海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──2003年

製作国:韓国
日本公開:2004年3月27日
監督:ポン・ジュノ 脚本:ポン・ジュノ、シム・ソンボ 撮影:キム・ヒョング 音楽:岩代太郎
キネマ旬報:2位

田舎者の無知で朴訥な刑事役のソン・ガンホの演技が光る
 原題"살인의 추억"で、殺人の思い出の意。京畿道で1980~90年代に起きた連続女性猟奇殺人事件を基にしたフィクション。
 村始まって以来の大事件に、見込み捜査と容疑者の強引な自白で犯人を検挙しようとする刑事にソン・ガンホ。田舎者の無知で朴訥な中年男を好演して、安心して楽しめる完成度の高い作品となっている。
 これに肉体よりも知性派の刑事(キム・サンギョン)がソウルから派遣され、捜査をめぐって田舎刑事と対立、次々と挙がる容疑者がいずれも白となり、重要参考人が死亡する中で捜査は混迷していく。
 冒頭、麦の葉にとまったバッタを捕まえる少年の手から、顔を上げると黄色い麦畑の全景が広がるシーン、続いて刑事を乗せた車が走る直線の農道へと切り替わるシーンは映像的に秀逸で、ラストシーンの黄色い麦畑とともに犯罪ドラマの舞台の開幕と終幕の対をなしている。
 被害者の女性が襲われるシーンもサスペンスフルなカメラワークと編集で、映像的な見どころのシーンも多い。
 事件解決に向けたストーリーが大きな見どころとなるが、緩みのないシナリオと演出で片時も目を離せない。
 ドラマ的にはキム・サンギョンの捜査手法に振り回されながらも、次第に彼を認めていくソン・ガンホが見どころ。犯人を追いつめてDNA鑑定に持ち込むものの、その確信が崩れた時にキム・サンギョンがそれまでの理性を保てずにソン・ガンホたちと同じ暴力に走り、逆にそれを諫めるソン・ガンホの成長がいい。
 時が流れ、刑事をやめてセールスマンになったソン・ガンホが、かつての犯行現場を通りかかり、そこで犯人の痕跡を知り、蹉跌とともに今も刑事魂が失われていないというシーンがタイトルに繋がるが、この時の演技は見もの。劇中のコミカルな演技と併せ、ソン・ガンホの演技が光る。 (評価:3.5)

エレファント

製作国:アメリカ
日本公開:2004年3月27日
監督:ガス・ヴァン・サント 製作:ダニー・ウルフ、HBO 脚本:ガス・ヴァン・サント 撮影:ハリス・サヴィデス
カンヌ映画祭パルム・ドール

コロンバイン高校銃乱射事件をモチーフに日常の小さなほつれを描く
 原題"Elephant"で、象の意。
 タイトルは象のように不器用などの寓意を込めたもので、1999年のコロンバイン高校銃乱射事件をモチーフにしたドラマ。
 ドラマなので当然フィクションなのだが、フィクションと感じさせない演出がされていて、しかもノンフィクションの持つドラマ性させも感じさせない工夫がされている。
 そこに展開するのは、アマチュア映画ないしはホーム・ムービーのような意図されない映像で、高校生たちの日常的で怠惰な風景が描かれる。それを支えるのは、登場する何人かの高校生の一人称の物語で、カメラはワンカットワンシーンの主観視点で構内を歩き回る。
 ポートランドの高校生ジョン(ジョン・ロビンソン)はアルコール依存症の父を車に乗せて登校。遅刻を校長に責められて校長室に呼ばれ、父の世話を兄に頼もうと連絡するが、父はどこかに消えてしまう。その途中で、ポートレートを撮っている写真部員のイーライ、他愛ないお喋りに話を咲かせる何処にでもいそうな仲良し三人組の女子高生、アメフト部の花形ネイサンらと擦れ違い、銃器鞄を提げた戦闘服姿で登校するアレックスとエリックと挨拶を交わす。そして尋常ではない様子に父を探し、友人たちに逃げるように声を掛ける。
 これと並行してイーライ、仲良し三人組、ネイサンらのそれぞれの一人称の物語が描かれ、最後に乱射事件を起こすアレックス(アレックス・フロスト)とエリックの物語となる。
 アレックスの学園生活はこうした日常に埋没し、級友の苛めの中で鬱積している。そうした停滞感は、登場する高校生たちに多かれ少なかれ共通したものなのだが、アレックスは日常の延長の中でネット販売の銃器を購入し、同性愛のエリックとともに彼らの停滞を打破するために、目の前にある日常を破壊しに学校に向かう。
 そうして二人の無感情な銃乱射が描かれるのだが、アレックスと似たような立ち位置にいる冴えない女の子のミシェル、そしてエリックさえも銃殺し、食堂の冷凍庫に隠れていたネイサンとガールフレンドのキャリーに銃を突き付けて終わる。
 異常な事件の背景にある、どこにでもある日常を描くが、それが日本でも頻発する通り魔事件と変わらない、日常の小さなほつれであることに気づかされる。 (評価:3)

製作国:アメリカ
日本公開:2004年1月10日
監督:クリント・イーストウッド 製作:クリント・イーストウッド、ジュディ・ホイト、ロバート・ロレンツ 脚本:ブライアン・ヘルゲランド 撮影:トム・スターン 美術:ヘンリー・バムステッド 音楽:クリント・イーストウッド
キネマ旬報:1位

犯罪ドラマよりは人間ドラマでミスティックに
 原題"Mystic River"で、劇中に登場するマサチューセッツ州の川の名。デニス・ルヘインの同名ミステリー小説が原作。
 クリント・イーストウッドらしい軽快なテンポと演出のミステリー映画。
 3人の少年の過去のエピソードから始まり、その過去ゆえに接触の絶えた3人が、25年後、事件をきっかけに再会し、その過去を上書きしてしまうというやりきれない結末を迎える。
 3人のそれぞれの人生には25年前の事件が影を落としていて、性犯罪者に誘拐されたデイヴ(ティム・ロビンス)は今もPTSDに悩まされ、彼を助けられなかったジミー(ショーン・ペン)は前科者に、ショーン(ケヴィン・ベーコン)は刑事となっている。
 25年後、ジミーの娘が殺害され、デイヴは容疑者、ショーンは捜査官として、離れ離れになっていた3人の糸が再び絡み合うという物語構造。
 イーストウッドはミステリーないしは犯罪ドラマとして見せるのではなく、3人に25年前の過去が甦るという人間ドラマとして本作を作っている。
 残念なのは3人、とりわけデイヴの現在の姿が描かれていないことで、少年の3人が固まらないコンクリートに名前を悪戯書きした、過去は消えないという本作のテーマが、現在と対照されることなく今ひとつ生煮えとなってしまった。
 ジョーンが指で作った銃をデイヴに向けるラストシーンも、割り切れなさを残すという点ではいかにもイーストウッドらしいが、ミステリーないしは犯罪ドラマとして見る者には中途半端さが残る。
 殺されるジミーの娘ケイティ役のエミー・ロッサムは、翌年の『オペラ座の怪人』でヒロイン、クリスティーヌに。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2003年12月6日
監督:エドワード・ズウィック 製作:トム・クルーズ、トム・エンゲルマン、スコット・クルーフ、ポーラ・ワグナー、エドワード・ズウィック、マーシャル・ハースコヴィッツ 脚本:ジョン・ローガン、エドワード・ズウィック、マーシャル・ハースコヴィッツ 撮影:ジョン・トール 音楽:ハンス・ジマー
キネマ旬報:5位

官軍対賊軍は、騎兵隊対インディアンのメタファー
 原題"The Last Samurai"。
 明治維新に題材をとった作品で、西南戦争とも五稜郭の戦いとも、はたまた戦国時代ともいえる時代設定。
 プロローグの日本神話の説明からして間違っているので、歴史や文化的事実に拘ると、阿呆らしくて見てられない。ただ、これはパラレルワールドのニッポンを舞台にした、ドラクエやFFや指輪物語のようなファンタジーだと思ってみると、結構面白い。
 そのパラレルワールド・ニッポンはというと、天皇は存在するが明治になっても未だ中央集権ではない部族国家で、豪族が割拠する戦国時代に近い。イギリスの代わりにアメリカが明治政府に銃や大砲を売ろうとしていて、ニッポンにまだ鉄砲は伝来していない。
 そのため、銃器の扱い方を教えるために軍事顧問として雇われるのが、アメリカ軍大尉のトム・クルーズ。ところが反乱軍との戦で捕虜となり、吉野の山里で剣術を知る。反乱軍の大将は渡辺謙、剣術指南は真田広之、世話係は小雪。
 剣術のみならず武士道を会得したトムは、反乱軍の一員として政府軍と戦い、反乱軍は武士道を全うして全滅。ここでは北欧神話的な「戦士が藁の上で死ぬことは恥辱で、戦場で死ぬことが名誉」の精神を武士道とする。
 生き残ったトムは、渡辺の剣を天皇に献上して、建国の精神=サムライ魂を忘れるなと進言する。ここに冒頭の国生み神話が生きてきて、日本の国土は矛から落ちた泥の滴から生れたが、ニッポンの国土は剣の滴だったということになる。
 ニュージーランドで撮影した合戦のシーンは黒澤明の『乱』を髣髴させ、監督のズウィックの念頭にあったのは、黒澤の一連の時代劇だったのではないかと思われる。
 忍者も登場するなどエンタテイメント性は抜群で、殺陣もなかなか。
 ただテーマ的には武士道を描いたとは思えず、パラレルワールドのニッポンを舞台にしつつも、ズウィックが描きたかったのは先住民を滅ぼしたアメリカの歴史で、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)に沿った内容となっている。このため合戦のシーンは、近代兵器の官軍=騎兵隊、刀しか持たない賊軍=インディアンに重なって見える。
 そうした点で、民族固有の文化を破壊する近代化の暴力性が本作の真のテーマになっている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2003年10月25日
監督:クエンティン・タランティーノ 製作:ローレンス・ベンダー 脚本:クエンティン・タランティーノ 撮影:ロバート・リチャードソン 音楽:RZA、ラーズ・ウルリッヒ 美術:種田陽平、デヴィッド・ワスコ
キネマ旬報:10位

タランティーノの日本映画に寄せる愛のファンタジー
 原題は"Kill Bill"。妊娠とともに殺し屋から足を洗った主人公(ユマ・サーマン)は結婚式のリハーサルで殺されかかる。Bill は元ボスの名前で、タイトルは「ビルを殺せ」。自分を襲ったビルと4人の殺し屋への復讐劇。
 本作には残酷シーンの描写から日本公開版とUS版の2ヴァージョンある。最初に観たのは日本公開版だったが、US版で再見した。US版は深作欣二への献辞がなく、復讐についての引用が入り、暴力シーンもソフトになっている。
 マニアックな作品なので、観た人の映画に対するポジションの取り方で評価が分かれる。一般的には、本作は劇画チックな上にとりわけ日本に関する描写がかなり変なので、キワモノに見える。立ち回りなどもなってない。  それに対するのは、この作品をファンタジーとする観方。日本通のタランティーノが欧米人から見た日本をデフォルメ、カリカチュアして描いているのは明らかで、有り得ない設定の中に彼の日本文化に対する愛を見ることができる。それを受け入れられるか、誤解・偏見だと切り捨てるかが評価の分かれ目。
 この映画がファンタジーだということを示すためにプロダクションIG制作のアニメを挿入しているが、やはり日本人が作ったアニメはリアリティを引き摺っていて、タランティーノほどにはぶっ飛んでいない。
 滅茶苦茶なアクションシーンも時代劇の殺陣やヤクザ映画の描写、日本映画のオマージュに溢れていて、タランティーノが日本映画の様式美を良く研究していることが見てとれる。最後の決闘シーンも本来なら英語のはずが日本語で会話しているところに、拘りがある。
 タランティーノの目を通して、欧米人から見た日本の魅力を知ることができる映画で、エンディングの梶芽衣子の「恨み節」を聞いていると、タランティーノの日本映画に寄せる愛とともに、この歌がハリウッド映画にしっくり嵌っていることに驚かされる。 (評価:2.5)

製作国:韓国、ドイツ
日本公開:2004年10月30日
監督:キム・ギドク 製作:イ・スンジェ、カール・バウムガルトナー 脚本:キム・ギドク 撮影:ペク・ドンヒョン 音楽:パク・ジウン
キネマ旬報:9位

テーマは凡庸だが、スーパーナチュラルな映像に一見の価値
 原題"봄 여름 가을 겨울 그리고 봄"で、邦題の意。
 タイトル通り、山奥の湖の島にある草庵の移り変わりを四季に分けて描くオムニバスで、最後の春で一巡してもとに還る。
 春は和尚と小坊主の二人だけで、小坊主が小魚・蛙・蛇に重石を括り付けて遊んでいるのを和尚に見られ、夜中に重石に括られてしまう。生き物たちを重石を解いてやるように言い、死んでいればそれは一生お前の業となって苦しめると説く。そして、小魚と蛇が死んでいるのを見つける。
 夏には小坊主は少年となり、精神を病んだ娘が寺に静養にやってくる。少年と娘は懇ろになり、結果、娘は精神を回復する。しかし、それは娘との別れを意味し、小坊主は寺を出る。
 秋は和尚の一人住まい。青年になった小坊主は結婚するものの浮気した妻を殺し、寺に戻ってくる。和尚は床に般若心経を彫らせるものの、刑事がやってきて逮捕される。残った和尚は焼身即身成仏する。
 冬には出所した男が戻って無人の草庵で修行をしていると、覆面をした女が赤子を残し去ろうとして湖中に沈む。男は菩薩像を抱え重石を引いて山に登る。
 そして春になると、最初の和尚と小坊主の二人に戻るという、メビウスの輪の物語。
 和尚も四季とともに歳をとり、冬の男は監督自ら演じるが、人間の業や輪廻転生といった70年代的テーマは凡庸。ただ、山奥の湖中に浮かぶ寺や湖の縁の山門、装飾されたボートといった風景は、シュールな割には自然の中に馴染んでいて、映像的には一見の価値がある。 (評価:2.5)

製作国:ロシア
日本公開:2004年9月11日
監督:アンドレイ・ズビャギンツェフ 製作:ドミトリイ・レスネフスキー 脚本:ウラジーミル・モイセエンコ、アレクサンドル・ノヴォトツキー 撮影:ミハイル・クリチマン 音楽:アンドレイ・デルガチョフ
キネマ旬報:3位
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

失われることで初めて存在意義が生まれる悲しい父親の物語
 原題"Возвращение"で帰宅の意。
 12年ぶりに父親が帰宅し、息子2人を連れて釣り旅行に出かけるという物語。
 息子たちは母と祖母と暮らしているが、何しろ12年ぶりなので父の顔を写真でしか知らない。兄はパパと呼んで取り入ろうとするが、弟はパパと呼ばず、むしろ本当の父親かどうかさえ疑う。旅行に出ても用事があると言って途中で切り上げようとするし、息子たちに対しては権威を笠に着て横暴だし、ほとんど会話らしい会話もしないしで、弟は家に戻りたい、父は帰ってこなかった方が良かったと言い出す始末。
 父親の正体は謎めいていて、釣りなどするつもりもなくて旅行の目的も他にあるらしく、最終地の無人島の小屋で穴を掘って埋めてあったものを取り出すとすぐに帰ろうと言いだす。さてはミステリーかと思いきや、掘り出したものは最後まで明かにされず、父の職業も不明のままに終わる。
 では、何を描きたかったのかと思案すると、はたとこれは父親の不在がテーマだと思い当たる。
 家庭において存在感の希薄な父親。家に生活費を運んでくるだけで、子供は父親がどんな仕事をしているのかさえ知らない。父親がどんなことに関心があるのかも知らないし、会話をしても共通する話題などない。海外の父親が息子と一緒にできることといえば釣りしかなく、しかし父親は釣り竿さえ持たない。
 ドライブインで食事をしても楽しくもなく、子供の目には横暴で自分勝手な父親にしか映らない。せいぜいが金を持っていて力が強いくらいで、とにかく正体不明。
 つまり、本作は子供の目に映る世の父親像の典型で、従って子供にとってミステリアス。その正体も仕事の内容もわからないままに終わることに意味がある。
 息子にとって父親は乗り越えなければならない存在で、オイディプス同様、最後に父は息子の手によって殺され、失われることによって初めて父親としての存在意義が生まれる。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2004年1月24日
監督:ゲイリー・ロス 製作:キャスリーン・ケネディ、フランク・マーシャル、ゲイリー・ロス、ジェーン・シンデル 脚本:ゲイリー・ロス 撮影:ジョン・シュワルツマン 編集:ウィリアム・ゴールデンバーグ 音楽:ランディ・ニューマン
キネマ旬報:8位

1930年代の名馬が主役の動物+レース+感動もの
 原題"Seabiscuit"。ローラ・ヒレンブランドのノンフィクション"Seabiscuit: An American Legend "(シービスケット:ひとつのアメリカの伝説)が原作。
 シービスケットは1930年代に活躍したアメリカの伝説の競走馬で、駄馬と思われていたシービスケットの潜在能力に注目して買った馬主ハワード、名馬に変えた調教師スミス、コンビを組んで快進撃を続けた騎手ポラードの3人と1頭の感動の物語。
 前半は3人が出会うまでで、モータリゼーションの時流に乗って成功する自動車ディーラーのハワード、一方で時代遅れとなったカウボーイのスミス、大恐慌で無一文となった父親に草競馬の騎手にさせられるポラードの話。アメリカ社会の近代化と競馬の世界を対照させ、文明化に置き忘れられがちな価値観を控えめに描く。
 とりわけ感動的なのは、落馬事故で騎手生命を絶たれたポラードが、靭帯を切断したシービスケットと二人三脚でリハビリに励み、ポラードが騎乗して復帰レースを走るシーンで、伏線として足を骨折した競走馬を銃殺せずに介抱するスミスのエピソードがある。
 動物と人間の心の交流という、動物ものにありがちな感動テーマに、競馬という勝負ものが加わるので見ていて決して退屈しない。もっとも、動物ものにありがちな感動テーマだが、実話がベースでお涙頂戴の過剰な脚色もないので、嫌味はない。
 騎手にトビー・マグワイア。主役の馬の演技は、いつ見ても感心する。ちなみにsea biscuitは乾パンのこと。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:2004年5月15日
監督:ティム・バートン 製作:ブルース・コーエン、ダン・ジンクス、リチャード・D・ザナック 脚本:ジョン・オーガスト 撮影:フィリップ・ルースロ 美術:デニス・ガスナー 音楽:ダニー・エルフマン
キネマ旬報:10位

ホラ話の中に父子の和解が感動的に描かれるが…
 原題"Big Fish"で、大魚、ホラ話の意。 ダニエル・ウォレスの小説"Big Fish: A Novel of Mythic Proportions"(ビッグ・フィッシュ:神話レベルの小説)が原作。
 ホラ話で自らの人生を語る父と、それを幼い頃から聞かされて不信を募らせる息子の断絶と和解の物語。  父が十八番とするのは、息子が生まれた時に巨魚と出合った話で、それが精霊の化身であり、父が最後に巨魚となって精霊の中に帰っていくというエピソードで、big fishを両方の意味に掛けている。
 前半はホラ話を通して奇想天外な父の一生が語られるが、子供の頃に出合った魔女によって示された臨終の予見だけは父の口からは語られない。
 父に深く関係する女性(ヘレナ・ボナム=カーターの魔女との二役)の話を聞いた息子は、初めて父の人生を理解。父の病床を見舞った息子は、自らが考えた父の臨終の予見を父に語り聞かせる。それを父が肯定して、ようやく二人の心が通じ合い、長い断絶の後の父子の和解が描かれる。
 終盤では、ホラ話と真実との境目が曖昧となり、息子の心象ともいえる幻想的なラストシーンとなる。
 父子の絆を男同士の夢として描く、いわば定番の父子話で、それが夢=ファンタジーとして描かれるのだが、虚実一体となったストーリーは最後まで判然とせず、すっきりとはしない。
 ファンタジーに生きる父の中に本来の人間的な生き方があり、それを否定していた息子が人間の真実はリアリズムの中にあるのではなく、夢を見続けるポジティブな人生にこそ価値があることを知る・・・まとめればそんなありがちなテーマだが、ティム・バートンはそれをファンタジックかつ感動的に描く。
 父の若き日をユアン・マクレガーが演じ、母の老いた現在を懐かしきジェシカ・ラングが演じている。『チャーリーとチョコレート工場』でウンパルンパを演じるディープ・ロイも登場。 (評価:2.5)

パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち

製作国:アメリカ
日本公開:2003年8月2日
監督:ゴア・ヴァービンスキー 製作:ジェリー・ブラッカイマー 脚本:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ、ジェイ・ウォルパート 撮影:ダリウス・ウォルスキー 音楽:クラウス・バデルト、ハンス・ジマー

楽しみ方の基本はディズニーランドのアトラクション
 原題は"Pirates of the Caribbean:The Curse of the Black Pearl"で、「カリブの海賊:ブラックパールの呪い」の意。ブラックパールは、劇中に出てくる主人公ジャック・スパロウが所有する海賊船の名前で黒真珠の意。
 原作はないが、ディズニーパークの「カリブの海賊」がモチーフで、遊園地にある海賊の人形によく似た海賊が登場する。遊園地が基なので、映画はあくまでも楽しくコミカルで毒も薬もない。娯楽映画としてはディズニーランド程度には楽しめる内容になっているが、同じアトラクションを143分間見せられるのは多少飽きる。演出的にもシーン的にもこれはという見せ場がなく、ほとんどがジョニー・デップのコミカルな演技力に負っている。あとはオーランド・ブルーム(ウィル)とキーラ・ナイトレイ(エリザベス)の美男美女、バルボッサ船長のジェフリー・ラッシュがデップを支え、配役陣は楽しめる。
 難破船から救助したウィルの出生の秘密、エリザベスが隠し持つ海賊のメダルの秘密が物語の鍵となり、呪いを解くためにそれを奪おうとするバルボッサと、彼に奪われた船ブラックパール号を取り戻そうとするジャックの戦いが描かれる。話としてはそれだけであり、美男美女の恋物語とジャックのアクションが味付け。
 ジャマイカのポートロイヤルが舞台。コロンブスが発見した当初はスペイン領だったが、17世紀後半以降はイギリス領。英国海軍や海賊船の母港となったという背景を押さえておくと、多少は役に立つ。 (評価:2.5)

コールド マウンテン

製作国:アメリカ
日本公開:2004年4月24日
監督:アンソニー・ミンゲラ 製作:アルバート・バーガー、ウィリアム・ホーバーグ、シドニー・ポラック、ロン・イェルザ 脚本:アンソニー・ミンゲラ 撮影:ジョン・シール 音楽:ガブリエル・ヤーレ 美術:ダンテ・フェレッティ

注目は美男美女でなくレネー・ゼルウィガーの演技
 原題も""Cold Mountain""で、ノースカロライナ州にある土地の通称として劇中に登場するが、架空の地名。チャールズ・フレイジャーの同名小説が原作。
 南北戦争末期が時代背景で、コールドマウンテンにやってきた牧師の娘エイダ(ニコール・キッドマン)と土地の男インマン(ジュード・ロウ)の純愛物語。二人を引き裂くのは悲惨な戦争で、エイダ恋しさに脱走兵となったインマンが再びエイダと出会うまでの物語。実用のために学ぶことを禁じられて育ったエイダは父の死後、困窮するが、彼女を助けるために同居する村娘ルビー(レネー・ゼルウィガー)によって畑仕事や生活手段を学んでいく。
 ストーリー展開の柱となるのは脱走兵を摘発して処刑する義勇兵と飢えた北軍兵士で、ルビーの父もまた脱走兵の一人。ナショナリズムから南軍の志願兵となるのは一般農民。奴隷解放で被害を受ける大農場主は前線には行かず、戦場で死んでいくのは下層階級だけという矛盾を背景にするが、基本はラブストーリー。
 艱難辛苦の末に恋人同士がハッピーエンドを迎えるかに見えるが、どっこい悲劇が待っているという寸法。鍵になるのは隣家の未来が見えるという井戸でエイダが見たイリュージョン。ラストで現実のものとなるが、インマンの帰還は無駄ではなく、戦争終結後にハッピーエンドとして描かれる。
 通俗だがよくできた物語で感動的でもある。キッドマンとローの美男美女を愛でつつ、アカデミーとゴールデングローブの助演女優賞を獲ったゼルウィガーの演技が大きな見どころ。エイダの父にドナルド・サザーランド、インマンが逃走中に出会う子持ち女ナタリー・ポートマンもチェック・ポイント。 (評価:2.5)

マトリックス・レボリューションズ

製作国:アメリカ
日本公開:2003年11月5日
監督:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー 製作:ジョエル・シルヴァー 脚本:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー 撮影:ビル・ポープ 音楽:ドン・デイヴィス 美術:オーウェン・パターソン

形而上学的に観るか、戦闘シーンを楽しむか
​ ​リ​ロ​ー​デ​ッ​ド​の​後​編​。​原​題​は​"​T​h​e​ ​M​a​t​r​i​x​ ​R​e​v​o​l​u​t​i​o​n​s​"​で​、​R​e​v​o​l​u​t​i​o​n​は​回​転​・​変​革​の​こ​と​。​複​数​形​な​の​で​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​の​数​度​の​変​革​。
​ ​モ​ー​フ​ィ​ア​ス​に​よ​っ​て​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​内​の​境​界​か​ら​救​い​出​さ​れ​た​ネ​オ​は​、​エ​ー​ジ​ェ​ン​ト​・​ス​ミ​ス​が​自​分​の​陰​画​で​あ​る​こ​と​を​知​る​。​ザ​イ​オ​ン​は​機​械​烏​賊​の​大​量​攻​撃​を​受​け​、​壊​滅​寸​前​。​ネ​オ​は​ス​ミ​ス​の​分​身​に​目​を​潰​さ​れ​、​ト​リ​ニ​テ​ィ​と​マ​シ​ン​・​シ​テ​ィ​ー​に​向​か​い​、​コ​ン​ピ​ュ​ー​タ​の​意​識​体​と​対​面​、​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​内​の​ス​ミ​ス​と​の​決​着​を​つ​け​る​。​ラ​ス​ト​は​、​新​し​い​R​e​v​o​l​u​t​i​o​n​。​若​干​観​念​的​で​わ​か​り​に​く​い​話​も​、​ラ​ス​ト​で​割​と​す​っ​き​り​す​る​。
​ ​愛​や​感​情​と​い​っ​た​も​の​が​A​I​や​機​械​に​は​な​い​人​間​性​だ​と​い​う​意​見​に​対​し​、​脳​科​学​者​は​そ​れ​も​記​号​化​で​き​る​と​考​え​、​そ​れ​は​本​作​の​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​の​中​で​も​語​ら​れ​る​。​こ​の​映​画​に​形​而​上​学​的​な​意​味​を​求​め​る​か​、​そ​れ​を​空​論​と​し​て​退​け​る​か​に​よ​っ​て​観​方​・​評​価​に​影​響​す​る​が​、​前​編​に​比​べ​て​戦​闘​シ​ー​ン​が​ス​ピ​ー​デ​ィ​か​つ​派​手​で​、​モ​ビ​ル​ス​ー​ツ​も​暴​れ​回​る​の​で​、​難​し​い​こ​と​は​考​え​な​い​と​い​う​姿​勢​で​ア​ク​シ​ョ​ン​を​楽​し​め​る​。
​ ​新​し​い​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​を​創​造​す​る​少​女​が​イ​ン​ド​人​な​の​は​、​や​は​り​人​間​を​救​う​の​は​東​洋​思​想​と​い​う​こ​と​か​。 (評価:2.5)

ターミネーター3

製作国:アメリカ
日本公開:2003年7月12日
監督:ジョナサン・モストウ 製作:マリオ・カサール、ハル・リーバーマン、ジョエル・B・マイケルズ、アンドリュー・G・ヴァイナ、コリン・ウィルソン 脚本:ジョン・ブランカトー、マイケル・フェリス 撮影:ドン・バージェス 音楽:マルコ・ベルトラミ

殺されてもいい魅力の女性型アンドロイド
​ 原題"Terminator 3: Rise of the Machines"で、副題はマシンの蜂起の意。
 1984年の第1作、1991年の第2作から12年を経て帰ってきた第3作は、前作同様練られたシナリオで、「最後の審判の日」を回避したジョンと未来にその妻となるケイトを抹殺すべくT-Xが送り込まれる。
 これを阻止すべく追ってくるのがシュワちゃんのT-800の改良型T-850で、二人を守り抜くもののマシンの蜂起する「最後の審判の日」を迎えてしまう。
 本作の見どころは女性型アンドロイドのT-X(クリスタナ・ローケン)と大型クレーン車によるド迫力のカーチェイス。
 クリスタナ・ローケンの冷たい美貌の殺戮兵器ぶりが、殺されてもいいと思える魅力でいい。
 スカイネットそのものは、中核コンピュータではなく分散型のインターネットだったという説明がなされるが、核のボタンや軍事システム・インフラなど、ネットワークを掌握すれば世界を暗黒に陥れることができる現在の脅威を先取りしている。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ、ニュージーランド
日本公開:2004年2月14日
監督:ピーター・ジャクソン 製作:ピーター・ジャクソン、バリー・M・オズボーン、フラン・ウォルシュ 脚本:ピーター・ジャクソン、フラン・ウォルシュ、フィリッパ・ボウエン 撮影:アンドリュー・レスニー 美術:グラント・メイジャー 音楽:ハワード・ショア
キネマ旬報:5位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞

前二作に比べて戦闘シーンにも工夫があって楽しめる
 原題"The Lord of the Rings: The Return of the King"で、指輪たちの所有者:王の帰還の意。J・R・R・トールキンの同名ファンタジー小説が原作。
 『指輪物語』3部作の第3作で、『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』(2002)の続編。
 ゴンドールの守備隊に解放されたフロド(イライジャ・ウッド)とサムは、ゴラムのスメアゴルを道案内に再びモルドールを目指し、ガンダルフ(イアン・マッケラン)とアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)ら6人は、冥王サウロン軍の侵略を食い止めるべくゴンドールに集結してこれを迎え撃つというのが最終章の流れ。
 フロドの心の中にサムへの不信が芽生え、ゴラムも内在する善心と悪心の二重人格に揺れ動く。一方、ゴンドールの執政デネソール(ジョン・ノーブル)には奢りと傲慢が宿り、結果自滅してしまうのだが、ガンダルフが手を差し伸べないというのが意外と冷たい。
 それぞれの内面との戦い、葛藤が最終章をドラマ的に支えるが、サウロン軍との戦いで6人がスーパーマンの如くやたらと強いのが若干違和感。
 ところどころツッコミどころはあるが全体は指輪の消滅というラストに向けての息詰まる戦いで、3時間余りの長尺ながら退屈しない。前二作に比べて戦闘シーンにも工夫があり、CGモブシーンの多用ながら、映像的にも楽しめる。
 一番のツッコミどころは、フロドよりもサムの方がしっかりしていて、滅びの山への指輪の返還はサムが担った方がいいのではないかと思わせてしまうことか。
 ラストはエルフ、ガンダルフ、フロドが黄泉の国への船に乗るシーンで、黄泉の国と人間界、妖精界の現世が一体となった世界が、互いを分かつ世界になるというオチ。序章で奈落に落ちたガンダルフ、剣で刺されたフロドも共に死んでいて、以後は使命のために死者として戦っていたということになる。
 サムがホビット庄で幸せに暮らすシーンで終わるが、アルウェン(リヴ・タイラー)をおそらく王妃に迎えたアラゴルンや、ドワーフのギムリ(ジョン・リス=デイヴィス)のその後の姿も見てみたかった。 (評価:2.5)

ドリーマーズ

製作国:イギリス・フランス・イタリア
日本公開:2004年7月31日
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 製作:ジェレミー・トーマス 脚本:ギルバート・アデア 撮影:ファビオ・チャンチェッティ

エヴァ・グリーンのヌードだけで映画の愛が伝わらない
 原題は"The Dreamers"でまさに夢想家たちの話。ベルトリッチ作品と期待して観ると、おそらくがっかりする。
 舞台は1968年、フランス5月革命に揺れるパリ。1966年の文化大革命の影響を受け、反体制学生運動・ベトナム反戦から労働者のゼネストへと拡大する。この5月革命の影響は日本を含む世界へと飛び火した。テオの部屋には毛沢東万歳のポスターや彫像があって、毛沢東主義者であることがわかる。テオ、イザベルと親との関係からは、知識人である親が新世代の価値観を容認する当時の状況も描かれる。その象徴となったのがフリーセックスであり、テオ、イザベルの近親姦、共棲して二人の価値観に取り込まれていくマシューによって、その時代の先鋭的な青春を丁寧にたどる。しかし、それがタイトル通りの夢想家の内向であって革命ではないというテオとマシューの議論を経て、テオ、イザベルはマシューを振り切って火炎瓶を投げる道を選ぶ。
 映画評論的に解説すれば、以上のような作品。また3人がシネマテーク・フランセーズのデモで出会う映画オタクということから、戦前の映画シーンが登場し、行動を伴わずプロパガンダでしかない映画文化と革命の関係性についての批判的な見方も披露される。しかし、5月革命の意味、価値観の転換、映画文化の批評のどれをとっても生煮えで、若かりし頃の映画青年の青春を回顧しているだけの印象しか残らず、『ニュー・シネマ・パラダイス』のような映画への愛も伝わらない。
 見どころはエヴァ・グリーンのぼかし付きのヌードとR-18の性描写だが、それに関心のない向きには「だからどうした」という作品。 (評価:2.5)

ロスト・イン・トランスレーション

製作国:アメリカ
日本公開:2004年4月17日
監督:ソフィア・コッポラ 製作:ソフィア・コッポラ、ロス・カッツ 脚本:ソフィア・コッポラ 撮影:ランス・アコード 音楽:ブライアン・レイツェル、ケヴィン・シールズ

オリエンタリズムの中だけの"Lost in Translation"
 原題"Lost in Translation"で、翻訳・変換・移転による喪失の意。
 劇中では、アメリカから日本にやってきた二人の男女(ビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン)が知り合い、それぞれのパートナーとの関係性の喪失に煩悶しながら、互いの欠落を埋めていく。一方で、二人がコミュニケートしようとする日本人たちとは埋めようのない隔絶もあって、人間同士の理解の難しさを描く。
 旅先で既婚の男女が知り合い別れる物語としては『旅情』(1955)、『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』(1959)があるが、本作の二人の関係は恋愛というよりは友情に近く、テーマも明確ではなく、ドラマとしては茫洋としたものになっている。
 ソフィア・コッポラのイメージするトウキョーというのもネオンや雑踏、カラオケ、寿司、しゃぶしゃぶといったオリエンタル世界で、二人の行動もほとんどホテル内で完結していて、それをもってLost in Translationというのも強引すぎて何だか白ける。
 部屋にホテトル嬢が来て、太股のストッキングを指して"Lip my stockings"(ストッキングに唇をつけて)と言うのが、男には"Rip my stockings"(ストッキングを裂いて)に聞こえてしまうとか、洒脱な台詞も多くてコミカル。しゃぶしゃぶを出されて、"What kind of restaurant makes you cook your own food?"(客に料理させるレストランがどこにある?)というのも笑える。
 アカデミー脚本賞受賞のビル・マーレイのコミカルな演技・台詞とスカーレット・ヨハンソンの可愛らしさが見どころ。 (評価:2.5)

ミッシング

製作国:アメリカ
日本公開:2004年5月8日
監督:ロン・ハワード 製作:ブライアン・グレイザー、ダニエル・オストロフ、ロン・ハワード 脚本:ケン・カウフマン 撮影:サルヴァトーレ・トチノ 音楽:ジェームズ・ホーナー

センチメントでお茶を濁す結末がいささか類型的
 原題"The Missing"で、行方不明者の意。トーマス・イードソンの小説”The Last Ride”が原作。
 19世紀後半のニューメキシコ州が舞台。マギー(ケイト・ブランシェット)は娘のリリー(エヴァン・レイチェル・ウッド)、ドット(ジェナ・ボイド)、牧童のブレイク(アーロン・エッカート)と牧場で暮らしているが、町に出かけたブレイクと娘二人が襲われ、ブレイクは死亡、リリーは人身売買のために誘拐されてしまう。
 マギーは20年前に家族を捨て、なぜか突然現れた父サミュエル(トミー・リー・ジョーンズ)と共に、ドットを連れてリリー奪還のため人身売買グループを追跡するという物語。
 人身売買グループは騎兵隊に雇われていたインディアンたちで、女たちをメキシコに運んで売り捌こうとしている。その中に呪術師がいて、リリーに呪いを掛けるのがスーパーナチュラルな見どころ。
 マギーたちは見事リリーら人身売買の女たちを奪い返すものの、追ってきた一味と戦いになり、マギーの絶体絶命のピンチをサミュエルが命と交換に救う…が、この展開は途中で読めてしまうのが惜しいところ。
 サミュエルが家族を捨てたのはインディアンになるためで、「ついていない男」のインディアン名をもらうが、家族とともに暮らすのが一番の幸せとインディアンに教えられ、そのためにマギーの下に帰って来る。
 ならば何故20年間帰って来なかったのかとか、何故インディアンになりたかったのかとか、肝腎なところで説明不足があって、少々ご都合主義。
 最後は家族のために命を投げ出して漸く家族に復帰し、インディアンの教え通りに死して家族と一緒に暮らすことができましたという、センチメントでお茶を濁す結末がいささか通俗的だが、ケイト・ブランシェットとトミー・リー・ジョーンズ、子役のジェナ・ボイドの演技に救われて、単純なストーリーの割には楽しめる作品になっている。 (評価:2.5)

マトリックス・リローデッド

製作国:アメリカ
日本公開:2003年6月7日
監督:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー 製作:ジョエル・シルヴァー 脚本:アンディ・ウォシャウスキー、ラリー・ウォシャウスキー 撮影:ビル・ポープ 音楽:ドン・デイヴィス 美術:オーウェン・パターソン

プラグインが多すぎて再読み込みはうんざりする
 ​4​年​後​に​製​作​さ​れ​た​続​編​。​原​題​は​"​T​h​e​ ​M​a​t​r​i​x​ ​R​e​l​o​a​d​e​d​"​で​、​R​e​l​o​a​d​e​d​は​コ​ン​ピ​ュ​ー​タ​用​語​で​は​再​読​み​込​み​の​意​。​次​作​『​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​・​レ​ボ​リ​ュ​ー​シ​ョ​ン​ズ​』​と​の​前​後​編​。
​ ​前​作​の​ヒ​ッ​ト​を​受​け​て​の​製​作​だ​が​、​ト​リ​ニ​テ​ィ​ー​の​キ​ャ​リ​ー​=​ア​ン​・​モ​ス​3​6​歳​が​急​速​に​お​ば​さ​ん​に​な​っ​た​。​ネ​オ​の​キ​ア​ヌ​・​リ​ー​ブ​ス​3​9​歳​が​そ​れ​ほ​ど​老​け​こ​ん​で​い​な​い​の​は​ア​ジ​ア​の​血​が​入​っ​て​い​る​か​ら​か​。
​ ​世​界​観​は​急​拡​大​し​て​、​ザ​イ​オ​ン​の​レ​ジ​ス​タ​ン​ス​は​国​家​レ​ベ​ル​。​コ​ン​ピ​ュ​ー​タ​の​全​面​攻​撃​を​回​避​す​べ​く​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​に​侵​入​し​た​ネ​オ​は​、​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​内​の​反​勢​力​に​よ​っ​て​ソ​ー​ス​に​導​か​れ​、​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​創​設​者​の​A​I​ア​ー​キ​テ​ク​ト​に​会​う​。​そ​こ​で​知​っ​た​の​は​、​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​が​コ​ン​ピ​ュ​ー​タ​ー​に​よ​っ​て​定​期​的​に​シ​ス​テ​ム​を​リ​ロ​ー​ド​さ​れ​て​い​る​人​間​の​精​神​世​界​で​あ​り​、​預​言​者​も​救​世​主​も​シ​ス​テ​ム​の​安​定​の​た​め​に​プ​ロ​グ​ラ​ム​さ​れ​た​も​の​で​あ​る​こ​と​を​知​る​。
​ ​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​と​対​比​し​て​ネ​オ​た​ち​の​人​間​性​を​強​調​す​る​た​め​か​、​や​た​ら​と​ラ​ブ​・​シ​ー​ン​が​多​く​、​S​F​映​画​と​し​て​は​い​さ​さ​か​興​趣​を​損​な​う​。​し​か​も​、​ア​ン​・​モ​ス​の​ラ​ブ​シ​ー​ン​は​魅​力​に​欠​け​る​。​マ​ト​リ​ッ​ク​ス​内​で​ト​リ​ニ​テ​ィ​ー​に​見​せ​つ​け​る​パ​ー​セ​フ​ォ​ニ​ー​(​モ​ニ​カ​・​ベ​ル​ッ​チ​)​の​キ​ス​シ​ー​ン​の​方​が​よ​ほ​ど​セ​ク​シ​ー​。
​ ​し​か​し​、​そ​れ​を​見​る​映​画​で​は​な​く​、​前​回​と​は​逆​の​ネ​オ​が​お​姫​様​を​目​覚​め​さ​せ​る​キ​ス​も​あ​っ​て​、​い​よ​い​よ​決​戦​と​い​う​と​こ​ろ​で​、​T​o​ ​b​e​ ​c​o​n​t​i​n​u​e​d​。
​ ​前​回​破​壊​さ​れ​た​エ​ー​ジ​ェ​ン​ト​・​ス​ミ​ス​は​、​漂​流​プ​ロ​グ​ラ​ム​・​エ​グ​ザ​イ​ル​と​な​っ​て​、​ネ​オ​た​ち​を​浸​け​狙​う​が​、​ス​ミ​ス​の​コ​ピ​ー​が​大​量​に​登​場​す​る​さ​ま​は​コ​メ​デ​ィ​。​ワ​イ​ヤ​ー​ア​ク​シ​ョ​ン​や​V​F​X​も​パ​ワ​ー​ア​ッ​プ​と​い​う​よ​り​は​使​い​過​ぎ​で​、​う​ん​ざ​り​す​る​。 (評価:2)

製作国:韓​国 日本公開:2004年11月6日
監督:パク・チャヌク
脚本:パク・チャヌク、ファン・ジョユン、イム・ジョンヒョン 撮影:チョン・ジョンフン
キネマ旬報:6位

バイオレンス映画も後半は『冬ソナ』的情念に回帰
​ ​原​題​"​O​l​d​ ​B​o​y​"​。​土​屋​ガ​ロ​ン​・​作​、​嶺​岸​信​明​・​画​の​漫​画​『​ル​ー​ズ​戦​記​ ​オ​ー​ル​ド​ボ​ー​イ​』​が​原​作​。
​ ​や​ん​ち​ゃ​な​中​年​男​が​知​ら​な​い​男​の​恨​み​を​買​っ​て​1​5​年​間​監​禁​さ​れ​、​解​放​さ​れ​て​監​禁​の​理​由​解​明​と​復​讐​を​果​た​す​物​語​。​監​禁​も​ま​た​知​ら​な​い​男​の​復​讐​だ​っ​た​と​い​う​二​重​構​造​で​、​こ​れ​に​近​親​相​姦​が​や​は​り​二​重​に​絡​む​。
​ ​映​画​そ​の​も​の​は​北​野​武​ば​り​の​バ​イ​オ​レ​ン​ス​と​分​裂​気​質​的​前​衛​ぶ​り​で​、​1​9​7​0​年​代​の​芸​術​的​邦​画​を​思​い​出​さ​せ​る​と​こ​ろ​も​オ​ー​ル​ド​で​、​始​ま​っ​て​3​0​分​で​後​悔​す​る​。​も​っ​と​も​、​そ​こ​は​情​念​が​優​先​す​る​韓​国​映​画​で​、​後​半​、​近​親​相​姦​絡​み​の​話​に​な​っ​た​途​端​に​前​半​の​前​衛​ぶ​り​は​失​せ​て​、​『​冬​ソ​ナ​』​的​し​っ​と​り​感​が​映​画​を​支​配​し​、​監​禁​の​理​由​説​明​と​と​も​に​妙​に​説​明​的​に​な​る​。​そ​う​い​っ​た​点​で​は​、​韓​流​フ​ァ​ン​な​ら​前​半​さ​え​我​慢​す​れ​ば​後​半​は​非​常​に​安​心​で​き​る​展​開​で​、​た​だ​残​酷​シ​ー​ン​が​多​い​の​で​、​苦​手​な​人​は​注​意​し​た​方​が​よ​い​。
​ ​主​人​公​役​を​チ​ェ​・​ミ​ン​シ​ク​が​熱​演​す​る​が​、​監​禁​中​に​体​を​鍛​え​て​い​た​割​に​は​体​に​贅​肉​が​つ​い​て​い​て​、​ち​ょ​っ​と​興​ざ​め​。 (評価:2)

ハルク

製作国:アメリカ
日本公開:2003年8月2日
監督:アン・リー 製作:アヴィ・アラッド、ラリー・J・フランコ、ゲイル・アン・ハード、ジェームズ・シェイマス 脚本:ジェームズ・シェイマス、マイケル・フランス、ジョン・ターマン 撮影:フレッド・エルムズ 音楽:ダニー・エルフマン

33歳のジェニファー・コネリーが変わらず可愛い
 原作はマーベル・コミックのヒーロー"Hulk"。hulkには「ばかでかい人や物」という意味がある。
 遺伝子変異によって緑色の肌を持つ巨人に変身してしまう男ブルースの話で、普段は人間だが怒るとハルクになる。狼男を連想させる設定で、ハルクになるとただの野獣となってしまう。
 怪力で建物を破壊したり、ミサイル攻撃されてもへいっちゃら。大気圏上空、おそらくは2万メートルから海に落下しても死なないという強靭な体、皮膚も分厚く電動ドリルも通さない。ガンマ線を浴びて体質変化したことから、放射能も関係ない。ホップ・ステップ・ジャンプはキロメートル単位で、アメコミのヒーローはとにかく無敵。
 そんな怪物となってしまったブルースの誕生の秘密、ブルースをそんな体にしてしまった父親との確執、そんなブルースを愛する女科学者と、ブルースを退治しようとする司令官の父親との争いが描かれる。
 アメコミなのでどこまでエンタテイメントとして楽しめるかが味噌。初見は飛行機のシアターだったので、画面が小さい上に頭もぼうっとしていた。10年ぶりにビデオで見直すと、やはりCGは古臭い。それでもハルクの描写は呆然とするくらいにぶっ飛んでいて、アメリカ人になりきるか、童心に帰ればそれなりに楽しめる。
 ジェニファー・コネリーが33歳になっても可愛いくて、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『フェノミナ』『ラビリンス』の頃を懐かしみながら見られたので、評価は甘め。 (評価:2)

TAXi3

製作国:フランス
日本公開:2003年5月17日
監督:ジェラール・クラヴジック 製作:リュック・ベッソン 脚本:リュック・ベッソン 撮影:ジェラール・ステラン

『007』のパロディだが『007』の完成度はない
 原題同じ。マルセイユが舞台のカーアクション映画の第3作。
 オープニング・タイトルは『007』のパロディとなっていて、スキー場での強盗団とのチェイスなど、『007』を意識した設定やシーンが随所に表れている。惜しむらくは、脚本も演出も『007』ほどの完成度がないことで、ギャグはベタすぎて失笑も漏れない。
 アバン・タイトルでシルヴェスター・スタローンがゲスト出演していて、追跡するローラースケートの集団を振り切り、ダニエル(サミー・ナセリ)のタクシーに乗り込んで空港まで逃げるシーンがあるが、その後のストーリーとは何に脈絡もなく、刹那的な本作の特徴がよく表れている。
 エミリアン(フレデリック・ディーファンタル)が追いかける今回の事件は、サンタクロースの恰好をした強盗団で、銀行強盗を働いた後、スイスに逃げ、それをダニエルのタクシーで追跡するという展開。プジョーがキャタピラーを装備していて、ゲレンデや雪上を走るというのが見せ場となっているが、強盗団そのものは呆気なく捕まってしまって、結構気抜けする。
 一番の見せ場は、アバンのローラースケートや自転車の走行にあって、カーアクションの方はネタ切れ。
 サイドストーリーとして、エミリアンの妻となっているペトラ(エマ・シェーベルイ)の妊娠・出産、ダニエルの恋人リリー(マリオン・コティヤール)の妊娠とプロポーズがあって、どちらかというとこちらのドラマが主になっている。
 新聞記者に扮した強盗団の女首領(バイ・リン)に、色仕掛けでまんまと騙される署長(ベルナール・ファルシー)の間抜けぶりがフレンチ・コメディらしさを演出している。 (評価:2)

製作国:韓国
日本公開:2010年2月27日
監督:キム・ジウン 製作:オ・ギミン、オ・ジョンワン 脚本:キム・ジウン 撮影:イ・モゲ 美術:チョン・グンヒョン 音楽:イ・ビョンウ

見どころは姉妹が可愛く継母も美人ということに尽きる
 原題"장화、홍련"で、薔花、紅蓮の意。薔花、紅蓮は原案の『薔花紅蓮伝』に登場する姉妹の名前。
 原案となった『薔花紅蓮伝』は、伝承を基にした継子いじめの古典的怪談だが、ストーリーは大きく異なる…というよりも精神病院に入院している姉(イム・スジョン)が、自分の家族に起きたことを医師に語る話なので、錯乱していてよくわからない。
 大まかには、姉は父(キム・ガプス)、継母(ヨム・ジョンア)とソウル郊外の屋敷に3人で暮らしていて、実母と妹(ムン・グニョン)は死んでいる…が、それも姉の幻想なのかもしれない。
 姉が狂った原因は妹の死にあって、その顛末を語るが、幻想と夢、現実に起きたことが入り乱れ、さらには時制もこんがらがっているので、因果関係がよくわからないという、狂人の話になっている。
 この内、最大にわからないのが母の死で、母が自殺した時点で既に継母が家に住んでいる。さらには、話の中に妹と継母が見たという怪物が出てくるが、これが亡母の幽霊なのか家に棲みつく妖怪なのか最後まで正体の説明がない。
 そうした曖昧さもすべて狂人だからという言い訳か、伏線散らかしっぱなしで回収せず、辻褄が合わない。
 とにかく怖ければ何でも良いというホラーで、それなりにドキッとするが、途中からあまりの話の混乱ぶりについていけず、謎が怖さに勝ってしまう。
 見どころは姉妹が可愛く、継母も美人ということに尽きる。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:2004年4月24日
監督:ロブ・ミンコフ 製作:アンドリュー・ガン、ドン・ハーン 脚本:デヴィッド・バレンバウム 撮影:レミ・アデファラシン 美術:ジョン・マイヤー 音楽:マーク・マンシーナ

アトラクションを超えられないアトラクションの映像カタログ
 原題"The Haunted Mansion"で、幽霊屋敷の意。ディズニーランドの同名アトラクションをフューチャーするための映画化。
 エディ・マーフィ主演のホラー・コメディだが、『アダムス・ファミリー』ほどのキャラクター性もインパクトもなく、企画上、アトラクションを主人公にしなければならないのに、ディズニーの王子とお姫様の悲恋物語の頸木から逃れられず、一方でアトラクションを訪れるファミリーを主人公にしなければならないという制約の中で、総花的な中心の見えない作品に終わっている。
 不動産屋の一家が家主に呼ばれて城のような屋敷を訪れるが、実は幽霊屋敷で、不動産屋(エディ・マーフィ)の妻(マーシャ・トマソン)が、自殺した当主の婚約者に生き写しで、思いを遂げて成仏するために・・・という、どこかにあったような設定。
 屋敷内はアトラクションの仕掛けを連想させる要素を散りばめているが、アトラクションを越えるホラー感や物語性がないために、単なるカタログに終始する。馬車に乗って墓場に移動する場面は、アトラクションの乗り物の臨場感を与えるが、アトラクション同様、眺めて終わるだけで、それ以上のものがない。
 執事役のテレンス・スタンプが上手いために、それなりに鳥肌が立つシーンもあるが、基本はアトラクションの映像ガイド。ドラマ的には総じてエディ・マーフィのコメディに負っている。
 お姫様役のマーシャ・トマソンは美人だが、ラストで抵抗せずに幽霊との結婚の誓いをしてしまうという、シナリオの問題か演技力の問題か、どうにもわけのわからないシーンがあって、シメが締まらない。 (評価:2)

ブラザー・ベア

製作国:アメリカ
日本公開:2004年3月13日
監督:アーロン・ブレイズ、ロバート・ウォーカー 製作:チャック・ウィリアムズ 脚本:スティーヴ・ベンチック、ロン・J・フリードマン、タブ・マーフィ、ローン・キャメロン、デヴィッド・ホーゼルトン 音楽:フィル・コリンズ、マーク・マンシーナ

トーテミズムを描くがマンモスがいる必然性がない
 原題"Brother Bear"で、熊の弟の意。人間の3兄弟が登場するが、熊がトーテムの末弟のこと。
 マンモスがいた時代というから遅くとも1万年前で、北アメリカは旧石器時代。それからすると、洞窟に暮らしながらも鉄の槍で狩猟をし、毛皮の服を着て、動物のトーテムのネックレスをしている古代先住民族というのは、相当に違和感がある。アメリカ大陸には金属器時代はなく、先住民が話す言葉や内容も文明的で、かといってマンモスがいる必然性もなく、太古に拘った理由がわからない。
 エスキモーの3兄弟の物語で、末弟が熊にちょっかいを出して襲われ、それを助けようとした長兄が死んでしまう。長兄の恨みを晴らすべく末弟が熊を追い回して見事倒すが、そのまま長兄の霊魂によって死んだ熊に魂を移される。
 姿を消した末弟が熊に殺されたと誤解した次兄が、今度は末弟が憑依した熊を追い回すが、末弟は天上に通じる山頂に至れば人間の姿に戻れると聞いて、出会った子熊に案内させる。そこは子熊の故郷で、末弟は自分が殺した熊が子熊の母熊であったことを知り、子熊に真実を話す。
 次兄に追い詰められた末弟は子熊を助けようとして人間の姿に戻る。しかし子熊と言葉が通じなくなった末弟は、トーテムに従い、長兄の霊魂に熊の姿に戻してもらい、子熊たち熊と共に暮らすというラスト。
 太古、人も熊も動物たちも霊魂も自然も、すべては一体だったというアメリカ先住民のトーテミズムを描いた作品で、自然崇拝、自然回帰をテーマとするが、制作者の歴史考証軽視の姿勢同様、テーマの表面を撫でただけの底の浅いものになっていて、説得力を欠いている。 (評価:2)

ファインディング・ニモ

製作国:アメリカ
日本公開:2003年12月6日
監督:アンドリュー・スタントン 製作:グレアム・ウォルターズ 脚本:アンドリュー・スタントン、ボブ・ピーターソン、デヴィッド・レイノルズ 音楽:トーマス・ニューマン

アニメ水槽を眺める環境ビデオにした方が良かった
 原題"Finding Nemo"で、ニモを探しての意。
 公開時、予告編を見てタイトルをファイティング・ニモと勘違いしていて、海の中で魚のニモが戦う物語だとばかり思っていた。fightingではなくfindingだと知って拍子抜けしたが、見ると内容も拍子抜け。見所は、サンゴ礁の海の中を3Dアニメーションで鮮やかに描いたということと、アニメーションとしての映像技術のデモである海の表現しかない。
 それが制作者の目的だったのなら、何もつまらないシナリオなど付けないで、アニメ水槽を眺める環境ビデオにした方が良かったのではないか? 
 ニモはオーストラリアのグレートバリアリーフに住むクマノミ。ダイバーに捕まりシドニーの歯医者の水槽に収まるが、水槽の仲間の魚たちの協力で海に戻ろうとする話と、お父さんのマーリンがニモを追いかけてシドニーまでやって来るという話が交互に描かれる。
 もちろん無事シドニーの海で再会し、グレートバリアリーフに帰るというハッピーエンドだが、あらすじは150字で足りる。
 「逃げる」と「探す」というだけのつまらないシナリオだが、輪をかけて退屈にさせるのが、マーリンが途中で出会ったナンヨウハギのドリーとの道中で、早送りしたくなるくらいに弛緩した会話とエピソードが続く。
 ピクサー・アニメーション・スタジオ製作。 (評価:1.5)