海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1941年

製作国:アメリカ
日本公開:1966年6月14日
監督:オーソン・ウェルズ 製作:オーソン・ウェルズ 脚本:ハーマン・J・マンキウィッツ、オーソン・ウェルズ 撮影:グレッグ・トーランド 音楽:バーナード・ハーマン
キネマ旬報:2位

成功者ケーンの片時も心を離れない思い出
 原題"Citizen Kane"で邦題の意。実在の新聞王ウィリアム・ハーストをモデルにした一代記。大幅に脚色されているが、公開時ハーストは存命で、映画の公開を妨害したという。
 本作では、親が鉱山の権利を得て富豪になったこと、傘下の新聞社の社主となり、大衆路線で部数を伸ばし、メディア・コングロマリットを作ったこと、歌手(実話では女優)を愛人に持ったこと、彼女のためにオペラハウス(実話では映画会社)を造ったこと、選挙に立候補したこと、マイアミ(実話ではカリフォルニア)に動物園付きの城を建てたことなどのエピソードが綴られる。
 物語はケーンが死んだところから始まり、臨終の言葉「薔薇の蕾」の謎を解くためにニュース映画の編集者たちが関係者に取材をし、ケーンの一代記を描いていくという手法を採っている。冒頭にケーン死去のニュース映画が流され、ケーンのアウトラインと時代背景をダイジェストするという上手い構成で、アカデミー脚本賞を受賞。
 ケーンは田舎の宿屋の一人息子として生れるが、鉱山成金になった母親によって、都会の教育を受けるために両親の元を旅立つ。その別れの日に雪遊びで乗っていた橇に「薔薇の蕾」が描かれていて、それが成功者ケーンの片時も心を離れない思い出となる。
 幼い日に両親の愛から切り離されたケーンは、愛を与えることなく愛を求めるだけの人間となり、それが彼の一代記として描かれるのだが、結局、「薔薇の蕾」の謎は解けないまま、ケーンの城の後片付けが始まり、他のガラクタとともに「薔薇の蕾」の橇は燃やされてしまう。
 オーソン・ウェルズの監督デビュー作にして代表作で、栄華と孤独、無常観の漂う名作。幼い日の別れの朝の雪のシーンが印象的で、それと対をなすラストシーンが切ない。 (評価:4)

タバコ・ロード

製作国:アメリカ
日本公開:1988年2月27日
監督:ジョン・フォード 製作:ダリル・F・ザナック 脚本:ナナリー・ジョンソン 撮影:アーサー・C・ミラー 音楽:デヴィッド・バトルフ

J・フォードのコメディ監督としての才能と完成度に驚かされる
 原題"Tobacco Road"。アースキン・コールドウェルの同名小説を原作とするジャック・カークランドの戯曲の映画化。
 タバコロードはジョージア州オーガスタからの数マイル離れた田舎にある。アメリカ南部一の綿とタバコの農園を通る道が名前の由来だが、小作のレスター一家は不作続きで落ちぶれ、毎日の食べ物にも事欠くようになっている。
 困窮した地主の息子ティム(ダナ・アンドリュース)は土地を手放し、銀行からは、地代を払えなければ立ち退くように迫られる。そこでジーター(チャーリー・グレイプウィン)と妻(エリザベス・パターソン)の老夫婦が金の工面に奔走するというスラップスティック・コメディ。
 息子(ウィリアム・トレイシー)が隣家の出戻り娘べジー(マージョリー・ランボー)と結婚したのをいいことに、べジーの車を売って地代を手に入れようとするが、売ろうとした相手が警察署長で失敗。諦めて救貧農場行きを決意するが、ティムが半年分の地代を払ってくれ、綿花の種と肥料を買う金をくれる。
 畑を耕し種を植え、半年後に綿花が豊かに実るのに希望を託して物語は終わる。
 ジョン・フォードらしいヒューマンな作品だが、見どころはスラップスティック・コメディにあって、コメディ監督としての才能と完成度の高さに驚かされる。とりわけ、べジーの新車が乱暴な運転でボコボコになっても、「新車だから」と言って売ろうとするジーターが可笑しい。
 ジーターの娘エリー・メイ(ジーン・ティアニー)がコミカルなセクシーさもいい。 (評価:2.5)

ヨーク軍曹

製作国:アメリカ
日本公開:1950年9月2日
監督:ハワード・ホークス 製作:ジェシー・L・ラスキー、ハル・B・ウォリス 脚本:ジョン・ヒューストン、ハワード・コッチ、エイベム・フィンケル、ハリー・チャンドリー 撮影:ソル・ポリト 音楽:マックス・スタイナー

反戦映画?それともジョニーよ銃を取れの戦争翼賛映画?
 原題"Sergeant York"で、邦題の意。第一次世界大戦の実在の英雄を描いた伝記映画で、ゲイリー・クーパーが主演、アカデミー主演男優賞を受賞している。
 テネシー州に住む、地下鉄を知らない田舎者のヨークは、貧しい開拓民一家の長男で、暴れん坊。肥沃な低地の畠を手に入れようとしたが失敗、ヤケ酒を煽っていたある日、天啓があって熱心なキリスト教徒になる。
 神の教えにより人を殺すことはできないと兵役を拒否するが、手違いから入隊させられてしまい、狩りで鍛えた射撃の腕を買われる。しかし兵役を拒否していたことから上官に休暇を与えられ、村で思索の毎日を送りながら兵役に就くことを決心する。
 ヨーロッパ戦線でドイツ軍兵士多数を捕虜にし、一躍英雄となる。この時、数名の機関銃兵を射殺したが、それは多くのドイツ兵を殺さないようにするために、彼にとっては仕方のないことだった。帰還後も英雄としての扱いを拒否し、村への凱旋に勲章もつけなかった。
 これが本作の大筋で、信仰の厚いヨークは宗教と戦争の相克に悩み、自由を守るためと戦争を選び、神の恩寵によって生還し、何物も求めなかったために最後は州から肥沃な土地をプレゼントされる、というメデタシメデタシ。
 ハワード・ホークスがどのような意図で本作を制作したのかはわからないが、これを反戦映画と見ることもできるし、キリスト教徒たちに銃を取らせるための戦争翼賛映画と見ることもできる。
 総じて戦争への疑問の思いは静かに語られているように見えるものの、ヨークが兵役に就くことを決心するまでの煩悶の過程が描かれていないことで、制作者の意図の明確さを欠く。あるいは、それを許さない時代背景があって、曖昧にしたようにも受け取れる。
 そこから受ける印象は、国家や権力に対して折り合いをつけてしまう宗教の無力さになっている。ラストシーンも、名誉や功名心のために戦ったのではないとしながらも、神の恩寵として報奨が与えられてしまうと、やけに俗っぽい宗教物語に見えてしまうのが残念。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1954年8月23日
監督:ウィリアム・ワイラー 製作:サミュエル・ゴールドウィン 脚本:リリアン・ヘルマン 撮影:グレッグ・トーランド 音楽:メレディス・ウィルソン
キネマ旬報:10位

ワイラーらしいピューリタンなヒューマンドラマ
 原題"The Little Foxes"で、小狐の意。リリアン・ヘルマンの同名戯曲が原作。
 20世紀初めのアメリカ南部が舞台。シカゴで入院中の銀行家ホレース(ハーバート・マーシャル)の悪妻レジーナ(ベティ・デイヴィス)が兄二人と組んで綿工場を誘致し、出資して金儲けしようと算段する。夫の出資を当てにして、娘アレクサンドラ(テレサ・ライト)を迎えに行かせ連れ戻すが、ホレースは拒否。兄二人はホレースの銀行で働く甥レオ(ダン・デュリエ)にホレースの債権を無断借用させ、出資金に宛ててしまう。
 それがバレて、死期の迫るホレースは無断借用された債権以外をすべてアレクサンドラに遺贈する遺言書を書き、怒ったレジーナがホレースの発作を放置して死なせる。
 それを知ったアレクサンドラは取り入ろうとする母に愛想を尽かし、婚約者レオを振り、正義漢の新聞記者デヴィッド(リチャード・カールソン)と家を去るというストーリー。
 舞台劇らしく、物語はほとんどホレースの屋敷のリビングで進む会話劇。貧しく育ったレジーナは金目当てでホレースと結婚し、今は冷たい夫婦仲。兄二人も品性下劣で、工場誘致も南部黒人の安い労働力が目当ての一発屋という設定。
 その中の光明がピューリタンな精神のアレクサンドラとデヴィッドという、善人悪人の対比が明確なありがちな勧善懲悪のヒューマンドラマだが、ワイラーらしい手堅い作品になっている。 (評価:2.5)

マン・ハント

製作国:アメリカ
日本公開:1995年1月28日
監督:フリッツ・ラング 脚本:ダドリー・ニコルズ 撮影:アーサー・C・ミラー 音楽:アルフレッド・ニューマン

ジョーン・ベネットが呆気なく殺されてしまうのが惜しい
 原題"Man Hunt"で、犯人追跡の意。ジェフリー・ハウスホールドの小説"Rogue Male"が原作。
 時は第二次世界大戦前夜。ナチス・ドイツが台頭し、ヒトラーを個人的に暗殺しようとして失敗したイギリス軍大尉が、ドイツ軍少佐にイギリス政府の命令だという供述書に署名するように求められて、これを拒否。脱走してイギリスに逃げ帰るが、しつこく追いかけられて署名を求められ、窮鼠猫を噛むでドイツ軍少佐を殺害。匿ってくれた娘がナチスに殺されたことを知り、勃発した戦争に参加。ベルリン爆撃機に搭乗しライフル片手にパラシュートで降下するシーンで終わる。
 名ハンターである主人公のイギリス軍大尉ソーンダイク(ウォルター・ピジョン)がベルリンのヒトラー暗殺に向かうという、後のヒトラーの拳銃自殺を連想させるところが予言的。
 ソーンダイクはスポーツ・ハンティングが趣味で、空砲で実際には殺さない。冒頭ヒトラーを空砲で撃ち、続けて実弾で照準を合わせたところでナチスに捕まる。人類の敵を暗殺するつもりだったかどうかがソーンダイク本人を含めて曖昧で、娼婦らしきジェリー(ジョーン・ベネット)を殺されたことで、明確に殺すべき人間となる。
 ジュリーとのロマンスも殺伐なサスペンスに花を添えるが、ジュリーは無垢な娘に描かれているものの、娼婦らしく呆気なく殺されてしまうのが惜しいくらいに可愛い。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:劇場未公開
監督:ジョージ・ワグナー 製作:ジョージ・ワグナー 脚本:カート・シオドマク 撮影:ジョセフ・A・ヴァレンタイン 音楽:チャールズ・プレヴィン

毎晩狼男に変身してしまうのがイベント感に欠ける
 原題"The Wolf Man"で、邦題の意。第二次世界大戦のために日本では公開されなかったユニバーサル映画作品。
 ウェールズの地主タルボット家の跡継ぎ息子ローレンス(ロン・チェイニー・ジュニア)が、骨董品店の娘グエン(イヴリン・アンカース)を見染め、デート中にグエンの友人が狼に襲われ、狼を撲殺したところがジプシー、ベラ(ベラ・ルゴシ)で、実は狼男だったというもの。
 ローレンスはベラ殺しの嫌疑を掛けられるが、闘った際に噛まれて狼男になってしまい、夜毎住民を襲い、グエンさえも危険に晒す。最後は狼男に変身したところを父親に撲殺され、人間の姿に戻って狼男だったことがわかるという物語。
 見どころはローレンスが初めて狼男に変身するシーンで、脛毛が少しずつ多毛になっていく様子をストップモーションアニメーションで見せる。狼男になってからの動きはほぼ人間で、もう少し工夫の欲しいところ。
 狼男と戦う武器は銀のステッキで、銀の銃弾など銀が狼男には有効だという説明があるが、狼男に変身するのは満月の夜だけという制限はなく、毎晩狼男に変身してしまうのがイベント感に欠ける。
 狼男がジプシーや五芒星に関連付けられるのが人種差別的だが、制作当時は怪しげなものは異質な文化を持つ人々に押し付けるのが当たり前だったという見本。
 狼男の伝承を基に悪魔的なるものへの西洋人の恐怖を描くが、それ以上のものはない。狼男伝承にも悪魔にも縁の薄い日本人には大して怖くもない、アイディアだけが頼りのホラー・エンタテイメント。 (評価:2.5)

製作国:アメリカ
日本公開:1950年12月29日
監督:ジョン・フォード 製作:ダリル・F・ザナック 脚本:フィリップ・ダン 撮影:アーサー・C・ミラー 音楽:アルフレッド・ニューマン
キネマ旬報:3位
アカデミー作品賞

どことなく作り物めいたセンチメンタル・ストーリー
 原題"How Green Was My Valley"で、わが谷はいかに緑だったかの意。リチャード・レウェリンの同名小説が原作。
 ウェールズの炭鉱町が舞台で、わが谷は炭鉱のある谷のこと。50歳になった主人公のヒューが谷を出ることになり、目を閉じれば昔の光景がまざまざと甦ると言って少年時代の回想へ還るという、ジョン・フォードらしい抒情的な語り口のドラマになっている。
 アカデミー撮影賞、美術賞、室内装置賞を受賞したモノクロの映像は素晴らしく、ジョン・フォードの職人芸の演出でヒューマンな物語が展開されることになるが、芝居じみたエピソード、芝居じみた台詞、芝居じみた演技がどうにも嘘くさい。
 誠実に働くことだけを信条とする頑固一徹の父親(ドナルド・クリスプ)、家族思いの肝っ玉母さん(サラ・オールグッド)、美人で優しい姉(モーリン・オハラ)、兄たちも揃って炭鉱で働く労働者一家で一人だけ頭脳明晰な末っ子の少年ヒュー(ロディ・マクドウォール)。
 兄弟の中で一人隣町の学校に通うことになったヒューは、炭鉱の子と苛められる。美人の姉はハンサムな新任牧師(ウォルター・ピジョン)と惹かれ合うが、炭鉱主の気障な息子に求婚されされ、泣く泣く結婚。賃下げと炭鉱ストライキ、リストラ。
 新婚の長男が落盤事故で死に、学校を卒業したヒューは兄嫁の家を支えるために炭鉱夫に。夫と不仲な姉は牧師との噂を立てられ、牧師は谷を下りる。そして落盤事故による父の死。
 次々と不幸と悲劇が並べられるが、どこか寄せ集めの積み木細工のよう。池に落ちて凍傷から治癒したヒューが歩けるようになるシーンも、どこかで見たようなシーンで不自然。
 そもそもこの手の物語ならヒューが作家にならなければおかしいのだが、そうではないらしい。
 それもそのはず、実体験に基づくはずが、実際は原作者がウェールズにほとんど住んだことはなく、炭鉱夫から聞いた話が材料。それがどことなく作り物めいたセンチメンタル・ストーリーにしている。 (評価:2)

美女ありき

製作国:イギリス
日本公開:1952年6月26日
監督:アレクサンダー・コルダ 製作:アレクサンダー・コルダ 脚本:ウォルター・ライシュ、R・C・シェリフ 撮影:ルドルフ・マテ 音楽:ミクロス・ローザ

ヴィヴィアン・リーの起用はミス・キャスト
 原題"Lady Hamilton"。ネルソン提督の愛人のレディ・ハミルトンの半生を描いた作品。
 美貌を武器に社交界に進出したエマ・ハートが、ウィリアム・ハミルトン卿の愛人から正妻となり、ナポリ王妃の友人となって、ネルソン提督に助力、愛人となるものの、ハミルトン卿の死去により財産を失い、ネルソンの扶助を受けながらもネルソンの戦死によって零落して、カレーの道端で酒に溺れるまでを描く。
 エマをヴィヴィアン・リーが演じ、ネルソン提督をローレンス・オリヴィエが演じているのが本作最大の見どころだが、二人の演技をもってしても詰らないものは詰らない。
 エマが夫を裏切ってネルソンの愛人となるあたりまではヴィヴィアン・リーの美貌と恋情で引っ張っていけるが、その後の退廃した人生は退屈の連続でついうとうとしてしまう。
 要は、こんなつまらない女の落ちていく様子など、共感も同情も呼ばず、興味もわかないわけで、美貌はともかく意志力の強い顔のヴィヴィアン・リーを起用したことがミス・キャスト。彼女には扶養してくれる男を失って酒に溺れる女よりも、強く生き抜く女の役こそ相応しい。
 ネルソンの最期の戦いとなるトラファルガー海戦の、ミニチュアを使った特撮が隠れた見どころか。 (評価:2)

リディアと四人の恋人

製作国:アメリカ
日本公開:1953年5月23日
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ 製作:アレクサンダー・コルダ 脚本:ベン・ヘクト 撮影:リー・ガームス 美術:ビンセント・コルダ 音楽:ミクロス・ローザ

アメリカ的通俗に彩られた『舞踏会の手帳』ハリウッド・リメイク
 原題"Lydia"で、登場人物の名。
 デュヴィヴィエの渡米後第1作で、『舞踏会の手帳』(1937)のハリウッド・リメイク。
 リメイクとはいっても、社交界デビューの舞踏会を皮切りに、4人の男たちのその後を語るという話の構造だけが同じで、内容的にはハリウッドの言いなりで撮ったのか、『舞踏会の手帳』とは似ても似つかない底の浅い作品になっている。
 視覚障害児童施設の設立者として名を成したリディア(マール・オベロン)が、かつて彼女を愛した男たち3人に招かれて過去を語るという物語で、けたたましいだけの少女と慈善家として老成した女の差が激しすぎて、とても同一人物とは思えない。
 こうしたハリウッド式の大衆迎合型ご都合主義が随所にあって、畳みかけるようなストーリー進行、男の一人がフットボール選手、4人目の男がマドロスというアメリカ的通俗に彩られたものになっている。
 夢を追いかけた若き日の光と、それを幻想だと知る老年の影、とういうには、リディアを含めて人物像が記号的で薄っぺらく、とりわけ軽薄には見えないマール・オベロンがミス・キャストに見える。
 リディアが思い続けたマドロス(アラン・マーシャル)が彼女のことを覚えていないというラストシーンのために全体が造られていて、愛など幻想でしかないという結論となるが、そんな女を今も愛し続ける3人の男たちもまたリディアという幻影を追いかけていたにすぎないというラストだけが、シニカルな見どころになっている。 (評価:2)

ダンボ

製作国:アメリカ
日本公開:1954年3月12日
監督:ベン・シャープスティーン 製作:ウォルト・ディズニー 脚本:ジョー・グラント、ディック・ヒューマー、オットー・イングランダー、ビル・ピート 音楽:オリヴァー・ウォーレス、フランク・チャーチル

動物愛護の今の世の中からすれば虐待もの
 原題"Dumbo"で、主人公の子象の名前。母親はジャンボで、ダンボはドジの意。
 『ファンタジア』に続くディズニー長編4作目で、仕草などの細かいギャグで見せるという、初期の漫画映画の典型。
 デカ耳の象が空を飛ぶというアイディア以外には何もなく、あとはダンボの可愛い仕草や他愛のないほのぼのギャグで見せるが、子供の頃に本作を見て、空飛び象以外に特に印象に残らなかったが、改めて見直すと、子供の頃の直感が正しかったことが再認識される。
 子供向けアニメーションとしては文部省特選ものだが、良い子のアニメほどつまらないものはなく、他愛のないギャグで笑えるのは幼児まで。アニメーションの技術がどうのとか、ディズニーアニメの変遷をたどるには歴史的意義があるが、単に作品としてみる限りは面白いところはない。
 冒頭、サーカスの動物たちの赤ちゃんがコウノトリによって運ばれてくるというあたりで、これはもう幼児向けファンタジー以外の何物でもなく、大の大人がどこまで話を合せて辛抱できるかという1時間耐久レースになる。
 デカ耳のために象たちから仲間外れにされ、象の芸ができずにピエロの仲間入りとなってしまうが、鼠が良き友となって、空飛び芸で一躍サーカス団のスターになる。
 イジメられて仕返しし、最後はヒーローとなって見返すという、『みにくいアヒルの子』類型の子供騙しのストーリーだが、サーカスだの動物ショーだのといった、動物愛護の今の世の中からすれば虐待もので、文部省特選アニメも非教育的アニメの時代になってしまった。
 音楽に乗ってキャラクターが動くという『ファンタジア』の影響が残っているシーンもある。 (評価:2)

マルタの鷹

製作国:アメリカ
日本公開:1951年1月10日
監督:ジョン・ヒューストン 製作:ハル・B・ウォリス、ヘンリー・ブランク 脚本:ジョン・ヒューストン 撮影:アーサー・エディソン 音楽:アドルフ・ドイッチ

意味ありげにニタリとするボギーが気持ち悪い
 原題"The Maltese Falcon"で、邦題の意。ダシール・ハメットの同名小説が原作。
 私立探偵が主人公で、家出人捜しの依頼を受けたところ、実は依頼人の罠だったという話。マルタの鷹は、依頼人が買付人から横取りしようとしているお宝のことで、探偵は訳もわからずお宝をめぐる争奪戦に巻き込まれてしまう。
 闇の中から事件の真相を探るといういわばミステリーなのだが、その構造が大して面白くもない上に、十字軍の遺したお宝というこけおどしでミステリーを引っ張っているために、訳のわからなさの正体が見えてくると内容の薄さに脱力してしまう。
 不良な探偵のハードボイルドにしては、時代もあってアクションは単調。やたら意味ありげにニタリとするハンフリー・ボガートが気持ち悪く、台詞も演技もカッコつけばかりで、このレトロなスタイリッシュさを受け入れられるかどうかが、本作を見る上での大きな関門。
 関係者が、何も知らない探偵がなぜマルタの鷹の在り処を知っていると押しかけてくるのかも謎。
 ジョン・ヒューストンの監督デビュー作。 (評価:2)

製作国:アメリカ
日本公開:1947年2月25日
監督:アルフレッド・ヒッチコック 脚本:サムソン・ラファエルソン、アルマ・レヴィル、ジョーン・ハリソン 撮影:ハリー・ストラドリング 音楽:フランツ・ワックスマン
キネマ旬報:1位

ジョーン・フォンテインの美を堪能することがすべて
 原題は"Suspicion"で疑惑の意。邦題は、その疑惑を象徴する場所で、サスペンス映画としては上手いタイトルの付け方。戦時中の作品で、日本公開は1947年。フランシス・アイルズのイギリス小説"Before the Fact : A Murder Story for Ladies"が原作。
 ストーリーは、どうしようもないほど酷い。行き遅れの将軍の娘(ジョーン・フォンテイン)が町でも有名な放蕩息子(ケーリー・グラント)に騙されて結婚。博打で無一文の上に借金まみれ、娘が父親から贈られた家財は売り飛ばし、嘘ばかりついて奢侈な生活を改めようとはしない。就職しても横領で首になるという無責任一代男なのに、娘は別れるどころか両親へのプライドなのか実家に帰りもしない。
 結婚を決めたのも婚期を逃しているからという拙速な理由らしいが、利口そうなフォンテインの演技には説得力がない。グラントは軽薄男を好演しているが、そんな男に惚れこんでしまう女のバカさがフォンテインにはない。おまけに夫に殺されるのでは? という疑念を抱いてなお家出しない。
 ヒッチコックの名作とされるが、美男美女でなければ主役になれないという当時の映画製作の制約の中とはいえ、70年以上経って説得力を持たなくなった映画を評価し続けるのはどうか?
 前半は延々としょうもない夫婦のラブストーリーを見せられ、果たしてサスペンスはいつ始まるのかと飽きさせながら、後半ようやく始まったサスペンスもラストが腰砕けの上、こんな男女の白々しいハッピーエンドを見せられても映画が終わった気がしない。
 全編書割セットとスクリーン撮影なのは、70年前の映画なので仕方がないとしても、とくに秀でたシーンや演出があるわけでもなく、唯一の見どころはフォンテインの美しさだけ。
 フォンテインはアカデミー主演女優賞を獲っているが、とても受賞できる演技ではなく、彼女の美しさに与えられたものか? 日本生まれで当時23歳。 (評価:1.5)