海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1996年

製作国:イギリス
日本公開:1996年12月21日
監督:マイク・リー 製作:サイモン・チャニング=ウィリアムズ 脚本:マイク・リー 撮影:ディック・ポープ 音楽:アンドリュー・ディクソン
キネマ旬報:1位
カンヌ映画祭パルム・ドール

再会した娘に「母親似なのよ」と言う台詞が泣かせる
 原題"Secrets & Lies"。秘密も嘘も複数形で、登場人物全員の秘密と嘘を指す。
 両親を亡くした黒人女性ホーテンス(マリアンヌ・ジャン=バプティスト)が、養女であった自分の出生の秘密を訪ねるという物語で、生みの母シンシア(ブレンダ・ブレッシン)が白人女性だというのがフックになっている。
 シンシアは母が早逝したために少女の頃から父と弟のために母親代わりをし、満足な教育を受けることなく慰めを求めて男関係を繰り返し、白人学生との間に出来た娘を掃除婦をしながらシングルマザーとして育ててきた。今も父弟と暮らしてきた安アパートに住み、母を嫌悪する娘ロクサーヌ(クレア・ラッシュブルック)も公務員とは名ばかりの掃除婦で、ガテン系のボーイフレンドの部屋に外泊を繰り返している。
 一方の弟モーリス(ティモシー・スポール)は、父の遺産を引き継いで町の写真屋として成功、1年前に家を新築。姪の誕生祝いを兼ねて姉をホームパーティに招待。シンシアは突然現れた黒人娘ホーテンスのやさしさに魅かれ、友人と偽って兄のホームパーティに呼ぶ。
 ホーテンスの正体は隠されていたが、耐えきれずにシンシアが告白したことから一座は大混乱。それぞれが抱えていた秘密と嘘が白日に晒され、真実こそが互いの愛情と信頼を分かち合えるという大団円となる。
 自信なく頼りなく誰かの愛情を求めながら、それでも父子家庭を支え、女手一つで娘を育ててきたことを人生の支えに生きるシンシア。黒人娘の登場によりショックを受けながらも母娘の愛情を育み、周囲に家族として受け容れさせる。一見、弱い女のように見えて実は芯のある女を演じるブレンダ・ブレッシンの演技が見もの。
 おそらくはレイプされて生まれたのであろうホーテンスをして、"She takes after her mother."(母親似なのよ)と言うシンシアの台詞が泣かせる。
 脚本を用意せず俳優の演技を積み重ねて作品を造り上げていくマイク・リーの演出力も見事だが、それを支えるイギリス演劇陣の力量が凄い。
 モーリスがスタジオで家族の肖像写真を撮るシーンで、それぞれが秘密と嘘を抱えているのを示唆するのも隠れた見どころ。カンヌ映画祭パルム・ドール受賞。 (評価:3.5)

ザ・ファン

製作国:アメリカ
日本公開:1996年10月4日
監督:トニー・スコット 製作:ウェンディ・フィネルマン 脚本:フォエフ・サットン 撮影:ダリウス・ウォルスキー 音楽:ハンス・ジマー

陽気なCAが脳炎を引き起こすのか?デ・ニーロ怪演
 ピーター・エイブラハムズの同名小説"The Fan"が原作。熱狂的な大リーグファンが主人公の話で、fanにはもともと熱狂的支持者の意味がある。このファンを演じるのがロバート・デ・ニーロで、大リーガーは自分のためではなくファンのために野球をやるというのが哲学で、冒頭から一線を踏み越えそうな狂信的ファンぶりを漂わせ、ついには贔屓選手のために殺人までするという、イッチャッタ男を名演する。このデ・ニーロの怪演を見るための映画で、楽しいエンタテイメントでも評論家受けする映画でもなく、公開は東銀座の道路下の映画館で見たが、意外と拾い物だった。
 内容から野球シーンが多いが、満員の球場の俯瞰や選手のプレーもなかなかの迫力で、決して手を抜いていない。サンフランシスコ・ジャイアンツのホームが舞台で、ゲームシーンだけでなく、街、海岸、ハイウェイ、ラジオ局、音楽、観客といった道具立てにも西海岸の陽気な雰囲気が溢れる。その中から生まれる主人公も、野球帽を被った陽気そうな男だが、炎天に脳味噌をやられてしまっている。
 この映画は、誰しも同じようにプロ野球選手に憧れた少年が、誰しも同じようにその夢を果たせずに、しがない人生を送る。果たせなかった夢をファンとなって選手に託す、誰しも同じような男の物語だが、主人公はそれだけでは満足できず、選手の力となって支えようとする。ラストシーンは予想外で衝撃的。 (評価:3)

フロム・ダスク・ティル・ドーン

製作国:アメリカ
日本公開:1996年6月15日
監督:ロバート・ロドリゲス 製作:ジャンニ・ヌナリ、マイアー・テパー 脚本:クエンティン・タランティーノ 撮影:ギレルモ・ナヴァロ 美術:セシリア・モンティエル 音楽:グレーム・レヴェル

タランティーノらしいアナーキーな脚本のブラックコメディ
 原題"From Dusk Till Dawn"で、夕暮れから夜明けまでの意。
 銀行強盗で警察に追われ手当たり次第に人を殺す凶悪犯ゲッコー兄弟が、キャンピングカーで旅行中のフラー一家を人質に取ってメキシコを目指すクライム・サスペンス。と思いきや、国境を超えてメキシコの夜間営業のストリップクラブで夜明かしをする後半、いきなり吸血鬼ホラーになるという、タランティーノらしいアナーキーなシナリオの作品。
 プロローグは状況説明のために食料品店の店員と警官の会話から始まるが、店がすでに強盗に乗っ取られていたことがわかる転換、中盤の犯罪映画からホラー映画への転換など、シナリオの意外性に優れていて、直後に店が爆発するシーンに至って思わず爆笑してしまう。半分犯罪映画、半分ホラー映画だが、全体はブラックコメディになっていて、元牧師のフラー(ハーヴェイ・カイテル)の次の台詞が秀逸。
 "Every person who chooses the service of God as their life's work has something in common. I don't care if you're a preacher, a priest, a nun, a rabbi or a Buddhist monk. Many, many times during your life you'll look at your reflection in the mirror and ask yourself, am I a fool? "(生涯の仕事として神に仕える者が必ず思うことがある。牧師、神父、尼僧、ラビ、仏僧に関係なく。鏡に映る己の姿を見て生涯幾度となく自問する、俺はバカなのか?)
 ストリップクラブが吸血鬼の根城であることがわかり、大殺戮の後、夜明けとともに吸血鬼と伝染者たちが一掃され、ゲッコー兄(ジョージ・クルーニー)とフラーの娘(ジュリエット・ルイス)だけが生き残るという展開も潔い。
 ストリップクラブ"Titty Twister"(おっぱいグルグル)では文字通りおっぱい全開。pussyの言葉も乱射され、前半は血糊、後半はぐちゃぐちゃなのでファミリーで見るのは要注意。
 ゲッコー弟を演じるタランティーノの頭のイカレっぷりがいい。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1996年11月9日
監督:ジョエル・コーエン 製作:イーサン・コーエン 脚本:ーサン・コーエン、ジョエル・コーエン 撮影:ロジャー・ディーキンス 音楽:カーター・バーウェル 美術:リック・ハインリクス
キネマ旬報:4位

実話だと見てきたようにつく嘘が楽しいサスペンス
 原題"Fargo"で、アメリカ中西部、カナダに接するノースダコタ州にあるミネソタ州境の都市名。州名はダコタ族に由来し、劇中の自動車整備工はネイティブ・アメリカン。
 物語は主人公の住むミネソタ州ミネアポリスを中心に展開し、ブレーナードの町の入口にポール・バニヤン像が立っているが、ポール・バニヤンは民話の樵の巨人。中西部の湖や川、山脈を創ったという伝説から、法螺話の象徴ともなっている。本作冒頭に実話だというクレジットが入るが、この物語そのものが法螺話=フィクション。
 その法螺話は、金に困った自動車セールスマンが、妻の狂言誘拐で義父から身代金を手に入れようと計画する。ファーゴに行ってチンピラ2人組に依頼するが、誘拐後、2人はパトカーに職質を受け、警官を殺してしまう。狂言誘拐が殺人に発展し、義父もすんなりとは身代金を払わずということで、事件は思わぬ方向に発展し、捜査する女性警官が主人公と犯人らを追いつめていく・・・というサスペンス。
 冬の事件とあって寒々しい雪景色の中で物語は進み、法螺話らしく適度に残虐シーンもあって楽しめる。
 女性警官を演じるフランシス・マクドーマンドが、朴訥とした田舎女を好演し、アカデミー主演女優賞を獲得している。他にコーエン兄弟がアカデミー脚本賞。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1997年10月18日
監督:ウディ・アレン 製作:ロバート・グリーンハット 脚本:ウディ・アレン 撮影:カルロ・ディ・パルマ 音楽:ディック・ハイマン
キネマ旬報:10位

所詮はファンタジーでしかないミュージカルへの皮肉?
 原題"Everyone Says I Love You"。
 ウディ・アレンらしい饒舌で皮肉の利いたミュージカル・コメディで、これまたウディ・アレンらしくニューヨーク、パリ、ベネチアが舞台となる。
 歌唱部分は吹き替えなしなので全員が上手いとは言えないが、それなりに味があって、主要キャラのウディ・アレンも声量のない声で頑張っている。
 パリ在住の小説家ジョー(ウディ・アレン)の大学生の娘DJ(ナターシャ・リオン)の一人称の物語で、社会活動家の母ステフィ(ゴールディ・ホーン)は弁護士の継父(アラン・アルダ)と再婚し、DJはニューヨークのハイソでリベラルな一家と暮らしている。
 義理の姉(ドリュー・バリモア)は恋人と婚約、義理の弟(ルーカス・ハース)は共和党支持で父と喧嘩が絶えず、異父妹の双子(ギャビー・ホフマン、ナタリー・ポートマン)は恋に憧れる年頃。
 夏にジョーとベネチアで過ごすことになったDJは、女運のない父のために美人の人妻(ジュリア・ロバーツ)との恋を指南、二人はいい仲になる。DJはDJでゴンドラ漕ぎに恋をして大学を辞めてイタリア移住を決意するが、帰りの空港で別の男に鞍替え、さらにラッパーと恋に。
 義理の姉は母の尽力で保釈された殺人犯(ティム・ロス)に乗り換えたものの、強盗事件に巻き込まれ婚約者と元の鞘に。ジョーは人妻とパリで同棲を始めるものの、ファンタジーが現実になってファンタジーではなくなったという理由で人妻は去り、ステフィとの愛が復活。DJにはまた新しい彼が・・・で終わり。
 尽きることのない男女の恋愛狂騒を描くが、わざわざミュージカルにする必要があったのか? それとも、所詮はファンタジーでしかないミュージカルに対する皮肉?
 年齢不詳のゴールディ・ホーン、幼いナタリー・ポートマンなど女優陣と、ベネチアの美しい映像が見どころ。 (評価:2.5)

製作国:デンマーク
日本公開:1997年4月12日
監督:ラース・フォン・トリアー 製作:ヴィベケ・ウィンデレフ、ピーター・オルベク・イェンセン 脚本:ラース・フォン・トリアー 撮影:ロビー・ミューラー 美術:カール・ユーリウスソン 音楽:レイ・ウィリアムズ
キネマ旬報:9位

章構成の扉の映像が陰鬱ながらも絵画のように美しい
 原題"Breaking the Waves"で、砕ける波の意。1970年代のスコットランド・ハイランド地方の長老派教会の村が舞台。
 聖書信仰とキリスト王権の厳格なプロテスタントの立場をとる長老派教会というのが、本作の大きなポイントで、村に住むやや頭の足りない女を通して、神学論争と長老派教会への批判を行う。
 キリスト教ないしは長老派に対する興味がなければどうでもいい作品だが、宗教の持つ教条主義や排他性、非人間性をこの極端な宗派から窺うことができる。
 エミリー・ワトソン演じる主人公の女は、教会の教えに忠実で、自らの行いに対して常に神との対話を心掛けている。
 北海油田で働く余所者の男との結婚も神の御恵みで、それによってもたらされる性生活も神の恩寵だと考えている。夫の休暇が早く来ることを神に祈った結果、夫は事故で予定よりも早く帰ってくるが、生死を彷徨う様を見てそれが自分の責任だと考える。彼女は病床の夫に尽くし、教義上離婚できないゆえに妻に愛人を作ることを求める夫の言葉を真に受けて、見ず知らずの男に体を与えてしまう。
 夫の願い=他人とのセックスの度に夫が危機を脱するのを見て、彼女はそれが神の御心だと信じ、マグダラのマリア同様、神の巫女としての売春婦になるが、トリアー監督は彼女を聖女と位置付けていて、危険な売春の結果、自らの死を招き、その献身が夫を生還させるという奇跡を生む。
 ラストシーンで彼女の葬送の際に天上の祝福の鐘が鳴るというは若干やりすぎの感もあるが、冒頭の結婚式で、鐘のない教会に鐘を付けようと話す二人の会話と対照している。
 聖書の言葉がすべてで鐘など不要と考える教会は、教会裁判によって信者の埋葬の可否、土に帰すかどうかを決め、不信心者は埋葬されたとしても地獄行きを宣言される。長老会議では女は発言を許されない。主人公の義姉が、大切なのは聖書の言葉でなくて人間だと叫ぶが、ラストに鳴る天上の鐘のアップがそれを象徴する。
 ややテーマが先走ったシナリオだが、章構成になった扉の映像が陰鬱ながらも絵画のように美しい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1997年8月2日
監督:ミロス・フォアマン 製作:オリヴァー・ストーン、マイケル・ハウスマン、ジャネット・ヤン 脚本:スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー 撮影:フィリップ・ルースロ 音楽:トーマス・ニューマン
キネマ旬報:10位
ベルリン映画祭金熊賞

妻との愛が、いかがわしい社会派映画に深み
 原題"The People vs. Larry Flynt"。ラリー・フリントは、主人公でポルノ雑誌『ハスラー』の出版者・編集長の名。
 ラリー・フリントの伝記映画で、ケンタッキー州の山村で弟と密造酒を売っていた少年時代を紹介した後、シンシナティで「ハスラー」という店名のゴーゴークラブを兄弟で経営、踊り子紹介のために制作したPR誌からヌード誌『ハスラー』に発展、ジャクリーン・オナシスのヌード写真で一躍ミリオン誌に。
 以降、家出娘との結婚、億万長者、反ポルノ団体の告訴・収監、宗教家のカーター大統領の妹との出会い、銃撃による半身不随、有名牧師の名誉棄損裁判、妻の死、連邦最高裁での勝訴までと、波瀾の人生を描く。
 物語の中心となるのは、ラリー(ウディ・ハレルソン)の表現の自由を守るための戦いと妻アルシア(コートニー・ラブ)とのラブ・ストーリーで、後者が若干いかがわしい社会派映画に深みを与えている。
 女好きのラリーが、アルシアにせがまれて結婚式を挙げ、永遠の愛を互いに誓うくだりは冗談にしか見えないが、案に反し、雑誌経営でも裁判闘争でも二人三脚ぶりを発揮。銃撃後は互いにモルヒネ中毒となり堕落まで二人三脚だが、アルシアがエイズとなり死に至るまで、地獄の底まで二人の絆は揺るがない。
 ラリーが最高裁勝訴を得て、独り、アルシアの若い頃のビデオを見るラストは感動的ですらある。 (評価:2.5)

ミッション:インポッシブル

製作国:アメリカ
日本公開:1996年7月13日
監督:ブライアン・デ・パルマ 製作:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー 脚本:デヴィッド・コープ、ロバート・タウン、スティーヴン・ザイリアン 撮影:スティーヴン・H・ブラム 音楽:ダニー・エルフマン

『スパイ大作戦』のオールドファンの意表を突くラスト
 1966-73年に放映されたテレビシリーズ『スパイ大作戦』の映画化。『スパイ大作戦』の原題は"Mission: Impossible"で、映画では邦題共に同じ"Mission: Impossible"が使われた。
 導入部分や「おはようフェルプス君」(Good morning, Mr. Phelps. )から始まり「例によって、君、もしくは君のメンバーが捕えられ、あるいは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで。なお、この録音は自動的に消滅する。成功を祈る」(As always, should you or any member of your IM force be caught or killed, the Secretary will disavow all knowledge of your actions. This tape will self-destruct in five seconds. Good luck,Jim!)で終わる指令、テープの消滅、テーマ音楽はテレビシリーズを踏襲し、公開時、スクリーンを見ながら懐かしさと共に「待ってました」とわくわくした記憶がある。
 もっとも、飛行機の中で指令を受け、カセットが煙を出すシーンでは、思わず「おいおい」と言いたくなるが、フェルプスが煙草を吸って煙を誤魔化すのには時代を感じる。
 映画では、トム・クルーズ演じるイーサン・ハントを中心に、CIAのエージェントの名簿の入った光磁気ディスク?を盗もうとする組織との争奪戦が展開されるが、IMF内に情報漏洩者がいるとして別チームがおとり捜査を行い、イーサンが疑われて情報漏洩者を探すという、シナリオ的には凝った話になっている。
 実は・・・という最後の大どんでん返しが、『スパイ大作戦』のオールドファンの意表を突く。
 CIA本部のセキュリティの甘さなど、今から見ると設定に粗は多いが、前半のプラハのシーンや、イーサンがCIA本部からリストを盗み出すシーンはハラハラドキドキのテンポの良い展開で楽しい。急行列車とヘリの特撮も頑張っている。
 フェルプスには『真夜中のカーボーイ』のジョン・ヴォイト、ジャン・レノも出演。 (評価:2.5)

マイケル・コリンズ

製作国:アメリカ
日本公開:1997年3月1日
監督:ニール・ジョーダン 製作:スティーヴン・ウーリー 脚本:ニール・ジョーダン 撮影:クリス・メンゲス 音楽:エリオット・ゴールデンサール
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

アラン・リックマンが狡猾に立ち回る政治家を好演
 原題"Michael Collins"。20世紀初頭のアイルランドの独立運動家マイケル・コリンズの伝記映画。
 時は1916年、イギリスの植民地となっていたアイルランド・ダブリンでのアイルランド共和国独立を宣言する反乱、イースター蜂起で物語は幕を開ける。
 以下、あまり馴染みのないアイルランド独立運動と、テロ活動で頭角を現したコリンズ(リーアム・ニーソン)がIRAを率いて戦い、イギリスとの和平交渉で独立と停戦の条約を結び、不十分な独立に反対するデ・ヴァレラ (アラン・リックマン)によって暗殺されるまでが描かれる。
 コリンズとハリー(エイダン・クイン)の友情、キティ(ジュリア・ロバーツ)との婚約、ダブリン市警察ブロイ(スティーヴン・レイ)の協力などのサイドストーリーも織り込まれ、アイルランド現代史を楽しく学べるが、コリンズを独立運動に身を捧げ、条約内容に葛藤しつつも平和を勝ち取った英雄として描かれる点については、監督のニール・ジョーダンがアイルランド人だけに客観的な評価が難しい。
 デ・ヴァレラは後にアイルランド第3代大統領となり、エピローグの中でコリンズの功績を讃えるが、イギリスとの和平交渉にコリンズを代表として送り出す際、コリンズがそれを辞退しようとして「あなたは政治家だが、私は破壊者で政治家ではない」と言うシーンがあって、デ・ヴァレラが政治家らしく狡猾に立ち回っている姿をアラン・リックマンが好演している。 (評価:2.5)

ファースト・コンタクト STAR TREK

製作国:アメリカ
日本公開:1997年3月15日
監督:ジョナサン・フレイクス 製作:リック・バーマン 脚本:ブラノン・ブラーガ、ロナルド・D・ムーア 撮影:マシュー・F・レオネッティ 音楽:ジェリー・ゴールドスミス

完全『新スタートレック』版は悪に徹したボーグが楽しい
 TVシリーズ『新スタートレック』(Star Trek: The Next Generation)の劇場版第2作。劇場版通算第8作。原題は"Star Trek: First Contact"。TVシリーズは1987~94にかけて7シーズン放映された。監督は副長ライカー役のジョナサン・フレイクス。
 旧シリーズの尻尾を引き摺らない完全『新スタートレック』版だが、ボーグとの戦いを描いていて、ストーリー的にもSFX的にもよくできている。
 地球に侵攻してきたボーグ・キューブを撃破したエンタープライズEは、脱出したボーグ・スフィアによって地球の歴史を書き換えられてしまった。歴史を元に戻すためにボーグが向かった21世紀にタイムスリップ、ワープ航法を発明した博士をバルカン人とのファーストコンタクトに導くが、エンタープライズEはボーグに侵略されてしまう。
 メロドラマやヒーロー、バラエティ、哲学ドラマに向かわなかったのがいい。ボーグ・キューブはデス・スターを四角くした感じだが、冒頭から宇宙の悪者らしさをアピール。ボーグも悪に徹した強面で、ボーグ・クイーンも残忍、強くて凶悪な敵が明確なのがいい。
 対するピカードもサロンでお茶を飲んでいる暇もなく、侵攻する敵とのスピーディな戦い。全員が遊んでいる余裕なく真剣に戦うので、ストーリーがだれない。コクレーン博士もヒッピー風で、レギュラーよりもキャラが立っている。
 バルカン人とのファーストコンタクトは『未知との遭遇』風。 (評価:2.5)

製作国:フィンランド
日本公開:1997年7月19日
監督:アキ・カウリスマキ 製作:アキ・カウリスマキ 脚本:アキ・カウリスマキ 撮影:ティモ・サルミネン、エリヤ・ダンメリ 音楽:シェリー・フィッシャー
キネマ旬報:3位

陰鬱だがディズニー映画と大差がないハッピーエンド
 原題"Kauas pilvet karkaavat"で、邦題の意。ヘルシンキでトラムの運転手をしている夫(カリ・ヴァーナネン)がリストラされ、妻(カティ・オウティネン)が勤める名門レストランも経営不振で解散。揃って失業した挙句に、再就職も上手くいかず、高失業率のフィンランドの社会状況を背景に夢も希望もない夫婦の苦悩を描く。
 能か人形劇を見るかのような、表情のない俳優たちの演技と台詞の棒読みは相変わらずで、このカウリスマキ独特の演出法を面白いと見るかどうかで評価は割れる。
 ただ、ストーリーだけを見れば、主人公の妻は元同僚たちと組んで新しいレストランを立ち上げようと前向きに頑張り、銀行の冷たい仕打ちを受けながらも、元経営者の棚ボタ的資金援助を受けて開店に漕ぎ着け、不安の中で店は盛況となるハッピーエンドとなる。
 どんなに辛くても弱者同士が力を合わせれば、決して天は見放さないというポジティブな映画と見ることもできるが、外食産業が不振で名門レストランが廃業に追い込まれたのに、なぜに彼女の新しい店は成功できたのかについては全く語られず、元経営者だって資金援助せずに自分がオーナーになればいいじゃないかとか、それだったら何で名門レストランが経営破綻したのかとか、結局、新しい店が成功したのもまた棚ボタなのか? というご都合主義のシナリオに、なんとも白けてしまう。
 演出法は風変わりでも、シリアスであるはずの肝腎のテーマがファンタジーなハッピーエンドでは、ディズニー映画と大差がない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1997年3月20日
監督:ティム・バートン 製作:ティム・バートン、ラリー・フランコ 脚本:ジョナサン・ジェムズ 撮影:ピーター・サシツキー 音楽:ダニー・エルフマン
キネマ旬報:8位

ハリウッドスターが次々呆気なく骸骨にされていくのが贅沢
 原題"Mars Attacks!"で、火星人襲来の意。1962年にアメリカのトップス社から発売されたトレーディングカード"Mars Attacks"が原作のSFコメディ。
 ある日突然、火星から円盤の大群がアメリカに襲来するというもので、地球よりも高度な文明を持っているのだから野蛮なはずがないという理屈で、大統領(ジャック・ニコルソン)は軍を抑えて平和裏にこれを迎える。ところが、平和の鳩を見た途端に火星人の態度が一変。熱線銃で鳩も地球人も骸骨にする戦いとなる。
 単なるディスコミュニケーション、単なる文化の違いと好意的に解釈する大統領は最後に殺されてしまい両者の戦争となるが、ウエスタンソングの"Indian Love Call"を聞いた火星人の脳味噌が破裂。大音量で流すと円盤も爆発して、火星人に勝利。火星人の弱点を発見したお婆ちゃんと孫が、大統領夫妻亡き後の娘(ナタリー・ポートマン)に叙勲されるというラスト。
 バカバカしいB級SFを楽しむ作品で、火星人を含めたビジュアルがすべて。特撮や合成を含めたSFXとギャグのアイディアが命だが、シナリオは退屈で終盤はギャグもマンネリになって若干だれる。
 ハリウッドスターが次々呆気なく骸骨にされていくのが贅沢で、ピアース・ブロスナンの色男の科学者、ロッド・スタイガーの将軍、トム・ジョーンズ役のトム・ジョーンズとおもちゃ箱をひっくり返したようなティム・バートンらしい作品になっている。
 火星人襲来に右往左往せず、妙な名誉心や損得など考えず、家族のことだけを心配した貧しく清く正しい者だけが生き残るというのもティム・バートンらしい。 (評価:2.5)

ロミオ+ジュリエット

製作国:アメリカ
日本公開:1997年4月19日
監督:バズ・ラーマン 製作:バズ・ラーマン、ガブリエラ・マルチネリ 脚本:バズ・ラーマン、クレイグ・ピアース 撮影:ドナルド・マカルパイン 音楽:ネリー・フーパー

コメディ→ミュージカル→ロマンスと目紛るしい意欲作
 原題は"Romeo + Juliet"。  中世の物語を現代に置き換えた、いわゆる意欲作。意欲作は失敗に終わるか、成功するかのどちらかだが、この作品はそのどちらでもない微妙なままで終わる。
 基本的なストーリーと台詞を変えずに現代に翻案した時点で相当な無理があって、とりわけ時代掛かった台詞は違和感が拭えない。ディカプリオはともかく、クリア・デインズに至ってはギャグではないかと思えるくらいの棒読み。17歳でそこそこ可愛くはあるのだが、庶民的すぎてジュリエットの無垢な気品が今ひとつ。
 ヴェローナもストーリーに設定を合わせるために架空の海浜都市となっているが、ゲームのGrand Theft Auto(1997)によく似た世界観。両家はマフィアに置き換えられ、銃撃戦とヘリが飛び回るコミカルな冒頭のシーンは結構楽しい。細かいカットやスロー、早送りと変幻自在のカメラワーク、途中からはミュージカルも加わって、結末がわかっているだけに後半への期待感が否が応にも高まるが、出会ってからはラブロマンスの青春映画、マキューシオが殺されるとやはり悲劇へとまっしぐらに暗転するという、腰の定まらない作品になっている。
 美術もいいし多少酔うがカメラも演出も悪くない。特にふたりが戯れるプールのシーンが美しい。最後まで退屈しないのはさすがシェークスピアというべきか。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1997年8月23日
監督:ウェス・クレイヴン 製作:ケイリー・ウッズ、キャシー・コンラッド 脚本:ケヴィン・ウィリアムソン 撮影:マーク・アーウィン 音楽:マルコ・ベルトラミ

ホラー映画をダシに使って遊ぶオマージュ的作品
 原題"Scream"で悲鳴の意。
 冒頭で高校生のカップルが殺され、次に同級生の女の子が狙われる。学校が休校となり、友達が家に集まって一夜を過ごすが、そこで惨劇が起き・・・というミステリー仕立てのホラー。
 端からハロウィングッズの髑髏のお面を被った犯人が登場し、携帯電話でホラー映画のクイズを出題する。有名ホラー映画のタイトルがいくつも登場し、本作がホラー映画のオマージュ的作品であることがわかる。
 怪しいのは父親とボーイフレンドというリードをしながら、保安官、テレビレポーター、ホラーマニアの同級生などが登場し、果たして犯人は誰かというミステリータッチの展開となっていく。
 シナリオがよくできていて、ホラーシーンも怖いが、犯人がわかってからはコメディタッチで、あとは逆転に次ぐ逆転がどこで打ち止めになるのかという展開。
 主演のネーブ・キャンベルを始め、登場する女の子たちがホラー映画向きの可愛さで、恐怖感にバイアスを掛ける。
『エルム街の悪夢』を始め、数々のホラー映画を監督してきたウェス・クレイヴンらしく、ホラーシーンのパターンをダシに使いながら、そのパターンを上手く利用して、さらにもう一度捻るという演出で飽きさせない。 (評価:2.5)

ノートルダムの鐘

製作国:アメリカ
日本公開:1996年8月24日
監督:ゲイリー・トルースデール、カーク・ワイズ 製作:ドン・ハーン 脚本:タブ・マーフィ、アイリーン・メッキ、ボブ・ツディカー、ノニ・ホワイト、ジョナサン・ロバーツ 音楽:アラン・メンケン

ストーリーは破綻がないが毒を抜かれてアクセントがない
 原題"The Hunchback of Notre Dame"で、ノートルダムの傴僂の意。ヴィクトル・ユーゴーの小説"Notre-Dame de Paris"が原作のミュージカル・アニメーション映画。
 15世紀末のパリが舞台。ディズニーらしくいくつかの変更があって、捨てられた赤ん坊のカジモドを育てるフロロは助祭長ではなく判事になっている。聖職者が後にジプシーの踊子エスメラルダに欲情し、愛人になることを強要するのは良くないという、宗教上の配慮か。
 カジモドのエスメラルダ誘拐未遂、フロロの護衛隊長フェビュス刺傷、エスメラルダ処刑、カジモドのフロロ殺害といったPG12の暴力・残酷シーンはなく、ノートルダム寺院での最終決戦でフロロが自滅した後、カジモドがエスメラルダとフェビュスの仲を取り持つ。
 原作はエスメラルダの優しさに恋したカジモドが、醜さゆえに心が通じないエスメラルダに報われない愛を捧げるという物語だが、本作ではカジモドが恋するのはエスメラルダの美しさに一目惚れしたからで、フェビュスに恋するエスメラルダのために身を引くという、通俗的な悲恋物語になっている。
 それではハッピーエンドにならないとあって、最後はカジモドが名誉を得て民衆に受け入れられるというディズニーらしい結末。原作の大筋を踏まえてストーリーは破綻なく進むが、人間の業や毒が抜かれたため、アクセントのない作品になってしまった。
 近世以前のパリの雰囲気を漂わせる美術や、ノートルダムの鍾塔を前後上下に舐める作画が、アニメーション的な見どころ。 (評価:2.5)

製作国:オーストラリア
日本公開:1997年3月22日
監督:スコット・ヒックス 製作:ジェーン・スコット 脚本:ジャン・サーディ 撮影:ジェフリー・シンプソン 音楽:デヴィッド・ハーシュフェルダー
キネマ旬報:4位

人物を描けていない点で決定的に欠陥のある作品
 原題は"Shine"(輝き)。実在のピアニストで精神病を罹患した、デイヴィッド・ヘルフゴットの半生を描く。
 オーストラリアでは有名なのかもしれないが、正直、音楽ファンでもヘルフゴットの名は知られていない。幼いころから天才的才能を発揮したのは間違いないだろうが、世界のコンサート・ピアニストにはそのような人間は大勢いて、映画の宣伝だからといってあまり持ち上げすぎると鼻白む。
 本作はそうしたよくある天才ピアニストの挫折と再生の物語で、そこに焦点を当てれば良い作品になったのかもしれない。ただ残念ながら、精神病となった彼の奇行は面白いが、天才性を強調するだけの物語は結構退屈。彼がなぜ精神病になったかが描けていない。
 実際には、オーストラリアで結婚して演奏活動を行い、離婚後に精神病で入院しているが、本作ではその点に全く触れていない。
 もう一つは父親の存在で、彼が留学に反対した理由が浅薄すぎて、おそらく別の事情があったのだろうと推測するしかない。本作は天才ピアニストの悲劇性を描いただけで、人物を描けていない点で決定的な欠陥がある。
 見どころはアカデミー賞主演男優賞を受賞したジェフリー・ラッシュの演技で、再婚の妻ギリアンのリン・レッドグレイヴもいい。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:1997年4月26日
監督:アンソニー・ミンゲラ 製作:ソウル・ゼインツ 脚本:アンソニー・ミンゲラ 撮影:ジョン・シール 音楽:ガブリエル・ヤレド
キネマ旬報:5位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞

砂丘を飛ぶ複葉機が美しいが、それ以外はいらない
 マイケル・オンダーチェのカナダの小説『イギリス人の患者』("The English Patient")が原作。
 第二次世界大戦中の北アフリカの砂漠を舞台にした、ただの不倫の物語といってしまうと身も蓋もないが、それ以上のものはない。道具立てとして、イギリス人の患者がなぜドイツ軍に協力したのか、なぜイギリス人の患者となってしまったのか、洞窟で発見した泳ぐ人の壁画、看護婦と地雷撤去のインド人少尉の恋愛といったものがあるが、あとの二つは本筋とは関係なく、単にセンチメントを演出するためだけ。
 前二つも「ああ、そうなの」程度のものでしかなく、しまりのない物語を延々と見せられる。二つの時制の同時進行も物語を煩雑でわかりにくくしているだけで、焦点がぼける。戦争に至っては二人の不倫には無縁で、背景どころか書割ですらない。本編は162分だがそれ以上に長く感じられ、90分のドラマスペシャル程度で良かったのではないか。
 不倫妻のクリスティン・スコット・トーマスは服を着ていても脱いでも魅力に乏しく、アカデミー助演女優賞の看護婦ジュリエット・ビノシュの演技がいいくらい。見どころを挙げるなら、アカデミー撮影賞を撮った雄大な砂漠のシーンで、砂嵐やとりわけ複葉機が砂丘を飛ぶ空撮シーンが美しい。
 因みにイギリス人の患者レイフ・ファインズは、『ハリー・ポッター』のボルデモート卿、イギリス人の患者を追いかけるウィレム・デフォーは『スパイダーマン』の敵グリーン・ゴブリンでお馴染み? (評価:2)

夏物語

製作国:フランス
日本公開:1996年8月24日
監督:エリック・ロメール 製作:フランソワーズ・エチュガレー 脚本:エリック・ロメール 撮影:ディアーヌ・バラティエ 音楽:フィリップ・エデル、セバスチャン・エルムス

フランスの理念、自由・平等・友愛がいっぱい詰まっている
 原題"Conte d'été"で、邦題の意。
 ブルターニュの保養地、ディナールでバカンスを過ごす青年のひと夏の顛末記。
 ガスパール(メルヴィル・プポー)は恋人と思っているレナ(オーレリア・ノラン)とディナールで落ち合ってウェサン島に行くつもりが、連絡のないまま待ちぼうけを食わされている。寂しそうにしているガスパールに声を掛けたのが叔母のレストランでアルバイトをしているマルゴ(アマンダ・ラングレ)。尻軽美人ソレーヌ(グウェナエル・シモン)を紹介されるとたちまちナンパ男に大変身。
 そこにレナが現れるが、気儘に振り回されてウェサン島行きを断念。ソレーヌと行く約束をする。ところがレナの心変わりでウェサン島行きを承諾され、断れなくてダブルブッキング。窮地に立つが、急遽趣味の音楽機材を買いにラロッシェルに行く用事が出来、天の助けとばかりこれを理由に二人との約束をキャンセルする。
 女二人を失ったガスパールは、駅に見送りに来たすべての事情を知っているマルゴにウェサン島行きを誘うが、あっさり断られるというオチ。
 本命レナ、代役ソレーヌ、キープにマルゴと三股かける青年の滑稽話で、数学の修士号を取得したという割には女の尻を追いかける以外にやることのない軽薄男。そのナンパ・バカンスの何を描きたかったのか制作意図が不明。あるいは、女を見れば嬉しそうに尻尾を振って付いてくる、女から見れば犬のように可愛い男がテーマか。
 この作品を見ていると、フランス人はセックスと金以外にはやることがないから、恋愛と食事で暇をつぶし、その言い訳に文化人のフリをしてるんじゃないかと思えてくる。
 なるほど、フランスの理念、自由・平等・友愛がいっぱい詰まっている。 (評価:2)

マチルダ

製作国:アメリカ
日本公開:1996年12月14日
監督:ダニー・デヴィート 製作:ダニー・デヴィート、マイケル・シャンバーグ、ステイシー・シェア、リッシー・ダール 脚本:ニコラス・カザン、ロビン・スウィコード 撮影:ステファン・チャプスキー 音楽:デヴィッド・ニューマン

登場人物がステレオタイプ以上のキャラクター性を持たない
 原題"Matilda"で、主人公の女の子の名。ロアルド・ダールの同名児童小説が原作。
 詐欺師の中古車ディーラーの父(ダニー・デヴィート)とスノッブな母(レア・パールマン)の間に生まれたマチルダ(マラ・ウィルソン)は、金とテレビにしか興味のない低俗な両親と兄(ブライアン・レヴィンソン)のいる家庭に育つ、まさに掃き溜めに鶴の女の子で、本を糧に自学自習で天才少女となるばかりか、サイコキネシスの超能力さえ手に入れてしまう。
 父が仕方なく入れた小学校の女校長(パム・フェリス)は児童虐待が趣味の独裁者。その養女で一人まともな大人の担任(エンベス・デイヴィッツ)の庇護を受けて、怪物のような大人たちをやっつけるというお話。
 大人は皆専制的で怪物同然という子供の視点に立ったブラックなコメディ作品だが、マチルダが超能力を使って女校長を凹ますというのがメインで、カタルシスはあっても正々堂々と戦って勝つという爽快感がない。
 桃太郎の鬼退治同じような定型的なメルヘンで、各々登場人物がステレオタイプ以上のキャラクター性を持たないのが、全体に平板な印象しか与えない。
 話を膨らませられそうなFBI捜査官二人も活きてないのも残念。 (評価:2)

チャンス!

製作国:アメリカ
日本公開:1997年9月27日
監督:ドナルド・ペトリ 製作:フレデリック・ゴルチャン、パトリック・マーキー、アダム・リープツィグ 脚本:ニック・ティール 撮影:アレックス・ネポンニアシー 音楽:クリストファー・ティン

ドナルド・トランプが登場するのも愛敬
 原題"The Associate"で、共同経営者の意。
 黒人女性が女性蔑視と黒人蔑視の中で成功するビジネス・ストーリーだが、基本はコメディなので、社会風刺でちょっぴりスパイスを効かせた娯楽作と割り切れば、そこそこ楽しめる作品。
 もっとも、ウォール街の投資コンサルタントの物語にしては、カリカチュアやデフォルメがあるにしても設定やシナリオが相当に雜。1996年の制作ということを考えれば半世紀前のステレオタイプな社会風刺モノになっていて、サクセスストーリーとしてもご都合主義で、んなわけないだろうという、リアリティに欠け過ぎた学芸会のシナリオ程度でしかない。
 女性は出世できない投資顧問会社を退職した女(ウーピー・ゴールドバーグ)が独立して会社を設立。女と黒人?は相手にされないことを悟って、カティなる架空の共同経営者を創作して有力な投資家たちを騙し、会社を成功させる。
 ところがインサイダー疑惑が浮上して、捜査を逃れるためにカティを偽装殺害。これに気づいた昔の投資会社の役員がカティを復活させ自分たちのものとする。上流界の男性専用クラブでカティが表彰されることになり、それを知った主人公が男装して会場に乗り込み正体を明かすというラストで、ハリウッド映画らしいハッピーで爽快なラストという定番の作りになっている。
 見どころは主役のウーピー・ゴールドバーグだが、秘書役のダイアン・ウィーストが上手い。ドナルド・トランプが投資家のパーティのシーンに登場するのも愛敬。 (評価:2)

101

製作国:アメリカ
日本公開:1997年3月8日
監督:スティーヴン・ヘレク 製作:ジョン・ヒューズ、リカルド・メストレス 脚本:ジョン・ヒューズ 撮影:エイドリアン・ビドル 音楽:マイケル・ケイメン

ダルメシアンの可愛い子犬を愛でるだけの動物映画
 原題"101 Dalmatians"で、101匹のダルメシアンの意。ドディ・スミスの児童小説"The Hundred and One Dalmatians"が原作。アニメーション映画『101匹わんちゃん大行進』(1961)の実写リメイク。
 飼い主の職業や結婚のきっかけなどいくつかの変更はあるが、基本的なストーリーはアニメ版を踏襲している。
 ただ一番大きな違いは、アニメ版では犬が喋ったのに対し、本作では吠えることしかできず、犬の主観で語られる物語が、カメラの客観で眺める物語へと大きく変容していて、別物の作品になってしまっている。
 制作者にとっては101匹のダルメシアンを実写化することに意味があったのだろうが、物語から犬の主観を捨てたことで、可愛い犬を愛でるだけの動物映画になってしまった。
 アニメ版では主人公のポンゴとパーディタが悪者に捕らえられた子犬たちの救出に向かい、他に捕まっているダルメシアンを併せて都合101匹のダルメシアンによる脱出劇となっているが、本作ではポンゴとパーディタは逃げ出してきた99匹のダルメシアンを出迎えるだけ。脱出劇そのものも犬が走っているだけという、見どころには程遠い内容になっている。
 物語はポンゴが散歩中にパーディタに一目惚れ。飼い主ロジャー(ジェフ・ダニエルズ)を振り払って求愛し、それがきっかけで飼い主同士も即決結婚。
 パーディタの飼い主アニタ(ジョエリー・リチャードソン)は服飾デザイナーで、社長のクルエラ(グレン・クローズ)が大の毛皮好き。ポンゴとパーディタの子犬で毛皮を作ろうと手下のジャスパー(ヒュー・ローリー)とホーレス(マーク・ウィリアムズ)に盗ませる。
 ポンゴの嘆きの遠吠えを聞いた動物たちが子犬たちを救出、ロジャーは全部の犬を引き取ってメデタシメデタシ。 (評価:1.5)


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