海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1967年

製作国:フランス
日本公開:1968年4月6日
監督:ヨリス・イヴェンス、ウィリアム・クライン、クロード・ルルーシュ、アニエス・ヴァルダ、ジャン=リュック・ゴダール、クリス・マルケル、アラン・レネ 製作:クリス・マルケル 脚本 : ジャン=リュック・ゴダール、クリス・マルケル、ジャック・ステルンベール 撮影:ジャン・ボフティ、ドニ・クレルヴァル、ギスラン・クロケ、ウィリー・クラント、アラン・ルヴァン、キュー・タム、ベルナール・ジツェルマン
キネマ旬報:9位

人々が正義を掲げた真摯な姿が今の世からは眩しく見える
 原題"Loin du Vietnam"で、邦題の意。『ラ・ジュテ』(1962)のドキュメンタリー作家クリス・マルケルの呼びかけで、フランスとオランダ、アメリカの6監督が参加した、ベトナム反戦を訴えるオムニバスのドキュメンタリー。
 フランスやアメリカのベトナム反戦運動を背景に、ハノイ北爆やボール爆弾、ナパーム弾など、アメリカの非人道的な戦闘行為やベトナム民衆の抗戦、独立戦争からベトナム戦争に至る歴史も紹介される。
 本作の中心をなしているのは、安全地帯にいる文明国の反戦運動の意味への問いで、それがタイトルでもあり、「ベトナムから遠く離れて、何ができるのか?」というのがテーマになっている。
 ペンタゴンの前で焼身自殺したアメリカ人、世界をベトナム化することがベトナム戦争の意義であり連帯と話すカストロ、それを受けて各々が各々の持ち場で平和と人権のために戦うことが、ベトナムから遠く離れて為すべきことという結論に導かれる。
 興味深いのはゴダールがそれを映画の中で常にベトナムを考え続けることだと述べていることで、それが当時の彼の作品に反映されていることに気づく。
 パリやニューヨークでは、ベトナム反戦を叫ぶ人もいれば愛国心に帰依する人もいて、歴史的な帰結が明確な今から振り返ればその対立が愚かにも見えるが、ナショナリズムやポピュリズムに踊らされる現在の世界の人々を見れば、半世紀後の今も人間は進歩していないことに気づく。
 そんな醒めた目で見ながらも、人々が正義を掲げて世の中を変革しようとした真摯な姿が、今の世からは眩しく見える。 (評価:4)

製作国:アメリカ
日本公開:1968年2月24日
監督:アーサー・ペン 製作:ウォーレン・ベイティ 脚本:デヴィッド・ニューマン、ロバート・ベントン 撮影:バーネット・ガフィ 音楽:チャールズ・ストラウス
キネマ旬報:1位

未来を拓くことのできなくなっ若い男女の死の道行の物語
 原題"Bonnie and Clyde"で、ボニーとクライドの意。主人公二人の名前。
 大恐慌時代のアメリカ中西部を舞台に暴れ回った20代のカップル銀行強盗、ボニーとクライドの出会いから死までを描く。
 当時、二人が庶民から英雄視されたのを背景に、オープニング・クレジットからアンチヒーローとしての陰陽両面を描いていて、製作時の時代背景、反体制的な若者文化とアメリカン・ニューシネマの前駆としての位置を色濃く映し出している。
 改めて見直すと、本作が単なるボニーとクライドのアンチヒーローとしての半生を描いただけではなく、また不況下にドロップアウトした若者の悲劇や体制批判だけでもないことに気づく。
 そうした状況下において未来を拓くことのできなくなった、刹那的に生きることしかできなくなった若い男女二人の道行であり、いわばアメリカ版の心中ものといえる。
 ボニーとクライド、とりわけボニー(フェイ・ダナウェイ)の視点の物語になっていて、危険な香りを身に纏うかっこいいワルであるクライド(ウォーレン・ベイティ)に一目惚れし、彼と共に銀行強盗のスリルを楽しむようになる。
 けしかけるのはむしろボニーだが、クライドには唯一足りないものがあって、それは性的能力。それでもボニーはクライドを愛し、途中から加わる仲間(マイケル・J・ポラード)や兄夫婦(ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ)を排除して二人だけの時間と空間を求める。
 警官隊との銃撃戦を繰り返しながらいつか死を覚悟しているが、一方で母親と共に暮らす安息も求めていて、安息の地はないと母に告げられた瞬間、ボニーは帰るところを失い、死の道行しかないことを悟る。
 ボニーにとっての救いは、それと引き換えにクライドが性的能力を回復したことで、晴れて完全な愛し合う男女となり、思い残すことなく心中を完遂する。
 ボニーの愛の物語であり、二人が無数の銃弾を浴びる衝撃的なラストシーンが切なく、車から崩れ落ちるフェイ・ダナウェイの演技が心に残る。 (評価:3.5)

まぼろしの市街戦

製作国:フランス、イギリス
日本公開:1967年12月16日
監督:フィリップ・ド・ブロカ 製作:フィリップ・ド・ブロカ 脚本:ダニエル・ブーランジェ、フィリップ・ド・ブロカ 撮影:ピエール・ロム 音楽:ジョルジュ・ドルリュー

精神病患者たちがこの上もなく人間らしく見えるファンタジー
 原題"Le Roi de Cœur"で、ハートのキングの意。劇中、主人公が精神病者を装うための名乗り。
 第一次世界大戦下の北フランスの町が舞台。撤退するドイツ軍が町の広場に大量の弾薬を仕掛け、教会の鐘とともに爆発するようにする。
 それを阻止するためスコットランド軍の通信兵(アラン・ベイツ)が町に潜入。町の住人を逃がした後、ドイツ兵に追われて精神病院に逃げ込み、ハートのキングを名乗って患者のふりをする。
 王に祭り上げられた通信兵は患者たちと無人の町に繰り出し、理髪師や娼婦等々に成りきってファンタジーの一夜を過ごす。ドイツ軍撤退後、通信兵が鐘が鳴るのを防ぎ、スコットランド軍入域。
 町は正常に戻り、患者たちは精神病院に帰る。通信兵は軍とともに進軍を始めるが、抜け出して精神病院の仲間になるという結末。
 戦争をする人々と精神病者のどちらが狂人か? という戦争の寓話で、主人公は兵士よりも精神病者を選ぶ。戦争の世の中だからこそ精神を病むのが正常で、戦争のない平和な町に繰り出した精神病者たちは、町に軍隊が来た途端にもと居た巣に戻る。町ではなく病院の中にこそ正常な人のための平和と安寧があるという風刺になっている。
 町に解き放たれた精神病者たちの憂いなき姿が、この上もなく人間らしく見えてくるという不思議な作品。
 ドイツ軍兵士の中にヒトラーも登場。主人公の恋人となるジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドが可愛い。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1968年6月8日
監督:マイク・ニコルズ 製作:ローレンス・ターマン 脚本:バック・ヘンリー、カルダー・ウィリンガム 撮影:ロバート・サーティース 音楽:ポール・サイモン、デイヴ・グルーシン
キネマ旬報:6位

女と恋にしか生き甲斐を見いだせないベンの情けない物語
 原題"The Graduate"で邦題の意。チャールズ・ウェッブの同名小説が原作。
 本作を名作足らしめたのは、教会のガラスを叩きながらダスティン・ホフマンが「エレーン!」と叫ぶラストシーンと、BGMとして使われるサイモン&ガーファンクルの名曲「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」「スカボロー・フェア」で、物語自体は人妻と浮気した青年が性愛に悩む話でしかない。
 スポーツに学業に模範的な大学生活を送った青年ベンジャミン(ダスティン・ホフマン)が、ロサンゼルスの実家に帰り、両親や周囲の人々から卒業の祝福を受けるシーンから物語は始まる。
 しかし、周囲の期待とは裏腹に彼には目標とすべき未来が見えず、そんな心の隙間に忍び込むのが夫との愛のない生活を送るロビンソン夫人(アン・バンクロフト)。初めての女性に夢中になるベンと、火遊びが本気に変わっていくロビンソン夫人。その二人の関係に入り込むのが夫人の娘で幼馴染のエレーン(キャサリン・ロス)。二人は愛し合うようになるが、夫人の嫉妬から不倫がばれてしまう。
 大学に戻ったエレーンを追ったベンの熱意が通じて、二人はよりを戻すものの、ロビンソン夫妻の反対に遭い、エレーンは学友と無理やり結婚させられてしまう。その結婚式の教会にベンが駆け付け花嫁を略奪するのが、ラストの名シーン。
 女と恋にしか生き甲斐を見いだせないベンの情けない物語ながら、公開当時の、何不自由ない豊かさの中で、目的を持てない若者たちという時代への反省があって、それが反体制や反戦・反文明といったヒッピーなどの若者文化の萌芽となった、アメリカン・ニューシネマの代表作。不安を懐いたままの二人の旅立ちは、アメリカの既成の社会と価値観への訣別でもある。
 そうしたいつの時代にもある若者たちの閉塞感と倦怠が、サイモン&ガーファンクルのメロディーに乗って見事に描き出されていて、超望遠レンズで切り取った孤立するベンの姿の虚しさが胸に迫る。
 キャサリン・ロスの小柄で知的な美貌が当時人気だった。  (評価:3)

製作国:ソ連
日本公開:1967年11月23日
監督:セルゲイ・ボンダルチュク 製作:セルゲイ・ボンダルチュク 脚本:セルゲイ・ボンダルチュク、ワシリー・ソロビヨフ 撮影:アナトリー・ペトリッキー 美術:ハイル・ボグダノフ、ゲンナジー・ミャスニコフ 音楽:ヴァチェスラフ・オフチンニコフ
キネマ旬報:9位
アカデミー外国語映画賞

愛国心と社会主義を鼓舞する国策映画の感を免れない
 原題"Война и мир"で、戦争と平和の意。レフ・トルストイの同名小説が原作。
 4部シリーズのの第3部"1812 год"(1812年)、第4部"Пьер Безухов"(ピエール・ベズホフ)で、日本では併せて完結篇として公開された。
 第3部はナポレオン軍のロシア侵攻に脅えるロストフ伯爵(ヴィクトル・スタニツィン)家の令嬢ナターシャ(リュドミラ・サベーリエワ)、アンドレイ(ヴャチェスラフ・チーホノフ)の父ボルコンスキー公爵(アナトリー・クトーロフ)の死から始まり、クトゥーゾフ将軍(ボリス・ザハーワ)率いるロシア軍とナポレオン軍との双方に甚大な損害を与えた、1812年9月のボロジノの戦いを中心に描かれる。
 愛国心に芽生えたピエール(セルゲイ・ボンダルチュク)が戦場に出掛け一部始終を目撃して戦争の悲惨さと愚かさを実感、アンドレイは再び瀕死の重傷を負う。
 第4部はロシア軍の撤退とモスクワ放棄、ロストフ伯爵家のモスクワからの避難、ナターシャとアンドレイの再会、ナポレオンを暗殺するためにモスクワに残ったピエールの捕縛、アンドレイの死、ナポレオン軍のモスクワ撤退と冬将軍との敗北まで。
 ピエールは知り合った農民兵、フランス兵捕虜を通じて、人間は等しく幸福に生きなければならないという人間存在の意味を悟る。
 帝都ペテルブルグの貴族たちの安逸、自軍を置いてのナポレオンの敗走、ロシア軍の寛容などを強調して、愛国心と社会主義を鼓舞する国策映画の感を免れないが、ボロジノの戦いは大量の軍隊を投入した飽きるくらいのカット数の描写で圧巻。CGなしでは二度と撮れない戦争大絵巻となっている。
 イメージシーンを織り混ぜて、やや主観的になっているのが若干マイナスか。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1967年10月25日
監督:ノーマン・ジュイソン 製作:ウォルター・ミリッシュ 脚本:スターリング・シリファント 撮影:ハスケル・ウェクスラー 音楽:クインシー・ジョーンズ
キネマ旬報:8位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞

黒人が綿花を摘むコットンフィールドのシーンは必見
 原題は"In the Heat of the Night"(夜の熱気の中で)。ジョン・ボールの同名小説が原作。
 公民権運動が盛り上がっていた時期の作品で、そうしたアメリカの歴史の1ページと黒人差別の実態を知ることのできる点で、価値ある作品。もっとも、シドニー・ポワチエ演じる黒人刑事が優等生的な模範黒人であり、ロッド・スタイガー演じる白人署長との和解が白人社会にとって平和的かつ白人の尊厳を気付けないというぬるま湯的反人種差別映画という点で、現在の人権意識からは批判される余地が相当ある。ただ当時としては、この穏健な映画を作るのがやっとという人種差別が横行していたという証明にもなっている。
 舞台は南部ミシシッピの片田舎。乗り換え列車を待っていた黒人が発生したばかりの殺人事件の容疑者として逮捕される。当時の南部では黒人は人として扱われてなく、黒人というだけで疑われ、殺されても適当な理由をつけて闇に葬られる。逮捕された黒人の正体がフィラデルフィア警察の殺人課のエリート刑事ということがわかり、殺された男の妻や市長の要請もあって署長は捜査を依頼することになる。
 殺されたのは南部で工場を建設しようという北部から来た実業家。刑事は捜査を始めるが、黒人と同席することはおろか、白人が黒人に取り調べを受けるなどというのは屈辱でしかない。刑事は命を狙われるが、保守的で頑固な署長も次第に心を許すようになり、刑事を守る立場に転じていく。
 その南部の粗野だが心根のいい男をスタイガーが好演してアカデミー主演男優賞を獲得している。もっとも人種差別主義者だが、本当は気がよくて、優等生的な黒人とは理解しあえるナイスガイという、白人なら誰でも喜びそうなこの人物像が、当時のアメリカ社会の限界を示していた。
 そうした批判を超えてもよくできた映画で、奴隷時代そのままに南部大農場のコットンフィールドで綿花を摘む黒人労働者のシーンは、時代を記憶しておくという点でも貴重な映像。
 ポワチエはハンサムだが、役柄もあって若干演技が硬く、人間味のある男を演じるスタイガーにいいところを持っていかれている。 (評価:3)

招かれざる客

製作国:アメリカ
日本公開:1968年4月6日
監督:スタンリー・クレイマー 製作:スタンリー・クレイマー 脚本:ウィリアム・ローズ 撮影:サム・リーヴィット 音楽:フランク・デ・ヴォール

異人種間結婚をテーマに平等の理念と感情の自己矛盾を描く
 原題"Guess Who's Coming to Dinner"で、夕食に来るのは誰でしょうの意。
 リベラルな新聞社主の一人娘が突然家に帰ってきて、連れてきた黒人との結婚を宣言するというドラマで、サプライズにショックを受ける娘の両親、黒人のメイド、父の友人の神父、黒人の両親が夕食で一堂に会する。
 娘のジョアンナ(キャサリン・ホートン)に自由平等を説いてきた父ドレイトン(スペンサー・トレイシー)は、二人を待ち受ける人種差別の過酷な現実、生まれてくる子供の行く末を心配して結婚に反対。ドレイトン夫人(キャサリン・ヘプバーン)は娘の幸せのために賛成。婚約者ジョン(シドニー・ポワチエ)の父は反対、母は賛成。多くの異人種カップルの結婚に立ち会ってきた神父(セシル・ケラウェイ)は、より強固な愛情が育まれると賛成する。
 面白いのが黒人メイドで、ジョンの不純な魂胆を疑い猛反対する。
 ジョンが優等生のエリート黒人という設定で、最後に結婚を認めるドレイトンが夕食の席でこれまた優等生の大演説をぶつのが若干きれいごとながらも、ヒューマニストのスタンリー・クレイマーらしい直球勝負の清々しさが残る。
 昨今流行りの人種差別、性差別等を扱った作品のほとんどが、差別の本質に迫らない偽善的な正義感でお茶を濁しているのに比べれば、リベラリストを標榜するドレイトンの自己矛盾、すなわちスタンリー・クレイマー自身の内面を曝け出した自己批判の作品ともいえ、ドレイトンの演説に嘘偽りがないかはともかく、クレイマーのクリエイターとしての真摯な態度に好感が持てる。
 本作の公開から半世紀以上の年月が流れるが、人間が持つ差別感情は変わってなく、理念との自己矛盾を描いた作品として、今も制作者が見習うべきもの。
 本作はアカデミー主演女優賞を受賞したキャサリン・ヘプバーン、パートナーだったスペンサー・トレイシー、シドニー・ポワチエに負うところが大きく、3人の演技が最大の見どころ。娘役のキャサリン・ホートンはキャサリン・ヘプバーンの姪。
 スペンサー・トレイシーは撮影終了後に急死し、本作が遺作となった。 (評価:3)

冒険者たち

製作国:フランス
日本公開:1967年5月18日
監督:ロベール・アンリコ 製作:ジェラール・ベイトー、ルネ・ピニェア 脚本:ロベール・アンリコ、ジョゼ・ジョヴァンニ、ピエール・ペルグリ 撮影:ジャン・ボフェティ 音楽:フランソワ・ド・ルーベ

お洒落なフランス的悲劇。大西洋に浮かぶ要塞島が必見
 原題は"Les Aventuriers"で邦題の意。
 免許を剥奪された飛行家(アラン・ドロン)、新型エンジンの開発に失敗した自動車技師(リノ・ヴァンチュラ)、個展でこき下ろされた前衛芸術家(ジョアンナ・シムカス)の3人がコンゴの海底に沈んだ飛行機の宝捜しをする物語。この財宝を横取りしようとする男たちが現れ・・・と、ここからはフランス的悲劇が待っていて、シムカスの故郷エクス島を訪ねたドロンとヴァンチュラは、彼女が財宝が手に入ったらみんなで住みたいと夢物語に語った海の中の城が、実在することを知る。
 如何にもおフランスなお洒落な映画で、冒頭の曲芸飛行や車の試験走行、前衛芸術の数々は大きな見どころ。コンゴに飛んでからも楽しいバカンスで、銃撃戦のアクションもばっちり。女の故郷エクス島沖に浮かぶ城も観光気分に浸れる。
 城はフォール・ボワヤール(Fort Boyard)と呼ばれる大西洋の要塞島で19世紀に対英用に造られたもの。第二次大戦ではドイツ軍が訓練に使用。現在は観光名所。
 フランソワ・ド・ルーベの哀愁のある音楽もいい。 (評価:2.5)

製作国:イタリア、フランス、アメリカ
日本公開:1968年10月26日
監督:ロジェ・ヴァディム 製作:ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:ジャン=クロード・フォレ、クロード・ブリュレ、クレメント・ウッド、テリー・サザーン、ロジェ・ヴァディム、ヴィットーリオ・ボニチェッリ、ブライアン・デガス、テューダー・ゲイツ 撮影:クロード・ルノワール 音楽:チャールズ・フォックス

新妻ジェーン・フォンダのPV、おバカ映画の傑作
 フランスのジャン・クロード・フィレのSFコミックが原作。ロジェ・ヴァディムが3人目の妻ジェーン・フォンダを主役に撮った作品。オープニングはジェーン・フォンダのストリップシーンから始まるが、最初にテレビ放送で観た時には当然カットされていた。
 未来の宇宙を舞台に、露出度の高い衣装に身を包んだジェーン・フォンダの性的魅力をたっぷりに描く、いわば夫が撮った新妻のPV。掌を合わせてエクスタシーを感じるという宇宙時代の進歩したセックス。セックスマシーンによる拷問というバカバカしいストーリーに、チープな美術と天使のコスチュームが彩りを添える。このくだらなさを楽しむことで、おバカ映画の傑作となった。
 どちらかというと趣味人のための映画で、万人に薦められる映画でもないので評点は低め。 (評価:2.5)

007は二度死ぬ

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:1967年6月17日
監督:ルイス・ギルバート 製作:ハリー・サルツマン、アルバート・R・ブロッコリ 脚本:ロアルド・ダール 撮影:フレディ・ヤング 音楽:ジョン・バリー

スパイ映画というよりはサンダーバード+戦隊物+特撮物
 原題は"You Only Live Twice"で、人生は二度しかないの意。シリーズ第5作。イアン・フレミングの同名小説が原作。
 日本が舞台となったことで話題になった作品で、ボンドガールに浜美枝、若林映子。丹波哲郎が主要キャストで出演している。
 もっとも物語はコメディかと思えるくらいに珍奇な勘違い日本文化が登場し、霧島・新燃岳のカルデラ湖がスペクターの秘密基地となるという、サンダーバード+戦隊物+特撮物的なノリで、うっかりするとスパイ映画だということを忘れるようなテイスト。
 ロケ地も一目でわかる場所が多く、スペクターの隠れ蓑となる大里化学工業本社はホテル・ニューオータニで、日本の諜報部が丸ノ内線の車両というトンデモぶり。蔵前国技館と横綱・佐田山、姫路城と忍者・空手、鹿児島・坊津と海女、熊野那智大社と花嫁衣裳、東京オリンピック後の代々木・駒沢と、オリエンタルムードもたっぷり。丹波の日本家屋の大邸宅では湯女まで登場する。
 そういった珍奇な趣向に目を奪われてしまって、ストーリーはでんで頭に入らないのだが、面白すぎてみていて飽きない。空撮の多用など製作費はかかっていて結構スぺクタル。
 その物語はというと、スペクターがUFOで米ソの宇宙船を奪って、両国の対立を引き出す。すわ、核戦争の危機なのだが、それがスペクターの目的なのか、はたまた宇宙船を奪ってどうしたいのか、さっぱりわからない。
 それはともかく、奪われた宇宙船が日本に着陸したらしいと、ボンドが日本に潜入するのだが、有名人のためか? 香港で一度殺されたことにして、秘密裏に行動させるというのも、もともとスパイなんだからその必要はあるのか? とよくわからない。
 そうして、怪しげな大里化学工業を糸口にしてスペクターの秘密基地を突き止め、最後は忍者集団でやっつけるという、サンダーバード+戦隊物+特撮物。浜美枝がビキニ姿で霧島高原を駆け回る姿が笑える。
 映画はコメディだが、ジョン・バリーの音楽はまともで、ナンシー・シナトラの歌う主題歌がヒットした。結婚式に演奏される琴を使った曲がリリカル。 (評価:2.5)

サムライ

製作国:フランス
日本公開:1968年3月16日
監督:ジャン=ピエール・メルヴィル 製作:ジョルジュ・カサディ 脚本:ジャン=ピエール・メルヴィル 撮影:アンリ・ドカエ、ジャン・シャルヴァン 音楽:フランソワ・ド・ルーベ

ニヒルなサムライという一言で済ませて雰囲気を楽しむ
 原題"Le Samouraï"。
 いわゆるフィルム・ノワールで、一匹狼の殺し屋の仕事ぶりを見せる映画。
 冒頭、「サムライほど孤独なものはない。密林の虎を除いては・・・おそらく・・・武士道(サムライの書)」といういささか恥ずかしい題辞が入るが、アラン・ドロンがこの一匹狼の殺し屋=サムライを演じる。
 徹頭徹尾、無口なため、何を考えているのかよくわからないが、娼婦の恋人以外に味方はなく、ペットの小鳥以外に友達もなく、誰からも信用されない、孤独なぼっち男。見どころは、このクールでニヒルな二枚目アラン・ドロンに尽きるが、コートに帽子姿がスタイリッシュでかっこいい。
 最初の殺人現場で歌手の女に顔を見られてしまうが、警察での首実検で女が否定。疑いの晴れないアランが泳がされていると考えた謎の依頼者はアランを殺そうとするが失敗。依頼者の正体を探すアランは新たに殺人依頼を受けるるが、ターゲットは歌手の女で、この依頼を果たすのがラストとなるが、思わぬシーンが待ち受ける。
 アランがこの直前に踏み込む依頼者宅が、謎解きの鍵となっているが、ラストシーンを含めてアランの行動にも謎が残るが、そこはニヒルなサムライという一言で済ませて雰囲気を楽しむ作品となっている。
 情婦を演じるのは妻のナタリー・ドロンでこれが映画デビュー。その後に起きたマネージャー殺人事件で二人の関与が疑われ、映画を地で行く疑惑となった。 (評価:2.5)

暗くなるまで待って

製作国:アメリカ
日本公開:1968年5月8日
監督:テレンス・ヤング 製作:メル・ファーラー 脚本:ロバート・ハワード・カリントン、ジェーン=ハワード・カリントン 撮影:チャールズ・ラング 音楽:ヘンリー・マンシーニ

オバサンになったヘプバーンは暗闇で見るべきか?
 原作は1966年初演のブロードウェイ劇。フレデリック・ノットの戯曲をアーサー・ペンが演出してヒット。翌年映画化されたが、監督は007シリーズのテレンス・ヤング。アーサー・ペンはこの年、『俺たちに明日はない』を監督しているが、『暗くなるまで待って』の映画化には興味がなかったのか?
 映画は基本的には舞台劇に忠実で、ヘンドリクス家のセットを中心に進行する。舞台劇の匂いはふんぷんで、映画として見た場合にリアリティを感じられない物語進行も、これを演劇だと割り切ればフィクショナルな点もそれはそれで楽しめるのかもしれない。原題の"Wait Until Dark"のとおり暗闇のシーンは効果的で、むしろ舞台で見てみたいと思わせる。
 ほとんど出ずっぱりのオードリー・ヘプバーンは当時38歳で、『ローマの休日』(1953、24歳)の時の面影は薄い。顔のきれいな痩せぎすのおばさんを中心に展開する若干退屈な物語だが、公開当時、日本で話題になったのは、ヘプバーンが日本人好みでまだまだファンが多かったから。それを確かめるというのが、この映画の見どころか。 (評価:2.5)

製作国:イタリア
日本公開:1969年3月8日
監督:ピエル・パオロ・パゾリーニ 製作:アルフレド・ビニ 脚本:ピエル・パオロ・パゾリーニ 撮影:ジュゼッペ・ルッツォリーニ 音楽:ピエル・パオロ・パゾリーニ
キネマ旬報:1位

シルヴァーナ・マンガーノの年齢不詳の不思議な魅力
 古代ギリシャ悲劇、ソポクレスの戯曲『オイディプス王』(Edipo Re)の映画化。原題は"Edipo Re"で、邦題のつけ方が上手かった。
 良く知られた物語で、時系列で物語が進む以外に新しいものはない。荒涼とした砂漠でのロケは映像的には不思議な感覚をもたらすが、現代における遺跡は二千年以上を経た廃墟であって、ギリシャ悲劇の当時においては廃墟であるわけがなく、終始、違和感を感じ続ける。
 芸術映画として見るのでなければ、『オイディプス王』をなぞっただけの物語に魅力はなく、見どころとなるものも演出や演技に際立ったものがあるわけでもなく、前半は単調。テーバイに疫病が蔓延し、オイディプスの出生の秘密が問題になる段になってようやくドラマ性を帯びてくるが、それも粗筋をなぞっている印象しか残らない。
 ギリシャ悲劇の映像化としては、舞台を劇場から自然の中に移したということでそれなりの意味はあるが、本作がなぜキネマ旬報1位に選出されたのかがよくわからない。
 公開時に印象的だったのは、母のイオカステを演じたシルヴァーナ・マンガーノで、年齢不詳の能面のような美女だったが、当時37歳で、息子の妻になるという年齢ギャップを感じさせない不思議な魅力を漂わせている。 (評価:2.5)

昼顔

製作国:フランス
日本公開:1967年9月30日
監督:ルイス・ブニュエル 製作:ロベール・アキム、レイモン・アキム 脚本:ジャン=クロード・カリエール、ルイス・ブニュエル 撮影:サッシャ・ヴィエルニ
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

人妻の白昼夢なのか観客の白昼夢なのかというシュール
 原題"Belle de jour"で、邦題の意。ジョセフ・ケッセルの同名小説が原作。
 "Belle de jour"(ヒルガオ)は主人公の源氏名で、"belle de nuit"(オシロイバナ)が「夜の女」の俗語であることから、昼間だけの娼婦である主人公の源氏名に「昼の女」の意味を持たせている。
 セヴリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)は医師ピエール(ジャン・ソレル)の貞淑な妻だが、不感症でベッドを共にするのを拒絶している。一方で、マゾヒスティックな白昼夢にも取り付かれ、ピエールの友人で女たらしのユッソン(ミシェル・ピッコリ)に嫌悪感を抱いているが、それらの原因は、子供の時に受けた性的悪戯に起因している。
 セヴリーヌはトラウマを解消すべく、ユッソンから聞いた娼館マダム・アナイスの部屋を訪ね、昼間だけの高級娼婦となる。やがてセヴリーヌの不感症は治り、夫を喜ばせる充実した日々となる。
 しかし贔屓客のマルセル(ピエール・クレマンティ)が夫との離婚を要求するようになり、ユッソンにも秘密を知られてしまい、セヴリーヌは娼婦をやめる。そして自宅に押しかけてきたマルセルが夫を銃撃、警官に射殺されるものの、夫は廃人のようになってしまう。
 ユッソンが訪れ、セヴリーヌの秘密をピエールに話して帰るが、二人きりになったセヴリーヌは、夫が元気に車椅子から立ち上がり彼女に微笑みかける白昼夢を見ながら物語は終わる。
 一見安っぽい官能ドラマだが、それを現実と白昼夢、過去の出来事が渾然一体となったシュールリアリズムの映像として描くブニュエルの演出法が見どころ。
 とりわけ不可解なラストシーンは、それがセヴリーヌの白昼夢なのか、それともそれまでの物語のすべてが実は白昼夢、観客にとっての白昼夢だったのではないかとも思わせる、ブニュエルらしいシュールな作品になっている。
 ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞。ドヌーヴが美人なだけで今一つ性的魅力に乏しいのが惜しい。 (評価:2.5)

中国女

製作国:フランス
日本公開:1969年5月30日
監督:ジャン=リュック・ゴダール 製作:マグ・ボダール 脚本:ジャン=リュック・ゴダール 撮影:ラウール・クタール 音楽:クロード・シャンヌ

マオイズムに感化されたパリの若者たちの空気感を記録している
 原題"La Chinoise"で、邦題の意。
 文化大革命が中国を席巻した当時、マオイズムに感化されたパリの若者たちを描いたもので、麻疹に罹っていく様子をドキュメンタリーを見るかのように描く…というよりも空気感を記録していて、リアルタイムでなければこのように描けなかったという点で貴重な作品。
 当時の状況を知らないと戯画のようにしか見えないが、このようなバカげたことがパリのインテリに広まり、ゴダールが影響を受け、五月革命に結びついていった。
 物語はパリ大学の女子学生ヴェロニク(アンヌ・ヴィアゼムスキー)が北京放送を聴くマオイズムの学習会に参加。マオイストの細胞となっていき、テロによる大学閉鎖とソ連文化相の暗殺を計画する。
 反対した一人は修正主義者として除名され、一人は自殺。計画実行に向かう列車の中でヴェロニクは哲学科教授フランシス・ジャンソン(本人)と議論し、暗殺を実行して終わる。
 全編マオイズムの議論に終始するが、紅衛兵たち若者の造反有理そのままのヴェロニクの理屈は、今から見れば理性を欠いていて、袋小路を突き進んだ連合赤軍を暗示する。
 アルジェリア戦争の反政府活動家であったジャンソンとの議論が圧巻で、ヴェロニクを通したゴダールとの対話となっている。
 マオイズムは完全にジャンソンに論破されていて、文化大革命は破壊主義であって何ものも文化を残さないという結論に至るが、最後に破棄される大量の毛沢東語録の本からは、ゴダール自身がこれを受け入れているように見える。 (評価:2.5)

製作国:イギリス
日本公開:1969年8月2日
監督:ジョセフ・ロージー 製作:ジョゼフ・ロージー、ノーマン・プリッゲン 脚本:ハロルド・ピンター 撮影:ジェリー・フィッシャー 美術:カーメン・ディロン 音楽:ジョン・ダンクワース
キネマ旬報:7位

アクシデントの真相が語られず不満が残る
 原題"Accident"で、劇中、中心となる自動車事故のこと。
 この事故発生から大学教授(ダーク・ボガード)がそれまでの出来事を回想する形をとっていて、教え子のオーストリアからの女子留学生(ジャクリーヌ・ササール)に翻弄される、教授を含めた3人の男たちのシリアスな恋愛劇となっている。
 自動車に乗っていたのは彼女と男子学生(マイケル・ヨーク)で、婚約報告に来る途中の家の近くでの事故。男子学生は即死するが、教授は運転していた女子学生を警察から匿い、放心状態の彼女をモノにしてしまうという破廉恥な行動をとる。
 それもそのはず、彼女に密かな恋慕を感じていて、同僚(スタンリー・ベイカー)が彼女をモノにしたのを指を咥えて見ていて、男子学生の交際にも大人の態度をとっていたが、もともと女子学生が自分を誘っている風だったので、この時とばかりに思いを遂げてしまう。
 こう書くと如何にも下世話な作品のようだが、そこはカンヌ映画祭で審査員特別グランプリを受賞しただけあって、若さを失った生真面目な男が若い娘への恋と嫉妬に悶える、葛藤の物語となっている。
 ラストは一人ライバルが消えた中で、女子学生がオーストリアに帰国してジ・エンドとなるが、ミステリー風でもありながら交通事故の真相は語られず、そもそも女子学生が何を考えていたのかよくわからず、教授は思いを遂げてどうだったの? という感想しか残らず、不満の残る結末となっている。 (評価:2.5)

製作国:フランス、イタリア
日本公開:1969年10月25日
監督:ジャン=リュック・ゴダール 脚本:ジャン=リュック・ゴダール 撮影:ラウール・クタール 音楽:アントワーヌ・デュアメル
キネマ旬報:4位

理性なき人々を描くストレス発散お遊び映画
 原題"Week-end"。
 ゴダールの現代文明批評とされる作品で、パリに住む夫婦(ジャン・ヤンヌ、ミレーユ・ダルク)が週末に田舎へのドライブ旅行に出かけるというフランスらしいストーリーだが、描かれるエピソードは不条理かつ過激なほどにアナーキーで、そうしたカルト的な映画が好きな向きには楽しめるが、一般的な整合性のあるストーリーを求める人には不可解と混乱しか残さない。
 これを現代文明批評とするには、何を批評しているのかさっぱりわからず、映画に暗喩を求める作業が好きでないと、無駄な労力を使ってまで理解する気にはならない。
 いや、そうではなく、これはストレスを発散するための単なるお遊び映画に過ぎず、現代文明批評なんかではないと達観し、頭を真っ白にして見れば、それなりの暇潰しにはなる。
 冒頭、欲望にまみれた不健全な都会人たちの会話から始まり、主人公の夫婦をはじめ隣人や誰も彼もが堪え性がなく短絡的で攻撃的。
 日常生活での人々のストレスや不満を抑えつけている理性の蓋を外したらどうなるか? を描き、行く先々で暴力・殺人等々に出くわす。
 ドライブに出掛けた二人がいきなり渋滞に巻き込まれる一本道で、車列のシーンを移動撮影する長回しが見所。交通事故の凄惨なシーンや、生きている豚や鶏を殺すシーンも出てくるので要注意。 (評価:2)

世にも怪奇な物語

製作国:フランス、イタリア
日本公開:1969年7月12日
製作:アルベルト・グリマルディ、レイモンド・イーガー
(第1話)監督:ロジェ・ヴァディム 脚本:ロジェ・ヴァディム、パスカル・カズン、ダニエル・ブーランジェ 撮影:クロード・ルノワール 音楽:ジャン・プロドロミデス
(第2話)監督:ルイ・マル 脚本:ルイ・マル、クレメン・ビドルウッド 撮影:トニーノ・デリ・コリ 音楽:ディエゴ・マッソン
(第3話)監督:フェデリコ・フェリーニ 脚本:フェデリコ・フェリーニ、ベルナルディーノ・ザッポーニ 撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ 音楽:ニーノ・ロータ
 
3人の名監督がそれぞれ勝手に作った不思議なオムニバス
 原題は"Histoires extraordinaires"で、異常な物語の意。3話からなるオムニバス構成。いずれもエドガー・アラン・ポーの短編小説が原作で、第1話は"Metzengerstein"(メッツェンガーシュタイン)、第2話は"William Wilson"(ウィリアム・ウィルソン)、第3話は"Never Bet the Devil Your Head"(悪魔に首を賭けるな)。
 第1話はロジェ・ヴァディムが新妻ジェーン・フォンダを主演に撮ったもので、伯爵令嬢のセクシーかつ大胆なコスチュームが見どころ。胸を強調した革製の胴着、太股も露わな乗馬スタイルは必見か。物語は我儘な令嬢が近所の男爵を好きになるも振り向いてくれず、厩に放火したところが男爵は愛馬もろとも焼死してしまう。此の男爵、動物愛好家で心を通わすことができ、黒馬になって復活。令嬢はこの幽霊馬を愛馬にするが、駆けているうちに炎に包まれて・・・とよくわからないラスト。
 ルイ・マル監督の第2話は、アラン・ドロンが悪童の頃よりのドッペルゲンガーに付き纏われる話。悪行のし放題で、ある日、ブリジット・バルドーを賭博に誘い、いかさまで負かして鞭打ちの刑にするが、ドッペルゲンガーが現れて助け出す。怒ったドロンがドッペルゲンガーを刺殺し、司祭に懺悔するが信じてもらえず塔の上から投身自殺。その胸にはドッペルゲンガーを刺殺したナイフが刺さっていたという不思議。話としてはよくまとまっていて、バルドーの気風のいい博打打ぶりが見どころ。
 フェリーニの第3話は、アル中のイギリス俳優がフェラーリのプレゼントに魅かれてローマの映画に出演することになるが、怖そうな少女の幻影に悩まされ、フェラーリで轢き殺そうとしたところが自分が死んでしまうという、訳の分からない話。ファッションショー風のシーンもあって、いかにもフェリーニ風なところが見どころ。
 ポーの不思議譚を3人の個性派監督で楽しむという趣向だが、それぞれ勝手なことをやっていて、全体としては統一感がなく、これは企画とプロデュースの失敗ではないかという、なんとも残念な作品。 (評価:2)

コレクションする女

製作国:フランス
日本公開:公開日不明
監督:エリック・ロメール 製作:バルベ・シュローデル、ジョルジュ・ドゥ・ボールガール 脚本:エリック・ロメール 撮影:ネストール・アルメンドロス 音楽:ブロッサム・トーズ、ジョルジュ・ゴメルスキ

モヤモヤしたフラストレーションだけが残る
 原題"La Collectionneuse"で、コレクターの意。連作「六つの教訓話」第4作。
 あらすじ紹介には、骨董蒐集家との商談のために南仏サン・トロペの友人ロドルフの別荘に滞在することになった青年アドリアン(パトリック・ボーショー)が男に奔放な美少女アイデ(アイデ・ポリトフ)と出会い、アーティストのダニエル(ダニエル・ポムルール)ともども翻弄される…と書かれているが、それがすべての作品。
 アイデ・ポリトフはロシアとフランスの混血で、水着姿の似合う丸顔でコケティッシュな美少女。男たちを誘い、夢中にさせる小悪魔的な美少女を演じ、アドリアンでなくてもよろめいてしまう。
 アドリアンが別荘に到着した昼日中に男をベッドに引き込んでいる始末で、ダニエルは彼女を男のコレクターと呼んでいるというのがタイトルの由来。
 恋人のいるアドリアンは、アイデに魅了されてダニエルに勧められながらも、モラル的に彼女と寝ることを拒絶するが、とうとう…というところで別の男を摑まえるアイデを見て、魔女の誘惑を断ち切るべく恋人のいるロンドンに向かう。
 映画の中の男たち同様、魅力的なアイデを鑑賞することを求められるが、スクリーンの中に手を伸ばすこともできず、モヤモヤしたフラストレーションだけが残る。 (評価:2)

出発

製作国:ベルギー
日本公開:1999年1月14日
監督:イエジー・スコリモフスキ 脚本:イエジー・スコリモフスキ アンジェイ・コステンコ 撮影:ウィリー・クラン
ベルリン映画祭金熊賞

車と恋を描く笑いのセンスが今ひとつわからないコメディ
 原題"Le départ"で、邦題の意。
 車大好きの19歳の少年マルク(ジャン=ピエール・レオ)が、車を持っていないのにポルシェで自動車レースに参加するという話で、ポルシェ調達のために七転八倒するというコメディ。
 もっともポーランド出身のスコリモフスキ監督の笑いのセンスが今ひとつわからないコメディで、ときどきナンセンスギャグが飛び出すもののあまり笑えない。
 マルクは有閑夫人相手の美容院の見習いで、ポルシェで自動車レースに出場申請したものの肝腎の車がない。そこでディーラーからポルシェを詐取しようとしたり、美容院の客から借りるために金集めに奔走する。
 その間に元モデルの美少女ミシェール(カトリーヌ・イザベル・デュポール)と知り合い、マルクを好きになったミシェールも手伝って、ポルシェを手に入れるために骨折りする。
 ようやくポルシェが手に入り、レースに参加するために前夜ホテルに乗り込むが、ミシェールの誘いにも拘らず何事も起こらない。
 そんなこんなで二人ともよく眠れなかったのか、翌朝寝坊してすでにレースは始まっていたというオチ。それでも二人の間には愛が芽生え、レースよりもそっちの方が大事、車大好き少年マルクが大人へと脱皮する、タイトル通りの出発でFINとなる。
 ポルシェでの高速走行やドラフト、スピンなどのカー・アクションが見せどころとなっているが、公道外でのドラフトを繰り返し見せるなど、ヤラセ的な演出が露骨すぎて迫力がないのが残念なところ。 (評価:2)

ロシュフォールの恋人たち

製作国:フランス
日本公開:1967年8月8日
監督:ジャック・ドゥミ 製作:マグ・ボダール 脚本:ジャック・ドゥミ 撮影:ギスラン・クロケ 音楽:ミシェル・ルグラン

歌と踊りと奇抜な衣装でフランス風な暇つぶし
 原題"Les Demoiselles de Rochefort"で、ロシュフォールの娘たちの意。ロシュフォールはフランス南西部、大西洋に面した港町。
 ロシュフォールを舞台にしたミュージカル映画で、ジョージ・チャキリスとジーン・ケリーが出演しているのが一つの目玉。
 もう一つの目玉は、カトリーヌ・ドヌーヴと姉のフランソワーズ・ドルレアックが双子役で出演していることで、ドルレアックは本作公開後に自動車事故で死亡している。
 『シェルブールの雨傘』(1964)から3年、ドヌーヴから可憐さが失われているが、歌の声も可憐さが失われて低い声になっているのもちょっと残念。双子の母親役のダニエル・ダリュー以外の歌唱は全て吹替えで、アメリカの俳優もフランス語の流麗な歌声を聴かせてくれる。双子姉妹が歌う「双子姉妹の歌」(Chanson Des Jumelles)がヒットナンバー。
 物語は、作曲家志望の姉(フランソワーズ・ドルレアック)が偶然男(ジーン・ケリー)と出会い互いに一目ぼれするものの別れてしまう。ところが楽器店店主(ミシェル・ピコリ)が紹介してくれることになっていたのがその男で、二人はめでたく結ばれる。
 一方、ダンサー志望の妹(カトリーヌ・ドヌーヴ)の肖像画に惚れた画家志望の青年(ジャック・ペラン)はともにパリに向かう途中で遭遇。母(ダニエル・ダリュー)もまた、ロシュフォールの娘たちというには薹が立っているが、楽器店店主が昔別れた恋人だと分ってめでたく再会。
 3組のカップルの他愛のないハッピーエンドな恋物語だが、歌と踊りと奇抜な衣装でフランス風におしゃれな暇つぶしができる。 (評価:2)

モンフォーコンの農婦

製作国:フランス
日本公開:劇場未公開
監督:エリック・ロメール 製作:バーベット・シュローダー 脚本:エリック・ロメール 撮影:ネストール・アルメンドロス

一人の女性の生き方という以外に何を描きたかったのか?
 原題"Fermière à Montfaucon"で、モンフォーコンの農民の意。
 モンフォーコンはパリの東にある田舎町。元教師の女性が農家の嫁となり、乳牛の搾乳から干し草の運搬、鶏卵の出荷、畑仕事をこなしながら、家に籠らず、村会議員としても積極的に活動するという女性の活躍を描く14分のドキュメンタリー。
 都会的な生活を捨て、嫁不足の農家に嫁ぎ、土に根差した生き方をする女性…といえば聞こえはいいが、映像を見る限りは大農場を持ち、多数のホルスタインを飼育する酪農家で、しかも小型トラックいっぱいの鶏卵を出荷する養鶏家でという大規模農家。
 邦題の農婦というイメージではなく、第一次産業の企業家で、人手不足から自らも肉体労働に勤しむといった体。一人の女性の生き方という以外には、何を描きたかったのかよくわからない。 (評価:2)

少女ムシェット

製作国:フランス
日本公開:1974年9月21日
監督:ロベール・ブレッソン 製作:アナトール・ドーマン 脚本:ロベール・ブレッソン 撮影:ギスラン・クロケ 音楽:クラウディオ・モンテヴェルディ、ジャン・ウィエネル

リアリズムを追求している割にはラストが甘い
 原題"Mouchette"。ジョルジュ・ベルナノスの同名小説が原作。
 ただただ不幸な少女を描いただけの作品で、何が描きたかったのかさっぱりわからない作品。『木靴の樹』(1978)ならば、一人の少年を通して社会的矛盾、階級的矛盾を描き出すが、本作の14歳の少女ムシェット(ナディーヌ・ノルティエ)の不幸からは何の教訓も哀しみさえも得られない。
 母は寝たきりで赤ん坊の妹の世話しなければならない少女。父はアル中の乱暴者で、兄と共に警察の目を盗んで密造酒を売り捌く家庭環境。学校では歌が上手く歌えず教師に苛められ、友達に泥を投げつけて憂さを晴らすような孤独でひねくれた性格。
 そんな少女が森の中で遊んでいると嵐が来て閉じ込められ、密漁している村の男と一夜を過ごしてしまう。母が死んで食料品店の小母さんがコーヒーを容れて慰めてくれるが、皿を壊した途端に逆上。朝帰りを知った森番の妻からはふしだら娘となじられ、親切婆さんにもらった服に体を巻き付けて入水自殺してしまうという、淡々として盛り上がりのない、面白くもなんともない物語。
 腑に落ちないのは入水のラストシーンで、坂を転がりながら池に嵌るが、もがくこともなく水面はただただ穏やかで、とてもこれで死ねたとは思えないこと。
 徹頭徹尾リアリズムを追求している割には、ラストが甘い。 (評価:1.5)

ジャングル・ブック

製作国:アメリカ
日本公開:1968年8月6日
監督:ウォルフガング・ライザーマン 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:ラリー・クレモンス、ラルフ・ライト、ケン・アンダーソン、ヴァンス・ゲリー 音楽:ジョージ・ブランス

異種結合を否定し同種結合を推奨する性教育アニメ?
 原題"The Jungle Book"で、ラドヤード・キップリングの同名短編小説集が原作。
 インドのジャングルに人間の赤ん坊が捨てられ、それを見つけた黒豹のバギーラが狼の一家に育てさせる。モーグリと名づけられた子が10歳になった時、人喰い虎のシア・カーンが現れ、狼とバギーラは人間社会に帰そうとするが、モーグリは拒否。蛇に殺されそうになったり、熊のバルーの養子になったり、猿に誘拐されたりするうちに遂にシア・カーンに見つかり、動物たちに助けられて撃退するが、その時可愛い水汲み少女を見染めて、自ら人間社会に帰って行きましたとさ、という腰が抜けるようなオチ。
 動物のコミカルなアニメーションなどディズニーらしい楽しさに溢れた作品だが、話に中身がなくてつまらない。モーグリと動物との交流もファンタジーの世界から抜け出られてなく、ジャングルを舞台に人間の子と動物たちの交流を描く意味が全く見つからない。
 モーグリがなぜ人間社会に戻らなければならないかの問いにも答えられてなく、最後は可愛い女の子がいたから性的に惹かれ、同じ動物同士が番うのが自然の摂理という結論では、これは異種結合を否定し同種結合を推奨する性教育アニメか? とでも言いたくなる。
 この女の子というのが品を作り流し目を送り、子供のくせに性フェロモンを振りまいて男を誘惑する、キャバクラ嬢と見紛うようなディズニーキャラで、これにモーグリが動物たちとの友情も、森の中で自然と共に生きる哲学も忘れて、下半身を膨らませてひょこひょこついて行ってしまうのが何とも情けない、子供には見せたくない作品になっている。 (評価:1.5)

みじかくも美しく燃え

製作国:スウェーデン
日本公開:1968年1月13日
監督:ボー・ウィデルベルイ 製作:ヴァルデマール・ベリエンダール 脚本:ボー・ウィデルベルイ 撮影:ヨルゲン・ペルソン

ピア・デゲルマルクの美しさを堪能するプロモ映像
 原題"Elvira Madigan"で、劇中ヒロインの名前。19世紀終わりにスウェーデンで起きた心中事件がモデル。
 サーカスの綱渡り芸人エルヴィラ・マディガンと妻子ある貴族・スパーレ中尉が駆け落ちし、逃亡罪のため逃げ隠れし、やがて食うものに困って心中に追い詰められるまでの物語。
 北欧版・道行きの物語なのだが、ゲルマン民族は理屈っぽくて情緒に欠けるため、近松門左衛門や太宰治のような情感のある話にならないのが何ともつらく、テレビのワイドショーの再現ドラマを見ているように淡々とした作品。
 それに輪をかけるのがデジタルリマスター版の映像で、半世紀前のフィルムが鮮やかによみがえって、エルヴィラ役のピア・デゲルマルクの美しさに惚れ惚れとするものの、ビデオカメラで撮ったように映像に深みがない。もとの撮影手法がそれほど凝っていないのもあって、いささか安手のVシネ程度のクオリティに見える。
 音楽も、モーツァルトの『ピアノ協奏曲第21番』が繰り返し使われるだけでシーンに合ってなく、間に合わせのホームビデオ程度の効果しかない。
 逃亡罪で追われながら、エルヴィラは身の回りの品や芸で金を作るものの、スパーレは働くこともできず金が尽き、野苺や草を食べて飢えをしのぐ始末。その割にはエルヴィラの化粧はバッチリで、ドレスも汚れていないというチグハグぶり。最期の心中場面も、林を歩くエルヴィラを銃で撃ち、自らも自殺するという、近松、太宰治、ロミジュリ的なあの世で一緒になろう的な思いがないのも寂しい。
 総じて考えると、悲劇的なヒロインを演じる金髪美人ピア・デゲルマルクを堪能するための、プロモーション映像といってよい。 (評価:1.5)