海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2006年

製作国:中国
日本公開:2007年8月18日
監督:ジャ・ジャンクー 脚本:ジャ・ジャンクー 撮影:ユー・リクウァイ 音楽:リン・チャン
キネマ旬報:1位
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

人々の顔も風景も記録映画のようにくすんだ近代化中国の陰画
 原題"三峡好人"で、三峡の善き人々の意。三峡は中国・長江中流域にある三つの峡谷、瞿塘峡・巫峡・西陵峡のことで、下流の湖北省宜昌市に2009年、三峡ダムが完成し、大きく景観を変えた。
 ダム建設のため140万人が強制移住、歴史的な旧跡・名所の水没が問題となったが、本作はダム建設により退去させられる住民と取り壊される建物の現在進行形をドキュメンタリー・タッチのドラマで描く。
 ダムに沈む奉節に、山西省の炭鉱夫(ハン・サンミン)が妻子を探しに船でやってくるシーンから物語は始まる。船客たちの顔をカメラが舐めていき、その後も淡々と男を追うだけの映像だが、ジャ・ジャンクーの演出は人々の表情、動き、町の風景のわずかな変化を丁寧に描き、決して飽きさせることがない。
 男が妻の実家を訪ねるとすでに湖底に沈んでいて、ビルの解体工をしながら妻を探す。
 もう一人の主人公は、2年前から音信不通の夫を訪ねに来た妻(チャオ・タオ)で、夫は住民を立ち退かせる側。帰らない理由が女を作ったことだと知り、離婚のために来たと嘘をつく。
 この二組の男女の物語は、三峡ダム開発に象徴される中国近代化がもたらした歪みを描いたもので、彼らの周囲を取り巻く奉節の人々も出稼ぎの農民たちも、時代に翻弄され、心のふるさとを失った人々で、誰一人として幸せではない。
 炭鉱夫の妻が16年前に子供とともに夫の家を去った理由は説明されない。3000元の結納金で買われるように嫁いだことが説明され、実家に戻ったのも妻の兄の借金が理由らしいことが示唆される。夫も妻も善き人で、二人を取り巻く人々も善き人々であるにも関わらず、幸せにはなれない。
 もう一組の男女も同じように善き人でありながら、社会の変化の中で互いの心が離れていく。
 フィルムに焼き付けられた人々の顔はどれも薄汚れたようにくすんでいて、美しいはずの風景もまた曇天の下に色彩を失っていて、そこに映し出された人々も風景も、変わっていく中国の陰画となっている。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞受賞。 (評価:4)

製作国:アメリカ
日本公開:2006年10月28日
監督:クリント・イーストウッド 製作:スティーヴン・スピルバーグ、クリント・イーストウッド、ロバート・ロレンツ 脚本:ポール・ハギス、ウィリアム・ブロイルズ・Jr 撮影:トム・スターン 美術:ヘンリー・バムステッド 音楽:クリント・イーストウッド
キネマ旬報:1位

ヒーローなど存在せず、必要によって創り出される
 原題は"Flags of Our Fathers"でほぼ邦題の意味だが、Our Fathers(我々の父たち)とFlags(複数形の国旗)になっていて、擂鉢山に立てられた国旗だけではなく、父たちである兵士それぞれにとっての国旗というニュアンスになっている。
 原作はジェイムズ・ブラッドリーとロン・パワーズの同名のノンフィクションで、6人の兵士が擂鉢山頂に星条旗を立てる瞬間を写した、硫黄島制圧の象徴的な報道写真をめぐる実話に基づくドラマとなっている。
 生き残った3人のうちの1人、ドクの回想として、上陸作戦から祖国への帰還、ヒーローとなって戦争国債を売るための宣伝活動、3人の葛藤とその後の人生が語られる。
 この中で、国旗が実は2度目に立てられたもので、1度目に立てたメンバーが別にいること、後ろ向きに写っている戦死した1人が実は別人であること、ヒーローの1人がネイティブアメリカンで執拗に差別を受けたことなどが描かれ、戦争にはヒーローなど存在せず、必要によって創り出されるものだというテーマが語られる。
 ともすれば、日本でも戦死者を英霊として英雄視することで、戦争の本質から目を逸らさせるが、イーストウッドは"They may have fought for their country but they died for their friends."(兵士たちは国のために戦ったかもしれないが、死んだのは戦友のためだ)と戦死者を殉国者として美化することを拒む。
 3人のその後の人生はヒーローとは無縁の寂しいもので、とりわけ過酷な硫黄島戦のPTSDに悩まされたネイティブアメリカンが、ヒーローになったことで自分たち先住民の地位向上に寄与すると自らを納得させる姿が悲しい。
 本作は『硫黄島からの手紙』との2部作で、硫黄島の戦いをアメリカ人の視点から描いたもの。硫黄島戦がアメリカ人にとっても熾烈であったことがわかって興味深い。
 戦闘シーンは圧巻で、悲惨な戦いをよく伝えている。全滅した日本軍の戦死者18,000、アメリカ軍の戦死者6,800、戦傷者22,000。 (評価:4)

リトル・ミス・サンシャイン

製作国:アメリカ
日本公開:2006年12月23日
監督:ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス 製作:マーク・タートルトーブ、デヴィッド・フレンドリー、ピーター・サラフ、アルバート・バーガー、ロン・イェルザ 脚本:マイケル・アーント 撮影: ティミ・サーステッド 音楽:マイケル・ダナ

バスの黄色と空の青さが目に染みる佳品
 アカデミー脚本賞以外は、キネ旬を始めとしてあまり評価されていない小品。
 ニューメキシコからカリフォルニアまでマイクロバスで移動する一家を描くロードムービーで、勝ち組に成り損ねた負け犬たちをコメディタッチで描く。字幕では勝ち組・負け犬と訳されているが、原語ではwinner(勝者)とloser(敗者)。美少女コンテストに出場する娘だけが彼らの希望を支える。もっともこの娘、腹はぷっくりして眼鏡を掛けていて、先行きが象徴される。
 バラバラだった一家が最後の得るもの、それがこの映画のテーマ。作中にプルーストやニーチェが出てきて、ラストシーンは勝者と敗者を超越した存在に一家が成ったということなのだが、観終わってそこまで達観できないところに一抹の虚しさを感じるかもしれない。黄色いバスと真っ青な空の美しさが物悲しい。
 アカデミー脚本賞を取った台詞のセンスが随所で光っていて、ヘロイン中毒の人生の敗残者である祖父が、孫娘に語る「本当の敗者というのは、失敗を怖がって挑戦しない者だ」という台詞がいい。祖父役のアラン・アーキンはこの演技で、アカデミー助演男優賞を受賞している。
 この映画の最大の魅力は、6人の家族のそれぞれの造形が非常に良くできていて、いずれの俳優もそれを好演していること。とりわけ、鬱病・自殺未遂・ゲイの叔父スティーヴ・カレル、ネクラな兄ポール・ダノがいい。ネタとしては、『24』クロエ役のメアリー・リン・ライスカブが、コンテストのフロア・アシスタント役で出ている。 (評価:4)

製作国:アイルランド、イギリス
日本公開:2006年11月18日
監督:ケン・ローチ 製作:レベッカ・オブライエン 脚本:ポール・ラヴァーティ 撮影:バリー・アクロイド 美術:ファーガス・クレッグ 音楽:ジョージ・フェントン
キネマ旬報:5位
カンヌ映画祭パルム・ドール

一度大義に身を投じた者は、その原則論からは逃れられない
 原題"The Wind That Shakes the Barley"で、邦題の意。barleyは大麦でアイルランドの主要穀物。
 1920年のアイルランドが舞台で、アイルランド独立戦争から内戦に至る過程の中で、医者を志していた青年デミアンが義勇軍に参加し、イギリスとの休戦条約締結をめぐって独立派が内部分裂し、休戦派の兄に処刑されるまでを描く。
 冒頭、ロンドンに向かおうとしていた弟が、イギリス軍の蛮行を目の当たりにして渡英をやめる。義勇軍に参加した彼は大義のために裏切り者の幼馴染を処刑してこう漏らす。"I hope this Ireland we're fighting for is worth it."(ぼくたちが戦っているこの祖国に価値あることを望む)
 こうして大義に生きる道を選んだ弟は、完全独立派となり、休戦派の兄と戦うことになって"I tried not to get into this war, and did, now I try to get out, and can't."(戦争から逃れようとしていたのに、今は逃れようとしても逃れられなくなってしまった )と語る。そして兄の懐柔を受け、裏切り者の幼馴染を処刑した自分が仲間を裏切ることはできないと言って、死を選ぶ。
 本作に描かれるのは、一度大義に身を投じた者は、その原則論からは逃れられないことで、その方法論が正しいか間違っているかは問題ではなくなってしまう。
 これはかつての日本軍国主義や新左翼の内ゲバ、イスラム過激派のテロにも言えることで、主人公のデミアンにシンパシーを感じるのであれば、それは大義のための暴力を受容することでもある。
 まっとうな倫理観からいえばデミアンは否定されなければならないが、本作を見る多くの人はデミアンにシンパシーとヒロイズムを感じるはずで、安全な場所に身を置いている我々が否定している暴力の多くは、立場を入れ替えれば肯定するかもしれないという危うさをこの映画は教えている。
 カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。 (評価:3.5)

製作国:ドイツ
日本公開:2007年2月10日
監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 製作:クイリン・ベルク、マックス・ヴィーデマン 脚本:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク 撮影:ハーゲン・ボグダンスキー 音楽:ガブリエル・ヤレド
キネマ旬報:2位
アカデミー賞外国語映画賞

「俺のための映画だ」と性善説を信じてみたくなる作品
 原題"Das Leben der Anderen"で他人の生活の意。
 邦題の「善き人のためのソナタ」は、劇中に登場するピアノ曲のタイトル(Die Sonate vom guten Menschen)で、「この曲を本気で聴いた者は、悪人になれない」と言いながら劇作家が弾くのをシュタージの主人公が盗聴器で聴く。その彼が、悪人にはなれず、劇作家の不法行為を隠蔽して自らが制裁を受けることになる。そのことを後になって知った劇作家が同名の著書を著すというラストシーンに繋がっている。
 作中では触れられないが、主人公のコードネームに献辞された著書が、主人公のことを書いたものであることは容易に想像される。
 物語は、ベルリンの壁崩壊をテーマにした作品の一つで、反体制派と疑われた劇作家のアパートに盗聴器を仕掛け、シュタージの主人公が「他人の生活」を監視する。これに劇作家の恋人の女優が絡み、女優は生き残りのために国家保安省大臣の愛人となる。友人の反体制派の演出家の自殺をきっかけに、劇作家は西独シュピーゲル誌に東独の自殺の実態を暴露する論文を偽名で投稿。ドラッグで逮捕された女優は、恋人の劇作家をシュタージに売って、保釈を得ようとする。
 ソナタを聴いて以来、盗聴の報告書を捏造していた主人公は、劇作家が隠し持っていたタイプライターを証拠隠滅して窮地を救うが、それを知らない女優は自動車に飛び込んで自殺してしまう。
 ときは1984年。5年後にベルリンの壁が崩壊し、劇作家は公開公文書から自分を助けた諜報員の存在を知る。  非常によくできたシナリオで、主人公が町の書店で見かけた本を買う時に、「ギフトですか?」と書店員に訊かれて、「俺のための本だ」と答えるラストは感動的。
 党のためではなく私欲のために行動する上司や幹部たちに疑念を持つ主人公が、女優のファンであることをきっかけに劇作家に次第にシンパシーを感じていく心理過程は若干わかりにくく、証拠隠滅がわかっていながら追及されないことも不自然。
 ケルン生まれの若い監督の作品を東独の実態を反映しないファンタジーだとする見方は当然あるが、主人公のような人間もいたに違いないという性善説を信じてみたくなる作品。アカデミー賞外国語映画賞を受賞。 (評価:3.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2007年3月3日
監督:ロバート・アルトマン 製作:デヴィッド・レヴィ、トニー・ジャッジ、ジョシュア・アストラカン、レン・アーサー 脚本:ギャリソン・キーラー 撮影:エド・ラックマン 音楽:リチャード・ドウォースキー
キネマ旬報:3位

失われゆく古き良きアメリカの心を描く
 原題は"A Prairie Home Companion"で、アメリカに実在するラジオ番組名。1974年から続くコメディとカントリー音楽のラジオ・バラエティー・ショーで、作家のギャリソン・キーラーがホストを務める2時間のライブ番組。大草原のくにの仲間といった意味。
 この番組の収録が行われているのが、ミネソタ州セントポールにあるフィッツジェラルド劇場で、それが邦題になっている。
 番組は現在も続いているが、映画はフィッツジェラルド劇場が買収されて取り壊されることになったという想定で、今夜の収録が最終回という設定。ホストのギャリソン・キーラー自身が脚本を書き、自分の役で出演している。
 ゲストのミュージシャン役にメリル・ストリープ、リリー・トムリン、リンジー・ローハンらが出演し、番組そのものの楽しさを見せてくれる。
 いかにも古き良きアメリカを演出するような番組で、登場するのも古ぼけたカントリー歌手なら、番組スタッフも田舎臭さが漂い、その古き良きアメリカが時代の波に失われてしまうという哀愁がいい。  実際には番組は継続していて、古き良きアメリカの心は受け継がれているが、それは番組名にも表されていて、おしゃれな邦題がちょっと残念。
 メリル・ストリープとリリー・トムリンが地方回りの演歌歌手の姉妹のようで、くすんだオバサン風なのがいい。娘のリンジー・ローハンもいかにもな田舎のアメリカ小娘でいい。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2007年4月28日
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ 製作:スティーヴ・ゴリン、ジョン・キリク、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリト 脚本:ギジェルモ・アリアガ 撮影:ロドリゴ・プリエト 音楽:グスターボ・サンタオラヤ
キネマ旬報:5位
ゴールデングローブ作品賞

菊地凛子がボカシ入りヌードで頑張るディスコミ映画
 原題"Babel"。バベルは創世記に登場する町のことで、人間は不遜から神の怒りを買ったために、互いの言葉を理解できなくされ、世界に散ったというエピソードが有名。多言語の発祥の謂れと言われる。
 本作では四つの物語が別々に進行し、それぞれが言葉や民族によって分断され孤立する様子が語られる。
 物語の発端はモロッコの砂漠地帯で、牧畜を営む一家がジャッカル対策用のライフルを手に入れ、山羊の番をする兄弟が誤ってバスの乗客を撃ってしまう。撃たれたのは観光のアメリカ女性で、夫は村人たちの協力で大使館からの救援を待つ。留守宅の二人の幼い子供をを預かるのはメキシコ人の家政婦で、夫妻が事故にあったために息子の結婚式に子供二人を連れて甥の車で帰省するが、国境検問で不法入国を怪しまれ、逃走してしまう。
 四つ目の物語は日本の聾の少女で、母が自殺したことから自暴自棄。二人暮らしの父がモロッコでハンティングをした際にガイドに譲ったのが、冒頭のライフルと物語は円環をなしている。
 バベルの町から散った人々はそれぞれに心を通わすことができない。牧童の兄弟、アメリカ人の夫妻と村人たち、メキシコ人の女と甥、国境警備の警官、日本の父娘。そこに立ちはだかる壁は、心であり、言葉であり、民族と国境である。象徴的なのは聾者の少女で、同じ民族でありながら発声言語と手話という言葉の壁を持つ。
 ふとした行き違いからそれぞれに孤立し、躓き、上手くいかない人生を送る。神の怒りによってもたらされる孤独と不幸。
 しかし、銃で撃たれたアメリカ女性は救出され、お礼を渡そうとした夫の手を村の男は押しとどめる。神に分断された人々は言葉は違っても心を通わせることはできる。そして孤独な日本人の少女を夜のベランダで父が抱きしめるシーンで映画は終わる。
 ... the brightest lights in the darkest night."(もっとも暗い夜にもっとも輝く光)
 最後の言葉には、「孤立した人々は、言葉は通じなくても心を支え合うことはできる」というメッセージが込められているが、前段の子供への献辞は余計。
 アメリカ人夫婦をブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット。日本人父娘を役所広司と菊地凛子。菊地はボカシ入りの全裸ヌードで頑張っている。家政婦を演じたメキシコ女優アドリアナ・バラッザがいい。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2007年1月20日
監督:マーティン・スコセッシ 製作:マーティン・スコセッシ、ブラッド・ピット、グレアム・キング 脚本:ウィリアム・モナハン オリジナル脚本:アラン・マック、フェリックス・チョン 撮影:ミヒャエル・バルハウス 音楽:ハワード・ショア
アカデミー作品賞

ゲームを楽しむためには勝者が欲しかった
 原題"The Departed"で死者の意。『インファナル・アフェア』(2002)のリメイク。
 マサチューセッツ州警察の2人の新人警官が主人公の物語で、1人はアイルランド系ギャングへの内通者、1人はアイルランド系ギャングへの潜入捜査官という対立する立場。この2人が相手を知らないまま、自分の正体がばれないように、相手の正体を探っていく。
 2人のプレーヤーによる、先に相手を見つけた方が勝ちというゲームに似ていて、カードゲームのダウトやナポレオンにも通じるサスペンスフルなスリルを楽しむ作品。ビデオゲームの対戦ゲーム的感覚だが、それぞれが窮地を切り抜けていくストーリーがよくできている。
 アイルランド系ギャングへの内通者を演じるのがマット・デイモンで、警察学校を卒業後、エリート警官の道を歩み、末は議員を目指そうという野心家。警察の美人精神科医(ヴェラ・ファーミガ)を恋人にするが、彼女が前科者を装う潜入捜査官のカウンセリングをしていて2人の接点となっている。
 潜入捜査官を演じるのはレオナルド・ディカプリオで、アイルランド系ギャングのボス(ジャック・ニコルソン)に取り入るが、その子飼いの内通者がマット・デイモンで、ギャングの麻薬取引摘発を軸に物語が展開する。
 芸達者な豪華キャストが揃い、監督もスコセッシとなれば原作以上の出来になるのは必至。ダイジェスト気味に進む前半は人物相関と設定が分かりにくいが、2人の対戦ゲームが始まる後半は気が抜けない面白さになる。
 もっとも、そして誰もいなくなったというラストは破滅的すぎて、ゲームを楽しむためには勝者が欲しかった。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2006年12月9日
監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、スティーヴン・スピルバーグ、ロバート・ロレンツ 脚本:アイリス・ヤマシタ 撮影:トム・スターン 美術:ヘンリー・バムステッド、ジェームズ・J・ムラカミ 音楽:カイル・イーストウッド、マイケル・スティーヴンス
キネマ旬報:2位

『父親たちの星条旗』で否定したはずのヒロイズムを描く
 原題は"Letters from Iwo Jima"で邦題の意。原作は硫黄島玉砕の司令官・栗林陸軍中将の手紙をまとめた『「玉砕総指揮官」の絵手紙』。『父親たちの星条旗』との2部作で、硫黄島の戦いを日本人の視点から描いたもの。
 栗林中将(渡辺謙)が硫黄島に着任した1944年5月から、翌2月アメリカ軍上陸作戦、3月の玉砕までを描く。これに徴兵された一等兵(二宮和也)と元憲兵(加瀬亮)ら一般兵士のエピソードが絡むが、全体としては敵ながらアッパレの栗林司令官のヒロイズムの物語となっている。
 同様にサムライとして描かれるのは西陸軍中佐(伊原剛志)で、一般的にいわれる陸軍悪玉・海軍善玉とはところを替えて、ここでは中村獅童演じる海軍大尉を典型に海軍の無能ぶりが強調される。
 全体としては、自決・特攻というアメリカ人の日本軍に対する画一的な戦争観に複眼的見方を持ち込み、日本人もアメリカ人と変わらぬ人間性を持ち、大切な家族と生活があり、好んで戦争をしたわけではないことを提示する。一方で米軍捕虜に治療する日本兵、逆に日本軍捕虜を殺害する米兵も描く。
 そうしたイーストウッドの公平で客観的見方は尊敬できるが、逆に日本人を美化しすぎる点も多く、『父親たちの星条旗』で否定したはずの侍=武士道に通じるヒロイズムへの賛美が気になる。  マカロニウエスタンのヒロイズムが顔を出すのはイーストウッドらしく、エンタテイメント精神を忘れないイーストウッドの日本人観客へのサービスともいえなくもない。オリエンタリズムや反白人主義といったイーストウッドの様々な面も表れている。
 二宮ら、現代調の会話など気になる点も多いが、『父親たちの星条旗』からのCGや戦闘シーンは迫力十分で、戦争エンタテイメントとしてよくできている。 (評価:2.5)

フェイ・グリム

製作国:アメリカ、ドイツ、フランス
日本公開:2018年5月26日
監督:ハル・ハートリー 脚本:ハル・ハートリー 撮影:サラ・コーリー 音楽:ハル・ハートリー

ストーリーは無茶苦茶だが楽しめるナンセンスなスパイ映画
 原題"Fay Grim"で、登場人物の名。『ヘンリー・フール』(1997)の続編。
 フェイ・グリムはヘンリー・フールの妻で、サイモンの姉。
 前作で海外に逃亡したヘンリー(トーマス・ジェイ・ライアン)が実は南米の政変やアフガンなどに関わった国際的な工作員だったという唖然とする急展開で、ナンセンスコメディの骨格は維持しながらもスリリングなスパイ映画に仕上がっている。
 冒頭より斜めに傾けたフレームで一貫し、アオリなどを使いながらスパイ映画らしい緊迫感を演出したカメラワークが成功している。
 ノーベル賞作家のサイモン(ジェームズ・アーバニアク)は、ヘンリーの国外逃亡を助けた罪で収監中。ヘンリーの未出版の『告白』の原稿、6冊のノートが実は駄文に見せかけた暗号を使った機密文書だったことがわかり、アメリカの安全を脅かすとしてCIAがフェイ(パーカー・ポージー)に接触。サイモンの釈放を条件に、フェイに所有権のあるノートを回収するためにCIAのエージェントとしてパリに飛ぶ。
 以下、イスラエル、アラブ、ロシアの各国スパイによるノートの争奪戦となるが、ストーリーは無茶苦茶なので、ミステリーは求めずにナンセンスコメディとして楽しむのが正しい鑑賞法。
 前作で端役のスチュワーデスとして登場したビビ(エリナ・レーヴェンソン)が、主要キャラとなるのも意外性があって可笑しい。
 本作最大の笑いどころはヘンリーがフェイに送った手回し覗き絵がハーレムの乱交を描いたポルノグラフィーで、それが暗号を解く鍵になっていて、フェイの息子ネッド(リーアム・エイケン)を始め、学校教師、CISエージェント(ジェフ・ゴールドブラム)等々が真剣にポルノを鑑賞すること。
 フェイはイスタンブールで漸くヘンリーを摑まえるが、ヘンリーは『告白』と共に船で去って行くというラスト。良く出来たナンセンスコメディとなっている。 (評価:2.5)

007 カジノ・ロワイヤル

製作国:イギリス、アメリカ
日本公開:2006年11月26日
監督:マーティン・キャンベル 製作:バーバラ・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン 脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ポール・ハギス 撮影:フィル・メヒュー 音楽:デヴィッド・アーノルド

マダガスカルを舞台にしたパルクールのシーンは抜群の身体能力の見せ場
 原題"Casino Royale"で、劇中のモンテネグロのカジノ名。
 ダニエル・クレイグのボンド1作目で、イアン・フレミングの原作から、同名の長編シリーズ1作目が選ばれた。
 冒頭、ボンドが2人を殺して00のライセンスを得たというエピソードがあり、この新人がいきなり問題を起こしてM(ジュディ・デンチ)の怒りを買う。
 シナリオは時代性を映してよくできていて、ル・シッフル(マッツ・ミケルセン)が反政府組織の資金を元手に航空機メーカー株の空売りを仕掛け、自らテロ事件を起こして株価を下げようとする。テロ事件を察知したボンドがこれを阻止したためにル・シッフルは大損して、カジノで損金を取り戻そうとする。テロ資金源を絶つために、再度ボンドが賭け勝負で対決するという話で、ル・シッフルは確率計算で、ボンドは心理分析で勝負を挑む。
 結果はもちろんボンドの勝利になるが、ボンドの財布となるのが財務省派遣の知的美女のボンドガール(エヴァ・グリーン)で、ボンドがMI6を辞める決心をするほどに恋仲になるが、黒幕ホワイト(イェスパー・クリステンセン)の謀略のために命を落とす。
 ラストシーンはto be continuedで、事件は解決したようなしないようなで歯切れが悪いが、徹頭徹尾シリアス路線で、スパイ・アクション映画としては第一級の出来。マダガスカルを舞台にしたパルクールのシーンは抜群の身体能力の見せ場。
 ボンドは手段のために女を利用するだけのクールな男として描かれていて、お色気もコミカル路線も放棄され、これまでの007シリーズとは一線を画した、新しいボンド像を確立している。 (評価:2.5)

トゥヤーの結婚

製作国:中国
日本公開:2008年2月23日
監督:ワン・チュアンアン 脚本:ルー・ウェイ、ワン・チュアンアン 撮影:ルッツ・ライテマイヤー
ベルリン映画祭金熊賞

中国の広大さと中華民族とは何かという疑問に突き当たる
 原題"圖雅的婚事"で、邦題の意。
 トゥヤー(ユー・ナン)は中国内モンゴル自治区の荒野に住む女性で、生業は牧畜。定住した遊牧民とみられるが、多くの仲間たちは牧畜を離れて近代化中国の一員となっている。
 井戸掘りで腰を痛めた夫バータルは仕事ができず、子供二人と夫を抱えた暮らしは厳しい。美人のトゥヤーには縁談が引きも切らず、トゥヤーは離婚をするが再婚条件はバータルとの同居。石油で成功したボロルはそれでは面子が潰れると、バータルを施設に預けてトゥヤーを引き離そうとして失敗。
 一方、隣接して牧畜を営むセンゲーは悪妻の上にトゥヤーに思いを寄せていて、井戸掘りを手伝い、離婚が成立してトゥヤーを娶る。
 結婚式当日、トゥヤーの子供たちは父親が二人いると友達にからかわれて喧嘩。それを見たトゥヤーが、賑やかな宴会場を離れて家に戻って涙を流すシーンで終わる。
 トゥヤーが流す涙の意味は、不遇な身の上を嘆いてと解するのが順当で、伝統的な生活を続けるがゆえに中国近代化から弾き出されるマイノリティに「寄り添う」作品となっている。
 そうした現代中国の矛盾とは別に、面白いのは内モンゴル族の文化や習俗で、トゥヤーが何故にそれほど男たちから引く手数多なのかということ。若い女たちはみんな都会に出てしまったのか? センゲーの妻は他の男と駆け落ちした挙句に車まで持って行ってしまったというから、女たちはみんな物欲に塗れて、荒野での厳しい牧畜には目もくれないのか? 日本の農家の嫁不足と通じるものがあるのか? それとも単にトゥヤーがモンゴル美人だからなのか?
 そうした疑問には答えてくれないが、センゲーの妻といい、女たちの立場が妙に強いのが気になる。
 漢人社会の中国ばかりが目に入るが、少数民族や周辺民族の天と地ほどに差のある生活スタイルを目にすると、漢人が統一を目指す中国は広すぎて、内モンゴル人も中華民族だと言われると、改めて中華民族とは何かという疑問に突き当たらざるを得ない。 (評価:2.5)

ロッキー・ザ・ファイナル

製作国:アメリカ
日本公開:2007年4月20日
監督:シルヴェスター・スタローン 製作:チャールズ・ウィンクラー、ビリー・チャートフ、ケヴィン・キング、デヴィッド・ウィンクラー 脚本:シルヴェスター・スタローン 撮影:J・クラーク・マシス 音楽:ビル・コンティ

穏やかな気持ちで見るボクシング映画
 原題"Rocky Balboa"。
 前作から16年ぶりに製作されたシリーズ第6作。昔の名前で出ています・・・的な、ボクシング映画なのに今更続編を作ってどうするの?的な、スタローンも過去の作品でしか食っていけないのか!的な、公開時には何とも言えない哀愁が漂っていたが、案の定、ロッキーの今さらの現役復帰には相当無理のある話。だが、これはこれで見事に哀愁を逆手に取った、お爺ちゃん頑張って!的なファミリードラマに仕上がっている。
 前半は3年前に死んだエイドリアンを忘れられないロッキーという、いかにもスタローンらしい泣かせのシナリオで鼻白んでしまう。そこに成長してオバサンになった昔スラムの不良少女が登場して、エイドリアンの代わりの慰め役になるが、一線は踏み越えないというアメリカ保守派的ファミリー路線を堅持し、よぼよぼのロッキーが現役チャンプと対戦するという、知っていながらもまさかと思う奇想天外な展開を、「ロッキーだから」と許してしまう頃には、スタローンのファミリードラマ・マジックの術中に陥る。
 脇腹の贅肉も痩せた胸の血管も、動きの鈍いパンチも、もうどうでも良くなり、ウエイトトレーニングで頑張ったスタローンに拍手を送りたくなる。
 そうした穏やかな気持ちで見るボクシング映画というのもまた新鮮で、途中真剣勝負になりながらも、勝者敗者が仲良く肩を組むラストシーンには清々しささえ感じてしまう。
 このファミリードラマを象徴するが如く、エンディングクレジットにはフィラデルフィア美術館の階段でロッキーの真似っこをする良い子のお友達が登場して、「おかあさんといっしょ」のような温かい気持ちに満たされる。
 ちなみに作品テーマは、「過去に生きるのではなく、いつまでも夢を失わないで」という、スタローン自身に捧げられるべきものだが、それさえもどうでもよくなるような菩薩か天使の気持ちになれる。 (評価:2.5)

製作国:メキシコ、スペイン、アメリカ
日本公開:2007年10月6日
監督:ギレルモ・デル・トロ 製作:アルフォンソ・キュアロン、ベルサ・ナヴァロ、ギレルモ・デル・トロ、フリーダ・トレスブランコ、アルバロ・アウグスティン 脚本:ギレルモ・デル・トロ 撮影:ギレルモ・ナヴァロ 音楽:ハビエル・ナバレテ
キネマ旬報:10位

スペイン内戦後、お伽噺に生きる少女の豊饒なファンタジー
 原題"El laberinto del fauno"で、ファウヌスの迷宮の意。邦題は英題"Pan's Labyrinth"のカタカナ表記で、パンの迷宮の意。ファウヌスは古代イタリアの牧羊神でギリシア神話のパンと同一視されることからの英題。
 舞台は1944年のスペイン内戦後のスペイン北部の山村。人民戦線残党狩りを進めるフランコ総統軍の大尉の家に妊娠中の妻と連れ子がやってくるが、この連れ子の少女が地底の王国の王女の生まれ変わりだったという設定。
 もっとも少女はお伽噺が大好きで、現れた妖精やファウヌス、掌に目のある怪人、森の迷宮も空想の中の出来事といえなくもない。
 ゲリラたちが大尉を討伐し、少女は地底の王国へと帰っていくが、それが黄泉の国なのか、それらを含めて森そのものが、戦争を続ける人間たちの醜い世界の対極にある、精神の故郷、神話の世界かもしれないという余韻を残す。
 デル・トロは、フランコ軍によって殺されていく無垢な民衆の悲劇を、自然と豊饒なファンタジーに生きる少女を通してやさしく描いたともいえる。
 全体としてはアイテムを手に入れながらのロールプレイングゲーム的展開だが、アカデミー撮影賞、美術賞、メイクアップ賞を受賞したファンタジー世界は大きな見どころ。とりわけ掌に目のあるユーモラスな怪人は必見。 (評価:2.5)

カーズ

製作国:アメリカ
日本公開:2006年7月1日
監督:ジョン・ラセター 製作:ダーラ・K・アンダーソン 脚本:ダン・フォーゲルマン、ジョン・ラセター、ジョー・ランフト 音楽:ランディ・ニューマン

効率化一辺倒の世の中への異議、スローライフがテーマ
 原題"Cars"。擬人化された車しか登場しないピクサー・アニメーション・スタジオ製作の3Dアニメーションで、子供が空想する玩具だけの世界という点では『トイ・ストーリー』(1995)の究極的世界ともいえる。
 それもそのはず監督は同じジョン・ラセターで、玩具たちが命を持った世界のストーリーは楽しめるのだが、車しか登場しないという縛りが却って世界観を狭めてしまっていて、話が膨らまないのが残念。
 主人公はニューフェイスのレーシングカー、ライトニング・マックィーン。レーシングカーの2強、ストリップ・ウェザーズ、チック・ヒックスと年間チャンピオンを争うが3台同着。1週間後にカリフォルニアで決定戦を行うことになるが、移動中にマックィーンが迷子に。田舎町でスピード違反その他で捕まり、町の道路修復に服役する。
 町の純朴な車たちや往年のチャンプ、ドック・ハドソンと触れ合ううちに、天狗だったマックィーンの心境が変化。カリフォルニアの決定戦で勝利を目前にしながら、事故ったウェザーズを完走させ、引退の花道を作ってあげる。
 他を押し退けて勝つことよりも真の友を得ることが大切という物語で、結果すべてが上手くいくというアメリカ的なハッピーエンドだが、若干教訓臭さが残る。
 バイパスによって古い町が寂れ、そこにある古き良きもの、友情や温かな心の交流が失われていくことへの反問ともなっていて、効率化一辺倒の世の中への異議、スローライフがテーマにもなっている。
 冒頭、カーレースシーンがアニメならではの迫力ある演出で見応え。田舎町のさまざまな働く車たちが楽しい。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2007年2月17日
監督:ビル・コンドン 製作:ローレンス・マーク 脚本:ビル・コンドン 撮影:トビアス・シュリッスラー 音楽:ヘンリー・クリーガー
キネマ旬報:7位
ゴールデングローブ作品賞(ミュージカル・コメディ部門)

ジャクソン5も出てくるミュージックビデオもどき
 同名のミュージカル"Dreamgirls"の映画化。1960年代に活躍したアメリカの黒人女性ボーカルグループ、シュープリームスがモデルで、ダイアナ・ロスに相当するディーナ・ジョーンズ役をビヨンセ・ノウルズが演じている。結成メンバーのフローレンス・バラードに相当するエフィ・ホワイト役のジェニファー・ハドソンはアカデミー助演女優賞を受賞。
 黒人女性グループ、ザ・ドリームズのデビューから解散までの物語で、グループの成功、エフィのグループ離脱、和解が描かれる。ミュージカルなので、ビヨンセとハドソンの歌唱が聴きどころとなる。とりわけハドソンの迫力ある熱唱は抜群。ザ・ドリームズの3人は当初、ジェームス・アーリーのバックコーラスを務めるが、この役を演じているのはエディ・マーフィ。
 劇中では、ジャクソンファイブらしき5人組も出てくるので、洋楽ファン、とりわけR&Bや黒人ソウルが好きな音楽ファンには楽しめる。ポップスが中心のミュージカルで、ディナーショーやコンサートのシーンがほとんどなので、普通にミュージックビデオを楽しむ感じでそれなりに面白いが、ドキュメンタリーのように淡々と進むためにドラマ性は希薄。
 とりわけ主役がボーカルグループという集団であるために主人公が明確でなく、誰の物語なのか不明。キャラクターの描き方が不十分な上に俳優たちも歌手しか演じてなく、演出的にも狙いがはっきりせず、作品テーマもわからない。
 ミュージックビデオとしては楽しいが、映画として観た場合には不足しているものがある。 (評価:2.5)

サラエボの花

製作国:ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、オーストリア、ドイツ、クロアチア
日本公開:2007年12月1日
監督:ヤスミラ・ジュバニッチ 製作:バーバラ・アルバート、ダミル・イブラヒモヴィッチ、ブルノ・ワグナー 脚本:ヤスミラ・ジュバニッチ 撮影:クリスティーン・A・メイヤー
ベルリン映画祭金熊賞

社会派ドキュメンタリーか啓蒙映画を観ているような気分になる
 原題"Grbavica"で、サラエボの主人公が住む地域の呼び名。
 1992~1995年のボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争後のサラエボが舞台。
 主人公のエスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)はセルビア人の民族主義軍事組織チェトニクによって計画的に集団レイプされ、産んだ娘サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)と暮らしているムスリムのシングルマザー。娘には父親はセルビア人と戦って戦死した殉教者シャヒードだと嘘をつき、レイプのトラウマのために集団セラピーに通っているが、男性恐怖症になっている。
 靴工場で働いているが娘の修学旅行代が出せず、給料の前借りや借金を頼むが足りず、夜はナイトクラブのウェイトレスを兼業。父がシャヒードならば旅行代が免除になると娘に証明書を頼まれるのを誤魔化し、靴工場の同僚のカンパでようやく費用を捻出する。
 証明書のことでサラと喧嘩になったエスマは真実を告白。サラとのわだかまりもなくなり、トラウマも解消するというハッピーエンド。もっとも父親が名も知れぬセルビア人の強姦魔だと知ったサラの今後はアンタッチャブルとなっている。
 エスマがナイトクラブの用心棒と親しくなり、父をシャヒードと信じるサラが非難する話や、サラとシャヒードの子との恋愛話も織り込まれるが、こちらのドラマには深入りせず、あくまで戦争被害に遭った女たちをテーマとする社会派作品を全うする。
 もっとも直球勝負のため、作品の意義は別としてドラマの膨らみに欠け、ドキュメンタリー映画か啓蒙映画を観ているような気分になる。 (評価:2.5)

製作国:イギリス、フランス、イタリア
日本公開:2007年4月14日
監督:スティーヴン・フリアーズ 製作:アンディ・ハリース、クリスティーン・ランガン、トレイシー・シーウォード 脚本:ピーター・モーガン 撮影:アフォンソ・ビアト 音楽:アレクサンドル・デスプラ
キネマ旬報:4位

三角関係はアンタッチャブルにした王政復古映画
 原題は"The Queen"で、イギリスのエリザベス女王が主人公。
 1997年8月31日のダイアナ妃の事故死からの1週間を中心に、その3か月前に就任したブレア首相とエリザベス女王の対応を描くドラマで、当時のニュース映像とダイアナ妃の映像も多く使われている。
 前半はすでに王室から抜けている元皇太子妃の処遇を巡って、エリザベス女王が慣例に従った対応に固執し、国民の支持を失っていく様子が描かれる。国事ではないと葬儀には関わらず、声明も出さず、王室は夏の離宮に留まってロンドンには戻らない。エディンバラ公は皇太子の息子たちと鹿狩りに出かけ、不在のバッキンガム宮殿には半旗を掲げない。
 首相就任早々のブレアは、ダイアナを悼む国民の動向をいち早く察知し、国葬を決め、王政の危機を感じてエリザベス女王に翻意を促す。
 その結果、映画の比喩によれば、接見では女王に跪く首相に対して女王が跪き、首相に助言する立場の女王が首相の助言を受け、これまでの王室と国民の関係が逆転する。
 王室内や政権のやりとりはもちろんフィクションで、前半は王室に対して悪感情を抱くように作られている。一転、後半からは女王の立場にブレアが理解を示し、王室の尊厳と女王に対する尊敬を抱くように、やっぱり女王はいい人だった、という描き方をする。
 それが計算された前後半のストーリーだとすれば、イギリス人監督のスティーヴン・フリアーズは嫌味なほどにしたたかで、王室に反感を抱いていた人間もブレア同様に再び王室ファンになるように作られている。
 よく見れば王室の太鼓持ちかプロパガンダの映画でしかなく、ダイアナの死も所詮は政権や王室に利用されただけだという冷めた視点や客観性は、制作者が持ち合わせていたとしても伝わっては来ずに中途半端。ましてダイアナの死の意味は浮き彫りにはされず、三角関係の主役チャールズとカミラの存在感はアンタッチャブルとばかりに希薄。
 エリザベス女王ならこの人というヘレン・ミレンが無難な演技でアカデミー主演女優賞。 (評価:2.5)

ダ・ヴィンチ・コード

製作国:アメリカ
日本公開:2006年5月20日
監督:ロン・ハワード 製作:ブライアン・グレイザー、ジョン・キャリー 脚本:アキヴァ・ゴールズマン 撮影:サルヴァトーレ・トチノ 音楽:ハンス・ジマー

ダ・ビンチを忘れて観る現代版アーサー王物語
​ ​原​題​は​"​T​h​e​ ​D​a​ ​V​i​n​c​i​ ​C​o​d​e​"​で​ダ​ン​・​ブ​ラ​ウ​ン​の​同​名​小​説​が​原​作​。​直​訳​す​れ​ば​「​ダ​・​ビ​ン​チ​の​暗​号​」​に​な​る​が​、​ダ​・​ビ​ン​チ​は​物​語​の​発​端​で​し​か​な​く​、​図​像​学​的​な​内​容​を​期​待​し​て​原​作​を​読​ん​だ​と​き​に​肩​す​か​し​を​食​っ​た​記​憶​が​あ​る​。
​ ​ダ​・​ビ​ン​チ​を​忘​れ​て​観​れ​ば​、​映​画​は​ス​ピ​ー​デ​ィ​な​サ​ス​ペ​ン​ス​も​の​。​ス​ト​ー​リ​ー​と​結​末​が​わ​か​っ​て​い​て​も​楽​し​め​る​。
​ ​た​だ​サ​ス​ペ​ン​ス​の​背​景​が​わ​か​っ​て​い​な​い​と​面​白​さ​は​半​減​で​、​か​と​い​っ​て​そ​れ​が​わ​か​っ​て​い​た​ら​面​白​い​か​と​い​う​と​、​キ​リ​ス​ト​教​史​を​都​合​よ​く​こ​じ​つ​け​た​感​は​否​め​な​い​。​『​戦​国​自​衛​隊​』​『​帝​都​物​語​』​を​見​る​く​ら​い​の​ス​タ​ン​ス​が​望​ま​し​い​。
​ ​物​語​の​軸​は​イ​エ​ス​の​内​縁​の​妻​と​も​い​わ​れ​る​マ​グ​ダ​ラ​の​マ​リ​ア​の​子​孫​が​初​期​キ​リ​ス​ト​教​の​異​端​派​に​よ​っ​て​バ​チ​カ​ン​の​弾​圧​か​ら​守​ら​れ​て​き​た​と​い​う​話​で​、​マ​リ​ア​―​イ​エ​ス​の​子​孫​が​誰​か​と​い​う​の​は​す​ぐ​に​想​像​が​つ​く​。
​ ​冒​頭​殺​さ​れ​る​ル​ー​ブ​ル​美​術​館​館​長​が​残​し​た​暗​号​を​基​に​孫​娘​(​オ​ド​レ​イ​・​ト​ト​ゥ​)​と​宗​教​象​徴​学​者​(​ト​ム​・​ハ​ン​ク​ス​)​が​聖​杯​=​マ​グ​ダ​ラ​の​マ​リ​ア​を​探​し​に​行​く​と​い​う​現​代​版​ア​ー​サ​ー​王​物​語​だ​が​、​そ​の​聖​杯​の​存​在​を​消​し​た​い​バ​チ​カ​ン​と​の​殺​人​絡​み​の​争​奪​戦​と​な​る​。
​ ​カ​ソ​リ​ッ​ク​を​貶​め​る​内​容​に​バ​チ​カ​ン​が​反​発​し​た​の​は​有​名​な​話​。​初​期​キ​リ​ス​ト​教​を​題​材​に​し​た​の​は​面​白​い​が​、​キ​ワ​モ​ノ​で​あ​る​こ​と​は​間​違​い​な​い​。​見​ど​こ​ろ​は​敵​の​目​を​欺​く​脱​出​劇​で​、​ル​ー​ブ​ル​、​ス​イ​ス​銀​行​、​イ​ギ​リ​ス​の​空​港​等​々​。
​ ​ガ​ン​ダ​ル​フ​の​イ​ア​ン​・​マ​ッ​ケ​ラ​ン​が​宗​教​学​者​。​フ​ラ​ン​ス​が​舞​台​な​の​で​フ​ラ​ン​ス​俳​優​も​多​く​、​ド​ラ​え​も​ん​の​ジ​ャ​ン​・​レ​ノ​が​警​部​役​。​孫​娘​の​オ​ド​レ​イ​・​ト​ト​ゥ​は​『​ア​メ​リ​』​の​主​演​女​優​。 (評価:2.5)

製作国:香港
日本公開:2008年12月6日
監督:ジョニー・トー 製作:ジョニー・トー 製作総指揮:ジョン・チョン 脚本:セット・カムイェン、イップ・ティンシン 撮影:チェン・シウキョン、トー・フンモ 音楽:ガイ・ゼラファ、デイヴ・クロッツ
キネマ旬報:8位

ハードボイルドな演出と映像は、ちょっとしたカタルシス
 原題"放・逐"で追放の意。英題は"Exiled"で同義。
 マカオの殺し屋4人が、ボスを狙撃した仲間の男を殺しに来るところから始まる。男は殺されるのなら妻に財産を遺してほしいと言い、4人は金を作るために暗黒街のボスの一人の暗殺を企てる。男を殺さず命令に背く4人に対し、ボスは刺客を差し向け、4人+男はエグザイルとなる・・・というのがタイトルの由来。
 ボスに暗殺を邪魔された挙句、男の妻子を人質に取られ、最後は金塊強盗をして金を作りボスに助命を頼むが・・・というところで、予想通りの敵味方全滅。
 しかし友情による4人+男の絆は守られ、というのが邦題の副題の由来で、最期、男の妻子だけが盗んだ金塊の一部を手にして生き延び、4人の男への約束は守られるという、シナリオ的には起承転結を踏んだラストとなっている。
 香港映画らしく、多少の矛盾は無視し、アクション映画としてのカッコよさを優先したハードボイルドな演出と映像は、ちょっとしたカタルシスとなっている。
 そうした映像的な演出、カメラワークを楽しむというのが正しい見方。 (評価:2.5)

製作国:スペイン
日本公開:2007年6月17日
監督:ペドロ・アルモドバル 製作:エステル・ガルシア 脚本:ペドロ・アルモドバル 撮影:ホセ・ルイス・アルカイネ 音楽:アルベルト・イグレシアス
キネマ旬報:8位

スペイン女は夫を殺しても平然としていられるのか?
 原題"Volver"で帰ることの意。本作で帰ってくるのは、死んだはずの母親と故郷に帰る娘。
 2つの父娘レイプと殺人事件の二重構造になっていて、題材は性的虐待、母娘の和解、死者への贖罪の3つなのだが、コミカルに描こうとしてどうにも淡々とし過ぎていて、人々の心の襞を描いている割にはリアリティに欠ける作品。
 ライムンダ(ペネロペ・クルス)は娘の頃に父親に妊娠させられ、別の男と結婚して子供を育てる。ところがこの男が成長した娘を犯そうとして逆に刺殺され、主人公は秘密裏に死体を故郷に埋葬してしまう。
 自分の悲劇を娘には味わわせたくないという気丈な母心は理解できるにしても、ほとんど無感情に死体を処理し、挙句に閉鎖したレストランの冷凍庫に隠して、たまたま来合わせた映画のロケ隊のために翌日から営業を始めるという図太さで、ひょっとして人肉を食わせる猟奇映画かと思ってしまう。
 そうはならないが、山猫レストランのような女の非人間性は、その後の人間ドラマに説得力を欠いてしまい、最後まで疑問符がついたままで馴染めない。それともスペイン女は夫を殺しても平然としていられるのか?
 一方の女の母親イレーネ(カルメン・マウラ)は、娘が夫に犯され妊娠させられたことにも気づかない鈍感さで、それが娘が家を出て母と絶縁する理由なのだが、夫が隣家の元ヒッピーのシングルマザーを愛人にしているのを知って、二人が寝ている山小屋に放火。そのまま盲目の姉の家に身を隠したために、焼死したのは自分と夫ということになっている。
 パウラ伯母が死んで母は長女(ロラ・ドゥエニャス)の家に身を寄せるが、やがてライムンダにバレてしまうものの、二人は和解。
 元ヒッピーのシングルマザーの娘アグスティーナは出奔した母の行方を追っているものの、村人たちがイレーネの幽霊を目撃していることから焼死したのは母だと疑っている。そのアグスティーナは末期癌になり、イレーネが罪滅ぼしに再び幽霊も戻って介護をするというところでラストとなる。
 話はよくできていて、ミステリーとしてもコメディとしてもヒューマンドラマとしても楽しめるが、そのどれでもないところに中途半端さが残る。
 女優達はどれも好演していて、幽霊となるカルメン・マウラの頼りない好人物さがいい。 (評価:2.5)

プラダを着た悪魔

製作国:アメリカ
日本公開:2006年11月18日
監督:デヴィッド・フランケル 製作:ウェンディ・フィネルマン 脚本:アライン・ブロッシュ・マッケンナ 撮影:フロリアン・バルハウス 美術:ジェス・ゴンコール 音楽:セオドア・シャピロ

一流ブランドの服をどうして買えるかが最後まで謎
 原題"The Devil Wears Prada"で、邦題の意。ローレン・ワイズバーガーの同名小説が原作。
 原作者の『ヴォーグ』での体験が基になったもので、プラダを着た悪魔はカリスマ編集長ミランダ(メリル・ストリープ)のこと。プラダしか着ないわけではなく、プラダは超一流ファッションを常に纏っていることの象徴。
 ミランダはファッション・デザイナーのご意見番で、彼女の目利きに従って新作を発表する。社員もブランドで身を固め、ミランダのお眼鏡に適うかどうか戦々恐々としている。
 そんな中、ジャーナリスト志望のアンドレア(アン・ハサウェイ)が、1年持てば立派なキャリアになるという修業のために第2アシスタントに応募。ファッションばかりで頭の空っぽなアシスタントに嫌気がさしていたミランダが、ダサいファッションながら見込みのありそうなアンドレアを採用する。
 以下、無理難題、過重労働、パワハラ、専横、公私混同、朝令暮改は当たり前の女帝の下、侍女どころか奴隷のようにかしずき、第1アシスタントに格上げとなり、鎧に身を固め生き馬の目を抜かなければすぐに足許をすくわれる社会の厳しさを学ぶ中、ミランダに共感しつつも、ミランダのようには生きられない、生きてはいけない自分に気づき、ミランダの下を去る。
 一般誌の記者に応募したアンドレアは、身元調査でミランダの推薦を受けたことを知るという結末。生き方は異なりながらも、互いに相手を認め合うという前向きな女の物語となっている。
 良く出来たシナリオでテンポも良く、メリル・ストリープの悪魔ぶりも突き抜けていて、楽しい作品となっている。
 もう一つの見どころは、途中からブランドの衣替えをするアン・ハサウェイのファッションショーで、メリル・ストリープの衣装、社員たちの衣装を含めて映画そのものがファッション雑誌のようになっている。
 もっとも安月給のアンドレアが、シャネルを含め一流ブランドの服をどうやって購入できるのかは、最後まで拭えない疑問として残る。
 ファッションしか頭にない第1アシスタントのエミリー(エミリー・ブラント)のコミカルな演技も光る。 (評価:2.5)

街のあかり

製作国:フィンランド、ドイツ、フランス
日本公開:2007年7月7日
監督:アキ・カウリスマキ 製作:アキ・カウリスマキ 脚本:アキ・カウリスマキ 撮影:ティモ・サルミネン 音楽:メルローズ

人生の落伍者が不幸自慢の物語にちょっとガッカリする
 原題"Laitakaupungin valot"で、郊外の灯の意。
 『浮き雲』『過去のない男』に続くカウリスマキの敗者3部作の第3。
 ヘルシンキの百貨店で夜間警備員を務める男コイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)が主人公。無能な上に同僚からも疎まれていて、仕事帰りに立ち寄るソーセージ屋の中年女アイラ(マリア・ヘイスカネン)だけが気にかけてくれている。
 上司が男を解雇しようと相談している矢先、悪者のリンドストロン(イルッカ・コイヴラ)が手先の女ミルヤ(マリア・ヤルヴェンヘルミ)でハニートラップを仕掛け、まんまと釣られた男は百貨店のセキュリティーコードと鍵を女に盗まれてしまう。
 一味は百貨店に侵入して宝石を奪うが、コイスティネンは女を庇って警察に名前を教えない。しかも訪ねてきた女が鍵と宝石を男の部屋に残し、悪党一味が警察に通報。コイスティネンは逮捕されて収監。刑期を終えてシャバに出るとリンドストロンに仕返ししようとして逆にリンチされて棄てられてしまう。
 急を聞いたアイラが駆けつけ、死にかけているコイスティネンの手を握り、2人で街の灯を見つめるという、よくわからないラスト。
 人生の落伍者が不幸自慢をしているだけで、アイラと2人傷を舐め合って負け犬同士が慰め合うだけで、何が言いたいのかわからない。
 それ以上にわからないのが、悪者のリンドストロンのコイスティネン苛めの動機。コイスティネンに濡れ衣を着せるために手間をかけ危険を犯して盗んだ宝石をなぜ返すのか? それとも返したのは宝石の一部だけか? だったら残りの宝石の在り処を警察はなぜ追求しないのか?
 世の中には人生に負けただけでなく悪者や警察にも苛められる可哀想な人間がいるということを言いたいがための無理矢理なストーリーに、ちょっとガッカリする。 (評価:2.5)

製作国:​韓​国
日本公開:2006年9月2日
監督:ポン・ジュノ 製作:チョ・ヨンベ 脚本:ポン・ジュノ、ハ・ジョンウォン、パク・チョルヒョン 撮影:キム・ヒョング 音楽:イ・ビョンウ 美術:リュ・ソンヒ
キネマ旬報:3位

ペ・ドゥナが怪物を弓で射るシーンがちょっといい
​ ​原​題​は​"​괴​물​"​で​、​怪​物​の​意​。​グ​エ​ム​ル​は​韓​国​語​の​発​音​。
​ ​ア​メ​リ​カ​が​関​係​し​て​い​る​研​究​所​で​、​劇​薬​が​大​量​に​捨​て​ら​れ​漢​江​で​奇​形​の​怪​物​が​生​ま​れ​る​。​怪​物​は​人​々​を​襲​い​、​川​べ​り​で​売​店​を​営​む​一​家​の​娘​(​コ​・​ア​ソ​ン​)​が​連​れ​去​ら​れ​る​。​政​府​は​怪​物​に​遭​遇​し​た​人​々​が​ウ​イ​ル​ス​に​感​染​し​た​と​し​て​隔​離​、​父​(​ソ​ン​・​ガ​ン​ホ​)​も​入​院​さ​せ​ら​れ​る​が​脱​走​、​祖​父​・​弟​・​妹​(​ペ​・​ド​ゥ​ナ​)​と​娘​を​救​出​に​向​か​う​と​い​う​物​語​。
​ ​怪​物​は​C​G​だ​と​わ​か​る​動​き​で​デ​ザ​イ​ン​も​イ​マ​イ​チ​。​ス​ト​ー​リ​ー​も​粗​が​多​く​、​基​本​は​コ​メ​デ​ィ​で​誤​魔​化​し​て​い​る​感​が​あ​っ​て​、​そ​れ​だ​け​見​れ​ば​凡​作​。
​ ​た​だ​セ​ウ​ォ​ル​号​事​故​の​後​で​見​る​と​、​多​く​の​点​で​韓​国​社​会​の​反​応​や​政​府​の​対​応​に​符​号​す​る​も​の​が​あ​り​興​味​深​い​。​本​作​は​2​0​0​0​年​に​起​き​た​米​軍​の​薬​物​流​出​事​故​と​韓​国​政​府​の​ア​メ​リ​カ​追​従​を​風​刺​し​た​と​さ​れ​る​が​、​事​故​が​起​き​た​時​の​遺​族​の​対​応​、​原​因​を​隠​蔽​し​て​不​満​を​他​に​向​け​さ​せ​よ​う​と​す​る​政​府​の​対​応​、​行​政​の​強​権​と​警​察​の​不​正​、​民​衆​の​不​信​と​い​っ​た​も​の​が​セ​ウ​ォ​ル​号​事​故​と​重​な​り​、​韓​国​を​理​解​す​る​に​は​良​い​教​材​。
​『​機​動​警​察​パ​ト​レ​イ​バ​ー​』​劇​場​版​第​3​作​の​剽​窃​で​は​な​い​か​と​い​う​話​題​も​提​供​し​た​。​ペ​・​ド​ゥ​ナ​は​ア​ー​チ​ェ​リ​ー​の​選​手​で​、​怪​物​を​弓​で​射​る​シ​ー​ン​が​様​に​な​っ​て​い​る​。 (評価:2.5)

世紀の光

製作国:タイ、フランス、オーストリア
日本公開:2016年1月9日
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン 製作:アピチャッポン・ウィーラセタクン 脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン 撮影:サヨムプー・ムックディプローム

タイの現状だと言いたげなカオスの中に放り出される
 原題"แสงศตวรรษ"で、邦題の意。
 前半は地方の病院を舞台に、牧歌的な人々の自然や風土・文化とともに生きる精神的な生活がスケッチされていく。
 女医のターイが新米の医者ノーンを面接するところから始まり、次に青年トアに求婚される。
 彼女の失恋の回想。相手は野生の蘭を栽培する青年で、次第に彼の控えめで優しい人間性に惹かれる。しかし、彼の農園で働く脚の悪い女性が彼のことを密かに愛し、青年もまた密かに脚の悪い女性を愛していることを知り、二人の仲を取り持つことになるというほろ苦い失恋が、物静かなターイとともに穏やかで温かな気持ちにさせる。
 もう一つのエピソードは、歌手でもある歯科医のプルの話で、患者の僧侶サクダーを祭の夜のステージに誘うが、サクダーは忙しくて来れない。プルは幼い頃に自分のせいで事故死した弟の生まれ変わりがサクダーだと信じている。
 そうした精神的な世界観が、いきなり一変。近代的な病院を舞台に冒頭のターイのエピソードが繰り返されるが、話は牧歌的方向にはいかずに新米の医者ノーンのエピソードとなる。
 ここからが意味不明の展開で、近未来的なパラレルワールドらしいが、ノーンが軍出身者であり、旧病棟に入院しているのが軍関係者と説明され、迷信的な施術を施す女医が登場したり、カメラ目線でじっと見つめる女医がいたりして、メイキング風のアバンタイトルを含めてこれがフィクションだということが強調される。
 以降は病院内でのノーンの情事やタイの近代化など、メタファーが次々提示されるばかりでストーリー性は失われ、何を描いているのかわからないままにエンドとなる。
 映像は美しくカメラワークも凝っているが、意味ありげなだけの退屈なカットも多く、これがタイの現状だと言いたげなカオスの中に放り出される。 (評価:2)

パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト

製作国:アメリカ
日本公開:2006年7月22日
監督:ゴア・ヴァービンスキー 製作:ジェリー・ブラッカイマー 脚本:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ 撮影:ダリウス・ウォルスキー 音楽:ハンス・ジマー

クラーケン、さまよえるオランダ人も登場する煩雑怪奇
 原題は"Pirates of the Caribbean: Dead Man's Chest"で、「カリブの海賊:死者の箱」の意。死者の箱は、幽霊船船長の心臓が入っている箱のこと。  前作から3年後の話だが、設定の説明もなくいきなり続編として始まるので、前作を忘れていると面喰う。ラストシーンも同様。  ジャックは、ブラックパール号の船長を13年間務める代わりに、幽霊船で100年間働くという契約をデイヴィ・ジョーンズと交わしていて、ジャックが如何にこの契約を反故にするかというのが物語の大筋。これに、投獄されたエリザベスを解放するために、ジャックの持つ欲しい物の在り処を示す羅針盤奪取をベケットから命じられるウィルが絡む。  これではキーラ・ナイトレイの出番が少ないということで、エリザベスは途中で脱走。さらに幽霊船で働くウィルのお父ちゃん、北欧伝説の蛸の化け物クラーケン、ワグナーのオペラにもなっているイギリス伝承の「さまよえるオランダ人」(フライング・ダッチマン)の幽霊船も登場。前作でエリザベスに求婚したノリントンや、女占い師(ナオミ・ハリス)も絡み、話は相当煩雑でわかりにくい。しかも第3作とセットで作られているために、引きで終わるという歯切れの悪さ。  所謂ノンストップ・アクションで見せようという、いかにも遊園地的発想で作られた映画だが、ビッグサンダーマウンテンとスペースマウンテンの違いくらいの似たようなアトラクションをシーンの変化だけで見せているだけは飽きる。公開時に見たこともあって大筋は覚えていたので、ビデオで再見すると睡魔に勝てない。  見どころを強いて挙げれば、幽霊船船員のモンスターメイクとクルーセル島の水車が島を駆けまわる映像。アカデミー賞視覚効果賞を受賞。  劇中、ベケットがウィルに羅針盤との交換条件に敵国船拿捕許可状を与えれば、ジャックが合法的海賊行為ができると話すシーンがあるが、当時イギリス海軍は海賊を使ってスペイン船などの積み荷を襲わせていたという史実が背景になっている。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2007年12月8日
監督:ジェームズ・ガン 製作:ポール・ブルックス、エリック・ニューマン 脚本:ジェームズ・ガン 撮影:グレゴリー・ミドルトン 音楽:タイラー・ベイツ

ジョーズも出てくる、寄せ集めのヌメヌメなB級ホラー
 原題の"Slither"は「ずるずると滑ること」という意味。劇中に登場する巨大ナメクジのような宇宙生命体の名称。
 物語は、隕石とともにやってきたハサミムシのようなエイリアンが、二本の触手によって胸からに侵入、男の体を乗っ取るというもの。寄生獣はその妻に恋しながらも、生肉を求め、妻の妹や動物を襲う。妻の妹から飛散したナマコ大のナメクジが今度は人間たちを襲い、口から侵入して体を乗っ取る。侵入された人間は一度死ぬが、脳を操られ、再び甦る。この歩くさまがゾンビと同じで、エイリアンとゾンビをくっつけたような映画。
 ナメクジはハサミムシの意識を共有していて、男はゾンビたちを融合して巨大化していくが、その人面が胴体に張り付いていて、クリーチャーの造形はB級ホラー作品の寄せ集め。入浴中の女の子に迫るスリザーのカメラアングルは『ジョーズ』で、よく見れば元ネタ探しを楽しめるのかもしれない。
 ホラー映画としてはお色気シーンもある正統派B級だが、クリーチャーにしてもシーンにしてもヒロインにしても、これといった見どころのないのが寂しい。パロディないしはコメディの趣きもあって笑いどころもあるが、全体にヌメヌメ、グジュグジュしているので、スライム系が苦手な人は背中がムズムズする。 (評価:2)

マイアミ・バイス

製作国:アメリカ
日本公開:2006年9月2日
監督:マイケル・マン 製作:ピーター・ジャン・ブルージ、マイケル・マン 脚本:マイケル・マン 撮影:ディオン・ビーブ 美術:ヴィクター・ケンプスター 音楽:ジョン・マーフィ

キャストも映像も豪華だが内容はTV版に及ばない
 原題"Miami Vice"で、マイアミ風紀犯罪取締班のこと。viceは、不道徳の意。
 1984~1989年にアメリカで放映された同名TVシリーズの映画化。オリジナル脚本は、アンソニー・ヤーコヴィック。
 マイアミデイド警察の刑事ソニーにコリン・ファレル、リカルドにジェイミー・フォックス、同僚女刑事トルディーにナオミ・ハリス、麻薬組織の女マネージャー・イザベラにコン・リーという豪華キャストで、高速艇、飛行機の空撮もふんだんに、TV版よりは遥かにヴァージョンアップした映像のザ・ハリウッド映画。
 もっともキャストと映像に金を掛ければTV版よりも優れた作品になるかというのは別の話で、本作もご多分に漏れない。
 物語は、ソニーらのチームが売春組織の摘発をしているシーンから始まる。そこに情報屋からSOSが入り、FBI内から身元が漏れたために妻が麻薬組織に殺されてしまう。
 コロンビアの麻薬組織を摘発するため、二人は運び屋に化けて潜入捜査。その過程でソニーが組織のボス、モントーヤ(ルイス・トサル)の愛人イザベラと恋に落ち、それがバレてイザベラを救出するというありがちな展開。
 最後は中ボス、イエロ(ジョン・オーティス)との銃撃戦となり、敵を殲滅して一件落着となる。
 なんとなくソニーとイザベラのラブ・ストーリーに目を向けさせられ、イザベラを無事逃亡させたことで万事解決したような気になるが、ラスボスのモントーヤはそのままだし、FBI内の情報漏れの犯人もわからないまま。
 ナイトクラブにクルーザーに自家用ジェットと、映画全体は如何にもなマイアミ・テイストだが、甘ったるいだけでシナリオも大甘。ラブ・ストーリーよりは本格的な刑事ドラマが見たかった、というのが正直な感想。 (評価:2)

M:i:III

製作国:アメリカ
日本公開:2006年7月8日
監督:J・J・エイブラムス 製作:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー 脚本:アレックス・カーツマン、ロベルト・オーチー、J・J・エイブラムス 撮影:ダニエル・ミンデル 音楽:マイケル・ジアッキーノ

バチカンと西塘のロケシーンは見る価値がある?
 トム・クルーズがイーサン・ハントを演じる映画シリーズ第3作。イーサンが現役を退いてIMFの教官となり、婚約者がいるという、TVシリーズ『スパイ大作戦』の世代からすると何とも黄昏た設定。
 教え子を救出するために現役復帰し、犯罪者組織と内通しているIMF上官の尻尾を掴もうとするが婚約者を人質に取られ、今度は彼女を救出するために機密物質を探すという筋で、イーサンの目的が常に受け身でシナリオ自体が面白くなく、次第に眠気を催す。
 本作の目的がアクションとトムのヒーローぶりにあるのは承知だが、それを強調するあまりにカメラを盛んにブレさせる映像は観ていて辛い。小手先のスピード感ではなく、エンタテイメントとして楽しめるシナリオと演出がほしかった。ラストでイーサンの正体を問う婚約者に、"I need you to trust me."という台詞が白ける。
 科学的設定にはかなり緩いところがあって、脳内爆弾を感電でショートさせたり、機密を無警戒に携帯電話で話したりする。上海のシーンも相当に荒唐無稽だが、トムの『ミッション:インポッシブル』はエンタテイメントに徹し切っている。
 見どころは、バチカンと中国の水郷・西塘(シータン)のロケシーン。これを見るだけでも価値はあるかもしれない。ちなみに西塘の撮影場所には『M:i:III』のトム・クルーズのポスターが貼ってある。
 ところでタイトルの『M:i:III』だが、製作者は略称で通じるほどにこの映画がメジャーだと思っているのだろうが、ファン以外にはなんの映画かわからない。M:iはミッション・インポッシブル(Mission: Impossible=任務:不可能なこと)の略。 (評価:2)

製作国:アメリカ、日本、カナダ、フランス
日本公開:2006年7月8日
監督:クリストフ・ガンズ 製作:ドン・カーモディ、サミュエル・ハディダ 脚本:ロジャー・エイヴァリー 撮影:ダン・ローストセン 美術:キャロル・スピア 音楽:ジェフ・ダナ

ホラーアドベンチャーゲームの世界観を味わうだけの作品
 原題"Silent Hill"で、架空の町の名前。原作はコナミの同名のホラーアドベンチャーゲーム。
 夢遊病の養女の秘密を探るべく、母親が彼女の生まれた町で現在は廃墟となっているサイレントヒルに向かうという物語で、町に着いた途端に養女は失踪。彼女を追いかける形で町の中を移動、情報を集めながら敵と戦い、最後に秘密に辿り着き、ラスボスとの決戦になる。
 町に入った段階でこのようなゲーム的進行が明瞭になるため、母親が窮地に陥っても次に進むための通過点に過ぎず、シナリオ・演出的にもそれが見えてしまうためにホラー映画としては怖くない。悪魔によって闇に落ちるシーンも幻覚とわかっているので、魑魅魍魎が怖くない。魑魅魍魎がうじゃうじゃ出てくるのが却ってCG感を醸成するため、ダンジョン風の町のCGと相まって、ゲームファンでないと白けてしまう。
 サイレントヒルは炭鉱火災によって封鎖され、現在も地下で火災が続いている廃墟の町という設定だが、町に行くと住民がいて、どうやって生活してるのか不自然。異世界だとしても説明不足。
 養女の秘密というのが、かつて住民が犯されて身籠った少女を魔女として火炙りにして、その生まれた子供だったというもの。孤児院を経て主人公の養女として引き取られ、一方、火刑にされた少女は町に悪魔を呼び寄せ、住民に復讐している。この住人たちが実在なのか零体なのかよくわからず、すべてがゲーム同様に設定のための設定になっていて、ラスボスを倒したクリア後のストーリーの着地点が見えない。
 火炙り少女の復讐を果たした母親が養女と共に家に帰るというハッピーエンドだが、どうやら二人とも異世界の住人になってしまったらしく、雰囲気だけの腑に落ちないラスト。
 『バイオハザード』(2002)には遠く及ばず、ゲームの世界観を味わうだけの作品になっている。 (評価:2)

マリー・アントワネット

製作国:アメリカ
日本公開:2007年1月20日
監督:ソフィア・コッポラ 製作:ソフィア・コッポラ、ロス・カッツ 脚本:ソフィア・コッポラ 撮影: ランス・アコード 音楽:ブライアン・レイツェル

ギロチンを期待していたのに残念!
 アントニア・フレイザーの同名歴史小説が原作。マリー・アントワネットの生涯をダイジェストしただけで、評伝にも歴史映画にもなっていない。跡継ぎができるかどうかに大半が費やされるため、安っぽいメロドラマの印象。マリー・アントワネットの描写にも一貫性がなく、観終わって何を描きたかったのか不明。音楽にも一貫性がなく、奇をてらった演出も独りよがりの空振りに終わっている。
 アカデミー衣装デザイン賞を受賞したドレス、靴、ケーキ、食事、絢爛豪華なベルサイユ宮殿のロケはファッション誌の世界。しかし演技が現代的すぎて、ベルサイユ宮殿を舞台にしたアメリカ通俗映画を見ている気分。終盤の手抜きのフランス革命シーンも、とってつけたようで空々しい。いっそのこと、ミュージカルにした方が良かったのではないか。 (評価:1.5)