海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1980年

二百三高地

製作:東映東京
公開:1980年08月02日
監督:舛田利雄 脚本:笠原和夫 撮影:飯村雅彦 音楽:山本直純 美術:北川弘

夏目雅子の抜群の美しさが哀愁を誘う戦争超大作
 戦争映画といえば太平洋戦争が多いが、これは日露戦争が題材の大作。監督は舛田利雄、脚本に笠原和夫。さだまさしが主題歌『防人の詩』を歌ったが、ほとんど映画の一部をなしている。
 乃木希典に仲代達矢、児玉源太郎に丹波哲郎、明治天皇に三船敏郎、伊藤博文に森繁久彌という超豪華配役陣。群像劇だが、仲代と下士官のあおい輝彦を中心に物語は進み、その恋人の夏目雅子が重要な役。
 日露戦争といえば日本海海戦で、その前哨戦となる旅順攻囲戦があまり知られていないこともあって、植民地戦争の中で日本がどのような立場にあったかという背景を含めて、スト―リは誰にでもわかるように丁寧。テーマも「戦争で命を奪われる民衆には国家も天皇も関係ない」と台詞で明確に示される。ただ、これを額面通りには受け取らない方がいいかもしれない。
 日本が勝利した戦争で、明治国家と民衆の対立を描いているために、戦争の見方についてはドメスティック。日本がロシアと戦わなければいけなかった国際情勢と、近代国家になって戦争に民衆が狩りだされ、それが個々人の悲劇を生むと同時に国民と国土を守ることが描かれる。
 本作は同じ国土を蹂躙された韓国や中国とその民衆には一切触れていないし、西欧列強から日本を守るために仕方のなかった戦争として描いているために、一部には侵略戦争を肯定しているという批判もあった。
 それでも本作が心に残るのは、日本の近代史と戦争の本質について客観的に描こうという冷めた目があるからで、主人公がロシア文学を愛読する青年でロシア人と国家ロシアを切り離して考え、休戦中にはロシア兵と声をかわしていたにも関わらず、仲間がロシア兵を狙撃した途端、両者が殺し合いを始めてしまうという戦争の現実に直面し、兵士は国家の代理として殺し合う駒に過ぎないことを悟る。そこには人道も正義も理想もなく、生きるためには敵を憎んで戦うしかないことを知る。
 戦争の駒となった民衆の憤怒は主人公と乃木によって明確に描かれていくが、一貫して明治政府がなぜ戦わなければならなかったという視点は失わない。一方でエンディングは防人たちによって守られた民衆の平和な姿を描く。
 本作を観終わってさまざまな思いにとらわれるのは、歴史には正義はなく、それぞれの立場と利害と結果があるだけで、正解もまたないということ。エンディングの平和な姿も、その後の日中戦争から敗戦に至る悲劇の幕間でしかない。戦死した兵士が遺したものが何であったかを訴える、『防人の詩』が流れるエンディングの映像は秀逸。
 敗戦を描かなければ反戦ではないと考える風潮があり、太平洋戦争を主題にした映画の多くは、敗戦のノスタルジー、慙愧によって成り立っている。旅順攻囲戦は戦勝しながらも16000名の日本兵が犠牲となった悲惨な戦いで、その結果が日本に何をもたらしたかの解釈は観客に委ねられている。
 本作は一般向け大作として作られたために演出は感傷的で過剰。丹波ら俳優の演技もオーバーな中で、仲代が抜群の演技を見せる。夏目も好演で抜群の美しさが哀愁を誘う。
 伊豆大島で撮影された旅順攻囲戦のシーンは圧巻。 (評価:4)

男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花

製作:​松竹
公開:1980年8月2日
監督:山田洋次 製作:島津清 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

沖縄パートは観光映画だが渥美と浅丘が絶妙な演技
​ 寅さんシリーズ第25作。マドンナは第11作「寅次郎忘れな草」・第15作「寅次郎相合い傘」のリリー役・浅丘ルリ子で、3回目の登場。
 リリーが旅先で病気になり、寅が駆け付けるという話で、ロケ地は沖縄。入院から療養に寅が付き添い、本部の民家では半同棲生活を送り、夫婦の真似事をする。
 この間、寅は仕事もせずに水族館の娘たちと遊びまわり、リリーの求婚にも気づかずに喧嘩別れといういつものパターンで、再び柴又で再会すると寅の求婚にリリーがまぜっかえすという逆パターンになる。この時、沖縄での半同棲生活を「夢を見ていただけ」という台詞で表わすが、実際、寅には夫婦生活が送れないという本質的なものが見えてしまうという、制作者の意図とは別にほろ苦いものが出ている。
 そのほろ苦さを払拭するように、草津路で寅とリリーが再び再会し、粋な会話を交わした後、旅は道連れとなるシーンが最大の見どころ。寅とリリーに似合うのは恋模様ではなく粋な男女の関係で、渥美と浅丘が息の合った絶妙な演技をする。
 リリー編ということもあって総じてよくできたシナリオだが、沖縄パートは観光映画になっていて、沖縄病にかかったようにやや弛緩している。嘉手納基地が出てくるのも山田洋次らしい。
 沖縄の青年を江藤潤が演じるが、やはり方言が今ひとつか。 (評価:2.5)

製作:​シ​ネ​マ​・​プ​ラ​セ​ッ​ト
公開:1980年04月01日
監督:鈴木清順 製作:荒戸源次郎 脚本:田中陽造 撮影:永塚一栄 音楽:河内紀 美術:木村威夫、多田佳人
キネマ旬報:1位

この映画の理解はツィゴイネルワイゼン同様に難しい
​ ​鈴​木​清​順​の​大​正​ロ​マ​ン​溢​れ​る​幻​想​的​映​画​で​、​邦​画​の​方​向​性​が​混​沌​と​し​て​し​て​い​た​当​時​評​判​に​な​っ​た​作​品​。​鈴​木​清​順​は​『​肉​体​の​門​』​(​1​9​6​4​)​や​『​け​ん​か​え​れ​じ​い​』​(​1​9​6​6​)​で​知​ら​れ​て​い​た​く​ら​い​で​、​7​0​年​代​に​は​ほ​と​ん​ど​映​画​を​撮​っ​て​い​な​か​っ​た​が​、​本​作​で​復​活​し​た​。
​ ​当​時​、​斬​新​な​映​画​と​し​て​か​な​り​も​て​は​や​さ​れ​、​映​画​賞​も​受​賞​し​た​が​、​観​直​し​て​み​る​と​結​構​退​屈​で​意​外​に​つ​ま​ら​な​か​っ​た​り​す​る​。
​ ​士​官​学​校​の​ド​イ​ツ​語​教​授​(​藤​田​敏​八​)​と​、​教​職​を​辞​め​放​浪​す​る​親​友​の​元​教​授​(​原​田​芳​雄​)​と​の​交​流​を​描​く​。​原​田​は​女​癖​が​悪​く​、​人​妻​を​た​ぶ​ら​か​し​て​自​殺​さ​せ​、​弟​を​亡​く​し​て​喪​中​の​芸​者​(​大​谷​直​子​)​を​強​引​に​座​敷​に​呼​ぶ​。​こ​の​芸​者​と​の​接​吻​の​シ​ー​ン​で​原​田​が​芸​者​の​肝​の​よ​う​な​も​の​を​呑​み​こ​む​が​、​主​人​公​・​藤​田​の​幻​想​は​こ​こ​か​ら​始​ま​る​。
​ ​時​が​た​ち​、​原​田​は​結​婚​す​る​が​、​妻​(​大​谷​直​子​の​二​役​)​が​芸​者​と​そ​っ​く​り​で​、​訪​問​し​た​藤​田​は​そ​こ​で​サ​ラ​サ​ー​テ​自​演​の​ツ​ィ​ゴ​イ​ネ​ル​ワ​イ​ゼ​ン​の​レ​コ​ー​ド​を​聴​か​さ​れ​る​。​そ​れ​が​映​画​の​タ​イ​ト​ル​で​、​演​奏​中​に​サ​ラ​サ​ー​テ​が​伴​奏​者​に​何​か​話​し​か​け​て​い​て​、​原​田​は​ド​イ​ツ​語​教​授​の​藤​田​に​確​か​め​よ​う​と​し​た​の​だ​が​、​聴​き​と​れ​な​い​。
​ ​映​画​は​こ​こ​か​ら​さ​ら​に​幽​玄​と​な​り​、​原​田​の​家​へ​の​途​中​に​あ​る​切​り​通​し​が​、​幽​明​の​境​と​な​る​。​原​田​の​旅​行​中​に​藤​田​は​大​谷​と​現​と​も​幻​と​も​つ​か​な​い​時​を​過​ご​す​。​一​方​で​病​床​で​正​気​の​定​か​で​な​い​義​妹​か​ら​、​藤​田​の​妻​(​大​楠​道​代​)​と​原​田​の​不​倫​を​聞​き​、​虚​実​妄​想​の​中​に​落​ち​込​ん​で​い​く​。
​ ​大​谷​は​女​の​子​を​産​む​が​原​田​は​藤​田​の​名​を​と​っ​て​命​名​し​、​こ​の​子​供​が​藤​田​の​子​で​は​な​い​か​と​い​う​暗​示​が​あ​る​。​大​谷​は​ス​ペ​イ​ン​風​邪​で​死​に​、​乳​母​と​し​て​芸​者​(​大​谷​)​が​や​っ​て​く​る​が​、​大​谷​は​後​妻​の​つ​も​り​。​旅​行​中​に​原​田​が​死​ん​で​、​大​谷​は​原​田​が​藤​田​に​預​け​て​い​た​本​の​返​却​を​求​め​、​最​後​に​レ​コ​ー​ド​の​返​却​を​求​め​る​が​、​そ​れ​は​大​楠​が​原​田​か​ら​預​か​っ​て​い​た​ツ​ィ​ゴ​イ​ネ​ル​ワ​イ​ゼ​ン​だ​っ​た​。
​ ​返​却​に​大​谷​の​家​を​訪​ね​る​と​、​返​却​を​求​め​て​い​た​の​は​娘​で​、​彼​女​の​足​跡​に​は​三​途​の​川​の​渡​り​賃​の​六​文​銭​が​刻​印​さ​れ​て​い​る​。​追​い​か​け​る​と​、​船​着​き​場​で​彼​女​が​藤​田​を​手​招​き​す​る​。
​ ​生​死​の​不​明​瞭​さ​を​テ​ー​マ​に​大​正​ロ​マ​ン​を​描​い​た​映​像​も​幻​想​的​演​出​も​悪​く​は​な​い​。​映​画​監​督​の​藤​田​敏​八​の​演​技​も​新​鮮​。​俳​優​陣​も​芸​達​者​揃​い​で​、​門​付​の​盲​人​3​人​組​も​不​思​議​感​の​演​出​に​一​役​か​っ​て​い​る​。
​ ​た​だ​映​画​芸​術​的​に​面​白​い​作​品​で​も​本​当​に​面​白​い​の​か​と​問​わ​れ​れ​ば​、​三​十​数​年​経​っ​た​今​、​人​に​よ​っ​て​は​面​白​い​か​も​し​れ​な​い​と​い​う​評​価​し​か​与​え​ら​れ​な​い​。
​ ​ち​な​み​に​鈴​木​清​順​の​弟​は​元​N​H​K​ア​ナ​ウ​ン​サ​ー​の​鈴​木​健​二​。​こ​の​映​画​で​ヴ​ァ​イ​オ​リ​ン​演​奏​の​難​曲​と​い​わ​れ​る​ツ​ィ​ゴ​イ​ネ​ル​ワ​イ​ゼ​ン​が​有​名​に​な​っ​た​。 (評価:2.5)

製作:​黒澤プロダクション、東宝映画
公開:1980年4月26日
監督:黒澤明 脚本:黒澤明、井手雅人 撮影:斎藤孝雄、上田正治 美術:村木与四郎 音楽:池辺晋一郎
キネマ旬報:2位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞 カンヌ映画祭パルム・ドール

馬がのたうち回るシーンは個人的には見どころ
 野田城の城攻めで武田信玄の病状が悪化して武田軍が撤退、帰途信玄が死亡し、遺言により死を3年間秘匿したという故事を題材にした作品。死については狙撃説を基に、3年間信玄そっくりな盗賊を影武者にしたという物語。
 作品の中心は、信玄死の噂を確かめようと間諜を送る家康・信長と、秘匿のために孫や側室まで騙そうとする重臣たちの策略で、ばれそうでばれないサスペンスタッチのハラハラぶりが本作の見どころとなっている。
 その影武者(信玄との2役)を仲代達矢が演じ、何度か窮地を乗り切るが、そのサスペンスに至るまでの過程と、3年が過ぎてサスペンスが終了してからのエピソードが若干冗長で、3時間はさすがに長い。
 弟の信廉を山崎努を演じ、ほかに萩原健一、根津甚八、大滝秀治らが出演しているが、ほぼ仲代達矢の一人芝居で、卑屈な盗賊が信玄のふりをする演技が見もの。
 3年が過ぎて、武田軍を率いた勝頼(萩原健一)が惨敗する長篠の戦いがラストとなるが、お役御免となった盗賊が、屍の中を信玄が憑依したかのごとく突進して果て、武田の終焉を暗示する。
 武田館のオープンセットも映像的な見どころで、大量の馬とエキストラを動員したシーンも黒澤映画ならではの迫力。
 もっとも長篠の戦いでは、肝腎の合戦シーンが描かれずに合戦後の死屍累々たる人馬のシーンを描いたことで、公開時、手抜きだと酷評された。演出的意図はともかく、エンタテイメントの監督である黒澤が最大のクライマックスを描かなかったというのはやはり残念で、メインディッシュのないフルコースを食べているよう。ただ、のたうち回る多数の馬のシーンは、個人的には大きな見どころ。
 諏訪湖の浜辺と思われるシーンで、波が立って明らかに海浜と思われるのが完璧主義の黒澤映画としては若干残念なところ。
 カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。 (評価:2.5)

製作:シネマハウト、ATG
公開:1980年11月22日
監督:大森一樹 製作:佐々木史朗 脚本:大森一樹 撮影:堀田泰寛 音楽:千野秀一 美術:大谷和正
キネマ旬報:3位

酒を飲まないと盲腸の手術ができない医師
​ ​大​森​一​樹​監​督​・​脚​本​の​医​大​6​回​(​年​)​生​の​物​語​。
​ ​普​段​、​窺​い​知​る​こ​と​の​で​き​な​い​医​大​生​の​生​活​や​生​態​が​興​味​深​い​作​品​。​但​し​、​大​森​が​医​大​生​だ​っ​た​の​は​1​9​7​0​年​代​で​、​当​時​の​政​治​運​動​も​出​て​き​て​、​現​在​と​は​乖​離​し​て​い​る​の​か​も​し​れ​な​い​。
​ ​最​終​学​年​を​迎​え​た​7​人​の​グ​ル​ー​プ​の​医​局​で​の​臨​床​実​習​と​、​主​人​公​が​住​む​学​生​寮​の​数​人​の​物​語​。​主​人​公​(​古​尾​谷​雅​人​)​に​は​大​学​司​書​を​し​て​い​る​高​校​同​級​生​の​彼​女​が​い​て​、​妊​娠​さ​せ​て​し​ま​う​。​堕​胎​さ​せ​る​が​、​こ​の​事​件​を​き​っ​か​け​に​精​神​に​異​常​を​来​し​、​卒​業​が​遅​れ​る​こ​と​に​な​る​。
​ ​常​に​人​の​死​に​接​し​な​け​れ​ば​な​ら​な​い​こ​と​に​苦​痛​を​覚​え​る​者​、​高​給​を​断​っ​て​貧​者​の​医​療​に​尽​く​す​貧​し​い​先​輩​医​師​、​理​想​も​な​く​個​人​病​院​を​引​き​継​ぐ​た​め​に​医​師​に​な​る​者​、​医​療​事​故​の​犠​牲​に​成​り​立​っ​て​い​る​医​学​界​に​疑​問​を​感​じ​る​者​、​そ​う​し​た​さ​ま​ざ​ま​な​葛​藤​の​中​で​、​卒​業​を​放​棄​す​る​者​も​出​て​く​る​。
​ ​人​の​生​死​と​真​摯​に​向​き​合​う​者​ほ​ど​悩​み​は​深​く​な​り​、​悩​ま​な​い​者​が​順​当​に​医​師​に​な​っ​て​い​く​と​い​う​矛​盾​を​描​き​な​が​ら​、​単​な​る​職​業​と​な​っ​て​し​ま​っ​た​医​学​界​を​告​発​す​る​。
​ ​個​人​的​な​思​い​出​を​書​け​ば​、​子​供​の​頃​、​近​所​に​酒​を​飲​ま​な​い​と​盲​腸​の​手​術​が​で​き​な​い​と​い​う​医​院​の​医​者​が​い​て​、​医​者​必​ず​し​も​適​格​者​で​は​な​い​。
​ ​劇​中​、​医​師​免​許​を​持​っ​て​い​た​手​塚​治​虫​、​元​フ​ォ​ー​ク​ク​ル​セ​イ​ダ​ー​ズ​の​北​山​修​も​医​師​役​で​出​演​。​鈴​木​清​順​も​コ​ソ​泥​役​で​出​て​い​る​。
​ ​大​森​の​初​期​作​品​で​、​随​所​に​ア​マ​チ​ュ​ア​臭​さ​が​残​っ​て​い​る​が​、​伊​藤​蘭​、​柄​本​明​、​小​倉​一​郎​、​内​藤​剛​志​と​い​っ​た​瑞​々​し​い​若​さ​が​全​編​に​迸​っ​て​い​て​、​同​時​に​大​森​の​映​画​に​か​け​る​息​吹​き​が​伝​わ​っ​て​き​て​、​邦​画​の​新​し​い​可​能​性​を​感​じ​さ​せ​た​当​時​が​懐​か​し​い​。 (評価:2.5)

製作:松竹
公開:1980年3月15日
監督:山田洋次 製作:島津清 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:佐藤勝
キネマ旬報:5位

立ちんぼ健さんを助ける吉岡秀隆9歳の演技
​ 北海道の未亡人と息子の牧場に流れ者の男がやってきて居つき、息子と父子のような関係になるが、最後に去っていくという『シェーン』(1953)のオマージュ作品。タイトルも主題歌"The Call of the Faraway Hills"(邦題:遙かなる山の呼び声)から採られている。
 女手一つで牧場を経営し息子を育てる未亡人に倍賞千恵子、シェーンに高倉健で指名手配中の殺人者。正体不明ながらも牧場で働かせてくれと居ついてしまい、二人に間に愛が芽生えるが、最後は警察に捕まって網走で服役することに。未亡人は彼の出所を待つことを約してジ・エンドとなるが、この時に手渡すのが黄色いハンカチで、1977年公開の『幸福の黄色いハンカチ』に繋がるようになっている。
 本作の肝となるのは、初めはシェーンを警戒していた未亡人が男手を頼りにするようになり心を開いていく過程だが、高倉健が例の如く棒の演技しかできないために倍賞の一人相撲に終わっていて、『幸福の黄色いハンカチ』に繋がるキャスティングとはいえ、やや失敗感が否めない。
 高倉の大根演技に比べて、とりわけ前半を引っ張るのが息子役で当時9歳の吉岡秀隆が無茶苦茶上手く、子役ながら突っ立っているだけの高倉の演技を助けている。
 ラストで護送中の高倉の列車に倍賞とこれに片思いのハナ肇が乗り込み、ハンカチとともに愛の告白をするところが泣かせどころだが、ここまでの流れはいささか退屈で、高倉とハナ肇3兄弟の喧嘩や倍賞の入院、草競馬や牛の入院・人工授精など、北海道牧場紀行で間を持たせ、渥美清・畑正憲・武田鉄矢などの賑やかしが、賑やかしにしか見えないのが何ともつらい。高倉健も達者な乗馬を見せて、演技で足りない分、間を持たせる。
 春夏秋冬に分けて見せる北海の道の自然の映像が見どころで、とりわけ夕景が美しい。 (評価:2.5)

製作:東映、幻燈社
公開:1980年9月6日
監督:東陽一 撮影:川上皓市 美術:綾部郁郎 音楽:田中未知
キネマ旬報:7位

メタモルフォーゼする烏丸せつこのプロモビデオ
 五木寛之の同名小説が原作。
 春夏秋冬のそれぞれの名前を持つ四姉妹の二女・奈津子(烏丸せつこ)が、女性として魂の自由を求めて試行錯誤する物語。
 奈津子が精神病施設にいる布由子(太田光子)に会うために公道を車で爆走するシーンから始まるが、奈津子が社会的規範に収まらず、それを窮屈に感じて殻を破ろうとしている女性であることを示す上手い導入。
 福岡の実家を出て上京した奈津子は、知り合いのカメラマン(本田博太郎)のヌードモデルとなるが、昆虫のようにメタモルフォーゼしようとしていると形容される。
 既成の女の殻から脱皮しようとする奈津子を烏丸せつこが溌剌と演じ、半ば烏丸せつこのプロモーション・ビデオのようですらあるが、脚本を書かずに原作を基に視覚的に演出したのが功を奏している。奈津子がメタモルフォーゼする姿を映像的に躍動的に捉えている。
 カメラマンを介して知り合ったケイ(阿木燿子)は、「セックスなんて思っているより簡単よ」と性の既成概念に縛られた奈津子を解放。奈津子は束縛しようとするカメラマンを振り切り、女優を目指してオーディションを受ける。
 上京する新幹線で詩人の田村隆一と隣になり、魂についての講釈を聴くことになるが、束縛される性としての女性の魂の自由が作品テーマとなっていて、女性の魂を縛る社会通念や男性のエゴイズム、あるいは女性自身の偏見といったものを奈津子は一つ一つ切り離していく。
 そうした彼女に自分を投影して支持するのが鬱病で入院しているナイーブな布由子で、布由子の病気を理由に離縁される波留子(佳那晃子)と父(牟田悌三)は既成の殻を破れずにいる。学生運動に身を投じる亜紀子(影山仁美)は、女優になろうとする奈津子を「バカじゃない」と言下に否定するが、その理由は語られない。
 オーディションに受かった奈津子は、今は魂は肉体にあると言って若さの輝きを示す。撮影本番で監督(白井佳夫)のOKの言葉に満面の笑みを浮かべるラストシーンがいい。
 映画での相手役に藤田敏八と宮本信子。映画スタッフにカメラマンの姫田真佐久と出演者も賑やか。劇中のヌード写真は篠山紀信撮影。 (評価:2.5)

震える舌

製作:松竹
公開:1980年11月22日
監督:野村芳太郎 製作:野村芳太郎、織田明 脚本:井手雅人 撮影:川又昂 美術:森田郷平 音楽:芥川也寸志

「泣かせの芳太郎」の見せ場は北林谷栄
 三木卓の体験を基にした同名小説が原作。
 葛西の団地に住む幼女が沼地で遊んでいる時に指を切り破傷風に感染。大学病院で生死の境を彷徨いながら、両親の必死の看病で生還するまで。
 ドラマというよりは破傷風マニュアルに近く、公開時に見た後、しばらく破傷風恐怖症に取り憑かれた記憶がある。聖路加病院の監修を得た野村芳太郎の演出はリアルで、とりわけ幼女を演じる子役のほぼ全編に渡る痙攣の演技が、ホラー映画並みに鬼気迫る。
 それだけではドラマにならないというわけで母親の錯乱ぶりを描くが、十朱幸代のウザい女の演技が鼻について興ざめ。父親の渡瀬恒彦の演技も上手くはないが熱演ぶりだけは伝わってくる。
 貫禄の演技は北林谷栄で、孫を思う祖母の愛情がじんわり伝わってきて「泣かせの野村芳太郎」の見せ場を作る。
 主治医の中野良子は、沈着冷静で理知的で優しいお姉さんのよう、という理想的な小児科医のイメージにぴったりだが、ハマり過ぎの感があって、治療の成功を含めてやや予定調和的。
 ラストシーンは、ホラー映画ならばもうひと捻りほしいところだが、期待に反してハッピーエンドなのが野村芳太郎作品としては物足りない。 (評価:2.5)

復活の日

製作:角川春樹事務所、東京放送
公開:1980年6月28日
監督:深作欣二 製作:角川春樹 脚本:高田宏治、グレゴリー・ナップ、深作欣二 撮影:木村大作 美術:横尾嘉良 音楽:羽田健太郎

木村大作の映像が美しく金を掛けたなりに楽しめる
 小松左京の同名SF小説が原作。
 アメリカの細菌研究所から盗まれた細菌兵器用に造られたウイルスMM-88が世界に広まり、人類を含む脊椎動物が絶滅。ただし零下では不活性になるため、各国南極隊員とイギリス原潜乗組員だけが助かり、南極米軍基地に全員が集まる。
 ところがアメリカ東海岸で地震が発生。無人のアメリカ防衛システムが核攻撃と誤認して核ミサイルを発射。同じく無人のソ連防衛システムが報復し、その一つが南極米軍基地を攻撃。
 間一髪、砕氷船で逃げ出した男女・子供のグループと、防衛システムを止めるためにホワイトハウスに向かった地震学者(草刈正雄)だけが生き残るという、核と生命における人間の愚行を戒める黙示録。
 ラストで地震学者と彼を愛するノルウェー女(オリビア・ハッセー)が広い世界でまさかの出会いを演じ、"Life is beautiful."(人生はいいものだ)と人類の再出発を誓い、絶望的な物語に希望を残す。
 オリビア・ハッセーのほかにチャック・コナーズ、グレン・フォード、ロバート・ボーンの外国人俳優も多数出演し、南極、南北アメリカ大陸ロケを敢行するという豪華版。
 木村大作の映像は息をのむほどに美しく、映像を見ているだけでも楽しい。金を掛けたなりの作品になっていて、娯楽大作に引けを取らない深作欣二の力量も見どころとなっているが、時間軸としては中間にある冒頭シーンが、その後のストーリー展開のどこに入るかがわかりにくい。 (評価:2.5)

男はつらいよ 寅次郎かもめ歌

製作:松竹
公開:1980年12月27日
監督:山田洋次 製作:島津清 脚本:山田洋次、朝間義隆 撮影:高羽哲夫 美術:出川三男 音楽:山本直純

泣かせどころも用意され喜劇よりは人情もの
 寅さんシリーズの第26作。マドンナは伊藤蘭で、死んだテキヤ仲間の娘。
 テキヤ仲間の弔問に奥尻島を訪ねると娘がいて、高校を中退したので東京の夜間高校で勉強したいと相談され、付き添って虎屋に帰ってくるという展開。伊藤蘭は79年のキャンディーズ解散後、『ヒポクラテスたち』(1980)に続く映画出演で、アイドルとは打って変わって出来の悪い田舎娘を好演している。
 寅次郎にとってはマドンナというよりは愛娘で、立ち位置としては『男はつらいよ 奮闘篇』(1971)の榊原るみに近い。
 娘が心配で定時制高校に入り浸りの寅というのが見せ場で、教師役の松村達雄との掛合いが絶妙。
 ただ設定自体は面白いものの、恋愛関係に発展しないマドンナとの物語に広がりがなく、3歳の時に別れたきりだという娘の実母が、突然現れてすぐに帰っていくエピソードが無理筋。園佳也子の起用もほとんどチョイ役で生きていないのが残念なところ。
 同様、娘の別れた恋人(村田雄浩)がプロポーズに上京してきて、娘が外泊したことから寅が怒って旅に出てしまうという、強引なストーリーになっている。
 学校に入り浸っていた寅も入学を希望していたという泣かせどころも用意され、全体的には喜劇よりは人情ものになっているが、寅次郎の失恋もなく、笑いどころが少ないのがいささか不満か。 (評価:2.5)

ミスター ミセス ミス ロンリー

製作:市山パースル、ATG
公開:1980年12月20日
監督:神代辰巳 製作:市山達巳、原田美枝子、佐々木史朗 脚本:刹那、神代辰巳 撮影:押切隆世 音楽:千野秀一 美術:大谷和正

原田美枝子の子猫ちゃんぶりを楽しむフシギ系映画
 原田美枝子の原案を神代辰巳が映画化した、フシギ系映画。
 電柱に後ろ手で手錠で括りつけられた女(原田美枝子)を拾ったオカマ(宇崎竜童)との同棲物語で、当然プラトニック。最初は厄介者だったが、次第に恋が芽生える。これに倒産した会社の金15億円をネコババした男(原田芳雄)と兜町の老人(天本英世)、オカマの養父(名古屋章)、事業家(三国連太郎)が絡んで、15億円と愛憎を巡るわけのわからない話が展開する。
 80年フシギ系映画らしく、弱者が立ち上がった時は怖いとか、男たちの部屋の鍵をコレクションするとか、紙幣の真贋とか、オリジナルがないのにどうやって合鍵を作るのかといったキーワードをばら撒きながら、結局のところ社会のつまはじき者たちの寝言。原田演じる女が、ラストで思わぬ展開を演じるが、ストーリーの謎ときをしても詮無い。
 そうした凡作でありながらフシギと観られてしまうのは、個性派俳優たちのフシギ演技と神代の演出のフシギ感覚のせいか。ここの俳優の演技が楽しめるが、面白いとは保証できない。21歳原田美枝子の子猫ちゃんぶりと、宇崎竜童のオカマ演技が見どころ。名古屋章のオカマも上手い。 (評価:2.5)

製作:狂映舎、ダイナマイトプロ
公開:1980年5月24日
監督:石井聰亙 製作:秋田光彦、小林紘 脚本:秋田光彦、平柳益実、石井聰亙 撮影:笠松則通 美術:泉谷しげる 音楽:泉谷しげる、パンタ&ハル、THE MODS
キネマ旬報:9位

最後は子供の戦争ごっこが非常に悔やまれる
 石井聰亙が学生時代に自主制作した暴走族映画。架空の町を舞台に暴走族の抗争を描く、日本版『マッドマックス』。
 16フィルムのため画質が荒いが、乾いた感じが出ていて題材的には却って効果的になっている。
 警察の取り締まり強化対策として暴走族が連合を組むことになるが、それに納得しない一部メンバーが抗争を仕掛けるというストーリーで、右翼団体の元リーダーが仲介してはねっかえりを団体に入れて教化するものの、組織になじまず脱退。
 主人公は連合に襲われバイクに乗れない体にされ、狂人と手を組んで重火器を手に入れて復讐戦に挑み、連合と右翼団体を壊滅させる。
 いわば暴走族の戦争ごっこを描いたもので、チャンバラごっこの延長線。理由なき反抗という以外に中身はないが、とりわけ冒頭の暴走シーンが迫力満点で、カット割りや編集に並々ならぬ才能を感じさせる。
 もっとも低予算映画のため、終盤の安手に工作したバズーカや機関銃を使った戦争シーンはちゃちくて、それまでのアナーキーな雰囲気を台無しにしている。爆発シーンもロケット花火程度の寂しさがいじましい。
 低予算ながらもそれまで工夫していた演出が帳消しとなっていて、そうなることは端から分っていたのに何故火器を使った戦争シーンにしてしまったのか。これでは子供の戦争ごっこでしかなく、終盤のシナリオが非常に悔やまれる。 (評価:2)

製作:太陽の子プロダクション
公開:1980年9月13日
監督:浦山桐郎 製作:時実象平 脚本:浦山桐郎 撮影:安藤庄平 美術:坂口武玄 音楽:真鍋理一郎
キネマ旬報:10位

原作同様、沖縄に対する偏見を助長する作品
 灰谷健次郎の児童文学『太陽の子』が原作。
 ほぼ原作通りのため、教条主義的な嫌味さが鼻につく作品になっている。浦山らしさといえば、コザ暴動や沖縄戦の描写や昭和天皇の映像が入るなど、政治色を強調したシーンくらいで、なぜこの作品を撮ったのかがわからない。
 日本の歴史・社会における被害者・沖縄を徹底的に描いていて、概ね事実であることは間違いないが、負の面ばかりを一方的に強調しているために、沖縄の問題が正しく伝わらないという陥穽を招いている。
 原作が硬直した立場で書かれているのは仕方がないが、名匠・浦山もまたそれをそのまま映画にした。
 おそらく本作を見た人のかなりは沖縄に対して理解を示さないし、むしろ閉鎖的で偏狭な人々と映る。
 その主因は原作にあるが、それを正さなかった本作は沖縄に対する偏見を助長するだけ。共同映画が配給したので、本作を見た多くの子供たちに、沖縄に対する誤解を植え付けたのではないか。
 主人公の小学6年生の少女がこれまた作者の作り出した、学校教師が理想とする模範少女で、子供らしくないばかりか大人にタメ口をきいて説教までしてしまうという糞生意気なガキで、反感しか与えない。小説ならまだしも、現実の子役が演じると殴り倒したくなる。
 神戸生まれで両親が沖縄の少女(原田晴美)が、沖縄差別の問題を知って自由研究をしていくという物語で、八重山の人頭税、島津支配、琉球人差別、沖縄戦、米軍支配、基地問題が取上げられるが、沖縄戦の最期に自決した女学生を助けられず、基地闘争を戦った親友をおいて妻(大空真弓)と神戸に駆け落ちしたという過去への悔悟から、精神を病んでしまった父(河原崎長一郎)が自殺するまでが描かれる。
 もっとも説得力のないのがこの父親で、沖縄人の持つ明るさ逞しさが微塵もなく、うじうじした都会育ちの人間にしか見えない。沖縄料理店を舞台に、沖縄出身の人間しか登場せず、本土の無理解な人間と対立するオトモダチだけの閉鎖社会を築いているのもいただけない。
 浜村純、石橋正次、殿山泰司、大滝秀治、津嘉山正種、大竹しのぶとイデオロギー映画の臭いが漂うのも難。 (評価:2)

製作:シネマハウト、ATG
公開:1980年09月20日
監督:橋浦方人 製作:佐々木史朗 脚本:橋浦方人 撮影:瀬川浩 音楽:深町純 美術:池谷仙克
キネマ旬報:8位

ベテラン俳優を圧倒する15歳の天才・荻野目慶子の演技
 映画自体は眠くなるほどつまらない。この映画の見どころは1にも2にも15歳の荻野目慶子の演技で、3に泉谷しげる。
 舞台『奇跡の人』で脚光を浴びた荻野目の初主演映画で、他の俳優陣を圧倒する演技を見せる。この演技に対抗できているのは泉谷と烏丸せつこくらいで、池部良と山口果林が足を引っ張る。
 物語は北陸の海沿いにある旧家が舞台。波の音が聞こえることから『海潮音』のタイトルとなっている。蟻地獄のように人を吸い寄せる家とそれを守る池部。その蟻地獄にやって来るのが記憶喪失の山口。蟻地獄から出て行こうとするのが泉谷、烏丸、そして荻野目。それが停滞する人々の新生といった観念的なテーマと結び付き、ATG的な退屈さに繋がっていく。
 輪をかけて退屈なのがテンポの悪い演出で、とりわけ池部良の演技がひどいので間が空き過ぎたり、惰性の演技に気が抜ける。シナリオを含めた演出は良く言えば教科書的、実際には類型的でなにか各シーンごとにテンプレの継ぎ接ぎを見せられている感じがする。山口との絡みのシーンなどカットした方がよほどすっきりする。
 それでも荻野目の演技は素晴らしく、62歳の池部は共演するんではなかったと思ったに違いない。 (評価:1.5)

忍者武芸帖 百地三太夫

製作:東映京都
公開:1980年11月15日
監督:鈴木則文 脚本:石川孝人、神波史男、大津一郎 撮影:中島徹 美術:佐野義和、山下謙爾 音楽:バスター

千葉真一とJACを前面に出したのが失敗の原因
 戦国時代が舞台だが、白土三平の漫画『忍者武芸帳』とは全く関係のない作品。
 伊賀流忍術の豪族・百地三太夫が豊臣秀吉の配下・不知火将監(千葉真一)によって滅ぼされ、中国に逃げ延びた嫡子・鷹丸(真田広之)が10年後に青年となって伊賀に戻り、仇討ちするというストーリー。
 中国からやってきた恋人に志穂美悦子と、ジャパンアクションクラブのメンバーを揃え、千葉真一がアクション監督を務めるとなれば、ド派手な忍者アクション映画になるが、俳優たちが全員学芸会並みに下手糞なので、鈴木則文演出といえどドラマ部分の間が持たず、ストーリー上必要なシーンでも退屈極まりない。
 その退屈さを逃れるアクションシーンも、確かに城から堀へのジャンプや木から木への空中ブランコなど、スタントなしの曲芸を見せてくれるが、ドラマというよりはサーカスを見させられているようで、演出は無きに等しい。
 当時絶好調だったジャッキー・チェンらの香港アクション映画に倣って、JACによる忍者アクション映画を狙い、志穂美悦子はヌンチャク技を披露するが、どれも一発芸に終わっていて、ワイヤーアクションを使った香港アクション映画の必然性のある演出には遠く及ばない。
 結局、興行はコケて、シリーズ化には至らなかった。
 伊賀の里の幼馴染で石川五右衛門に火野正平、丹波哲郎、渡辺文雄、野際陽子、春川ますみ、小池朝雄、佐藤允、夏木勲で支えるものの、ほとんど効果なし。千葉真一とJACを前面に出したのが失敗の原因。 (評価:1.5)