alarmed.)というドノバンに、「それが役に立つのか?」(Is that gonna help?)と答える台詞で、アベルの人生のすべてを象徴させる。同時にアベルはドノバンを、自分同様のStoikiy muzhik=standingman(不動の男)と認める。
 物語はアベルとドノバンの友情を主軸に進み、グリーニッケ橋での捕虜交換となるが、交換後にアベルが抱擁されずに車の後部シートに座らされることから、殺されるのではないかと予感させる。一方、ソ連の捕虜となっていたパワーズは抱擁で迎えられるが、帰国する飛行機の中で機密を吐いたのではないかと冷たい視線を受ける。
 史実ではアベルはソ連に帰国後、レーニン勲章など数々の叙勲を受け、諜報員の育成にあたるが、一方で、旧日本軍のように生きて虜囚の辱めを受けないように上官から青酸カリを渡されたパワーズの処遇、裁判官以下アベルをこぞって死刑にしようとするアメリカ社会、弁護するドノバンへの冷たい視線、家に撃ち込まれる銃弾を描くことで、スピルバーグは自由の国アメリカを決して賛美しない。
 そうした客観性は、過去のシリアス系映画に共通するスピルバーグのユダヤ人としての冷めた目となっていて、ワールドセンター爆破テロ後、イスラム移民に対して非寛容となっているアメリカ社会に対する過去の教訓からの警鐘となっている。
 ラストシーンはアメリカ映画らしいドノバンのハッピーエンドで締めくくられるが、ヒーローとなるエピソードが多少蛇足気味なのを除けば、壁が築かれるベルリンの町の重苦しい空気を含めて、完璧な作品に仕上がっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2016年7月22日
監督:ジェイ・ローチ 製作:マイケル・ロンドン、ジャニス・ウィリアムズ、シヴァニ・ラワット、モニカ・レヴィンソン、ニミット・マンカド、ジョン・マクナマラ 脚本:ジョン・マクナマラ 撮影:ジム・デノールト 音楽:セオドア・シャピロ
キネマ旬報:4位

映画ファンの関心しか引かないのが残念なところ
 原題"Trumbo"で、ブルース・クックの評伝"Dalton Trumbo"が原作。
 名脚本家として知られるダルトン・トランボが、レッド・パージにより名を隠してシナリオを書き続けた十数年を描く、実話を題材にした作品。
 ハリウッド最大の汚点を描くもので、当然のことながらアカデミー賞では、主演男優賞ノミネート以外は無視された。ハリウッドの赤狩りの先頭に立ったジョン・ウェイン、ヘッダ・ホッパーが実名で登場して悪行の限りを尽くすが、最後にトランボに、"But when you look back upon that dark time, as I think you should every now and then, it will do you no good to search for heroes or villains. There weren't any. There were only victims."(暗黒の時代を振り返って、ヒーローと敵役を捜すのは無意味だ。そんなものはなかった。みんな被害者だった)といわせてアカデミー賞を狙ったが、その思いは選考委員には届かなかった。
 自らの黒歴史を忘れたいのはハリウッドに限らないが、そのタブーを作品に残した製作者たちの志は成功していて、反共主義に加担した映画人だけでなく、パージされた脚本家とともに表現・思想の自由を守ろうとした映画人もいたことが本作の救いとなっている。
 とりわけパージされた脚本家たちを使って成功したB級映画会社の社長が大手の圧力を跳ね退けるシーンや、『スパルタカス』でトランボを起用したカーク・ダグラス、『栄光への脱出』監督のオットー・プレミンジャーの毅然とした態度が胸をすく。
 トランボを演じるブライアン・クランストンは、TVシリーズ『ブレイキング・バッド』のダメオヤジの主人公でエミー賞を受賞していて、本作での渋い演技も大きな見どころ。妻にダイアン・レイン、娘のエル・ファニングはダコタ・ファニングの妹。ヘッダ・ホッパー役のヘレン・ミレンが嫌なババアを好演している。
 エンタテイメントとしても楽しめる作りになっているが、おそらく映画ファンの関心しか引かないのが残念なところか。 (評価:2.5)

帰ってきたヒトラー

製作国:ドイツ
日本公開:2016年6月17日
監督:ダーヴィト・ヴネント 製作:クリストフ・ムーラー、ラース・ディトリッヒ 脚本:ダーヴィト・ヴネント、ミッツィ・マイヤー 撮影:ハンノ・レンツ 音楽:エニス・ロトホフ

ヒトラーになり切った演技と当意即妙な受け答えが見もの
 原題"Er ist wieder da"で、彼が帰ってきたの意。ティムール・ヴェルメシュの同名小説が原作。
 ヒットラーが2014年の地下壕跡に蘇り、失業したTVディレクターとともに全国を行脚して現在のドイツについて国民の意見を聞いて『我が闘争』に次ぐ自著を著し、それを映画化したという設定で、つまり本作はその映画ということになる。
 役者をサクラに使った街頭インタビューでは、一般市民がヒットラーに扮した俳優に本音を話したり、ある種の悪ふざけに怒る人もいたりして、誰がサクラで誰が一般市民なのか区別しにくかったりもするが、総じてヒットラーを面白がり好意的に反応するのが興味深い。
 移民問題を抱えるドイツ国民に移民排除の本音を吐かせ、かつてのユダヤ人排斥と同様の状況が現出しつつあることに警鐘を鳴らすというのが制作意図で、誰もがヒットラーを贋者と思って彼の政治批判に共鳴する中で、彼が本物であることに気づいたディレクターだけが精神病院送りになり、ヒットラーが新たなSS作りに乗り出すという幕切れとなる。
 しかし、仮構の上に作られたセミ・ドキュメンタリーとはいえ、市民の本音からは、戦後80年経って変わらぬドイツ人の民族意識と選民思想であり、唯我独尊の排他的な国家主義が透けて見える。
 同時に敗戦によって押し付けられた戦勝国の価値観、ナチズムやヒットラーの全否定に対して、ドイツ人が必ずしも同意してなく、日本の軍国主義者・国家主義者同様に戦前への憧憬を抱いていることが感じられる。
 ナチズムを作り出したのはヒットラーではなく、ドイツ国民がナチズムを求めヒットラーを指導者に迎えたのだという作中でなされる指摘が、案外的外れではなく、ヒットラーを受け入れる国民性は今も変わらないという主張は説得力がある。
 本作の優れているのは、そのようなドイツに対して批判的な人も、肯定する人も、どちらの人々にも「我が意を得たり」と思わせる作品の両面性。
 全体はコメディで始まるが、ユダヤ人に対するジョークまで飛び出して、これにドイツ人はどう反応するのか、次第に笑えなくなってくる。
 オリヴァー・マスッチのヒットラーになり切った演技と当意即妙な受け答えが見もの。 (評価:2.5)

幸せなひとりぼっち

製作国:スウェーデン
日本公開:2016年12月17日
監督:ハンネス・ホルム 製作:アニカ・ベランデル、ニクラス・ヴィークストレム・ニカストロ 脚本:ハンネス・ホルム 撮影:ギョーラン・ハルベリ 音楽:グーテ・ストラース

老人が頑固で口うるさく偏屈で孤独なのは万国共通
 "En man som heter Ove"で、オーヴェという名の男の意。フレドリック・バックマンの同名小説が原作。
 タウンハウスに住む初老のオーヴェ(ロルフ・ラッスゴード)は、偏屈な頑固親父で近所からは少々煙たがられている元自治会長。そんなオーヴェに理解のあった妻ソーニャ(イーダ・エングヴォル)を亡くし、ますます周囲から孤立する。妻の下に行こうとし、失業をきっかけに首吊り自殺を図る。
 そこに登場するのが隣に引っ越してきたイラン人家族で、妻パルヴァネ(バハール・パルス)はオーヴェが死にたがっているのを知って、この独居老人にいろいろと世話を焼くのではなく、焼かせることになる。
 親友ルネの家族、ソーニャの教え子などのエピソードなどが絡みながら、物語はコメディタッチで進み、パルヴァネの策略が功を奏して、オーヴェはタウンハウスの人々との関係を取り戻し、ソーニャとの思い出を拠り所に孤独から抜け出す。
 そうして人々に必要とされる人間だという存在意義を見出したオーヴェを祝福するように死が訪れ、ようやくソーニャの下に行くのだが、彼女と初めて出逢った時と重なる、ソーニャとの再会のシーンがなかなかいい。
 コツコツと真面目に誠意を持って生きてきた男が、老人となって周囲のいい加減さや矛盾に怒り、頑固で口うるさく偏屈に見えるというのは万国共通で、孤独になっていくというのも世界共通だということを本作は描いていて、周囲や家族から疎まれている老年男性はオーヴェに仲間を得たようにホッとできるかもしれない。
 青年期のオーヴェを演じるのはフィリップ・バーグ。 (評価:2.5)

製作国:オーストラリア
日本公開:2015年6月20日
監督:ジョージ・ミラー 製作:ダグ・ミッチェル、ジョージ・ミラー、P・J・ヴォーテン 脚本:ジョージ・ミラー、ブレンダン・マッカーシー、ニコ・ラソウリス 撮影:ジョン・シール 音楽:ジャンキー・XL
キネマ旬報:1位

ボスの妻たちがヴァルキリーならぬプレイメイツ風なのが笑える
 原題は"Mad Max: Fury Road"で副題は憤怒の道の意。マックスは主人公の名。
 27年ぶりのシリーズ第4作。核汚染され砂漠化した世界が舞台。流浪中に神がかりの親玉を抱く狂信集団に捕縛され、病弱なミュータント的戦闘員の輸血提供体・血液袋となるマックス(トム・ハーディ)。女隊長(シャーリーズ・セロン)がボスの女たちを連れて逃亡し、追跡隊から逃れたマックスと共に生まれ故郷の緑の地をめざす。しかし、その地も荒廃していて、ボスを倒して出発した砦を緑の地に変えようと帰還する「ゆきて帰りし物語」。つまり『ホビットの冒険』だが、指輪は持ち帰らず婆さんたちを連れ帰る。
 単純なストーリーで、追跡隊との戦闘アクションだけで2時間を持たせる。バトル仕様のトレーラーやジープ、バイクといったバトル・カー・アクションが見せ場で、女隊長と追跡隊のカー・チェイスを見せる前半は少々退屈だが、マックスが参加してからはスリル満点のアクションの連続で、アクションしかないのに飽きさせない演出力は見事。シャーリーズ・セロンがかっこいい。
 実写とCGを合成した映像も迫力満点だが、3Dで見ると少々疲れて、途中で休憩したくなる。
 神がかりの狂信集団は北欧神話をモチーフにしていて、短命で病弱なミュータント的戦士たちが目指すのは、戦場での勇敢な死。北欧神話通り、名誉ある戦死を遂げることで、戦士たちはヴァルキリーの手によって天上の理想郷ヴァルハラに導かれ、ヴォータンの館で饗宴と永遠の命を授けられると信じている。
 ボスの妻たちが美女ぞろいで、ヴァルキリーならぬプレイメイツ風なのが笑えるが、セミヌード姿で目の保養になる。北欧神話に倣えば、ボスはヴォータンか? (評価:2.5)

ディーパンの闘い

製作国:フランス
日本公開:2016年2月12日
監督:ジャック・オーディアール 製作:パスカル・コシュトゥー 脚本:ジャック・オーディアール、ノエ・ドゥブレ、トマ・ビデガン 撮影:エポニーヌ・モマンソー 美術:ミシェル・バルテレミ 音楽:ニコラス・ジャー
カンヌ映画祭パルム・ドール

戦争で家族を失った男が疑似家族を本物の家族に変える話
 原題"Dheepan"で、主人公の名。
 スリランカ内戦で家族を失った3人のタミル人が、家族を装ってスリランカを逃れ、難民となってフランスにやって来る物語。
 難民審査をパスした3人はパリ郊外の団地に住まいを与えられ、疑似夫のディーパンは団地の管理人の職を得、疑似妻のヤリニは老人介護のヘルパー、疑似娘のイラヤルはフランス語を学ぶために学校に通う。
 そうして赤の他人3人の疑似家族の生活が始まるが、テーマ的には『万引き家族』(2018)に似ている。もっとも『万引き家族』が虚構の上に成り立つ家族なのに比べ、本作は疑似家族を演じなければならない必然性があり、よりリアルなものとしての家族とは何かという問いかけがある。
 孤児であるイラヤルにディーパンは保護者としての自覚を持つようになる。一方、ヤリニには家族としての思いはなくイギリスの従姉の下にへ行きたがるが、やがてディーパンと関係を持つ。
 そこに団地でのチンピラたちの争いが起き、ディーパンとヤリニは巻き込まれてしまうが、元反政府軍兵士のディーパンは銃撃戦を制し、二人の家族を守る。
 ラストシーンは疑似家族が本物の家族に転じ、ディーパンとヤリニの間に子供が生まれるというハッピーエンドだが、チンピラどもを殺戮しまくったディーパンがお咎めなしというのも変で、やや力が抜ける。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2016年4月15日
監督:トム・マッカーシー 製作:マイケル・シュガー、スティーヴ・ゴリン、ニコール・ロックリン、ブライ・パゴン・ファウスト 脚本:ジョシュ・シンガー、トム・マッカーシー 撮影:マサノブ・タカヤナギ 音楽:ハワード・ショア
キネマ旬報:7位
アカデミー作品賞

バチカンも信者も文句を言うまいと、腰が引けている印象
 原題"Spotlight"で、ボストン・グローブ紙の調査報道記事の名称。
 ニューヨーク・タイムズに合併されたボストン・グローブに新しい編集局長が就任し、スポットライト取材チームを指揮して、司祭たちの性的児童虐待と教会の隠蔽の真実を明らかにし、スクープ記事が掲載されるまでを描く物語。
 スポットライト取材チーム4人が中心となり、当初は児童虐待の裁判の関係者への取材、次に教会名簿を基に疑惑司祭のリストアップ、裏付け取材へと進んでいく。アカデミー賞脚本賞のシナリオは、その過程を克明に追って、オーソドックスな演出とカメラによって、緊迫感のある実話再現映像となっている。
 記事掲載に向けてのカウントダウンもあり、クライマックスに向けてドラマチックに盛り上がるが、一方でそうしたエンタテイメントな手法が、本作のテーマを曖昧にしている。
 編集局長は冒頭、取材目標を単なる聖職者の告発ではなく、教義よりも組織防衛を優先する枢機卿におき、バチカンを頂点とする教会システムそのものを変革しなければ意味がないと説く。しかし、ラストは「取材チームは艱難辛苦によって大スクープをものにしました、めでたしめでたし」のヒーロー物語に終わっていて、結果、アンタッチャブルなカソリック教会へのタブーはなくなったのか? とか、ユダヤ人の編集局長への偏見や排外的なボストンの保守主義は変わったのか? とか、ボストンでの聖職者による児童虐待はなくなったのか? とか、虐待の被害者たちはどうなったのか?とか、本来描かれるべき結果とその後は置き去りにされたまま。世界中で虐待の事実が明らかになったとか、ボストン大司教区の枢機卿がバチカンに栄転になったというフリップでお茶を濁している。
 プロテスタントが中心のアメリカで、カソリックが支配的なボストンの歴史的・社会的背景にまったく触れないのも、社会派映画としては片手落ち。ヒーロー物語にすることで核心のテーマを忌避しているのも、これならバチカンも信者も文句を言うまいと、腰が引けている印象を受ける。
 取材チームのリーダー、マイケル・キートンが渋い演技。スタンリー・トゥッチが熱血漢の記者を好演するが、女性記者のレイチェル・マクアダムスがわざとらしい演技で上手くない。
 大スクープをものにした記者たちのヒューマンな社会派映画として見る分には、十分楽しめるのだが。 (評価:2.5)

製作国:中国、日本、フランス
日本公開:2016年4月23日
監督:ジャ・ジャンクー 脚本:ジャ・ジャンクー 撮影:ユー・リクウァイ 音楽:半野喜弘
キネマ旬報:5位

祖国と引き換えに手に入れた西欧化と自己同一性喪失
 原題"山河故人"で山河(故郷)の古い友の意。
 山西省・汾陽(フェンヤン)に暮らす女性タオ(チャオ・タオ)を中心に描く、1999年、2014年、2025年の三部構成のドラマになっている。
 第1部は、タオの息子の年齢から1999~2006年までがダイジェストされていることがわかり、幼馴染の二人の男に愛されたタオが炭鉱労働者(リャン・チントン)を捨て、実業家(チャン・イー)と結婚、息子が生まれるまで。
 第2部は、離婚したタオが家業を発展させ、帰郷した炭鉱労働者の元彼に手術費を工面してやるエピソードと、父の葬儀で別れた夫と暮らす息子に再会するエピソード。
 第3部は、オーストラリアに移住した息子が母ほどの年齢の中国語教師と恋に落ち、父と別れて中国に向かうまで。
 中国近代化の四半世紀、過去・現在・未来が描かれるわけで、振り返ってみれば日本の1960年頃からの高度成長からバブル崩壊に至る時期に相当する。
 物質的・金銭的豊かさが最大の価値観であった時代、豊かさの中の空虚と失われた精神的豊かさへの憧憬、祖国と引き換えに手に入れた西欧化とアイデンティティの喪失。それらが1部、2部、3部のそれぞれのテーマとなり、息子と中国語教師はアイデンティティの回復を求めて中国に向かう。
 息子と中国語教師が疑似的母子愛によって結ばれていると考えれば、2部の後半以降は母と息子、母なる祖国と華僑、あるいは近代化以前の中国と近代化された中国のドラマで、冒頭とラストの踊りは山河故人を象徴するが、いささかの唐突感と違和感は残る。冒頭はインド映画のエンディングのようで、ラストは韓国映画『母なる証明』(2009)を連想させる。
 ただ後半の母子のドラマは引き込むものがあるが、前半、とりわけラブ・ストーリーが主となる第1部は相当に退屈で、自然さを欠いた古典的な演技と演出が白ける。
 テーマも型に嵌った感があって、今ひとつ掘り下げが浅いのは中国映画の限界か。監督は賈樟柯(ジャ・ジャンクー)。
 結婚式、葬式などのシーンは、中国独特の風習でちょっとした見どころ。 (評価:2.5)

人生タクシー

製作国:イラン
日本公開:2017年4月15日
監督:ジャファル・パナヒ 脚本:ジャファル・パナヒ
ベルリン映画祭金熊賞

後日談までが作品の一部になった抵抗のゲリラ作品
 原題"Taxi"。
 イラン政府に映画制作を禁じられていたジャファル・パナヒが、乗り合いのタクシー運転手に扮して車内にカメラを設置、乗客の男女を次々に拾いながら、テヘランの現状をドキュメンタリー風に描いていくというゲリラ撮影の異色作。
 犯罪者をすぐ死刑にしてしまう現状に対する強盗と女教師の議論や、男尊女卑社会で遺産が妻以外に渡ってしまうのを恐れる瀕死の男、迷信から抜けられない老婆、生活に困っている知り合いに覆面強盗された友人、裕福な新婚夫婦の金を盗む貧しい少年、イスラム法を犯した女性逮捕に抗議してハンガーストライキをしている女性弁護士などが登場。
 上映禁止の外国映画ビデオの密売人、授業で映画の短編を撮らなければならない小学生の姪ハナ・サイディも登場して、イランにおける映画制作の規制について説明する。上映許可の条件が、西洋風にネクタイをしている男は悪人に、善人は聖人の名を冠さなければならないというのが面白い。
 老婆に忘れ物の財布を届けるためにパナヒがタクシーを降りると、バイクの二人組が無人の車に近づきカメラのメモリーカードを奪おうとするが、パナヒが戻ってくるのを見て盗らずに逃げてしまうという暗転でエンディング。
 メモリーカードが盗られなかったので本作が残ったという皮肉なラストで、もちろんイラン国内で上映することはできず、メモリーカードは国外に持ち出されてベルリン映画祭で公開、金熊賞を獲ることになるという後日談が付く。
 パナヒは海外渡航が禁止されているので、姪のハナがベルリン映画祭に出席。代わりにトロフィーを受け取ったという、抵抗の作品。 (評価:2.5)

製作国:ポーランド、アイルランド
日本公開:2016年8月20日
監督:イエジー・スコリモフスキ 製作:エヴァ・ピャスコフスカ イエジー・スコリモフスキ 脚本:イエジー・スコリモフスキ 撮影:ミコライ・ウェブコウスキ 音楽:パヴェウ・ミキェティン
キネマ旬報:8位

平穏に思える日常に潜む小さな黒い点
 原題"11 Minut"で、ポーランド語で11分間のこと。英題は"11 Minutes"。
 夕方5時11分に惨事が起きるが、その惨事に巻き込まれる人たちの5時からの行動を並行して描く。
 惨事の発端を作るのはポルノ女優と結婚した男で、ホテルの高層階の部屋に呼ばれ、監督に枕営業を求められている妻の救援に向かう。
 息子の結婚式を明日に控えたホットドッグ屋の男、バイク便で働く不良息子、ホテルの窓から恋人の部屋にやってくるゴンドラ作業員、風景画家と泥棒の少年、瀕死の男と産婦のいるアパートに急行する救急隊員等が惨事に巻き込まれることになるが、それぞれにエピソードと言えるほどのストーリーやドラマはなく、それぞれに関連性もなく、ただ最後の5時11分の出来事に向かって集まってくるという構成になっている。
 このため、ラストを知らないと何が進行しているのかさっぱりわからず、ただいつかエピソードが繋がるのだろうというジグソーパズルを組み立てているような感覚で見ることになるが、その繋がらないピースで観客をラストシーンまで引っ張る演出力は見事。
 最後にジグソーが完成するものの出来上がった絵は大したものではなく、組み立てる過程そのものを楽しむしかないが、一つテーマらしきものを挙げれば、ワルシャワの街の風景の中に目に見えない黒点があって、それが画家の描いた絵に零れたインクに象徴される。
 その見えない黒点に気づく人もいるが、それがいつ何時降りかかるかわからない災難という点で、平穏に思える日常に潜む小さな落とし穴がテーマということになる。
 惨事のシーンが、ワルシャワの街を監視する多数のモニター画面に埋もれて小さな黒い点になっていくラストシーンが、それを象徴している。 (評価:2.5)

製作国:カナダ、アイルランド
日本公開:2016年4月8日
監督:レニー・アブラハムソン 製作:エド・ギニー、デヴィッド・グロス 脚本:エマ・ドナヒュー 撮影:ダニー・コーエン 音楽:スティーヴン・レニックス
キネマ旬報:10位

被害者の視点で描く母子ものヒューマン・ドラマ
 原題"Room"で、エマ・ドナヒューの同名小説が原作。
 17歳のときに誘拐された娘が7年間監禁され、産んだ子供が5歳のときに「部屋」から脱出し、立ち直るまでの物語。
 映画は5歳の誕生日を迎える幼児と母親の会話から始まる。やがて二人がその部屋に監禁されていて、天井の窓から見える空とテレビだけが外界と繋がっていることがわかる。女の子のように髪を伸ばした幼児はジャックと呼ばれる男の子で、部屋の中だけが彼の全宇宙で、テレビに映る世界を現実のものとは思っていない。
 当初は貧しくも幸せそうに見えた母子の悲惨な状況が少しずつ分かってきて、母が息子に外の世界のことを教え、息子の脱出を企てる話へと繋がっていくシナリオと演出はよくできている。
 母親を演じるのは本作でアカデミー賞とゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞したブリー・ラーソンだが、ジャックを演じるジェイコブ・トレンブレイが可愛い。
 母は監禁男にジャックが熱を出して死んだと思わせ、絨毯に巻いて埋葬するように頼む。ピックアップトラックで運搬中、ジャックはトラックから逃げて公園にいた男に助けられる。
 ここからは母子二人が立ち直っていく物語だが、祖父母は離婚して新しい人生を歩んでいて、その受け入れがたい現実に、母は失われた7年の歳月と失われた人生に気づく。
 監禁生活の中で望んでいた外の生活が、必ずしも幸福ではなかったことに落ち込み、母は自殺を図る。一方の息子は祖母と義祖父のやさしさの中で殻から抜け出し、母とともにかつての「部屋」を訪れ、過去から訣別という象徴的なシーンで終わる。
 そうした点で、クライム・サスペンスというよりは、犯罪被害者の再生の物語になっている。 (評価:2.5)

製作国:アイルランド、イギリス、カナダ
日本公開:2016年7月1日
監督:ジョン・クローリー 製作:フィノラ・ドワイヤー、アマンダ・ポージー 脚本:ニック・ホーンビィ 撮影:イヴ・ベランジェ 音楽:マイケル・ブルック
キネマ旬報:9位

題材が魅力的だけに丁寧に描いてほしかった
 原題"Brooklyn"。コルム・トビーンの同名小説が原作。ブルックリンはニューヨーク港に面した地区で、歴史的に移民の多い地区。
 アイルランドで仕事の見つからない少女(シアーシャ・ローナン)が神父の援助でニューヨークに移住する物語。ホームシックに掛かりながらも大学で会計学を学び、イタリア移民の青年(エモリー・コーエン)と結婚するが、姉が死んで一時帰国、一人となった母の引き留めと魅力的なボーイフレンドの登場でそのままアイルランドに留まりそうになるが、既婚が発覚しそうになりアメリカに帰っていくまで。
 要は生きるために望郷の念を振り切ってアメリカに渡ったアイルランド移民の苦労話をメンタル面から描いた物語で、少女に代表される移民たちの心の旅路ともいえる作品。イタリア青年と再会を喜ぶシーンで終わり、共に移民同士が新世界で一旗揚げようという勇気と希望を感じさせる清々しいラストとなっている。
 よく出来た作品だが、惜しむらくは少女がアイルランドに一時帰国してから地元のハイソ青年とランデブーを重ねるエピソードで、愛しているイタリア青年がいながら、なぜ彼に心を奪われてしまうかの心の変化が描かれていないこと。
 愛郷心、あるいはハイソへの憧憬や打算も働いているのかもしれないが、物語を美しく見せるために敢えて描かなかったのか、それともシアーシャ・ローナンの演技力不足なのか。相手役のハイソ青年を演じるドーナル・グリーソンが頑張っているだけに残念。
 前半のニューヨークの寄宿生活も登場人物が多い割には個々の人物描写が淡泊なのも難で、題材が魅力的だけにもっと丁寧に描いてほしかった。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、ドイツ、アメリカ
日本公開:2016年3月18日
監督:トム・フーパー 製作:ゲイル・マトラックス、アン・ハリソン、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、トム・フーパー 脚本:ルシンダ・コクソン 撮影:ダニー・コーエン 音楽:アレクサンドル・デスプラ

命と引き換えに女を手に入れた喜びをE.レッドメインが熱演
 原題"The Danish Girl"でデンマークの女の意。デヴィッド・エバーショフの実話をモチーフにした同名小説が原作。
 主人公のリリー・エルベは世界で初めての性転換手術を受けたデンマークの画家で、性転換前の名はエイナル・ヴェゲネル。
 同じ画家のゲルダとの結婚後、ダンサーのモデルの代役をして女装したことがきっかけで性同一性障害に気付き、内在する女性人格をリリーと名づける。精神ではなく体が不適合であるという意識が強まり、二度の性転換手術を受けたのちに死亡。
 エイナルからリリーへとの変身を切望する女心をエディ・レッドメインが熱演する。これに対し、愛するが故に女に変わることを望む夫を支え、結果的に夫を失ってしまう妻をアリシア・ヴィキャンデルが好演し、アカデミー助演女優賞を獲得した。
 異性間の愛情が、片方が性転換することで、性愛を越えた異性愛とも同性愛とも友情ともいえない、摩訶不思議な一種普遍的な人間愛へと変貌していく様が描かれる。
 夫は女という性を獲得することで、母性や男への異性愛に関心が移り、異性としての夫を愛する妻は女としての立場を失ってしまうが、一方で、リリーをモデルに描くことで画家としての地位を獲得していく打算が曖昧にしか描かれず、献身的な妻というヒューマンドラマ的なきれいごとに流れているのが少々残念。
 トム・フーパー監督の演出は巧みで、女を獲得するリリーの悲しいまでに切ない女心を描き出すが、女に目覚めてから女そのものへと変貌していくリリーの所作・表情を演じるレッドメインが最大の見どころで、初めはオカマだが次第に女らしくなっていき、性転換後には女そのものに変化している。そしてラストでは、命と引き換えに女を手に入れたリリーの喜びを感動的に演じ切る。
 エイナルの描いた風景画をそのままに、デンマークの風景が絵画のように撮影されているのも映像的な見どころで、それがリリーを内在したエイナルに目に映る心象となっていて、北欧の美しくもあり悲しくもある情景と重なっている。
 リリーの初恋の人ハンス役のマティアス・スーナールツがプーチンに似ていてちょっといい。 (評価:2.5)

スター・ウォーズ フォースの覚醒

製作国:アメリカ
日本公開:2015年12月18日
監督:J・J・エイブラムス 製作:キャスリーン・ケネディ、J・J・エイブラムス、ブライアン・バーク 脚本:ローレンス・カスダン、J・J・エイブラムス、マイケル・アーント 撮影:ダニエル・ミンデル 音楽:ジョン・ウィリアムズ

フォースの覚醒も早いが、R2-D2の覚醒もいきなり
 原題"Star Wars: The Force Awakens"で邦題の意。
 エピソード6から30年後が舞台。姿を消した最後のジェダイの騎士、ルークの所在を示す地図をめぐり、銀河帝国とレジスタンスが争奪戦を繰り広げるのがストーリーの骨子。
 主人公のジャンク屋の娘レイ(デイジー・リドリー)、ストーム・トルーパーからレジスタンスに身を転じる相棒のフィン(ジョン・ボイエガ)、レジスタンスのポー(オスカー・アイザック)、敵ファースト・オーダーの新ダース・ベイダー、カイロ(アダム・ドライバー)が新キャラとして登場し、老いたハン・ソロ(ハリソン・フォード)、レイア姫(キャリー・フィッシャー)、チューバッカ、ルーク(マーク・ハミル)、C-3PO、R2-D2も復活する。
 レイア姫はレジスタンスの将軍に出世。ドロイドのマスコットキャラとして加わるBB-8が可愛い。
 エピソード4-6の初期シリーズに立ち返った感じで、ワクワクドキドキのスペースオペラ風。ストーリーもわかりやすくテンポもよく、宇宙空間、惑星、さらに巨大化した新デス・スター、キラー・スターの舞台装置も映像も素晴らしく、決して飽きさせない。
 主人公のデイジー・リドリーは、アクションも操縦もこなす野性派で、『エイリアン』のシガニー・ウィーバー並みの大活躍。
 これまでのシリーズ同様、出生や血縁をめぐる謎が伏線として張り巡らされていて、この謎解きが新シリーズのストーリー的な見どころとなる。
 最後のジェダイの騎士、ルークを追い求める話の割には、ルークなしでフォースが覚醒してしまうのがやや物足りなく、スリリングなシーンでも比較的先が読めてしまうのも少々寂しい。フォースの覚醒同様、R2-D2の覚醒もいきなりで、オールキャストのお披露目とはいえ、ややご都合主義のきらいもある。
 カイロはマスクを取らない方が不気味でよかったのだが、アダム・ドライバーの顔はやや迫力不足。 (評価:2.5)

ヘイトフル・エイト

製作国:アメリカ
日本公開:2016年2月27日
監督:クエンティン・タランティーノ 製作:リチャード・N・グラッドスタイン、ステイシー・シェア、シャノン・マッキントッシュ 脚本:クエンティン・タランティーノ 撮影:ロバート・リチャードソン 音楽:エンニオ・モリコーネ

女盗賊がいたぶられるSM描写は爽快感がある
 原題"The Hateful Eight"で、憎しみに満ちた8人の意。
 南北戦争終結から数年後、雪に埋もれたワイオミングの山中が舞台の西部劇で、2人の賞金稼ぎ、女盗賊、新任保安官、3人のお尋ね者と元南軍将軍の合計8人が「ミニーの紳士服飾店」で織り成す憎しみに満ちた密室劇で、かつ長編第1作『レザボア・ドッグス』とよく似た構成の物語となっている。
 冒頭、雪原を走る駅馬車のシーンから始まり、サミュエル・L・ジャクソン演じる元北軍兵士の黒人賞金稼ぎが、女盗賊(ジェニファー・ジェイソン・リー)を連行する白人の賞金稼ぎ(カート・ラッセル)の駅馬車に同乗。更に新任保安官を自称する元南軍兵士(ウォルトン・ゴギンズ)が同乗し、猛吹雪の中、「ミニーの紳士服飾店」で休むが、ミニーは不在で、先に到着した駅馬車の4人が留守番をしているという設定。
 賞金稼ぎを除く5人の中に女盗賊を奪還しようとしている仲間がいて、犯人は誰かというのが『レザボア・ドッグス』と同じで、タランティーノの巧みな会話劇が、駅馬車と「ミニーの紳士服飾店」で繰り広げられる。
 バイオレンス描写も快調で、一人女盗賊が顔面を殴られ血だらけになった挙句、他人の血までたっぷり顔に浴びるシーンなどがサディスティックで、ある種爽快感のあるSM描写となっている。
 最後は全員が死んでしまうであろうことは、この設定とタランティーノ作品なら容易に想像のつくところで、期待に違わないのがやや予定調和的で、熟練した映像とバイオレンスを見ながらも、新鮮味に欠ける残念なところ。 (評価:2.5)

ミッション:インポッシブル ローグ・ネイション

製作国:アメリカ
日本公開:2015年8月7日
監督:クリストファー・マッカリー 製作:トム・クルーズ、J・J・エイブラムス、ブライアン・バーク、デヴィッド・エリソン、デイナ・ゴールドバーグ、ドン・グレンジャー 脚本:クリストファー・マッカリー 撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:ジョー・クレイマー

あっさり脱出するシーンが呆気に取られて笑える
 原題"Mission: Impossible - Rogue Nation"で、Mission: Impossibleは任務:不可能なこと。Rogue Nationはならず者国家のこと。
 トム・クルーズがイーサン・ハントを演じる映画シリーズ第5作。
 冒頭、国際犯罪組織が闇物資を輸送する飛行機にイーサンが飛び乗るシーンから、本作でのトム・クルーズの気合いが感じられる。翼の上で機体に張り付くシーンも迫力があるが、ドアから吸い込まれるシーンがなかなかの見どころ。格闘もなくあっさり脱出するシーンが呆気に取られて笑える。
 アクションシーンの力の入れ方は『007』並みで、ウィーン・オペラ座でのオーストリア首相暗殺をめぐるサーカス、モロッコ発電所での犯罪組織リストのファイルをめぐる水中シーン、そのファイルをめぐってのカーチェイス・バイクアクションが凄い。
 CIA長官は、犯罪組織がIMF存続のためのでっち上げと決めつけ、IMFを解体してしまうため、イーサンは仲間の応援を得ながらの個人行動となる。これに犯罪組織に潜入するMI6の女性捜査官(レベッカ・ファーガソン)、元MI6の諜報員で犯罪組織のボス(ショーン・ハリス)が絡み、MI6絡みの不祥事を隠蔽しようとするMI6局長らの思惑が入り組む中で、最後はボス決戦となり犯罪組織の存在を証明してジ・エンドとなる。
 犯罪組織に諜報員が絡むという内部犯罪というコンセプトは映画第1作のストーリーに近く、この手のスパイものではよくある設定だが、シナリオはよくできていて、何よりもアクションが見どころ。トム・クルーズのニヤケ顔も年相応で、それなりに締まってきた。 (評価:2.5)

ピクセル

製作国:アメリカ
日本公開:2015年9月12日
監督:クリス・コロンバス 製作:アダム・サンドラー、クリス・コロンバス、マーク・ラドクリフ、アレン・コヴァート 脚本:ティム・ハーリヒー、ティモシー・ダウリング 撮影:アミール・モクリ 音楽:ヘンリー・ジャックマン

アーケードゲームが現実の街中で展開されるバカバカしさ
 原題"Pixels"で画素のこと。パトリック・ジャンの短編アニメ"Pixels"が原作のコメディ映画。
 劇中、インベーダーはビデオゲーム画面の画素の集合体で、破壊されると分解される。同様に、地球上の人や物質もインベーダーに侵略されると画素にされてしまう。
 1982年のアーケード版ドンキーコングでゲームチャンピオンを決める世界大会で、2位に終わった少年が主人公。30年後、少年期の栄光は過去の思い出となり、彼はしがない電化製品の配線サービスマンになっている。その時の仲間の一人が今は大統領となっていて、インベーダー襲来の危機に彼を呼び寄せる。
 インベーダー襲来の原因が1982年の大会のビデオテープを載せて宇宙に放たれた宇宙船。1977年に打ち上げられた、未知の地球外生命体へのレコードを搭載したボイジャーをなぞっている。
 ビデオテープを受け取ったインベーダーが、これを宣戦布告と勘違いして、アーケードゲームを再現した戦いを仕掛けてくる。その攻撃もステージに分かれているというゲーム仕様。オープニング、エンディングのクレジットもドット文字、ドット絵になっていて、映画全体が遊び心に溢れている。  ビデオゲーム好きには応えられないノスタルジックな徹底ぶりだが、ボイジャー計画や1982年頃のビデオゲームを知らないと、十分に楽しめないかもしれない。
 主人公のもう一人の変人の仲間、大会で1位となり今は刑務所暮らしのライバルとともに、軍隊も叶わぬインベーダーをかつてのゲームテクニックで撃退するが、『ギャラガ』『パックマン』『ドンキーコング』のアーケードゲームが現実の街中で展開されるバカバカしさが楽しい。
 字幕に出てくるゲームなどのオタクは、作品中ではnerd。video game nerdのための、肩の凝らない娯楽作で、映像的にもよくできている。迫力ならスクリーン、ビデオゲーム感覚を楽しむならDVD、ブルーレイか。 (評価:2.5)

製作国:ハンガリー
日本公開:2016年1月23日
監督:ネメシュ・ラースロー 製作:ライナ・ガーボル、シポシュ・ガーボル 脚本:ネメシュ・ラースロー、クララ・ロワイエ 撮影:エルデーイ・マーチャーシュ 音楽:メリシュ・ラースロー
キネマ旬報:6位
アカデミー外国語映画賞

カメラがサウル自身の意識となっている
 原題"Saul fia"で、邦題の意。
 アウシュビッツで死体処理係をしている囚人サウルが、ガス室で息子を発見し、ユダヤの葬儀に則って埋葬しようとする1日半の物語。収容所内ではゾンダーコマンドと呼ばれる労務を行う囚人たちが脱走を企て、サウルもまたその計画の一員となるが、収容所に送られてくる人たちからラビを探すために、息子の葬送に心を奪われてしまう。脱走は辛くも成功、というところで悲劇的なラストを迎える。
 本作は、数カ月生き延びるためにナチの下で同朋の死体処理に協力したユダヤ人の葛藤を描くという点では、今までのホロコースト物にはない視点を与えてくれる。
 彼らは家畜の如くこき使われるが、サウルにカメラが固定され、ほぼ主観視点で描かれることによって、サウルが目にする収容所内の出来事と様子が生々しく伝わってくる。画面の大部分をサウルの頭部が占め、ホロコーストの様子はピントの合わないぼやけた映像でしか示されないが、むしろ目の前だけを見て、そこで起きている出来事に関心を向けないように意識するサウル同様、限られた情報がより想像を広げることになる。
 長回しも多く、イニャリトゥの『バードマン』(2014)とよく似た演出法に映るが、カメラがサウル自身の意識となっているという点で似て非なるもので、ゾンダーコマンドの主人公の物語としては成功している。
 ただ、強制収容所の一つの現実と、極限状況下に置いても子どもへの愛は不変という以外に本作に何かがあるかといえば特にない。
 収容所内の出来事についての説明はなく、断片的な映像と効果音でしか描かれないので、ホロコーストについてのある程度の知識がないとわかりにくいかもしれない。 (評価:2.5)

エクス・マキナ

製作国:イギリス
日本公開:2016年6月11日
監督:アレックス・ガーランド 製作:アンドリュー・マクドナルド、アロン・ライヒ 脚本:アレックス・ガーランド 撮影:ロブ・ハーディ 音楽:ベン・ソーリズブリー、ジェフ・バーロウ

女性型ヒューマノイドを写し絵に描く「人間とは何か」
 原題"Ex Machina"は、ラテン語で「機械によって」の意。
 IT企業のプログラマの青年(アリシア・ヴィキャンデル)が、山奥で隠遁生活を送る社長(オスカー・アイザック)の別荘に1週間の期限付きで招かれるというお話。別荘で社長はAIの研究をしていて、呼ばれた理由は女性型ヒューマノイド・エイヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)が人間と同じ知能をもつかどうかを判定するチューリングテストをするというもの。
 社長と青年との判定方法に関するやりとりは比較的ややこしいので、それに気を奪われていると楽しめない。むしろ、社長・青年・エイヴァの3人の駆け引きがストーリー的な見どころで、青年はエイヴァに恋し、試作機としてやがては廃棄される運命のエイヴァを連れて逃げようと考える。
 社長はテストの第一段階として青年がエイヴァに恋するように仕向け、第二段階としてエイヴァが青年を脱出の手段に用いるかどうかを見る。
 ここでエイヴァが二人に対しどう振る舞うかが見どころで、ネタばらしをすれば二人を騙して、人に成りすましてニューヨークの街角に立つところで終わる。
 AIが人間と同じ知能を持つかどうかがストーリー上のテーマになっているが、作品上のテーマは別のところにあって、AIが人間と同じになるということはどういうことか、裏を返せば人間とは何かということで、エイヴァを写し絵として描かれるのは、目的のためには手段を択ばない利己的で偽善的で無慈悲な人間の姿で、しかし究極的には誰からも束縛されない自由な存在ということになる。
 もっとも、そのテーマがきちんと伝わるかどうかは心許なく、設定やドンデン返しに目を奪われるかもしれない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2015年10月23日
監督:M・ナイト・シャマラン 製作:ジェイソン・ブラム、マーク・ビエンストック、M・ナイト・シャマラン 脚本:M・ナイト・シャマラン 撮影:マリス・アルベルチ 音楽:スーザン・ジェイコブス

孫を迎える祖母に四つん這いババアのような異形の怖さ
 原題"The Visit"で、滞在の意。
 初めて会う祖父母の家に滞在することになった姉弟が体験する、恐怖の1週間の物語。
 二人が生まれる前、母(キャスリン・ハーン)は家を飛び出して駆け落ちしたという設定で、家を飛び出したその理由を探ろうというのが姉(オリビア・デヨング)の意図。映画好きの彼女はそれをドキュメンタリー映画にしようとする。
 従って、本作は彼女が制作したドキュメンタリー映画という形式を採っていて、監督の彼女とB班カメラマンの弟(エド・オクセンボールド)のカメラ目を通してストーリーが進むことで臨場感を演出する。
 端からホラー映画とわかっているので、二人のカメラの見た目によって視野が制限され、突然何が飛び出すかという緊張感で見続けることになる。
 往々にしてこの手のホラーは失敗に終わることが多いが、そこはシャマランだけにシナリオと演出が上手い。
 祖父母が精神病らしいということが次第にわかってくるが、とりわけ祖母(ディアナ・デュナガン)の行動が予測不能で、四つん這いババアのような異形の怖さがある。
 最終日に老若対決があって、弟が精神的な緊張感から動けなくなるシーンがある。伏線としてアメフトの試合の決定的瞬間に動けなくなってしまったという回顧談があるが、突然すぎてこの伏線になかなか気づけないのが難。
 祖父(ピーター・マクロビー)に怖さが足りなく、大団円のラストももうひと捻りほしかった。 (評価:2.5)

ブラック・スキャンダル

製作国:アメリカ
日本公開:2016年1月30日
監督:スコット・クーパー 製作:スコット・クーパー、ジョン・レッシャー、ブライアン・オリバー、パトリック・マコーミック、タイラー・トンプソン 脚本:マーク・マルーク、ジェズ・バターワース 撮影:マサノブ・タカヤナギ 美術:ステファニア・セッラ 音楽:トム・ホルケンボルフ

真に迫るジョニー・デップの狂犬ぶりが見どころか
 原題は"Black Mass"で、悪魔崇拝の儀式、黒ミサのこと。ディック・レイアとジェラード・オニールのノンフィクション"Black Mass: The True Story of an Unholy Alliance Between the FBI and the Irish Mob"(黒ミサ:FBIとアイルランド・ギャングの癒着の実話)が原作。
 ジェームズ・ジョセフ・バルジャーがボストンで勢力を伸ばし、指名手配されて逃亡し捕まるまでの1975年から2011年までの軌跡を描くが、邦題は馬から落馬する感じ。
 バルジャーは幼馴染のFBI捜査官の情報提供者となって、仇敵のイタリアマフィアを駆逐し、マイアミにまで手を伸ばしてボストン・ギャングとして勢力を伸ばしていくが、新任検事によって汚職捜査官もろともに成敗される。
 映画のほとんどは、悪逆非道の限りを尽くすバルジャーの非人間ぶりで、演じるジョニー・デップの冷酷ぶりが真に迫り、アンソニー・ホプキンスのレクター教授のようなサイコ的怖さがある。見どころは、裏切り者を容赦なく殺していくシーンの連続にあるが、それだけというところもあって、『仁義の墓場』(1975)のような狂犬的ヤクザ映画を見ている感じがする。
 冷酷さでは劣らない『ゴッドファーザー』にある、生きていく悲しみのようなものが希薄で、共犯のフレンミが捜査官に人物像を聴かれて「完全な犯罪者」(Strictly criminal)と答えるように、犯罪者としては一級でもただの狂犬のドラマでしかない。
 ベネディクト・カンバーバッチが良い子の弟の州上院議員を演じるが、メイクにも気合入った怪演を見せるジョニー・デップの狂犬ぶりに比べると、やや影が薄いイギリス紳士風な演技。政治家もギャングも紙一重という話にはなってなく、キャラクター的にも中途半端な演技になっている。 (評価:2.5)

コードネーム U.N.C.L.E.

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2015年11月14日
監督:ガイ・リッチー 製作:ジョン・デイヴィス、スティーヴ・クラーク=ホール、ライオネル・ウィグラム、ガイ・リッチー 脚本:ガイ・リッチー、ライオネル・ウィグラム 撮影:ジョン・マシソン 音楽:ダニエル・ペンバートン

帰ってきたナポレオン・ソロ。映像は迫力十分だがドラマは希薄
 原題は"The Man from U.N.C.L.E."で、U.N.C.L.E.から来た男。1964年からTVで放送された『0011ナポレオン・ソロ』(The Man from U.N.C.L.E.)の映画化。
 U.N.C.L.E.はUnited Network Command for Law and Enforcementの略で、国際的なスパイ機関という設定だが、映画はU.N.C.L.E.の誕生秘話になっている。
 女に弱いナポレオン・ソロとクールで中性的なイリヤ・クリヤキンというTVの設定は踏まえているものの、ロバート・ヴォーンが演じたニヤケ顔で洒脱・軽妙なソロに比べると、ヘンリー・カヴィルのソロはハンサムなだけで物足りない。アーミー・ハマーのイリヤも、ターミネーター的な大男すぎて、デヴィッド・マッカラムの優男とはだいぶイメージが違う。
 1960年代を舞台に、CIAのソロとKGBのイリヤが手を組み、国際犯罪企業がナチ残党に核兵器を売り渡すのを阻止する。この2人にイギリスの女スパイが絡むというストーリーで、女が曲者であることは最初にわかってしまう常道的な設定。
 見せ場のほとんどはCG合成を使ったアクションで、迫力のある映像を見せてくれる。とりわけ、国際犯罪企業の研究所でのカーチェイスを俯瞰で急ズームイン・急ズームアウトするカット割りと編集はなかなかの演出だが、多用しすぎていて目が疲れる。
 東ベルリンの街並みとカーチェイスも素晴らしく、アクションだけを取ればガイ・リッチーに拍手なのだが、いかんせんドラマが薄くて途中で飽きる。
 二人と行動を共にするドイツの原爆博士の娘ギャビーを演じるアリシア・ヴィカンダーがなかなか可愛いスウェーデン美女で、シリーズ化されるならレギュラーになってほしい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:クリストファー・ランドン 製作:トッド・ガーナー、アンディ・フィックマン 脚本:キャリー・エヴァンズ、エミ・モチズキ、クリストファー・ランドン 撮影:ブランドン・トゥロスト 音楽:マシュー・マージェソン

野暮ったいボーイスカウト技とゾンビとのギャップが見所
 原題" Scouts Guide to the Zombie Apocalypse"で、ゾンビ黙示録のためのボーイスカウト・ガイドの意。
 研究用ゾンビが町に拡散。ボーイスカウトの高校生3人と中退の美少女がゾンビと戦うというホラーコメディで、普段はダサいと蔑まれている3人が、ボーイスカウトで習得したサバイバル技術を駆使して脱出に成功するというのがミソ。原題のゾンビ黙示録を生き抜く技を披露する。
 主人公のベン(タイ・シェリダン)が親友のカーター(ローガン・ミラー)の姉に密かに恋していて、最後にダンスパーティー会場にいる彼女を無事救出して恋を成就させるというサイドストーリーがつく。しかし魅力的なのは肝っ玉姐ちゃんの中退美少女デニース(セーラ・デュモント)の方で、ボーイスカウト命のダサいオギー(ジョーイ・モーガン)ともども個性的な役回りで楽しい。
 見どころは、『ゴーストバスターズ』(1984)よろしく3人が繰り出すボーイスカウト技で、野暮ったさとゾンビとのギャップが面白い。ギャグも冴えていて、追い詰められたベンがゾンビのペニスを握って窓からぶら下がるシーンがおかしい。
 ダサかったはずのボーイスカウトが、ゾンビ黙示録のサバイバルではヒーローになるという、甘酸っぱい懐かしの青春映画となっている。 (評価:2.5)

ロブスター

製作国:アイルランド、イギリス、ギリシャ、フランス、オランダ、アメリカ
日本公開:2016年3月5日
監督:ヨルゴス・ランティモス 製作:エド・ギニー、リー・マジデイ、セシ・デンプシー、ヨルゴス・ランティモス 脚本:ヨルゴス・ランティモス、エフティミス・フィリップ 撮影:ティミオス・バカタキス 美術:ジャクリーン・エイブラムス

海老のように腰が曲がるまで番う仲ということか?
 原題"The Lobster"。劇中、主人公が転生を望む生き物で、高貴で100年も寿命と生殖能力があるからと答える。
 人は必ず配偶者を得て子孫を残さなければならないという空想世界が舞台のSF映画だが、設定が奇想天外なので物語の出来とは別についその世界観に引き込まれてしまう。
 主人公の腹の出た中年男デヴィッド (コリン・ファレル)は妻に逃げられ、配偶者を見つけるまで45日間猶予されたホテルに収容される。
 45日以内に配偶者を見つけられないと動物に転生させられてしまうため、収容者たちは必死に相手を見つけようとするが、その後も保護観察期間があって、相性が悪いと判断されると引き離されてしまう。
 デヴィッドもなんとか相手を見つけるが、連れていた犬になった兄を殺されたことから、近眼の女性職員(レイチェル・ワイズ)の協力を得て相手の女に復讐、施設から逃亡する。
 逃亡した先が独身者のレジスタンスが集まる森で、施設の収容者たちは日々、レジスタンス狩りに狩り出されている。
 近眼の女性職員はレジスタンスのスパイで、デヴィッドに恋したことから協力。デヴィッドも彼女に恋してしまい、2人はレジスタンスのタブーを破ることになる。
 2人の背信を知ったレジスタンスのリーダー(レア・セドゥ)は近眼の女の目を潰す。
 ラストは森から逃げた2人がダイナーで注文を待つ間、男がトイレに行って自分の目を潰そうとするシーンで終わる。近眼という2人の共通点がなくなり、失明により再び共通点を取り戻そうとするが、恋の成就という点では谷崎潤一郎の『春琴抄』に似ている。
 世界観的には少子化がテーマのようでいて、物語的には番(つが)うことの意味がテーマのようでもあり、結局よくわからない。
 タイトルから意味を汲み取れば、お前百までわしゃ九十九まで、海老のように腰が曲がるまで番う仲になりましょうということか?  (評価:2.5)

人生はトランペット

no image
製作国:クロアチア、スロヴェニア、セルビア、モンテネグロ、イギリス
日本公開:2019年6月20日
監督:アントニオ・ヌイチ 脚本:アントニオ・ヌイチ 撮影:Radislav Jovanov 美術:Nedjeljko Mikac 音楽:Hrvoje Stefotic 

腐った一家のハッピーエンドを描くホームドラマ
 原題"Život je truba"で、邦題の意。
 クロアチアの首都ザグレブで食肉会社を営む裕福な一家が舞台。パパがCEO、ママがCFO、長男が部長の同族会社で、次男はバンドのトランペット奏者だが高等遊民。生活費はパパの世話になっているのに結婚することになり、費用はパパ持ち、財産分与まで受けるという、日本なら百年前の話。
 ところが長男がギャンブルで会社の金を使い込み、パパの隠し子騒動が持ち上がって、キレたママは次男の家に別居。その次男の嫁は妊娠、次男はミュージシャンらしくドラッグと、一家は腐り放題。
 次男が持参金を兄に貸し、父の身の潔白が証明されて万事丸く収まり、雨降って地固まるという物語だが、これでメデタシ、メデタシとはあまりに庶民を舐めたホームドラマ。腐った一家が腐ったままのハッピーエンドでは、何を描きたかったのかさっぱりわからない。
 小津映画とは程遠い欲と打算で結びついた家族の姿を見せられて、これがハートウォーミングといわれても、腹立たしいだけで何も心に訴えない。
 ラストは初のライブに臨む次男がラッパをひと吹きして終わるが、「人生はトランペット」というのもトランペットを吹いたことのない者には意味不明。
 結婚式披露宴から暗転して数か月後の妊娠へのタイムトリップや、自転車に固定したカメラでの撮影など、映像的には面白いシーンもある。 (評価:2.5)

オデッセイ

製作国:アメリカ
日本公開:2016年2月5日
監督:リドリー・スコット 製作:サイモン・キンバーグ、リドリー・スコット、マイケル・シェイファー、アディッティア・スード、マーク・ハッファム 脚本:ドリュー・ゴダード 撮影:ダリウス・ウォルスキー 音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

延々と撮り続けるビデオは、いったい何のためだったのか?
 原題"The Martian"で、火星人。アンディ・ウィアーの同名小説が原作。邦題はホメロスの叙事詩名で、長期の冒険旅行を意味するが、2001年にNASAが打ち上げた火星探査機マーズ・オデッセイに由来するのかもしれない。
 NASAの火星探査機アレス3が砂嵐に巻き込まれ、逃げ遅れた植物学者ワトニー(マット・デイモン)が折れたアンテナに直撃されて、飛ばされてしまう。死んだとばかり思った飛行士たちは命からがら火星を脱出し、地球への帰路につく。
 ところがワトニーは生きていて、基地に残されたジャガイモを種にして畑を作り、水素から水を作り、人糞で有機栽培を始める。NASAとの通信にも成功し、後は救出を待つばかりとなるが、お約束のアクシデントが次々と襲ってハラハラドキドキ。最後は地球からの救出が絶望的になり、ワトニーが生きていることを知った帰還中のアレス3がUターンしてワトニーの救出に向かうという、だったら最初からそうすればいいのにという遠回りなシナリオ。
 NASAの責任者が保身的なダメ上司ぶりを発揮するというのもお約束で、つい設定の似ている『アポロ13』と比較しながら観てしまうが、実話のリアリティがない上に、今更有人探査という中途半端さで、AIも登場せず、科学設定的にも20世紀のSFを見せられている感もあって、2015年の映画には見えない。
 ワトニーの救出劇が世界に中継されていて、全人類が固唾を飲むというのも、いまさらアポロ11の月面着陸でもないという、化石的な臨場感に違和感ありあり。
 救出のために中国が宇宙ロケットを提供するという設定に、昔だったらソ連だと、ロシアの地位低下と中国の映画市場を意識した宣伝プロモーションを感じつつも、中国がそんな協力をするわけがないと、リドリー・スコットの商魂と楽観主義的な国際感覚に白けてしまい、ラストシーンにも喝采を上げられない。
 物語の基本は『ロビンソン・クルーソー』なのだが、独りぼっちとなったワトニーがビデオで記録を撮り続けるシーンが繰り返されるため、最後にアンハッピーな結末を予想するのだが、そうはならずに予定調和的なラストシーンとなる。延々と撮り続けたビデオは、ストーリーに活かされることもなく、いったい何のためだったのだろう? (評価:2.5)

シンデレラ

製作国:アメリカ
日本公開:2015年4月25日
監督:ケネス・ブラナー 製作:サイモン・キンバーグ、アリソン・シェアマー、デヴィッド・バロン 脚本:クリス・ワイツ 撮影:ハリス・ザンバーラウコス 美術:ダンテ・フェレッティ 音楽:パトリック・ドイル

シンデレラが可愛ければガラスの靴は不要という大胆
 原題"Cinderella"で、灰かぶり姫の意。劇中では灰かぶりのエラと呼ばれている。シャルル・ペローの童話"Cendrillon"を原作にした同名のミュージカル・アニメーション映画(1950)の実写リメイク。
 物語の流れはアニメ版を踏襲しながらも、エンタテイメントに寄った大胆な改変が行われているため、随所で辻褄が合わなくなっている。その最大の改変が、舞踏会前にシンデレラと王子が出会っていて王子がシンデレラの顔を知っているというもので、つまりガラスの靴は不要なのだが、それでは『シンデレラ』にならないということで、意味のないガラスの靴でのシンデレラ探しをするという間抜けな話になっている。
 12時に魔法が切れるのは誰でも知っているお約束ということか、魔女から説明がないのも大胆。要は誰でも知っているのを前提に、思いっきりエンタテイメントなメルヘンにしている。
 映像も煌びやかで、小国だというのに王城はほとんどベルサイユ宮殿。シンデレラの乗る馬車が12時とともにカボチャに戻っていくシークエンスが見せ場。動物たちのCGも良くできている。
 シナリオ的には無茶苦茶で、凡作と言っていいくらいに話はつまらないが、シンデレラの可愛らしさで1時間40分を見せてしまうという、リリー・ジェームズの起用で最後まで見ることのできる作品。
 ケイト・ブランシェットも意地悪な継母を存分に楽しんでいる演技。王子役のリチャード・マッデンもイケメンには遠く、リリー・ジェームズの引き立て役に徹しているのもマル。魔女とナレーションにヘレナ・ボナム=カーター。
 王子の護衛隊長が黒人のノンソー・アノジーは、ディズニーらしい人種的配慮。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2016年2月11日
監督:トッド・ヘインズ 製作:エリザベス・カールセン、スティーヴン・ウーリー、クリスティーン・ヴェイコン 脚本:フィリス・ナジー 撮影:エド・ラックマン 音楽:カーター・バーウェル
キネマ旬報:2位

文芸の香り高きレズビアン版ハーレクインロマンス
 原題"Carol"で主人公の一方の名。
 パトリシア・ハイスミスの自伝的小説"The Price of Salt"(塩味の代償)が原作。
 夫と離婚調停中の人妻キャロルが若いデパート店員を誘惑し、不倫関係となるものの、それが原因で子供の親権を失い、不倫関係が終わるが、二人の思いは断ちがたく、焼け歿杭に火がつくという物語・・・と書けば、よくある昼メロドラマだが、人妻がバイセクシュアルでデパート店員が女というのが本作のミソ。
 ミソの部分を除けば、よくできたハーレクインロマンスでしかなく、それが本作のすべてとなっている。
 調停で争う人妻キャロルが、すべての事実を認めた上で、自分のためではなく子供のために面会権を認めてほしいと訴えるのが見せ場で、もう一つの見せ場であるはずのレズシーンは、店員テレーズを演じるルーニー・マーラはともかく、人妻がケイト・ブランシェットでは今ひとつ絵にならない。
 もっとも、30歳のルーニー・マーラは少女のように可愛く、ボブカットを含めて『ローマの休日』のヘプバーンを思い出させる。ケイト・ブランシェットはバイセクシュアルの火遊び好きな有閑マダムを貫禄で演じ、この二人が本作の唯一の見どころとなっている。
 ただテレーズがなぜキャロルを好きになったかが不明で、もともとレズビアンの素質があっての一目惚れか、ハイソな人妻に魅かれて愛人にしてもらいたくなった、で納得するしかない。
 文芸の香り高きレズビアン版ハーレクインロマンス。 (評価:2)

製作国:台湾
日本公開:2015年9月12日
監督:ホウ・シャオシェン 脚本:チュー・ティエンウェン 撮影:リー・ピンビン 音楽:リン・チャン
キネマ旬報:5位

京劇を見ているようで、劇映画と考えなければ芸術性は高い
 原題"刺客 聶隱娘"で、「暗殺者 聶隱娘」の意。聶隱娘(ニエ・インニャン)は主人公の名。
 唐の時代、かつて政略によって許嫁と破談になり、道士である婚約者の養母の姉に預けられた娘が、刺客としての修行を積んで、魏博(ウェイボー)の節度使となった元婚約者の暗殺命令を受けて故郷の両親の家に戻ってくるという武侠物語。
 いわば女必殺仕掛人の聶隱娘のカッコよさが売りの作品だが、演じるスー・チー(舒淇)の美人度が今ひとつなのがやや残念。それでも刺客ぶりはそれなりで、他のシーンが冗長でかったるいのに対し、スー・チーのシーンだけは緊張感があって目が覚める。
 セットや美術・衣装はなかなかよくできていて、映像的にも様式美がすばらしい。舞のシーンも京劇を見ているような古典芸能さがあって、劇映画と考えなければ芸術性は高い。
 京劇の様式美か、暗殺者の隱娘が節度使の家に忍び込むシーンも、明らかに「バレているだろう」という公明正大さで、観客席から見た舞台劇の趣がある。殺陣にしても、京劇の様式美に則っていて、アクションシーン以外での人物の動きは亀のように鈍く、これも舞台的な間合いが集中力を削いで眠気を誘う。
 これにホウ・シャオシェンらしい淡々さが加わると、アクション・エンタテイメントのテンポも緊迫感も失われて、説明不足なストーリーは暗殺の動機も叔父の左遷の理由もよくわからないまま粗筋程度の意味しかなさない。
 ラストは道士の師に、情に流されて暗殺をしくじったと叱られ、だって好きだった男を殺せるわけないじゃないのと去る。
 物語は古典芸能的に平板かつ定型的で、スー・チーと映像以外に見どころはないが、日本向けに妻夫木聡と忽那汐里が出ている。 (評価:2)

さざなみ

製作国:イギリス
日本公開:2016年4月9日
監督:アンドリュー・ヘイ 製作:トリスタン・ゴリハー 脚本:アンドリュー・ヘイ 撮影:ロル・クロウリー 美術:サラ・フェンレイ

老爺と老婆による今更な『ロミオとジュリエット』
 原題"45 Yesrs"。デヴィッド・コンスタンティンの短編"In Another Country" が原作。
 結婚45周年パーティーを迎えようとしている老年夫婦に起きる「さざ波」を描く。そのさざ波というのが、夫(トム・コートネイ)への50年前にスイスの雪山で遭難した女の氷結死体が見つかったという警察からの連絡で、妻が50年前の夫の恋人に嫉妬するというのが大筋。
 この娘のようにロマンチックな老婆をシャーロット・ランプリングが演じるので、なんとなく見れてしまうが、50年も前の夫の恋人に今更嫉妬する年齢でもあるまいにというのが率直な感想。ラストのパーティでの、50年前の氷結死体への思いよりも、45年間の妻との愛の方が大事と落涙する老爺の予定調和な挨拶も、ロマンチックすぎて引いてしまう。
 50年前の雪山遭難にはもう一人男が絡んでいて、登山中に夫の恋人と仲良くなったというエピソードから、さてはクレパスに突き落としたのではないか? それとも犯人はもう一人の男? とミステリーを期待してしまうのだが、そうならないのが何とも肩透かしで、楽しみにしていた氷結死体も見られないとあっては、老爺と老婆による今更ながらの『ロミオとジュリエット』に少々閉口してしまう。 (評価:2)

クリード チャンプを継ぐ男

製作国:アメリカ
日本公開:2015年12月23日
監督:ライアン・クーグラー 製作:ロバート・チャートフ、アーウィン・ウィンクラー、チャールズ・ウィンクラー、ウィリアム・チャートフ、デヴィッド・ウィンクラー、ケヴィン・キング=テンプルトン、シルヴェスター・スタローン 脚本:ライアン・クーグラー、アーロン・コヴィントン 撮影:マリス・アルベルチ 音楽:ルートヴィッヒ・ヨーランソン

オールドファン向けで、ストーリーも映像も音楽も新鮮味がない
 原題"Creed"で、信念の意。
 ロッキー・シリーズ最終作『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)から9年後の制作で、スタローン69歳。さすがにロッキーが主役ではなく、アポロの隠し子が世界チャンプに挑む話になっている。
 小さい頃に母を亡くし、アポロの本妻に引き取られた隠し子は、ホワイトカラーとなっていたが、突然、父から受け継いだ血が騒ぎだして、ボクサーを目指す。
 フィラデルフィアに行ってロッキーにトレーナーを申し込むが、当初、引き受けを渋っていたロッキーが、彼の才能と本気度を知ってコーチを引き受け、世界チャンプに挑戦させるまでの物語。ラストは僅差の敗北で、続編ができるようになっているのが、本作を作ってしまったスタローンの往生際が悪さを表わしている。
 そもそもアポロの息子が少年ならともかく、エリート・サラリーマンになってからボクサーを目指すという設定がどうにも不自然で、なぜボクサーを目指すのかも、DNAで簡単に片づけられていてよくわからない。アポロ譲りの才能をロッキーが見出すというのも、説得力のあるエピソードがなく、段取りを踏んでいるだけにしか見えない。
 途中ストップモーションが入って、テレビ風にボクサーの紹介パネルになるのが、一昔前のかっこつけで、いかにも古めかしい。映画の流れそのものを止めてしまって、かえって逆効果になっている。
 音楽もこれまでの『ロッキー』のミュージック・フリップ風で古めかしく、オールドファン向けにはいいかもしれないが、ストーリー的にも映像的にも音楽的にも新鮮味がなく、盛りの過ぎたスターが、昔の名前で出ています風なのが寂しい。 (評価:2)

ターミネーター:新起動 ジェニシス

製作国:アメリカ
日本公開:2015年7月10日
監督:アラン・テイラー 製作:デヴィッド・エリソン デイナ・ゴールドバーグ 脚本:レータ・カログリディス、パトリック・ルシエ 撮影:クレイマー・モーゲンソー 音楽:ローン・バルフェ

ファンサービス満点でホイップクリームたっぷりのデザート感覚
 原題は"Terminator Genisys"で、Genisysは人工知能スカイネットのプロトタイプの名称。スカイネットによる天地創造、創世記(Genesis)に引っかけている。前4作の続編。
 物語は第1作をなぞる形で2029年から始まり、リメイクかと思わせるが、T-800・モデル101を追って1984年に飛んだカイル・リースが、popsと呼ばれるガーディアン/T-800と出会い、話は新たな時間軸によるパラレル・ワールドに分岐する。T-1000も警官姿で登場して、第2作もどきの懐かしいシーンもあり、あのシーン、このシーンで、前4作のファンの懐古趣味を満足させる。
 映像的に進化したCGが派手派手しいアクションを連発して迫力満点だが、CGに頼り過ぎの面もあって評価の割れるところ。第1作のT-800・モデル101は、当時のシュワちゃんの顔をデジタル合成したということだが、若干違和感が残る。
 パラレル・ワールドのため、幾分設定が変わり、2017年にタイムトラベルしたカイル、サラは生体組織だけが老化したpopsと再会する。皮膚は老化しても髪は白髪になるのだろうかという疑問を持ちつつも、1997年から2017年に審判の日が変わったパラレル・ワールドでジェニシス起動を阻止するために、3人が立ち向かう。
 未来からジョン・コナーも参加して、T-3000、 T-5000も新登場。最後は倒れたかに見えたpopsを含めたハッピーエンドで、ファンには嬉しいターミネーター復活フェスタといった趣の、至れり尽くせりのファン感謝サービス。
 もっとも、シリアスで本格的SFとしてのターミネーターを求めるファンには、大甘のホイップクリームたっぷりのデザート感覚に食い足りなさも残る。
 T-1000にイ・ビョンホン、T-5000にマット・スミスも見どころ。サラ役のエミリア・クラークが157cmと小柄で可愛い。 (評価:2)

ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ

製作国:イギリス
日本公開:2016年10月14日
監督:マイケル・グランデージ 製作:ジェームズ・ビアマン、マイケル・グランデージ、ジョン・ローガン 脚本:ジョン・ローガン 撮影:ベン・デイヴィス 音楽:アダム・コーク

天才作家ぶりが描けないために名編集者ぶりも描けず
 原題"Genius"で天才、才能の意。A・スコット・バーグの"Max Perkins: Editor of Genius"(マックス・パーキンズ:天才的編集者)が原作。
 20世紀前半、『老人の海』『華麗なるギャツビー』などを手掛けた編集者マックス・パーキンズが、無名の小説家トーマス・ウルフを人気作家として世に送り出す物語。
 パーキンズにコリン・ファース、ウルフをジュード・ロウを演じ、この二人がドラマの中心を占め、これにウルフの恋人(ニコール・キッドマン)が絡む。
 原作に従えばgeniusはウルフではなくパーキンズの方で、本作もパーキンズが主人公のはずだが、ウルフとの関係を中心に描いたためと、ジュード・ロウの熱演もあって、誰の話なのかどっちつかずになっている。
 パーキンズが名編集者であることを描くためには、ウルフの小説が秀でていることが必要条件となるが、肝腎のウルフ自身と彼の小説が知られてなく、それを補うための朗読される文章がこれまた修辞的で少しも名文ではないため、甚だしく説得力に欠ける。
 それを補うためにパーキンズのカリスマ性を出そうとするが、編集者をどのように描いても地味な黒子であることに変わりはなく、むしろ不自然なほどの仕事人間ぶりが芝居がかっていて、いささかリアリティを欠く。
 パーキンズに嫉妬するほど、恋人がウルフの才能に惚れこんでいるというのも、その才能ぶりが伝わらないために説得力がなく、パーキンズが家庭を顧みずにウルフに入れ込むのもまた同じ。
 天才作家ぶりが最後まで描けないために名編集者ぶりも描けず、むしろ編集者の堅実な仕事をリアルに徹底的に地味に描いた方がよかったのではないか。
 劇中、釣りをしているヘミングウェイ(ドミニク・ウェスト)や、妻の病気に苦しむフィッツジェラルド(ガイ・ピアース)も登場するが、こちらも中途半端で、パーキンズとウルフの人物描写を描くには全く役立っていない。あるいはこの二人を活躍させて、才能に溺れて行き詰っていく作家の悲哀を冷徹に描いた方が、作品としては芯の通ったものになったかもしれない。
 実力派俳優陣もあってそこそこドラマにはなっているが、山もなくオチもないという寂しい作品になっている。 (評価:2)

007 スペクター

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2015年12月4日
監督:サム・メンデス 製作:マイケル・G・ウィルソン、バーバラ・ブロッコリ 脚本:ジョン・ローガン、ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ジェズ・バターワース 撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ 音楽:トーマス・ニューマン

ボンドはついにオバン好みかと、背中に寒気が走る
 原題"Spectre"で、シリーズ第2作『007 危機一発』に登場した国際犯罪組織の名前。
 ダニエル・クレイグのボンド4作目で、これが出演最後というフィナーレ感に溢れているが、どこか総花的で、映画としては前三作のようにピシッと芯の通ったところがない。
 ダブルOセクション廃止という黄昏感が漂い、MI6そのものが統廃合の対象となっているというスパイ映画の終末設定で、冷戦が終わってスパイ映画が成立しなくなったと制作者自らがカミングアウトしてしまっている。
 実際、敵はソ連などの仮想敵国ではなく情報部内部という前作『007 スカイフォール』の内向き志向が本作でもモチーフとなっていて、懐かしのスペクターが登場しても、今さら「世界征服を企む犯罪組織」もないだろうと、もともと絵空事の007がますます陳腐な話になる。
 ストーリー的には前作『007 スカイフォール』の続きとなっているが、メキシコで派手にやらかしたボンドが停職となって殺しのライセンスを奪われ、MI6が手足をもがれた中で、それでも情報部の目を逃れてスペクターと戦う。
 あとは昔ながらの007のやりたい放題で、ショーン・コネリーばりに女は口説くはすぐベッドに入るわと、ダニエル・クレイグ版らしからぬ無鉄砲でコミカルなボンドぶりで、アストンマーチンの懐かしき秘密兵器や過去作品のオマージュもあって、華々しいグランド・フィナーレとなる。
 冒頭は『バードマン』を真似っこしたワンショットが続いて多少期待を持たせるが、それからはCGを使い過ぎてのアクションシーンにやや興を削がれ、007よ、お前もCG頼みになってしまったのか! と嘆息するが、砂漠を走るモロッコ鉄道のシーンは実景の素晴らしさを再認識させる見どころ。
 前作のジュディ・デンチに続き、モニカ・ベルッチとのラブシーンでは、ダニエル・クレイグのボンドはついにオバン好みになったかと、一瞬背中に寒気が走るが、若いボンドガールも用意されていてレア・セドゥが可愛い。
 Cを演じる『SHERLOCK』モリアーティのアンドリュー・スコット、マニペニーのナオミ・ハリス、Mのレイフ・ファインズといった俳優陣が萎えた007を支える。 (評価:2)

バーフバリ 伝説誕生

製作国:インド
日本公開:2017年4月8日
監督:S・S・ラージャマウリ 脚本:S・S・ラージャマウリ 撮影:K・K・センティル・クマール 音楽:M・M・キーラヴァーニ

CGバリバリ過ぎて演出とアクションに飽きがくる
 原題"Baahubali: The Beginning"で、「バーフバリ:始まり」の意。バーフバリは、主人公とその父の名。
 『マハーバーラタ』などのインドの神話叙事詩を連想させる物語で、古代都市マヒシュマティ王国が舞台。王の後継争いから命を守るため、王太后が赤ん坊を救い出し、王国の下流の村の養父母によって育てられるという神話パターン。
 成人して天女?に導かれ、川を遡上して恋人を得、王国に帰って生母を救って王位を継ぐまでの話だが、叙事詩風に粗筋だけを追うのでテンポが早いというかシナリオは相当に雜で、ストーリーを理解するのが疲れる。
 おまけにインド映画なので途中に歌が入ったり踊りが入ったりで、バラエティ豊かというか音楽PVを見ている感じ。スローモーションありコマ落しありの編集に、『マトリックス』張りのブルースクリーン・アクション+CG合成、後半は『ナルニア国物語 ライオンと魔女』(2005)と同じイメージのCG大戦闘シーンが入る。
 冒頭、絵地図を川に沿って舐めて滝に至る導入がRPGゲーム風で、その後のストーリー展開と主人公のスーパー・アクションがゲーム風なのがインド神話叙事詩と言えども現代的。滝を上って落ちるシーンなど笑わせてくれるが、天女に導かれて滝を上るシークエンスのCGが、ファンタジックで本作最大の見どころ。
 もっとも全体にCGバリバリなのが却って興を削ぎ、次第に演出にもアクションにも飽きてくる。
 後半の父バーフバリについての回想で、野蛮な敵の族長と戦うシーンで、左下にCGAという表示が入るが、おそらくはCGアニメーション合成時の記号の消し忘れで、CGの使い過ぎが見て取れる。
 俳優の演技も今一つから三つくらい。 (評価:2)

製作国:イギリス、スペイン
日本公開:2017年1月28日
監督:スティーヴ・バーカー 製作:シャーロット・ウォールズ、ニック・ジロット、カール・リチャーズ 脚本:ポール・ガーステンバーガー 撮影:ロマン・オーシン 音楽:ザカリアス・M・デ・ラ・リバ

難民問題をテーマにしたゾンビ映画の新機軸
 原題"The Rezort"。リゾート(resort)の意で、zombie(ゾンビ)に引っかけて、sがzになっている。内容的には邦題がピッタシで、車両などに使われるリゾートのマークもZになっている。
 近未来、地球がゾンビウイルスに汚染され、20億人が犠牲となったゾンビとの戦争に人類は勝利を収めるが、孤島にゾンビの残党が発見され、民間会社がこれを徹底管理し、ゾンビ狩りを楽しめるリゾート地にしたという設定。
 父親が戦争の犠牲になったメラニー(ジェシカ・デ・ゴウ)がゾンビを倒すことでトラウマを癒しにやってくるという、よくわからない理屈ながら、フェンスで囲われたパーク内に車でツアーメンバーと狩猟に出るが、同乗したゾンビ人権団体のメンバーがリゾートの情報を盗もうとシステムにハッキングしたことからセキュリティが破られてパニックになる・・・と、ここまでは『ジュラシックパーク』(1993)と同じ。
 前半は既視感漂う凡作となっていて、ゾンビも人間の仲間ではないかという凡庸なヒューマニズムがテーマかと思いきや、メンバーが脱出口を探るうちに、リゾートの秘密がわかると俄然、難民問題をテーマにしたゾンビ映画の新機軸ということがわかる。
 かといってテーマを深堀りしているわけでもないので、B級であることに変わりはなく、新機軸だけが売り。ゾンビの足が速すぎるのが気になる。
 ラストがお約束のTo be continuedパターンであるのも、B級ホラーの期待を裏切らない。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2017年7月22日
監督:ロバート・エガース 製作:ジェイ・ヴァン・ホイ、ラース・クヌードセン、ジョディ・レドモンド、ダニエル・ベーカーマン、ホドリゴ・テイシェイラ 脚本:ロバート・エガース 撮影:ジェアリン・ブラシュケ 美術:クレイグ・レイスロップ 音楽:マーク・コーヴェン

宗教的にも民話的にも浅い雰囲気だけのホラー?映画
 原題"The Witch/A New-England Folktale"で、魔女/ニューイングランドの民話の意。
 1630年代、ニューイングランドが舞台の魔女にまつわる民話風ホラー…となれば、すぐに連想するのが同時期のセーレム魔女裁判で、濃密な内容を期待してしまうが、あまりに浅い。
 清教徒一家の父ウィリアム(ラルフ・アイネソン)は、教理解釈から教会と対立、家族を連れて村を出ることになる。荒地に農場を切り拓くものの生活は苦しく、長女のトマシン(アニャ・テイラー=ジョイ)が子守りをしていた赤ん坊が突如消え失せ、それをきっかけに家族の不和が始まる。
 次に長男が魔女に呪われて死亡。トマシンが魔女となったのではないかと疑われ、双子の弟妹、ウィリアムと次々に死んで、残った母(ケイト・ディッキー)に殺されそうになったトマシンは母を刺殺。
 家畜の山羊が悪魔の姿になり、不自由のない生活を約束してトマソンに契約を結ばせ、トマソンは森の中の魔女の一団に加わる。
 赤ん坊の消失を含めて描写が不自然で、ストーリーが粗いのが最大の欠点。暗い画面とカメラワークでホラー感を演出するが、それだけでは薄く、音楽で無理やり恐怖感を煽るというのがいただけない。
 洗礼を受けなかった赤ん坊が天国に行けるのか? という宗教的テーマも魔女の前では未消化で、そもそもこの一家がなぜ魔女の餌食となったのかが不明。
 いや、敬虔なキリスト教徒は悪魔の好物だというのなら、もう少し説明が欲しいところだが、宗教的にも民話的にも理解が浅く、雰囲気だけに終わっている。 (評価:2)

インサイド・ヘッド

製作国:アメリカ
日本公開:2015年7月18日
監督:ピート・ドクター 製作:ジョナス・リヴェラ 脚本:ピート・ドクター、メグ・レフォーヴ、ジョシュ・クーリー 音楽:マイケル・ジアッキノ

誰に向けた作品なのかが良くわからない
 原題"Inside Out"で、内側から外側にの意。
 主人公の女の子ライリーの行動を脳内の5つの感情が操作するという物語で、5つの感情が擬人化され、脳内にもう一つの世界が構築されていて、2015年に映画化された漫画『脳内ポイズンベリー』を連想させる作品となっている。ピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーション。
 ライリーは子供から大人への過渡期にある11歳の少女で、ミネソタ州の田舎町で伸び伸びと育ってきたが、お父さんの起業で大都会サンフランシスコのアパートに引っ越してくる。
 慣れない都会生活と思春期特有の反抗心で、脳内の5つの感情は大混乱となり、新しい学校も大好きなアイスホッケーも家族も嫌いになり、ミネソタの親友とも仲違いして遂には家出を決意。長距離バスに乗ったところでそれまでネガティブに働いていた悲しみの感情が冷静を取り戻させ、家に戻る決意をさせるという物語。
 5つの感情は脳内の司令塔でライリーを操っているが、思春期の感情が脳内世界を崩壊させ、エピソードを通して大人になることで新しい脳内世界を構築。司令塔の操作盤も一新され、子供から大人になる準備ができました、とビジュアル的にもわかりやすい演出となっている。
 脳内世界はアニメーション的だが、総じてアニメーションにする必要があったのかという疑問は残り、テーマともども誰に向けた作品なのかが良くわからない。
 5つの感情は、Joy(喜び)・Sadness(悲しみ)・Anger(怒り)・Fear(恐れ)・Disgust(嫌悪)で、JoyとSadnessが中心となって展開するが、喜びだけを求めるのは子供で、悲しみを理解して初めて大人になれるというのが結論という教育アニメ。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2016年7月30日
監督:レヴァン・ガブリアーゼ 製作:ティムール・ベクマンベトフ、ネルソン・グリーヴス 脚本:ネルソン・グリーヴス 撮影:アダム・シドマン

見終わればストーリーは陳腐でホラーの怖さもない
 原題“Unfriended”で、「友のない」の意。
 本作はSNSがテーマで、“friend”(友達リストに入れる)に対する”unfriend”(友達リストから削除する)というネット用語として、友達リストから削除されるの意味で使われる。
 カリフォルニア州フレズノの高校に通う仲良し5人組の男女がskypeで会話していると、突然不明のアカウントが割り込んでくる。
 そうこうしているうちに、それぞれのアカウントでFacebookやYouTubeなどに不適切動画や画像が投稿され、1年前に自殺したクラスメートのローラをみんなが苛めている動画が不明アカウントから投稿される。
 さてはローラの幽霊か?という中で、割り込みアカウントをunfriendしようにも削除できない。嫌がらせに憤慨して最初に警察に通報したプラス1の女の子が自殺し、男の子も死亡。
 ローラの幽霊は残りの4人に嘘がつけないゲームを仕掛け、4人が互いを裏切っているというunfriendedな事実を暴露させる。そうして嘘をつくと次々と死んでいって、最後にローラに嘘をついた少女が死んで、そして誰もいなくなった・・・
 終始SNSのモニター上で物語が進むのが新奇といえば新奇だが、誰でも思いつく発想といえば発想で、要はそれが効果的に活かせるかどうかが評価の分かれ目となる。
 SNSの特性上、一画面で全員が同時進行で会話するため、画面分割、会話、テキスト、動画・画像が目まぐるしく、少なくとも吹き替えでないと目が追いきれない。
 画面を追うのに忙しくて眠くなっている暇がないが、だから退屈ではないというわけでもなく、見終われば陳腐なストーリーでホラーとしての怖さもなく、だから何だったんだという感想が残る。 (評価:2)

光りの墓

製作国:タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア
日本公開:2016年3月26日
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン 製作:アピチャッポン・ウィーラセタクン、キース・グリフィス、サイモン・フィールド、シャルル・ドゥ・モー、ミヒャエル・ヴェバー、ハンス・W・ガイゼンドルファー 脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン 撮影:ディエゴ・ガルシア 美術:エーカラット・ホームラオー

メタファーだけのイリュージョンでは映画にならない
 原題"รักที่ขอนแก่น"で、コーンケンの愛の意。コーンケンは舞台となるタイ東北部の町の名。
 『ブンミおじさんの森』(2010)同様のスピリチュアルなファンタジーで、夢か現か幻かといったストーリーというか映像が展開するが、スピリチュアルな気持ちになれないと、どこからが夢でどこまでが現で、どこが幻なのか全くわからないカオスに意識が遠のき、それがスクリーンの映像なのかウトウトして見た夢なのか、定まらない境界を彷徨うことになる。
 コーンケンにある旧校舎が眠り病の兵士たちの病院となっていて、脚の悪い中年女性ジェンがイットという青年の世話を始める。病院には眠り男たちの魂と交信できるイタコのような若い娘ケンがいて、ジェンは校舎の建つ場所がはるか昔に王墓であり、兵士たちが霊に精気を奪われていることを知る。
 ジェンはイットの魂の憑依したケンとともに王宮の址を歩くが、これといったストーリーがあるわけでもなく、数々のメタファーのみが作品を構成するという、一般の観客を無視したつくりになっている。
 邦題を象徴するベッド脇の蛍光管は、監督によれば眠り病の治療器具らしいが、作品中での説明はない。作品の提示するイリュージョンがタイの政治的状況そのもので、眠り病がタイ国民の意識を象徴するとか、ショベルカーがタイのスピリチュアルな精神を破壊する軍事政権を暗喩するとか、意味を求めることもできようが、メタファーだけでは映画にならない。 (評価:1.5)

PAN ネバーランド、夢のはじまり

製作国:アメリカ
日本公開:2015年10月31日
監督:ジョー・ライト 製作:グレッグ・バーランティ、サラ・シェクター、ポール・ウェブスター 脚本:ジェイソン・フュークス 撮影:シーマス・マッガーヴェイ、ジョン・マシソン、美術:アリーヌ・ボネット 音楽:ジョン・パウエル

ファンタジーによりかかり過ぎた前日譚のための前日譚
 原題"Pan"で、劇中の説明によれば、ネバーランドの先住民の勇者(bravest warrior)のこと。ジェームス・マシュー・バリーの戯曲"Peter Pan; the Boy Who Wouldn't Grow Up"を原作とする、オリジナルの前日譚。
 バリーの『ピーターパン』の初演は1904年だが、本作の舞台は第二次大戦中となっていて、前日譚にも拘らずいきなりのオリジナリティを発揮する。
 ピーター(リーヴァイ・ミラー)が意地悪な院長の孤児院で育てられ、黒ひげ(ヒュー・ジャックマン)の空飛ぶ海賊船でネバーランドに連れ去られるが、実は妖精の王子と先住民の母の間に生まれた貴種=救世主だったことがわかるという使い古された設定で、ファンタジックでアドベンチャーなシーンは続くものの、ストーリーがつまらないので、とにかく退屈する。
 テイストは『インディ・ジョーンズ』に近いが、ファンタジーによりかかり過ぎていて工夫のないアクションが延々と続くためにハラハラドキドキがない。
 フック船長(ギャレット・ヘドランド)やスミー、先住民のタイガー・リリー(ルーニー・マーラ)と出会い、妖精の国でティンカーベルと出会って飛行術を身に着け、黒ひげを倒し、孤児院からニブス等の仲間を連れ出してジ・エンド、という前日譚のための前日譚という段取りだけで、ドラマもサスペンスもないのが辛い。
 ネバーランドの意味付けや世界観でもあれば、見終わって少しは残るものもあっただろうに、という作品。
 見どころは空飛ぶ海賊船のCGか? (評価:1.5)


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