海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1982年

製作:松竹、角川春樹事務所
公開:1982年10月9日
監督:深作欣二 製作:角川春樹 脚本:つかこうへい 撮影:北坂清 美術:高橋章 音楽:甲斐正人
キネマ旬報:1位

深作の映画愛が詰っているが、観客には太秦映画村見学
 原作はつかこうへいの同名直木賞受賞作。
 蒲田行進曲はJR蒲田駅近くに1936年まであった映画草創期の松竹蒲田撮影所の所歌。
 本作の舞台が東映京都撮影所というのはかなり違和感があるが、現代(1982)が舞台で、かつ東映京都撮影所が実際の撮影に使われ、制作されるのは1980年代には衰退していた時代がかったチャンバラ劇で、『キル・ビル』のようにシュールな池田屋の大階段での階段落ちがクライマックスという、時空を超えた設定なので、蒲田行進曲は映画撮影所そのものを意味する代名詞に使われている。
 それを象徴するのが本作の主人公で、映画会社の看板を背負ったスター俳優ではない無名の大部屋俳優の物語となっていて、東映大部屋のピラニア軍団を育てた深作欣二らしい、映画を支える無名俳優と撮影所スタッフへの愛情に満ちた作品となっている。
 大部屋俳優のヤス(平田満)がスター俳優・銀四郎(風間杜夫)に妊娠した女優・小夏(松坂慶子)を押し付けられ、銀四郎のためと小夏に誠心誠意尽して結婚する。生活費を稼ぐためにスタントマン同然の役を引き受けるようになるが、銀四郎の人気に陰りが出て、新選組の撮影がボツになったと聞かされる。銀四郎のためと、死ぬかもしれないクライマックスの階段落ちを引き受けることで撮影を再開させる・・・というのが粗筋。
 臨月の小夏に猛反対される中で、ヤスは一世一代の大役でスポットライトを浴び、小夏との夫婦の絆を確認することになるが、分娩後の病院のベッドでヤスの安否を知るラストシーンが、本作最大のクライマックスとなるが、それは見てのお楽しみ。
 徹頭徹尾、深作の映画愛の詰った作品で、『ニュー・シネマ・パラダイス』同様、映画を題材にした秀作なのだが、残念なのは本作が映画人のための映画で、観客はスクリーンの向う側の世界を他の映画同様に眺めるしかないことで、太秦映画村の撮影所見学を終えることになる。
 内容が内容だけに平田満の一人舞台となっていて、平田の熱演が光る。松坂慶子もB級映画出身のキャリアを生かして、落ち目の女優を好演している。 (評価:3.5)

製作:プロダクション群狼、アトリエダンカン
公開:1982年04月09日
監督:柳町光男 製作:柳町光男、池田哲也、池田道彦 脚本:柳町光男 撮影:田村正毅 音楽:横田年昭 美術:大谷和正
キネマ旬報:2位

秋吉久美子が農村の黄昏に茨城弁と『ひとり上手』熱唱
 舞台は同時代の茨城県鹿島地方。全編茨城弁で多少台詞の聞き取りにくいところがあるが、監督の柳町が潮来の出身と知れば、この映画に籠めた思いが伝わる。
 劇中に流れる『愛の水中花』と『大阪で生まれた女』はいずれも1979年、『ひとり上手』は80年のヒット曲で、深町は80年頃の鹿島地方を方言とともに原型のままに切り取っている。霞ヶ浦と水郷の村、鹿島臨海コンビナート。そのリアリズムの中に活写され変貌する農村は、柳町の原風景の崩壊そのもので、それは農家の長男・根津甚八の破滅を通して描かれる。タイトルの『さらば愛しき大地』は、土とそこにある生活を離れていく人々の哀愁を表わしている。
 この映画は、30年前の都市近郊の農村の崩壊だけでなく、おそらく今は見ることのできない鹿島地方の藁葺きの美しい農家と田園風景を記録している。ただ惜しむらくは、当時は説明の必要がなかったそのような社会的背景が、後代の世代には理解しづらいということで、この作品の歴史的価値を考えるなら、もう少し丁寧に説明しておくべきだった。
 この映画には救いがない。しかし、それは日本の原風景の崩壊がもたらした、現代への予見でもある。
 ブルーリボン助演女優賞を受賞した妻を演じる山口美也子がいい。地味なところでは同じくロマンポルノ出身の、霊媒師の白川和子もいい。秋吉久美子が一所懸命に歌う『ひとり上手』もいい。 (評価:3)

鬼龍院花子の生涯

製作:東映、俳優座映画放送
公開:1982年06月05日
監督:五社英雄 脚本:高田宏治 撮影:森田富士郎 音楽:菅野光亮 美術:西岡善信

因果応報の人生訓に任侠の熱き心のセンチメンタル
 宮尾登美子の同名小説が原作。
 映画は「鬼龍院花子の生涯」というよりも、父の「鬼龍院政五郎の生涯」で、取り繕うように花子の死ぬシーンでオープニングとエンディングを締めている。東映的には、花子の話では任侠映画にならないということか? 夏木マリ、佳那晃子、夏目雅子とヌードシーンもふんだん。政五郎には実在のモデルがいる。
 本作の極めつけは松恵(夏目雅子)の台詞「なめたらいかんぜよ!」で、公開当時の流行語。その松恵は政五郎(仲代達矢)と花子(高杉かほり)の生涯を見守る語り部で、本作のもう一人の主人公。本作の主人公は政五郎で、花子は主人公二人を描くための脇役でしかない。
 松恵は子供のいない侠客、政五郎・歌(岩下志麻)の養女となるが、女に学問は入らないという政五郎に隠れて勉学に励み、女学校を出て教員になっていく。政五郎と妾(佳那晃子)との間に妹が生まれ、状況は一変。政五郎は実子の花子を可愛がり、甘やかされて育てられた花子と鬼龍院家の転落が始まる。
 花子の誕生によって本妻の面目を失くした歌は、死の時に初めてそれまで母の務めを果たせなかったことを詫びて松恵と和解するが、夫に忍従する岩下の演技がいい。一方、政五郎の死に際して、養女に来てよかったと言う松恵の台詞が嘘くさく、五社英雄と東映任侠映画の限界を感じる。
 リベラルでインテリの田辺恭介(山本圭)・松恵と、無知で時代遅れの任侠・政五郎とその周囲というわかりやすい対立構図で、因果応報の教訓に任侠の熱き心を織り交ぜた感傷的人情ドラマというのが全体。山本圭の社会主義運動家の演技がいかにもな俳優座でいただけない。山本はこんな役・こんな演技ばっかし。
 役所広司がよく見ないとわからない組合委員長の役で出ている。少女時代の松恵を演じる仙道敦子がいい。
 それにしても松恵と一緒に養子に来た弟はどこに消えたのだろう? (評価:2.5)

製作:小川プロダクション
公開:1982年11月1日
監督:小川紳介 製作:伏屋博雄 撮影:田村正毅 音楽:関一郎
キネマ旬報:5位

今は廃墟となった古屋敷村をどう総括するのか?
 1980年、山形県上山市の蔵王山中にある山村の1年を追ったドキュメンタリー映画。
 前半は米作りの話で、この年の冷夏による不作の原因を気温と冷気の関係から農家とともに検証し、土壌についても研究する農業科学。内容は興味深いが、説明のクドイところがあっていささか間延びしている。
 後半は、古老の話をもとに明治以降の集落の歴史を紐解き、狩猟や炭焼きの山仕事が生活の基盤だったことが語られる。養蚕業を取り入れて繁栄した家、馬を買い入れ物流で財を築いた家などが紹介されるが、そうして里に田畑を買い求めながら、農地解放で二束三文で手放した恨み節が面白い。
 山村の生活は過酷で、老婆は年貢を取られないので里から嫁入りしたと述べる。裏返せば明治の頃は里の生活も過酷だったわけで、年貢を逃れて山村に嫁入りしても同じように過酷な生活が待っていた。
 養蚕業で潤ったとはいえ、山林を切り開いた桑畑から重い荷物を背負って山道を下る労働、雪山から木を伐り出し炭を焼く労働、山の上の田畑を往復する過酷な労働は、町の生活から隔絶していたからこそ出来たことで、道が通り、テレビがつき、都会の豊かな生活と貨幣経済が入るとともに、金が村人たちの心を支配するようになり、若者たちは山を下り、村は死んだと古老は言う。
 終盤は小川紳介らしく徴兵された村人たちの話で、山村から働き手を奪った国家の収奪を告発する。
 それぞれに興味深い話だが、テーマは分散したままでニッポン国と古屋敷村の対比は軍隊ラッパ以上には響いていない。
 自然との共生、反文明という視点に立てば、米作りや山村の暮しと国家・文明による破壊というステレオタイプな対立点は見いだせるが、深まってはいない。
 戦後の都市集中により、18軒あった家は10年の間に8戸に減った。しかし、撮影時8戸残った家も今は住む人がなく、廃墟となっているという。この結果を、山村の再生に託した小川はどう総括するのだろう。 (評価:2.5)

製作:若松プロダクション
公開:1982年2月20日
監督:若松孝二 製作:若松孝二、浅岡弘行、清水一夫 脚本:内田栄一 撮影:袴一喜 美術:細石照美 音楽:大野克夫
キネマ旬報:7位

都会に暮らす者の孤独に昭和の懐かしい香りがする
 1980年に起きた仙台クロロホルム連続暴行魔事件に想を得た作品。
 妻子持ちで地下鉄の改札係の男(内田裕也)が深夜に一人住まいの若い女性宅に忍び込み、クロロホルムで眠らせて暴行に及ぶという性犯罪もの。面白いのは男が必ずコンドームを使用していることで、度重なる侵入をした喫茶店のウェイトレス(中村れい子)との疑似恋愛が物語の中心となっている。
 若松孝二なので突発的に暗喩シーンも登場するが、その理解不能さが若松作品の中でも名作たらしめている。
 都会に暮らす者の孤独と空虚がテーマで、切符きりと乗客に蔑まれ、会社内でも孤立し、転職を試みようとしても馴染めない社会。マイホーム・パパを演じようとしても家庭の空虚を感じる男が、痴漢に襲われた娘(MIE)を助けたことから、一人住まいの若い女性に興味を持つ。
 彼女らもまた都会の孤独と空虚の中に生きていて、それが男の犯罪を誘発するが、昼間は善人を装う男は夜に女性宅に侵入して、彼女らとも繋がりを求める。それは性交だけでなく、ウェイトレスに対しては朝食を用意するという疑似的恋愛関係であり、他の女たちとも記念写真を撮るという、クロロホルムの力を借りた男の一方通行な人間関係の構築となる。
 ラストで男は自らクロロホルムで眠ってしまい終局を迎えるが、ウェイトレスの女は防犯のために友人を泊めたためにこの結果を招いてしまったことで、彼女自身が再び都会の孤独に戻ってしまうことに気づいて後悔もする。
 男が痴漢に襲われた娘に扇風機を買ってやるシーンがあって、エアコンが高価でまだ普及していなかった当時の事情が偲ばれるが、改札係が神業のように鋏で切符にパンチを入れる風景ともども、昭和の懐かしい香りがする。
 カメオ出演の沢田研二、原田芳雄、赤塚不二夫、タモリも見どころ。
 内田裕也によれば、当初ウェイトレスの役はまだ無名だった青年座の高畑淳子だったが、クランクイン直前にドタキャン。映画そのものが潰れる危機になって、急遽中村れい子を代役に立てたというが、結果的には素人っぽさが生きた。 (評価:2.5)

製作:東映、日本テレビ放送網
公開:1982年9月25日
監督:伊藤俊也 製作:高岩淡、後藤達彦 脚本:松田寛夫 撮影:姫田真佐久 美術:今村力 音楽:菊池俊輔
キネマ旬報:9位

新聞記者の活躍は100%なく主役は犯人と何も知らない妻
 1980年の宝塚市学童誘拐事件を基にした、読売新聞大阪本社社会部編の同名ドキュメンタリーが原作。
 元喫茶店経営者が借金を返済するために小学生の娘の同級生の男の子を誘拐。3000万円の身代金を要求するが、誘拐した男の子の処置に疲れ果て、警邏中の警官に逮捕されるまでを描く。
 誘拐犯を萩原健一、その妻を小柳ルミ子、同級生の両親を秋吉久美子と岡本富士太が演じ、藤谷美和子、池波志乃、中尾彬、伊東四朗、平幹二朗、三波伸介、丹波哲郎、菅原文太らが出演するという大作感のある布陣。タイトルは『誘拐報道』だが、報道協定が結ばれたために新聞記者の活躍は100%なくて看板倒れ。警察の捜査班も犯人を捕まえることができず、警邏中のパトカーの職質で犯人が捕まるというお粗末で、主役は犯人と何も知らない妻というドラマになっている。
 新聞社側から描くという手もあっただろうが、そこはヤクザ映画と『女囚さそり』の東映職業監督の伊藤俊也だけに、犯罪者側から描くのはお手のもの。実際、タイトルを忘れれば、犯罪映画として楽しめる作品になっている。
 失笑するくらいの俳優たちのオーバーアクションも、みんなで見得を切る東映ヤクザ映画だと思えば違和感がない。
 姫田真佐久のカメラが素晴らしく、丹後半島の冬の海と雪景色の中を走るアウディが犯人の孤独を描いて美しい。
 犯人の小学生の娘を演じる高橋かおりが可愛いが、入浴シーンで胸とお尻にボカシが入るのが児童ポルノっぽくて笑える。 (評価:2.5)

青春の門 自立篇

製作:東映京都
公開:1982年1月23日
監督:蔵原惟繕 脚本:高田宏治 撮影:仲沢半次郎 美術:井川徳道 音楽:菊池俊輔

信介と織江がくすんで、青春の門になっていないところが残念
 五木寛之の同名小説の「第2部 自立篇」が原作。
 1977年の浦山桐郎版と思ってテレビで見たのだが、浦山版には比べるもなく出来は劣る。台詞の芝居がかった不自然さはどうしようもなく、シナリオの大切さを思い知らされる。
 それでも桃井かおりと加賀まりこが頑張っていて、この二人の演技がなければただの凡作に終わっていた。男優では任侠のヤクザを演じる萬屋錦之介の存在感が秀でていて、少ない出番ながら他の俳優を圧倒している。
 時は昭和31年。早稲田大学に入学した信介(佐藤浩市)を追って織江(杉田かおる)が上京。店の金を盗まれたことから売春宿で下働きをすることになるが、信介が遊女(桃井)と抱き合っているのを見てしまい、池袋西口の売春バーに身を売る。織江を請け出しに来た信介がヤクザ(萬屋)と出会い、信介の義父に義理があると請け出しを肩代わりする。この情婦を演じるのが加賀で、この二人の愛の形と、桃井と渡瀬恒彦演じる大学教師、信介と織江の3様の愛の形が本作のテーマとなっている。
 脇を火野正平、風間杜夫らが固めるものの、佐藤浩市と杉田かおるの二人がどうにも冴えない。新人にも関わらず若々しさのない佐藤、田舎娘の垢抜けしないだけで純情さが感じられない杉田と、メイン2人がくすんでいて、とても青春の門にはなっていないところが残念な作品。 (評価:2.5)

製作:日本テレビ放送網、ATG
公開:1982年04月17日
監督:大林宣彦 脚本:剣持亘 撮影:阪本善尚 美術:薩谷和夫
キネマ旬報:3位

17歳の小林聡美のおっぱいが見られるという特典付き
 原作は山中恒の児童文学『おれがあいつであいつがおれで』。
 ふとしたきっかけで二人の心と体が入れ替わってしまうというよくある設定の物語で、最近では舘ひろしと新垣結衣の父娘が入れ替わってしまうTVドラマ『パパとムスメの7日間』(2007、原作:五十嵐貴久)がある。これも日テレで、こういう話が好きなテレビ局なのかもしれない。
 設定上、コメディにならざるを得ない。本作の場合、原作は小学生が主人公だが、映画は中学生を主人公にしている分、リアリティを増す。興行面を考慮して青春映画にしたかったのだろうが、設定上の不自然さはどうしても際立ってしまい、しかも尾道の風土を取り込んだためにリアリティが増した。映像的には尾道の風景と雰囲気が生きているが、コメディとしてこの舞台が良かったのかどうか疑問。
 入れ替わった二人が思春期特有の男女の体の違いや生理に気づくという、いかにも大林的なテーマになっているが、これもリアルで、逆になぜ子供の変化に親が気づかない、友達が変に思わないのか? という疑問を高める結果になっている。
 映像も、男女が入れ替わった時間軸だけカラー、前後はモノクロという使い分けの意図も不明で、思春期の少年少女にとって現実はモノクロなのか? という深読みまでしてしまうが、大林がそんな意図を持つとも思えない。
 ある日、教室に転校生(小林聡美)がやってきて、それが少年(尾美としのり)の幼馴染みだった。ふとした事故から二人が入れ替わってしまい、てんやわんやの挙句、少年が父親の転勤で横浜に引っ越すことになり、自分の体と永遠に別れなければならないと男体の少女は悲観。最後はもとに戻ってメデタシメデタシ。
 リアルなテーマのためにコメディになりきれず、この不自然さのために大人の俳優の演技が誰もよくない。子供の変化に気づくはずなのに気づかない鈍感な母親をどう演じればよいのかという戸惑いが、少年の母・樹木希林の演技に見て取れる。父親の佐藤允も笑い飛ばすだけで、一方の父親・宍戸錠などほとんど出番がない。入江若葉の能天気な母親がまあまあ。
 冒頭、小林が元気な少女ぶりで登場するのに対し、少女になった尾美は妙に女性的で気持ちの悪いオカマにしかなっていない。対する小林の男になってからの演技が上手い。共に17歳だが、やはり女性のほうが早熟ということか。
 見どころは小林に尽き、おそらく空前絶後の小林のヌードシーンが見られるという(小林のヌードが見たいかどうかは別にして)特典付き。 (評価:2.5)

男はつらいよ 花も嵐も寅次郎

製作:松竹
公開:1982年12月28日
監督:山田洋次 製作:島津清、佐生哲雄 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

田中裕子のオジサン殺しの色気が半端じゃない
 寅さんシリーズの第30作。マドンナは田中裕子で、大分・湯平温泉で出会った東京駅大丸デパートの洋品売り場の店員。
 田中裕子が沢田研二と不倫(後に結婚)するきっかけを作った作品で、物語上では寅次郎のとりなしで二人が恋人となるが、寅次郎とも怪しい雰囲気を醸し出すオジサン殺しの色気で、年の差もなんのその、むしろ寅次郎と結ばれるんじゃないかと思わせる演技力を見せる。
 湯平温泉で寅次郎・螢子(田中裕子)・三郎(沢田研二)の3人が出会い、寅と螢子が意気投合。三郎は螢子に一目惚れして唐突に交際を申し出るが、2人から変人扱いされてしまうという出だし。
 柴又に舞台が移り、三郎の車で帰京した寅は、頼まれて螢子との仲を取り持つことになるが、螢子は三郎よりも寅を気に入っていて、三郎は美男子過ぎると宣う。騙し討ちのようにして二人をデートさせて交際が始まるものの、どうにも気が合わない二人。
 このままでは寅と螢子がいい仲になってしまいそうな展開で、無理やり谷津遊園で螢子と三郎をくっ付けてしまうシナリオがかなり強引だが、コメディとしてはなかなか出来が良く、笑いどころ満載。前作までのシリアス路線に訣別して、初心に戻って成功している。
 冒頭、年増マドンナの朝丘雪路が虎屋の前の煎餅屋の娘として登場するが、後に引かないのもすっきりしてて良い。
 プロローグの夢のブルックリンを舞台にしたミュージカルで、沢田研二とともにSKDが出演しているのもちょっとした見どころ。 (評価:2.5)

コブラ SPACE ADVENTURE

製作:東京ムービー新社
公開:1982年07月03日
監督:出崎統 製作:藤岡豊、片山哲生 脚本:寺沢武一、山崎晴哉 作画監督:杉野昭夫 音楽:東海林修 美術:小林七郎

クリエイターの息遣いの伝わる大人のアニメ
 寺沢武一の漫画『コブラ』(COBRA THE SPACE PIRATE)が原作。原作タイトルからもわかるように、コブラは宇宙海賊。監督は『あしたのジョー』『エースをねらえ!』等の出崎統、作画監督は多くの作品で出崎とコンビを組んだ杉野昭夫。同じ年にTVシリーズ『スペースコブラ』が放映されたが、本作は先駆けて公開された劇場版。
 失われた惑星ミロスの王女3姉妹とともに海賊ギルドの陰謀と戦う話で、アクションがメインでストーリー的には平凡。ただ原作同様、アダルトな雰囲気の作品で、全裸シーンもあればラブシーンもあって、全編コブラのカッコよさとお色気を演出し、一部にコミカルさが交じる。声優にも松崎しげる、中村晃子、 風吹ジュンといったアニメ声ではない人が起用されている。
 本作は基本はアダルト・ファンタジーで、背景美術や演出を含めてリアリズムは追求されてない。キャラクターの動きもある種PVで、マルチ画面に変わったり、背景を星が流れたりする。そういった点でストーリーではなく雰囲気を楽しむお洒落な作品で、ワイン片手に大型モニターで眺めるという観方が正しい。とりわけ、松崎しげるの歌うオープニングの映像は秀逸。今のアニメーションからは失われた、日本の漫画映画をアニメーションに進化させた先駆者たちの卓越したセンスと才能を見ることができ、SFXやCG、大量の動画枚数を重ねただけでは得ることのできない、クリエイターの息遣いの伝わる本来のアニメーションを楽しむことができる。 (評価:2.5)

ひめゆりの塔

製作:芸苑社
公開:1982年6月12日
監督:今井正 製作:佐藤一郎 脚本:水木洋子 撮影:原一民 美術:坂口武玄、大鶴泰弘 音楽:池辺晋一郎

女学生たちの犠牲の真相は描けていない
 今井正自身による1953年版『ひめゆりの塔』のリメイク。原作は石野径一郎の同名小説。
 もちろん実話がベースだが、良心作、必ずしも佳作にあらずの典型で、沖縄戦の犠牲になった少女たちの悲劇を越えたものにはなってなく、今井正らしく戦争と軍隊、国家を告発しはするが、彼女たちの犠牲の実相には迫りえていない。
 悲壮感ばかりではなく女学生たちの明るさも努めて描くが、俳優陣の演技力不足もあってリメイク版はキャピキャピしているだけ。肝腎の悲壮で悲惨なシーンがリアリティを欠き、そのために沖縄戦の実態と彼女たちが置かれた状況、さらに沖縄守備隊、逃げ惑う沖縄県民たちの追い詰められた状況が伝わってこない。
 リメイク版から30年、同じ脚本で沖縄戦の経緯を知らないと理解できないというのは如何なものか?
 戦況の推移や彼女たちや軍、県民の置かれた客観的状況が説明されなければ、彼女たちの悲劇を真に理解することができない。そうした点では、戦争の悲惨ささえ描けば反戦映画だという類型を越えられない。
 映像的にも彼女たちの主観視点が中心で、よく言えばガマの中の彼女ら同様に観客にも戦況が見えず、不安や恐怖を共有することになるが、彼女らの演技力不足のためにそれが共有できない。ならば、ガマの外で行われている艦砲射撃や進撃する米軍と敗走する守備隊、逃げ惑う民衆を描くべきだが、前作同様、海上の艦隊を遠景の美術で見せるだけで、摩文仁の丘の最後の状況もわからない。
 戦争映画としてはいくつも不満の残る演出で、見どころは顔の汚れた俳優を見て当てっこするくらい。さだまさしの主題歌もイマイチ。
 先生に栗原小巻、篠田三郎。生徒に古手川祐子、田中好子、大場久美子ほか。 (評価:2)

製作:岩手放送、俳優座映画放送、麻布企画、鐵プロダクション
公開:1982年10月30日
監督:村野鐵太郎 製作:太田俊穂、佐藤正之、村野鐵太郎 脚本:高山由紀子 撮影:吉岡康弘 美術:間野重雄 音楽:姫神せんせいしょん
キネマ旬報:8位

柳田國男先生も草葉の陰で歎いているに違いない
 柳田國男の民話集『遠野物語』、阿伊染徳美のノンフィクション『わがかくし念仏』を原作とする、オリジナル脚本。
 民話のふるさと・遠野に舞台を借りたプロレタリア・反戦物語となっていて、タイトルから連想される民話性は薄い。そのため、柳田國男的な民話ないしは民俗的世界観を求めると、肩透かしを食うか、民話を翻案したような下手なラブストーリーに、途中で席を立ちたくなるかもしれない。
 そもそも『遠野物語』ではなく、東北農家の貧困や日露戦争前後の徴兵による悲劇をテーマにしたドラマを描きたかったのならば、別のタイトルを付けるべきだった。
 要は豪農の娘(原陽子)と零落した家の元許嫁の青年(隆大介)との悲恋物語で、これに『遠野物語』白馬と娘の夫婦のオシラサマ伝説を重ね、早池峰山の魂還りや座敷童子の材料を加えるという、平凡な構成。
 青年の親友だった娘の次兄が戦死、次男の青年も徴兵されて戦死。哀れ娘は青年の象徴だった白馬と添い遂げようとして魂だけが早池峰山に昇天し、娘は狂女となる。
 琵琶法師に仲代達矢、巫女に江波杏子、娘の母に藤村志保、長兄に役所広司、青年の兄に峰岸徹、その他菅井きん、長岡輝子、北林谷栄とキャストは賑やかだが、主役の青年役・隆大介が下手すぎて締まらない。巫女役・江波杏子も老婆の設定の割には肌がツヤツヤで、意味不明のスケスケのシーンでも胸が垂れていない。
 片桐夕子も登場して義父に夜這いされるが、このシーンは本筋とは全く関係なく唐突に挿入され、どういう意味があるのか訳がわからない。
 娘役の原陽子が必然性なく突然全裸になるシーンもあり、江波杏子のスケスケといい、サービスカットなのか?
 きっと柳田國男先生も、性についてわかっていないと草葉の陰で歎いているに違いない。 (評価:2)

製作:松竹、霧プロダクション
公開:1982年9月18日
監督:野村芳太郎 製作:野村芳太郎、杉崎重美 脚本:松本清張 撮影:川又昂 美術:森田郷平 音楽:芥川也寸志
キネマ旬報:4位

テストカーの検証実験が筋とは関係ない見所
 松本清張の同名小説が原作。
 毒婦が主人公のミステリーで、富山新港岸壁から海に飛び込んだ乗用車の夫婦のうち妻だけが助かる。中年の夫(仲谷昇)が金持ちのボンボンの上に保険金3億円がかけられ、若い妻(桃井かおり)がホステス上りだったことから、マスコミも警察も保険金殺人と疑い、逮捕される。
 物語の中心は、無罪を主張する妻と国選の女弁護士対検察の裁判劇だが、古い作品とはいえ裁判の模様が娯楽に傾き、リアリティを欠いているのがやや白けるところ。
 桃井かおりが地そのままに、ふてぶてしい毒婦を好演する。
 毒婦を追求する地方紙記者(柄本明)が冒頭では主人公張りに頑張るが、裁判が始まると尻すぼみとなり、中盤からは女弁護士(岩下志麻)が主役の座に躍り出るという、いささか中途半端なシナリオで、ドラマの出来は決して良くない。
 オープニングクレジットで特別扱いの丹波哲郎(弁護士)、山田五十鈴(クラブのママ)もほとんどどうでもいい役で見せ場がなく、妻の元情夫役の鹿賀丈史が主役でもないのに主役並みの演技で目立ちすぎるという、何とも一貫性のない演出となっていて、野村芳太郎の良いところが見い出せない。
 ラストは桃井かおりと岩下志麻が女の怖さを見せて、世の男たちへの警告となすのがテーマか?
 劇中、裁判の検証実験でテストカーを3台岸壁からダイブさせて、フロントガラスの割れ方などを見せるシーンが、筋には関係ないが面白い。 (評価:2)

製作:国際放映株式会社、高橋プロダクション、ATG
公開:1982年06月05日
監督:高橋伴明 製作:佐々木史朗 脚本:西岡琢也 撮影:長田勇市 音楽:宇崎竜童 美術:細石照美
キネマ旬報:6位

バブル前夜の中2病の男を描く中2病の映画
 1979年の三菱銀行人質事件犯人をモデルにした映画。類似性から『狼たちの午後』(1975)と比べてしまうが、社会背景の落差に愕然とする。
『狼たちの午後』については別にレビューで書いたが、背景にはベトナム戦争などの当時のアメリカの病巣がある。翻って本作の背景を考えると、貧困等の犯人の家庭環境はあるが、社会的なものは見えてこない。30年後に改めて観て感じたのは、中2病の男を描く中2病の映画だという感想。『狼たちの午後』と決定的に違うのは、豊かな時代に目的を持つことができず、新聞に載るような事件を起こして有名になりたいという短絡性。主人公はただのチンピラで、人物像の掘り下げもない。中2病の男を描くだけで、この映画から得るものは何もない。
 このような映画を作ってキネ旬ベストテンに選ばれてしまうあたりが、当時の映画人や評論家が中2病に罹っていた証明で、邦画全体が中2病だった。悩みのないことが悩みの1980年代が、次に続くバブル社会を招来したという点で、本作は当時の日本の空気を伝える貴重な映画といえる。この幸せで腑抜た時代の歴史の証人としての意味のある作品。
 この映画には、ポール牧・泉谷しげる・植木等・西川のりお・原田芳雄、といった特別ゲストも出ていて、腑抜た能天気振りも堂に入る。特に原田の書店の親父が良い。映画そのものは宇崎竜童の音楽と撮影がとてもリリカルで、時々はっとさせられる情緒的なシーンがある。宇崎の中2病の演技、渡辺美佐子がよい。 (評価:2)

大日本帝国

製作:東映東京
公開:1982年8月7日
監督:舛田利雄 脚本:笠原和夫 撮影:飯村雅彦 美術:北川弘 音楽:山本直純

腰が定まらない制作姿勢にいろいろと想像が膨らむ
 太平洋戦争を描く戦史ものだが、大上段に構えたタイトルから推測できるように、大日本帝国の総帥、天皇の戦争責任を問う内容となっている。
 第1部「シンガポールへの道」、第2部「愛は波濤をこえて」と題した2部構成3時間の大作だが、戦史というよりはサイパン、フィリピンの悲劇を中心に戦争犯罪を描くドラマになっていて、戦後の東条英機の処刑までを描くものの、東映らしく愛のドラマが絡んでくるために、全体には散漫な印象を受ける。
 一部どうでもいいメロドラマを延々と続けるが、あおい輝彦と肉体派・関根恵子の絡みのシーンはともかく、篠田三郎と清純派・夏目雅子の純愛シーンは、いくら夏目雅子が売りとはいえ、超退屈。
 東京裁判で東条英機(丹波哲郎)が天皇の戦争責任を回避する段になると、さも東条が戦争責任を一身に負ったかのように美化されている。前半では、東条は主戦派として描かれ、非戦派の天皇の無力ぶりを描いているのに対し、後半では天皇の決断により戦争が終結したと描かれる一方で、クリスチャンで人道派の篠田三郎をC級戦犯として処刑する際には「天皇万歳」を叫ばせ、天皇の戦争責任を強調するなど、一貫してない。
 周りに戦死を強い、軍人訓を妄信するあおい輝彦が、C級戦犯となってまるで軍人の鑑のように描かれるのも、腰が定まらない制作姿勢が窺えて、スタッフの名前を見ながら東映の横槍かと邪推してしまう。
 夏目雅子の二役も出番を増やすためかな~とか、東条が美化されるのも丹波哲郎への配慮かな~とか、上映時間の3時間以上にいろいろと想像が膨らむ作品。 (評価:2)

男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋

製作:松竹
公開:1982年8月7日
監督:山田洋次 製作:島津清、佐生哲雄 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

いしだあゆみマドンナのエセ『駅 STATION』
 寅さんシリーズの第29作。マドンナはいしだあゆみで、京都の陶芸家の家の女中で、丹後の漁師の家に育った子連れ未亡人。
 寅が切れた下駄の鼻緒を直してあげた老人と意気投合。酔ってその家に転がり込むと実は人間国宝の陶芸家で・・・というのは、第19作『男はつらいよ 寅次郎と殿様』のパターン。
 出会った薄幸の女中に下駄をプレゼントしてあげると胸キュン。その女中が彼氏にフラれて郷里に帰り、そこに寅次郎が訪ねるという、前半はかなり強引な話が続く。
 その胸キュン女をいしだあゆみが演じるが、役柄的にも演技的にもシナリオ的にも、前年公開の『駅 STATION』の高倉健の離婚した妻そのままで、降旗康男の作品かと見紛うばかり。
 マンネリ打破のためとはいえ、『男はつらいよ』でメロドラマなど見たくもなく、企画的に完全に失敗作。
 いしだあゆみも陰のある一途な女しか演じられないため、渥美清とどうにもかみ合わず、下駄をもらって胸キュンした風にも見えず、まして丹後の家に泊った寅次郎に夜這いする気があるようにも見えず、いしだの脚を見て寅が一人ドギマギするのもらしくなく、渥美の演技だけが空回りする。
 そのいしだが虎屋にやってきて、あじさい寺での密会の付文を渡しても、きっと何か相談したいんだろうくらいにしか見えず、実は寅に恋してたという話になって、マジかよ~と思わず絶句する。
 最後まメロドラマというかでシリアスで、コメディになってない異色作、といえば聞こえはいいが、シリーズ的には駄作。
 陶芸家に片岡仁左衛門、その弟子に柄本明で、この頃の方が演技に嫌味がなかった。 (評価:1.5)

製作:磯田事務所・ATG
公開:1982年09月04日
監督:中川信夫 製作:磯田啓二、佐々木史朗 脚本:中川信夫 撮影:桶口伊喜夫 美術:西岡善信、加門良一
キネマ旬報:10位

怪談にしては怖くなく文芸作品にもなっていない
 鈴木泉三郎の同名戯曲が原作。怪談物の監督・中川信夫の遺作。
 小幡小平次は江戸中期・二代目市川團十郎時代の伝承の歌舞伎役者で、幽霊役で評判を呼んだ。妻と密通していた鼓打ちに沼で殺されるが、幽霊となって舞い戻り、鼓打ちは発狂、妻ともども死んでしまう。
 戯曲の方は多少アレンジされているが、ほぼ伝承どおり。ATGの1千万円映画ということもあって、出演者は藤間文彦(小平次)、宮下順子、石橋正次の3人だけ。戯曲ということで3人の会話を中心に物語が進行するが、こういった作品の場合、よほど役者が上手いか演出が優れていないと持たない。
 しかし、そのどちらでもなく、とりわけ宮下順子がよくない。日活ロマンポルノでは演技派といわれたが、こうした作品では真の実力が見えてしまう。
 怪談映画にしては徹頭徹尾怖くなく、文芸作品にもなりきれてなく、この作品がキネ旬10位に入ったのは、この頃の邦画がどん底だった状況を表している。 (評価:1.5)