海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1986年

製作:西友、キネマ東京
公開:1986年9月13日
監督:吉田喜重 製作:高橋松男、谷島茂之、斉藤安代 脚本:吉田喜重、宮内婦貴子 撮影:山崎善弘 美術:菊川芳江 音楽:細野晴臣
キネマ旬報:4位

吉田喜重でも通俗作品が撮れるという証明
 佐江衆一の小説『老熟家族』が原作。
 吉田喜重が撮った一般映画で、介護問題という通俗的社会問題を扱った作品だけに、芸術性は皆無に近い。
 従って吉田喜重らしさを求めると大方期待外れに終わるが、吉田喜重でも通俗作品が撮れる、吉田喜重にも一般映画が撮れるという視点から見れば、完成度は高く、演出家として第一級であることを認識させられる作品となっている。
 題材そのものは好みが分かれるところだが、今村昌平並みの人間観察眼、人間の嫌らしさが捉えられていて、今村昌平と違うのは、ラストで主人公が理性に立ち返るという吉田喜重らしい理想主義で終わるところ。
 老女(村瀬幸子)が変死し、ボケかかった夫(三國連太郎)が絞殺したと自白する。刑事(若山富三郎)はこの証言に疑いを持ち、解剖結果から老女が水死だったことがわかる。
 さては犯人探しのミステリーと思いきや、話は鉛のように重くなって、長男(河原崎長一郎)の嫁(佐藤オリヱ)が無理解な夫のもとで介護にへとへとになる物語となる。ここで容疑者は3人+本人(自殺の可能性)に絞られるが、犯人探しはどうでもいいくらいに介護問題にテーマは沈潜していく。
 老女の夫は老人病院に入院した妻が可哀想になって自宅に引き取るが、ここからのアップ多用のカメラワークが抜群で、感情に肉薄する演出に吉田喜重の真骨頂がある。
 老人病院の老人たちのボケ方がシュールで、社会派作品になり過ぎた中で、水鏡のシーンと並んで吉田喜重らしさが感じられて安心する。
 佐藤浩市が若い刑事役で、三國連太郎との父子出演となっているが、父が嫌らしいまでに貫禄の差を見せつける。 (評価:2.5)

製作:ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
公開:1986年02月01日
監督:滝田洋二郎 製作:多賀英典、内野二郎、岡田裕 脚本:内田裕也、高木功 撮影:志賀葉一 音楽:大野克夫 美術:大澤稔
キネマ旬報:2位

三浦和義、おニャン子も出演、当時の世相が見どころ
 内田裕也扮する芸能リポーターが、制作された1985年に起きた社会的事件を取材するという形式をとった、疑似ドキュメンタリー作品。
 芸能ネタのほかに、ロス疑惑、山口組と一和会の抗争、日航ジャンボ機墜落事故、豊田商事会長刺殺事件が取り上げられているが、刺殺事件では報道陣の目の前で殺人が起き、それをただ見ていただけのマスコミに対する批判が起こり、ジャーナリズムのモラルが問われた。本作では、内田が止めに入るというストーリーになっていて、ジャーナリズムの在り方を問う映画になっている。
 墜落事故ではただ報道することしかできないジャーナリズムの無力感、そのほかの事件では節操無くマイクを向けるだけで何も考えないマスコミの無能さを捉えているが、それ以上のものを描けずに終わっているのが本作の限界ともいえる。
 四半世紀前の映画なので出演陣が若く、今はベテランの俳優の若いころを見る楽しみも大きい。渡辺えり子、原田芳雄、ビートたけし、片岡鶴太郎、片桐はいり、桃井かおりのほか、三浦和義、おニャン子クラブ、郷ひろみ、逸見政孝、横澤彪が出演。事件とともに当時の風俗を記録した点も見どころ。
 タイトルは挿入歌にもなっている頭脳警察の『コミック雑誌なんか要らない』から。要らないわけは、世の中漫画だからという歌詞。 (評価:2.5)

製作:東映
公開:1986年4月12日
監督:深作欣二 脚本:神波史男、深作欣二 撮影:木村大作 美術:佐野義和、秋吉泰海 音楽:井上堯之
キネマ旬報:5位

軟弱無責任男も緒形拳が演じると憎めないダメ男
 檀一雄の同名の自伝的私小説が原作。
 檀一雄をモデルにした桂一雄(緒形拳)が、幼い頃、母(檀ふみ)に捨てられたエピソードから始まり、桂一雄が放浪の作家となった言い訳が最初になされる。
 さらに妻に死なれ、ヨリ子(いしだあゆみ)を後妻にもらうが、次男が日本脳炎で障碍児となってヨリ子がおかしな宗教に嵌ってしまい、家庭からの逃避のために青森で行われた太宰治文学碑除幕式に舞台女優の恵子(原田美枝子)を同伴、愛人としてしまう。
 それを知ったヨリ子は子供を置いて家出、一雄は恵子との関係を深め、妻が戻ってくると入れ替わりに浅草にアパートを借りて同棲してしまうという有様。
 恵子が妊娠・堕胎し一雄の身勝手に喧嘩になるとまたまた逃げるように旅に出てしまい、偶然出会った葉子(松坂慶子)に同伴して実家に同衾、二人で流浪の旅に出てしまう。葉子と別れて正月に家に戻ると次男が急死、それを知って恵子が同棲を解消、妻と子供のもとに戻って物語は終わる。
 あまりに軟弱で無責任な男なのだが、緒形拳が演じると憎めないダメ男になるところがミソ。
 3人の女との愛憎を軸に、一雄を取り巻く3タイプの女が描かれるが、一番縁の薄い松坂慶子の個性が強烈すぎて、登場とともに他の2人の影が薄くなる。
 原田、松坂との濡れ場も用意され、一雄の喧嘩シーンなどもあって、文芸作というよりは深作らしい軽快でコミカルな娯楽作になっている。
 檀ふみが祖母を演じ、太宰治に岡田裕介、中原中也に真田広之をチョイ見せするサービスも怠りない。 (評価:2.5)

製作:ニュー・センチュリー・プロデューサーズ、ディレクターズ・カンパニー、日本テレビ
公開:1986年10月18日
監督:根岸吉太郎 製作:岡田裕、宮坂進、波多腰晋二 脚本:森田芳光 撮影:丸池納 美術:木村威夫 音楽:鈴木さえ子
キネマ旬報:3位
ブルーリボン作品賞

子供たちを含めて物わかりが良すぎる家族が嘘くさい
 干刈あがたの同名小説が原作。
 食品会社研究員の夫(田中邦衛)は単身赴任中で、ライターの妻(十朱幸代)は男の子二人と東京に暮らす。久し振りに話があると帰ってきた夫は、社内恋愛の愛人(藤真利子)がいることを告白。妻が研究所の社宅に乗り込んで愛人と対面、息子たちに離婚を打ち明けて・・・という物語。
 無論、愛人は結婚が望みではなく、妻子ある男とのスリルが楽しかっただけなので、夫はフラれ、別れた東京の妻子に会いに来て報告というところで幕となる。
 それで再度結婚して家族が元通りになるのかならないのか、あるいは別々に暮らしていくのかは描かれないが、家族が和解することを予感させる。
 離婚という家庭の基盤が失われる中で、子は初めて両親を一個の男女として認識し、親もまた子を一個の人格として捉え、それぞれが独立した個人として家族との新たな関係を築くことになる。
 家族である前にそれぞれが一個人であり、関係性もまた個人として捉えられるべきという純粋な視点に立ち戻る作品で、その中から本物の家族関係が築かれるべきということを教えられるが、そう理性的に行かないのが家族の愛憎というものという感想も、見終わって残る。
 森田芳光脚本で、根岸吉太郎らしいしっかりした語り口の作品で、真面目に家族について考えたい人向きだが、子供たちを含めて全員物わかりが良すぎるのが、やや嘘くさい。 (評価:2.5)

製作:「海と毒薬」製作委員会
公開:1986年10月17日
監督:熊井啓 製作:滝島恵一郎 脚本:熊井啓 撮影:栃沢正夫 美術:木村威夫 音楽:松村禎三
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞

手術シーンを含めて病院全体が戦慄迷宮風
 遠藤周作の同名小説が原作。
 太平洋戦争中に米軍捕虜を臨床実験のために解剖して殺した九州大学生体解剖事件がモデルで、これに参加した青年医師が主人公。
 身寄りのない患者の老女に心を寄せるような、至って真面目で至って誠実な青年医師(奥田瑛二)が、流されるままに生体解剖の手伝いを承諾して戦争犯罪人となってしまう様子が描かれ、それを当時、戦争に反対の声を上げられず、巻き込まれ加担していった日本人全体の姿に敷衍する。
 原作は青年医師の10年後の姿が描かれ、心に重い傷を負っているが、内省的な原作に比べると本作は熊井啓らしく糾弾調になっていて、評価の割れるところ。
 現実主義の同僚の青年医師(渡辺謙)の演技がいささか熱血的なステレオタイプで、若干興ざめ。
 教授の田村高廣、助手の西田健、GHQの取調官・岡田眞澄も如何にもな悪代官ぶりで、作品の品格を落としている中で、助教授の成田三樹夫がアクの強い顔にも拘らず落ち着いた演技をしている。
 婦長の岸田今日子は役柄的には影が薄いが、手術シーンを含めて病院全体が戦慄迷宮風なので、ホラー映画としてはナイスなキャスティング。開き直った看護婦・根岸季衣がいい。
 社会派・熊井啓には、白黒はっきりつける勧善懲悪は描けるが、人間の内面を掘り下げる作品は不向きというのがわかる。 (評価:2.5)

製作:松竹
公開:1986年8月2日
監督:山田洋次 製作:野村芳太郎 脚本:井上ひさし、山田太一、朝間義隆、山田洋次 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純
キネマ旬報:9位

これでは『男はつらいよ』の夢シーンの『蒲田行進曲』版
 『蒲田行進曲』(1982)のヒットを受け、本家・松竹が大船撮影所50周年記念作品として製作した大作。
 『蒲田行進曲』が東映に断られた角川春樹の松竹への持ち込み企画で、東映出身の深作欣二監督、東映京都撮影所での撮影という、松竹蒲田撮影所を舞台にしたものとして松竹映画人にとっては不本意な作品であったことから、野村芳太郎がプロデューサーとなり、斜陽の松竹唯一のスター監督・山田洋次を起用。山田、朝間義隆に加えて、井上ひさし、山田太一まで脚本に参加、出演陣も松竹の総力を結集したオールスターキャストで臨んだ。
 全社を挙げた総力結集は往々にして船頭が多くして山に登るの譬え通り、本作も総花的な賑やかさはあるもののひどく纏まりを欠いている。
 浅草の映画館の小町娘がスカウトされて女優となり、主演女優の失踪で代役を務めてスター女優になるまでの話で、筋通りオールスターキャストの中で主役の小町娘に新人の有森也実が起用されたが、本作はヒットせず、映画の筋通りにはならなかったのが何とも皮肉。
 個々のシーンはそれなりで、オールスターキャストの賑やかしもあって退屈せずに見られるが、全体としては厭きはしないがバラバラ。
 一番の大きな腫瘍は、山田洋次監督ということもあって松竹の看板シリーズ『男はつらいよ』を設定こそ違うが本作の主要部分に入れ込んでしまったこと。小町娘の父に渥美清、隣家の一家に倍賞千恵子・前田吟・吉岡秀隆を入れ、寅屋のシーンと同じ演技をさせ、これでは『男はつらいよ』の夢シーンの『蒲田行進曲』版。
 『男はつらいよ』正準レギュラーの笠智衆、下條正巳、三崎千恵子、佐藤蛾次郎、関敬六、美保純、桜井センリ、財津一郎、笹野高史のほか、松坂慶子、桃井かおり、木の実ナナのマドンナも登場。
 他に歌舞伎の松本幸四郎、松竹新喜劇の藤山寛美等々、キャストを楽しむ作品になっている。 (評価:2.5)

製作:徳間書店
公開:1986年8月2日
監督:宮崎駿 製作:徳間康快 脚本:宮崎駿 作画監督:丹内司 美術:野崎俊郎、山本二三 音楽:久石譲
キネマ旬報:8位

良くも悪くも宮崎駿の原点と匠を味わえる
 スウィフトの『ガリバー旅行記』の空飛ぶ島ラピュタをモチーフにしたファンタジー。
 冒頭からの垂直の3次元空間を表現する映像が最大の見どころ。雲間に浮かぶ飛行船、落下する少女シータ、パズーの住む村の峡谷、奥へ流れていく野山の風景、峡谷を走る列車、空に浮かぶ島、等々、宮崎がアニメで培ってきた演出のオンパレードが堪能できる。
 もっともストーリーは話らしい話がほとんどなく、天空の島ラピュタが実在するという亡父の話をパズーが確認するだけの物語で、それで?の感想を免れない。
 要は宮崎が得意とする三次元空間でのアニメ演出の限りを尽くすことと、宮崎が好む飛行物を主体としたメカのこだわりのデザインと描写を見せるというオタク的な発想と嗜好から成立している作品で、『風の谷のナウシカ』(1984)で道を踏み外した宮崎が自分に忠実に漫画映画に原点回帰した。
 前半は漫画映画の演出で十二分に楽しませてくれるが、謎解きとストーリーを進める後半に入った途端に退屈になり、あとはラピュタをどう見せるかだけになるが、さすがに3次元アクション演出にも飽きが来る。
 ラピュタの存在を如何に締めくくるかという段になって、政府諜報員であり、シータと同様にラピュタ王国の末裔であるムスカが世界征服の野望を持つことが判明し、シータがそれを阻止するロリコン少女のヒロイン化という、これまた宮崎の十八番となるが、ラピュタが何となく自然に回帰した反文明的なイメージで守られ勝利するところも宮崎的になっている。
 トップクラフトがスタジオジブリに改組して最初の作品で、良くも悪くも宮崎の原点を見ることができる。主題歌は学校コーラスの定番に。 (評価:2)

製作:表現社、松竹
公開:1986年1月15日
監督:篠田正浩 脚本:富岡多恵子 撮影:宮川一夫 美術:粟津清 音楽:武満徹
キネマ旬報:6位

演技も演出もテーマも風見鶏のように空回り
 近松門左衛門の『鑓の権三重帷子』が原作。
 実話を基に脚色された戯曲で、松江藩の小姓で槍の名手・笹野権三(郷ひろみ)が、誤解のような策略のような密通事件に巻き込まれ、江戸詰めの藩士・浅香市之進(津村隆)の妻・おさゐ(岩下志麻)と京に逃亡。名誉を汚された市之進とおさゐの弟・甚平(河原崎長一郎)が追い詰め、見事女敵討ちを果たすという物語。
 小姓で美男で城下の女たちの人気者ということで郷ひろみを主役に起用したのが第一の失敗。それなりに頑張ってはいるが、近松物を演じるには役不足。
 そもそもの篠田の演出も一貫性がなく、リアリティのある現代的ドラマにしたかったのか、近松物を浄瑠璃風に演出したかったのか、はたまた時代劇にしたかったのか、見ていると方向性が風見鶏のようにクルクル変わる。
 現代調の台詞回しや新劇調の台詞回しの中に、突然原作からそのまま持ってきた戯曲風の台詞が混じっては、どういうスタンスでこの作品を見たらいいのか迷う。
 セットもたいそうな武家屋敷にアートな襖絵と、篠田らしいといえば篠田らしいが、ATGまで持ち込まれては笑うしかない。
 小姓との駆け落ちにまんざらでもない熟女を岩下志麻がいかにも岩下志麻らしく演じるが、相手が郷ひろみでは空回り。
 市之進は城の茶道の師匠で、江戸中期の太平の世の中、刀よりも茶道が出世の近道という侍社会に降って湧いた密通事件。茶碗を使ったこともない刀に持ち替えて、武士の面目とばかりに女敵討ちに向かう茶番。
 そうした武家の形骸とアナクロニズムを風刺する物語だが、キャスティングミスと演出の不首尾でこちらのテーマも空回りしている。
 密通事件の仕掛人に火野正平。伏見の船頭の小沢昭一が、いつもながらの味のある演技。 (評価:2)

男はつらいよ 幸福の青い鳥

製作:松竹
公開:1986年12月20日
監督:山田洋次 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

大空小百合を岡本茉利が演じていればと惜しまれる
 寅さんシリーズの第37作。マドンナは志穂美悦子で、旅芸人・坂東鶴八郎一座の娘・大空小百合の役。
 坂東鶴八郎(過去には吉田義夫)が死んで、その娘を弔問するというのが物語の始まり。大空小百合は一座を引退して、故郷の筑豊に引っ込んでいるという設定。
 大空小百合は第8作『寅次郎恋歌』(1971)で初登場、『寅次郎純情詩集』(1976)、『寅次郎頑張れ!』(1977)に登場し、岡本茉利が演じて純朴でホンワカとしたキャラクターが印象に強かっただけに、9年後とはいえ、姿かたちから性格まで違う志穂美悦子が演じることに大きな違和感がある。
 岡本茉利ではマドンナに役不足ということはわかるが、ならば大空小百合のイメージを壊すような配役は避けるべきで、それができないなら大空小百合を使うエピソードは避けるべき。
 違和感を承知で大空小百合に本名・島崎美保を名乗らせるが、「車先生」と呼んでいた大空小百合が島崎美保になった途端、博多弁を話し「寅さん」と呼ぶのも、「車先生」ではマドンナにならないというシナリオの都合とはいえ、大空小百合のイメージをぶち壊す。
 寅次郎を頼って上京した美保の世話を焼き、美穂が見つけた看板描きの恋人(長渕剛)との仲を取り持ち、父親のように優しく送り出してあげるというのが本筋だが、一つにはこのエピソードで寅次郎の活躍はほとんどなく、志穂美と長渕が主演のラブ・ストーリーになっていること、一つには寅次郎の失恋もなく、ただの好々爺になって毒気がなくなってしまい、これでは『男はつらいよ』ではない。
 話自体はつまらなくはないが、悪戯坊主のいない味気ない作品になっていて、美保を岡本茉利が演じていればもっと違った作品になったのではと惜しまれる。 (評価:2)

製作:大映
公開:1986年4月19日
監督:岡本喜八 製作:山本洋、小林正夫 脚本:岡本喜八、石堂淑朗 撮影:加藤雄大 美術:竹中和雄 音楽:筒井康隆、山下洋輔
キネマ旬報:10位

演奏と喧噪だけが無為にスクリーンを流れる
 筒井康隆の同名小説が原作。
 楽しみどころのよくわからない作品で、奴隷解放によって自由となったニューオリンズの黒人4人組が、楽団を組んでアフリカに行くつもりが、騙されて香港行きの船に乗せられ、1人病死。船は難破して、救命ボートで駿河湾に打ち上げられたところが、折しも幕末の内戦中。助けられて音楽好きの小藩主の地下牢に匿われるというのが、前半のストーリー。
 コメディなので設定はハチャメチャだが、後半はこれに輪をかけ、城が東海道の難所に位置するため、城内の廊下が街道になっていて、官軍・幕軍・ええじゃないかの民衆が駆け抜け、喧噪から逃れて城中一同地下でジャム・セッションを繰り広げている間に明治維新になる。
 政治を皮肉ったのか、はたまたいかなる世の中でも音楽は不滅だと言いたかったのか、ええじゃないかを含めて世界共通の民衆音楽のパワーを描きたかったのか、正直よくわからないままに演奏する人々と喧噪だけが無為にスクリーンを流れていく。
 ジャズ大名に古谷一行、家老に財津一郎。ミッキー・カーチス、唐十郎、タモリ、山下洋輔、細野晴臣も出演してアナーキーな音楽映画を盛り立てる。 (評価:2)

製作:東宝映画
公開:1986年12月13日
監督:大森一樹 製作:富山省吾 脚本:大森一樹 撮影:宝田武久 美術:村木与四郎 音楽:かしぶち哲郎
キネマ旬報:7位

斉藤由貴の魅力を最大限に引き出すアイドル映画
 氷室冴子の同名小説が原作。
 少女向けライトノベルを斉藤由貴主演で制作したアイドル映画で、恋する女たちというよりは恋に恋する女の子たちの心の機微をファンタスティックに描くが、それ以上のものはなく、この映画から斉藤由貴を抜いたらカスしか残らない。
 そうした点では正真正銘のアイドル映画で、斉藤由貴の魅力を最大限に引き出しているのだが、恋愛論ばかりぶっている女子高生三人組の消化不良な台詞が、こんな女子高生いるのか? というくらいに青臭い。
 野球部選手への片思い(斉藤由貴)、年上の詩人との恋愛(相楽ハル子)、男を侍らせる女王様(高井麻巳子)のそれぞれのエピソードを絡ませながら、斉藤由貴が失恋を経験し、一皮むけるという、少女の成長を描く月並みな物語。
 多佳子(斉藤由貴)の姉(原田貴和子)は家庭教師の生徒の父親と出来ているが、旅館の女将を継ぐために見合い結婚する、劇中の言葉を借りれば目的のある結婚で、多くの恋愛が打算の産物なのに対し、男は大勢いるのに何故特定の男を好きになってしまうのか? というアンチテーゼを多佳子を持ち出すのだが、これを掘り下げることなく、少女の成長物語でお茶を濁す。
 多佳子が片思いする野球少年に柳葉敏郎、同級生に小林聡美と若き日の懐かしい顔ぶれがもう一つの見どころか。 (評価:2)

キャバレー

製作:角川春樹事務所
公開:1986年4月26日
監督:角川春樹 製作:角川春樹 脚本:田中陽造 撮影:元誠三 音楽:角川春樹 美術:今村力

「僕のジャズに足りないのは心です」というハードボイルド・コメディ
 栗本薫の同名小説が原作。
 酒、女、やくざという三拍子揃ったハードボイルドで、これにジャズがトッピングされる。こうなればひたすらドライマティーニのようなお洒落で辛口な映画を目指すことになり、監督兼製作の角川春樹はハードボイルドファッションの一本道を猪突猛進するが、何も見えなくなって妄想の世界にいるドン・キホーテの如く道化の映画を作ってしまった。
 田中陽造の脚本は、気障を通り越して滑稽な台詞のオンパレードで、それを真顔で俳優に言わせているので、見様によってはコメディ作品と受け取れなくもない。
 バーのママ役の倍賞美津子は最高で、聞き込みに来て水を飲んでいる室田日出男の刑事に答えたくない質問をされると、「ここはバーなんだから水で粘らないで」と帰りを催促する。さらには残った学生の野村宏伸に「二階に上がらない?」と誘い、野村が躊躇していると「寒いのよ」とダメを押す。
 別のシーンでは、野村のサックスの演奏に「何が足りないかわかる?」と質問し、それに答える野村の台詞が、「僕のジャズに足りないのは心です」。
 物語は、キャバレーで演奏するジャズメンの野村と、キャバレーを仕切るやくざの鹿賀丈史との男の友情物語で、倍賞はかつての女。広域暴力団とのシマ争い、歌手の三原じゅん子との恋愛が絡むという定型でオリジナリティはゼロ。
 野村は大学のジャズ部員だが、不健全な社会を知らないと本当のジャズメンにはなれないというテーゼの基に、キャバレーのバンドマンの一員となり、やがて酸いも甘いも知った立派なジャズメンに成長するという「コメディ」。
 バンドマンにジョニー大倉、尾藤イサオ。原田芳雄、村田香織、千葉真一、丹波哲郎、宇崎竜童、原田知世も登場するといった、さすが角川春樹監督ならではの豪華キャスト。 (評価:1.5)

犬死にせしもの

製作:大映、ディレクターズ・カンパニー
公開:1986年4月19日
監督:井筒和幸 製作:山本洋、溝口勝美、宮坂進 脚本:井筒和幸、西岡琢也 撮影:藤井秀男 美術:下石坂成典 音楽:武川雅寛

始まって5分で見なくていいものを見たという気になる
 西村望の小説『犬死にせしものの墓碑銘』が原作。
 おそらくコメディなのだろうが、ことごとくギャグが空振りしていて最初から最後まで1ミリも笑えない。
 制作意図も良くわからず、何を描きたいのだろうと考えているうちに映画は終わってしまうのだが、不可思議なパッションみたいなものはあって、始まって5分で見なくていいものを見たという気になるが、そんな気分を引き摺りながら意外と最後まで退屈しない。
 それがまさしく井筒和幸の映画なのだと改めて思うが、駄作であることに変わりはない。
 ビルマ戦線から復員した二人の戦友(真田広之、佐藤浩市)が、食うために瀬戸内で海賊をしているという話で、設定の割には復員臭も戦後臭もなく、真田も佐藤も「戦争を知らない子供たち」を地で行っている。
 井筒にはそんなことはどうでも良かったのか、二人の戦利品のヒロインに徳間大映で売り出し中の安田成美を起用。安田を巡る、身請人とチンピラたちの争奪戦となる。
 真田と安田が恋に落ちるという定番もので、それだけなら他愛のないアクション映画なのだが、死んだ戦友たちとか、拾いものの命とか、やたらと戦争にこだわるので、これは生き残った二人の反戦映画なのかと勘繰るのだが、あまりに戦争の影が薄いので、ただ暴れ回る二人を描きたかっただけじゃないのかという思いになる。
 最後は真田が死んでしまい、命なんてちっぽけなものという結論に落ち着いて、きっとそれがテーマだと納得する。 (評価:1.5)