海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1954年

製作国:フランス
日本公開:1955年8月14日
監督:ジャン・ルノワール 脚本:ジャン・ルノワール 撮影:ミシェル・ケルベ、クロード・ルノワール 音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス
キネマ旬報:7位

踊り子のエネルギーとルノワールのパリ愛が詰まった作品
 原題"French Cancan"。フレンチ・カンカンは19世紀にパリで流行したショーダンスで、モンマルトルを舞台にムーラン・ルージュの誕生と絡めて描く、ミュージカル・コメディ。
 1888年、パリで上流階級向けの寄席を経営していたダングラアル(ジャン・ギャバン)は、モンマルトルのキャバレーで踊るニニ(フランソワーズ・アルヌール)を発掘、現在の寄席を売ってモンマルトルにフレンチ・カンカンのショーを見せる庶民向けキャバレー、ムーラン・ルージュを開店することにする。
 しかし寄席のスターでダングラアルの恋人でもあったロオラ(マリア・フェリクス)は、ニニに嫉妬し、ムーラン・ルージュの建設を妨害。ニニに惚れていた某国王子の出資で開店に漕ぎ着けるが、ロオラがニニとダングラアルの関係をばらしたため王子は自殺未遂。男前の王子はムーラン・ルージュの権利書をニニに渡して去っていく。
 しかしこの頃、ダングラアルは歌姫ユージン(エディット・ピアフ)に心変わり。出演拒否するニニに、才能にしか恋しないとダングラアルは言い放ち、開眼したニニはフレンチ・カンカンを恋人にすることを決意して幕となる。
 第二次世界大戦で亡命したルノワールが15年ぶりにフランスで撮影した作品で、これぞパリ、これぞパリっ子といった思いが横溢する。終盤はムーラン・ルージュのオープニングを彩る歌や踊り、芸が披露され、飛行機に乗ってムーラン・ルージュに行きたくなるほどに楽しい。
 恋と遊びに人生を謳歌するパリの人々と、ラインダンスで太股を振り上げてスカートの中を披露する踊り子たちのエネルギー。それらを象徴するムーラン・ルージュの精神を謳いあげた、ルノワールのパリ愛が詰まった作品となっている。 (評価:3)

夏の嵐

製作国:イタリア
日本公開:1955年10月25日
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ、ルキノ・ヴィスコンティ 撮影:G・R・アルド、ロバート・クラスカー

貴族の時代の終わりを色濃く反映した作品
 原題"Senso"で、感覚の意。カミロ・ボイトの同名小説が原作。
 ヴィスコンティ初のカラーで、伯爵夫人を主人公に描くヴィスコンティらしい貴族の哀愁を漂わせる作品。
 時は1866年5月、オーストリア占領下のヴェネツィアで、伯爵夫人(アリダ・ヴァリ)がオーストリアの青年将校(ファーリー・グレンジャー)に一目惚れ。逢い引きを重ねた挙句、普墺戦争が始まりアルデーノに逃れるが、青年将校がやってきて除隊工作に金を渡し、二人での同棲を夢見る。
 この金というのが伯爵夫人の従兄でイタリア独立軍を組織する侯爵(マッシモ・ジロッティ)から預かった軍資金。つまりは、イタリア人の敵であるオーストリア人将校との色恋沙汰のために大切な金を使ってしまう祖国の裏切り者。
 ところがヴェローナに会いに行くと青年は娼婦を囲っていて、騙されたことを知った伯爵夫人は不正除隊を密告して銃殺させるという愚かな貴族女の復讐劇となっている。
 要はオーストリアのスケコマシに騙される初心なイタリア伯爵夫人の話で、どうでもいい内容なのだが、冒頭の華やかなオペラシーンに始まり、時代に翻弄される貴族たち、ハプスブルグ帝国の終焉を予感するオーストリア青年将校の堕落と、貴族の時代の終わりを色濃く反映した作品となっている。
 オペラ劇場を始め、伯爵夫人の邸宅など、ヴィスコンティの描く美術の豪華さは、やがて凋落する貴族の残像のように見事に描き出されている。 (評価:2.5)

製作国:イタリア
日本公開:1957年5月25日
監督: フェデリコ・フェリーニ 製作:カルロ・ポンティ、ディノ・デ・ラウレンティス 脚本:フェデリコ・フェリーニ、エンニオ・フライアーノ、トゥリオ・ピネッリ 撮影:オテッロ・マルテッリ 音楽:ニーノ・ロータ
キネマ旬報:1位
アカデミー外国語映画賞

半世紀後の自信を喪失した現代人を慰撫するメルヘン
 フェリーニの代表作で名作とされる。古い作品のため、今からみると若干説明が足りないところがあり、観る際には時代背景を頭に入れておく必要がある。ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナはフェリーニの妻で公開時33歳だが、小柄で幼く見えるので、白痴の女という設定がわかりにくい。
「小石だって何かの役に立っている」というテーマが純真無垢なジェルソミーナを通して語られ、自信を喪失した現代人にはある種、清々しい感動を与えてくれる。しかし、映画で描かれるような貧しい時代は、逆説的にいえば邪も悪も含めて人間性に回帰することのできた幸せな時代であったともいえ、半世紀以上経った今日、疲れた精神を慰撫するだけの感傷的なメルヘンに思えてしまうことが悲しい。いやメルヘンだからこそ名作なのか。
 粗野で貧しい旅芸人を演じるアンソニー・クインがいい。原題は"La Strada"で邦題の意。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1955年5月15日
監督:ジョージ・キューカー 製作:シドニー・ラフト 脚本:モス・ハート 撮影:サム・リーヴィット 音楽:レイ・ハインドーフ
キネマ旬報:3位

男女同権論者には異論のあるファンタジーな自己犠牲的愛
 原題"A Star Is Born"で邦題の意。1937年のオリジナル版の再映画化で、大筋でストーリーを継承し、主役にジュディ・ガーランドを起用し、ミュージカル仕立てにアレンジしている。
 ドサ廻りの楽団付き歌手のエスターはスター俳優のノーマン・メインに才能を見出され、彼の口利きでデビューする。二人は愛し合うようになり結婚するが、アル中のノーマンは人気に陰りが出て解雇されてしまう。泥酔して豚箱に入れられたノーマンのためにエスターはスター女優の地位を捨てて、二人で渡英して再出発をしようとするが、その話を聞いてしまったノーマンは海に入り溺死してしまう。
 エスターはスターにしてくれたノーマンのため、ノーマンはスターにしてあげたエスターのために、それぞれが自己犠牲になるという美しい物語で、チャリティーショーで挨拶をするエスターが、芸名のヴィッキー・レスターではなく、ノーマン・メイン夫人と名乗るラストが感動的。
 もっとも男女同権論者からすれば異論のあるところで、ノーマンが入水するシーンも映像的には美しいが宗教的・倫理的には美化できない。1世紀近く前に創られた感動的ストーリーのため問題はあるものの、今日の殺伐とした男女関係からはファンタジーともいえる自己犠牲愛の物語で、若干保守的な心に浸みる作品となっている。
 劇中劇のミュージカルシーンを含めて映像的にはよく出来ていて、ジュディ・ガーランドの歌声を堪能できるが、『オズの魔法使』(1939)のドロシーから15年を経て、容貌も歌声もだいぶ妖艶となっている。
 ノーマン役のジェームズ・メイソンのダメ男ぶりも良く、出会いと別れで"One more look at you."(もう一度顔を見せてくれ)が泣かせる名シーン。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1954年7月12日
監督:ジャック・アーノルド 製作:ウィリアム・アランド 脚本:ハリー・エセックス、アーサー・A・ロス 撮影:ウィリアム・E・スナイダー 音楽:ロバート・エメット・ドーラン、ヘンリー・マンシーニ、ミルトン・ローゼン、ハンス・サルター、ハーマン・ステイン

半魚人の哀愁+グラマー美女の水中水着シーンは必見
 モンスター映画の老舗ユニバーサル映画製作の古典的名作? 原題はThe Creature from the Black Lagoon。現在の特撮技術から見れば、アマゾンのラグーンのセットも半魚人の着ぐるみもチープに見えるが、そのチープさが初期のモンスター映画の醍醐味でもあり、CGにはない温もりとモンスターへの愛を感じさせる。特殊撮影よりも精緻なCGに満足を感じる向きにはお薦めしない。
 この映画を初めて観たのはテレビだったが、当時は日本でもゴジラやガメラ、ウルトラQといった怪獣映画が全盛だった。しかし日本の特撮映画は子供向けと考えられていて、ハリウッドのような美女とラブストーリーが欠けていた。
 半魚人がグラマー美女に恋する哀愁が、単なる恐怖映画に終わらせていない。水着姿のジェリー・アダムズが泳ぐ水中撮影も、ホラーとエロティシズムの基本を忠実に踏まえてゾクゾクする。
 人跡未踏のアマゾンが健在で、半魚人の存在がリアルに感じられた時代だった。 (評価:2.5)

製作国:イギリス
日本公開:1954年11月13日
監督:レナート・カステラーニ 製作:サンドロ・ゲンツィ、ジョゼフ・ジャンニ 脚本:レナート・カステラーニ 撮影:ロバート・クラスカー 音楽:ロマン・ヴラド
キネマ旬報:3位
アカデミー外国語映画賞 ヴェネツィア映画祭金獅子賞

シェントール演じるジュリエットの幼さと軽率さがいい
 原題"Romeo and Juliet "イ​タ​リ​ア​・​ヴ​ェ​ロ​ー​ナ​を​舞​台​に​し​た​シ​ェ​イ​ク​ス​ピ​ア​の​同名戯​曲が原作で、監督レナート・カステラーニやスタッフ・俳優にイタリア人を起用した合作映画。3度目の映画化。
 演出や美術に若干の古さはあるが、シェイクスピア劇としてはその古典性と舞台美術っぽさが逆に見どころとなっている。
 ジュリエット役のスーザン・シェントールは公開時20歳だったが、演技上では14歳を迎える直前のジュリエットの幼さと軽率さが良く出ていて、他の映画化作品とは違ったリアリティを感じさせている。それに比べてロミオ役のローレンス・ハーヴェイ26歳が若干オッサンくさい。
 ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞していて、作品的には1968年版の『ロミオとジュリエット』と遜色ないが、ニノ・ロータの音楽がない分だけ損をしている。頭の中でニノ・ロータのメロディを流しながら見ると★3つ。
 スーザン・シェントールは秘書スクールに通っていたときにロンドンのパブで監督にスカウトされ、撮影後すぐに結婚。本作1作きりの映画出演となった。 (評価:2.5)

ホブスンの婿選び

製作国:イギリス
日本公開:1955年3月5日
監督:デヴィッド・リーン 脚本:デヴィッド・リーン、ノーマン・スペンサー、ウィンヤード・ブラウン 撮影:ジャック・ヒルデヤード 音楽:マルコム・アーノルド
ベルリン映画祭金熊賞

専制君主の父親へのオールドミスの逆襲が爽快
 原題"Hobson's Choice"で、えり好みのできない選択の意。ハロルド・ブリッグハウスの同名戯曲が原作。
 マンチェスターに近いイングランドの町が舞台で、靴店を営むホブスンの3人娘の結婚を巡る騒動を描くコメディ。
 妻を亡くしたやもめのホブスン(チャールズ・ロートン)は、3人の娘をモノとしか考えていない封建的な思想の持ち主で、店を長女のマギー(ブレンダ・デ・バンジー)に任せて昼間から飲んだくれているアル中男。家長がルールブックと言ってのけ、娘たちの結婚相手は自分が見つけると言っておきながら、パブ仲間に持参金が必要だと言われると急に消極的になる。長女にはオールドミスだから結婚相手が見つかるはずもないと自分の世話係にしてしまう。
 反発したマギーは、無学だが腕のいい靴職人のウィリー(ジョン・ミルズ)を結婚相手に決めて独立。資金調達から宣伝まで辣腕を振るって人気店にしてしまう。落ち目の父親の店に錦を飾り、これを吸収合併する、というのがストーリー。
 夫を尻に敷くだけでなく、専制君主の父親をも足許にひれ伏させるオールドミスの逆襲が爽快だが、合併条件が収益をフィフティ・フィフティで分けるという父親への温情があり、初心を忘れないために真鍮の結婚指輪もそのままにするという、ちょっといい話で締め括る。
 戯曲なので舞台劇らしく、3人の巧みな演技で楽しむ作品。 (評価:2.5)

麗しのサブリナ

製作国:アメリカ
日本公開:1954年9月28日
監督:ビリー・ワイルダー 製作:ビリー・ワイルダー 脚本:ビリー・ワイルダー、サミュエル・テイラー、アーネスト・レーマン 撮影:チャールズ・ラング・Jr 音楽:フレデリック・ホランダー

ヘップバーンが惚れる冴えないオッサンをボギーが好演
 原題"Sabrina"で、主人公の女性の名。サミュエル・テイラーの戯曲"Sabrina Fair"が原作。
 『ローマの休日』(1953)に続くオードリー・ヘプバーンのアイドル映画で、前作同様ヘプバーンの可愛さが全開する。アカデミー衣裳デザイン賞受賞で、ヘプバーンの履いたパンツがサブリナパンツと呼ばれて流行。
 サブリナはロングアイランドの豪邸に住むコンツェルン企業一家の運転手の娘という設定。小さい頃から次男坊(ウィリアム・ホールデン)に恋するものの身分違いの叶わぬ恋。ところが料理人になるためにパリ留学し、パリ・ファッションで帰国して浮気な次男坊の目を釘付けにし、婚約者から略奪するという根性を見せてくれるのが、なかなかいい。
 政略結婚を守るために長男がサブリナを籠絡し、パリに追放するという策略を巡らすが、ミイラ取りがミイラになってしまうというのが本作の見どころで、この壮年のオッサンをハンフリー・ボガートが演じてなかなかいい味を出している。
 ヘップバーン25歳、ボガート55歳で、仕事中毒の冴えないオッサンなのにヘップバーンが惚れてしまうのを無理なく見せているボガートの演技力はなかなかで、さすがボギー。
 全体はコメディタッチで、リアリティのないシンデレラ・ストーリーだが、その粗を忘れさせ、いつの間にかヘプバーンが男たちに崇拝されるお姫様に見えてしまうのも、やはりヘプバーンの魅力の故か。 (評価:2.5)

裏窓

製作国:アメリカ
日本公開:1955年1月14日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 製作:アルフレッド・ヒッチコック 脚本:ジョン・マイケル・ヘイズ 撮影:ロバート・バークス 音楽:フランツ・ワックスマン

グレース・ケリーの素人美女探偵の活躍を楽しむ
 原題は"Rear Window"で、ウィリアム・アイリッシュの短編小説"It Had to Be Murder"(殺人に違いない)が原作。
 足を怪我したカメラマン(ジェームズ・スチュアート)が中庭の窓から隣人たちの部屋を覗いていて殺人に気付くという物語。ガールフレンド(グレース・ケリー)、看護婦(セルマ・リッター)とともに俄か探偵団となって犯人を追いつめるが、動けない主人公の主観視点で描かれるため、カメラは部屋から動かないのが本作最大の特色。
 併せて、孤独な独身女、新婚、犬を飼う夫婦、ダンサー、作曲家といった隣人たちの生活を覗き見るという人間観察ドラマにもなっている。
 殺人事件そのものは、夫が病気の妻を殺してバラバラにするというもので、ドラマ性があるわけではないが、グレース・ケリーが『三毛猫ホームズ』の女子大生探偵のような素人美女探偵となって、お転婆に活躍するという、彼女をフューチャーすることが主眼の映画。グレース・ケリーが必要以上に衣装替えをして、あたかもファッションショーのようであることからもそれがわかる。
 設定のアイディアを除けば、取り立てるほどのものはないヒッチコックの凡作で、そもそもみんななぜ部屋が丸見えなほどに窓を開け放っているのかという突っ込みどころもあるが、要はグレース・ケリーを楽しむための映画で、実際彼女は溜め息が出るほどに美しい。 (評価:2.5)

現金に手を出すな

製作国:フランス、イタリア
日本公開:1955年3月6日
監督:ジャック・ベッケル 脚本:ジャック・ベッケル、モーリス・グリフ、アルベール・シモナン 撮影:ピエール・モンタゼル 音楽:ジャン・ウィエネル

パジャマ姿のギャバンの歯磨きシーンが可愛い
 原題”Touchez pas au Grisbi”で、カネに手を出すなの意。アルベール・シモナンの同名小説が原作。
 2人の初老のギャングの物語で、引退して老後資金にとオルリー空港で5000万フランの金塊を強奪。それを知って横取りしようとする若いギャングとの抗争となる。
 冒頭、カメラが遠景でモンマルトルの丘を東から舐めて、西のムーラン・ルージュまでパンしていく映像が、暗黒街の舞台への導入として上手い。
 初老のギャング、マックスとリトンを演じるのがジャン・ギャバンとルネ・ダリーで、若い頃からの相棒。リトンが好きな踊り子ジョジィ(ジャンヌ・モロー)に秘密を漏らしてしまったために、情夫のアンジェロ(リノ・ボリニ)に拉致され、マックスが仕方なく金塊との交換に応じるが、銃撃戦でリトンは死亡。金塊も失うという苦い結末となる。
 間抜けだが長年連れ添ってきた相棒との友情を捨てられないマックスを演じるギャバンの渋さと哀愁を見せる作品。皮膚は垂れ、腹も出て、老ギャングを演じるにはピッタリだが、動きの方も年齢なりにギクシャクしていて、逃亡シーンや銃撃戦が緩慢な動作で心許ない。
 ルネ・ダリーに至っては、銃撃戦の最中のマシンガンのマガジンの交換がトロくて、すぐに引退した方が良く思える。
 キャバレーのシーンでは、半裸に近い踊り子たちのレビューが楽しめるという寸法で、ギャバンのおっぱい揉み揉みのシーンもある。
 ジャンヌ・モローもピチピチの肉体を披露していて、年寄りとのバランスも取っている。
 パジャマ姿のギャバンの歯磨きシーンが可愛い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1954年6月24日
監督:エリア・カザン 製作:サム・スピーゲル 脚本:バッド・シュールバーグ 撮影:ボリス・カウフマン 音楽:レナード・バーンスタイン
キネマ旬報:4位
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞

元ボクサーの割にはパンチが今ひとつなのが残念
 原題"On the Waterfront"で「波止場にて」の意。ローカル報道部門でピュリッツァー賞を受賞したマルコム・ジョンソンのニューヨーク・サンの連載記事"Crime on the Waterfront"が原作。
 元ボクサーの港湾労働者(マーロン・ブランド)が主人公の物語。港湾荷役作業を牛耳るギャングのボスに命令され、友達を呼び出したところ、友達は殺されてしまう。その妹と神父に説得されて裁判の証人に立つものの、ギャングの報復を恐れる組合の仲間からつま弾きに合う。
 やがてボスの経理係をしている兄を殺されるに至って、主人公は公然とボスに反旗を翻し、労働者を仲間につけてギャングの手配師たちを追放するまでが描かれる。
 日本でも港湾荷役作業と手配師の暴力団の結びつきは古く、古今東西を問わないのが面白いが、ギャングを追放してめでたしめでたし、の定番社会派ドラマでしかないのが物足りない。
 若き日のマーロン・ブランドを眺めながら、顔の肉が弛んだドン・コルレオーネへの変貌を想像したり、上目遣いの顔が今ひとつハンサムではない不良顔が当時は魅力的だったのだろうかと考えたりしながら、ギャングではなくプロレタリアートのリーダーになってしまうマーロン・ブランドに違和感を覚えてしまうのだが、ありきたりなストーリーながら飽きずに見られる。
 エリア・カザンの監督賞、マーロン・ブランドの主演男優賞ほか、助演女優賞(エヴァ・マリー・セイント)、脚本賞、撮影賞、美術監督賞、編集賞と8部門を受賞している。
 元ボクサーの割にマーロン・ブランドのパンチが今ひとつで、終盤の見せ場なのに残念。 (評価:2.5)

製作国:フランス
日本公開:1954年10月28日
監督:ルネ・クレマン 脚本:ルネ・クレマン、ヒュー・ミルズ 撮影:オズワルド・モリス 音楽:ロマン・ヴラド
キネマ旬報:8位

女たらしのクズ男の女性遍歴を描くフランス小噺
 原題"Monsieur Ripois"で、リポア氏の意。ルイ・エモンの小説"Monsieur Ripois et la Némésis"が原作。
 女たらしのクズ男の女性遍歴を描く物語だが、名匠ルネ・クレマンがそんな愚にもつかない映画を撮るはずがない、という前提で評を書く。
 リポワ(ジェラール・フィリップ)はいい女を見たら口説けずにはおけないビョウーキ持ち。妻キャスリーン(ヴァレリー・ホブソン)曰く、女が落ちないと口説くのに飽きてしまい、落ちてもすぐに飽きてしまう。
 今も妻の友人パトリシア(ナターシャ・パリー)に夢中で、離婚調停中の妻の旅行中に騙して家に招き、同情を得るために過去の女性遍歴を語り、不幸な自分を救えるのはあなたしかいないと口説く、という構成。
 女性遍歴の最初はキャリアウーマンの女性上司(マーガレット・ジョンストン)、次は清楚な娘(ジョーン・グリーンウッド)。会社をクビになりホームレスとなって摑まえたのが娼婦(ジェルメーヌ・モンテロ)で、ヒモ生活に飽きて俄かフランス語教師となり、生徒になったのがキャスリーン。その結婚式で目を付けたのがパトリシアという塩梅。
 リポアの口説きにパトリシアが決然として部屋を出ると、リポアは狂言自殺で引き留めようとして失敗して大怪我。キャスリーンは離婚に絶望して自殺を図ったと勘違いし、パトリシアは自分のために自殺を図ったとこちらも勘違い。
 二人の女に愛されるという幸運を得たクズ男は車椅子で押されながら、通りすがりの女に目を奪われるというオチ。
 女たらしのフランス男とダメ男に弱い女たちを皮肉ったフランス小噺風の作品だが、舞台はロンドンで、真面目なイギリスの女たちはフランスの女たらしに弱いという、これまた両国の国民性を皮肉ったものか。
 冒頭、アメリカ人が出てきて英語で話すのだが、途中から全員フランス語というのが、リポワ氏同様にいい加減。 (評価:2.5)

ダイヤルMを廻せ!

製作国:アメリカ
日本公開:1954年10月5日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 脚本:フレデリック・ノット 撮影:ロバート・バークス 美術:エドワード・キャレア 音楽:ディミトリ・ティオムキン

ナンかな~という浮気妻の晴れ晴れとしたハッピーエンド
 原題"Dial M for Murder"で、殺人のためにMをダイヤルするの意。フレデリック・ノットの同名戯曲が原作。
 ダイヤルMは、主人公のトニー(レイ・ミランド)が妻マーゴ(グレース・ケリー)を殺すために自宅に電話する際の電話番号の最初の文字で、電話機の文字盤にはMNOが6に割り振られている。
 物語は、妻の浮気を知ったトニーが多額の遺産を手に入れるために、不良な友達スワン(アンソニー・ドーソン)に殺人を依頼。完全犯罪を目論むが、なんとスワンがマーゴの逆襲で殺されてしまい、次に妻の計画殺人に見せかけ、死刑判決を得て、遺産を手に入れようとする。
 もちろん、それではグレース・ケリーが可哀想ということで、名警部(ジョン・ウィリアムズ)が登場してトニーの企てを阻止。マーゴは無事、無罪となる。
 浮気妻が晴れ晴れとしたハッピーエンドを迎える筋立てもナンかな~という気にさせるが、最初に妻の殺人計画が明かされ、これが失敗するのがお約束なので、どのように失敗するか、失敗後はどのように警察の捜査を回避して、妻を有罪に持ち込むかという、トニーの主観に沿ったサスペンスとなり、犯罪者の気持ちになって楽しめる。
 マーゴの浮気相手というのが推理作家(ロバート・カミングス)で、マーゴを無罪にするためにトニーが犯人の筋立てを考えるが、これが正しくトニーの殺人計画通りというのがひょうきんで、グレース・ケリーを助けるために一芝居打ってトニーを引っ掛ける。
 これでトニーの有罪を立証できるのか? という杜撰な結末は、この手の推理ドラマのお約束で、鋏を背中に刺したくらいで人が死ぬのかという謎も置いておいて、ヒッチコックらしいサスペンスとなっている。 (評価:2.5)

ケイン号の叛乱

製作国:アメリカ
日本公開:1954年8月16日
監督:エドワード・ドミトリク 製作:スタンリー・クレイマー 脚本:スタンリー・ロバーツ 撮影:フランツ・プラナー 音楽:マックス・スタイナー

戦争の傷に苦しむ艦長をH・ボガードが好演
 原題"The Caine Mutiny"で、邦題の意。ハーマン・ウォークの同名のピューリッツァー賞小説が原作。
 第二次大戦中の物語で、プリンストン大学を卒業して海軍に志願したキース(ロバート・フランシス)は、士官候補生として掃海艇ケイン号に乗艦する。
 間もなくデヴリース(トム・テューリー)に替りクイーグ(ハンフリー・ボガード)が艦長として着任、乱れた規律を正し始めるが、それが長い戦歴による精神疾患、偏執症によるもので、台風で転覆の危機に見舞われた際、副長のマリク大尉(ヴァン・ジョンソン)は海軍規定により艦長の指揮権を剥奪して無事帰港させる。
 これが反乱と見なされ軍法会議にかけられるが、弁護人のグリーンウォルド大尉(ホセ・フェラー)の活躍で無罪となる。
 話自体はよくある正義ものだが、裁判になってからが人間臭いドラマで、マリク大尉の正義に付くキース少尉に対して、通信士のキーファー大尉(フレッド・マクマレイ)は保身のためにクイーグに有利な証言をする。
 無罪に喜ぶケイン号の士官たちに対し、君らエリートが大学に通っている間、過酷な対日戦でアメリカを守った職業軍人のクイーグの名誉を貶める結果になったことを悔いると語るグリーンウォルドが渋い。
 戦争が人の心に残す傷を描くが、その傷に苦しむクイーグをハンフリー・ボガードが好演する。
 キースと恋人メイとのエピソードを絡ませながら、ラストは副長となってデヴリースの艦に乗艦するキースの成長ドラマの体裁をとっているが、こちらは余計。 (評価:2.5)

雨の朝巴里に死す

製作国:アメリカ
日本公開:1955年4月3日
監督:リチャード・ブルックス 製作:ジャック・カミングス 脚本:ジュリアス・J・エプスタイン、フィリップ・G・エプスタイン、リチャード・ブルックス 撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ 音楽:ソウル・チャップリン、コンラッド・サリンジャー

雨の中で「タクシー」と言っても運転手には聞こえない
 原題"The Last Time I Saw Paris"で、私がパリを見た最後の時の意。F・スコット・フィッツジェラルドの小説”Babylon Revisited”(バビロン再訪)が原作。
 これをフィッツジェラルドが原作だと思ったら腹も立つが、エリザベス・テイラーが妖艶だが愚かで不幸な女を演じるハリウッド・テイストのメロドラマだと思えば、換骨奪胎どころか骨抜きになっただけのストーリーをそこそこ楽しめる…かもしれない。
 原作の第一次世界大戦後の狂騒の20年代を第二次世界大戦後のパリの進駐軍に置き換える設定にそもそも無理があって、バブル景気と享楽に浮かれるパリのアメリカ人たちが一転世界恐慌の奈落に突き落とされる時代背景を、ギャンブルと享楽に生きるヘレンの父(ウォルター・ピジョン)に降って沸く石油王と、金がすべての次女ヘレン(エリザベス・テイラー)で代行するとなると、コメディかと思えるくらいに話が滅茶苦茶になる。
 原作では享楽から奈落に落ちたチャールズ(ヴァン・ジョンソン)が出直して義姉マリオン(ドナ・リード)が後見人の娘を取り返しにパリを再訪する話だが、映画は原作では描かれない妖女ヘレンに出会ったチャールズが享楽から奈落に落ちる過程を描く。
 この過程の話が無理やりで、主人公の作家の卵チャールズが"Taxi!"と言ってタクシーを止めるプロローグで、運転手に聞えるはずがないと、まず突っ込みたくなる。同じことを激しい雨の中でヘレンがやるが、一応これが終盤でヘレンが死ぬ原因と対応しているのがシナリオの工夫といえば工夫で、そこから来ている邦題のジャパニーズ・テイストのセンスに座布団一枚。
 原作はフィッツジェラルドらしく悲劇で終わるが、映画はハリウッドらしくハッピーエンド。
 ちなみにチャールズの馴染みのバーは、原作ではリッツ・ホテル。 (評価:2)

大砂塵

製作国:アメリカ
日本公開:1954年10月27日
監督:ニコラス・レイ 製作:ハーバート・J・イエーツ 脚本:フィリップ・ヨーダン 撮影:ハリー・ストラドリング 音楽:ヴィクター・ヤング

アクションでは杖が必要になる年齢も異色な女西部劇
 原題"Johnny Guitar"で、主人公の名。ロイ・チャンスラーの同名小説が原作。
 小林旭の『ギターを持った渡り鳥』よろしく、大男のジョニー・ギター(スターリング・ヘイドン)がギターを背中に背負って馬に跨り登場するが、本家はこちら。
 ギター渡り鳥は仮の姿、実は腕利きのガンマンという設定で、この時点で本作がリアリティよりもスタイリッシュな西部劇を目指していることがわかるが、今となればどうしてもアナクロに見えてしまう。
 昔の女ヴィエンナ(ジョーン・クロフォード)に呼ばれて酒場にやってくるが、用心棒なのか酒場の音楽担当なのか単に復縁なのかは説明されないが、ストーリー上は用心棒と復縁の役回り。
 ここからは芝居がかった台詞の応酬で思わず吹き出しそうになるが、これもアナクロとして楽しむのが筋。ヴィエンナには今彼キッド(スコット・ブレイディ)がいて、キッドとジョニーがヴィエンナを巡って鞘当てをする展開になるが、大女優とはいえクロフォード50歳。ババアの上に厚化粧、しかも男勝りのバーのマダムとなれば、相手に押し付けて逃げるのが筋。もちろん、そうはならないので、これも無理矢理なお約束と諦めて見る。
 以下、鉄道推進派の新興ヴィエンナが守旧派に土地を追われる展開となり、行き掛けの駄賃に銀行を襲ったキッド一味と、巻き込まれたヴィエンナとジョニーがアジトに立て籠もって守旧派を迎え撃つ。
 クライマックスは強硬派のエマ(マーセデス・マッケンブリッジ)とヴィエンナとの女同士の決闘になるが、女の喧嘩はあまりカッコ良くない。ヴィエンナが勝って、ジョニーと二人が生き残り、守旧派も引き揚げてエンド。
 存在感のあるクロフォードがジョニーを凌ぐ女丈夫を演じるが、アクションシーンに移った途端に杖が必要になるので何とも締まらない異色の女西部劇。
 ペギー・リー歌う主題歌がヒットした。 (評価:2)

製作国:ベルギー、デンマーク
日本公開:1979年2月10日
監督:カール・テオドール・ドライエル 脚本:カール・テオドール・ドライエル 撮影:ヘニング・ベンツェン 音楽:ポウル・シーアベック
キネマ旬報:7位
ヴェネツィア映画祭金獅子賞

生き返った女がゾンビに見えてしまうのはホラー映画の観すぎか?
 原題"Ordet"で、御言葉の意。カイ・ムンクの同名戯曲が原作。
 カイ・ムンクはデンマークのルーテル派の牧師で、デンマークの宗派対立がテーマとなっているが、デンマーク人でもなくキリスト教徒でもない者にとっては、どうでもいい内容で、まさかの奇跡が起きるというオカルト映画でしかない。
 1925年のデンマークの田舎が舞台。農場を経営する大地主のボーオンはデンマーク国教会の敬虔な信徒だが、二男ヨハンネスはそのあまり頭がおかしくなり自分をキリストだと信じている。三男アナスは原理主義派の仕立屋ペーターの娘アンネとの結婚を望むが、両家の宗派対立が障碍となっている。
 ボーオンとペーターの話し合いの最中、長男ミッケルの妻インガーが難産となり、母子ともに死亡。悲嘆にくれる中、ボーオンとペーターはヨハンネスが残した聖書の言葉に反省して和解する。
 そこに正気の戻ったヨハンネスが現れ、誰も神の奇跡を信じないからだと叱り、インガーを生き返らせる。
 要は教理対立に明け暮れて本来の信仰をなくした人々に、神の御言葉を信ぜよというルーテル派の原点に帰った説教なのだが、旧約の神がインガーを生き返らせたという台詞もあって、今一つ意味がわからない。
 ヨハンネスがキリストとなって復活し、奇跡をなすという物語なのだが、生き返ったインガーがゾンビのように見えてしまうのは、ホラー映画の観すぎか? (評価:2)

帰らざる河

製作国:アメリカ
日本公開:1954年8月24日
監督:オットー・プレミンジャー 製作:スタンリー・ルービン 脚本:フランク・フェントン 撮影:ジョセフ・ラシェル 音楽:シリル・モックリッジ

太股を露わに死て歌うモンローの肢体と歌声が見どころ聴きどころ
 原題"River of No Return"で、劇中に主人公たちが下る流れのはやい川の名前。
 物語は、男(ロバート・ミッチャム)が出所して金鉱掘りで賑わう西部の町に預けていた子供を引き取りにくるところから始まる。小さな農場を始めるが、川で息子と仲の良かった酒場の歌手(マリリン・モンロー)と若い鉱夫の乗る筏が壊れ、それを助けたところ、逆に男に銃と馬を奪われ、今度は父子と女が筏で大きな町に向かった男を追いかけるというもの。
 映像は一部カナディアン・ロッキーの雄大な自然が使われているものの、セット撮影と合成が中心で、アクションシーンも見どころとは言い難い。むしろ酒場で太股を露わにして歌うモンローの肢体と歌声が見どころ聴きどころで、それも冒頭の金鉱の町と、ラストの大きな町でのシーンに限られる。
 それ以外は退屈なシーンが続くが、その退屈さを紛らわせるためにインディアンが終始彼らを追いかけ、農場の家を焼き払い、筏に弓矢まで放つが、何のためにそうしているのか全く分からず、とりあえずは地球制服を企む悪い宇宙人か正義に歯向かう悪の組織と同じようなものなんだろうと納得するしかない。
 主人公たちが筏に乗るのも、女は逃げた恋人を追いかけるため、親子は銃と馬を取り返すためで、男が大きな町に向かうのもイカサマ賭博で手に入れた金鉱を急いで役所に登記するためというよくわからない目的。
 ラストは予定調和のハッピーエンドで、モンロー以外は物語として今ひとつ。 (評価:2)

喝采

製作国:アメリカ
日本公開:1955年4月15日
監督:ジョージ・シートン 製作:ウィリアム・パールバーグ、ジョージ・シートン 脚本:ジョージ・シートン 撮影:ジョン・F・ウォーレン 音楽:ヴィクター・ヤング

アカデミー脚色賞を受賞したのが何とも言えない
 原題"The Country Girl"で、クリフォード・オデッツの同名戯曲が原作。
 country girlを演じるのがグレイス・ケリーで、アカデミー主演女優賞を獲得しているのだが、どうにも田舎娘に見えない。
 加えて、落ちぶれたミュージカル・スターの妻というには、美しすぎる上に若く、舞台演出家のウィリアム・ホールデンが女優か? と聞くほどの美貌で、どうにもそぐわない。
 物語は、子供を不注意から事故で亡くし、以後酒浸りで過去の人となったミュージカル俳優を、演出家がどういう信念からか、プロデューサーの反対を強引に押し切って起用する。
 心の弱った俳優は妻に頼りきりなのだが、外に対しては虚栄を張って、妻がアル中で自殺未遂をしたと、全部あべこべのことを言う。騙された演出家は、干渉しすぎるとステージママの妻を追い返し、ボストンでの初演は失敗に終わる。すっかり自信喪失した俳優は泥酔して警察沙汰となり、演出家は初めて俳優の嘘に気付く。
 ここからがトンデモ展開で、演出家は本当は君が好きだったと妻にキスして二人はいい仲に。カミングアウトした俳優は突然立ち直って、ニューヨーク初演は大成功。朝食会では、苦労をかけた妻と演出家の仲を理解している善い人ぶり。
 さすがに話が出来すぎということで、妻は夫のもとへ、演出家は仕事に戻るという大人の別離となる。
 この何とも言えない話で、ジョージ・シートンはアカデミー脚色賞を受賞している。
 ミュージカル俳優をビング・クロスビーが演じるが、聴かせどころはほとんどなく、グレイス・ケリー、ジョージ・シートンを含めて、ハリウッド風のパターン化された演技が、観ていて辛い。 (評価:2)

海底二万哩

製作国:アメリカ
日本公開:1955年12月23日
監督:リチャード・フライシャー 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:アール・フェルトン 撮影:フランツ・プラナー 音楽:ポール・J・スミス

画期的な描写も半世紀後に見るといささか滑稽
 原題"20000 Leagues Under the Sea"で、邦題の意。ジュール・ヴェルヌの"Vingt mille lieues sous les mers"(海底2万リーグ)が原作。
 1リーグは4.8kmで、2万リーグは96000km。水深ではなく海面下の移動距離を指していて、地球15周分になるが、映画では南太平洋が舞台。
 アメリカ西海岸から海の怪物調査に向かった軍艦が怪物と遭遇し沈没。調査団の博士と助手、船乗りの3人が怪物に救助され、海中の旅を楽しむ。怪物というのはネモを船長とする近代的な潜水艦で、蒸気船の時代にネモの発明した未知の動力で動く。
 博士はネモの天才に崇敬の念を懐くが、地上の国家を敵に回して海底に帝国を築こうとするネモに狂気を感じる船乗りは潜水艦からの脱出を試み、救援を求める手紙を瓶で海に流す。これが見つけた海軍がネモの本拠地を急襲し、ネモは島ごと破壊。ノーチラス号も海の藻屑と消えるというのがストーリー。
 ネモの狂気の原因は、自らが火薬に使われる硝石の鉱山で強制労働させられていたことから、仲間たちと反乱を起こしてノーチラス号を建造。軍艦を沈めて、海底に平和の帝国を築こうとする。
 前半では、サンゴや魚が回遊する水中映像で海底のユートピアを描き、海中に農場を持ってすべての食料や人工物を海底資源から作り出すという設定を説明するが、当時としては画期的な描写も半世紀後に見るといささか滑稽に見える。
 ディズニー映画らしく、夢と冒険の世界を描きながら、ファンタジーと平和の希求も忘れず、ネモ船長も狂人ながら悲劇の人物として描かれる。もっとも、中盤からは助手と船乗りがコメディしていて、前半のシリアスからは違和感がある。
 主演の船乗りにカーク・ダグラス。巨大イカとの格闘シーンは特撮的な見どころ。 (評価:2)

トコリの橋

製作国:アメリカ
日本公開:1955年2月27日
監督:マーク・ロブソン 製作:ウィリアム・パールバーグ、ジョージ・シートン 脚本:ヴァレンタイン・デイヴィス 撮影:ロイヤル・グリッグス 音楽:リン・マーレイ

本物と見紛うばかりのリアルな爆撃シーンの特撮が見もの
 原題"The Bridges at Toko-ri"。ジェームズ・アルバート・ミッチェナーの史実を題材にした同名小説が原作。
 朝鮮戦争の1952年、朝鮮半島の東に展開するアメリカ海軍第77機動部隊は、難攻不落の陣地トコリの5つの橋を破壊する決死作戦を立てていた。そのチームに選ばれたのがブルーベイカー中尉(ウィリアム・ホールデン)で、横須賀での休暇で妻子と最後の別れをした後作戦に赴き、見事英雄となって果てる。
 中尉の本職は弁護士で除隊を望むものの、司令官から職業軍人にリクルートされるほどに優秀さを認められている。それ故、困難な作戦任務を与えられ戦死するが、司令官に国家の英雄と祀り上げられて使い捨てにされる市井の人間の姿がクールに描かれる。
 制作年代からすれば、冷戦時代における反戦というよりは控え目な反軍・人権映画なのだが、後方基地となる日本の描写がナンチャッテ日本で、しかも中尉が妻子に再会するドラマの主舞台となっているため、アメリカ人好みのオリエンタリズムが相当に印象づけられる。
 そのため日本人が見るとその描写に目が奪われ、しかも美人妻がグレース・ケリーなので、反戦というよりはハリウッド的なロマンス映画に見えてしまう。実際、グレース・ケリーは度重なるキスシーンと温泉シーンの印象しか残さない。
 そうした点では演出的にもイマイチなのだが、アメリカ海軍の協力による空母や離着陸する戦闘機のシーンは見応えがあって、ミリタリーオタクには垂涎モノ。戦闘機の洋上着水やトコリの橋の爆撃シーンは本物と見紛うばかりのリアルなミニチュアセットによる特撮で、アカデミー特殊効果賞を受賞している。
 横須賀基地や増上寺、箱根富士屋ホテルのロケも見どころか。 (評価:2)

ベレニス

製作国:フランス
日本公開:劇場未公開
監督:エリック・ロメール 製作:ピエール・コトレル 脚本:エリック・ロメール 撮影:ネストール・アルメンドロス

サイレント風のホラーというだけで不快感しか残らない
 原題"Bérénice"で、登場人物の名。エドガー・アラン・ポーの同名短編小説が原作。
 従妹ベレニスと共に田舎の屋敷で育った青年エギュスの独白の物語で、弁士付きサイレント映画のような印象の22分の作品。
 病弱で陰鬱な性格から偏執狂となったエギュス(エリック・ロメール)は、天真爛漫というか若干頭が足りないんじゃないかと思えるベレニス(テレーザ・グラチア)に恋し、ベレニスも普通なら気味悪がるであろうエギュスに好意を寄せる。
 ところがエギュスは癲癇持ちとなり快活さを失う。エギュスがベレニスに求婚して結婚するが、偏執狂のエギュスはベレニスの歯に異常な執着をし、ベレニスの死後、蘇生したと言って埋葬したベレニスの歯を取り出し手元に置くという気味の悪い話。
 エギュスにもベレニスにも共感を覚えることなく、この物語に何らの意味を見い出すこともできず、映像的にも見どころはなく、ただサイレント映画風のホラーというだけで、不快感しか残らない。 (評価:2)