海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

日本映画レビュー──1953年

製作:松竹
公開:1953年11月03日
監督:小津安二郎 製作:山本武 脚本:野田高梧、小津安二郎 撮影:厚田雄春 音楽:斎藤高順 美術:浜田辰雄
キネマ旬報:2位

尾道・東京間15時間半、老夫婦の旅路の重さ
 日本映画の代表作であり、世界で最も評価されている映画。2012年の英国映画協会発表の「映画監督が選ぶベスト映画」で1位、「批評家が選ぶベスト映画」で3位となった。映画を批評する側ではなく、映画を制作する側が1位に選んだということに意義がある。1953年のキネ旬では2位だったが、1位は今井正の『にごりえ』、3位が溝口健二の『雨月物語』だった。
 見るたびに感動が深まる稀有な作品。制作当時からは半世紀以上経ち、東京も交通事情も大きく変わってしまった。老夫婦が子供たちを訪ねて尾道から上京するが、今は新幹線で4時間余りだが、当時は15時間半掛かっていた。この作品を観るためには、老夫婦にとっての旅路の重さを理解しておく必要がある。
 笠智衆と東山千栄子の夫婦の年輪を感じさせる演技が素晴らしい。原節子、杉村春子、東野栄治郎などの俳優陣も素晴らしい。繊細で緻密な演出、カメラワーク、カット割り、台詞等々。この評を書くために再度見直したが、いくら書いても書き足りない。 (評価:5)

製作:大映京都
公開:1953年08月12日
監督:溝口健二 脚本:依田義賢 撮影:宮川一夫 音楽:斎藤一郎 美術:小池一美
キネマ旬報:9位

20歳・若尾文子の舞妓姿が抜群に可愛い
​ ​溝​口​健​二​の​代​表​作​の​一​つ​。
​ ​衣​料​問​屋​の​娘​・​栄​子​(​若​尾​文​子​)​は​か​つ​て​亡​母​が​芸​妓​を​し​て​い​た​時​の​伝​手​を​頼​っ​て​美​代​春​(​木​暮​実​千​代​)​の​家​を​訪​れ​、​舞​妓​を​志​願​す​る​。​一​年​の​修​業​を​経​て​美​代​栄​と​名​乗​っ​て​座​敷​に​出​る​が​、​美​代​春​は​支​度​に​必​要​な​3​0​万​円​を​お​茶​屋​の​女​将​(​浪​花​千​栄​子​)​に​借​り​る​。
​ ​こ​の​借​金​が​仇​と​な​り​、​旦​那​を​持​た​ず​に​通​し​て​き​た​美​代​春​は​気​に​染​ま​ぬ​客​と​の​同​衾​を​迫​ら​れ​、​美​代​栄​も​水​揚​げ​さ​れ​よ​う​と​す​る​。​結​局​、​美​代​春​は​美​代​栄​を​守​る​た​め​に​女​将​に​従​う​こ​と​に​な​る​が​、​芸​妓​を​や​め​る​と​い​う​美​代​栄​を​諭​し​て​弱​い​女​同​士​の​絆​を​強​め​る​と​い​う​話​。
​ ​作​中​、​新​憲​法​に​よ​っ​て​保​障​さ​れ​る​人​権​の​話​も​で​て​き​て​、​社​会​的​弱​者​で​あ​る​祇​園​の​女​を​象​徴​に​男​社​会​と​旧​態​依​然​と​し​た​社​会​制​度​を​告​発​す​る​。​そ​の​中​で​旧​習​に​立​ち​向​か​い​、​自​立​し​て​生​き​よ​う​と​す​る​女​二​人​を​祇​園​囃​子​を​B​G​M​に​静​か​に​描​写​す​る​。
​ ​当​時​の​祇​園​の​町​並​み​や​花​街​の​描​写​、​御​座​敷​の​様​子​な​ど​も​出​て​き​て​、​そ​れ​を​見​る​だ​け​で​も​十​分​に​価​値​の​あ​る​作​品​だ​が​、​そ​れ​を​描​写​す​る​宮​川​一​夫​の​カ​メ​ラ​が​素​晴​ら​し​い​。​女​将​に​御​座​敷​を​干​さ​れ​た​二​人​の​孤​立​を​映​す​ロ​ン​グ​シ​ョ​ッ​ト​、​路​地​を​彷​徨​う​美​代​栄​の​シ​ー​ン​は​映​像​的​な​見​ど​こ​ろ​。
​ ​2​0​歳​の​若​尾​の​舞​妓​姿​が​抜​群​に​可​愛​く​、​お​べ​ん​ち​ゃ​ら​で​裏​表​の​あ​る​京​女​を​演​じ​る​木​暮​と​浪​花​が​上​手​い​。
​ ​残​念​な​の​は​ラ​ス​ト​が​美​代​春​の​決​意​表​明​で​唐​突​に​終​わ​り​、​若​干​尻​切​れ​ト​ン​ボ​な​こ​と​。
​ ​冒​頭​、​贔​屓​客​に​対​し​金​の​切​れ​目​が​縁​の​切​れ​目​を​地​で​行​く​美​代​春​が​、​女​将​に​同​じ​よ​う​に​し​て​思​い​知​ら​さ​れ​る​と​こ​ろ​に​古​都​の​伝​統​が​息​づ​く​の​も​京​都​再​発​見​の​見​ど​こ​ろ​か​。 (評価:4)

製作:エイトプロ、新東宝
公開:1953年3月5日
監督:五所平之助 製作:内山義重 脚本:小国英雄 撮影:三浦光雄 音楽:芥川也寸志 美術:下河原友雄
キネマ旬報:4位

お化け煙突の映像を見るだけでも貴重な映画
 原作は椎名麟三の『無邪気な人々』。
 東京・北千住の荒川(当時は荒川放水路)右岸にあった東京電力火力発電所の4本煙突、通称お化け煙突の見える町での庶民の悲哀を描く人情ドラマ。
 本作の最大の見どころは、このお化け煙突が見る場所によって1~4本に見えるという貴重な映像。当時お化け煙突の変化する様子は、荒川を渡る常磐線の車窓からよく眺められたが、本作内にも移動しながらの映像がある。
 設定上は荒川の左岸の町が煙突の見える場所の舞台となっていて、堤防越しの対岸に煙突が見える。終戦から数年という戦争の傷癒えず、人々が貧しかった頃で、日本橋に勤める夫(上原謙)と競輪場でバイトをする妻(田中絹代)の借家の2階には、男女二人(芥川比呂志、高峰秀子)の独身者が一間ずつ間借りしている。
 当時の家屋、姿見、裸電球、火鉢などの懐かしい生活が描かれ、高峰の勤める上野広小路や不忍池、西郷像周辺の映像も出てくる。
 物語は、生活が苦しくて子供を設けられない夫婦の家に捨て子される。この捨て子というのが、妻の戦争で死んだとばかり思っていた元亭主の子供で、住み込みで料理屋に勤める女との間にできた子の面倒が見切れずに元妻に譲ったという次第。
 とんでもないお荷物を抱え込み、妻の元亭主が生きていたことから上原は田中に不信を持つ。田中は思い余って荒川に入水しようとするが、間借り人たちに助けられ、赤ん坊が生死をさまようのを看病したことがきっかけで、子供を育てる決意をする。そこに実の母が現れ・・・という展開で、お化け煙突のように人生は二転三転する。
 苦しくとも希望を見出して互いに支え合う、日本が高度成長に向かう前の、男も女も孤立していながらも、必死に生きようとする姿が眩しい。
 各人の生活のプライバシーもなく、赤ん坊の泣き声にも寛容な様子など、現在では考えられないようなシーンが多く、いちいち気になる。しかし、改めて当時を思い起こすと、それがある程度普通だったことにも思い至り、隔世の感がある。プライバシーが尊重される現代がいいのか、人情の交わる昔が良かったのか・・・それにしても延々と泣き続ける赤ん坊がうるさい。
 田中が下町言葉にならないのが辛いが、高峰がタフな女を演じて上手い。 (評価:2.5)

製作:東映東京
公開:1953年1月9日
監督:今井正 製作:大川博 脚本:水木洋子 撮影:中尾駿一郎 美術:久保一雄 音楽:古関裕而
キネマ旬報:7位

普通の女の子たちを描く今井演出が上手い
 石野径一郎の同名小説が原作。
 沖縄戦のよく知られる悲劇を最初に映画化した作品であり、公開当時、衝撃と同情をもって迎えられたことは想像に難くない。名匠・今井正の監督で、沖縄ロケができなかったことや戦闘シーンに制作費を掛けられなかったなど、当時の事情を考えれば非常によくできた作品だが、半世紀を過ぎてしまえば、歴史的意味や反戦平和の意義を別にすれば、沖縄戦の悲劇という実話以上のものはない。
 物語は1945年3月から始まり、師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒と職員が南風原・陸軍病院に看護員として従軍、戦況の悪化により南下し、最終的には現在ひめゆりの塔がある壕で最期を遂げるまで。
 沖縄戦の悲惨さだけでなく、彼女たちが途中避難した村で料理をしたり水浴びをしたりする束の間の安息を描いて対照し、ごく普通の女の子たちが戦争に巻き込まれて命を失うドラマに深みを与える演出が、今井らしく見事。女生徒が琉球舞踊を踊るシーンも胸に迫る。
 記録映像以外、戦闘機や艦船、重火器を使った戦闘シーンがないために迫力不足で物足りないが、それでも火薬を大量に使った爆撃シーンで頑張ってはいる。
 教師に津島恵子、岡田英次、殿山泰司、河野秋武ら。女生徒のヒロインに香川京子で、悲壮感のない普通の演技がいい。ほかに小田切みき、岩崎加根子。軍医の藤田進、婦長の原泉子が貫禄の演技。 (評価:2.5)

雲ながるる果てに

製作:重宗プロ、新世紀映画
公開:1953年6月9日
監督:家城巳代治 製作:重宗和伸、伊藤武郎、若山一夫 脚本:家城巳代治、八木保太郎、直居欽哉 撮影:中尾駿一郎、高山弥 音楽:芥川也寸志

学徒航空兵の手記集を基に鹿屋の日常を丹念に描いた作品
 学徒航空兵の手記集『雲ながるる果てに 戦歿飛行予備学生の手記』を基に脚色。
 鹿屋基地を舞台に、特攻兵たちの日常を丹念に描いた作品で、国のために死のうという志を持つ者(鶴田浩二)もいれば、芸者との衣々の別れを惜しむ者(高原駿雄)もいて、出撃を待っている。鶴田の親友(木村功)は空襲で怪我をしたことから療養を続けるが、女教師(山岡比佐乃)を恋する中で、特攻の無意味さを鶴田に語り、口論になる。
 鶴田の両親が訪ねてくる前日、突然の出撃命令が下り、両親会いたさに一人苦しむ鶴田を見た木村は、小隊の誰もが口には出さずとも同じ苦しみを抱えていることを知り、一緒に死ぬことを決意する・・・というのが大筋。
 最後に全員が「同期の桜」を歌うが、「血肉分けたる仲ではないが なぜか気が合うて別れられぬ」という木村の心情そのものを表わし、「離れ離れに散ろうとも 花の都の靖国神社 春の梢に咲いて会おう」を誓う。
 この木村の選択の是非はともかく、悲しみを分け合った仲間たちとともに最後まで行動を共にし、自分一人が除け者になるのではなく、仲間たちと靖国で会おうという心情はわからなくもない。木村の決意に対し、仲間たちは反対し、自分たちの最期を家族に伝える役目を諭すというのも、彼らが心情を同じにしているからで、家城巳代治らしいヒューマニズムに溢れた作品となっている。
 そうした彼らを通して戦争の悲惨さを静かに描くが、対する将校や上官たちが、悪代官的な描かれ方をしているのが若干興ざめで、彼等の人間性を含めて戦争の本質を描ければ、もっと良い作品になった。
 その悪代官に加藤嘉、神田隆と悪役俳優を起用したのもやや定番か。
 特攻隊の生き残りだった西村晃も、特攻隊の兵曹?として出演している。 (評価:2.5)

製作:文学座、新世紀
公開:1953年11月23日
監督:今井正 製作:伊藤武郎 脚本:水木洋子、井手俊郎 撮影:中尾駿一郎 美術:平川透徹 音楽:團伊玖磨
キネマ旬報:1位
毎日映画コンクール大賞 ブルーリボン作品賞

薄幸の明治女の悲話だが、で・それで?の未消化感が残る
 樋口一葉の『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』が原作のオムニバス作品。いずれも明治の貧しい境遇の女の悲しい物語を描く。
   『十三夜』は、身分違いの官吏に嫁いだ娘(丹阿弥谷津子)が苛めに耐えかねて上野坂下(鶯谷)の実家に戻り、父に諭されて駿河台の家に戻るまでの話で、帰りの車引き(芥川比呂志)が小川町の煙草屋の幼馴染で、自分が嫁いだのを知って自暴自棄になり車夫に身を落としたことを知る。女は再起を願って金を渡し、互いの境遇を悲しんで上野広小路で別れる。この日が十三夜で、実家の縁側に薄と団子が飾ってある。
 『大つごもり』は白銀台町の屋敷の下女となった娘(久我美子)が、谷中初音町の養父母(中村伸郎、荒木道子)のために女主人(長岡輝子)に借金を申し込むが断られ、主家の引き出しから2円をくすねる。それが発覚しそうになるが、道楽息子(仲谷昇)が残りの金を持ち逃げしたため難を免れるという話。大つごもりは大晦日のことで、この日が年末の決済日から起きる騒動。
 『にごりえ』は、丸山福山町(白山)の銘酒屋の売れっ子の酌婦(淡島千景)の話で、馴染み客(山村聰)に請われて身の上話をするが、結婚は望むなと言われて失意する。酌婦には先に彼女に焦がれて身を滅ぼして長屋住まいとなった馴染み客(宮口精二)がいて、家庭崩壊で妻(杉村春子)は家出する。酌婦と男の無理とも見える心中死体が発見される。濁り江は、水の濁った川の意で、堀が流れる銘酒屋や長屋のある低湿地を象徴。
 いずれも原作に忠実に下層の女たちの薄幸を描くが、原作から半世紀後に制作された時代的な視点が感じられないのが残念なところ。
 それからさらに半世紀後となれば、家族や男に隷属させられた女たちの昔話でしかなく、親兄弟のため、養父母のため、男のために犠牲となる女たちに同情・涙するだけで、で・それで? という未消化感しか残らない。
 『十三夜』『大つごもり』については、ストーリーにご都合主義があるのもマイナス。 (評価:2.5)

製作:大映東京
公開:1953年9月15日
監督:豊田四郎 脚本:成沢昌茂 撮影:三浦光雄 美術:伊藤憙朔、木村威夫 音楽:團伊玖磨
キネマ旬報:8位

29歳の色香で10代の花も恥じらう純情娘を演じる
 森鴎外の同名小説が原作。
 貧しい飴屋を父に持つ一人娘が、呉服問屋の後妻になったつもりが騙されて高利貸しの妾となり、湯島・無縁坂の妾宅を構える。通りがかる本郷の帝大生に惚れ、一途に乙女心を燃やすが、帝大生は不忍池の雁と共にドイツに旅立ってしまうという物語。
 薄幸な娘を感傷的に描くだけの文芸作品で、夢も希望もなければ何の感慨も教訓も残さない。
 それでも、ほぼ一人舞台と言っていいくらいに高峰秀子がこの幸薄い乙女を好演していて、29歳の色香で10代の花も恥じらう純情娘を演じるという離れ業をやってのける。
 これを引き立てるのが金貸しのシャイロックを演じる東野英治郎で、下品な吝嗇男ぶりは天下一品。その上、裸一貫からようやく妾を囲えるまでになった、いじましくも情けない中年男の哀愁まで漂わせて、妾娘と中年男との不幸の大競演となる。
 この二人の前には帝大生・芥川比呂志の影は薄く、おまけに同じ帝大生・宇野重吉ともども年齢的に無理があるが、作品そのものは文芸作たる本格的な演出で、無縁坂から本郷界隈のセットも明治を偲ばせる。
 高峰秀子の心理を浮き上がらせる舞台的照明が3箇所ほどあって、若干違和感があるが、ガラスを流れる雨が光に浮かび上がる照明効果は、障子戸なのにおかしいというツッコミを置いても効果的。 (評価:2.5)

製作:大映東京
公開:1953年8月19日
監督:成瀬巳喜男 脚本:水木洋子 撮影:峰重義 美術:仲美喜雄 音楽:斎藤一郎
キネマ旬報:5位

兄が粗暴なだけで妹への愛情が伝わって来ないのが残念
 室生犀星の1934年の同名小説が原作。
 多摩川で川師を営む一家の物語で、大学生・小畑(船越英二)に妊娠させられた長女もん(京マチ子)と兄・伊之吉(森雅之)の愛憎を描く。
 兄は幼い頃から可愛がっていた妹が妊娠して帰ってきたことで可愛さ余って憎さ百倍、辛く当たって家を追い出す。もんの噂は町に広がり、末妹さん(久我美子)と恋人との関係にまで影響する。
 もんは子を流産した上に身を落とし盆に久し振りに家に帰るが、伊之吉が小畑を半殺しにしたことを知って大喧嘩。翌朝、さんとともに家を出るが、それでも「兄の顔を見たくなる」とさんに言って終わる。
 深い絆で結ばれた兄妹だからこその大喧嘩という関係を描き、もんの心情を京マチ子が巧みに演じるが、森雅之の兄の方は粗暴なだけで妹への愛情が伝わって来ないのが残念なところ。
 戦後の時代設定になっているが、娘を妊娠させられて大学生の責任を問わない川師の両親(山本礼三郎、浦辺粂子)というのも、謝罪するだけの無神経な大学生以上に不可解で、時代錯誤感がある。
 堤防がコンクリートになって、石を蛇籠に詰めて護岸とする川師の仕事がなくなり、親の仕事を継いだ伊之吉は墓石の石屋に転じているという描写があるが、作品背景を理解のための知識として必要かもしれない。
 生娘だったのをキズモノにされたというもんを演じる京マチ子と世間知らずの大学生を演じる船越英二が、ともに薹が立ちすぎて若さと純朴さに欠けるのが難。 (評価:2.5)

戦艦大和

製作:新東宝
公開:1953年6月15日
監督:阿部豊 製作:篠勝三、望月利雄 脚本:八住利雄 撮影:横山実 美術:遠藤誠吾 音楽:芥川也寸志

戦記物としてはセンチメントだけに終わっている
 吉田満の記録文学『戦艦大和ノ最期』が原作。
 原作は大和の副電測士の吉田の体験を基に描かれるが、生き残った元副長・能村次郎が監修していて、艦橋を含めた大和の出撃から沈没までの全体像が分かるようになっている。
 大和に出撃命令が下った当初から、兵士の間では片道燃料しかない海上特攻隊で、特攻機への攻撃を大和に引き付けるための囮であることが語られ、勇壮の片鱗もない悲壮感で物語が始まる。その重苦しい雰囲気は、大和が一方的に爆撃されて沈没するまで続き、最初から結果のわかっているワンサイドの負け試合を見ている気分になる。
 それが戦艦大和の真実の姿という点では、日本の終戦に纏わる貴重な物語であって、『宇宙戦艦ヤマト』のような大和に捧げられるヒロイズムが神話でしかないことがわかる。
 戦艦大和物語としてはよくできていて、死を覚悟の出撃であったこと、出撃から少年兵や老年兵を外したことや士官たちの家庭の事情なども語られ、戦争一辺倒ではない人間ドラマも描いている。
 一部記録フィルムも混じるが、ミニチュアによる火力を使った坊ノ岬沖海戦の特撮はよくできていて、煙火店の協力も入っている。
 もっとも、この無謀な天一号作戦そのものの背景や、司令官以下の将官たちが何を思っていたのかまでは描かれておらず、戦記物としてはセンチメントだけに終わっている。 (評価:2.5)

君の名は 第二部

製作:松竹大船
公開:1953年12月1日
監督:大庭秀雄 製作:山口松三郎 脚本:柳井隆雄 撮影:斎藤毅 美術:浜田辰雄 音楽:古関裕而

終戦後を生きるための過去を不問にする台詞が泣かせる
 菊田一夫原作の同名ラジオドラマの映画化の続編。
 前作、佐渡で真知子(岸惠子)との宿命的な別れを演じた春樹(佐田啓二)は傷心を抱いて北海道美幌の友人の牧場を手伝うことになり、アイヌ娘ユミ(北原三枝)と親しくなる。
 真知子は夫・勝則(川喜多雄二)の家に戻るが相変わらずの不幸な生活。流産が重なり姑(市川春代)には不義の子と疑われ、上京した叔母(望月優子)に連れられ離婚を決意して再び佐渡へ。
 春樹の戦争未亡人の姉・悠起枝(月丘夢路)が鳥羽を追われて上京してくるが、ゴロツキの横山(三井弘次)に騙されて娼婦に。そこを旅館を営む真知子の親友・綾(淡島千景)に助けられ、加瀬田(笠智衆)とパンパンから更生した梢(小林トシ子)、あさ(野添ひとみ)が働く人形町の果物屋を手伝うことになる。
 悠起枝は果物屋の経営者・仁科(日守新一)に見染められ後妻になるが、仁科が加瀬田に、終戦後を生き延びるためにそれぞれが人には言えない過去を持つことになった、その過去を詮索しても意味がないと、悠起枝の過去を不問にする台詞が泣かせる。
 春樹と真知子の擦れ違いよりも、悠起枝を巡る仁科、加瀬田、綾の大人のエピソードの方が当時の人々の胸に響いたであろうことは想像に難くない。
 悠起枝と仁科の結婚式に上京した春樹は、入れ違いに真知子がマフラーを真知子巻きにして美幌に向かったことを知る。春樹は美幌に帰り真知子との再会を果たすが、真知子の出現に失意のユミが摩周湖に身を投げる。
 体面のために真知子の離婚を承諾しない勝則が同居請求をしたため、真知子は裁判所から出頭命令を受けて再び別れとなるが、当時の北海道の映像が美しい。 (評価:2.5)

蟹工船

製作:現代ぷろだくしょん
公開:1953年9月10日
監督:山村聡 製作:山田典吾 脚本:山村聡 撮影:宮島義勇 美術:小島基司 音楽:伊福部昭

反資本・反権力を描く良く出来た左翼思想映画でしかない
 小林多喜二の同名小説が原作。
 原作は有名なプロレタリア文学で、山村聡の初監督とあって、演出にも映像にも演技にも力の入った、とても良く出来た社会派映画となっている。
 もっとも力作イコール感動作かといえばそうではなく、また昭和初期を舞台にした労働者搾取と叛乱、鎮圧を戦後になって描かれても、反資本・反権力という定型的な主張以外には伝わってくるものがない。そうした点では、良く出来た左翼思想映画でしかない。
 物語は函館を出港する蟹工船に労働者たちが乗船するシーンから始まるが、群像劇風にそれぞれに境遇を背負った人々の別れの描写がいい。山村聡初監督とは思えない本格的な演出。以下、母船に搭載した漁艇でのタラバガニの底引き網漁、母船内での年端のいかない少年労働者による缶詰への加工の過程が描写される。
 船主からノルマを課せられた監督が、船長に逆らい遭難船の救助を妨害したり、時化の中で漁艇に漁を強いたりといった非道が描かれ、労働者を豚と呼んで遭難者や病死者を出す人間扱いしない悪行が描かれる。
 労働環境の改善を求める労働者たちに暴力をもって応え、遂に叛乱が起きるが、海軍の駆逐艦を呼んで鎮圧。少年を含むリーダーたちの射殺された死体を前に、ほかの労働者が沈黙する姿で終わる。
 資本家とその手先、彼らを守る国家と軍隊という明確な対立図式の中で、彼らの極悪非道を際立たせ、聞け万国の労働者、犠牲者の遺恨を晴らすためにこの物語を紡ぐのはあなたたちだと呼びかけるラストとなっている。
 蟹工船の労働者に山村聡、河野秋武、森川信、浜村純、花沢徳衛。 (評価:2.5)

製作:大映京都
公開:1953年03月26日
監督:溝口健二 製作:永田雅一 脚本:川口松太郎、依田義賢 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄 美術:伊藤熹朔
キネマ旬報:3位

怪談映画だけにシナリオも演出も作品も死んでいる
 江戸時代の上田秋成の怪談『雨月物語』から「浅茅が宿」「蛇性の婬」を基に脚色。ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞し、世界的評価も高い。その名作を★2つの凡作だとする理由は3つある。
 第1に、なんといっても脚本が悪い。映画は冗長で退屈でさえある。各シーンが練れてなく、あってもなくてもいいような台詞、シナリオを繋ぐためだけの説明的で段取りだけのシーンになっているため、生きた話になっていない。
 第2に、演出がひどいために俳優の台詞は棒読み、演技は売れない劇団公演のよう。これは俳優が下手なのではなく、シナリオと演出が良くないために俳優がまともな演技が出来ていない。とりわけ名優・田中絹代の演技は彼女が気の毒なくらいで、クライマックスでは大衆演劇並みの死に方。森雅之はもともと演技が上手くないので、学芸会並みになっている。
 第3に、これは『雨月物語』であるにもかかわらず、少しも怖くなく、怪談になっていない。地道な生活が一番だという人生訓にしたかったのか、怪談としての映画的興趣と意味を失っている。唯一怖いのが京マチ子の顔だが、彼女は幽霊役でなくても地の顔が怖い。溝口は、端から怪談映画を撮るつもりはなかったように思われ、『羅生門』を真似てみただけの気の抜けたコーラのような作品になっている。
 この映画の評価できる点は、名カメラマン・宮川一夫の映像で、幽玄な霧の琵琶湖や朽木屋敷、田舎家の屋内シーンなどが唯一のみどころ。 (評価:2)

君の名は

製作:松竹大船
公開:1953年9月15日
監督:大庭秀雄 製作:山口松三郎 脚本:柳井隆雄 撮影:斎藤毅 美術:熊谷正雄 音楽:古関裕而

君の名を知る1年半後の再会までの物語は結構退屈
 菊田一夫原作の同名ラジオドラマの映画化。ラジオドラマの放送は1952年~54年。
 1945年5月24日の東京大空襲の夜、爆撃と焼夷弾の雨を逃げ惑う中で知り合った後宮春樹と氏家真知子が、名も告げずに半年後の数寄屋橋での再会を誓って別れるという、戦後空前のヒット作となった伝説のラジオドラマで、映画も佐田啓二・岸惠子のコンビで大ヒットした。三部構成で、本作の最後に第一篇のクレジットが付く。
 第一篇は、空襲から始まり、佐渡の叔父の家に身を寄せていた真知子が上京できず、11月24日に待ちぼうけを食わされた春樹が思い捨てきれずに翌年5月24日、11月24日と数寄屋橋に行き、ついに再会を果たすものの、真知子は翌日に勝則(川喜多雄二)との結婚を控えていたというもの。
 この間、春樹が文芸誌に寄稿した詩をきっかけに真知子の春樹捜し、春樹と元将軍・加瀬田(笠智衆)、パンパン少女・梢(小林トシ子)、あさ(野添ひとみ)との出会い、戦争未亡人の姉・悠起枝(月丘夢路)のエピソードが絡むが、春樹と真知子は出会いそうで出会えないという本作のキャッチフレーズでもある擦れ違いを演じる。
 もっとも君の名を知る1年半後の再会までの物語は結構退屈で、作為的なストーリーや台詞はギャグに思えるくらい。真知子の求婚者・勝則が仕事もせずに真知子の春樹捜しに同行するに至っては相当リアリティに欠ける。
 勝則には意地悪な姑(市川春代)が付いていて真知子は忍従の新婚生活を送るが、春樹は偶然にもというか都合よく勝則の役所に就職していて、これを知った勝則の真知子と春樹へのいびりが始まる。
 話はこのあたりから面白くなってきて春樹が退職、真知子は離婚を決意して里帰り。ところが勝則の種を宿していることがわかり、求婚に来た春樹と真知子はまたしても涙の別れとなる。 (評価:2)

製作:松竹大船
公開:1953年6月17日
監督:木下恵介 製作:小出孝、桑田良太郎 脚本:木下恵介 撮影:楠田浩之 音楽:木下忠司
キネマ旬報:6位

映画界の政治色に影響された不出来な木下恵介劇場
 終戦から8年が経ち、世の中の価値観や家族観が大きく変貌する中で、復興までの日々を自らの力で必死に生き延びたにも拘らず、そうした時代の波に取り残されていく、日の当たらない人々を描こうとする意欲作。
 もっとも、そうした意気込みとは裏腹にシナリオの出来はそれほど良くなく、挿入される時事的なニュース映像も時代背景を説明しようという意図と物語が水と油ほどに遊離していて、当時の映画界の政治色に木下恵介も影響されていたことがわかるが、作品的には全く不要というか、挿入した是非さえ疑われる。
 物語は、戦争未亡人(望月優子)が二人の子を親類に預けて熱海の旅館の女中として働きながら、長女(桂木洋子)を英語塾、長男(田浦正巳)を医科大学に通わせるまでに粉骨砕身しながらも、親の心子知らずで、長男は母を捨てて戦争で息子を亡くした老開業医の養子になる道を選び、長女は英語塾の中年教師(上原謙)と駆け落ちしてしまう。
 時に男に身を任せながら養育費を稼いできた母を二人の子は軽蔑し、愚かだと罵り、絶望した母は身請けしてくれる檀那のところに行くのをやめて、電車に身を投げる。
 木下恵介らしい情緒的な結末で、母親を大事にするんだよと言い聞かされていた若い板前(高橋貞二)と流しの歌手(佐田啓二)が、「湯の町エレジー」で女を偲ぶというラストで締め括られる。
 そもそも息子と娘の親不孝の設定が説得力に欠け、これを戦後の家族観の変化とするには無理がある。娘が従兄に強姦されたから、ないしは母親が無教育な女中だからまともな縁談は無理と諦めるのも現代娘という設定に反していて、木下が前時代的な呪縛から逃れられていないことを証明する。英語塾の夫婦もリアリティに欠ける。 (評価:2)

製作:近代映画協会、新東宝
公開:1953年4月8日
監督:新藤兼人 製作:吉村公三郎 脚本:新藤兼人 撮影:伊藤武夫 美術:丸茂孝 音楽:伊福部昭
キネマ旬報:10位

これでもかの貧困自慢がくどくて終盤飽きる
 徳田秋声の同名小説が原作。
 戦前、貧しい靴職人の娘が芸者となり、両親や弟妹を支える半生を描いた物語で、新藤兼人監督・脚本ということもあり、この頃に製作された映画同様、プロレタリアートな作品になっている。
 冒頭、これが人身売買の物語だと字幕され、貧しさゆえに前借で芸者に売られ、その後も貧しい実家を支えるために置屋を転々とする姿が描かれる。
 本来は芸者などやめて幸せな家庭を築きたいのだと、主人公・銀子(乙羽信子)の無垢を強調するが、一度芸者に身を落とせばそれも叶わぬ悲劇のヒロインいう趣向。
 もっとも新藤の固定観念が先走って、彼女のそうした境遇の最大の原因を作ったのが、ふがいない父(宇野重吉)にあるように感じられてしまうのが演出的には残念なところ。
 肺病を患って病弱だというわりには子沢山で、妻(北林谷栄)は赤ん坊まで背負っている。黙々と革を打つばかりで、貧困の原因が何にあるのか伝わらない。
 可愛らしく純な銀子が次第に擦れていく様子を演じる乙羽信子の演技はなかなかだが、病床に臥せり、譫言を言い始めてのこれでもかの貧困自慢がくどい。そのため、物語の流れが停滞して冗長になり、次第に飽きてきて、クロージングがたるくて散漫になる。
 芳町の置屋の女将を演じる山田五十鈴の善人悪人相半ばする演技が上手い。
 銀子の思い人に滝沢修、パトロンに山内明、山村聡。千葉の女将に沢村貞子、新潟の女将に細川ちか子。人買いの殿山泰司ははまり役。
 当時の置屋の様子が細かく描写されていて、芸者をめぐる人間関係がよくわかる。銀子の実家のある佃島周辺の隔世の感のある風景も見どころ。 (評価:2)

地獄門

製作:大映京都
公開:1953年10月31日
監督:衣笠貞之助 製作:永田雅一 脚本:衣笠貞之助 撮影:杉山公平 音楽:芥川也寸志 美術:伊藤熹朔
アカデミー名誉賞(外国語映画賞) カンヌ映画祭グランプリ

屋敷内の帳と色彩設計・平安絵巻は見事
 原作は菊池寛の『袈裟の良人』。『袈裟と盛遠』(1939)のリメイクで、出家して文覚を名乗った実在の武士・遠藤盛遠の横恋慕の物語。
 平安末期、盛遠(長谷川一夫)は袈裟(京マチ子)を好きになり、戦功を立てたことにより清盛から褒美を許され、袈裟を所望する。ところが袈裟は渡辺渡(山形勲)の妻。しかし盛遠は引き下がらず、渡を殺して袈裟を手に入れようとするが・・・という話。
 ストーリーは面白くない。このつまらない物語を、衣笠貞之助はこれまたオーソドックスというか古式ゆかしく説明的で冗長な脚本にし、同様に演出したため、退屈な映画となった。大映社長の永田雅一は永田ラッパと言われ、大風呂敷を広げたがったが、この作品にもその影響が見てとれる。
 大映初の総天然色映画で、ヴェネツィアでグランプリを獲った黒澤明の『羅生門』(1950)に続けとばかり本作を製作してカンヌに出品した。タイトルもそれにあやかって『地獄門』とした。ジャポニズムに溢れた本作は見事グランプリを受賞。現在に繋がる、ヴェネツィア、カンヌを有難がる映画人の先駆者となった。
 キャスティングも天下の二枚目・長谷川一夫を起用して力が入るが、中年太りでコロコロした長谷川は、足軽程度にしか見えない。現実の盛遠が出家したのは19歳で、人妻に横恋慕する若さがない。京マチ子の不気味さは健在、山形勲がスリム。清盛は俳優座代表の千田是也。
 本作の最大の見どころは、屋敷内の幾重にも重なって見える帳(とばり)の美しさ。総天然色を意識したセットや照明の色彩設計は見事で、デジタル・リマスター版で観る平安絵巻の再現映像は見事。アカデミー衣裳デザイン賞も受賞している。 (評価:2)