海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1997年

製作国:アメリカ
日本公開:1997年12月20日
監督:ジェームズ・キャメロン 製作:ジェームズ・キャメロン、ジョン・ランドー 脚本:ジェームズ・キャメロン 撮影:ラッセル・カーペンター 音楽:ジェームズ・ホーナー
キネマ旬報:4位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞

娯楽作に終わらせなかった85年後の視点のリアリズム
 こういったポピュラーな映画に高評価をつけるのは勇気がいる。身分の違う男女の純愛物語、二人の仲を裂く悲劇、中世騎士物語のお姫様救出の自己犠牲・・・古典的な作劇の常道を踏まえた、スペクタクルでお涙頂戴の感傷的なだけのハリウッド映画。しかも主演はディカプリオとウィンスレットの人気者。ヨーロッパ映画のような哲学も思想もない。それでも劇場で見終わった時、不覚にも涙が止まらなかった。
 物語は、年老いたお姫様が85年前のタイタニックの事故を振り返るという設定。昔タイタニックの映画をテレビで見た記憶があるのだが、1953年公開の『タイタニック号の最後』だったか。
1985年に深海に沈んだタイタニックが発見され、潜水艇調査が開始されたが、キャメロンの『タイタニック』では、ロボットカメラによって実際の深海映像が使用された。この映画は、リアルタイムではなく、時間軸を85年後の視点においたことで、フィクションでありながら史実のようなリアリティを生み出している。
 哲学や思想がなくても、普遍的な愛のメルヘンを描くことのできた映画は普遍となる。 (評価:4.5)

製作国:イラン
日本公開:1999年7月24日
監督:マジッド・マジディ 製作:アミール・エスファンディアリ、モハマド・エスファンディアリ 脚本:マジッド・マジディ 撮影:パービズ・マレクザデー 美術:アスガル・ネジャド・イマニ 音楽:ケイヴァン・ジャハーンシャヒー
キネマ旬報:3位

貧民街の「天国の子供たち」の兄妹愛が健気で微笑ましい
 原題"بچه‌های آسمان‎"で、天国の子供たちの意。
 テヘラン南郊の貧民地区に住む、天使のように清らかな兄妹の物語。
 妹のピンクの古靴を修理してもらったアリは、八百屋のお使いで靴を入れた袋を店先に置いたところ、クズ屋に持っていかれてしまう。
 仕方なく、兄妹は親に内緒で靴を交代で履いて学校に通うことになり、兄は必死で妹に新しい靴を探してあげようと奔走することになるが、親に告げ口しない約束を守る妹と奔走する兄の兄妹愛が健気で微笑ましく、これが本作の最大の見どころとなる。
 妹は下級生がクズ屋から手に入れたピンクの古靴を履いているのを見つけ、兄と取り返しに行くが言い出せず、兄は靴屋のショーウインドウに並んだ靴を眺めて、なんとか新しい靴を手に入れようとする。
 前半は靴のシーンばかり続くので、盗みでも働くかと思いきや、そうしないのが原題の「天国の子供たち」の由来。
 低収入の父は庭師のアルバイトで稼ぐために、アリを連れてテヘランの高級住宅街に行き、利発なアリの口利きで仕事を得る。思わぬ報酬に大喜びの父は靴を買うことを約すが、下り坂で自転車のブレーキが故障。大怪我をして約束も反故になる。
 次にアリが挑むのはマラソン大会の3等商品の靴だが、ゴール前の混戦で優勝してしまい計画はオジャンに。2等の文房具なら換金して靴に変えることもできるが、優勝賞品がサマーキャンプというのがミソ。
 運動靴の底は抜け、一人寂しく腫れた足を金魚の泳ぐ水槽に入れて終わるシーンが抒情的でいい。
 兄妹が走って靴をバトンタッチするシーンや、下り坂を疾走する自転車、マラソンのデッドヒートなどしんみりとした作品の割にはスピード感、スリル感がある。
 兄妹を演じるミル=ファロク・ハシェミアン、バハレ・セッデキは貧民街起用の素人だが、天使のように可愛い。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1998年3月7日
監督:ガス・ヴァン・サント 製作:ローレンス・ベンダー 脚本:ベン・アフレック、マット・デイモン 撮影:ジャン=イヴ・エスコフィエ 美術:メリッサ・スチュワート 音楽:ダニー・エルフマン
キネマ旬報:7位

マット・デイモンの脚本が清々しい佳作
 原題"Good Will Hunting"で、Will Huntingは主人公の名前。
 スラムに生まれ、児童虐待のトラウマを持つ天才ウィルと、愛する妻と死別した下町生まれの心理学者ショーンとが、セラピーを通じて互いのトラウマを克服し、それぞれに新しい人生を歩み出すという心温まる物語。
 もっともセラピー中は互いの人格がぶつかり合うシリアスな展開で、セラピーとは患者と医者の信頼が必要で、結果的に患者と医者とが互いにセラピーし合うという結果が清々しく、一人悪役となる世俗的なMIT教授とは違った、地位や名声に囚われずにパートナーと真に愛を共有できる人間となることに人生の価値を見出していくラストが美しい。
 ウィルを演じるマット・デイモンの脚本で、アカデミー賞とゴールデングローブ賞の脚本賞を受賞。エリート主義の大学教授と学生たち、そこから落ち零れた研究者、スラムの仲間たちの温かい友情の中に真の人間らしさを描く物語は、デイモン自身がハーバード大学を中退して映画界に身を投じた経験を基に説得力のあるものとなっている。
 ウィルの親友チャッキー(ベン・アフレック)のセリフがなかな良く、" Every day I come by your house and I pick you up. And we go out...when I get to your door, 'cause I think,maybe I'll get up there and I'll knock on the door and you won't be there. No goodbye. No see you later. No nothing. You just left. I don't know much, but I know that."(毎日お前の家に来てお前を拾い出かけていく・・・ドアに来た時に思うんだ。ノックしてもお前がいないかも知れないって。さよならも言わず、もう会えなくて、何ひとつない。お前はいない。よくわからないけども、俺にはそれだけがわかる)の言葉通り、ラストシーンでそれが描かれる。
 ショーンを演じたロビン・ウィリアムズがアカデミー助演男優賞のいい演技を見せる。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1998年7月18日
監督:カーティス・ハンソン 製作:アーノン・ミルチャン、カーティス・ハンソン、マイケル・ネイサンソン 脚本:ブライアン・ヘルゲランド、カーティス・ハンソン 撮影:ダンテ・スピノッティ 美術:ウィリアム・アーノルド 音楽:ジェリー・ゴールドスミス
キネマ旬報:1位

現実派のエリート刑事と実直なカップルが好対照
 原題"L.A. Confidential"で「ロサンジェルスの機密」の意。1950年代のロサンジェルスを舞台にしたマフィアとロス市警の癒着を描いたジェイムズ・エルロイの同名小説が原作。
 殉職した父親を目標に出世を目指す糞真面目なエリート刑事(ガイ・ピアース)が、警官の暴行や仲間をかばう不正を糾弾して刑事仲間からつま弾きにされる。ところが集団惨殺事件に退職させられた刑事が絡んでいたことから急展開。麻薬取引のマフィアとロス市警幹部が結託した不正が明らかになっていく。
 警察内部の不正を題材にした作品はよくあるが、アカデミー脚色賞を受賞したシナリオがよくできていて、まったく緩まない。
 肉体派の熱血漢で、主人公と最後には和解して恋人とともに故郷に帰る刑事をラッセル・クロウが演じるが、なかなか好人物に仕上がっている。その恋人で娼婦の田舎娘のキム・ベイシンガーが儚げでいい。アカデミー助演女優賞を受賞。
 正義感のエリート刑事は最後に警察幹部の不祥事に蓋をして、それと引き換えに出世の切符を手にするが、それがロス市警幹部となって警察改革をするためという、単なる理想主義ではなく清濁併せ呑む人物像を感じさせていて、単純な勧善懲悪の刑事ドラマにしなかったことが、本作を余韻あるものにした。
 それに対し、引退刑事と元娼婦のカップルが好対照の実直な人物に描かれていて、一服の清涼剤ととなっている。 (評価:2.5)

ロスト・ハイウェイ

製作国:アメリカ、フランス
日本公開:1997年6月14日
監督:デヴィッド・リンチ 製作:ディーパク・ギルフォード、トム・スターンバーグ、メアリー・スウィーニー 脚本:デヴィッド・リンチ、バリー・ギフォード 撮影:ピーター・デミング 音楽:アンジェロ・バダラメンティ

超自然的で奇妙な浮遊感と共に見る者を迷い道に誘う
​ 原題"Lost Highway"で、失われた道の意。
 デヴィッド・リンチらしい夢とも現ともつかないストーリーだが、緊迫感もあってわけの分からないままに楽しめる。
 前半は主人公フレッドが金髪美人の妻レネエを殺害し、死刑囚となるまで。殺害の原因がレネエがアンディの組織で売春していたことにあるのが後半になってわかるが、妻の行動への不信から精神不安定になったフレッド主観のシーンがホラー映画のようで結構怖い。
 収監中にフレッドは突然、町の自動車修理工ピートと入れ替わってしまうのだが、超自然らしきこの事情はピートの両親以外、ピート自身も知らず、最後まで説明されないまま。ラストで再びフレッドに戻ることから、二人が合体してしまったようにも見える。
 ピートはマフィアのエディの愛人アリスに一目ぼれするが、これがレネエと生き写し。アリスはレネエの現身で、フレッドとレネエは運命の絆で結ばれている。
 ピートはアンディを殺し、次にフレッドに戻ってエディ=ディック・ロラントを殺し、自宅に戻ってインタフォンに「ディック・ロラントは死んだ」と告げる。これが冒頭でフレッドがインタフォンで「ディック・ロラントは死んだ」と聞くシーンと繋がっていて、物語がアンディに予告されていた運命であることがわかる。
 アンディは釈放されたピートを監視していた刑事に追われ、車で夜のハイウェイを疾走するシーンで終わるが、このシチュエーションは冒頭と中盤でも繰り返され、超自然的で奇妙な浮遊感と共に見る者を迷い道に誘う。 (評価:2.5)

製作国:イギリス
日本公開:1997年12月13日
監督:ピーター・カッタネオ 製作:ウベルト・パゾリーニ 脚本:サイモン・ボーフォイ 撮影:ジョン・デ・ボーマン 音楽:アン・ダッドリー
キネマ旬報:5位

コメディというには男には身につまされて笑えない
 原題"The Full Monty"で、英俗語で何から何まで、すっぽんぽんのこと。
 イギリスの哀愁漂うコメディだが、主人公の男たちが痛ましくて最後まで笑えないというコメディ。
 イギリスの鉄鋼の町シェフィールドで不況のために鉄工所が閉鎖され、男たちは失業してしまう。妻と離婚して子供の養育費を払わなければならない痩せのガズ、不能になってしまった太っちょのデイブは、男性ストリップに熱狂する町の女たちを見て、自分たちもストリップで稼ぐことを思いつく。
 就活中の元上司や同僚を集めて6人でストリップの練習をしていたところを警察に捕まって町の笑い者に。ところがこれが評判となってチケットが完売し、妻たちも混じる観客を前にストリップを演じ、最後の帽子を投げ捨ててフル・モンティとなったところで映画は終わる。
 要は、失業して自信を失った男たちへの応援歌で、日本流にいえば裸一貫で出直し、の物語ということになる。
 その男たちの姿は、男にとっては涙ぐましいまでに身につまされる話で、夫婦関係が意外と日本と似通っている。別れた妻にとって養育費の存在でしかない夫、浪費する妻に失業を打ち明けられずカード破産してしまう夫、不能になって言い訳する夫と、妻や女に隷属する男の悲しい立場が描かれる。
 コメディというには男には身につまされて笑えないないという、女性向けの作品。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1997年11月15日
監督:マイク・ニューウェル 製作:マーク・ジョンソン、バリー・レヴィンソン、ルイス・ディジャイモ、ゲイル・マトルー 脚本:ポール・アタナシオ 撮影:ピーター・ソーヴァ 音楽:パトリック・ドイル
キネマ旬報:7位

アル・パチーノ+ジョニー・デップ、芸達者二人の悲しい友情物語
 マフィアに潜入したFBI捜査官の実話を基にした映画。原題は"Donnie Brasco"で、潜入捜査官の偽名。邦題の"fake"は贋物のことで、ドニー・ブランコとレフティーが知りあう切っ掛けとなったダイヤのfakeと、おとり捜査官=贋者を引っかけたと思われる。
 この映画は、アル・パチーノとジョニー・デップという芸達者二人によって演じられる友情物語で、その心の機微が見どころとなる。ギャング映画、警察ドラマのようなカッコよさや爽快感、派手なアクションや撃ち合いはない。
 アル・パチーノは人の好いギャングで、そのためにマフィアの中でもうだつが上がらない。ジョニー・デップは彼のお人好しを上手く利用しながら潜入するが、真面目で職務に忠実なために潜入捜査にのめり込んでしまい家庭は崩壊寸前。そんな二人が複雑な友情を深めていくが、デップの正体がばれた後のパチーノがいい。彼はギャングだが、冷血にはなれない。最後の台詞は、"...if Donnie calls, tell him. If it was gonna be anyone, I'm glad it was him."で、後半は字幕では「お前だから、許せる」と訳されている。裏切り者がおまえで良かった、といったニュアンスか。
 パチーノはとにかく渋い。人情に弱い駄目ギャングぶりがいい。デップの善良さもいい。妻子に見放された親父の孤独と悲哀が涙を誘う。 (評価:2.5)

メン・イン・ブラック

製作国:アメリカ
日本公開:1997年12月6日
監督:バリー・ソネンフェルド 製作:ウォルター・F・パークス、ローリー・マクドナルド 脚本:エド・ソロモン 撮影:ドン・ピーターマン 音楽:ダニー・エルフマン

ゴキブリ型宇宙人の演技が素晴らしい
 ローウェル・カニングハイムの同名のアメコミ(1990)が原作。"Men in Black"はアメリカにある噂で、UFO目撃者を脅して黙らせるという政府職員のことで、黒衣を着ていることが由来。コミックも映画も、この黒衣の男が基になっている。
 映画自体も他愛のない話で、20数年ぶりに観直して、ストーリーをほとんど忘れていた。エージェントは強く印象に残っているが、内容は印象に残らなかった。だからつまらないという訳ではなく、気晴らしに観るには最適のコメディ。アメリカ人はコメディ映画が好きだが、笑いのツボがずれているために日本ではあまり公開されない。本作はアクション・コメディが多く日本人でも十分楽しめるが、台詞主体のところはやはり字幕とずれる。
 トミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスの二人はともかく、ゴキブリ型宇宙人を演じるヴィンセント・ドノフリオの演技が素晴らしい。彼の演技なくしてこの映画は面白くならなかった。
 コメディ映画は高評価を得ることがあまりないが、トミー・リー・ジョーンズのラストのエピソードは月並みで、笑い以上の感動と印象を残すことができない。 (評価:2.5)

ヘンリー・フール

製作国:アメリカ
日本公開:1999年11月6日
監督:ハル・ハートリー 製作:ハル・ハートリー 脚本:ハル・ハートリー 撮影:マイケル・スピラー 音楽:ハル・ハートリー

ノーベル賞の権威までも嘲笑うという皮肉がいい
 原題"Henry Fool"で、登場人物の名。
 ヘンリー(トーマス・ジェイ・ライアン)は7年前に少女淫行の罪で収監され、出所したばかり。ゴミ集積場の作業員サイモン(ジェームズ・アーバニアク)の家に現れ、地下室に住み着いてしまう。ヘンリーは刑務所で思索に耽り、その日記をいつか出版することをライフ・ワークとする作家だと名乗り、最低の人生を送るサイモンに思いをノートに書き留めることを勧める。
 サイモンのそれはポルノあるいはスカトロ紛いだったが、姉のフェイ(パーカー・ポージー)がインターネットに公開したことから斬新な詩として受け止められ、詩人として成功。ついにノーベル賞作家となってしまうというナンセンス・コメディ。
 大統領選の話題もあって、停滞するアメリカ社会をいかに変革するかというのがキーワードで、高尚な文学界の常識をおバカな二人が覆すというカウンターカルチャーが中心的テーマになるが、インテリの編集者だけでなくノーベル賞の権威までも嘲笑うという皮肉がいい。
 残念なのはサイモンの詩が具体的に登場しないことで、結局のところポルノとスカトロの文学性を監督のハートリーが表現できなかったという点で、ナンセンス・コメディの域を抜け出ることが出来ていない。
 最後は継父に性的虐待を受けている少女を助けようとしてヘンリーが継父を殺してしまい、サイモンの助けで国外逃亡するが、この結末もよくわからない。
 近所の東洋人が経営する商店の娘役にハートリーの妻、二階堂美穂。 (評価:2.5)

007 トゥモロー・ネバー・ダイ

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:1998年3月14日
監督:ロジャー・スポティスウッド 製作:マイケル・G・ウィルソン、バーバラ・ブロッコリ 脚本:ブルース・フィアスティン 撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:デヴィッド・アーノルド

南シナ海に中国が侵出する前の穏やかだった領海設定に感慨
 原題"Tomorrow Never Dies"で、直訳すれば明日は決して死なない、来ない明日はない、という意味になる。5代目ボンド、ピアース・ブロスナンの第2作(シリーズ第18作)。
 ストーリー的にはよくまとまっていて、ダラダラしたところもなく、設定がやや漫画的なのを除けば、1本のスパイ・アクション物として楽しめる。
 プロローグはソ連崩壊後のロシア国境付近の武器マーケットから始まり、国際情勢を反映してリアルな出だし。各国のテロリストたちが集まり、核兵器も取引され、日本からも地下鉄サリン事件を連想させるテロリストが参加している。戦闘機からミサイルまで集められた武器マーケットは見どころ。
 舞台は変わって南シナ海。GPSを利用した謀略からイギリス海軍と中国空軍が一触即発の危機に陥る。この陰謀の背後にいるのが世界のメディア王で、当寺、飛ぶ鳥を落とす勢いだったマードックをモデルにしている。もっとも新聞を売るために英中に戦争を始めさせるとなると狂気の沙汰で、ヒーロー・エンタテイメントではお約束的な存在だった国際犯罪組織、スペクターを遥かに凌駕するアメコミの世界。
 007もバットマンと大差ないと割り切れば十分に楽しめる展開で、お色気あり、アクションありで、ヒーロー対ヒールの最終決戦まで、緩みなくストーリーは展開する。英中戦争を阻止するために一本道をまっしぐらと、話が複雑化しないで進むのもわかりやすい。
 アクション的な見どころは、ボンドガールとなる中国の女スパイ(ミシェール・ヨー)と手を繋ぎながらのバイク二人乗りアクションと、ボンドカーの無線操縦で、今までのシリーズにない新機軸。
 ベトナムも出て来て、南シナ海に中国が侵出する前の穏やかだった領海設定に感慨もある。 (評価:2.5)

セブン・イヤーズ・イン・チベット

製作国:アメリカ
日本公開:1997年12月13日
監督:ジャン=ジャック・アノー 製作:ジャン=ジャック・アノー、ジョン・H・ウィリアムズ、イアイン・スミス 脚本:ベッキー・ジョンストン 撮影:ロベール・フレース 音楽:ジョン・ウィリアムズ

幼い日のダライ・ラマ役の少年が可愛い反中国映画
​ ​オ​ー​ス​ト​リ​ア​の​登​山​家​ハ​イ​ン​リ​ッ​ヒ​・​ハ​ラ​ー​の​自​伝​"​S​i​e​b​e​n​ ​J​a​h​r​e​ ​i​n​ ​T​i​b​e​t​.​ ​M​e​i​n​ ​L​e​b​e​n​ ​a​m​ ​H​o​f​e​ ​d​e​s​ ​D​a​l​a​i​ ​L​a​m​a​"​(​チ​ベ​ッ​ト​の​七​年​ ​ダ​ラ​イ​・​ラ​マ​の​宮​廷​に​お​け​る​私​の​生​活​)​が​原​作​で​、​映​画​の​原​題​は​"​S​e​v​e​n​ ​Y​e​a​r​s​ ​i​n​ ​T​i​b​e​t​"​。
​ ​1​9​3​9​年​、​ヒ​マ​ラ​ヤ​登​山​に​向​か​っ​た​ハ​ラ​ー​は​第​二​次​世​界​大​戦​開​戦​に​よ​っ​て​イ​ン​ド​で​イ​ギ​リ​ス​の​捕​虜​と​な​る​が​、​脱​走​し​て​チ​ベ​ッ​ト​に​逃​れ​、​宮​殿​の​あ​る​ラ​サ​で​少​年​の​ダ​ラ​イ​・​ラ​マ​と​親​交​を​深​め​る​。​1​9​5​0​年​、​人​民​解​放​軍​に​武​力​制​圧​さ​れ​た​チ​ベ​ッ​ト​か​ら​逃​れ​る​ま​で​の​7​年​間​の​物​語​で​、​オ​ー​ス​ト​リ​ア​に​残​し​て​き​た​息​子​と​の​話​を​並​行​さ​せ​な​が​ら​、​自​己​中​心​的​だ​っ​た​主​人​公​が​チ​ベ​ッ​ト​文​化​の​中​で​変​わ​っ​て​い​く​姿​を​描​く​。
​ ​そ​の​後​の​チ​ベ​ッ​ト​動​乱​か​ら​独​立​運​動​、​1​9​5​9​年​の​ダ​ラ​イ​・​ラ​マ​の​イ​ン​ド​へ​の​亡​命​、​チ​ベ​ッ​ト​臨​時​政​府​の​樹​立​の​前​段​と​な​る​話​で​、​現​在​の​チ​ベ​ッ​ト​問​題​の​原​点​と​な​る​作​品​。
​ ​公​開​が​香​港​返​還​の​年​で​中​国​が​ソ​フ​ト​路​線​を​と​っ​て​い​て​親​中​ブ​ー​ム​だ​っ​た​こ​と​も​あ​り​、​反​中​国​的​な​本​作​は​映​画​賞​や​映​画​評​論​家​に​は​歓​迎​さ​れ​な​か​っ​た​。
​ ​た​だ​迫​力​あ​る​雪​山​シ​ー​ン​や​、​少​年​の​ダ​ラ​イ​・​ラ​マ​を​中​心​に​微​笑​ま​し​い​エ​ピ​ソ​ー​ド​が​綴​ら​れ​、​チ​ベ​ッ​ト​を​善​、​中​国​を​悪​と​し​て​描​き​、​政​治​色​が​強​い​こ​と​を​除​け​ば​、​楽​し​め​る​映​画​に​な​っ​て​い​る​。
​ ​惜​し​む​ら​く​は​チ​ベ​ッ​ト​の​歴​史​や​宗​教​と​行​政​の​仕​組​み​に​つ​い​て​の​説​明​が​な​い​こ​と​で​、​そ​れ​が​あ​れ​ば​厚​み​と​説​得​力​を​持​っ​た​作​品​に​な​っ​た​か​も​し​れ​な​い​。
​ ​ハ​ラ​ー​役​は​ブ​ラ​ッ​ド​・​ピ​ッ​ト​。​共​演​の​顔​の​長​い​デ​ヴ​ィ​ッ​ド​・​シ​ュ​ー​リ​ス​は​『​ハ​リ​ー​・​ポ​ッ​タ​ー​』​の​ル​ー​ピ​ン​先​生​。​こ​の​映​画​出​演​の​た​め​に​、​二​人​が​中​国​入​国​禁​止​に​な​っ​た​の​も​話​題​だ​っ​た​。
​ ​ダ​ラ​イ​・​ラ​マ​役​の​ジ​ャ​ム​ヤ​ン​・​ジ​ャ​ム​ツ​ォ​・​ワ​ン​チ​ュ​ク​が​好​演​。 (評価:2.5)

製作国:イタリア
日本公開:1999年4月17日
監督:ロベルト・ベニーニ 製作:エルダ・フェッリ、ジャンルイジ・ブラスキ 脚本:ヴィンセンツォ・セラミ、ロベルト・ベニーニ 撮影:トニーノ・デリ・コリ 音楽:ニコラ・ピオヴァーニ 美術:ダニーロ・ドナーティ
キネマ旬報:9位
アカデミー外国語映画賞

イタリア・ユダヤ人のお伽噺のようなホロコースト映画
 原題は"La vita è bella"で、英題"Life Is Beautiful"(人生は美しい)の意。
 同じホロコーストを扱った『シンドラーのリスト』(1993)の4年後の作品だが、イタリア映画らしく陽気なコメディ映画として制作されている。
 悲惨な場面が一切排除され、お伽噺のようにホロコーストが語られることについては賛否が分かれるところだが、同じ枢軸国であるイタリアに住むユダヤ人について語られる点は興味を引く。
 ユダヤ人の主人公は度を越した夢想家で、北イタリアの叔父のホテルの給仕係となる。小学校教師の娘を結婚式場から奪って結婚、書店を開いて息子を設けるが、時は第二次世界大戦下。イタリアでもユダヤ人は嫌われ、叔父の馬や書店のシャッターにも「ユダヤ人」と落書きされる。
 父子は強制連行されて収容所送りとなるが、イタリア人の妻は自ら収容所送りを希望する。父はこれはゲームだと戦車好きの息子に話し、勝てば本物の戦車が貰えると嘘をついて生還を図る。
 そしてラストシーンで実際にそうなるのだが、収容所で父子が行うゲームはファンタジーで、それを心温まる父子愛と捉えるか、悲惨さを描かずにメルヘンの糖衣に包んでしまったと捉えるかで作品への評価が分かれる。
 主人公の夢想ぶりがイタリア人とはいえ度を越していて、煩いイタリア語をしゃべりまくる点とともに鼻につく。アカデミー主演男優賞で、監督も兼ねたロベルト・ベニーニの演技が嫌味に感じられると、作品への好感度は下がる。 (評価:2.5)

製作国:イラン
日本公開:1998年1月31日
監督:アッバス・キアロスタミ 製作:アッバス・キアロスタミ 脚本:アッバス・キアロスタミ 撮影:ホマユン・パイヴァール
キネマ旬報:6位
カンヌ映画祭パルム・ドール

生死の選択を観客に委ねるラストがわかりにくい
 原題"طعم گيلاس‎"で、邦題の意。カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作。
 タイトルは、主人公の中年男が自殺を思いとどまるきっかけとなる老人の台詞、「すべてを拒み、すべてを諦めてしまうのか? 桜桃の味を忘れてしまうのか?」から。
 人生に絶望した主人公は、自殺の協力者を求めて街中を彷徨う。その方法とは、山に掘った穴に入り、翌朝協力者が声をかけて返事をすれば穴から助け出し、返事がなければシャベルで土をかけて埋めてほしいというもの。
 テーマがテーマだけにいささか観念的で、しかも重層的になっている。
 主人公は始め、若くて貧しいクルド人兵士とアフガン人の神学生に声を掛けるが拒否され、3人目の自然史博物館に勤める老人が受諾する。
 前の二人は紛争を抱えた民族で、死が身近であるがゆえに自殺を否定。一方の老人は人生経験の豊かさゆえに誰もが持つ死の誘惑と生きることの喜びを語って聞かせ、自殺を思い留まらせようとする。
 山の穴は絶望と死の誘惑で、生死の最終選択は主人公に委ねられる。そして桜桃の味=生きることの喜びを思い直した主人公は、眠っているだけかもしれないから起こすようにと老人に告げる。
 もっとも生死の最終選択は保留したままで、主人公が穴に入って暗転するラストが選択を観客に委ねていてわかりにくい。
 暗転から一転、映画はフィクションを抜け出し、撮影風景へと変わる。それまでの主人公の心象を象徴していた赤茶けた風景が緑に代わり、死の誘惑が人の心が生み出した虚構で、現実の世界に生への希望があることを示して終わるが、唐突感は免れず、やはり観念的であることに変わりはない。 (評価:2.5)

製作国:台湾
日本公開:1998年8月8日
監督:ツァイ・ミンリャン 脚本:ツァイ・ミンリャン、ヤン・ピーイン、ツァイ・イーチュン 撮影:リャオ・ペンロン
キネマ旬報:8位

孤立する家族の姿が描くが出口のないままに終わる
 原題"河流"で、邦題の意。
 ツァイ・ミンリャン監督の『青春神話』(1992)、『愛情萬歳』(1994)に続く、台北の青年シャオカン(李康生)を主人公にした第3作。前二作の開発が進む台北の描写はなく、すでに変貌を終えた台北が舞台。
 『青春神話』に登場したシャオカンの両親は、顔も合わせないほどに夫婦間が冷えていて、家族それぞれが食事も洗濯も寝室もバラバラの生活を送っている。
 シャオカンは失業中で、新光三越の前で2年ぶりに会った女友達(陳湘琪)に誘われて、彼女がスタッフを務める映画の撮影現場で死体を演じることになる。撮影後、彼女と寝て家に帰るが、首が曲がる奇病に罹り、母(陸弈靜)に薬を塗ってもらったりマッサージしてもらうが良くならない。医者にも行っても治らず、整体や鍼灸治療を試みてもダメ。息子の異変に気付いた父(苗天)が台北を離れて祈祷師の元に連れて行く。
 母には裏ビデオの売人の愛人がいて、父はサウナでゲイ漁り、とそれぞれに秘密を抱えているが、シャオカンがそれとは知らずにサウナで関係を結んだ相手が父親というお粗末。祈祷師のお告げは台北で名医に見せろという、こちらもお粗末で、シャオカンの奇病は治らずに終わる。
 シャオカンの同性愛傾向は『愛情萬歳』でも描かれているが、登場人物の背景説明がなく、奇病を中心に物語が展開するため、前二作を見ていないとテーマもストーリーもわかりにくい。
 前二作ではシャオカンと若者たちの孤独が描かれたが、本作では家族の崩壊と3人の孤独がテーマ。それぞれに家族には打ち明けられない秘密を抱えているが、それに至った説明がないために今一つテーマに甘さが残る。
 一家が住む家では雨漏りが止まらないという描写があって、出口のない家族のメタファーなっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1998年6月6日
監督:ジム・ギレスピー 製作:ニール・H・モリッツ、エリック・フェイグ、ストークリー・チャフィン 脚本:ケヴィン・ウィリアムソン 撮影:デニス・クロッサン 音楽:ジョン・デブニー

男女高校生のダメダメぶりが何とも言えない寂れた味
 原題" I Know What You Did Last Summer"で、「去年の夏、お前がしたことを知ってるぞ」の意。劇中に主人公の女の子に届く脅迫状と、冒頭自殺する男の子の遺書の文章。
 ロイス・ダンカンの同名小説が原作のサスペンス・スリラー。
 冒頭、男女4人の高校生が浜辺でホラー話をしながらいちゃつくというB級映画の王道で始まる。羽目を外した帰り道に車で人を撥ねてしまい、海に捨てて死んだはずが・・・ジェイソン! という『13日の金曜日』的ホラー。
 卒業してニューヨークの大学に行った主人公の女の子が夏休みに帰ってくると、脅迫状が届き、その手紙の主を4人で探すというのが物語の骨子。彼女の元彼はボストン進学ならずに町の漁師。ミス田舎町のグラマー少女は、女優の夢破れて店の売り子。その恋人も町でくすぶっているというわけで、そのダメダメぶりが何とも言えない寂れた味を出している。
 撥ねて死んだはずの青年の同級生が怪しいとか、その同級生が実在しないとか、仲間たちが次々に襲われるとか、撥ねたのは別人だとか、青年には死んだ恋人がいたとか、その恋人の父親とか、謎解きは二転三転するが、ゴムの帽子にコートという漁師姿のフィッシャーマン・ジェイソンが結構怖くて、サスペンス・スリラーとしてはそこそこ怖がれる。
 ミス田舎町のグラマー少女(サラ・ミシェル・ゲラー)は如何にもなアメリカ金髪娘で、主人公の女の子(ジェニファー・ラブ・ヒューイット)もチアリーダーながらホラー映画向きの可愛い女の子。
 事件解決後のラストは続編ができるようになっていて、最後にギャッといわせて、続編2作が制作された。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1998年1月24日
監督:ギレルモ・デル・トロ 製作:ボブ・ワインスタイン、B・J・ラック、オーレ・ボールネダル 脚本:マシュー・ロビンス、ギレルモ・デル・トロ 撮影:ダン・ローストセン 音楽:マルコ・ベルトラミ

ハリウッド版『GODZILLA』をミミックしているが、公開はこちらが先
 原題は"Mimic"で擬態のこと。劇中に登場する遺伝子工学から生まれた昆虫が人間を擬態することから。ギレルモ・デル・トロの初期作品。
 致死的伝染病を媒介するゴキブリを退治するためにシロアリとカマキリのDNAから創作された昆虫ユダが、マンハッタン島の地下鉄に巣食い、急速な進化を遂げて巨大化して人間を襲うという設定。
 これに立ち向かうのが、新昆虫を作り出した女性生物学者とその夫、ガードマン、孫を連れ去られた靴磨きの老人。新昆虫はシロアリ的社会を地下に構築し、巣に卵を生んで繁殖、食餌に人間を捕獲する。
 真相究明に地下に潜った主人公たちだが、一人減り、二人減り、最後は地下のガス管に点火して、巣の卵もろとも新昆虫を一掃する・・・と物語を説明すると何かに似ている。そう、ハリウッド版『GODZILLA』(1998)とよく似た話だが、公開は本作の方が1年ほど早い。
 巨大昆虫もヌメヌメの卵もよくできていて、映像的な陳腐さは全くない。カメラワークもカットの編集も小気味よいテンポで、ホラー映画としても十分怖がれる。
 DNA昆虫の荒唐無稽さや、第二次世界大戦の新聞が残された地下で何十年か前の放置車両が通電しただけで動くのかとか、通電の方法が切れた古いコードを繋ぐだけといった乱暴さはあるが、演出と映像で見せるデル・トロの真骨頂が楽しめるホラー・エンタテイメント。
 虫系が苦手でなければ退屈しない。 (評価:2.5)

クンドゥン

製作国:アメリカ
日本公開:1999年7月10日
監督:マーティン・スコセッシ 製作:バーバラ・デ・フィーナ 脚本:メリッサ・マシスン 撮影:ロジャー・ディーキンス 美術:ダンテ・フェレッティ 音楽:フィリップ・グラス

ダライ・ラマ半生記だがお茶を濁しているのがすっきりしない
 原題"Kundun"で、ダライ・ラマを呼ぶときのチベット語での尊称。
 ダライ・ラマ14世のインド亡命に至るまでを描いた半生記。撮影はモロッコで行われ、亡命チベット人が出演。
 物語は1937年、ダライ・ラマ探しのチベット僧が2歳のラモ・ドンドゥプに出会うところから始まり、ダライ・ラマ14世と認定され、ラサで修行・即位するが、中国の侵攻を受け、併合。中国の圧政と共産化が強まる中、身の危険を感じて亡命政府を作るためにインドに脱出するまでが描かれる。
 当然ながらスコセッシは、ダライ・ラマの仏教指導者としての非暴力主義と毛沢東以下中国の暴力性とチベット侵略を対比して描き、中国の不当性を訴える。
 チベット現代史ないしは政治・社会派映画としてはこれで良いのかもしれないが、ダライ・ラマ14世の半生記としては、ドラマがないのが寂しい。亡命時24歳と若いが、祖国と中国との狭間にあって、人間的な悩みや葛藤、過誤や反省もあったに違いないが、法王あるいは臨時政府元首としての正当性を保つためか、人間ドラマになっていないのが物足りない。
 チベット現代史を学ぶ教材としては簡便だが、チベット内の政治対立やダライ・ラマ14世の中国に対する立場、独立についての立場については描かれてなく、不都合な点についてはどことなくお茶を濁しているのが伝わってきて、今一つすっきりしない。 (評価:2.5)

スウィート ヒアアフター

製作国:カナダ
日本公開:1998年8月25日
監督:アトム・エゴヤン 製作:アトム・エゴヤン、カメーラ・フリーバーグ 脚本:アトム・エゴヤン 撮影:ポール・サロッシー 音楽:マイケル・ダナ

天国に行き損ねた少女の偽善的な大人たちへの反逆
 原題"The Sweet Hereafter"で、甘美な死後の世界の意。ラッセル・バンクスの同名小説が原作。
 カナダの田舎町でスクールバスのスリップ転落事故があり、町の子供たちが死亡。バスの運転手ドロレス(ガブリエル・ローズ)の過失ではなく、欠陥車だったという見立てで弁護士(イアン・ホルム)が町に現われ、事故に遭った子供たちの親を焚き付けて告訴させる。
 端から胡散臭い弁護士で、成功報酬方式で敗訴ならタダ、勝訴なら賠償金の3分の1をで貰うという条件。
 事故でひとり生き残った少女ニコール(サラ・ポーリー)が、『ハーメルンの笛吹き男』の童話を引き合いに、裁判で嘘をついて敗訴に持ち込み、弁護士の目論見を挫く。
 ハーメルンの笛吹き男が子供たちを連れ去った洞穴の中は"The Sweet Hereafter"、天国として暗喩され、取り残されたニコールは、子供達の心を顧みず金に取り憑かれた大人たちに反逆する。
 ロック歌手になるのが夢だったニコールは父親(トム・マッカムス)と相姦していて、事故で下半身麻痺となって父親の失望を目の当たりにする。スクールバスの整備士で双子を失ったビリー(ブルース・グリーンウッド)は、コミュニティの秩序を守るために告訴を止めさせようとするが、一方で宿屋のリサ(アルバータ・ワトソン)と不倫している。
 弁護士もまた娘(カーサン・バンクス)の信頼を失っていて、ニコールは大人たちの偽善に歯向かうことになる。
 二つの時制が並行して描かれるが、とりわけ前半判りにくい構成になっていて物語の全体像がつかみにくい。二年後に町を再訪した弁護士は、何事もなく働くドロレスを目にし、麻痺のない体に戻ったニコールは双子を生んで育てていて、何事もなかったように町の秩序に暮らしている。
 …で? という、何を描きたかったのか今一つ消化不良なラストになっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1998年10月10日
監督:ポール・トーマス・アンダーソン 製作:ロイド・レヴィン、ジョン・ライオンズ、ポール・トーマス・アンダーソン、ジョアンヌ・セラー 脚本:ポール・トーマス・アンダーソン 撮影:ロバート・エルスウィット 音楽:マイケル・ペン
キネマ旬報:10位

主人公は巨根がキャスティングの条件?
 原題"Boogie Nights"で、劇中に登場するナイトクラブ名。boogieはブギウギのことで、鼻糞などの侮蔑的な俗語。
 ポルノ映画業界を描く内幕もので、ナイトクラブの皿洗いの青年が映画監督にスカウトされ、ポルノ映画俳優の寵児となり、人気に奢って転落する姿を描く。
 誰にでも取柄の一つぐらいはある、俺の場合は巨根だと嘯くのが可笑しく、またそれを受け入れる性に対して全く躊躇のないポルノ映画界がある意味新鮮。その中にあって常識的な理性を持つ人間もいて、誰とでも人前でも平気でファックする妻に悲観する男や、趣味のオーディオ店を持ちたいとポルノ俳優を辞める男もいるが、それぞれに悲劇が待っている。
 前半はほとんどポルノ映画の撮影現場が主なので身構えてしまうが、中盤からはストーリーが進むので、アメリカのポルノ映画界の光と影が覗けて面白い。特に、アカデミー賞張りのポルノ映画賞の授賞式が、なんのてらいもなくて良い。
 見入るうちに、ポルノ映画界がごく普通の世界で、ポルノ・スターが人気者のように思えてくるが、どっこい終盤からは、それが狭い世界の中だけの話で、一般社会はポルノ・スターの名前も知らなければ、彼らを非倫理的な特殊な人間とみて受け入れないことも描かれる。そうした中で、彼らは彼らなりの仲間意識で繋がっていて、窮状を救ってやるハッピーエンドとなるが、それだけの話でしかない。
 1970年代末から80年代初めにかけての話で、ポルノも映画からビデオへの移行期にあたり、斜陽化するポルノ映画界という時代変化も描かれるが、これまた一般社会には無縁かもしれない。
 ラストシーンで主人公の巨根がお披露目されるが、残念ながらモザイクがかかる。それでもその大きさが窺われ、本物のポルノ男優を起用かと思いきや、アカデミー賞にもノミネートされたことのあるマーク・ウォルバーグで、巨根がキャスティングの条件だったのか? (評価:2.5)

製作国:香港
日本公開:1997年9月28日
監督:ウォン・カーウァイ 製作:ウォン・カーウァイ 脚本:ウォン・カーウァイ 撮影:クリストファー・ドイル 美術:ウィリアム・チャン 音楽:ダニー・チャン
キネマ旬報:6位

同性愛について特に何かを語っているわけではない
 原題"春光乍洩"で、急に漏れた春の景色の意。
 手持ちカメラで被写体を追いかけるように撮影していく手法はウォン・カーウァイの代表作『花様年華』同様で、独特の映像的美学と臨場感がある。モノクロシーンとカラーシーンが混在し、とりわけモノクロシーンの写真風の広角映像が素晴らしいが、モノクロとカラーの使い分けの基準が今ひとつ理解できない。
 ストーリーは同性愛の若い青年カップルが、香港とは地球の裏側になるアルゼンチンにやり直しの旅に出てイグアスの滝を目指すものの頓挫、二人は喧嘩、別れ、嫉妬、同棲し、再び別れる。いわば同性愛カップルの愛憎の物語で、同性愛者でない者には異性愛に置き換えても二人の心情に入ることができず、よく理解できないままに終わる。
 同性愛について特に何かを語っているわけでもなく、異性愛と変わらないという訴えならそれもあるが、単にラブ・ストーリーとして描くのなら、異性愛で描いた方が多数に共感できるわけで、趣味ないしは話題作りでゲイを題材に選んだとしか思えないのが残念なところ。
 ゲイのカップルを演じるのがレスリー・チャンとトニー・レオンというのが大きな売りで、二人の絡みのシーンもちゃんと用意してある。
 レオンはバイト先で台湾からの旅行者と知り合い、南米最南端の岬で悩みを吹き込んだ録音を捨ててきてもらうことになるが、録音には言葉にならない嗚咽しか吹き込まれていない。一方のレオンはチャンと行くはずだったイグアスの滝に行き、涙とともに飛沫に濡れそぼる。この二つのシーンがが泣かせどころで、レオンが台湾人の実家の屋台を訪れて、彼の写真を失敬し、心の恋人になったことがわかるというゲイの恋愛物語。
 世界の果てへの逃避行と、やり直しがセットになっているセンチメンタルな作品だが、アルゼンチンが香港の裏側だと語るシーンで、ひっくり返った香港の映像が面白く、映像的には見どころも多い。 (評価:2.5)

バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲

製作国:アメリカ
日本公開:1997年8月2日
監督:ジョエル・シューマカー 製作:ピーター・マクレガー=スコット 脚本:アキヴァ・ゴールズマン 撮影:スティーヴン・ゴールドブラット 特撮:ジョン・ダイクストラ 音楽:エリオット・ゴールデンサール

バットマンスーツの乳首と特撮がいささかチープ
 原題"Batman & Robin"。DCコミックスの"Batman"が原作で、ティム・バートン版で始まったシリーズの第4作、最終作。
 ティム・バートンが製作から外れ、高度1万メートルからエア・サーフィンで地上に落下するなど、その漫画チックな荒唐無稽さは、むしろオリジナルに寄った感じで、思わず笑えるシーンが次々登場する。キャラクター的にはティム・バートン版の個性に乏しく、シュワルツェネッガー演じる怪人フリーズも単なる悪役で魅力が薄い。
 目立っているのはユマ・サーマンの妖艶なポイズン・アイビーで、バットマンのジョージ・クルーニーが今ひとつ個性に欠ける中で、一人気を吐いている。
 サイドストーリーとして執事アルフレッドが死にかけていて、ブルース・ウェインが孤児となった経緯を重ねて避けることのできない死をドラマにする。
 これに絡めて、姪のバットガールが誕生して、ロビンと合わせて3人の蝙蝠が揃い踏みとなるが、やはり3人のヒーローは多すぎて、バットマンの影が薄くなる。
 バットマンスーツに乳首が盛り上がり、エロティックなカメラワークが多く、悪趣味との批判もあり、バットマンカーが疾走するシーンのミニチュアがすぐそれとわかるなど特撮の出来もよくないのが本作の最大の欠点で、いささかチープな印象は免れない。 (評価:2)

TAXi

製作国:フランス
日本公開:1998年8月15日
監督:ジェラール・ピレス 製作:リュック・ベッソン、ロラン・ペタン 脚本:リュック・ベッソン 撮影:ジャン=ピエール・ソヴェール

シークエンスがないためにカーアクションが活きない
 原題同じ。マルセイユが舞台のカーアクション映画。
 ピザの配達員から念願のタクシー運転手になったスピード狂のダニエル(サミー・ナセリ)は、エンジニアと偽る刑事エミリアン(フレデリック・ディーファンタル)を乗せてスピード違反をしたために免許証を取り上げられてしまう。
 一方、エミリアンは運転適性ゼロで、へまばかりのダメ刑事。免許証を餌にレーサー並みの運転技術を持つダニエルを運転手にして、失地回復とばかりにベンツで銀行強盗を働くドイツ人一味を追いかけるというのがストーリー。
 ドイツ人一味は挑戦状を警察に送り、派手な立ち回りを演じて包囲する警官隊を機関銃と運転テクで出し抜くという現代版アルセーヌ・ルパン。
 ここがアクションの見どころとなるが、路肩駐車している無関係の車両に向けての意味のない機関銃乱射に始まり、前後のシーンなしの唐突なカークラッシュと、派手さばかりでシークエンスがないためにカーアクションが活きない。  カーアクションしか売りがないのに肝腎のカーアクションが雑で、冒頭のピザ配達のバイクによる曲技と、高速をプジョーと追いかけるベンツ2台がチェイスする空撮シーンしか見どころがないのが、何とも残念な作品。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:1997年5月31日
監督:ピーター・ハイアムズ 製作:ゲイル・アン・ハード、サム・マーサー 脚本:エイミー・ジョーンズ、ジョン・ラッフォ、リック・ジャッファ、アマンダ・シルヴァー 撮影:ピーター・ハイアムズ 音楽:ジョン・デブニー

ミステリー仕立てのホラー風パニック映画
 原題は"The Relic"。ダグラス・プレストンとリンカーン・チャイルドの小説"Relic"が原作。relicは歴史的遺物のことで、劇中ではアマゾン奥地から送られてきた遺物によってもたらされるモンスターのこと。
 レリックに相応しく舞台はシカゴの博物館。積み荷を乗せた貨物船が入港。博物館とを繋ぐ地下通路からモンスターが侵入してしまうが、モンスターを出現させたのはウイルスで、人間の視床下部のホルモンを餌にしているというトンデモ設定。
 ブラジルの部族では古来、この生物兵器で敵を退治してきたという、風習そのものがレリック。さて、では博物館に侵入したモンスターは何から生まれたかというのが最後のオチだが、DNA鑑定の話が出てくるとすぐにわかる。
 謎解きというほどにはミステリー仕立てでもなく、ホラーというにはモンスターがなかなか正体を現さないので怖くもなく、演出的にも冒頭で子供たちが博物館に居残るシーンでフェイクがあるくらいで、後はパニック映画になってしまって、ロックアウトされてしまった博物館から脱出するためにモンスターから逃げ回るだけという、ほとんど工夫のない単調な演出。
 ロックアウトもモンスターのせいなのか、はたまた展示品の悪魔性がなせる技なのか曖昧なままパニックして終わるという、何とも言えない作品。 (評価:1.5)