海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1949年

製作国:アメリカ
日本公開:1950年5月9日
監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ 製作:ソル・C・シーゲル 脚本:ジョセフ・L・マンキウィッツ 撮影:アーサー・C・ミラー 音楽:アルフレッド・ニューマン
キネマ旬報:3位

夫婦の危機が愛を確認する好機という粋な作品
 原題"A Letter to Three Wives"で、邦題の意。ジョン・クレンプナーの小説"Letter to Five Wives"が原作。
 ニューヨーク郊外の町に住む3組の夫婦の物語で、週末、3人の妻たちが町の子供たちのピクニックのボランティアに参加、乗船しようとしたところに町一番の美女アディから連名で3人に宛てた手紙が届く。曰く、あなた達の夫の一人と駆け落ちします。
 目の前の電話ボックスに飛び込んで夫に確認の電話をしたい気持ちを抑えて3人は乗船するが、気が気ではなく、それぞれが夫との仲、夫とアディとの関係を思い起こすというもの。
 全体はシリアスタッチのコメディといった趣きで、とりわけスーパー経営者の妻(リンダ・ダーネル)が傑作。元従業員のセクシー美女で、愛人にしようとする経営者を翻弄した挙句に妻の座を獲得。金で繋がる関係と夫婦ともに考えている。
 ドライでシニカルな妻の言動がいちいち面白く、リンダ・ダーネルが好演。列車が通過するたびにガタガタ揺れる彼女の実家がこれまた可笑しいが、そんな妻が実は夫を愛していたというオチが古き良きハリウッドの心温まるエンディングとなる。
 余所者で自分に自信が持てない妻(ジーン・クレイン)、夫をないがしろにしているシナリオライターの妻と、それぞれが夫への愛を内省し、いったい誰の夫がアディと駆け落ちしたのかという謎がドラマを引っ張る。
 夫婦の危機こそが夫婦愛を確認する好機というわけだが、危機の原因となる肝腎のアディが登場しないというのが上手い演出で、アカデミー監督賞・脚色賞を受賞。
 その晩、3組の夫婦が社交パーティに出席して誰の夫が欠けているのか? ラストのどんでん返しは? と素直に楽しめる粋な作品になっている。 (評価:3)

鉄格子の彼方

製作国:イタリア、フランス
日本公開:1951年5月8日
監督:ルネ・クレマン 製作:アルフレード・グアリーニ
アカデミー名誉賞(外国語映画賞)

恋人を母親に取られる少女ヴェラ・タルキが隠れた主役
 原題"Au-delà des grilles"で、格子を超えての意。
 ワケありのフランス男(ジャン・ギャバン)がジェノヴァに密航。港町に住むワケあり女(イザ・ミランダ)と恋に落ちるという、ジャン・ギャバン主演らしい映画。当然、ラストシーンは別れで終わるが、殺人犯だとわかってる男と恋に落ちるという不自然さは、男がジャン・ギャバンだからということで解消される。
 そんなスタイリッシュなラブ・ストーリーを2人の演技とルネ・クレマン演出の哀愁が支えていて、良き時代のフランス映画にしみじみ浸れる。
 この物語に彩りを添えるのが、終戦後という舞台設定で、女は食堂のウエイトレスをしながら娘(ヴェラ・タルキ)と廃墟の修道院で暮らしている。この修道院には焼け出された多くの人々が暮らしていて、ギャバンを引き込んだ女を噂しながらも、やってきた警察からは庇うという反権力精神を見せる。
 女はヤクザな亭主から逃れてきていて、娘を取り戻そうとする亭主とギャバン、警察の三つ巴となる。結果、警察はお尋ね者と女が暮らしていることを知り、ギャバンは御用となってしまう。
 一方、ギャバンと最初に出った女の娘はギャバンを好きになるが、恋人を母親に取られて反抗的になる。二人の仲を裂くためにギャバンを鉄格子の向こう、すなわち波止場に手引きし、密航船に戻すが、ギャバンは船の荷物を取りに来ただけで女との暮らしを選んでしまう。
 失意の娘だが、二人がデート中に警察の手が迫ったのを知って好きなギャバンに知らせようとする。この揺れ動く娘心をヴェラ・タルキが好演していて、隠れた主人公となっている。『禁じられた遊び』(1952)同様、ルネ・クレマンの子役の演出が上手い。 (評価:3)

製作国:イギリス
日本公開:1952年9月16日
監督:キャロル・リード 製作:キャロル・リード、デヴィッド・O・セルズニック、アレクサンダー・コルダ 脚本:グレアム・グリーン 撮影:ロバート・クラスカー 音楽:アントン・カラス
キネマ旬報:2位
カンヌ映画祭グランプリ

陰影あるモノクロ映像は素晴らしいが、ご都合主義なシナリオ
 原題"The Third Man"。
 カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した名作とされる作品で、主題曲がつとに有名。もっとも、同じテーマが繰り返し使われ、劇伴としてはそぐわないシーンも。
 友人(オーソン・ウェルズ)を訪ねてアメリカの流行作家(ジョゼフ・コットン)がウィーンにやってくるが、友人は交通事故で亡くなっていて墓地での埋葬に駆けつけるところから物語は始まる。ここで出会うのが、友人の恋人(アリダ・ヴァリ)と英軍少佐で、以後はこの3人を中心に話は展開。
 事故の目撃者の中に正体不明の3番目の男がいたことから、その男を探るうちに事故の真相を知るというサスペンス劇。
 ひき逃げ事件ではないので、事故の目撃者に知らない男がいようがどうでもいい話で、作家が第三の男に興味を持って、そこからミステリーに持って行くというシナリオには、どうにも無理がある。
 替え玉だったことがわかり、友人が悪党だったことを知って、少佐に協力して友人を地下道に追い詰めるが、作家と友人の旧交が描かれないので、二人の関係も友情もわからないままで、友人が死んだ後に感動がない。
 友人の恋人はチェコ人で、オーストリアの偽造旅券を所持しているが、それが発覚してソ連軍に強制送還されそうになる。作家は彼女を救うために少佐に協力するが、逆に罵られる。彼女はどう見ても良識ある市民で、恋人の悪党ぶりを知って愛し続けるようには見えず、最後まで作家を恨むのも腑に落ちない。
 ラストの墓地のシーンが冒頭のシーンと対をなしていることや、戦禍で荒廃したウィーンの街並み、地下水道などアカデミー撮影賞を受賞したモノクロの陰影ある映像は素晴らしいが、戦争を挟むウィーンの光陰、戦後の四分割統治下のウィーンを背景にしたニヒリズムを描いたといわれても、現代の感覚からはそれを言い訳にできない悪党の非人ぶりで、逆にそこまで彼を追い込んだ事情が描かれていない。
 悪党はなぜアメリカから作家を呼び寄せたのか、なぜ偽装死して作家に会わなかったのか、事故は故意に起こしたものだったのか、といったそもそもの謎が多く、シナリオはいささかご都合主義。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1976年9月25日
監督:ロバート・ロッセン 製作:ロバート・ロッセン 脚本:ロバート・ロッセン 撮影:バーネット・ガフィ 音楽:モリス・W・ストロフ
アカデミー作品賞 ゴールデングローブ作品賞

善は悪から生れるという言葉が宙に浮く
 原題"All The King's Men"で、みんな王様の家来の意。ロバート・ペン・ウォーレンの同名小説が原作。
 1930年頃のポピュリズム政治家、ルイジアナ州知事ヒューイ・ロングがモデル。彼の政治スローガン"Every Man a King"(みんなが王様)を皮肉ったタイトルになっている。
 市の会計主任だったスターク(ブロデリック・クロフォード)が、政治家たちの不正を正すために政治家を志すが、敗残から勝つには不正が必要という教訓を学んで州知事に当選。小悪を上回る巨悪になってしまうというミイラ取りがミイラになる話。
 新聞記者からスタークの側近となるジャック(ジョン・アイアランド)が語り手となるが、権力志向の恋人(ジョアン・ドルー)をスタークに奪われた上、スタークの不正を暴いて辞職した彼女の父・判事(レイモンド・グリーンリーフ)のスキャンダルの調査を命じられ、判事を自殺に追い込んでしまう。
 判事の息子の医師(シェパード・ストラドウィック)がスタークに復讐、射殺されるまでが描かれるという、よくある独裁的悪徳政治家の物語。
 当初は清廉なことを言っていたが、ただの権力志向の男で、周りの人間も引き摺られて王様の家来になってしまうという教訓らしき事は描かれるが、今に残る作品にはなっていない。
 唯一、善は悪から生れる(good comes out of bad)というスタークの人生訓が面白いが、言葉だけで掘り下げられていないのが残念。 (評価:2.5)

猿人ジョー・ヤング

製作国:アメリカ
日本公開:1952年1月12日
監督:アーネスト・B・シュードサック 製作:メリアン・C・クーパー、ジョン・フォード 脚本:ルース・ローズ 撮影:ロイ・ハント 音楽:C・バカライニコフ、ロイ・ウェッブ

宮崎アニメも真っ青の完成度の高い人形アニメ
 原題は"Mighty Joe Young"。1933年版オリジナル『キング・コング』のスタッフによって作られた特撮映画。ジブリも舌を巻く完成度の高い人形アニメ、ミニチュアと合成による特殊撮影技術が観られる。アカデミー視覚効果賞を受賞。
 特撮娯楽映画だが、宮崎アニメを先取りする、自然と人間の共生がテーマ。幼いジルはメイのようにお転婆で、トトロのようなゴリラのジョーと仲良しになる。成長して大好きだったお父さんが死んでしまうと、アフリカの動物たちを捕まえる人間たちがやってきて、それを守るためにジョーが立ち向かう。それを操るのがもののけ姫の少女ジル。しかし、文明の陥穽に嵌ったジルはジョーとアメリカで見世物にされる。元気をなくしたジョーと王蟲の故郷アフリカの腐海に帰ろうとするが、悪い人間とのトラブルから追われる身となり、ここからは『カリオストロの城』のアクション、『崖の上のポニョ』のごとくスリリングな孤児院からの救出劇となる。
 まさに宮崎アニメの魅力がふんだんに詰まった作品で、環境保護あり、文明批判あり、ヒューマニズムありで、最後はハッピーエンドで心温まる。キング・コングのように暴れるゴリラの描写にはいささか問題はあるが、豪華で手作り感溢れるアナログの温かさは、ヘタなCG映画よりは数段楽しい。製作費は180万ドル、当時の為替360円で13億円。 (評価:2.5)

若草物語

製作国:アメリカ
日本公開:1949年12月27日
監督:マーヴィン・ルロイ 製作:マーヴィン・ルロイ 脚本:アンドリュー・ソルト、ヴィクター・ヒアマン、サラ・Y・メイソン 撮影:ロバート・プランク、チャールズ・ショーンボーム 音楽:アドルフ・ドイッチ

名子役オブライエンの感動的な演技が見どころ
 原題"Little Women"で、小さな婦人たちの意。ルイーザ・メイ・オルコットの自伝的な同名小説が原作。
 内容的には、四姉妹のうち、長女メグ(ジャネット・リー)の結婚・出産、四女ベス(マーガレット・オブライエン、原作では三女)の死、三女エイミー(エリザベス・テイラー、原作では四女)と隣人ローリー(ピーター・ローフォード)の結婚、二女ジョー(ジューン・アリソン)の小説の出版までが描かれる。
 テンポよくまとめたシナリオと演出で、クライマックスとなるジョーによるエイミーの看病から死への場面転換が効果的。アカデミー美術賞を受賞したセットと美しい背景が、娘たちを若草のように映えさせる。
 時は南北戦争、マート家の父(レオン・エイムズ)は牧師として北軍に従軍していて不在、母(メアリー・アスター)と四姉妹が質素な生活を送っている。
 物語は作家志望のジョーとベスを中心に展開。ローリーの祖父(C・オーブリー・スミス)とベスのピアノを巡る交流での、名子役オブライエンの感動的な演技が大きな見どころとなっている。
 作家としての成功を望むジョーが、良い妻にはなれないとローリーのプロポーズを断り、ベスの看病を通じて家族の大切さを知り、ベア教授(ロッサノ・ブラッツィ)との愛に進むという流れだが、ジョーの精神的成長を上手く描けてなく、元気が良すぎる分、唐突。
 原作のストーリーを手堅くこなしているという以上にはなっていない。 (評価:2.5)

イカボードとトード氏

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ジャック・キニー、ジェームズ・アルガー、クライド・ジェロニミ 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:アードマン・ペナー、ウィンストン・ヒブラー、ジョー・リナルディ、テッド・シアーズ、ホーマー・ブライトマン、ハリー・リーヴズ 音楽:オリバー・ウォレス

大人向けのシニカルな寓話でコミカルなカトゥーンも楽しい
 原題"The Adventures of Ichabod and Mr. Toad"で、イカボードとトード氏の冒険の意。
 "The Wind in the Willows"(柳に吹く風、ケネス・グレアムの同名児童文学が原作)、"The Legend of Sleepy Hollow"(スリーピー・ホロウの伝説、ワシントン・アーヴィングの同名短編小説が原作)の2話からなるオムニバス。
 "The Wind in the Willows"は、ヒキガエルのトードは新し物好きで車が欲しくなり、イタチたちの車を屋敷と交換。ところがそれが盗難車で裁判にかけられ刑務所に。馬のキリルが脱獄させ、執事のアナグマ、友人のネズミとモグラとともに屋敷に侵入、イタチたちの持つ契約書を取り返して無罪を証明する話。新し物好きを反省したと思いきや、複葉機を買って飛び回り、友人たちを呆れさせるというラストがいい。
 "The Legend of Sleepy Hollow"は、18世紀ニューヨーク近郊の首なし騎士の伝承。スリーピー・ホロウ村の新任教師イカボードが金持ち娘カトリーナを射止めようと、ライバルのブロムと争って恋人になる。ハロウィンの夜、ブロムはイカボードが迷信深いのを知って首なし騎士の話をする。帰り道、幻想か、イカボードは首なし騎士に追いかけられ逃げ切ったように見えるが、翌朝帽子と潰れたカボチャだけが発見され行方不明に。他の土地で未亡人と結婚したとも、首なし騎士に連れ去られたともいう噂で終わる。未亡人も金持ちでイカボードの結婚条件が金という俗物なのがいい。
 どちらもナレーションで物語が進行。良い子のディズニーとは趣を異にする大人向けのシニカルな寓話となっていて、追い駆けっこが主体のコミカルなカトゥーンも楽しく飽きさせない。 (評価:2.5)

頭上の敵機

製作国:アメリカ
日本公開:1950年11月14日
監督:ヘンリー・キング 製作:ダリル・F・ザナック 脚本:バーン・レイ・Jr、サイ・バートレット 撮影:レオン・シャムロイ 音楽:アルフレッド・ニューマン

戦争を懐かしんでいるだけの年寄りの昔語り
 原題"Twelve O' Clock High"で、12時の方向上の意。バーン・レイ・Jrとサイ・バートレットの同名小説が原作。
 アメリカが第二次世界大戦に参戦した初期の航空隊の活躍を描く戦記物で、司令となった准将が主人公。司令の副官が戦後、航空隊のあった基地跡を訪ねて回想するという形式を採っている。実際にあった作戦をベースにしたフィクション。
 イギリスのアーチベリー飛行場を基地とする第918航空群司令・ダヴェンポート大佐(ゲイリー・メリル)は隊員の責任を一身に負う親分タイプで、部下からは信頼されるが厳しさが足りず、規律は緩み、作戦の失敗が多いために軍務過重で士気も低下している。
 見かねた司令部のサヴェージ准将(グレゴリー・ペック)が司令官に進言、大佐に替って司令に赴任する。厳しく再教育する准将に隊員たちは反発するが、自ら爆撃機に同乗し作戦を成功させた准将に隊員たちの態度は軟化。しかしドイツ本土空爆へと作戦が厳しさを増す中で戦死者も出て、准将自身が精神障害となり、司令を後進に譲って退く。
 准将を一貫して支えるのが副官のストーヴァル少佐(ディーン・ジャガー)で民間人出身。戦後、骨董店で基地のバーにあったビール・ジョッキを認め、アーチベリー飛行場を訪れ回想に耽る。
 もっともジョッキに特段のエピソードはなく、単なる回想のきっかけという小道具にしては物足りない。回想もただの思い出話でしかなく、准将が死ぬとか劇的な不幸といった少佐にとっての喪失感がないために、ただ戦争を懐かしんでいるだけの年寄りの昔語りの話に終わっている。
 作戦の成功で准将に対する隊員たちの態度が一変するのも予定調和で、説得力に欠ける。
 ヘンリー・キングらしく話はそつなく纏まっていて飽きさせず、軍隊内の上司と部下の対立劇として面白い。実際の記録映像が使われている空戦シーンは迫力がある。 (評価:2.5)

踊る大紐育

製作国:アメリカ
日本公開:1951年8月24日
監督:ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン 製作:アーサー・フリード 脚本:アドルフ・グリーン、ベティ・コムデン 撮影:ハロルド・ロッソン 美術:セドリック・ギボンズ、ジャック・マーティン・スミス 音楽:ロジャー・イーデンス、レニー・ヘイトン

『ウエストサイド物語』に成り損ねたミュージカル
 原題"On the Town"で、町にての意。ジェローム・ロビンズのバレエ"Fancy Free"を原案とするアドルフ・グリーン、ベティ・コムデンの同名ミュージカルが原作。
 ニューヨークに寄港した軍艦の水兵3人が24時間の休暇を楽しむという物語で、水兵役をジーン・ケリー、フランク・シナトラ、ジュールス・マンシンが演じるミュージカル。
 ニューヨーク見物のついでに女の子もゲットしようとして、シナトラはタクシー運転手(ベティ・ギャレット)、マンシンは人類学者(アン・ミラー)といい仲になる。ゲイビー役のケリーが一目惚れするのが今月のミス地下鉄に選ばれた女優の卵アイヴィ(ヴェラ=エレン)で、彼女を求めての1日の物語となるが、田舎者のゲイビーがセレブと思い込んだアイヴィは、コニーアイランドの見世物小屋の踊子で、しかもアイヴィと同郷の田舎娘。
 セレブに憧れたのではなく、可愛い彼女が好きだったというアメリカ人が喜びそうなラブロマンスで、純朴なカップルをケリーとエレンが息の合ったダンスで演じるハート・ウォーミングな作品。
 見どころは、男3人、女3人、男女3組の楽しい踊りだが、女3人が太腿も露わに美脚を披露するシーンが何といっても見どころ。
 3人の水兵と3人の女の子の1日だけのデート、1日きりの恋人という切ないアバンチュールを描くが、ゲイビーとアイヴィは再会を誓うというこれまたアメリカ人好みのハッピーエンド。
 もっとも1944年に初演された原作では、3人の水兵が向かう先は戦地で、24時間の休暇と1日きりの恋人との別れには明日をも知れぬ若者たちの哀愁が込められているが、戦後の映画版はそのあたりは完全にネグって能天気。原作のレナード・バーンスタインが降板して、ハリウッドらしいポップなミュージカルになったが、『ウエストサイド物語』には成り損ねたともいえる。 (評価:2.5)

黄色いリボン

製作国:アメリカ
日本公開:1951年11月2日
監督:ジョン・フォード 製作:メリアン・C・クーパー、ローウェル・J・ファレル、ジョン・フォード 脚本: フランク・S・ニュージェント、ローレンス・ストーリングズ 撮影:ウィントン・ホーク 音楽:リチャード・ヘイグマン

モニュメント・ヴァレーが美しい歴史的西部劇
 原題は"She Wore a Yellow Ribbon"で「彼女は黄色いリボンをつけた」の意。作中で少佐の姪(ジョアン・ドルー)が髪に黄色いリボンをつける。黄色いリボンには、愛する人の戦場での無事と帰還を願う意味があり、姪を巡って恋のさや当てを演じる騎兵隊のふたりの若い隊員が、それぞれに自分へのリボンだと思い込むが、姪は明言しない。ジョン・ウェイン演じる退役間際の老騎兵隊長へのリボンとみれば、本作の趣も変わる。
 西部劇の名監督として知られるジョン・フォードの代表作のひとつだが、物語は退屈。アカデミー撮影賞を受賞したモニュメント・ヴァレーで撮影された岩山の風景は、西部のイメージを強烈に印象付け、大きな見どころともなっているが、少佐夫人と姪を送り届けようとして駅馬車の宿駅が襲撃されたために砦に引き返すだけの話は単調で、老騎兵隊長の話としても深みに欠ける。
 騎兵隊の物語ということで、現在の歴史観からはネイティブ・アメリカンに対する侵略を無反省に描いた映画ということになるが、製作された頃はこれが当たり前だった。
 個人的には子供の頃、映画だけでなくTVの西部劇を多数見たが、どれもインディアンは蛮族の扱いで、白人の侵略史を正当化する作品ばかりだった。有色人種に対する差別も当然の時代で、民主主義を標榜するアメリカが半世紀前にはどれほど野蛮であったかということを示す歴史資料として、本作には別の意味がある。
 タイトルと同名の曲はアメリカの古いフォークソングで、この映画で有名になった。 (評価:2)

製作国:フランス、イタリア
日本公開:1951年12月4日
監督:ルネ・クレール 脚本:ルネ・クレール 撮影:ミシェル・ケルベ 音楽:ロマン・ヴラド
キネマ旬報:6位

魂を売らず若さと女を手に入れるファウストの都合のいい話
 原題"La Beaute du Diable"で、邦題の意。ファウスト伝説を基にしたオリジナルストーリー。
 大学教授のファウスト博士が50年間の学究生活を終えて退官し、錬金術研究で何事もなし得なかったことに煩悶すると、そこにメフィストフェレスが現れて、魂と交換に青春を与え、人生をやり直すように誘惑する。
 悪魔は誘いを退けるファウストに、取り敢えず若さだけを与え、自分を従僕にする契約を結ばせようとするがなかなか上手くいかず、王妃との取り持ちを餌に契約に成功。メフィストは魂を手に入れるためにファウストを絶望に追い込もうとするが、恋人のジプシー女に契約書を奪われ、老ファウストの姿をしていたために、契約書を見た民衆に殺されてしまう。
 結局、ファウストは魂を売らずに若さと恋人を手に入れ、人生をやり直すことができましたとさ、メデタシメデタシという、何ともいえない結末となる。
 メフィストフェレスと老ファウストをミシェル・シモン、青年ファウストをジェラール・フィリップが演じ、そんなうまい話があっていいのかという、人生論にも善悪論にも無縁で空虚な内容を軽喜劇のように見せるが、見果てぬ夢を追いかけても錬金術師のように空しい人生しか送ることができないのだから、享楽的な人生を送ったモン勝ちというのが結論だとすれば、わざわざファウストを登場させる意味がない。
 見どころはジェラール・フィリップの美男子ぶりだが、男に興味がない向きには王妃を演じるシモーヌ・ヴァレールの清楚な美貌と、ジプシー女を演じるニコール・ベナールの妖艶な美貌がお薦め。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:1950年11月21日
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:ウィリアム・ワイラー 脚本:ルース・ゲッツ、オーガスタ・ゲイツ 撮影:レオ・トーヴァー 音楽:アーロン・コプランド
キネマ旬報:10位

穀潰しとわかるM・クリフトのスケコマシぶりがいい
 原題"The Heiress"で、邦題の意。ヘンリー・ジェームズの小説"Washington Square"に着想を得た戯曲"The Heiress"が原作。
 1850年頃、ニューヨーク、ワシントン広場前の裕福な医師スローパー(ラルフ・リチャードソン)の邸が舞台で、刺繍ばかり編んでいる内気な一人娘キャサリン(オリヴィア・デ・ハヴィランド)が主人公。
 同居する未亡人の叔母ラヴィニア(ミリアム・ホプキンス)が無理やりパーティに誘い、そこで知り合うのが欧州帰りで無職のタウンゼンド(モンゴメリー・クリフト)。スローパーはすぐに財産目当てと見破るが、男を見る目のないキャサリンは婚約。スローパーは結婚すれば娘への財産相続を認めないと言い放ち、キャサリンは同意して駆け落ちしようとするが、タウンゼンドは案の定、迎えに来ずに西部に逃亡。
 父が死んでキャサリンは邸の女主人に。5年後、タウンゼンドが西部から戻りキャサリンを口説き落とそうとするが、成長したというか、性格の捻くれたキャサリンは男心を弄び、迎えに来たタウンゼンドに玄関前で待ちぼうけを食らわせて5年前の復讐を果たすというオチ。
 オリヴィア・デ・ハヴィランドが前半・初心な女、後半・意地悪な女を演じてアカデミー主演女優賞を獲得するが、物語そのものはどうでもいい話。最後の復讐も爽快なものではなく、ドラマツルギーとしては小学生並み。
 叔母ラヴィニアが、愛人でもないのにタウンゼンドにキャサリンを娶せようと躍起になるのもよくわからない。最初から財産目当ての穀潰しとわかるモンゴメリー・クリフトのスケコマシぶりがいい。 (評価:2)

戦場

製作国:アメリカ
日本公開:1950年10月6日
監督:ウィリアム・A・ウェルマン 製作:ドア・シャリー 脚本:ロバート・ピロッシュ 撮影:ポール・C・ヴォーゲル 音楽:レニー・ヘイトン

激戦の割には穏やかな戦いで、戦争映画としては迫力不足
 原題"Battleground"で、邦題の意。
 第二次世界大戦で連合軍の兵站基地アントワープをめぐる攻防戦、バルジの戦いで、交通の要衝バストーニュでドイツ軍と戦った小隊の名もなき英雄たちを描く戦争映画。
 クリスマスを控えパリでの休暇を心待ちにしていた小隊は、ドイツ軍の攻勢を受けて前進命令を受け、最前線のバストーニュでドイツ軍と対峙することになる。斥候に送り出され、いつも損な役回りと不平を言う兵士たち、偽装したドイツ工作員とのつばぜり合いで戦死する者もあり、よくあるヒーローものとは一線を画すが、最後はドイツの小隊に遭遇。激しい撃ち合いとなるが、背後に回って敵を降伏させる。
 これによって戦況は転換、膠着状態を打ち破って連合軍大部隊が進軍。勝利の影にいた名もなき英雄たちを描くという、結局は爆弾三勇士的なナショナリズムを鼓舞する映画となっていて、戦争の悲惨だとか、捨て駒の悲しみだとか、戦争の無意味だとか、そうした戦争についてのテーマ性といったものはあまり感じられない、中身のない作品。
 低予算映画ということもあって戦闘シーンに金を使ってなく、激戦の割には穏やかな戦いで、戦争映画としては迫力不足なのも寂しい。 (評価:2)

摩天楼

製作国:アメリカ
日本公開:1950年12月31日
監督:キング・ヴィダー 製作:ヘンリー・ブランク 脚本:アイン・ランド 撮影:ロバート・バークス 音楽:マックス・スタイナー

主義主張のみが物語のフリをして延々と語られる
 原題"The Fountainhead"で、水源、根源の意。アイン・ランドの同名小説が原作。
 一言で言えば個人的主義主張のための独善的で偏屈な作品で、物語性もドラマ性もなく、ただ主義主張のみが物語のフリをして延々と語られるという退屈な作品。
 ジャン=リュック・ゴダールに代表されるヌーヴェルヴァーグなど新しい表現手段を目指す個性的な作家たちの独創性や芸術性もない。
 主人公は新進建築家のローク(ゲイリー・クーパー)で、一切の妥協を許さず、施主の意向は受け入れない。
 そのため仕事がなくなり、採石場で肉体労働者として働くが、オーナーの娘ドミニク(パトリシア・ニール)を遠目に認めただけで即、互いに発情。ドミニクもまた独善家で、常識人には理解できない行動と台詞が続く。
 しかも都合の良いことにドミニクがニューヨーク・バナー紙のコラムニストで、婚約者キーティング(ケント・スミス)は建築家。
 よくわからないのが、一般紙のバナー紙がまるで業界紙のように反ローク・キャンペーンを張ることで、個人主義と集団主義の対立がテーマとなるが、実際に描かれるのは独善対協調、エゴ対公共。
 ロークはドミニクと別れたキーティングに頼まれて大プロジェクトの影武者となるが、設計通りではなかったために、ドミニクの協力でビルを爆破。逮捕され社会の敵となるが、陪審員を説き伏せて無罪を勝ち取ってしまうという唖然とする結末。
 個人主義の勝利を宣言して物語は終わるという、原作者本人がロークとなってシナリオ通りに完成させた映画そのものが個人主義。 (評価:1.5)