海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1932年

製作国:アメリカ
日本公開:1933年7月
監督:フランク・ボーゼージ 脚本:ベンジャミン・グレイザー、オリヴァー・H・P・ギャレット 撮影:チャールズ・ラング
キネマ旬報:6位

抒情豊かなヘレン・ヘイズの名演が最大の見せ場
 原題"A Farewell to Arms"で、武器よさらばの意。アーネスト・ヘミングウェイの同名小説が原作。
 第一次大戦、オーストリア=ハンガリー帝国軍とイタリア王国軍とのイタリア戦線が舞台で、イタリア軍義勇兵のアメリカ人フレデリック中尉(ゲイリー・クーパー)が従軍看護婦のキャサリン(ヘレン・ヘイズ)に恋し、神父に頼んで結婚の誓約をするが、フレデリックは前線に送られ、それをキャサリンがスイスまで追いかける。同僚士官の妨害で連絡の取れなくなったフレデリックは隊を脱走し、キャサリンに再会するが、妊娠していたキャサリンは流産、死んでしまう。
 ヒューマンな作品を得意とするボーゼージは、この名作を抒情豊かに映像化し、とりわけ死の床にあるキャサリンとフレデリックとのラストシーンが素晴らしく、ヘレン・ヘイズの名演が最大の見せ場となっている。
 二人の出会いから恋に落ちるまでは若干駆け足だが、プレイボーイのフレデリックがキャサリンを真剣に好きになってしまう変化をゲイリー・クーパーが嫌味なく演じていて、クーパーが身長40センチ差を生かしてヘイズを抱き上げるシーンが巨人と少女のように微笑ましく、演出の上手さもあって二人の恋の進展に違和感を感じさせない。
 二人の恋路を邪魔する同僚士官を演じるアドルフ・マンジューも、脱走兵のフレデリックの本気を知って会うのを助けるという、人の好い遊び人を演じていい。
 ドラマ中心の展開の中で、中盤からの戦闘シーンも頑張っていて、"A Farewell to Arms"に相応しい反戦映画となっている。
 邦題は、検閲による変更。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1933年1月
監督:エルンスト・ルビッチ 製作:エルンスト・ルビッチ 脚本:サムソン・ラファエルソン 撮影:ヴィクター・ミルナー 音楽:W・フランク・ハーリング
キネマ旬報:9位

お姫様の心を盗んだ泥棒のオシャレなラブストーリー
 原題"Trouble in Paradise"で、楽園での騒動の意。ハンガリーのラズロ・アラダールの戯曲"A Becsületes Megtaláló"(正直な拾得者)が原作。
 男を騙して金品を盗む女泥棒リリー(ミリアム・ホプキンス)と、強盗も厭わない大泥棒ガストン(ハーバート・マーシャル)が、ベネツィアのホテルで伯爵夫人、男爵と偽って互いに近づき、同じ穴の狢と気づいて恋人同士になるところから物語はスタート。コンビを組んだ二人の次の仕事はパリの香水会社オーナー未亡人コレ夫人(ケイ・フランシス)の財産。
 オペラ座で夫人の高級バッグを盗んだガストンは、遺失物として届けて夫人の信頼を得て秘書に。夫人の金庫の現金をそっくりいただく算段をするが、いつの間にか夫人に惚れてしまい、それに気づいたリリーがそろそろ潮時と高飛びをけしかける。
 しかも夫人の知人の一人がガストンがヴェネツィアで強盗を働いた被害者で、ガストンは夫人を取るかリリーを取るかのハムレットに。ガストンを愛していた夫人が金のためだったのかと詰め寄ると、ガストンは金をリリーに渡して夫人への愛の証を立てるという、泥棒とお姫様の純愛物語。
 泥棒が本当に盗んだのはお姫様の心だった…という『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)の元ネタなのだが、心の代わりに夫人のネックレスを記念に貰ったと誤魔化すところがオシャレ。
 もっともネックレスはリリーが一番に欲しがっていたもので、自分に似合いの相手は夫人ではなくリリーだとガストンが思い直すところがいい。列車の中で互いに盗み合うというラストシーンは、冒頭ヴェネツィアのシーンと対をなしていて、ヨリを戻して終わるという良く出来た大人のラブストーリーになっている。
 中盤若干ダレるが、よくできたストーリー構成と演出。戯曲原作のため、ヴェネツィアでの強盗、オペラ座での泥棒のシーンがなく、会話で説明されるのが映画的には少し物足りない。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:1933年10月5日
監督:エドマンド・グールディング 製作:アーヴィング・G・サルバーグ 脚本:ウィリアム・A・ドレイク 撮影:ウィリアム・H・ダニエルズ
キネマ旬報:9位
アカデミー作品賞

人間模様を眺めただけ、という以上のものはない
 原題"Grand Hotel"。劇中登場するベルリンのホテル名。ウィリアム・A・ドレイクの同名戯曲の映画化で、ヴィッキー・バウムのオーストリア小説"Menschen im Hotel"(ホテルの人々)が原作。
 グランドホテル形式の基となった作品で、ホテルに集う人々が織りなす群像劇。最後に一つの殺人事件に収斂していくストーリーがよくできている。
 ホテルという場には様々な人が集まり、人には様々な顔とドラマがあるという、人間模様を俯瞰的に眺めるのが主題。
 中心となるのは男爵を自称するホテル専門の泥棒(ジョン・バリモア)で、落ち目のバレリーナ(グレタ・ガルボ)の部屋に忍び込むが、慰めているうちにfall-in-love。バレリーナとともにウィーンに行くための旅費稼ぎで会社が危機に瀕している社長(ウォレス・ビアリー)の部屋に忍び込むが、愛人志願の書記(ジョーン・クロフォード)がいて、見つかったところを社長に殴り殺されてしまう。
 社長は逮捕され、泥棒の死を知らないバレリーナはホテルを出、秘書は死を目前に控えた老人(ライオネル・バリモア)とパリに旅立つという結末。
 それぞれの希望と挫折が描かれるが、人間模様を眺めただけという以上のものはない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1933年6月
監督:マーヴィン・ルロイ 脚本:シェリダン・ギブニー、ブラウン・ホームズ 撮影:ソル・ポリト
キネマ旬報:6位

信じがたいストーリーが実話というのが驚き
 原題"I Am A Fugitive From A Chain Gang"で、私はチェーン・ギャングからの逃亡者の意。Chain Gangは、1本の鎖で繋がれた囚人のこと。ロバート・E・バーンズの自伝"I Am a Fugitive from a Georgia Chain Gang!"(私はジョージア州のチェーン・ギャングからの逃亡者)が原作。
 第一次世界大戦の帰還兵アレン(ポール・ムニ)は職を求めて放浪中、知り合ったピート(プレストン・フォスター)に無理やり強盗の片棒を担がされて逮捕、ジョージア州の刑務所で重労働につく。刑務所は囚人を1本の鎖で繋ぐという非人道的なところで、鎖を外して州外に脱走したアレンはシカゴの土木会社に就職、現場監督を務めるところまで出世する。
 ところが不仲になった妻(グレンダ・ファレル)が警察に密告。雇い主はアレンの更生を理由に刑の免除を嘆願、ジョージア州の役人は90日の服役を条件に釈放を約束する。アレンは現在の恋人(ヘレン・ヴィンソン)との未来のために服役を受け入れるが、ジョージア州は約束を反故に。アレンは再び脱獄し、恋人に別れを告げて姿を消す。
 実際のバーンズは雑誌編集者となり刑務所の実態を連載して成功。2度目の脱走後に自伝を執筆、ワーナー・ブラザースで映画化された。これによりバーンズは3度目の逮捕を喫するが、恩赦を求め減刑されて自由の身になっている。
 脱獄もののエンタテイメントとしてもよくできていて、サスペンスフル。脚色はあるものの、信じがたいストーリーが実話というのも驚きで、100年前のアメリカが少しも人権の国ではなかったことが確認できる。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:1934年5月3日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 脚本:ジュリアン・デュヴィヴィエ 撮影:アルマン・ティラール、ティラール・モンニオ 音楽:アレクサンドル・タシスマン
キネマ旬報:3位

母親の児童虐待をなかったことにする結末が虚しい
 原題"Poil de carotte"で、ニンジンの髪の意。ジュール・ルナールの同名小説が原作。デュヴィヴィエ自身の1925年の同名サイレント映画のリメイク。
 赤毛とそばかすから家族からにんじんと呼ばれている少年フランソワ(ロベール・リナン)の日常生活を描いた作品で、誕生時に両親が不和だったことから母親(カトリーヌ・フォントネー)には愛されず、兄姉とは違ってデザートのメロンは食べさせてもらえず、家事ばかり言いつけられて遊びにも行けず、叱られてばかりいる。
 今風に言えば母親による児童虐待で、父親(アリー・ボール)は無関心。それを救うのが新しくやってきた家政婦で、見かねて父親に諫言。ようやくフランソワが虐待されていることに気づいた鈍い父親は母親からフランソワを保護し、めでたく父と子の絆ができましたとさ、という気の抜けた結末。
 兄と姉も虐待を受けている弟には無関心で、むしろ兄がちょろまかした金の犯人を弟に押し付けるという極悪家族。そんな家庭があるかいとツッコミたくなるが、現実に起きている事件を見れば、子供の虐待も家庭崩壊も昔からあったのだろうと気づく。
 父親と息子との和解で、母親の児童虐待もなかったことにしてしまう結末が何とも虚しい。デュヴィヴィエ作品としては可もなく不可もないのが物足りない。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1933年7月20日
監督:カール・フロイント 製作:カール・レムリ・Jr 脚本:ジョン・L・ボルダーストン 撮影:チャールズ・スチューマー 美術:Willy Pogany 音楽:James Dietrich

ツタンカーメンの呪いに乗じたホラー映画の古典
 原題"The Mummy"で、ミイラの意。ユニバーサル映画製作のホラー映画の古典。
 大英博物館の遺跡調査団がエジプトでミイラを発掘するが、禁断のトトの書を開けたために呪いが掛かり、ミイラが再生してしまうというもので、当時の1922年、ツタンカーメンの墓が発掘され、関係者が次々と死亡したことからファラオの呪いが話題になったのに乗じて制作された。
 キワモノだが、ミイラ役にボリス・カーロフを起用し、特殊メイクも結構イケていて、古典に相応しい味わいを今も保っている。
 発掘から10年後、このミイラが別の調査団に王女のミイラ発掘を導き、エジプト博物館に納められたミイラの再生を図るというストーリーで、3000年の昔、二人は恋人同士で、病死した王女に禁断の復活を試みたために男は罰せられて生きてミイラにされたというのが因縁話。
 エジプト人の血を引く娘ヘレンの肉体に王女の魂を復活させようとするが、もちろんこれに失敗してメデタシメデタシとなるが、王女のミイラだけでなくなぜヘレンの肉体が必要だったのかは説明されず、そこはストーリーを面白くするためのご都合主義。
 ヘレンの恋人でナイト役にデヴィッド・マナーズ。ヘレン役のジタ・ヨハンはエキゾチックだが、顔が少々怖い。
 エジプト・ロケもあって、キワモノの割にはよくできている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1932年10月
監督:ルーベン・マムーリアン 製作:ルーベン・マムーリアン 脚本:サミュエル・ホッフェンスタイン ウォルデマー・ヤング ジョージ・マリオン 撮影:ヴィクター・ミルナー 音楽:リチャード・ロジャース、ロレンツ・ハート
キネマ旬報:5位

"Love Me Tonight"とはならないハッピーエンドが食い足りない
 原題"Love Me Tonight"で、邦題の意。レオポルド・マルシャン、ポール・アルマンの戯曲"The tailor at the castle"が原作。
 パリの街が舞台。仕立屋を営むモーリス(モーリス・シュヴァリエ)がヴァレーズ子爵(チャールズ・ラグルス)の売掛金を回収に行く途中、ジャネット(ジャネット・マクドナルド)に遭遇して一目惚れ。
 館ではヴァレーズ子爵が多額の借金があることを隠すため、モーリスを男爵だと偽り、モーリスもジャネットが王女であることを知って、男爵に成りすましたまま口説き落とす…というシンデレラ・ストーリーの逆ヴァージョン。
 身分の違う恋が一夜かぎりの夢と知りつつ、"Love Me Tonight."というのがタイトルの由来。同名の主題歌も歌われるオペレッタ風ミュージカル・ロマンスコメディだが、曲と劇の繋ぎが不自然で、ミュージカルとしてはいささか中途半端。
 鹿狩りのシーンではコマ落としやスローモーションを用いるなど技巧的な映像表現も多く、ジャネット・マクドナルドの下着シーンもあって実験的な映画となっているが、公開の後、ヘイズコードでバレンタイン伯爵夫人(マーナ・ロイ)のネグリジェ姿が8分カットされたものしか現存していない。
 プロローグはモーリス、ジャネット、ヴァレーズのそれぞれのエピソードから入るため群像劇のようで話がわかりづらいが、モーリスが城に向かうあたりから収斂していく。
 『ローマの休日』(1953)と似たような構造だが、"Love Me Tonight"の叶わぬ恋が最後には叶ってしまうハッピーエンドが、古き良きハリウッドの食い足りないところか。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1932年4月
監督:エルンスト・ルビッチ 脚本:レジナルド・バークレイ、サムソン・ラファエルソン、エルネスト・ヴァイダ 撮影:ヴィクター・ミルナー
キネマ旬報:9位

反戦がヒューマンドラマになってしまうのが拍子抜け
 原題"Broken Lullaby"で、打ち砕かれた子守唄の意。モーリス・ロスタンの戯曲"L'homme que j'ai tué"(私が殺した男)が原作。
 第一次大戦後、ドイツ兵を殺したフランス兵ポール(フィリップス・ホームス)が贖罪に遺族ホルダアリン家を訪問するという物語。しかしホルダアリン夫妻(ライオネル・バリモア、ルイズ・カーター)は、戦死した息子(トム・ダグラス)が戦前フランスで暮らしていた時の友達だと勘違い。ポールは真実を話せないままに訪問を続け、やがてホルダアリン夫妻は息子の代わりのように可愛がる。
 婚約者だったエルザ(ナンシー・キャロル)もポールに恋し、町のフランス人に対する反感をよそに一家はエルザとポールとの結婚を望むようになるが、いたたまれなくなったポールは真実をエルザに告げる。次いで両親に告げようとするとエルザは真実を告げるのはホルダアリン夫妻に酷だとポールとの結婚を告げるという結末。
 冒頭、ポールの懺悔を聞いた司祭が兵士としての義務を果たしただけだと答えてポールが失望するシーンがあり、反戦映画風に始まるが、ラストではハッピーエンド風なヒューマン・ドラマになってしまうのがハリウッドぽくて拍子抜けする。
 ホルダアリン夫妻との初対面で真実を言いそびれてしまったり、そのまま滞在し続けたり、エルザが勝手にポールが町に居続けるものと決めつけたりという強引なストーリー展開が多く、これで万事丸く収まるの? と疑問符が付いたままの中途半端なThe Endが残念な作品。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:1933年6月
監督:キング・ヴィダー 製作:サミュエル・ゴールドウィン 脚本:フランセス・マリオン、リン・スターリング 撮影:レイ・ジューン 音楽:アルフレッド・ニューマン
キネマ旬報:8位

真面目男が若い女に狂うと悲惨な結果を招くという教訓話
 原題"Cynara"。ロバート・ゴーア・ブラウンの小説"An Imperfect Lover"(不完全な恋人)が原作。
 巻頭言"I have been faithful to thee, Cynara, in my Fashion."(シナラよ、私はそなたに忠実であった、私なりに)は、アーネスト・ダウスンの詩"Non Sum Qualis eram Bonae Sub Regno Cynarae"(今やわれ心やさしきシナラの下に在りし日のわれにはあらず)からの引用。マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』(Gone with the wind)のタイトルも、同じスタンザの"I have forgot much, Cynara! gone with the wind."から採られている。
 物語は、ロンドンに住む有能で真面目で妻一筋の弁護士(ロナルド・コールマン)が、妻(ケイ・フランシス)が旅行に出かけている最中、悪友(ヘンリー・スティーブンソン)に誘われて鬼のいぬ間の洗濯をしたところ、若い女(フィリス・バリー)に掴まりフラフラよろめいてしまう。妻が帰ってきて関係を清算した途端、彼女が自殺。法廷に喚問された男は法は犯さなかったものの倫理的に非難され、妻と別れて南アフリカへ。
 プロローグは別れのシーンから始まり、回想、冒頭へと戻るが、別れる理由の見つからない妻は出航する夫の船に乗り込んでメデタシメデタシのメロドラマ。
 女に免疫のない真面目男が、若い女に狂うと悲惨な結果を招くという教訓話だが、結婚記念日に妹(フロリン・マッキニー)に付き合ってヴェネツィアに長期旅行に出かけてしまう妻も相当に身勝手で、浮気されても仕方がない。帰ってくれば旅行中に男にモテたと夫をヤキモキさせ、逆に留守中の浮気を疑うというサイテー女で、結論はどっちもどっち。
 可哀想なのは自殺してしまう若い女で、多少開放的とはいえ、男の仕打ちがひどく、巻頭言のアーネスト・ダウスンの詩が泣く。 (評価:2)

上海特急

製作国:アメリカ
日本公開:1932年3月
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ 脚本:ジュールス・ファースマン 撮影:リー・ガームス 音楽:W・フランク・ハーリング

なんだ、ただの恋愛ものか、とがっかりする
 原題"Shanghai Express"で、邦題の意。ハリー・ハーヴェイの小説"Sky Over China"が原作。
 オリエント急行殺人事件のような雰囲気で始まるので、ディートリッヒがスパイか怪盗といった悪女のサスペンスものかと期待してしまうが、なんだ、ただの恋愛ものか、とがっかりする。
 スタンバーグが美の女神ディートリッヒに捧げるために撮ったフィルムと言って過言でなく、濡れたように光沢のある肌の艶かしさに引き込まれる。
 もっとも国共内戦の中国を舞台にしただけのただの恋愛映画なので、当時の政治状況が描かれるわけでもなく、北京発の上海特急の乗客に潜んでいた工作員を政府軍が逮捕し、今度は反政府軍が捕虜交換のための人質を手に入れるために列車を止めるという工夫のない展開になっている。
 この人質にイギリス軍の軍医(クライヴ・ブルック)が選ばれ、列車内で偶然出会った元恋人で今は有名娼婦の上海リリー(マレーネ・ディートリッヒ)が、好色な反政府軍リーダー(ワーナー・オーランド)に我が身を盾にして軍医を救うという物語。
 最後は同乗していた中国人娼婦(アンナ・メイ・ウォン)がリーダーを殺してリリーを救い、列車は無事上海に到着して二人はヨリを戻してメデタシメデタシという、何かな〜という結末。
 恋愛ドラマに異国情緒を味付けしたという以上のものはない。 (評価:2)