海月衛 映画帖
~映画の大海原をたゆたう~

外国映画レビュー──1920年

文化生活一週間

製作国:アメリカ
日本公開:1925年
監督:バスター・キートン、エディ・クライン

事故と紙一重の危険なアクロバティックな演技
 原題"One Week"。ビデオの題名は「キートンのマイホーム」。
 結婚式を挙げたバスター・キートンとシビル・シーリーの1週間を描くサイレント映画で、キートンの初期の傑作。
 伯父から組み立て式の家をプレゼントされ、建てて住み始めるが、嵐に襲われたり、建てた場所が間違いで家ごと引っ越し、最後は踏切で動かなくなって列車に破壊され、売りに出すまで。
 スラップスティックなギャグが20分間くり返されるが、ストーリー的にも纏まっていて、個々のギャグも飽きさせない。最後にストーリー的なオチが付いているのもいい。
 何より感心するのが、キートンの体を張った演技で、身体能力の高さだけでなく、事故と紙一重の危険なアクロバティックな演技がギャグの質を高めている。
 早回しの展開に気を取られていると見過ごしてしまうが、1日目の並走する2台の車を乗り移ったり、マイホームの2階から飛び降りるシーンなど、命懸けのアクションが続くのがわかる。最終日に家を動かすために車に釘で打ち付け、車台の部分だけが走り出すのがおかしい。 (評価:2.5)

奇傑ゾロ

製作国:アメリカ
日本公開:1921年11月2日
監督:フレッド・ニブロ 脚本:ユージン・ムリン、ダグラス・フェアバンクス 撮影:ウィリアム・マクガン、ハリー・スローブ

お約束のヒーローだけでなく正義の味方感が欲しかった
 原題"The Mark of Zorro"で、ゾロのマークの意。劇中、主人公のゾロが残すZの刻印のこと。ゾロはスペイン語で狐の意。ジョンストン・マッカレーの小説"The Curse of Capistrano"(カピストラの呪い)が原作のサイレント映画。
 本作が人気となり、数度の映画化とABCのテレビシリーズ(1957-59、邦題:怪傑ゾロ)が日本では1960年代に放映された。
 19世紀初頭のスペイン領カリフォルニアが舞台。顔にZの傷をつけられた軍曹ゴンザレスが覆面の剣豪ゾロへの復讐を誓う酒場のシーンから始まり、そこにスペイン帰りの名家の御曹司、ドン・ディエゴ(ダグラス・フェアバンクス)が現れ、アホなボンボンぶりを示して帰る。そのドン・ディエゴの裏の顔こそがゾロというヒーロー像で、この設定はスーパーマンやバットマンなどのアメコミ・ヒーローに繋がる定番の先駆け。
 ゴンザレスがゾロをつけ狙う一方、ドン・ディエゴは父(シドニー・デ・グレイ)から縁談を勧められる。相手は総督(ジョージ・ペリオラット)に嫌がらせを受けている農園主の娘ロリータ(マーゲリット・ドゥ・ラ・モット)で、圧政の支配者・総督に立ち向かうために結婚どころではないドン・ディエゴは、わざとロリータに嫌われるようにする。
 以下、ゾロに惚れるロリータ、その気のない振りのドン・ディエゴとすっかりその気のゾロという捻じれたラブ・ロマンスを中心に描かれ、総督一味と戦うだけで民衆を助けるゾロの活躍シーンがないために、テレビ版の正義の味方『怪傑ゾロ』を見慣れた目には、内輪の話過ぎて少々辟易する。剣豪ゾロが拳銃を持っているのも相当な違和感。
 ゾロはロリータと総督一味相手に、恋に戦いにと忙しくなるが、ロリータが総督一味のラモン大尉(ロバート・マッキム)の魔の手に落ちそうになるのをゾロが助け、最後はゾロの正体を明かしてのハッピーエンドとなるという、だったら回りくどいことをせずに最初に正体を明かせよ! と文句も言いたくなるが、そこは遠山の金さん同様のお約束の展開となる。お約束のヒーローとお約束のラブ・ロマンス、お約束の展開という定型を作ったことに意味があるが、もう少し正義の味方感が欲しかった。
 跳んで撥ねるダグラス・フェアバンクスのアクションが見どころ。 (評価:2)

カリガリ博士

製作国:ドイツ
日本公開:1921年5月
監督:ロベルト・ウイーネ 製作:エリッヒ・ポマー 脚本:ハンス・ヤノヴィッツ、カール・マイヤー

妄想だから話が無茶苦茶なのか見続けるのが辛い
 原題"Das Cabinet des Doktor Caligari"で、カリガリ博士の箱の意。
 ドイツ表現主義の初期代表作品とされるもので、全編を通して幾何学的で歪んだセット美術が用いられているが、これがラストで精神病者の妄想による世界だったという種明かしに結びついている。
 回想というか妄想の中身は、カーニバルでカリガリ博士(ヴェルナー・クラウス)が夢遊病者チェザーレ(コンラート・ファイト)を見世物にしていて、これを冷やかしたフランシス(フリードリッヒ・フェーエル)の友人アラン(ハンス・ハインツ・フォン・トワルドウスキー)がその晩、殺されてしまう。
 誰が見ても怪しいのはチェザーレで、カリガリ博士は追及を逃れるためにチェザーレが寝ている箱に人形を入れ、チェザーレはなぜかフランシスの恋人ジェーン(リル・ダゴファー)を殺しに行く。しかしチェザーレは美貌に負けてジェーンを誘拐。騒ぎを聞きつけた村人たちに追われ、なぜか急死してしまう。
 箱の中にいるのが人形だとバレるとカリガリ博士は精神病院に逃げ込み、フランシスがカリガリ博士が古書に則り、夢遊病者を操って殺人を行っていたことを究明し、博士は発狂して独房に入れられてしまう。
 ここまでが回想で、話が無茶苦茶だから妄想にしたのか、妄想だから話が無茶苦茶なのか、兎に角見続けるのが辛いほどにつまらない。
 回想が終わって、実は病気なのはフランシスで、病院長のカリガリ博士始め、妄想の登場人物は病院の職員か患者。プロローグでベンチに座ったフランシスの前をジェーンが通り過ぎるシーンがあって、明らかに病気だとわかるのが伏線になっているが、歴史的意義を除けばシナリオもオーバーアクションの演技・演出も駄作が相当。 (評価:2)